遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の二)

「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の二)_f0075075_18530794.jpg
桑の木の語源の前に、養蚕の先進地域である三河国に、やはり桑の木が墓標となっている話があるので紹介しよう。「今昔物語(巻第二十六)」「参河の国に犬頭の糸を始むる語、第十一」によれば、繭を飲み込んから大量の絹糸を出して主人を助けた白い犬が糸が尽きると共に死に、その白い犬を埋葬したのが桑の木の根元であった。白い犬というのは、蚕の白色にかけたものであろうか。オシラサマという呼称には、やはり白色が関係深いのだろうと思える。

オシラサマにとって重要なアイテムである桑の木と、その桑(クワ)の語源を調べてみた。まず先に、アイヌ語で"クワ"は"墓標"と"杖"の意味があるとわかった。それを裏付けるかのように、オシラサマ譚の元になったのではと云われる「捜神記」には、庭の大木の枝に、蚕と化していた馬と娘が発見され、それからその大木を「桑(クワ)」と名付けたとあり、桑(ソウ)は喪(ソウ)の意味であると記されている。「喪(ソウ)」とは死者を葬る儀式であり、死者に対する哀悼の礼である。また、有名なシェークスピア「ロミオとジュリエット」の原型であるギリシア神話「ピュラモスとティスベ」では、男女の悲恋の死を見届けた樹木が桑の木であり、その飛び散り流れた男女の血によって桑の実が赤黒くなったと、桑の木にはどこか死の匂いが纏わりついている。また、桑の木ではないとされるが古代中国の「山海経」には、10の太陽の昇る伝説の巨木である扶桑の話がある。また紀元前である戦国時代の「楚辞」には、10個の太陽が現れ灼熱地獄となった為に、9個の太陽を射落とした話が紹介されているが、これは太陽を射殺す三重のゲーター祭りを思い出してしまう。やはり、死は纏わりつく。
「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の二)_f0075075_18170385.jpg

ところで、「桑」という漢字を考えてみた。木の上に又が三つあるのが桑。篆書体で見ると、上の画像が桑という漢字となる。又の部分が、三本爪の鍬のようになっている。もしかして三本爪の鍬の形は、この篆書体から来ているのか?と思ってしまう。
「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の二)_f0075075_18083232.jpg
篆書体の桑の又の字だが、調べると「右手」を意味しているようだ。本来「又」とは、右手の象形文字から発生したようである。ところが、この右手の象形文字と似たようなものを見た事がある。それは、北欧に伝わるルーン文字と云われるものだ。
「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の二)_f0075075_19131797.png
上の画像は、”アイルランドの魔法の杖”と呼ばれる魔法の効果のある印の中で「敵を恐れさせる」意味がある印で、要は魔除けなどの護符と考えればいいだろう。これらもどうやらルーン文字の影響を受けているらしい。ただしウィキペディアによれば、確認されているルーン文字の時代は2世紀から3世紀のものと云われているので、右手の象形文字よりも新しい事になる。ただ問題は、何故似ているのかという事。左手もそうだが、右手は元々神を訪ね、神に遭う為の方法を示している文字だとされる。神道での右は水を表し、左は火を表す事から、桑の木の漢字に何故右が採用されているのかと考えた場合、やはり水との関連が深いのではなかろうか。ルーン文字での鍬のような、フォークの様な形は、元々木を表していると云う。恐らくそれはユグドシラルという世界樹を意図し、そのユグドシラルという木は、"オーディンの馬"という意があり、オーディンはユグドシラルの枝から槍の柄を作った。その槍は、グングニルの槍で"三叉"である。そのユグドシラルの根元に湧くミーミルの泉の水を飲んだ為に片目を失ったオーディンは、右目だけになった。

