遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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鍋倉山の今

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鍋倉山にツツジが咲いていた。ある人に言わせると、あれはツツジじゃなくサツキなそうだが、自分にはその違いがわからない。桜の季節に鍋倉山を見る事が出来なかったが、ツツジが咲き誇る鍋倉山の季節に、どうにか足を踏み入れる事が出来た。
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最近覚えた技法を試してみた。同じ構図で、ピントの合った画像と、ピンボケ画像を合成させるとソフトフォーカスをかけたような画像になると。確かに、そうなった画像である。
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南部神社へ通じる石段沿いにもツツジが咲いている。
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よく見ると、その石段をピョンピョンと雀が一段づつ登っていた。まるで神社に参拝する為に、登っているかのように思えた。
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鍋倉山は、花だけでなく新緑が際立つ季節にもなっている。
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新緑の緑と影のコンストラストに、目を奪われてしまう。
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日陰の暗がりに、スポット光を浴びて浮かび上がる普通の葉っぱが印象的だ。
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紫の小さな花が咲いていた。
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花は同じ品種が、ひとところに密集して咲いている。これは鍋倉山における、植物の縄張り争いでもある。この紫の花も、どこまで勢力を伸ばすのか。鍋倉山へは、天気の良い日に行って見るといい。目に飛び込む風景や、耳から聞こえる様々な音、そして体で感じるものからも、気持ちが穏やかになる。

# by dostoev | 2018-05-22 06:40 | 遠野の自然(夏)

瀧神社を探しに

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桜の季節は、まったく動けなかったが、新緑の季節となり、どうにか余裕が出来たかのように感じる。ふとした事から、ある沢に瀧神を祀っていた神社があったと知った。今日は、そこを目指して行動する事にした。
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目指す沢は、某地にある余り陽の当たらない暗い沢であった。
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とにかく、この沢のどこかにあるという事しかわからない。ただ瀧神社という事から、瀧を見つければ良いのだろうとは思った。
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とにかく沢を溯上すれば良いだろうが、歩きやすい道は無いものと思って進んだ。
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V字型渓谷となっている為、沢から上を望めば木々に囲まれている谷間である。太陽光が木の葉を透過し、それが自然のランプのように感じた。
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渓流を歩いていると、野鳥が同じく渓流沿いを飛んでいる。手持ちのカメラには広角レンズが装着されている為、望遠レンズに交換してみた。しかし、その間に野鳥は上流へと飛んで行った。再び歩くと、やはり同じ野鳥がいた。カメラを構えると、その隙にまた上流へ…。
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まるで追いかけっこをしているかのように感じたが、どうにか2枚だけ撮影出来る事が出来た。
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この後野鳥は、渓流から離れ陸地の方へ向い、石の上にとまったのが見えた。そこへ向うと、再び上流へと飛んで行った。その野鳥がとまった石を見ると、それは石碑だった。「古瀧大神」と刻まれている。
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周囲を見渡すと、朽ちて倒れている鳥居があった。まるで野鳥に導かれるように、この瀧神を祀っていた神社に辿り着いたように感じた。となれば、近くに瀧があるのだろう。とにかく、ここで手を合わせた。
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同じくらいの大きさの石を集めて組んだような場所があった。以前にあったという社の場所は、ここであったろうか?
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傍には目的の瀧以外に、岩壁から雨だれの様な水がしたたり落ちていた。これもまた、瀧なのだろう。
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ちょうど太陽光が差し込んでいて、滾り落ちる水がキラキラと輝いていた。
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角度を変えると、虹色に輝く水飛沫となっている。
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そして、奥まった場所に少し大きめの滝があった。
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今回の瀧神社の発見は、野鳥がいなかったら見逃していたかもしれない。もしかして自分を、ここまで導いてくれたのか?と都合が良い方に解釈したい。


# by dostoev | 2018-05-21 16:36 | 遠野体験記

瀬織津比咩の祭祀其の四十四「古滝神社(遠野)」

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ある沢に、かつて遠野の滝神が祀られていた神社があったと知った。今は信仰が廃れ、人の寄り付かない沢にそれはあった。
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鳥居は朽ちて倒れている。かつては社もあったようであるが、それを祀る人がいなくなれば鳥居も社も朽ちて残骸となるだけである。
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しかし鳥居や社が朽ち果てても、自然の滝は、そこに残り続けるものである。遠野の滝神といえば、早池峯大神を云うのだろう。よってここも瀬織津比咩を祀った神社であったものと思われる。

