遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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早池峯神社への初詣(2026.01.01)

早池峯神社への初詣(2026.01.01)_f0075075_17011850.jpg
今年は、午前中は出れなくて、午後になってから遠野の早池峯神社へと初詣。神社へと向かう途中ですれ違う車もそこそこいたので、午後になっても早池峯神社への初詣客はそれなりにいるようだ。
早池峯神社への初詣(2026.01.01)_f0075075_17060562.jpg
とは言っても、そんなに混雑する事無いのが早池峯神社でもある。
早池峯神社への初詣(2026.01.01)_f0075075_17065790.jpg
社務所へと向かう、初詣客。
早池峯神社への初詣(2026.01.01)_f0075075_17080452.jpg
ところで去年、客に見せてもらった神符がある。今まで遠野の早池峯神社では、祀る神をあくまで早池峯大神としており、神名である瀬織津比咩の名前は扱われなかった。ところがどうやら去年あたりから、神名を扱う神符も販売するようになったようだ。少々絵柄が漫画っぽい気もするが、これはこれでいいのだろう。


# by dostoev | 2026-01-01 17:12 | 遠野情報(雑記帳)

岩手県に歴代総理大臣が多い理由の俗説

岩手県に歴代総理大臣が多い理由の俗説_f0075075_07082722.jpg
岩手県出身の総理大臣が過去に、原敬、斉藤実、米内光政、東條英機、鈴木善幸と5人いる。これは山口県、東京都に次ぐ全国3位であり、当然の事ながら東北では1位という結果となる。しかしその根底には、藩政時代の苦難の歴史からだという俗説が存在する。

岩手県を南部藩とした場合の、全国一位というものがある。それは、百姓一揆の多さである。だいたい江戸時代になってから明治維新までの間に起きた百姓一揆は、伊達藩で5件である。ところが南部藩においては、153件も発生しているのは異常である。その根底には飢饉があるものの、百姓一揆の発生には、藩の失政が大きかったようだ。

例えば享保十二年から三つの村の地頭であった南部藩士の四戸氏は、私生活と藩の役目を務めるが、生来が横暴で贅沢で失費が多く、35年に渡りその肩代わりを農民に押し付けていた。例えば御用金の申付けは、多い時は一年で5、6回(享保三年、文化四年、十二年)も徴収していた。また文政四年には法外な税金を命じ、反対農民からは土地を没収。南部藩内でこういう統治が行われていれば、自然と農民達から「伊達藩へ移りたい」という声が聞こえてきたそうである。

ところで、南部藩を小馬鹿にした有名な話がある。伊達藩と南部藩との境界を定めようと、夜明けと共に各々、その定めようとする地域へと向かい、落ち合った場所を境界に定めようした。ところが、伊達藩は早い馬に乗ってきたが、南部藩は歩みの遅い牛に乗って来た為に、かなりの境界を損したという話を昔からよく聞いていた。これが作り話というのは理解できるが、どこから発せられた話かと考えた場合、恐らく南部藩の内部の民衆から出てきたのではと思ってしまう。何故なら、南部藩の圧政に苦しみ伊達藩の優良さに憧れた民衆の抵抗の一つとして作られた話と思ってしまうのだ。

ここでは153件も起きた百姓一揆の背景を紹介しようとは思わない。ただ江戸時代から、南部藩が統治した約260年余りに発生した153件もの百姓一揆には、必ず数多くの百姓を束ね指導する者達がいた事実がある。その指導者たちは、南部藩に百姓一揆の代表として罰せられ、処刑されてきた。それにも関わらず、常に百姓一揆の指導者を輩出してきた歴史が、南部藩であり岩手県の人々の中に存在していたのではないか。日本一多かった百姓一揆の歴史から岩手県民の中に脈々と受け継がれたものが、歴代の総理大臣を輩出した根底にあるのではないかとの俗説があるようだ。