ただこの北欧神話も、やはりギリシア神話の影響を受けているようだ。ポセイドンに対しての生贄として馬を捧げる信仰があるのだが、水神に対する信仰には、馬が重要視される。また藤縄謙三「ギリシア神話の世界観(ポセイドン神の成立)」によれば、ポセイドンの名前は「大地」と「夫」の結合語で「地母神の夫」という名前であると云う。杖を大地に突き刺すのが大地との交流であり、聖婚を意味する様。それはつまり、水源を示すものであり、地母神の場所を示すものと考えて良いのではないか。そしてそのギリシア神話さえ、ヘシオドスは古代のオリエントの神話の影響を受けたと指摘している。当然、様々な経由から古代中国へと伝わり影響を受けたものと考えても良いのではなかろうか。ともかく右手の象形文字は、古代の樹木信仰の流れを汲むものであり、それが日本に流れ着いたものと思える。そしてアイヌ語でクワは杖や墓標を意味するのだが、杖そのものは槍との違いは無い。杖に刃が括り付けられてあれば、それは槍になるからだ。その信仰の根源はやはり樹木であると思われる。そして田村浩「おしら神の考察」によれば、三叉もしくは四叉の桑の木からオシラサマを彫るとされ、また「九戸郡誌」には、"二又の桑の木をオシラサマとして祀る"とある。この二又三叉は、樹木の呪力を意識してのものであろう。猫が年老いると尻尾が二又にわかれ、猫又という妖怪になるのという構造は恐らく、この二又の樹木の呪力からきているものだろう。

「古事記」において、八上姫と結婚した大国主は、八上姫を因幡から出雲へ連れてきたが、本妻の須世理姫を恐れて、八上姫が生んだ子供を木の股に刺し挟み因幡に返してしまった。それからその子供の名前を木俣神、またの名を御井神といった…という話。この木俣神は、伯耆国の阿陀萱神社で阿陀萱奴志多喜妓比売命という神名で祀られている。その由緒は、下記の通りとなる。

多喜妓比売命は大己貴命の御子なり、母は八迦美姫命と申す。神代の昔、出雲国直会の里にて誕生あり。八迦美姫命、因幡へ帰らんと大己貴命と共に歩行し給ふ時に、御子多喜妓比売命を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟て長く置き給ひしときに、我は木俣神なりと申給ひて宝石山に鎮座し給へり。

また、同地に鎮座する御井神社の祭神も木俣神であり、その由緒に「木俣の神、又は御井の神と申し上げ、安産守護、水神の祖として広く信仰をあつめている。」としている。水神の祖とはどういう事なのかだが、安産守護に関しては二股は女性の股を意図としている事からのものだろう。

樹木は地上と地下の境界であり、地下である根の国の入口として認識されていた。遠野の東禅寺跡に、早池峰権現が無尽和尚の杖をとって地を突いたところ、水が湧きだした事から「杖(またふり)の井」、または開慶水と伝えられる。開慶水は別に早池峯山頂にもあるのだが、早池峯権現がこの東禅寺にも開慶水を与えたという話である。ところで「杖(またふり)の井」とは、二股の木を地面に突き刺して涌き出た泉の事を云う。どうやら二股の部分が地との交流を促す呪力があると信じられていたようだ。二股の杖は西洋では占杖といい、この杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたという。古今東西、二股の杖は、地下との交流・交信の手段のアイテムであると認識されているのは興味深い事だと思う。柳田國男は、二股の木の股の空洞の部分が水を湛えているものを、天然の井戸であろうとしている。木俣神の別名が、御井神であるのは必然であった。

