遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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三ツ石の影向石は明星

f0075075_18514634.jpg
土橋の早池峯神社には、三女神が降り立った影向石の伝承がある。それは、本殿の裏にある三つの石だとされるが、何故かそこには、四つの石があった。現在の早池峯神社の祭神は、瀬織津比咩の一柱だけとなっている。他の女神の気配が感じられないのは、何故か。ともかく影向石について宮司さんに聞くと結局、昔の事でよくわからないというが、それは確かに本音であろうと思う。ただ、女神の降り立った影向石、もしくは来迎石としては、この石は余りにも小さ過ぎる。
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この土橋の早池峯神社の本来は、早池峯神社ではなく、天台宗の寺院があったという。確かに本殿裏は、それなりの広い空間があった。この本殿裏の敷地は、その天台宗寺院の敷地内であり、その一角に新山権現として、早池峯の女神が社を持たずに信仰されていたという。天台宗寺院が廃寺となった後、新山権現を祀っていた場所に、現在の社が建立されたようだ。つまり、この女神が影向したとされる石は、天台宗寺院の礎石に使用された石ではなかっただろうか。
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神社を建立して神を祀るとは、坂上田村麻呂の蝦夷平定後、都の文化が流れて来た為でもあった。それ以前は、山を神として崇める場合、直接山を拝むものであった。考えてみると、遠野の早池峯信仰も、始閣藤蔵が金が発見されたら、お宮を建てると早池峯へ祈願した後に、山頂へ奥宮を建てたのが始まりだったが、その奥宮へ突然"瀬織津比咩神"を祀ったわけではないだろう。すでに早池峯に瀬織津比咩神が鎮座していた事から、始閣藤蔵は、そのお宮を建てようと約束したのだと思える。瀬織津比咩が岩手県に運ばれて来た歴史で、一番古いとされるのが、蝦夷平定の為、熊野から室根山運ばれて来たのが養老二年。それは三女神では無く、あくまで一柱の神として運ばれてきている。そして始閣藤蔵は、早池峯の神へ誓ったのだが、それは瀬織津比咩という一柱の神に誓ったもので、遠野三山の三女神に対して誓ったものではないだろう。つまり、始閣藤蔵の時代の姫神とは、三女神ではなく、あくまで早池峯に鎮座する瀬織津比咩神、ただ一柱の神だけであったと想定できる。
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遠野の早池峯神社は、真後ろに早池峰が聳え、まさに早池峰を拝む形に神社が建立されているのがわかる。それは、遠野の伊豆神社もまた同じだ。大迫の早池峯神社は、遠野の早池峯神社へ向けて建てられているのは、あくまで遠野の早池峯神社経由で、北に聳える早池峰を意識しての信仰からだろう。その背景には、天台宗の北辰信仰が重なっている。しかし、この土橋の早池峯神社は、早池峯へと向けられていない。方角は北へと向けられてはいるが、その先に山があるわけではない。それでは何があるかというと、恐らくそれは、盛岡の三ツ石神社ではなかろうか。また土橋の早池峯神社宮司さんの話によれば、その三ツ石神社手前の櫻山神社の烏帽子岩にも、密かに女神が降り立った伝承があると聞いた。とにかく、この土橋早池峰神社の方向は、その烏帽子岩であり、三ツ石神社方面に向いて建てられている様に思えてしまう。ここで、岩手神社庁に伝わる「早池峯神社略縁起」の一文を、もう一度掲載してみる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも新山大権現之本地を尋ね奉るに、人王五十代桓武天皇延暦十四年乙亥三月十七日當山江、三柱姫神達、天降満します也。新山と申すは古起松杉苔むし老いた流枝に蔦蔓生え登り、山葉に曳月はかすかに見ゆ木魂ひびき鳥の聲あたかも、深山幽谷の如し。南に北上川底清く、水音高く御手洗也。雲井に栄え登る月影浪に光を浮かしめ、北は千尋に余る、廣野と萩薄生え繁。是を名付けて、新山野と申す也。

四方青垣山にして宝殿棟高く、御床津比の動き鳴る事なく豊明に明るい座満たして宣祢禰宜の振鈴、いや高く響、茂あらたなり今茂かわらぬ。三つの石あり、三柱姫神鎮座満します。故是を影向三神石と申す也。


然に氏御神天降給故を尋ね奉るに、東国魔生変化の鬼神充満し、多くの人民をなやまし、国土を魔界に成さんとせしを、天帝聞し召せ給、田村大明神を天降し、悪魔化道退散なさしめ、国土を治め給いしとかや、弘仁二年巌鷲山田村大権現と顕れ給い妃神を王東山大権現と顕し給いしとかや、其の御子三柱の姫神當山鎮座満しまし給、姫神達折々四方を御詠有りし遥か東方に雲を貫く高山あり。旭の光々たり、月の満々たるも、峰の高きを貴み給いて曰く我等山川の清を求め峯の高きに登り末を守らん。爰に我等の三躰を残し置くと宣いて、東方へ行幸ありしとなん。