# by dostoev | 2025-12-31 12:00 | 民俗学雑記

遠野の要石トイウモノ

遠野の要石トイウモノ_f0075075_17580182.jpg
上の図を見てわかる通り遠野には、全部で13か所の要石伝承が伝わる。これは、伊能嘉矩「猿ヶ石川流域に於ける不地震地帯」で紹介されているものからの引用。ところで全国的に見た場合、要石の伝承が伝わっているのは、かなり限られている。ネットで検索しても、出てくるのは有名な鹿島神宮と香取神宮。そして、鹿島神宮から要石を分霊された宮城県の鹿島神社。他には、静岡県の要石神社くらいだった。野本寛一「地霊の復権」にも要石が紹介されており、そこには三重県の伊賀に鎮座する延喜式式内社大村神社の要石が紹介されており、それ以外はネットで検索したものと同じだった。つまり、全国で要石があるとわかっているのが五件しかないという事からも、要石は希少だと理解できる。

これらとはまた別に、伊能嘉矩は「猿ヶ石川流域に於ける不地震地帯」において、「古事記」を引用し「多芸志之小浜」の地も要石のある不地震地帯ではないかと述べている。この多芸志之小浜とは、出雲大社の鎮座する地である。

大倭日高見の國を安國と定め奉りて下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ

早池峯の神名が登場する「大祓祝詞」に、上記の一文がある。簡単に訳せば、安定した地盤に神社を立て神を祀り、この国を治めるという事。出雲大社もそうであるように、神社が建立される地には、古代から安定した地盤が求められている。遠野の13か所の不地震地帯でも、殆どが神や仏を祀る地となっている。

もう一度、上の図に戻るが、何故に早池峯神社を中心に放射状に広がっているような図にしたのかというと、基本的に要石は神社の敷地内に置かれているものであると理解できるからだ。その遠野の13か所もの要石の中で、一番古くに要石伝承があっただろうと想定できるのは、やはり遠野で一番古い早池峯神社であろう。それ故、早池峯神社を中心とし遠野郷全体に、地震の来ぬ地が制定された可能性はあると思う。何故なら、遠野七観音の制定も似たようなものであろう。十一面観音の中心が早池峯神社であり、それを遠野郷にさらに分布させたが最後は、早池峯へと帰結する流れ。言葉を換えれば北極星である早池峯の周りを回る北斗七星のようなものが、遠野七観音か。また、岩手県内にいくつもある三女神伝説もまた早池峯へと帰結する事からも、北極星の様に常に中心となるのは早池峯である。そう、常に早池峯が信仰の中心となっていると思ってよいだろう。
遠野の要石トイウモノ_f0075075_10122973.jpg
それでは何故、早池峯神社に要石伝承があるのか。恐らくだが、玄武が関係しているのではなかろうか。「日本書紀(推古天皇七年夏)」に、こう記されている。「地震りて舎屋悉く破たれぬ。則ち四方に令して、地震の神を祭らしむ。」と。この地震の神が定かではないが、推古時代において、気になるものがある。
遠野の要石トイウモノ_f0075075_09553066.jpg
その気になるものとは、推古天皇時代に造られたとされる上の画像の亀石。私は、これが要石ではなかったかと考えている。亀石とされるが、要は玄武をイメージしたものではなかろうか。玄武は、守護や不滅、永続などの象徴である事からも、地震の来ぬ安定の地のシンボルとして好ましい。ましてや、北に聳える早池峯の神は、妙見神とも重なる水神である。それ故に、不地震伝承が付随するのは、当然の事だと思える。
遠野の要石トイウモノ_f0075075_10452832.jpg
また、早池峯妙泉寺の末寺であった土淵の常堅寺には亀甲の石垣が採用されているのも、北の玄武を意識した早池峯の影響を受けてのもののよう。つまり、玄武の堅朗を願ってのものだったろう思う。また玄武は、北方七宿を束ねる神格である事から、遠野七観音は北斗七星ではなく、北方七宿(斗・牛・女・虚・危・室・壁)を意図して建立された可能性もあるのではないか。
遠野の要石トイウモノ_f0075075_10123697.jpg
とにかく遠野が全国と違って異様なのは、神社境内内部では無く、遠野郷全体に要石伝承が点在しているという事。ただそれを納得する、一つの理屈が存在する。それは、遠野郷全体を宮とする考えだ。先に紹介した早池峯の女神の名前が登場する、天智天皇時代に作られた「大祓祝詞」の一節。

大倭日高見の國を安國と定め奉りて下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ

この冒頭の「大倭日高見の國を安國と定め」とあるのは、大和国が蝦夷国の別称である日高見国の平定を述べている。養老二年(718年)に室根山周辺の地域を平定するために、紀州熊野から熊野大神である早池峯の女神が運び込まれた。早池峯の女神は、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる天照大神荒魂でもある。