# by dostoev | 2018-05-20 19:31 | 岩手県の瀬織津比咩

遠野の本の紹介

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今日の夕方、遠野出身の佐々木大輔さんという方が、わざわざ本を届けに来てくれた。なんでも「遠野物語」に影響を受けた小説という事らしい。ただ、その本のデザインが一風変っていた。タイトルらしきが、背表紙にどこにも見当たらない。ただ画像の写真が一枚あるだけで、それ以外は全て真白。まるで写真付絵葉書の分厚い特別版みたいな本であった。本の最後に作者のプロフィールと共にタイトルも記されていた。ここで、この本のタイトルが「僕らのネクロマンシー」であると理解できた。Amazonでも販売されているようだ。
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写真側のページを一枚めくると、画像の言葉が現れた。絵葉書の様な本であり、画像の言葉を読み、何となく自分勝手なイメージが浮かんでしまった。あとは読んで、答え合せとなる。ただ最近、なかなか忙しくて本を読める機会が無くなったが、仕事が落ち着き時間が取れたら、一気に読んでみようと思う。

# by dostoev | 2018-05-16 22:33 | 遠野情報(雑記帳)

5月6日の桜

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今年の桜の咲き始めは、4月20日頃で、例年よりもかなり早く桜が咲き始めた。しかし、なかなか撮影する暇が取れなくて、遠野の殆どの桜が散ってしまった。今日、5月6日、久々に時間が取れたので金糞平の山桜を見に行って見た。そこなら桜は、まだ咲いているだろうと思った。
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台風の影響で崩落した林道がまだ復旧していないだろうと貞任高原経由はやめて、琴畑から広股沢経由で金糞平へと行って見た。途中、日陰部分にはまだ雪が残っていた。
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やはり、桜は咲いていた。満開のピークは過ぎ、少し花が散ってはいたが、それでもじゅうぶんなくらいだった。
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桜を中心に、多くのウグイスが鳴いており、この金糞平の春の到来を告げているかのように思えた。

# by dostoev | 2018-05-06 21:39 | 遠野不思議(桜)

早池峯へのW祈願(座敷ワラシとハクサンサマ)

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今年も、4月29日に遠野早池峯神社で座敷ワラシ祈願祭が行われ、多くの人達が参加したようである。世の中が不景気になり、座敷ワラシに対する切実な想いと願いを求める人が増えたようだ。その祈願祭に参加した夫婦が、その流れからか、早池峯の遥拝所でもあり"長者祈願"の神聖な地でもあるハクサンサマへの案内を頼まれた。画像は、そのハクサンサマと呼ばれる岩山を側面から撮影したもの。とにかく今回は座敷ワラシへ家運の上昇を祈願し、更にハクサンサマから早池峯へ長者祈願のW祈願となった。以前にも同じ祈願をした者は、無事に外交官になったようである。
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ハクサンサマに近付くと、一頭のカモシカが現れ、こちらをじっと見つめている。訪れた夫婦は、これを吉兆と捉えて、カモシカの写真を撮りまくっていた。
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詳細は書かないが、かなり苦労してハクサンサマを登り切った夫婦であった。
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その後リクエストに答え、妖怪キャシャが習合されたキャシャ稲荷へと向った。するとタヌキらしきが野を走っているので、タヌキが大好きという旦那さんに合わせ、車を停めて撮影する事になった。逃げたタヌキらしきは水路に隠れた。下から覗くと…どうやらタヌキではなく、アナグマであった。
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その後に、キャシャ稲荷へと向かったが、再び急斜面を登らなくてはならぬ為、再び夫婦は難儀したよう。まあ、長者になるには簡単にはいかないもの。とにかく、久々の運動の様だったので、翌日の筋肉痛が心配のようでもあった。

# by dostoev | 2018-04-30 17:39 | 御伽屋・幻想ガイド

又兵衛の矛(其の三)

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画像は里中満智子「ギリシア神話」から三叉槍を持つポセイドン。

