遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「現代遠野物語」110話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
遠野高校の河童の手
遠野にあるチベットの残存
クワガタと遠野の自然
菊池氏考
佐々木氏考
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
七つ森考
六角牛考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
又兵衛の矛
鯰と地震
おかばみ
三女神伝説考
早池峯遥拝所
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
冥界との縁結び
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 11月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
絵本 宮古物語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
なんでもブログ
外部リンク
最新のコメント
語源は朝鮮人由来で間違い..
by ほげぇ at 22:07
横山不動尊のある大徳寺は..
by 鬼喜來のさっと at 21:26
大阪交野市の星田妙見さん..
by mars at 18:41
今日は突然の電話申し訳あ..
by 鬼喜來のさっと at 20:22
記事が大変興味深く拝読さ..
by 陽啓 at 01:17
古い記事なのですが、写真..
by 鬼喜來のさっと at 18:26
気仙川河口の鮭漁争いで、..
by 鬼喜來のさっと at 09:12
私は学校の校庭などでやり..
by 鬼喜來のさっと at 17:32
この釘刺しについては私も..
by 鬼喜來のさっと at 17:24
このカマコヤキと同じ行事..
by 鬼喜來のさっと at 17:03
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


早池峯神社の美女

早池峯神社の美女_f0075075_06451127.jpg
過去の画像をチェックしていたら、早池峯神社の山門を撮影している中に、画像の写真が紛れていた。当初、サムネイルを見ているとブレブレの失敗画像だと確認もしていなかったが、今回画像をチェックしてみて、女性の顔が写っているのを確認した。恐らくスローシャッターの為に、ぶれて写っているのだろうが、神楽を撮影している合間の写真ではなく、山門を写している合間にこの画像がある事に違和感を覚えた。とにかく、なんとも不思議な写真が写っていたものだと…。
早池峯神社の美女_f0075075_06501344.jpg
座敷ワラシは、子供の妖怪とも、子供の霊とも云われる。別の云われでは、家に同化した子供の魂だとも。画像は、智内兄助の作品で、壁に取り込まれたかのような幼女の姿。家に取り込まれた幼女であるならば、それが具現化する時は神出鬼没となるのだろう。どこからともなく現れる座敷ワラシを考えた場合、家そのものが座敷ワラシの本体であるなら、それは納得するものとなる。
早池峯神社の美女_f0075075_07044276.jpg
この画像は当初、カーテンのような薄い幕が透けて写った女性かとも思えたが、炎の様な気体と同化したような女性にも思えた。古代中国では、気体のような、霧の精、雲の精を妖美なるものとして捉えられていたようだ。「巫山の美女」という話がある。赤帝の娘が若くして亡くなり、巫山に埋葬された。楚の懐王が近くに来て遊び、その日の晩、夢で美女に逢う。その美女は自ら"巫山の女"と名乗り、懐王の枕席に侍る。そして「わたしは明日には朝霧となり、夕には行雨となります。」と言い残して去っていったと。翌朝、懐王が巫山を仰ぐと、美しい朝霧が、巫山にかかっていた。王は、その美女を懐かしみ廟を建て、朝霧と名付けたという。霧の妖怪というと、ブロッケンの妖怪を思い出すが、あれは霧の中にクッキリと浮かぶ影で、霧と同化しているのとは、少し違う。どちらかというと巫山の美女は、霊体に近い感じなのだろうか。具現化して美女となり、そして霧に戻る。山の霧は、山の霊気のようなものであるから、巫山に埋葬された娘は、山と同化したものと考えた方が良いのかもしれない。さて、問題の写真だがブレ写真ではあるものの、不思議な雰囲気を有している。ある意味、早池峯神社の霊気によって具現された美女にも思える事から、「巫山の美女」ならぬ、「早池峯神社の美女」という事にしておこうか。


# by dostoev | 2020-02-19 12:46 | 民俗学雑記

風神の祟り(コロナウイルスとイナゴ)

風神の祟り(コロナウイルスとイナゴ)_f0075075_08182276.jpg
「天地の間の気を「風(ふう)」という。万物の滞りを促す自然の道具にして、無くては叶わぬものである。俗に「風の神」というものは邪気のことである。邪気はものの隙間を窺って入りこむ。されば、貧乏神は油断の隙を窺い、風の神は暖かさと寒さの隙を狙うのである。口から黄の気を吹くが、黄は土にして湿気である。風はみな土中より生ずる。されば、悪気を避けて正気を取るべきである。」    