人民肝留以催し、跡伏し拝み、悉く信心す時に姫神達東山に登給いれるに、童子一人顕れ、かれに山々を問わしめ給へば、童子指さし向に見ゆるは、於呂古志山、何方は大石神山此方は早池峯山と申す三つの山也。中にも峯高く絶頂盤石四方巌々として空にそびい鳥類翼を休めがたし。閼伽井より冷泉湧き出る是を名付けて早池峯と申す也。常に紫雲靄起こし、音楽の音止まず。折々天人舞い下り、不測之霊山也と言うを終わらず、虚空に上り雲中に声有。我は、是一の路権現なりと失せ給ふ御跡拝み伏す。

天に向かい此の三つ山、授け霊験を下し給いと祈り給へば、不測屋奈末の妹神の御胸に八葉の蓮華光曜として、天降蓮華の?に舞光を放ちて飛び、早池峯山大権現と顕れ給い、姉神は大石神山大権現と顕れ、第二姫神於呂古志山大権現と顕れ、国土を守り給いとかや況や御神徳著しき事、當社に先魂坐す故當社を早池峯新山大権現と齋奉流也。又神道には、瀬織津姫也大権現と書て大権現と讀み奉る也。古今の霊場にて弥陀薬師観音の三像相殿に敬い奉る事、其の徳社に満りと云々。

                          【早池峰神社略縁起】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この縁起によれば、時代は坂上田村麻呂の蝦夷平定の頃となる。三女神は、坂上田村麻呂と烏帽子姫との間に生まれた、三柱の姫神という事。三ツ石神社の、三つの石は、岩手山が噴火した時に飛来した三つの石であるとされている。ある意味、岩手山に祀られる坂上田村麻呂から誕生した三女神を意図しての事に思える。しかし、あくまでも表向きの名前は"三ツ石様"で、三つの石をまとめて三ツ石様と呼ぶのにも、どこか違和感がある。それは、宗像三女神をまとめて、宗像大神と呼ぶのに似ている違和感である。とにかく、岩手県に記録上で一番古くは、瀬織津比咩という姫神が蝦夷平定の為に運び込まれた養老二年の後、今度は同じ蝦夷平定の終焉である坂上田村麻呂の時代に、三女神の伝承が続く…といものだが、恐らくそれは、南部藩時代に意図されて創られた伝承であると思う。とにかく、この土橋の早池峯神社の原初は、天台宗寺院であった。天台宗の教義から考えても、北辰を意図した信仰形態であったろう。それでは、その北辰の信仰と三つの石との関わりは何かと考えた場合、現れるのは"明星"であろう。明星とは、単純に言えば、日と月の組み合わせによって、星が生まれたものと解釈して良いだろう。室町時代に成立した「日本書紀纂疏」に、星に関してこう記述されている。

然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為す。日分かれて星となる。故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。

この事から察すれば、全国に広がる巨石信仰とは即ち星の信仰であるのだろう。古代において、天とはや山の頂を意味していた。その天でもある山の頂から降って来た、つまり岩手山の噴火によって降った石は、星そのものであるという考えであったろう。「早池峯神社略縁起」の縁起によれば、巌鷲山田村大権現と姫神との結び付きで、三女神が顕れたとするが、それは「日=岩手山=坂上田村麻呂」「月=姫神山=烏帽子姫」によって生まれた明星が、早池峯の女神であるとしているのではないか。

北辰としての天台宗ではあるが、天台宗の「秘鈔」では「一切の衆生は日月星から生れて来た。衆生の心というものは、日月星の三魂なのだ。と、北辰とは別に明星をも説いているのが天台宗である。恐らく、その天台宗の教義と重なるのが三つの石であり、後から三女神が重ねられたのではなかろうか。とにかく、蝦夷平定後には、天台宗が東北の地へと布教に訪れている事実がある。遠野の早池峯神社の本来も、天台宗からであるが、あくまで北辰を強く意図した信仰形態であるのに対して、この土橋の早池峯神社は、明星を強く意識した信仰形態ではなかろうか。それが三つの石の信仰であろうし、その三つの石の御神体こそは、岩手山から降って来た三ツ石ではないか。つまり、この土橋早池峰神社は、天から降り、地に降りた星である、三ツ石の遥拝所では無かっただろうか。

# by dostoev | 2019-08-19 23:03 | 瀬織津比咩雑記

早池峯神社(土橋)例大祭 2019.08.17

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8月17日は、土橋の早池峯神社例大祭であったが、今まで一度も行った事が無かった。今回は、少しばかり時間が取れそうなので、行ってみようと思った。取り敢えず宮司さんへ確認の為、例大祭の二日前に電話してみた。すると、16日の前夜祭、17日の例大祭の神事は行いますが、台風が来るので、それ以外のイベントは中止になると思います…。と、台風の影響で、歯切れが悪かった。天気予報を確認しても、確かに微妙だが、岩手県そのものは、殆ど台風が避けて通るので、恐らく大丈夫だろうとは思っていた。
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8時半頃に、遠野を出発して土橋早池峯神社へ向かった。遠野では雨が降っていなかったのだが、遠野を越えた辺りから、雨が降って来た。場所によっては、強く降ってもいたが、どうも斑状に雨が降っているようだ。予定より早く早池峯神社に到着したが、現地は軽く雨を感じる程度。空も、雲に覆われてはいるが、かなり明るくなっていた。
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舞台にも幕が張られ、神楽でも行われるのだろう。ただ、そこまでは時間が取れないので、自分は神事だけを見て、お暇する事にしていた。
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神事が開始される10時頃になると、雨雲に覆われた空から、日差しが戻って来た。
f0075075_05025636.jpg
さて神事の開始時間となるので、本殿に宮司さん達が集まって来た。
f0075075_05040764.jpg
祭壇には、自分が持って来た「瀬織津比咩」と「早池峯天女」の酒が並んでいる。
f0075075_05064130.jpg

