遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「現代遠野物語」110話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
七つ森考
六角牛考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯遥拝所
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
なんでもブログ
外部リンク
最新のコメント
今日は突然の電話申し訳あ..
by 鬼喜來のさっと at 20:22
記事が大変興味深く拝読さ..
by 陽啓 at 01:17
古い記事なのですが、写真..
by 鬼喜來のさっと at 18:26
気仙川河口の鮭漁争いで、..
by 鬼喜來のさっと at 09:12
私は学校の校庭などでやり..
by 鬼喜來のさっと at 17:32
この釘刺しについては私も..
by 鬼喜來のさっと at 17:24
このカマコヤキと同じ行事..
by 鬼喜來のさっと at 17:03
あれ?しまった「猫渕観世..
by 鬼喜來のさっと at 01:47
スサノオが牛頭天王と習合..
by 五十嵐洋 at 11:57
太田館主の石田宗晴、諱だ..
by 鬼喜來のさっと at 23:33
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


遠野祭りの当日の宿泊について。

遠野祭り当日の、9月15日と9月16日の両日、キャンセルが入りましたので、2部屋の空室が出来ました。これからでも宿泊を希望される方は、どうぞ申し込んで下さいませ。

電話連絡の方が確実ですので、宿泊希望の方は下記の電話番号へ連絡くださいませ。

0198-62-3862
090-4555-5013

# by dostoev | 2018-09-11 08:31 | 民宿御伽屋情報

聖部落

f0075075_17224854.jpg
遠野市綾織町に、聖(ひじり)部落と呼ばれる地域がある。”聖”と記されれば、西欧的にはセイントというイメージが浮き上がるが、日本的には仏教的な聖(ひじり)である。ただこの聖(ひじり)という漢字は当て字でもあり、その意味は「日知り」もしくは「火治り」でもあったようだ。「日知り」は太陽の運行に関係する暦的なものとなるのだろうが、「火治り」はその名の通り火を治める意味がある。これは阿弥陀聖とも称された、空也の流れを汲むものの様。この空也は青年時代に諸国を遊行しながら、路傍の死者を火葬にした事から、阿弥陀聖である空也と火葬が結び付いたようである。死者が穢でもあった時代、その死者に手を合わせ供養するようになったのは浄土宗から始まったが、その死者を火葬にしたのが空也からであったよう。
f0075075_17225597.jpg
綾織町の聖部落には、宗教施設は皆無である。ただ少し手前の砂子沢に、大慈寺の末寺である長松寺があり、また少し北へ進むと石神神社がある。この聖部落の地は、古くは陸中閉伊郡鵢崎村(みさざきむら)に属していた。ところでこの鵢崎(みさざき)だが、「鵢」は「シン」と訓じるようだが「鵢」そのものが環境依存文字であり、自分の所持している漢和辞典にも載っていない漢字である。恐らく「みさざき」という呼び名に、後から漢字をあてたものであろう。ただ気になるのは「みさざき」ではなく本来「みささぎ」では無かったか?とも考えてしまう。「みささぎ」とは「陵」であり、天皇などの御陵であるのだが、その御陵の地に聖が属するのであるなら、鵢崎全体が何等かの魂を供養する為の地であったとも考えられる。
f0075075_17230242.jpg
画像の山の麓に民家が点在しているが、この辺が聖部落である。間に田んぼがあり、対岸に位置する地には長松寺という曹洞宗の寺がある。その長松寺の始めは田の中に建てられたそうで、後から現在地に移転したという。この鵢崎村に、いつから人が人が住み始めたのかは定かではない。ただ東に聳える高清水山の中腹に蝦夷岩と呼ばれる縄文人が住んでいた岩屋がある事から、古い時代から人は住んでいたのだろう。ただ宗教的な意味合いを持ち始めたのは奥州戦争以降であると思われる。石上神社が建立されたのは、阿曽沼氏の時代からである事からも、高清水の山を隔てた東側に横田城を築き、その裏側が鵢崎であった。横田城側が表だとすれば、鵢崎が裏、裏と表は陰と陽の関係にも近い事からも、葬送に関する意味合いがあったのではなかろうか。