                竹原春泉「絵本百物語 -桃山人夜話-」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
風邪は「邪な風」であり、忌み嫌うべき存在だろう。おおまかに風邪と表現しても、それを拗らせれば肺炎となり、死に直結する可能性がある事から「風邪は万病の元」と昔から云われ、警戒されていた。その風邪も、江戸時代あたりでは、神や妖怪の仕業とも考えられていたようだ。ただその風邪にもまた、インフルエンザと呼ばれるいくつかのウイルスによるものだと分かったのは、そんなに昔の話ではない。現在、中国から飛来?したコロナウィルス問題が、世間を騒がせている。自分自身も、肺気腫にかかっているので、感染したら即死亡確定してしまいそう。3月には私用で東京に行かなきゃならんので、戦々恐々としているのが現状だ。

ところで上記の「黄の気」というものは、日本においてはしっくりこない表現かと思ったが、解説には、「四月の春の嵐に中国大陸の黄土地帯より到来する砂塵"黄砂"現象を指し、雨天の前兆、または風による疾病発生を暗示する。」更に「黄土は、死後の地黄泉の土を意味し、死への黄泉路を暗喩する。」と記されている。確かに黄泉には"黄"が入っていた。思い出すのはドストエフスキーの作品でも、病気の顔色を黄色で示す場合が多い。黄色は明るいイメージの色であると共に、それがくすむと病的な色合いに変わる印象を持たれるようだ。

山陰地方や九州では北西の強力な風を「アナシorアナジ」と称する。この北西風であるアナジは、死者の棲む異界から吹いてくる不吉なもので、人の魂を奪うと考えられたようだ。やはり、黄泉国と同じく死の匂いが漂う。語源の発祥は、古代の製鉄業者を穴師からきている。調べると、この「アナジ」は東北から中部の日本海側では「霊風(タマカゼ)」と称し、これには越の国に拡がるヤサブロバサの伝承に組み込まれる事になるほどの禍々しい風となっているようだ。タタラでは精練の為に大量の風を炉に送り込み、内部で激しく燃える地獄の様な業火と、それを生み出す強風のイメージが結びついたようだ。また西日本では海女が海から這い出た時に口から吐き出す風を「常世の風」と称する事からも、西日本における北西の風は、やはり黄泉国と結びつくか。

風といえば「大祓祝詞」にも登場する「科戸の風」だが、「日本書紀纂疏」には「シ」は「息」・「風」であり、「ナ」は「長」とし、「科戸(シナト)」は「息長」であるとされていた。思い起こしてみると、神功皇后である息長帯比売命は故郷である近江の国で信仰していたのは、級長津彦命と級長津姫命であった。つまり神功皇后が、風の神の巫女でもあったのかもしれない。

ところで科戸の風を更に調べると、本来は「不周風(シナトノカゼ)」であるとし、それは北西の風が「不周風」であるとされているようだ。科戸の風の「戸」は戸口などを意味しているのはわかったが、それは月が隠れる北西の戸口の意であった。息長帯比売命の「帯(タラシ)」は月が満ちた意味を持つものであるから、月の沈む北西は同時に太陽の沈む方向でもある。古代人は、太陽が沈む事を「死ぬ」と意識していた事から、東から生まれた太陽(月)は、西に死ぬと信じていたようだ。つまり元々西という方角…ここでは北西だが、どうも死の国と結びつくようだ。考えてみると「大祓祝詞」においても、罪や穢れを根の国・底の国に運ぼうという流れが記されているのだから、科戸の風にも死の匂いがする。

ところで邪気は、ものの隙間を窺っていると記されているが、隙間というものには、いろいろなモノが侵入するようだ。この場合は、邪気という風の神である。風の邪気と考えると、真っ先に風邪を思い出してしまう。風邪は「かぜ」と読むが、東洋医学では「風邪(ふうじゃ)」と読むのが一般的となっている。これは上記の「天地の間の気を「風(ふう)」という。」ものに対応している。天地の間もまた隙間を意図しているのだが、家の隙間風は、殊に寒く感じてしまう。逆に思えば、風か隙間を見つけてくれるという事にもなるか。この隙間風は、奄美大島では""好魔風(すきまかぜ)"に行き会うと、病気になるとされている。