さて、神事の開始である。
f0075075_05071281.jpg
不思議な事に、宮司さんの祝詞が始まると、爽やかな風が吹いてきた。神事に合わせて、太陽が顔を出し、祝詞の奏上とと共に爽やかな風が吹き始めるなど、これは護られているのだなぁと思ってしまった。
f0075075_05115981.jpg
さて、いつもの御札などの見本の箱を見ると、いつもとは違う御札を発見してしまった。
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いつもの倍の値段のする、瀬織津比咩の御札だ。当然、購入した。

玉串奉奠の最中だったが、ここで早池峯神社を後にする事にした。

# by dostoev | 2019-08-18 05:17 | 瀬織津比咩雑記

「遠野物語42話(人狼)」

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六角牛山の麓にヲバヤ、板小屋など云ふ所あり。広き萱山なり。村々より苅りに行く。ある年の秋飯豊村の者ども萱を苅るとて、岩穴の中より狼の子三四匹を見出し、その二つを殺し一つを持ち帰りしに、その日より狼の飯豊衆の馬を襲ふことやまず。外の村々の人馬には聊かも害を為さず。飯豊衆相談して狼狩を為す。其中には相撲を取り平生力自慢の者あり。さて野に出でゝ見るに、雄の狼は速くにをりて来らず。雌狼一つ鉄と云ふ男に飛び掛りたるを、ワツポロを脱ぎて腕に巻き、矢庭に其狼の口の中に突込みしに、狼之を噛む。猶強く突き入れながら人を喚ぶに、誰も誰も恐れて近よらず。其間に鉄の腕は狼の腹まで入り、狼は苦しまぎれに鉄の腕骨を噛み砕きたり。狼は其場にて死したれども、鉄も担がれて帰り程なく死したり。

                            「遠野物語43」
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画像は、板小屋と呼ばれる辺り。良好な秣場であり、萱刈場であったという。ところで「注釈遠野物語」によれば、飯豊に「遠野物語43」と同じ伝承が伝わっていたそうだ。ただし狼の子を捕まえたのは飯豊の者ではなく、安戸という隣村の者達であったよう。しかし狼被害にあったのは飯豊であり、力自慢の二人が狼退治へと出かけ、狼を退治したのだという。ただ解せないのは、嗅覚の優れた狼は、子狼の臭いを辿り飯豊に復讐したものと思うのだが、本来子狼を捕まえた安戸村には、何の被害も無かったというのは、どうであろうか。

また「狼は苦しまぎれに鉄の腕骨を噛み砕きたり。」とあるが実際、狼の噛む力は犬よりも強いというのが、一般的となっている。日本狼の数値はわからないが、日本狼よりも一回り以上大きいアラスカ狼の噛む力は、ジャーマンシェパードの倍で680kにも達し、捕食した獲物の骨を噛み砕くのに、十分な力を持っている。それより劣るであろう日本狼であっても、野生動物の骨よりも華奢な日本人男性の腕の骨を噛み砕く事は、容易であったろう。

ところで明治時代になり、岩手県では狼退治が奨励され、子狼で2円の賞金がついていた。恐らく、生かしても殺しても2円であろうから、本来は全て殺すものと思うが、1頭だけ持ち帰ったと記されている。変な話だが、もう既に亡くなった某爺様は、山に行けば兎の子を捕まえて飼育したり、特別天然記念物のヤマネも捕まえて飼育していたと自慢げに語っていた。野生動物には触れるなが、現代において普及しつつはあるが、田舎の末端までは伝わらないもの。普通に興味ある動物を捕まえ飼育しようとする。狼を飼っていた人物は、全国にもそれなりの数があるようなので、生かして連れて行ったという事は、飼い馴らして番犬代わりにでもしようという魂胆であろう。だからこそ、子狼を連れて行ったとする安戸村が狼の被害を受けなかったというのは、考えられない事である。
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動物世界では、子離れが普通に行われる。ある程度成長するまでは大切に育て、そして子離れの儀式が済めば、あとは他人となる。しかし狼は、子狼が成長し、群れから離れ独立した後にでも、親と出逢う事があれば、その親にすり寄って甘える仕草をすると云う。これは、他の野生動物よりも家族の絆が深い事を意味するのではないか。それ故に、子狼を殺し、さらって行った人間に対する復讐は、狼世界においては当然の事であろう。いや、そもそも人間は、狼から狩を学び、獲物を平等に分ける事を教わったと云われる。もしかして、親と子の深い絆をも教わったのだろうか。人狼の邪悪さは、あくまでキリスト教が普及し、キリスト教以外の信仰を邪教として扱ってからの事であった。童話などに登場する狼は、残忍で狡猾。確かに生きる為に獲物を捕食し、それが人間の目からは残虐・残忍と映るのかもしれない。または、なかなか人間に捕まらない頭の良さを狡猾と表現するならば、まさしくそうだろう。その狼の知恵である狡猾さを、人間が学んできた事実がある。人間は、狼の生態を真似る事により、生きる術を学んできた。その瞬間に、狼との共通意識が芽生えたのかもしれない。人間は、狼を目指す事により、自らを狼に重ね合せた。恐らく、それが人狼の原初であろう。日本においての神は、大神(オオカミ)である。三峯神社などでは、伊弉諾などの眷属としての狼と認識されるが、大神=狼であった事実が、いつの間にか伏せられていた可能性はあろう。聖徳太子の「和を以て貴しとなす」は、集団で獲物を狩り、その獲物を平等に分ける行為に重ねられる。アジアの中で、唯一大型のクジラを捕獲し、それを平等に分ける民族は、日本人くらいである。恐らく日本人もまた、狼との共通意識を有している人狼民族なのかもしれない。狼も、群れ同士の対立で命を無くする事があるという。まさに、この「遠野物語42」は、同じ群れ同士の対立という話として見る事が出来る。