溝口睦子「ヤクシーと木俣神」の見解によれば、二股の木は水に繋がる豊穣神であろうとしている。二股の空洞に溜まる水が地下と通じている認識は、空洞に溜まった水が地下の黄泉国へと滾り落ちる空間があるという認識で、黄泉国の入り口と捉えられていたのだろう。黄泉国は字の如く、泉の湧く国である。しかし二又の木が黄泉国の入り口という認識でありながら、二又の桑の木をオシラサマとして祀ってきたのは、黄泉国との交信というよりも、水による穢祓いを意図してのものではなかろうか。オシラサマの衣の着せ替えでは無く、衣の着重ねをし続ける行為は穢れを纏う行為である。一身に穢れを纏い祓う事の出来るオシラサマには、水による穢祓いの力がある為だと理解出来る。また「オシラサマ譚」で桑の木に白馬を吊るすのは、ポセイドンへの信仰と同じように水神に対する贄であると思われる。そういう意味では、二又の桑の木から彫られた娘と馬という形は、水神との簡易的な交信のアイテムであり、呪術を行う魔法の杖でもあるのだろう。先に書き記したように、二又の杖は西洋では占杖といい、その杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたと似たような話が、「遠野物語拾遺83」に記されている。「狩の門出には、おしらさまを手にし持ちて拝むべし。その向きたる方角必ず獲物あり。口伝」とあるように、獲物の占杖としてもオシラサマが認識されているのは、西洋での二又の杖の信仰が日本に流れ着いて定着したものと思えてしまう。次は、その桑の木の信仰と民俗の流れを書こうと思う。

# by dostoev | 2020-07-11 09:02 | 「トイウモノ」考

子猫の情景

子猫の情景_f0075075_10083367.jpg
ひなちゃんという子猫が増え、合計三匹となって賑やかになった。子猫たちの遊んでいる姿は、見ていて飽きないもの。ただ、婆様猫となったミーだけはここに加わらない。やはり人間も猫も、歳を取るとこういうハイテンションの付き合いは、出来なくなるものだと思う。
子猫の情景_f0075075_10083908.jpg
しかし本来、人間の子供も、子猫のように飛んだり跳ねたりして遊ぶのが普通であるべきだろう。例えば、子供の頃に野山のでこぼこの斜面を登ったり下りたりして遊んでいると、脳と体に情報が刻み込まれるようだ。逆に、そういう遊びをしてこなかった子供は大人になっても、山の斜面を登るのがヘタになままであるそうだ。危険だからと家の中でばかり遊ばせるより、外で遊ばせる。それも平坦なグランドで野球やサッカーではなく、野山のでこぼこな道や斜面。または、不安定な川底の砂利の上を歩くというのは、人間の体の機能を促進するに、かなり効果があるそうな。犬や猫はほっといても、人間視点の危険な場所で平気で遊ぶのだが、人間の子供は「もしも」を意識した場合、なかなかできないもの。頭で覚える必要な知識は、座ってでもいろいろな情報を読み取れさえすれば得られるが、体の知識は自らが体を張って得るしかないようである。
# by dostoev | 2020-06-28 17:32 | 民宿御伽屋情報

「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の一)

「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の一)_f0075075_12394378.jpg
先人の長年の研究からでも、未だにオシラサマの決定打が無いのは、あまりにもオシラサマの性格が多方面に広がっているせいもある。オシラサマはその性格の一つとして代表的なものが、養蚕の神としてのものだ。実際にも、伝わり語られる「オシラサマ」の話には、養蚕の起源譚が紹介されている。そしてまた遠野市上郷町来内の伊豆神社に伝わる伝承に、坂上田村麻呂と安倍宗任に関するものがあるのだが、その伝承は養蚕と結び付いている為、どこか漠然とオシラサマにも繋がっていると思われている。菊池展明「エミシの国の女神」において作者が、三河が養蚕の先進地域であり、「安城市史」には、二名の婦女を陸奥国へ派遣して、現地の人々に養蚕技術を教習させた事が記されている事を紹介している。この二名の婦女のうちの一人が、遠野の伊豆神社の伝承に重なる可能性を示唆している。その伊豆神社の伝承は、下記の通り。

坂上田村麻呂が延暦二年に征夷代将軍に任命され当地方の征夷の時、此の地に拓殖婦人が遣わされ、やがて三人の姫神が生まれた。

また、田村麻呂とは別に安倍宗任の伝承は、下記の通り。

安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は一切見えずになりたり。それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せしものなり。