「日本書紀(神功皇后記)」で三韓征伐に出航する前「和魂は王身に服ひて壽命を守らむ。荒魂は先鋒として師船を導かむ」とある。「住吉大社神代記」でもほぼ同じ事が記されているが、その注釈に「荒魂は現魂の意があり、外に進み現れ出て神威を顕現する魂なり。」と説明されている。確かに、椿大神社に合祀されている石神社に伝わる「石神社略縁起并古書」では、倭姫命が、この霊巖は太神宮荒魂を奉斎し"石太神"と唱え、暫くした後に天照大神も影向したとあるから、どうやら天照大神荒魂は、先導神のようでもある。先んじて、戦も含めその場の穢祓をする存在であると考えて良いだろう。実際にその後の文に「荒魂を撝ぎたまひて、軍の先鋒とし」とある事から、まさに戦の先人に立ち、神威を持って敵を威圧する為の荒魂であろう。

崇神天皇時代、疫病が流行ったのは神の祟りと考えられ、祀っていた天照大神の神霊を込めたとされる御神体の八咫鏡を豊鍬入姫命に託したが、その後倭姫命へと託され各地を彷徨い、伊勢へと至った。ただ、近江雅和「記紀解体」によれば、崇神天皇から離れ遷座の地を求め彷徨ったとされる旅の面々を見る限り、それは武力平定の移動であったろうと述べている。それは天照大神荒魂の性質から、彷徨ったのは天照大神の和魂ではなく、荒魂と考えた方が良いだろう。恐らく各地の武力平定の旅であったろうと想定できる。そしてそれは、蝦夷国である日高見国でも同じ事が行われたのだろう。明確な記録として残っているのは、室根山だけであるが、遠野の早池峯に祀られのも、そういう流れがあったものと想像できる。
遠野の要石トイウモノ_f0075075_15590696.jpg
話を戻すが、早池峯を中心として遠野郷全体を早池峯の境内と考えた場合、当然の事ながら要石が分布しているのはありと思う。それは、遠野七観音も同じ。例えば、遠野福泉寺の敷地内に、新西国三十三番観音霊場巡りや、新四国八十八ヶ所の写し霊場が配置されており、それ疑似的に巡るものと同じと考えて良いだろう。先の倭姫命が八咫鏡を以て各地を彷徨った果てにたどり着いたのが、元伊勢とも云われる滝原宮であった。この滝原宮は伊勢の別宮であり、「伊勢神宮のはるか遠い地の宮」という意味から「遥宮(とおのみや)」と呼ばれる。そうつまり、遠野郷全体が、伊勢神宮の別宮「とおの宮」としてあるならば、遠野郷全体に要石が分布されていても、何ら不思議はない。

「古事記」において、倭建命が詠んだ歌がある。

倭は国のまほろば たたなづく青垣山籠れる 倭しうるはし

「青垣山籠れる」とは盆地であり、遠野盆地のような地形を意味する。ところで、この倭建命と倭姫命は、甥と叔母の関係である。同じ一族として同じ想い、同じイメージを共有していた可能性は否定出来ないだろう。その倭姫命の血脈がどこまで続いたのかはわからない。遠野盆地の北に聳える早池峯に天照大神荒魂を祀る事にした経緯は、未だ謎。ただ、この倭姫命や倭建命の意識が脈々と受け継がれていた場合、遠野盆地の北の早池峯に天照大神荒魂を祀り、遠野盆地全体を素晴らしい伊勢の別宮「とおの宮」として考えられた可能性もまた否定できないだろう。倭建命の歌を少々変えれば、こうなるだろう。

遠野は国のまほろば たたなづく青垣山籠れる 遠野しうるはし

# by dostoev | 2025-12-05 16:46 | 「トイウモノ」考

呪術人形

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2021年、土淵の山口部落から入った山道の辻に、露出した木の根に括りつけられている人形を見つけた。なんでこんなところに人形があるのだろうとは思ったが、なんとなく気になる事があった。

