
遠野に桜が咲き始めた。桜の開花は例年、4月末もしくは早くても半過ぎ頃だった筈。昭和時代であったら、5月の連休が桜の見ごろで、桜の名所は花見客で賑わっていた。それが4月の前半に咲き始めるのは、過去に記憶の無いものだった。

遠野観光案内所敷地内の桜も咲いた。ところで、その観光案内所の桜の手前に雪女の像が立っている。正しい正面が微妙なのだが、もしかして北である早池峯に向けて建てられたのか?などと思ったりもした。雪女の季節は冬であろうから、陰陽五行で北に位置する。雪そのものも水と同じであるから、水を意図する北と雪女は当然重なるだろう。そしてまた、桜もそうである。

琵琶湖畔に桜谷と呼ばれる地がある。
鎌倉時代の歌論書「八雲御抄」で、「さくらだに(是は祓の詞に冥土をいふと伝り)」と記され、冥土の入口と思われていたようだ。「蜻蛉日記」にも、佐久奈谷へ行こうと言うと「口引きすごすと聞く(引き込まれる。)…。」とあるのは、桜谷=冥土(黄泉国)の入口と古くから伝わっていた為だった。
「興福寺官務諜疏」には、天智天皇の代に右大臣中臣金連が"大石佐久那太理神"を勧請したとある。この中臣金連とは、天智天皇の命により「大祓祝詞」を献じた事から、現代まで使用されている祝詞である。ところで佐久那太理神とは、何かという事。琵琶湖畔の桜谷の古名は佐久奈谷であって、「タニ」を「タリ」とも云う事から佐久那太理とは、佐久奈谷を意味する。その桜谷の神とは一柱の神であった事から、中臣金連が勧請した佐久那太理神とは、「大祓祝詞」に登場する瀬織津比咩であったろう。それが「大祓祝詞」を製作するにあたって、一柱の神が四柱の神に置き換えられている。また佐久奈度神社の祭神も、当初は瀬織津比咩の単独祭神であったものが、「大祓祝詞」に合わせるようにいつしか四柱の神に変更されている。そしてその瀬織津比咩とは、遠野の早池峯の女神でもあるのだ。

桜が咲き始めた遠野であるから、早池峯の女神であり桜の女神であるから、桜に関する酒を奉納しよう。

桜神さくなだりである。