九州の宮崎では、風は猫が起こすのだと伝わっている。この猫が風を起こすというものは、新潟にも伝わっている。これは恐らく、古代中国から伝わった「虎は風を司る。」から来ているのだろう。帆船が主流であった昔、風が無ければ進まない帆船の為に、よく虎舞が奉納されたのは、風を求めるからであった。その虎と同じと思われた猫(同じネコ科)が風を起こすという俗信は、発生して当然の事ではある。ともかく風は、台風のような大風で、その強風により物理的に人間を死に至らしめる場合と、風邪のように人間の体内に侵入し、内部から死に至らしめる場合があるが、それらすべてが風の仕業とされ、悪風と呼ばれた。
風神の祟り(コロナウイルスとイナゴ)_f0075075_12111748.jpg
さて本題だが、現在騒がれているコロナウイルスだが、その発生は中国である。そして、それと共にイナゴが大量発生しアフリカを荒らしまわり、現在中国に迫っているようだ。そのイナゴが、コロナウイルスの拡散に影響するのではないかとの懸念がされているので、少し調べてみた。漢の武帝が、長安の都に「蜚蠊」と名付けた塔を築き、風神を祀っていたようだ。蜚蠊は飛廉とも記され、中国での風神を意味する。その蜚蠊の「蜚」は「空中を飛ぶ」という意であり、実はイナゴの別称であった。

「山海経」には、「蜚」という化け物が紹介されている。「蜚が水を行けは水が涸れ、草を行けば草が枯れる。これが現れると天下に疫病流行る。」と記されている。この蜚は、蜚蠊と同じイナゴを意味する。ただ「古代風神崇拝」には蜚蠊に関して「飛廉乃是古代楚人的風神」とも記されている。これは楚国がこの蜚蠊を操ったという意味ではなく、秦国に相対する楚国を蜚蠊に見立てたという意味であろうか。とにもかくにも、厄災を運ぶ風神は、イナゴと合体し、更なる厄災を蔓延させるようだ。つまり、中国で騒がれているコロナウイルスは、イナゴの襲来を受けて、更なる被害が拡大する可能性が高いのだろう。どうも疫病とイナゴの群れは、古代から問題視されていたという事らしい。

# by dostoev | 2020-02-18 16:29 | 民俗学雑記

新しい家族の一員「しのちゃん」

新しい家族の一員「しのちゃん」_f0075075_20064391.jpg
今年10歳になるミーという猫が一匹だけ残っていたが、新たに子猫を授かりました。名前を「しのちゃん」と言います。まだ生後2か月の子猫で、三毛猫の長毛種。家に来たときは、まだ怯えていて、籠から出てこなかった。
新しい家族の一員「しのちゃん」_f0075075_20071596.jpg
でもだんだんと慣れてきて、その辺をちょこまかと歩き回るようになった。

まだ、手のひらに乗るサイズの小さな子。
新しい家族の一員「しのちゃん」_f0075075_20070760.jpg
そして、我が家のミーは、少し拗ねている。
新しい家族の一員「しのちゃん」_f0075075_20072116.jpg
まあ、時間と共に慣れてくるだろう。


# by dostoev | 2020-01-26 20:16 | 民宿御伽屋情報

死者の鎮魂トイウモノ

死者の鎮魂トイウモノ_f0075075_13280688.jpg
昨日のニュースで、政府主催の東日本大震災追悼式を来年までとすると発表し、その政府の発表を煽るように朝日新聞社は釜石市長に、それとなりを聞いたようだ。釜石市長は「国がやろうとやるまいと、私たちはこれかもずっと毎年やっていく。私たちにとって今後も決して忘れてはならない出来事だから。」と述べた。これは当然の言葉であると共に、とても難しい言葉であった。何故なら一世紀もすれば、人は入れ替わるからだ。となれば、住む住人に過去の人の面影さえわからぬ人が主体となる。変な話だが、親戚付き合いも、互いに知らない同氏の世代になった時、その親戚関係は廃れてしまう。例えば、震災で息の子供たちが寿命を迎える可能性の高い80年後、どれだけの人が震災で亡くなった方々の面影を偲べるかという話になってしまう。思いが無くなれば、その行為は長続きしないからだ。昭和22年にカスリン台風、昭和23年にアイオン台風が遠野を襲い、多くの人達が亡くなった。しかし、自分がその話を聞いても、どこか人ごとに感じたのは、自分自身がまだ生まれていなかったらでもある。また、身内にその関係者がいなかったせいもある。どこか遠い昔話の様な感覚で、その事実を知った。つまり、災害に対するリアリティが失せているからだった。そこに自分は「方丈記」の序文を重ねてしまう。