# by dostoev | 2019-08-16 21:33 | 「遠野物語考」40話~

「遠野物語34話(覗かれるとは、怪異)」

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白望の山続きに離森と云ふ所あり。その小字に長者屋敷と云ふは、全くの無人の境なり。玆に行きて炭を焼く者ありき。或夜その小屋の垂菰をかゝげて、内を覗ふ者を見たり。髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。此のあたりにても深夜に女の叫声を聞くことは珍しからず。

                            「遠野物語34」
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画像は、「遠野物語拾遺8話」の舞台である離森。確かに、白望山との山続きではある。そして、長者屋敷の場所は「注釈遠野物語」に詳しく書いてあるので、ここでは記さない事とする。ただ気になるのは「その小字に長者屋敷と云ふは、全くの無人の境なり。」と記されている事だ。柳田國男は「遠野物語8話(サムトの婆)」でも、意図的なのか間違えたのか、実際は「登戸(ノボト)」であるのを「サムト」として書き表している。ともかく柳田國男は土地勘も無い余所者であり、あくまで佐々木喜善から話を聞いただけで、実際に場所の確認まではしていない事から、様々な混同と間違いがあったのかもしれない。それ故に、この「遠野物語34」もまた、どこまで正しいのかは、わからないだろう。
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長者屋敷の屋敷とは"屋鋪"であり、一つの建物を何軒かに区切った長屋の事であった。つまり長者屋敷とは、タタラや鉱山などの人夫の住んでいた長屋の事であるのだろう。それでは「遠野物語34」での無人の境とは、誰も住んでいない長屋という意味であろうか。また炭焼きをする者は、小屋掛けして泊ったのではなく、この無人の長者長屋に泊った時の出来事を意味しているのだろうか?とにかく長者屋敷は、遠野側だけでなく、金沢側にもいくつかあったようだ。

ところで「無人の境」となれば、似たような山名で「長者森」という山が、白望山の稜線沿いに歩いて行ける。人が山へと入る場合の殆どが、沢伝いとなる。沢沿いに不動沢や不動岩などの不動という名が付いている場所は、古代に山伏が入り込んだ名残りでもある。また琴畑の長者屋敷が沢沿いにあるのも、人が生活するにおいて、水の確保が必要であるからだ。それ故に、長者屋敷が無人であるという事は、有り得ない。ただ廃れた長者屋敷というのであれば、それは有りだ。ただ「遠野物語34」の「その小字に長者屋敷と云ふは、全くの無人の境なり。」という記述は、初めから無人であるような文章となっている。それ故に、一つの可能性として、白望山の稜線沿いの長者森の可能性もあるかと思えるのだ。その長者森という山名が、どうして付いたのかは定かではない。上の画像は、夜中に撮影した白望山と長者森との"無人の境"となる。この白望山から東側へ下ったところに、古代のタタラ場である金糞平がある。そこには、人が住んでいたのだろう。しかし、この白望山と長者森の境には、水も有さない事から、無人であるのは当然の事である。ただし、人は住んでいないが、人が通った形跡はある。それは、石碑がある事も理解できる。それに関連するものに白望山の以前は、朝倉山という山名であった事を、「白見山は朝倉岳」記事として書いた。それは、星見の山では無かったのかという記事であった。また、やはり記事で書いた「とんでもない琴畑の娘」では、琴畑の長者の娘が、嫁いだ小国の家から逃げ出し、琴畑へと帰った山道が、恐らくこの長者森から白望山にかけての山道を通った様である。佐々木喜善「遠野奇談」「奥山の天狗ばやし」という話が紹介されている。川井村や小国へと抜ける立丸峠で、大太鼓・小太鼓を叩く様な音が響いていたと云う。佐々木喜善は、それを「天狗ばやし」として紹介していた。太鼓は魔除けの呪具でもあり、神霊を招く音としても使用された。また、その太鼓の音は雷鳴とも重ねられ、雨乞いにも使用されていた事を考えれば、長者森から白望山にかけて太鼓を打ち鳴らして、雨乞いをしていた可能性もあるだろう。例えば六角牛山の頂で、千駄木を焚いて雨乞いをしていた事からも、霊山において、火を焚く、太鼓を打ち鳴らす事は、雨乞いに効果があると信じられていたようだ。
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そして「或夜その小屋の垂菰をかゝげて、内を覗ふ者を見たり。髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。」という、山での怪奇譚だ。柳田國男「山の人生」には、似たような事が記されている。「遠野物語」には、山男にさらわれた話が紹介されているが、こうして山で仕事をする者達が、里で生活する女達をさらって、山の小屋などで囲っていたであろう。その女達が小屋から逃げて、誰かに助けを求める為に、小屋の内部にいる者を確認する為、覗いた可能性はあるだろう。ただ、本来の長者屋敷近辺はまだ、人の気配がある。しかし、水の無い長者森と白望山の境には、人の気配は皆無だろう。