赤坂憲雄「異人論序説」によれば、「聖達は死体処理と葬送儀礼を通して、土地に堆積する穢れを浄め死者の霊魂を鎮める役割を果たしていた。」と記している。また一つの集落を成して定着して住んだのが聖であった事からも、恐らく綾織の聖部落とは、聖の住みついた地であったのではなかろうか。遊部である聖の持つ荒魂鎮魂の儀礼は、火葬を主たるするものである事から、確かに聖とは「火治り」なのだろう。ただし遠野では火葬の煙を早池峯大神が忌み嫌うとされ、南部氏でさえその火葬文化を封印せざるおえなかった。ましてや早池峯山を頂点とする遠野三山のひとつである石上山の麓の鵢崎で火葬を頻繁にしたとは思えない。となれば聖のもう一つの儀礼である、荒魂鎮魂神楽を行った集団に分かれたという事から、その聖の神楽集団が住みついたのが聖部落であっただろうか。

# by dostoev | 2018-09-09 19:37 | 遠野地名考

NHKの…。

f0075075_20585338.jpg
ある客を、河童淵経由から人の生れた石まで案内した。すると、その客が言うには「以前、NHKワールトで紹介されたコースですね。」と。この御客は、自転車が好きでよく乗り、たまたまNHKワールドで放送された遠野郷を、オーストラリア人が自転車で駆け巡る番組を観たそうな。その時に、このコースが入っていたという。そりゃそうだ。この場所をNHKに教えたのは、自分だから。ストーリーは、遠野を訪れたオーストラリア人が、続石の場所で偶然自分と出逢い、自分が遠野をガイドして回るというものだったが、撮影終了後に自分の登場するシーンはカットされたとディレクターから電話が来た。まあともかく、その番組を観ていたので、オーストラリア人と同じく自転車乗りの客は、どこか感慨深げでもあったように思えた。
f0075075_20590508.jpg
ただし、やはり山の傾斜は不慣れな様。
f0075075_20591489.jpg
自分はというと、ガイドの合間、クワガタがいそうな木を見かけると、ついついクワガタを探してしまう癖が、未だに抜けない。今回もある木を見ていたら…いたいた、コクワガタが、♀クワガタと一緒に番いでいたのを発見。やはり歳を取っても、クワガタを見つけると、未だに嬉しくなってしまう(^^;

# by dostoev | 2018-09-03 21:09 | 御伽屋・幻想ガイド

「遠野物語」トイウモノ

f0075075_21023955.jpg
「遠野物語」…柳田國男は、何故にこのタイトルとしたのだろうか。「物語」とは、一般的に「話し、語る事」であり、「様々な事柄について語る事である。」という定義がある。その中には当然、創作の話も加わる。また「物語」とは広義的に、他人に対して語られるものとされる。確かに「○○物語」というものは、多くの読者に読んで欲しいモノであると受け取られている。そういう意味から他人に対して語るも、他人に読んで貰いたいも同義となる。ただ本来「物(モノ)」と呼ばれるものに鬼や御霊が含まれていた。ただその物(モノ)も言霊の一種であり、「鬼」と言えば鬼が寄って来るものと信じられていた為に、敢えて鬼をモノと称していた時代があった。赤坂憲雄「異人論序説」において、赤坂氏は「物語」とはこうであると述べている。

「物語りとは、いわば、モノ(鬼・御霊)と化して浮遊するマツロハヌモノらのための鎮魂儀礼である。」

この赤坂氏の言葉を創作話としてリアリティを持たせたのが、小泉八雲「耳なし芳一」である。「耳なし芳一」では、平家の亡者達に対して語る「平家物語」が、霊の鎮魂となっていた。つまり小泉八雲は「物語」トイウモノの本質を知っていたという事になろう。恐らく、柳田國男もまた、「物語」の本質を知っていたものと思われる。佐々木喜善から聞いた話を、選択しまとめあげた話を「遠野物語」とした。そこには遠野に伝わる全ての話が載っているわけではなかった。あくまで、柳田國男の想いと重なる話が「遠野物語」であったろう。その想いとはねなんであったか。それは恐らく、南方熊楠との書簡でも明らかだが、山人・山男に対する想いであったろう。柳田國男は、遠野にはまだ山人・山男がいるのではないかと期待していたようだ。しかし南方熊楠に、その想いは否定されたのは周知の通り。つまり「遠野物語」とは、柳田國男による山人・山男に対する鎮魂儀礼でもあったのかもしれない。もしくは、文明開化と共に主流となりつつある西洋文明の大きな流れに流されていく、古い時代の遺物に対する鎮魂儀礼であったのかもしれない。赤坂憲雄の言う「マツロハヌモノ」には、時代の流れに取り残された遠野の民も含まれるのかもしれない。その時代の変換期に、今尚古き時代を歩む遠野の民と文化と信仰が、新しい時代の流れに呑み込まれ無くなるであろうと予見した、柳田國男の山人・山男を含む全ての遠野に対する鎮魂儀礼が「遠野物語」であったのかもしれない。