又兵衛人形と杖の井の伝承を掛け合わせて浮かび上がるのは、ギリシア神話のポセイドンの三叉の鎗ではないだろうか?ポセイドンは海の神であり、地震の神でもある。E・ナック「古代ギリシア」によれば、三叉の槍により地面を引き裂くと水が噴出する事から、ポセイドンは泉と川の神でもあったという。これと同じものは「又兵衛の矛(其の一)」で紹介したように”杖の井”の伝承であろう。これには何故か弘法大師が数多く登場し、同じように地面に杖を突き刺すと水が涌いたなどの伝承が全国に拡がる。樹木は地下との交流アイテムであるとされるが、日本での地下とは根の国・底の国であり黄泉国を意味するのだが、ポセイドンの形容に「大地を抱く者」「大地を揺する者」があるが、三叉槍によって地面を突き刺し水を湧かせる事から大地の奥底に関係する神として知られ、冥界の神ハデスと同一視されていたようだ。「ギリシア神話」では、天をゼウスが、地下である冥界をハデス。そして海をポセイドンが支配した事にされているが、ポセイドンそのものはゼウスやハデスよりも古くから信仰されていた神であったようだ。これが日本神話になれば、太陽であり天が天照大神となり、月が月読命で海原が素戔男尊という事になっている。しかし、海原を支配している筈の素戔男尊は、根の国をも支配してしまった。思うのだが、太陽の光の届かない夜は、ある意味冥界にも等しいのかもしれない。その月の輝く夜を支配したとされる月読命だが、「古事記」「日本書紀」で大気都比売神と保食神という神のストーリーに素戔男尊と入れ替わり、関わって来る。これはポセイドンとハデスが同一視されていたように月読命と素戔男尊が同一視して良いほどの、怪しい入れ替わりであると思われる。

またポセイドンに対しての生贄として馬を捧げる信仰があったのだが、古代日本においても、丹生川上神社に生きた馬を生贄として捧げた事から、水神に対する信仰がギリシアと日本とで重なってくる。また藤縄謙三「ギリシア神話の世界観(ポセイドン神の成立)」によれば、ポセイドンの名前は「大地」と「夫」の結合語で「地母神の夫」という名前であると云う。杖を大地に突き刺すのが大地との交流であり、聖婚を意味する様である。それはつまり、水源を示すものであり、地母神の場所を示すものと考えて良いのではないか。昔観た映画「人食い残酷大陸」においても、男がペニスを立て、大地に穴を掘って腰を振るのも大地との聖婚であり、豊穣祈願の神事であった。考えてみれば、鮭は女神を慕って溯上するものと考えられている。また「肥前国風土記」「遠野物語拾遺33」の話も女神を慕って鮫や鰐が溯上するのも同じ。水源が女神の位置を示すものであるならば、それに鮭などが群がるのも女神との聖婚を求めてのものかもしれない。
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又兵衛祭の祭壇を見て、やはり重要なのは、又兵衛人形だろう。この祭において又兵衛人形は、そのまま突き刺すのではなく、まず穴を掘ると川側なので水が湧き出す。その水の湧き出した場所に、又兵衛人形を差し込むのだが、本来はそのまま突き刺していたのではなかろうか。不安定な為、確実に又兵衛人形を刺し飾るのは、穴を掘った方が無難だったからではないか。穴を掘って水が湧くというのも川側だからだけでは済まされなく、やはり水源を意図する必要からではなかっただろうか。そして気になるのは、”犯罪者”である又兵衛を槍で突くのが三本の槍によるものであるという事。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
石上山の麓に、沼平という地名があり、そこはかって大きな沼であったという。その沼には大蛇が棲んでおり、いつも暴れるので村人は、恐れていたそうな。その話を聞いた東禅寺の無尽和尚が大蛇退治をし、その大蛇を供養したのだと。大蛇は沼の傍らに埋め、その上に柳の木の枝を逆さにして弔ったという。死人のあった時、その墓場に柳の枝を逆さに立てて拝むと、死人は極楽往生が出来るとという事である。無尽和尚は、大蛇の極楽往生を願ったのだろう。今でも沼平には、逆さに立てた柳の枝に根が生えて育ったと云われる古木が残存している。