遠野には、オシラサマは安倍宗任が伝えたとの伝承が残っているのは、恐らくこの伝承の影響を受けてのものだろうか?だが、この安倍宗任の話には、養蚕の話は無い。ところで、ここで違和感を覚えるのだが、東北の歴史の幕開けの殆どが、坂上田村麻呂以降になっている事。確かに坂上田村麻呂以降、仏教の布教活動などから中央の文化が伝わったのは否めない事実である。そしてその時代、三河が養蚕の先進地域であったのも確かな事だろう。だがしかし、その三河ではオシラサマが伝わっていないのはどういう事だろうか?オシラサマの分布は、北関東から青森県にかけて。拓殖婦人が蝦夷国に赴き、養蚕を伝えたという事実は、本当に事実であったのか?という疑問が付き纏う。例えば、有名な安倍宗任の逸話だが、その時代の都人は、蝦夷の文化水準を知らなかったと思う。だからこそ、安倍宗任に対し梅の花の名前など知らぬだろうという都人の言葉に対して宗任は「我が国の梅の花とは見つれとも大宮人は如何か言ふらむ」と歌を返した。都人にとって、遠く離れた蝦夷国の情報は、皆無に等しかったと思われる。「日本書紀」にも記されているよう、蝦夷は文化らしきものなどない野蛮人の国であるから討ち取ってしまえの感覚は、この時代にも残っていた可能性はある。もしかして、拓殖婦人が蝦夷国に赴いたのだが、既に養蚕は普及していた。しかし、それを隠して、養蚕を伝え普及させたという話を残した可能性…。この考えに至ったのは「茨城の史跡と伝説」に掲載されている「日本養蚕事始め」という伝説を知ってしまったからだ。これは鹿島地方に伝わる伝説である。

鹿島といえば鹿島神宮があり、蝦夷国平定以前、それこそ坂上田村麻呂が征夷代将軍に任命されたという延暦年間以前に、鹿島から奉幣使が蝦夷国へと通っていた歴史がある。その鹿島神宮奉幣使が、何故か嘉祥元年(844年)に菊多関で追い返された。鹿島神宮の末社の神々が、蝦夷国に祀られていたそうだが、その神が祟ったという理由からだった。鹿島大神の使いを追い返すほどの神威ある神が、蝦夷国にいたという事だ。しかし、何故に祟ったのか。恐らく祟ったというのは表面上で、あくまでも憶測だが、鹿島神宮の一団が蝦夷国に祀られている神の神威を傷つけたのかもしれない。古代に上毛野氏が駒形神を蝦夷の人達の祀る神の上に重ねた事から、蝦夷の反乱が起きた。今回は、蝦夷平定の後であるから、そこまでの反乱とはならなかったが、鹿島神宮の一団を追い返したとは、ある意味反乱に近いのだとも思える。神社団の一行であるから、考えられるのは、祭神の強引な変更であったり、中央に都合の良い神社の由緒を改竄したりなどがあったのかもしれない。

さて、ともかく茨木の養蚕の事始めの話を紹介しよう。

昔、鹿島郡の日川に青塚権太夫という漁師がいた。はるばる奥州からここに流されてきた姫を哀れに思って家に引き取り、我が子のようにいつくしみ育てているうちに姫は横に伏して間もなく世を去った。権太夫は涙ながらに姫の亡骸を庭の隅に葬った。するとそこから一本の木が生えて、春の初めになると房々とした青葉をつけて生き生きと茂っていた。すると木の根元から小さな白い虫がぞろぞろ這い出して来て木に登り、その葉を食べて成長した。そして丸い巣を造ってその中に隠れた。権太夫が巣を煮ると巣はつやつやとした糸になった。その木はクワで、巣はマユ、虫はすなわち蚕であった。クワの木の葉で育った虫なので、クワコと呼ばれた。これが養蚕の事始めというのである。