この小屋であり、家の中を覗くという事で思い出されるのが、雪女の話だ。「遠野物語103話」では、遠野の雪女の話が唯一紹介されている。それ以外の雪女の話とは「雪の降る夜は、雪女が現れて家の軒下に立ち、家の中を覗く。」というものである。これは、子供を戒める話のようで、雪女が家の中を覗き、その家の子供を連れて行く話であるので、だから早く寝なさいとなる。この話は「遠野物語103」と連動するかのようで、「遠野物語103」文中では、童子をあまた引連れて来ると云へり。だから子供達に早く帰れと戒める。つまり、雪女は子供達をさらって行く存在として認識されている。山男は、里の娘達を、山へとさらっていく。そして雪女は、里の子供達を、山へとさらって行く。家の中を覗くという行為は、家の中を物色するという事。それが雪女であれば、まるでナマハゲと同じに「悪い子は、いないか。」と各家々を探し回っているという事になろうか。ましてや今回の舞台は、無人である筈の夜中の山中である。この場合、相手がどういう人物であろうと、家の中を覗かれるという事は、家の中でくつろいでいる者にとって、まさに怪異なのである。ジョセフ・コンラッド「闇の奥」では、クルツが息絶える前「ホラーだ!ホラーだ!」という言葉を残す。夜中の山中で女に家の中を覗かれた男の、その後はわからぬが、まさにその瞬間は「怪異だ!怪異だ!」という言葉を発してもおかしくはないだろう。

# by dostoev | 2019-08-15 07:29 | 「遠野物語考」30話~

雨上がりのガクアジサイ

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午前中、何度か雨が、降っていた。そして雨上がりのお昼頃、雲の裂け目から太陽光が差し込んできた。すると庭先の草木が、輝きだした。
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中でも、青く染まったガクアジサイが、断然の輝きを見せてくれた。
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# by dostoev | 2019-07-24 15:34 | 遠野の自然(夏)

新たな形の「遠野物語」(語りと音楽で紡ぐ)

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「語りと音楽で紡ぐ」という副題ではあるが、あくまでも主体は「遠野物語」の語りであり、それを効果的に且つ印象的にする為に音楽が添えられているのだと思う。「遠野物語」は、「物を語る」のであるから本来は、音読であるべきだった。大正時代までは、電車の中でも本を"音読"している人が多かったそうだ。娯楽が少ない時代の楽しみは、"語り"だったのだろう。電車の中で音読で語る"本の物語"は、普段本と接する事の少ない人にとっては、電車内で目を瞑りながらも、その人の声で語られる物語をワクワクして聞いていたのだろうと思われる。大正時代といえば、テレビよりラジオが普及している時代だ。空間に響く、人の語りを楽しんで聞くという土壌も備わっていたのだろう。明治29年、三陸大津波が東北を襲った。その時、遠野に隣接する釜石が大変らしいという噂が流れた。その時、歩いて山を越え、釜石の状況を見に行く者達がいたという。そして釜石を見て来て、それを待っている人達に語る者達の存在。それは、話を期待して待っている者達に話すのが楽しい者達と、聞くのが楽しい者達との深い繋がりでもあった。それが「遠野物語」の原初でもあるだろう。つまり、人の声を通して聞くのが、本来の「遠野物語」であろう。そういう意味では、タイトルに新たな形の遠野物語とは書いたが、これは原初的な「遠野物語」公演という方が正解なのだろう。
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このチラシを見ると、ピアノと三味線と尺八などが楽器として演奏されるようだ。つまり、最低限の効果音&BGMとしての演奏なのだろう。ただし、琵琶法師の語りよりはもっと演出は効果的かつ印象的になるだろうという予測はつく。是非、観に行きたいが…自分は無理だろう。

# by dostoev | 2019-07-21 18:59 | 遠野情報(雑記帳)

遠野早池峯神社宵宮(2019年7月17日)