実は現在の宮古市に属する地にも、山口村があった。その山口村の天保年間の記録「山口村肝入文書」には、こう書かれている。

「山口村では盗みに困り果て、見せしめの藁人形を辻に立て、三日三晩竹槍で突かせたが、盗みは増えるばかりで効き目が無かった。」

どうやら人形は、盗人に対して使用する呪術に用いてものであったよう。ただ逆に遠野の山口村では、「遠野物語拾遺71話」に記されているように、村内で盗難に遭った場合、三峰様を衣川から借りてきて利用している。宮古市の山口村では、村外部の人間に対しての呪術に人形を利用し、遠野の山口村では村内部の人間に対し、三峰様を利用していた。ただ、この人形の利用に関してだが、宮古市の山口村だけの話であっただろうか。
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実は「東和町史」の伝説の項に「人形長根」の由来が記されている。

「小山田の秋葉部落の、大洞坂と花見石山の境の小道を通り、山屋の鳥鳴田(となきだ)前に通ずるところに長根があり、その長根の左右に人間大の藁人形が多数祀られ、道ゆく人に異様な感じを抱かせたものだった。それも数年も経た藁人形が頬冠りのまま朽ちかかってグニャリと路に倒れていると、ほんとうの人体が腐れかかっているみたいで不気味であり、小雨の夜などは女、子供などは通れない寂しいところであった。」

この東和町の長根の人形は、呪いの習俗であったそうだ。例えば何かを盗まれれば、その盗人に似た藁人形を作り、呪う箇所へ竹槍や釘を打ち込んだそうである。その実際に行われた呪術の目撃譚が記されている。

満州事変の頃に、果樹園から大量の果物が盗まれたそうである。その犯人の凡その見当が付いた為、部落民でその盗人に似せた藁人形を作り、氏神の秋葉神社に部落民一同が集まり、盗罰顕現の大祈祷をなし、藁人形を長根に立て、部落民全員で竹槍で突いたそうである。その呪術の三日後、呪われた男は馬から振り落とされて大腿骨骨折の重傷を負い入院したそうである。それが人形長根での呪術の最後であったようだ。

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この人間大、等身大の人形を利用した呪術は、宮古市と東和町で確認できるのだが、果たしてその地域だけの事であったろうか。例えば、三峰様を祀れば狼除けになるとされ、一気に広まったらしい。衣川の三峰神社の分霊がなされたのが、享保年間。つまり、狂犬病による狼の被害が出始めた頃である。宮古市の山口村での人形による呪術は、天保年間。つまり、飢饉の真っ最中である。人のものをも奪って、生き延びた時代と言ってよいのかもしれない。逆に、その防御方法として人形を利用した呪術が広まったとも考えられる。今のところ、宮古市と東和町で確認されているが、他地域でもあった可能性はある。遠野の土淵に、特定はしていないが魔所として「向野の人形森」があったとされる。一つの説では、ひな人形を置いたとの話があるが疑問ではある。東和町の人形長根は、呪いに使用する人形を置いた場所の地名となる事からも、土淵の「向野の人形森」もまた、同じ意味合いの場所ではなかっただろうか。何故なら、東和町から宮古市へと人形による呪術方法が伝わったとして、必ず遠野を経由するからだ。それ故、密かに遠野にも人形による呪術が伝わっていた可能性があると思えるのである。

# by dostoev | 2025-11-21 07:13 | 民俗学雑記

熊の話(其の二)

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X(旧ツイッター)を見ていると、熊が里に降りてきて害をなしているのは、山に設置されたメガソーラーの影響もあるという書き込みをいくつも見かける。それは果たして、どうなのだろうか。

平成6年(1994年)に、遠野の水光園行われた「日本ツキノワグマ集会in遠野」の情報によれば熊の胃袋の中身の90%以上は、ドングリなどの木の実だという。つまり、主食のドングリなどの木の実が不作、もしくは伐採された場合は、熊の主食が無くなるという単純な構造が理解できる。X(旧ツイッター)では、熊が里に降りてくるのにメガソーラーの設置は関係ないだろうとの否定派もそれなりにはいる。しかし単純に、メガソーラーを設置する為に熊の主食であるドングリのなる樹木を伐採すれば、それだけで熊に対する影響は、かなりあるだろう。