                           「上閉伊今昔物語」

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遠野にもいくつかあり、また全国にも弘法大師などが植えた逆さの樹木伝説がある。樹木を逆さに植えるという事は、樹木の根を上にするという事。先に紹介したように、樹木の根は地面の下に拡がるものであるから、樹木とは現世と根の国であり、黄泉国との入り口でもある。その樹木を逆さにすれば、根が広がる形である。又兵衛人形は、樹木を逆さにした形を意味しているのではないか。
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程洞神社に、二又に分かれた杉の木がある。その間に小さな社を置いて祀っている。二又とは女性の股を意味し、その間は子供の生まれる場所で聖なる場所の意味もある。それは、形を変えて信仰されている。例えば四畳半の半畳を真中にしてはいけないという禁忌がある。これは昔、切腹する場が四畳半で半畳を真中にしたからだとされるが、その真意は真中は霊界と繋がると云う迷信からの発生の様だ。これは八畳間の真中でも、同じような禁忌がある。また現代でも未だに行き続ける迷信に、三人で記念写真を撮ると真中の人物は早死にするとか、悪い事が起きると云われる。これもまた二又の真中が何かを発生させる場所であり、それが悪い方向へと考えられた為の様だ。とにかく二股の真中は、何かが発生する聖なる場所であるのだが、これが恐らく樹木を逆さに植えたという伝承に結び付いているものと思える。つまり、樹木を逆さに植えたという伝承も、地面に杖を突き刺して水が涌いたという伝承も、同根から分離したものであろう。又兵衛祭における又兵衛人形もまた、その亜流であると考えて良いのではなかろうか。ただしその原型は、どうもポセイドン信仰に行き着きそうである。

以前書いた「遠野物語拾遺20」の話は、まるで北欧神話「バルドル」の話と同じであった。ギリシア神話や北欧神話がどういう経路で日本に辿り着いたのか、それを紐解く資料に乏しいので、そこまではやろうとは思わない。ただ言えるのは、全くの影響無しに日本神話が作られたものととは考え辛いという事。別に、伊弉諾の黄泉国からの帰還も、「ギリシア神話」でのオルフェウスの話に酷似している事は、あまりにも有名な話である。また別に熊野の鴉の牛王神(ゴオウジン)が、もしかして北欧神話のオーディンではないかと噂されるのも、完全に否定できるまでの根拠に乏しいからである。時代を考えみても、明らかに日本神話より北欧神話やギリシア神話の方が、遥に昔の話である事から、現代では模倣と云われてもおかしくはない。また、遠野のデンデラ野の語源が未だに不明であるが、古代エジプトのハトホル神殿はデンデラという地に鎮座しおり、デンデラは魂の復活の意味があるという事から、もしかして遠野のデンデラ野の源流もエジプトに!?となりそうな気配もある。しかしどう考えても荒唐無稽にも思えるが、完全否定できないのもまた事実ではある。ただ、古代日本に大陸から、あらゆる人々が日本に渡り集り、また遣唐使や遣隋使などからも日本人が大陸に渡り、様々な知識や伝承を持ち帰っているのも確かである。又兵衛人形は、「杖の井」「逆さに植える樹木譚」の亜流であると思えるが、やはりその原型はポセイドンの三叉鎗から来ているものであると考えた方が自然ではなかろうか。

# by dostoev | 2018-04-15 21:17 | 民俗学雑記

又兵衛の矛(其の二)

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岩手県宮古市に、奇妙な祭が伝わる。神野善治「鮭の精霊とエビス信仰 -藁人形のフォークロア-」によれば、藁で作られたY字型の人形は又兵衛と呼ばれ、地元では逆さ磔にされた後藤又兵衛の姿を象ったものとされているよう。しかし、この後藤又兵衛という名前は後から付けられたものであるようだ。初めに信仰儀礼があり、後から人形の股を開いた形に、又兵衛という名前を付けて作られた伝説であるようだ。取り敢えず「宮古のあゆみ」に、それが記されている。