解説は、この茨木の養蚕の話は、元々蝦夷国に伝わる伝説を下敷きにしたものだと述べている。その蝦夷国に伝わる養蚕の伝説とは、下記の通りとなる。

昔、美しき姫がいた。その母みまかりければ、父なる人は後妻を迎えた。後妻は、いたく娘を憎み、朝な夕なに虐待した。姫は遂に堪えかねて、庭の池に身を投げて死んだ。継母はそれをよきことに思って、娘の屍をひそかに庭に埋めてしまった。父は、姫が見えぬのを不思議に思って継母に尋ねたけれど、知らぬ存じませぬとばかりでどうにもならなかった。ところが姫の屍を埋めたところから、一本の木が生え茂り、土中から多くの虫が出てその葉を食い、白く清らかな巣をたくさん結んだ。父はいと不審に思い、木の根を掘り返して見ると、姫の着衣はそのままにあって、体はすべて虫になっていた。今の世の蚕は、この姫の化身である。さて、姫の名を、くわこ姫といったので、その木をクワと名付けた。

補足として、茨木の鹿島の日川の青塚権太夫が育てた姫は、蝦夷国の大酋長の娘であったと伝わっているそうだ。そしてアイヌ語で、"クワ"は杖の意味と"墓標"の意味がある。「日本の養蚕事始め」の開設にも「奥羽の蛮族の中にこの伝説は古くから伝わっていたので、桑の木を墓標樹という意味でクワと呼び、繭は墓の中から出たという意味で、クワコと呼んだのであろう。

遠野に伝わる語り部の語る一般的な「オシラサマ」の話は、古代中国の「捜神記」に似通っていると有名となっている。それは殆ど、東北の地に伝えられ、広まり定着したものだと。しかし、養蚕の初めの話が東北であり、蝦夷国から始まったとされ、それが古代の常陸国に伝わり広まった話は、これが初めてだった。茨木県の養蚕に関係する古い神社の創建は、孝霊天皇の時代だというのだが、それが本当だとするとかなり古い。継体天皇以降、養蚕を奨励する記録があるのだが、孝霊天皇であるなら、継体天皇よりもかなり古い時代の話となってしまう。その時代に、もしも東北から養蚕が伝わったのならば、それは逆に、朝廷側にとって隠しておきたい事実となってしまう。ともかく、東北であり蝦夷国であり、日高見国の入り口であった常陸国に、この伝説が伝わり未だに残っているというのは、とても貴重な伝説だと思う。続きは、オシラサマの桑の木に関して書き綴ろうと思う。

# by dostoev | 2020-06-27 17:59 | 「トイウモノ」考

穢祓の女神(水と風)

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個人的には、岩手県の中心に早池峯が聳えていると思っている。その早池峯に坐すのは、瀬織津比咩という神名の穢祓の女神だ。古代の穢祓は、海に浸かる事から始まったとされる。それは水の霊力に期待してのものだった。その海の水は、川から注がれる。その川を辿って遡上すると山へと辿り、そして人々の目を惹く神々しい滝に出遭う。滝こそが、この水の流れの根源であるという感覚に支配された事からの水神であり、滝神であったと思う。それ故に、早池峯の麓の又一の滝は、滝神でもある女神の御神体であると思っていた。また、早池峯という漢字には「早池」という水を象徴する漢字が充てられている事からも、水神であるという認識が定まっていた。しかしだ。早池峯には、「疾風(ハヤチ)」という音が含まれている。またヤマセという春から夏にかけて吹く冷たい風は、早池峯が起こすという伝承もある。早池峯の女神は、水神でありながら風神でもありえるだろうと考えていた。
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盆の頃には雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道の岐に送り行きて立つ。紙にて顔を描き瓜にて陰陽の形を作り添へなどす。虫祭の藁人形にはかゝることは無く其形も小さし。雨風祭の折は一部落の中にて頭屋を択び定め、里人集りて酒を飲みて後、一同笛太鼓にて之を道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。之を高く吹く。さて其折の歌は『二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る』と云ふ。