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7月17日は、遠野早池峯神社の宵宮。宿泊客が参加しているので、仕事が片付いてから宵宮へと行く事にしていた。
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雲が広がる中、月が出ていた。早池峯神社で、見る事が出来るだろうか?夜の9時過ぎに早池峯神社へ向かう最中、もう10台以上の車とすれ違った。この時間帯で、かなりの宵宮参加者が帰っている模様。
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早池峯神社に到着すると、神楽の囃子が聞こえて来る。しかし、人の気配は、かなり少ない感じだ。
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出店には、人もまばら。やはり宵宮の見物客は、かなり帰ったようだ。
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まずは参拝と、御手水へと寄る。御手水の上の注連縄が、ライトで浮き上がっている。
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参拝客が、そこそこいたので、本殿前が空くのを少し待っていた。
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年期を感じる九曜の幕が透過していたのが目に付いた。奥は、神楽の控える間となる。
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建物の隙間から、神楽の光と熱気が漏れていた。
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さて、人は減っていても神楽を踊る人達の熱気が滾っていた。


見物客が少ない為に、かなりのんびり撮影も見物も出来た。ところで、太鼓の音は外にもじゅうぶん響いているのだが、神楽を演じている建物内部では、かなりの重低音を体感できる。神楽は、建物の内部で見物した方が、音響的にもかなり良い。
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去年の宵宮は、だいたい23時半頃に終了した。しかし今年の宵宮での権現舞の終了時間は、0時17分だった。つまり去年よりも、約1時間ほど長かったという事。確かに、今まで見た事のない演目も観る事が出来たので、お得ではあった。ただ家に帰りついたのは、夜中の1時前くらいで、明日の朝が早い人には、かなりきつい時間でもあるだろう。しかし、宿泊客は、かなり喜んでいた。そして翌7月18日は大祭だが、これには仕事の都合で行く事は適わない。宿泊客も、無理して休みを取って来たみたいなので、朝一番で帰って行った。


# by dostoev | 2019-07-18 10:01 | 遠野情報(雑記帳)

瀬織津比咩への奉納酒

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明日、7月17日と明後日7月18日は、遠野早池峯神社の宵宮と例大祭。両方行けるかどうかはわからないが、宵宮だけは客を迎えに行かなくては。
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ところで、この例大祭に間に合わせ、「早池峯天女」と「瀬織津比咩」の奉納用酒を、瀬織津比咩を祀る神社へと奉納予定。自分が行けない遠い地で、瀬織津比咩を祀る神社にも、今日発送した。どこぞから、クレームが来ない事を祈る(^^;

# by dostoev | 2019-07-16 15:18 | 瀬織津比咩雑記

「天地玄黄(早池峯と岩手山)」

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紀元前の古代中国には、まだ四神の観念が発生する前に「天地玄黄(てんちげんこう)」という観念が広まっていた。四神という四方に拡がる水平軸の考えよりも単純な、天と地という垂直軸により成り立っているという観念。そして天とは玄であり、黒。これは陰陽五行において、北を表す。また地とは、黄で示すのだが、これは地面の更なる下の黄泉をも含むものとなる。つまり古代中国の天とは、北の事であった。厳密にいえば、北に聳える山。そして古代中国における玄武とは、水神を意味すると云う。

この観念を遠野世界に照らし合わせれば、それは早池峯山となろう。遠野で、人は死ぬと魂は早池峯へ昇ると伝えられるのは、遠野で一番天に近い山という事もあるのだが、恐らくこの古代中国の「天地玄黄」の観念が伝わっていたのだと思える。それは何故かといえば、例えば早池峯山頂には、開慶水と呼ばれる聖なる泉がある。その開慶水を、東禅寺の無尽和尚は願い、それが聞き届けられた。これは陰陽五行において、まず陰陽の陰が北に位置して、水を発生させた事に繋がる。この北とは北天であり、北に聳える山。つまり遠野世界においては、早池峯の山頂が北天となる。その頂で発生した水を「天地玄黄」に則り、地へと降ろす観念が、東禅寺の開慶水の伝説として語られたのであろう。水はまず、初めに天で湧き、地へと降りる。そして再び、地面から涌き出て、天へと返っていく。この地から涌き出る水の観念が、黄泉国の言葉となったようだ。そして恐らく、早池峯の麓である大出・小出は、本来水の涌き出る生出(おいで)という地名からの転訛であろうが、その地名の観念は、やはりこの”早池峯からの水が降りてくる地”の意味があったのではなかろうか。

人間の頭(あたま)とは、天の霊(あまのたま)から発生した言葉である。つまり、天から降って来た霊が坐した場所が、人間の頭。枝垂れ桜などの枝垂れ系の樹木が霊界と繋がっているという迷信は、これに関係する。霊は天から降って来て、枝垂れの枝を伝って、地へと深く潜って行く。そして再び、地から湧き出して枝垂れの枝を伝い、天へと戻って行く。また天から降った霊華(蓮華)を末娘が奪い、早池峯へと飛んで行ったとの伝説もまた、北天である早池峯から降った蓮華の花が、末娘を引き連れ再び早池峯へと返るのは、当然の事であった。
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岩手県で、一番高い山は岩手山である。しかし信仰の広さを早池峯と比べてしまうと、どうしても見劣ってしまう。それは何故なのかと考えた場合、それは岩手山が火山であり火を吹く山であるという事になるので゛はないか。何故なら、万物を焼き尽くしてしまう火神が鎮座する山だと認識されるからだろう。陰陽五行の陰陽で、陽より先に陰が水を北天で発生させたという考えは、万物を生み出すという観念が先立つからである。そういう意味から、水神が鎮座する早池峯に対する信仰が、岩手山よりも広がっているのは当然の事であろう。山神を信仰するのは、山の恵みを期待するからである。その山神の殆どは、女神と信じられている。