「時代は不明であるが、南部藩が津軽石鮭川を直営した頃、後藤又兵衛という役人が、津軽石に出張して来た。其の年は未曽有の豊漁であったが、住民は、打ち続く凶作で、南部藩の援助も及ばず餓死者が続出した。又兵衛が『神が村人に与えた鮭である。この様な時に鮭を与えることが殿様の慈悲である』と言って、自由に鮭を住民にとらせた。人々は、この又兵衛の慈悲行によって救われた。南部藩庁では行き過ぎとして、又兵衛を逆さ磔の極刑に処した。津軽石人は、又兵衛の『身を殺して仁をなした』人間愛を銘記して、旧暦十一月一日、寒風すさむ丸長川原に、又兵衛刑死の姿に、藁人形を作り、神酒を捧げて又兵衛のに霊を慰め、加えて豊漁を祈念する習慣になっている。」

この後藤又兵衛という人物が南部藩の役人となっているが、該当する人物は存在せず、また南部藩において、実際にこういう事件の記録も無い事から、やはり後から話が加えられたものと考えられている。ところで谷川健一監修「鮭・鱒の民俗」での谷川健一は、又兵衛人形の又の形状は、恐らく鮭の尾ヒレを表しているのではないかと考えているようだ。また、鈴木鉀三「三面川の鮭の歴史」によれば、三面川の河口から五十町ほどの地点に標をたて、御境としたという。その御境から下流に又兵衛という名称があった事から、又兵衛という名称は漁場との関連、もしくは二股に分かれた川に関連しているものとも考えられているようである。

この鮭が溯上し、又兵衛人形が立てられる川は、宮古市の津軽石川となる。この津軽石川に鮭が溯上する由来譚に、何故か弘法大師が登場している。そのあらすじを下記に紹介しよう。

「この津軽石というのは、津軽の黒石という所から来た人達の作った村で、その昔はシブタミ村といったという。昔、弘法様が津軽を漫遊していた時に黒石の川で鮭がとれているのを見て、これを食べてみたいなぁといったが、村の人は乞食坊主みたいな者に何もやれないとことわった。弘法様は仕方無くそこの河原の石をひとつ拾って来た。そして弘法様がこの津軽石を訪ねて来た時に、川で同じように鮭がとれていて、食べたいなぁというと、村の人は鮭を煮たり焼いたりして御馳走してくれた。ほうしてタモトから石をとり出して川にほうりなげて、今後いつまでも鮭が帰ってくるように祈ったと。ほれから、弘法様が津軽から石を持って来て鮭がとれるようになったのでシブタミ村を津軽石という名前にしたわけだな。(宮古市在住の方の談)」

鮭の溯上に宗教者が関わっているのは「又兵衛の矛(其の一)」にチラッとは書いた。その中で多いのが、弘法大師である。東北地方に広く分布する「弘法とサケ」という弘法伝説であるが、これは鮭に限らず前回紹介した「杖の井」などもそうである。遠野にも来た筈の無い弘法大師伝説がいくつかあるが、恐らく信仰の変遷からの流れであったろう。東の天台、西の真言と云われる様に、東には天台宗の慈覚大師伝説が多く、また別に西には真言宗の弘法大師伝説が多くあった。しかし、早池峯妙泉寺そうであったが、当初天台宗であったものが真言宗の支配に移り変わっていた。天台宗から真言宗に代わった事によるのか、真言宗は、弘法大師の奇跡の伝説を広める事によって、天台宗からの信者を獲得していった経緯もあるのではなかろうか。
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この又兵衛人形の起源だが、同じ宮古市内の山口の小笠原家で発見された天保四年(1833年)の「覚書」の文書に「小盗はやり盗まづり、人形作、鎗つきまくり、三日の内まつり申候」という記述から、盗人送りの人形突きの祭があった事が確認された。これは別に津軽石地域の出来事が記されている安永六年(1777年)の「日記書留帖」には、一匹の鮭を盗んだ浪人が村人達によって殺され、その祟りによって鮭が上らなくなったので、それから河原で祭をする事になったと記されているようだ。内容は祭場の側に穴を掘るのだが、川の側である為にすぐに水が溜まる。そこに等身大の藁人形が運ばれ、二人の人間によって足を一本ずつ掴まれ、腹這いの格好で頭を水溜りの穴に突っ込まれる。そこへ竹槍を持った三人の男によって藁人形は槍で突き刺され、穴の中に蹴り落し土をかぶせて埋め、墓を作って供養するという盗人除けの呪いの祭りであったよう。飢饉の時は食料の盗難が深刻な為に、この祭が行われたのではないかと憶測されている。しかし、菅豊「修験がつくる民俗史」によれば盗人送りの祭とは別に、18世紀初頭には既に鮭に関する儀礼があった事を紹介している。それは毎年鮭漁の開始時期に稲荷山へ登り、湯釜を立てて、その託宣によって漁の豊凶を占ったようだ。そして河原においては「くいを立て、神になぞらえて…。」と、又兵衛人形と似たような儀礼が行われたようである。現在の又兵衛祭りは、この鮭に関する儀礼に盗人除けの呪術が結び付いて出来上がったものだと考えられている。恐らく又兵衛という名前も、鮭の儀礼で立てられた人形の形状から名付けられたものであろう。つまり、元々鮭の儀礼に立てられた人形の形は二又であったと思われる。

