今の宮城県遠田郡に貧しいけれど、信心深い農夫がいた。ある時、通りかかった乞食僧を助け世話したところ、実は偽の坊主で、その罪業の深さにより、ある日大きな牛になってしまった。貧しい農夫は、この牛の働きにより次第に裕福になった。近郷の栗原郡に住んでいた愚かな農夫は、その話を妬ましく思い、自分も旅の僧が来るのを待っていた。そこに通りかかったのが金光上人で、農夫は無理矢理上人を納屋に閉じ込めて、牛になるのを待っていたところ、逆に悪心の報いか、体には黒い毛が生え牛になってしまった。ただ顔は人間のままで頭には角が生えていた。金光上人の法力ではどうしようもなく、師である法然上人に救いを求め、京都に戻ったという。法然上人は自ら自分の木像を作られ、金光上人に手渡し「自分は助けに行けないが、これを私だと思い、念仏の功徳を広めるように。」と諭された。
栗原郡に戻った金光上人は七日間の法要を勤め、牛になった農夫を元に戻してやった。この農夫はその後悔い改め、金光上人の弟子となり、正牛坊と名乗り、金光上人を追って遠野に辿り着き、遠野の地で亡くなったと云う。その時の正牛坊の所持していた牛の姿の角の一本が、写真の角だという。