例えば「播磨国風土記」での美奈志川(水無川)で男神と女神が、水争いをする。男神は、水を北に流そうとするが、女神は南へと流そうとする対立の話がある。また穴師の里でも、女神は北から南へと川を流すのだが、男神がそれを邪魔している。何故に、女神は北から南へと川を流そうとしているのか。「肥前国風土記」では、佐嘉川は北の山より南に流れると紹介し、そこに女神がいるとしている。そう、常に女神のいる山は北に鎮座し、川を南へと流しているようだ。そして同じ「肥前國風土記」での、姫社の郷でも荒ぶる神の紹介の前に、山道川の源は北の山から南に流れていると紹介している。つまり、女神の坐す山は、北から南に川が流れている事を強調しているようにも思える。これは風水的にも、北に祖宗山となる高山が聳える地が理想とされる事とに対応する。岩手県の大迫の早池峯神社が何故、遠野の早池峯神社に向って建てられたのかを考えた場合、それは遠野の早池峯神社経由で拝む事によって”北に聳える早池峯”を意識するからだ。この紀元前の古代中国で発生した陰陽五行という観念は、脈々と伝わり、日本へも渡って来ている。そして先に紹介した「天地玄黄」も、天である北は常に上に位置しているという観念が、現代においても「北上(ほくじょう)」という言葉に生きている。「北上」「南下」とは、常に北が上に位置し、南が下に位置しているという事から語られる言葉である。そこで思うのは日本の古代、朝廷を中心とし北を重視した信仰が定着している中、蝦夷という民族が北を支配していたという事実があった。この北の脅威を取り除く為に、どうしたのか。それが恐らく、養老年間に蝦夷平定の為、熊野から最強の水神を運んできた事に関係するのではなかろうか。

北天に発生する水であり水神であるが、古代の蝦夷国には存在しなかった。そこで当時の朝廷は、その当時の祟り神でもあり、三韓征伐の先鋒にもなった天照大神の荒魂である瀬織津比咩という水神を、北の地に聳える山へと鎮座させた。それはまず室根山であったが、現在の祭神は違う神となっている。また別に、氷上山も早池峯と同じ女神である事がわかっている。氷上神社に祀られる祭神は現在、天照大神が祀られる形にはなっているが、本来は天照大神荒魂であったのだろう。ここで解せないのは、他の山々に祀られた筈の水神の名前が消され、その神名が生きているのが早池峯だけになっているのは、何故か。それは恐らく、岩手山との対比の為ではなかろうか。陰陽五行に則れば、まず陰陽が発生しなくてはならない。神道における祭神の原初は、彦神姫神の二柱の祭祀が普通であったのは、この陰陽の設定と重なる。左は火(日)を表し、右は水を表す。火と水を合せて、新たな命を生み出す原初的な観念からであった。その観念に照らし合わせた場合、岩手三山というものは、有り得ない。岩手三山の伝説は、男神が岩手山で、本妻が姫神山、妾が早池峯。いや、本妻と妾は逆であるなどとの伝説がある。しかし、水と火の二元を考えた場合、それに対応できるのは水神が祀られる早池峯と、火を吹く火山である岩手山だけとなる。

岩手県の神社庁に伝わる早池峯縁起などを読んでみても、また遠野に伝わる伝説を読んでみても、北天の早池峯という存在意義を外して、盛岡側がその大元となるような伝説だけが残っているのは、中世以降に現在の岩手県一帯を支配した盛岡南部が、その伝説の背後に潜んでいるのを感じる。岩手三山伝説そのものは、南部藩となってから作られたものであろう。何故なら、本妻だ妾だと曖昧な伝説が広がってはいるものの、岩手三山の中ではやはり、早池峯の存在感だけが浮き上がっている。早池峯を頂点とした三山伝説が岩手県各地に点在している事からも、早池峯が特別な存在であるのが理解できる。姫神山が早池峯の親神のような伝説(烏帽子姫)などは、あくまでも早池峯の起源を有したいが為に作られたと思えてしまう。ともかく岩手県の三山伝説の原初は、火神である岩手山と水神である早池峯の陰陽の二つの山で信仰され、後から変更されたのではなかろうか。

# by dostoev | 2019-07-12 16:33 | 民俗学雑記

河内明神トイウモノ

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以前、簡単に土淵町の河内明神について、書いた事がある。土淵の郷土史によれば、土淵全体が「河内明神」と「諏訪明神」によって開発されたのではないか?と、考えられているようだ。「諏訪明神」は、有名な長野県の諏訪。ところが「河内明神」の発祥がわからなかった。その為に東北全般に及ぶ羽黒修験の影響を意識し、その東北で、いくつもの河内神社がある山形県を参考にしたのだったが、その大元は違ったようだ。