# by dostoev | 2018-04-04 06:24 | 民俗学雑記

又兵衛の矛(其の一)

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遠野の町に宮という家がある。土地で最も古い家だと伝えられている。この家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭に乗って入って来たそうだが、その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったという。その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯崎という山端に住んでいたと聴いている。その頃はこの鶯崎に二戸愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいだかりあったともいっている。

この宮氏の元祖という人はある日山に猟に行ったところが、鹿の毛皮を著ているのを見て、大鷲がその襟首をつかんで、攫って空高く飛び揚がり、るか南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。そのすきに短刀をもって鷲を刺し殺し、鷲もろ共に岩の上に落ちたが、そこは絶壁であってどうすることも出来ないので、下著の級布を脱いで細く引裂き、これに鷲の羽を綯い合せて一筋の綱を作り、それに伝わって水際まで下りて行った。ところが流れが激しくて何としても渡ることが出来ずにいると、折りよく一群の鮭が上って来たので、その鮭の背に乗って川を渡り、ようやく家に帰ることが出来たと伝えられる。

                       「遠野物語拾遺138」
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何度か記事に取り上げた事のある、宮家と鮭の関係。実はこれ以外にも、佐々木喜善「聴耳草紙」「鮭魚のとおてむ」というタイトルで、別の話が紹介されている。
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昔、遠野郷がまだ大きな湖水であった頃に、同町宮家の先祖が、気仙口から鮭に乗って、この郷へ入って来たのが、この郷での人間住居の創始であるというように語られている。

この家の幾代目かの主人、大層狩猟が好きであった。その頃今の松崎村のタカズコという所に、鷹が多く棲んでいて飛び廻り、人畜に危害を加えてしようがなかった。この人ある日その鷹を狩り獲ろうというので、山へ登って行くと、かえってやにわに大鷹に襟首をとらえられて宙高く引き上げられてしまった。その人はどうかして逃れようと思ったけれども、かえって下手なことをしたなら天から堕落される憂いがあるからそのまま拉し去られて行くと、やや久しくして高い断崖の上の大きな松の樹の枝の上に下された。その人は腰の一刀を引き抜いて隙があったらその鷹を刺そうと構えたが、どうも寸分の隙もあらばこそ。そうしているうちにどこからか一羽の大鷲が飛んで来て、鷹の上を旋回して、鷹かまたは自分かを窺うもののようであったが、鷹が首を上げてそれを見る隙に、その人は得たり賢こしと一刀を擬して柄も通れよとばかり鷹の胸を刺し貫いた。何条堪まるべき、鷹は一たまりもなく遥か下の岩の上に堕ちた。それと一緒にその人も岩の上へ落ちたが鷹を下敷にしたのが幸いに怪我はなかった。

そのうちにかの大鷲も、いずこへか飛び去ったので、そこを立ち去ろうとして、よく見るとそこは海と河との境に立った大岩であった。そこで自分の衣物を脱いで引き裂き、斃れた鷹の羽を絡んで一条の網を作って、これを岩頭に繋ぎ、それを頼りとしてだんだんと水の近くへ降りて見ると、水が深くてなかなか陸の方へ上ろう由もなかった。途方に暮れていると折しも一群の鮭魚が川を上がって来た。その中に一段と大きな鮭が悠々と岩の岸を通って行くから、その人は思わずこの大鮭の背に跨った。そしてやっとのことで陸に近づき上陸をして四辺を見れば、そこは気仙の今泉であった。