クワガタの話で恐縮だが、クワガタは毒素を持つ針葉樹には生息できない。ドングリなどがなる広葉樹があってこそ、クワガタの生息圏となる。ところがその広葉樹が伐採されて針葉樹が増えれば、限られた広葉樹地帯へとクワガタも密集する。するとまず始まるのが、クワガタの小型化だ。一本の木に沢山のクワガタの幼虫が密集すると、幼虫同士が近づくたびに顎をカチカチ噛んで警戒音を発する。そのストレスが続くと、早くその木から脱出しようとサナギ化が始まる。じっくり育つ環境があれば、かなりの大きなクワガタに育つのだが、小型化したクワガタを目撃するという事は、環境の破壊(広葉樹の減少)が起こっているものと理解できるのだ。遠野市でも、平成の半ば過ぎまで「植樹祭」といえば杉の木を植えていた歴史がある。平成の初期頃に、遠野の山々でクワガタ採集をしてまわったが、やはり懸念していたクワガタの小型化は始まっていたと思える。それと比例するかのように、平成6年に絶滅の危機に瀕しているツキノワグマに対する集会が行われている事からも、ドングリのなる広葉樹は、かなり無くなっていたのだろう。生物の絶滅は、乱獲によるものではなく環境破壊が一番の要因だからだ。
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「遠野物語」には、熊の話が殆どない。狼や狐、もしくは猿などが多く登場している。これだけ存在感のある熊が、何故に「遠野物語」に登場しないのか。それは、里の人々が熊を目撃する事が殆ど無かったものと考えてしまう。江戸時代となり、狂犬病が日本に上陸し、今まで山の奥で鹿などを捕食していた狼が、狂ったように人や馬を襲うようになった。それ故に、まず馬を保護する為に曲がり家が普及した。更に、三峰様を祀る(信仰)と狼除けとなるとされれば、一気に三峰様を祀るようになった。江戸時代の記録によれば、関東から東北にかけて一番日本鹿が生息していたのは、遠野の東に聳える五葉山周辺であったよう。それに伴い、その鹿を捕食する狼も、また多かった。和山方面には廃村になった場所がいくつかあるが、目につくのは「三峰様」の石碑だ。和山は五葉山にも近いために、狼もかなり生息していた事だろう。それに伴い、三峰様の石碑が多いのも、当然の成り行きだろう。ともかく、人間に害をなす獣は、ある意味神として祀られる。その根底には「祟らないでください(襲わないでください)」という意識があるからだ。遠野界隈で唯一、熊を祀っている神社は上記に示した画像。川を渡って参拝する、熊を祀る山神社だ。とにかく狼や狐に比べて、これだけ熊を祀る神社が少ないのは、熊が山奥に棲んでいて、人里には殆ど降りてこなかったからだと考える。
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一昨年の遠野新聞にも此記事を載せたり。上郷村の熊と云ふ男、友人と共に雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分して其跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてゝ熊に抱へ付き雪の上を転びて、谷へ下る。連の男之を救はんと思へども力及ばず。やがて谷川に落入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打執りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

                          「遠野物語43」
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「遠野物語43」に、熊の話が登場する。そこには六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたればと記されている。また現実に、この話を紹介した遠野新聞には山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出しと書かれている事からも、山の奥にこそ熊は棲んでおり、滅多に人里に訪れる事は無かったものと思える。江戸時代など、飢饉が頻繁にあっても、熊が人里に降りてきて害をなしたとの話が殆どない。平成の初期に、やはり飢饉があった。岩手県では、人間が食べれる米が出来なかった。その年に、わたしの住む家から歩いて10分もかからない場所に、光の園幼稚園がある。そこに熊が出没し、残飯を漁っていたと聞いた。そう、江戸時代の飢饉でも熊は里に降りてこなかったが、平成の飢饉時には、熊は人里に降りてきていたのだ。これはつまり、山の豊かさが江戸時代よりも平成時代が、より失せていた可能性があるだろう。
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街中での熊の被害が相次いでいる秋田市では、熊一頭の駆除の報奨金を以前よりも増額し、1万円を支給すると発表している。吉田政吉「新・遠野物語」を読むと、熊は昔から大変お金になるもので、狩猟民の間で重宝されたらしい。なので山役人の許可を受け熊を獲り、礼銭という名目の税金を支払わなければならなかったようだ。熊の胆をお金に換えて、一年寝て暮らした猟師もいたという事である。それだけ熊は、お金になった。しかし時代が現代となり、熊を一日一頭駆除し、30日間続ければ給料が30万円貰えると考えた場合、昔の相場とはかなりかけ離れているのが理解できる。果たして、現代での熊駆除の適正相場は、いくらであろうか。
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神として祀るという話をしたが、熊を神として崇めていたのはアイヌが有名だ。局地的であるが、熊野大社がある紀州では、熊は熊野権現のこの世に現れた姿とみなし、熊を捕獲すると熊野権現を祀っている社の屋根の茅が一本抜けるという可愛らしい俗信があるようだ。また別に、熊が殺されると雪が降るとの俗信もある。