                            「遠野物語109」
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「遠野物語」の補注には「雨風祭は本来、二百十日(陽暦九月一日頃)に行われる雨風鎮めの共同祈願である。」という。別称として「風祭・風日待・風神祭」と云い、基本的には風神に対する祭であったのに、後から虫祭の習俗が重なっ伝わっているようだ。伊能嘉矩「遠野の民俗と歴史」によれば、伊能嘉矩はこの祭を広瀬竜田祭と同じであるとしている。

「大忌風神の祭といふ是なり、風水の難を除きて、年穀の豊なる事を祈申さるゝにや。」


また伊能嘉矩は、大忌風神祭、道饗祭、御霊絵、即ち辻祭に関する観念が混同の姿をもって奥州に伝えられ、それには風雨の厄と疫鬼の禍が結び付けられていると説いている。まず「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という歌の最後「北の方さ祭る」だが、これは玄武を意識しての信仰であるようだから、遠野であれば素直に早池峯を指してのものだと考えるべきだろう。まず風雨鎮めに関しては、時期的に収穫の頃の台風除けを意識しているものだと思える。また、サムトの婆で知られる風もまた同じもので、風による厄災を鎮めねば五穀豊穣はままならぬのも、山神に対する意識がある為だろう。ましてや遠野は、盆地である。山々の手のひらの上に生かされているのが、遠野の民だという意識はあったのだと思える。
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恐らく、遠野の歴史の中で古くから中心であったのは、土淵であり附馬牛であったろう。その土淵だが「土渕教育百年の流れ」を読むと"明神"の働きかけにより、和野から一の渡まで一つの大きな文化圏を作っていたと考えられているようだ。その明神とは、河内明神か諏訪明神であろう、としている。河内明神は蛇神だが、諏訪明神もまた蛇神。ただし諏訪明神は、風の神でもあるとされる。ただ、風の神としての諏訪明神だが、「倭姫命世紀」には、「風神 一名志那都比古神。広瀬竜田同神也。」と記されている。その志那都比古神だが、志那都比古神の「志那都(しなつ)」は「信濃(しなの)」の転訛とされる。つまり、志那都比古神は諏訪明神でもあるという事となる。これは伴信友「倭姫命世紀考」に「級津彦命、科戸邊命、伊勢津彦命ト同神ニテ諏訪ノ建御名方モ同神ナルコト云ベシ」と記されているように、突き詰めていくと全ての神が一体化してしまう。これらを全てまとめて現れる神名は、遠野の早池峯の女神となる。そうかつて、水神として、また風神として、また穢祓の女神として、その地を祓い清めてきた瀬織津比咩。穢れとは、疫病も含め、あらゆる穢れがあるのだが、その穢れを水と風の力で祓う女神が、岩手県の中心である早池峯に坐しているのだ。岩手県に未だコロナウイルス(武漢肺炎ウイルス)が広がらないのは、早池峯の女神の力と思ってしまうのは仕方ないのではなかろうか。

# by dostoev | 2020-06-23 19:51 | 瀬織津比咩雑記

遠野不思議 第八百九十四話「火渡の石碑群」

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遠野遺産に認定されている、火渡の石碑群。こうした石碑群は、遠野のあちこちにあるのだが、背景が田園風景となり、非常に景観が良いという事で、遠野遺産となったようだ。元々は、点在していた石碑をまとめたもの。場所は、附馬牛方面に向かい、遠野ふるさと村を少し過ぎたところにある。
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遠野遺産17号と記されている。
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色も形も大きさも、様々な石碑が横並びとなっている。
# by dostoev | 2020-06-22 07:14 | 遠野不思議(石碑)