その人はすぐに故郷へ帰ることもならない事情があったと見えて、しばらくその地に足を停めているうちに、世話する人があって鮭漁場の帳付となった。勿論文才もあり、勤めも怠けなかったので、大層人望が厚かった。

今泉と川を隔てた高田とには常に鮭漁場の境界争いがあって、時には人死になどさえもあった。そんな時にはその人の仲裁でどっちも納まっていたが、ある年鮭が不漁なところから人気が悪く、重ねて例年の川の境界争いも今までになく劇しかった。この時ばかりはその人の仲裁も何の甲斐もなく、日に夜に打ち続いて漁師が川の中で闘争を続けていた。その時、その人は遂に意を決して川の中央へ出て行って、両方の人々に聞こえるような高い声で叫んで言った。今泉の衆も高田の衆もよゥく聴いてくれ。今度ばかりは俺の誠意(まごころ)も皆様に通らなくて毎日毎夜、夜昼こうやって喧嘩を続けているが俺にも覚悟がある。俺は今ここで死んで、この争いを納めたい。そこで皆様は、俺の首の流れる方を今泉の漁場とし、胴体の流れる方を高田の漁場としてくれ。それよいか、と言って、刀を抜いて後首から力まかせに自分の首を掻き切って落した。そしてしばらくたつと暴風雨が起こって、その人が自害した辺に中洲ができ上がった。それで両地の境界が定まって、自然と川争いも絶えたという。

その後その人の子孫は先祖の故郷の遠野へ帰った。そして先祖が鮭のために生きまた鮭のために死んだのであるからというので、家憲として永く鮭を食わなかった。もし食えば病むと伝えられて今でも固く守っている。    

                          「鮭魚のとおてむ」
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「遠野物語拾遺138」も「鮭魚のとおてむ」の二つの話は連動するものであり、どちらも常識的には有り得ない話ではある。強いて言えば、宮家と鮭には密接な関係があるという事が誇示されているかのよう。ただ、大川善男「遠野における一神社考」において大川氏は、この伝承を一笑に付し、単なる福岡県の鮭神社を模倣したものだとしている。しかし、鮭が溯上する地域は東北・北海道にかなり集中しており、その東北において、宮家の伝承に近似したものがいくつも点在している。つまり宮家が模倣したというよりも、鮭の溯上する東北を中心に広まった伝承であると考えた方が無難であろう。大川氏の指摘する鮭神社に伝わる古文書によれば、祭礼の日に社殿まで鮭が遡上してくるのだが、これは豊玉姫尊が御子である鸕鷀草葺不合尊の元へ遣わされるものであり、これを途中で殺すと”災い” があるとされる。この鮭神社の古文書に記される伝承は、鮭に助けられた宮家の伝承というより、例えば花巻市大迫に伝わる「傀儡坂物語」に近い。

大昔、亀ヶ森の蓮花田村の長が、川に登ってくる鮭が思いのほか大漁で、その鮭を運ぶ人手が足りなくて困っていた。その時、一人の傀儡女が長い旅を続けたのかボロボロの格好をして足取りも重く、村長の方に歩いてきたのだと。その道は、早池峰に続く道であったが、村長はこの鮭を運ぶのを手伝わないと、この道は通さないと言った。 そして無理やり、その傀儡女に鮭を背負わせ、何度も手荒く運ばせたところ、無理がたたり傀儡女は倒れてしまったという。