# by dostoev | 2018-08-28 21:46 | 「トイウモノ」考

霧の山中から早池峯神社へ

f0075075_04345480.jpg
「遠野物語」を読んだ事が無いという夫婦から夜の案内を頼まれた。こういう場合は「遠野物語」は関係無く、やはり山中コースでの野生動物との遭遇と星の輝きを期待するしかないだろうと行ってみた。山中は、途中から霧で覆われており、車から降りて霧に向ってライトを投射。そこで夫婦は楽しそうに、いろいろと写真を撮っていた。
f0075075_04394307.jpg
車で奥へ進むほど、霧は濃くなっていく。白い霧に映る自分達の影を撮影している夫婦を離れて見ていると、暗闇の中に、そこだけぽっかりと白く光る小さな白い空間に立っている不思議な光景になっている。まるで夫婦揃って、異界の入り口に立っているかの様。山中他界とは言ったものだが、まさに山中他界の情景に思えた。
f0075075_04504047.jpg
その後、河童淵を経由し早池峯神社へと行ってみた。どちらかというと、座敷ワラシ期待のものだった。今回遭遇した動物は、然程多くは無かった。日本鹿数頭と、テンが現れたくらいか。帰りは、人柱で死んだ巫女の墓そばを通るなど、ずっと本道を外れた暗闇の遠野世界を経由して宿へ帰ったのだった。

# by dostoev | 2018-08-19 04:54 | 御伽屋・幻想ガイド

子供達の中に…。

f0075075_04472968.jpg
座敷ワラシの説の一つに、生前、他の子供達と遊ぶ事無く死んでしまった子供の霊というのがある。子供の仕事とは、遊びである。同じくらいの子供が集まって遊ぶのが楽しいというのは、今も昔も変らないのだろう。だから子供達の集まっている中に、座敷ワラシと呼ばれるものが寄って来るのは当然の事なのかもしれない。座敷ワラシ譚に、子供達が遊んでいる中に、いつの間にか一人増えている。でも誰が増えたのかわからないというものがある。自分も小さい頃、近所の広場へ行くと、幼稚園から小学校6年生くらいの幅のある年代の子供達が集まって遊んでいた。そして誰彼問わず、その中に自然に入って、遊ぶ事が出来た時代だった。そんな中に、知らない子が1人加わっても、誰も気にしない。昔は子供の遊び仲間に、垣根の無い時代だった。

話は変わるが、自分の宿に子供達の団体が泊った。自分は朝の四時頃に起きて、朝食の準備をしている最中だった。一階のフロアにいると上から「ミシッ、ミシッ…。」と、誰かが歩いている音がする。上は畳敷きの大部屋になっており、子供達が13人雑魚寝している部屋であった。『早いなぁ、もう起きたのか…。』と思ったが、何となく奇妙にも感じた。何故なら子供ってのは大抵、寝てしまえば朝までグッスリ寝るものだと勝手に思っていたせいもある。起床は六時と聞いているので、朝の四時に起きていても時間を持てあますだけだろう。全員起きていれば別だが、一人で起きていても仕方ない筈だ。

朝の七時、朝食の時間となったので子供達が降りて来た。味噌汁を配り終わって、その事を聞いてみた。

「朝の四時頃に、誰か起きていた?」

すると3人程の子供が「は~い。」と手を挙げた。ああ、やはり起きていたのかと思ったら、ある子供がこう言った。

「三時頃から誰かが部屋の中を歩いているので、起こされちゃった。」

三時頃に起きてた子供がいた?そんな夜中に起きて、暗い部屋の中を歩き回る子供がいるのだろうか?

「朝の三時頃に起きていた子は誰?」

と聞くと、反応が無い。子供達は周りをキョロキョロ見渡しているようで、暗に『あいつ誰だよ』と確認している様であった。結局、該当者無し。では、誰だったのか。もしかして、恥ずかしくて名乗り出なかったという事もあろうか。ただこういう場合、遠野であるから座敷ワラシ?となるのだろう。とにかく普通に考えて、朝の三時に起きてうろつく子供というのは、あまり居ないだろう。冒頭にも書いた様に、座敷ワラシというものは子供達の集まっている場所に現れるという。そういう意味からも、遊んで欲しいからと、夜中の三時頃から寝ている子供達に悪戯して歩き回っていた座敷ワラシであったのかもしれない。実は過去に、この大部屋で座敷ワラシらしき話を聞いた事がある。ひとつは、パジャマではなく昔の子供がよく着た寝間着の様なものを来ている小さな子供が、この大部屋から出入りしているのを見たという人の話。もうひとつは、毎月泊ってくれる仕事関係者が、この大部屋で寝た時の事。その客が夜中に目覚めた時に、寝ている大部屋に小さな子供がいたと聞いた。この過去の目撃譚からも、今回の3時頃から歩き回っていた子供とは、もしかして…と思った次第だった。