鍋倉山の桜、本丸跡のライトアップ

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昼間に来た本丸跡だが、夜に再び訪れてライトアップしてみようと思っていた。例年のこの時期であるなら、鍋倉公園はカップルなどで賑わい、夜桜を撮影するには少々居づらいと思っていた。今年はウイルスの問題から、公園には人がまったくいなかったので、撮影も気兼ねなく出来たのだった。
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本丸跡の西の外れには以前、東屋があった。昭和40年代から、その東屋でいくつかの首つりがあった為に、いつしか幽霊話が出るようになったのだった。一度、東屋に首を吊っているような写真が撮影されて、それを見た事がある。
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ところでライトアップしようとしたが、どこにどうライトを設定するか、いろいろ迷っていた。
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最後に月を撮影していたら、雨が降ってきたので撤収する事にした。しかし、山を下りるとまったく降っていなかった。局地的な、僅かな雨だったか…。


# by dostoev | 2020-05-04 22:27 | 遠野の自然(春)

鍋倉公園の桜(2020.05.04)

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数日前に、殆ど咲いたのがわかった鍋倉公園の桜だったが、まだ大丈夫か?と見に行ってみた。
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鍋倉公園の駐車場に車を停めたが、他にも6台くらいの車があった。ただ、外には出ずに車の中で、外を眺めているようだった。駐車場から下がってみたが、思ったより桜が散っていて、ほぼ葉桜になっているのが殆ど。見ると、看板があった。この看板に書かれている事を守ってのものなのか、まず人が歩いていない。
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一旦下ってから本丸下まで登り、土手を登って本丸跡に来てみた。すると、何やら人が集まって飲み食いしているようだ。
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「おいおい、何やってんだ。」と大きめの声をあげて近づいてみると、聞こえてくるのは中国語だった。どうやら、チャイニーズの御一行らしい。観光として来た様子ではなく、恐らく遠野の工場で働いている連中なのだろう。看板に気付かなかったのか、看板の日本語を読めなかったのか、そのへんはよくわからない。ただ、このご時世の事、看板の文字は読めなくても、自粛しなければならない事は知っている筈…なのか?チャイニーずは、わからん。ただ自分は肺を患っているので、感染者や特にチャイニーズには近付きたくない気持ちが強かった。連中もなんとなく察したのか、その場から離れ、今度は桜の前で記念写真を撮り始めた。その為、自分もそれ以降は黙認。
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鍋倉公園の駐車場より下の桜は、殆ど散っていたが、本丸跡の桜は、まだまだ盛期を維持しているようでもあった。明るい日差しを浴びて、桜の花が輝いていた。
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そして全体的に、緑も強くなっているのを感じる。
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とにかく、この本丸跡の桜だけは、明日まではぎりぎり見る事が出来そうだ。

# by dostoev | 2020-05-04 18:20 | 遠野の自然(春)

連休の遠野

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今年の遠野の大型連休は、ちょうど桜の花の満開時期となっている。遠野でも早く咲く桜の開花は早かった感じだったが、途中雪が降ったりと気温が低下して、他の桜がこの時期まで咲くのが遅れたせいもある。
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5月に入ってから、急激に気温が上昇し、昨日5月3日は30℃に到達したようだ。
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非常事態宣言から、遠野市の観光施設はホテルも含めて閉めている。それでもバイパスの交通量を見る限り、やはりそれなりの人が遠野を訪れているようでもある。釣具屋にも、多くの県外ナンバーが来ていると聞いたので、武漢肺炎ウイルスの感染者が出ていない岩手県での、川や海で釣りを楽しもうという人達が多いのだろうか?
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バイパスの交通量とは違い、遠野駅前では人がまず歩いていない。ただこれは、普段と変わらぬ遠野のような気もするが…。
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時間帯は午前の11時少し前で、遠野駅から真っすぐの通りにも、人影は見当たらない。
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ただ坂下(附馬牛)行きのバスには、二名ほどの乗客を発見。運転手も含めて三人だが、離れて座っているので三密にはならない。ただ気になったのは、バスの車体の腐食だった。これが、遠野の現状を示しているのかもしれない…。