「罪の無い私を、こんな目にあわせたからには山河の形が変わり、この川の流れが別の場所に変わるまで、この川上には決して鮭を登らせないから。」

と言い残し、傀儡女は息絶えたのだと。それからこの川には鮭が登る事無く、そして傀儡女が倒れた場所を傀儡坂と呼ぶようになった。
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鮭神社の伝承では、川を遡上する鮭を途中で殺すと災いがあるとしているが、「傀儡坂物語」では、早池峯へ向かう途中の傀儡女を殺した為に、それから鮭が溯上しなくなるという災いが降りかかった。鮭は海神の使いとして溯上するものと考えられているが、「傀儡坂物語」での傀儡女もまた、海神の使いであると考えて良いだろう。菅豊「修験がつくる民俗史」を読むと、多くの宗教者が鮭の伝承に関わっているを考えみても、まず神ありきであり、その神の元に集まるものたちを邪魔する事は、神の祟りに遭うという認識で良いのだと思う。そして、その鮭の背に乗って助けられた宮家の人間もまた、海神に関係する宗教者の一人であったかとも思える。何故なら「鮭魚のとおてむ」の話では、最後に首を切り落とす行為は自らを生贄とする呪術でもある。宮家の首を切って中洲を作って境界とした話と重なるであろう話は、鈴木鉀三「三面川の鮭の歴史」にやはり鮭に関する話が紹介され、三面川の河口から五十町ほどの地点に標を立て、御境としたという。
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境界といえば、樹木が思い浮かぶ。「古事記」において、八上姫と結婚した大国主は、八上姫を因幡から出雲へ連れてきたが、本妻の須世理姫を恐れて、八上姫が生んだ子供を木の股に刺し挟み因幡に返してしまった。それからその子供の名前を木俣神、またの名を御井神といった・・・という話。この木俣神は、伯耆国の阿陀萱神社で阿陀萱奴志多喜妓比売命という神名で祀られている。その由緒は、下記の通りとなる。

多喜妓比売命は大己貴命の御子なり、母は八迦美姫命と申す。神代の昔、出雲国直会の里にて誕生あり。八迦美姫命、因幡へ帰らんと大己貴命と共に歩行し給ふ時に、御子多喜妓比売命を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟て長く置き給ひしときに、我は木俣神なりと申給ひて宝石山に鎮座し給へり。

また、同地に鎮座する御井神社の祭神も木俣神であり、その由緒に「木俣の神、又は御井の神と申し上げ、安産守護、水神の祖として広く信仰をあつめている。」としている。水神の祖とはどういう事なのかだが、安産守護に関しては二股は女性の股を意図としている事からのものだろう。とにかく木俣神は、御井神であり、多喜妓比売命という神名であった。この三つの神名は、まったく関係なさそうでありながら、実は深い繋がりを持つ神名である。

”樹木は地上と地下の境界”であり、地下である根の国の入口として認識されていた。遠野の東禅寺跡に、早池峰権現が無尽和尚の杖をとって地を突いたところ、水が湧きだした事から「杖(またふり)の井」、または開慶水と伝えられる。開慶水は別に早池峯山頂にもあるのだが、早池峯権現がこの東禅寺にも開慶水を与えたという話である。ところで「杖(またふり)の井」とは、二股の木を地面に突き刺して涌き出た泉の事を云う。どうやら二股の部分が地との交流を促す呪力があると信じられていたようだ。二股の杖は西洋では占杖といい、この杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたという。古今東西、二股の杖は、地下との交流・交信の手段のアイテムであると認識されているのは興味深い事だと思う。

# by dostoev | 2018-04-01 09:56 | 民俗学雑記

春の兆し

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春の兆しは何かと考え、やはり自分は花が咲き始めるのが実感としてある。春一番に咲くのは、福寿草。しかし、この福寿草は、毒花としても有名だ。毒花といえば別に水芭蕉もそうである。熊は、この毒花である水芭蕉を冬眠明けに、内容物を吐き出す為に喰らう。毒を喰らう事によって、熊の一年が始まるという事。春を象徴する花が、実は毒花であるというのは、とにかく興味深い。
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福寿草は、綾織地区でよくみかける。
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とにかく、ある程度咲いていたが、これからもっと経てば、福寿草が野一面に咲き誇る。
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別に、アズマイチゲも咲いていた。体感する気温も含め、冬の終りを感じる日が続くか。ただ、2011年は3月11日の前に小春日和が続き、この様に福寿草やアズマイチゲが咲き乱れていた。しかし地震以降、急に冬が戻ってきて、4月まで雪が降り続いた。桜の開花も5月の連休になってからと、季節が地震の為に急激に変わったのを記憶している。
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フキノトウも地面から顔を出していた。恐らく、すでに出ていたのだろうが、数日前の大雨や気温の高まりから一気に雪が溶けて、顔を覗かせたのだと思う。
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大雨の影響で、山への道はどうなった?と見に行ったが、さすがにもう少しかかるようだ。だけれど着実に雪は溶けて、桜の開花まで一気にいきそうな気配を感じる。

# by dostoev | 2018-03-13 17:28 | 遠野の自然(春) | Comments(0)