# by dostoev | 2018-08-13 05:28 | 民俗学雑記

座敷ワラシの御守を求めて

f0075075_06154363.jpg
予約客の要望が「早池峯神社で座敷ワラシの御守を買いたい。」というものだった。その日が10日の金曜日なので、神社の社務所にまず人がいない。ともかく連絡しなきゃならんと神社へ電話するも、誰も出ない。夜は留守電に切り替わり、FAXになる筈だったが、留守電になってなかった。ならばと早池峯神社のFacebookへメールするも、返信が来ない。仕方ない、別ルートで連絡し、ようやく宮司さんから電話が来て、どうにか10日の午前10時に社務所に人を置いてくれる事になった。ともかく足かけ2日で、どうにか連絡完了。
f0075075_06222345.jpg
客は、若いカップル二人だった。仲良く早池峯神社の山門を潜り、参拝後に座敷ワラシの御守を購入予定。
f0075075_06262708.jpg
早池峯神社境内は、しきりにセミが鳴いていた。気温はそれほど高くは無く、セミの鳴声も鬱陶しくは無かった。
f0075075_06241776.jpg
二人仲良く参拝し、この後に社務所に寄って無事に座敷ワラシの御守を購入した。聞くとどうも、座敷ワラシに期待してのものではないらしく、変わり種の御守を集めているコレクターであったようだ。
f0075075_06295803.jpg
せっかくだからと、隣接するふるさと学校へと案内した。
f0075075_06323623.jpg
座敷ワラシの体験譚を聞く、光苔の間を訪れた。以前よりは整理されて、スッキリしている。しかし置かれているものを見ていると、変な宗教団体が関わっているのがわかる。
f0075075_06300712.jpg
じっくりと、ふるさと学校内を探索し、帰路につく。
f0075075_06364008.jpg
「他に観たいところは?」と聞くと「河童淵が見たいです。」というので、河童淵へと案内。目印の三体の木彫りの河童人形が出迎え。

# by dostoev | 2018-08-11 06:38 | 御伽屋・幻想ガイド

高千穂の神と早池峯の神

f0075075_11333813.jpg
ある、お婆ちゃんが亡くなった。そのお婆ちゃんは、昔から伝えられている事を守っていたお婆ちゃんだった。常々言っていたのは「高千穂の神様と、早池峯の神様は同じだよ。」と。昔、遠野人達と高千穂の人達との交流会があったと聞いた。その時、高千穂の方々もまた、高千穂の神様と早池峯の神様は同じだと聞いた事があると述べていたそうである。この話もまた学者には一笑に付されるであろうが、遠く離れた東北の遠野の地と、九州の高千穂の地で語り伝えられていた事を思えば、神話の里としての高千穂と遠野は古代において、何等かの繋がりがあったものと思える。今でこそ、遠野観光のキャッチフレーズに"民話の里"と広く宣伝されるが、もしかして今後"神話の里"としての遠野の立ち位置もありえるか。何故なら「遠野物語」読み調べていくと、文中には示されないが、早池峯の神に繋がる話が実は多い。そういう事からも「遠野物語」は民話では無く、神話に位置する気がする。高千穂の神とは一般的に高千穂皇神となるが、その高千穂皇神が早池峯の神である瀬織津比咩であるという事を今後、その詳細を紹介していかなくてはならないだろう。
# by dostoev | 2018-07-22 11:53 | 瀬織津比咩雑記