実は、この遠野の「河内明神」を、どう読むのかわからなかった。遠野には、河内という姓があり、その殆どを「かわうち」と呼んでいる。ただ国として河内(かわち)国がかってあったが、その河内(かわち)も「古事記」によれば本来「川内」と記されていた事からも、「かわうち・かわち」のどちらでもよいのだろう。しかし河内明神として調べると、その殆どが様付をして「こうち様」と呼ばれる。そしてどうも、河内明神として古くから信仰されているのは、和歌山県牟婁郡を流れる古座川の河内明神のようである。和歌山県牟婁郡の河内明神の信仰は、元々古神道にのっとった信仰で、鳥居も無かったようだ。それ故に、神社関係の本には、殆ど記載されていなかった。明治時代の神社誌によっても、山形県の河内神社がある程度で、どうやら藩主が勧請したらしいというのはわかったが、それがどこなのかまでは、わからなかった。ただ和歌山県牟婁郡の河内明神は、「紀伊続風土記」によれば、かなり古くから信仰されていたもののようで、どうも平安時代まで遡るようである。

そして「河内(こうち)」の語源を調べていくと、それは「カカチ」からきているのがわかった。そう「カカチ」とは、”蛇の古語”である。牟婁郡の河内明神を信仰していたのは、古くからの農村の四ヶ村であった事からも、蛇と関係が深いとされる川の水を引く農地開発に関係したであろう。それは、土淵の開発に重なる。ただし、和歌山の牟婁郡の農地開発と、遠野の農地開発では、かなりの時代の隔たりがあるだろう。ところで和歌山県牟婁郡の河内神社に祀られる祭神は素戔男尊となっているが、村人達は「河内(こうち)様は、元々は蛇である。」と断言している。河内様の神域は河内橋の下手一帯で、そこを「六蛇の瀬」と呼んでいる事からも、蛇であろうと思われる。

先に記した河内国だが、気になるのは物部氏の勢力圏内であったという事。この和歌山県の牟婁郡は、熊野に隣接しているのだが、この”牟婁(むろ)”の由来は、ウィキペディアによれば「牟婁の由来である「室」は「周りを囲まれた所」を意味し、三方を山に囲まれた田辺湾を指す地名てある。」としている。岩手県の室根は、和歌山県の牟婁郡から蝦夷平定の為に、蛇神でもある早池峯の神が運ばれて来た事に由来しての”室根(むろね)”であった。遠野には、土淵町の”高室(たかむろ)”と、小友町の”土室(つちむろ)”がある。その小友町の土室に鎮座する篠権現には”御室様”が祀られているという。また、同じ小友町の堂場沢稲荷には、御室様を祀る奇岩がある。御室の意味の一つに「神を囲う場所」という意味があるが、古くからの信仰として御室神事を執り行ったきたのは、蛇を祀る諏訪大社である。熊野に隣接する牟婁郡の牟婁も恐らく室で「蛇神を囲う場所」という意があるのではなかろうか。何故なら古座川だが、以前は祓い川という名であり、上流に祓神社が二社ある事からも蛇に関係が深いのが理解できる。「大祓祝詞」によれば祓戸の神は、”罪をカカ呑む”と記されている。カカ呑むとは、蛇の丸呑みの事である。その袚戸神の中心は、熊野大神でもある事から熊野大神の蛇神としての別の姿を囲うという意になるのではなかろうか。話が飛んでしまったが、”室”が登場した古くは「古事記」における、根の国の素戔男尊が登場したくだりである。大己貴命が素戔男尊によって”蛇の室”に泊る事になったが、須世理姫が与えた”蛇の比礼”によって事無きを得たのだが、この蛇の比礼は”物部の神宝”でもあるのだ。それ故に、物部氏の勢力圏であった河内国と河内明神が、まったく関係無いとも言い切れない面がある。

ともかく遠野の土淵は、「諏訪」と「河内」という二匹の蛇によって農地が開発されたと考えるべきか。それが和歌山県の牟婁郡に関わるものであるならば、恐らく熊野修験が関わっている可能性があるだろう。その開発された時期は、土淵の郷土史によれば「尾崎神社縁起」”明神をそこに配置し、開発につとめさせた”事が記されているので、時代は安倍氏の時代から阿曽沼の時代に河内明神を祀り、開発したのであろうという事だ。しかし、何故に土淵の開発の事が「尾崎明神縁起」に記されているのかだが、それは尾崎明神なるものが安倍宗任と関係するものと考えているが、それは別の記事で書く事とする。ただ紹介するとすれば、尾崎明神も鱗があり、安倍宗任もまた鱗があるとの九州の伝承がある事から、尾崎と安倍宗任は結び付くものと思う。ともかく「蛇!蛇!蛇!」である。安倍氏が深く関わる遠野市の土渕もまた、蛇に大きく関わっているようである。

# by dostoev | 2019-07-07 21:22 | 「トイウモノ」考