# by dostoev | 2020-05-04 11:23 | 遠野情報(雑記帳)

遠野不思議 第八百九十三話「千匹馬扁額」

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菊池幹「遠野路(民話のふるさと)」には「駒形の千匹馬」について記されている。
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「東北の人たちから馬を取り上げると、生活が淋しく、貧しくなったことであろう。一日が、馬とともに始まり、馬とともに終わった。といっても過言ではない。生活の糧となった駄賃づけの馬、オシラサマの話にでてくる娘と馬の恋物語など、遠野では、馬は家族の一員として生活していた。だから馬の病気は、一家の生命にも影響を及ぼしたといわれる。駒形神社には、数多くの絵馬が奉納されているが、その中で珍しいのが、社務殿に掲げてある千匹馬の扁額である。大正十年旧四月八日、上閉伊郡附馬牛村佐々木万吉、阿部忠太両人願の奉納額であり、馬形が色分けに千匹美しくおさまっている。このように千匹の馬が描かれているということは、どんなに大きい願いごとが託されていたのだろう…。」
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上に紹介した菊池幹「遠野路」での千匹馬の奉納額に対し「どんなに大きい願いごとが託されていたのだろう…。」と書かれていた為に、大正10年、もしくはその前の年にでも何か災害などの厄災があったのでは?と調べたが、気になる事件や災害などは無かった。ただ見つけたのは、大正5年に仲町の馬検場(馬糶場)を東舘に移してからの、せり売頭数が、大正8年に1085頭、大正10年に1204頭と、千頭を超えるせり売頭数で賑わったようである。それが昭和4年になると1431頭にも増えている事から、大正8年から続いて千頭もの馬が売買され、それを感謝しての千頭扁額ではなかっただろうか。それはつまり、馬によって生きている人達の、馬に対しての感謝の気持ちが、荒川駒形神社に奉納された千頭扁額に表れたのだと思う。
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# by dostoev | 2020-04-30 20:05 | 遠野不思議(オブジェ)

早池峯神社、座敷ワラシ祈願祭への道程と寄り道(其のニ)

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早池峯神社を後にし、帰りは写真撮影をしながらのんびりする予定だった。
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まず、いつもの水神の碑のある場所で、草花を撮影。イヌフグリを撮影していて急に「ジョジョに登場した猫草に似てるなぁ…。」などと思った。
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ここにも小ぶりだが、水芭蕉は咲いている。
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その後は、いつもの山神の碑に寄って撮影。すると近所のおばちゃんが寄ってきて、「今度、鳥居が新しくして大きいのに変わるのよ。」と教えてくれた。でも、今の鳥居の方が趣を感じて好きなのだが。この山神の碑のところは、秋の雰囲気が良く綺麗なのだが、秋には新しい鳥居に変わっているのだろう。
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そして、またまたいつもの河童淵へ。
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この河童淵の目印、河童三兄弟?

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そして駒形神社へと寄ってみた。早池峯神社へ行く途中見かけた、山の中腹の煙は、もしかしてここではなかったかと思ったからだった。
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途中、馬がいるのが目に入った。
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駒形神社の傍だけあって、やはり馬が…。
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駒形神社の鳥居が見えたが、その奥で煙が立っている。
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どうやら枯れ木や草を燃やしているようだ。
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他にも既に燃え尽きて、白い灰になっている場所がある。やはり、あの山の煙は、ここからだったのだろう。
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どうやら、明日の祭りの準備をしているようだ。
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ところで駒形神社の入り口近くに桜が咲いていたが、これより奥の早池峯神社のある大出の桜は、もう少しかかりそう。この駒形神社から、早池峯神社までは極端には遠くないと思いながらも、標高とか気温が全く違うのだなぁと実感する。
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そして、このまま荒川高原まで登り、早池峯山を間近に拝もうと進んだ。
やはり、風の少々強い日だ。
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荒川高原は、道路わきに若干の雪が残るものの、車の走行には問題無し。
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さて帰りは耳切山経由で帰ったが、その合間合間に早池峯を堪能。
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最後も、早池峯で〆。

# by dostoev | 2020-04-29 19:49 | 遠野体験記