宵宮の迎え

f0075075_15361773.jpg
7月17日は、早池峯神社の宵宮。夜の11時過ぎまで神楽が行われる。泊り客が、それを見る為に遠野駅を6時に出発するバスに乗って行った。しかし、そのバスの帰りは、神楽の終了するかなり前に出発する為、最後まで神楽を見る事が出来ない。そこで自分は客を迎えに行く為に、仕事を終えた夜の9時過ぎに、早池峯神社へと向かった。ただ迎えに行くだけでなく、参拝し神楽を観るのも目的の一つではある。まずは山門の神像が、お出迎え。
f0075075_15404523.jpg
山門をくぐると、宵宮の賑やかさを感じられた。
f0075075_15413994.jpg
神楽を観る前に、まずは参拝。普段は真っ暗な本殿内部に、明りが灯っている。
f0075075_15433346.jpg
到着した時に行われていた演目は「八岐大蛇」。
f0075075_15445181.jpg
いくつかの神楽が演じられる中、黒門の方へと行って見た。
f0075075_15460620.jpg
神楽を囲む賑わいから、ひっそりとする黒門の空間が対照的だった。
f0075075_15463210.jpg
雨露が、明りによってキラキラ輝いている。
f0075075_17501679.jpg
再び、神楽の方へと足を向けてみた。やはりバスが帰ってから、人が少なくなったのがわかる。
f0075075_17494834.jpg
天女舞
f0075075_17522404.jpg
最後の権現舞の終りに近い頃、一人の女性が立ち上がって踊り始めた。面白いなぁと思い、後に回って動画を撮影してみたが、その女性の踊りのピークは過ぎた後のようだった。この権現舞で、今年の早池峯神社の宵宮で演じらた神楽も、お終い。また来年となる。神楽の世代交代が進み、雰囲気は以前より良くなった気がする。

宿に帰った頃は、既に12時を過ぎていた。さすがにこの時間まで、バスを待機させるわけにはいかないのだろう。最後まで観たい人は、やはり車を準備するべきだろう。

# by dostoev | 2018-07-18 18:11 | 御伽屋・幻想ガイド

お伊勢参りの禁忌

f0075075_13484363.jpg
太平の世となった江戸時代、遠野でもそうだったがお伊勢参りが盛んとなった。村々でお伊勢講が組まれ、村を代表してお伊勢参りへ行くのは男でもあった。それには、民間に流布した「三世相大全」にも影響されたようである。 その「三世相大全」には「祖先尊崇の観念から、男たるもの、一生に一度は伊勢参宮をせねばならぬ。」などと記されていたようである。遠野の民百姓だけでなく、当然南部藩の家臣たちもお伊勢参りへと参詣したようだ。

「遠野旧事記」によれば、南部直栄・南部義長の頃までは、家臣がお伊勢参りを願いあげると暇を貰ったそうである。ただその際、お伊勢参りのついでに他所へも足を延ばして巡って来る為、予定の帰国時期をはるかにオーバーして帰ってくる者が多かったようだ。その為か、鷹木道庸という老医師がお伊勢参りの為に、暇を願い出た時に南部義長は「先だって行った者の中に、上方に長く留まって来た者がいたので内々叱っておいた。参宮を口実に、自分の慰みの為に御奉公を疎かにするのは、神明の冥慮にも反する事。今後、伊勢参宮を願い出る者は、非番の日数の中で行うように。もしそれが出来ない様であれば、盛岡・遠野にも神明勧請のお宮があるのだから、そこへお参りしても願いは適うのでる。」と言い放ったようである。

「男たるもの、一生に一度は…。」と嬉しい名目を得た男連中は、お伊勢参りのついでに女遊びをする者達が多かったようである。それを察してなのか、下記の様な御達しが流布したのだった。

「伊勢両宮は恐惶も吾朝の宗廟にして、平人軽々しく参宮すべき宮居にあらず。もし参宮せんと思はば身を清浄にして、道中にて、仮にも穢れたる事を成すべからず。」

お伊勢参りへは全国から参宮客が集まる為に、かなりの賑わいをみせたようである。そしてその殆どが男連中であった為に、それを狙った女達も多かった。喜多村信節による江戸風俗を知る随筆「嬉遊笑覧」には、こう記されている。「ことし文政十三年、おかげで参りはやり、従来にて釣台に人をのせて通りしは、男女交接して離れざる者を担ぎ行くなりと専ら風聞あり。」とある。所謂"膣痙攣"の出来事であるが、これから更に風聞が広がりを見せ、伊勢参りをしている最中に男も、留守を預かる妻も、不義をすると神罰により"身体が離れなくなる"と信じられたようだ。しかしそれでも男達は、宿を共にした傀儡女などの遊び女と夜を共にする。恐らく、傀儡女達は神に仕える事から、男と交わるのを神婚としてきた。男もまた、これは不実ではなく神と一体になる神事であると、屁理屈を正当化して納得していたようである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
附馬牛村から伊勢参宮に立つ者があると、その年は凶作であるといい、
これをはなはだ忌む。大正二年にもそ事があったが、果して凶作であ
ったという。また松崎村から正月の田植踊が出ると、餓死(凶作)が
あるといって嫌う。

                     「遠野物語拾遺148」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺148」はもしかして、附馬牛村の男共が毎年不実を繰り返した為の神罰であったか(笑)



# by dostoev | 2018-07-09 18:01 | 民俗学雑記