嘉禎年間(1235年~1238年)に記された「諏訪上社物忌令之事」によれば、熊は諏訪神が人界に現れる仮の姿だから、熊肉を諏訪神へ供えてはならないと記されている。神とは、人前にそんなに頻繁に顕現するものではない事からも、諏訪地域でも熊が人里に降りてくるのは極稀であるのがわかる。また昔話などには多くの動物も登場するが、これだけ強烈な個性をもった熊が、殆ど昔話には登場していない。皆が知っている有名な話は、せいぜい「金太郎」くらいだろうか。つまり、それだけ一般庶民には認知されていなかったと考えられるのは、やはり滅多に人里に降りてこなかった事が理由にあげられるのではないか。遠野界隈では、狼除けや鹿除けの呪い(マジナイ)は聞くが、熊除けの呪いは聞かない。
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寛政十一年に記された「日本山海名産図会」によれば、飛騨から日本海側にかけての熊猟は、山の奥へと入り込みまず熊穴を見つけてからの熊猟のよう。熊と対峙して槍で突くのだが、その際に「お前の秘密を知っている、月の輪!」と大声をかけるそうだ。それは、熊が胸に秘めた月輪(ガチリン)の秘密を暴かれたと思って怯むとされ、その隙に槍で突くのだと。その掛け声は、熊の魔力を弱めるものと信じられていたようだ。魔力を弱めるといえば、岩手県沢内村では熊は化身の者だから、捕った熊の両目を抜き取って山に捨てよと伝わるのは、熊の目玉は死んでも撃ち取った者を見ていて祟りをなすので、その祟りを避けるための秘法であるそうだ。この祟り除けの秘法は、あくまでも一般庶民に伝わっているものではなく、マタギなどの狩猟者に伝わっているものである。
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話が少々逸脱したが、熊が里に降りてくる要因に、メガソーラーなどの環境破壊は当然あるだろう。ドングリのなる山の木が伐採されれば、熊は現存するドングリの木へと集まる。そこには当然、熊同士の力関係も発生するだろう。例えば、たまに遠野の町に現れるはぐれ猿も、単独で里に降りてくる牡の日本鹿も、争いに負けている筈だ。豊かな山があれば、熊同士の餌の争いの果てに里に降りてくる熊も、少しはいなくなる筈だ。とにかくツキノワグマは一度、絶滅の危機を迎えていた。その要因は、やはり山の木の問題、餌の問題だった筈。日本は、戦時中に東京が焼け野原となり、その戦後の復興に沢山の樹木が伐採されて運ばれたという。遠野の周辺の山々に牧場となっている山が多いのも、その影響を受けている筈。そして財産になるからと戦後、伐採された山々には杉の木が植林されたが、現代では単価の安い輸入材が主流となっている為に、放置された杉林が多い。とにかく、ドングリのなる木が伐採されて熊の餌が不足になり始めたのは戦後からだろう。それが平成の時代に差し掛かった頃に、ツキノワグマが絶滅の危機に瀕した事実がある。それでも立て直して、ツキノワグマが増えたのだが、やはり牧場だけではなく、スキー場やゴルフ場。最近ではメガソーラーと野生の熊の領域を、人間が利潤追求の為に開発している。仏教が導入された奈良時代以降、寺院作りに励んだ日本は土砂崩れが頻繁に起きるようになり、平安の末期には山の木の伐採禁止令が発布された。しかし現代は、そこまでの思い切った政策を打ち出せないまま、山に関してはほぼ放置となっているようだ。確かに、熊は恐ろしい。しかしその恐ろしい熊も、山の奥に潜んでいた状態であったならば、今ほどに熊に対して大騒ぎする事は無かったろう。山と里、熊と人との境界があった、そういう世界が、過去の日本にあったという事だ。

# by dostoev | 2025-10-31 09:25 | 動物考