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる試なし。世の中にある、人とすみかと、またかくの如し。玉敷きの都のうちに、棟を並べ甍を争へる、高き、いやしき人の住ひは、世々を經て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ焼けて今年作れり。或いは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

不知、生れ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る。また不知、仮の宿り、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顏の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。

                              「方丈記」

死者の鎮魂トイウモノ_f0075075_15065997.jpg
恐らく、死者の鎮魂の行事として最長にとなるものは、墨田川の花火大会ではなかろうか。享保18年、徳川吉宗が死者の慰霊の為に墨田川で花火を打ち上げた。これは、水難防止を祈願する川開きという年中行事であったが、花火が加わったことで、江戸の有名な夏の風物詩となった。しかし、この享保の時代は、前年の享保17年は大飢饉が発生し、またコレラが蔓延し、多くの死者を出した年代であった。その大飢饉の原因となったであろう、全国的に火山が活性化していた時代であるようだ。岩手山も、享保17年に噴火している。享保18年は、西暦1733年。つまり墨田川の花火大会は、現代も続いている事から、約300年もの間、死者への鎮魂が続いている事になる。ただ、今では花火大会というイベントがメインで、死者への鎮魂の意識は無くなったものと思える。しかしだ、神社も人が来るから存続できている。墨田川の花火大会も、人々に認められ、多くの人々が押し寄せているから存続できているのだ。その人々の賑わいは、魂の賑わいである。未来の子孫達が、こうして元気でいる事を示すのも、また鎮魂であると思える。徳川吉宗の胸の内はわからぬが、もしかして享保17年に相次いだ火山の噴火を逆手に取り、それを死者への鎮魂として華々しい花火で表現したのかとも思えてしまう。火山の鳴動は、神の鳴動であり、それは人々の魂を揺らす。その魂の揺らぎを、死者への鎮魂に取り入れ花火大会とし、過去を忘れずというより、未来を見据えた死者への鎮魂が、墨田川の花火大会でなかったのかと、今更ながら感じてしまう。

人は、忘れる生き物でもあるという自覚をし、東日本の大震災の鎮魂を、「決して忘れてはならないもの」という重い意識を続けるより、大震災から生き残った人々や、その子孫が未来永劫続けていけるような、前向きな鎮魂を意識しても良いのではないか。まずは、墨田川の花火大会の歴史の長さを目指し、大震災で亡くなった人達に対し、未来のあなな達の子孫は、こうして明るく平和な人生を過ごしていますよと見せるような死者の鎮魂に変えても良いかと思うのであった。

# by dostoev | 2020-01-23 20:28 | 「トイウモノ」考

南部神社「墨付けどんと祭」

南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_16552445.jpg
今日は、初めて南部神社のどんと焼きへ行って見た。どんと焼きは、15日にやるものだと思っていたが、今日1月12日に、南部神社でどんと焼きが行われると聞いて、それならと行って見た。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_16570930.jpg
本殿を正面にし、どんと焼きの神事が執り行われた。南部神社の場合は「墨付けどんと祭」と云うそうで、燃え墨を顔に付けるのだとか。ただし最後までいなかったので、全ては見なかった。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_16585840.jpg
祝詞が奏上され、神事が始まる。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17012190.jpg

祭囃子が奏でられると、権現様は本殿前へ移動。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17102675.jpg
その間に、正月飾りなどに火が点けられた。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17111474.jpg
そして参加者が神官を先頭に、火の周りを三度回り始めた。

この後に、本殿前の権現様へ行き、頭を齧ってもらう。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17131536.jpg
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17133723.jpg
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17140449.jpg
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17163724.jpg
この後に参加者は火の前に戻って来て、長い竹串に餅を刺して、焼いて食べる。恐らく、この火が消えた後に墨を顔に付けるのだろう。自分は、そこまで居なかった。
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17190526.jpg
南部神社「墨付けどんと祭」_f0075075_17191448.jpg


# by dostoev | 2020-01-12 17:19 | 遠野体験記

臼館の妖怪について

臼館の妖怪について_f0075075_19404970.jpg
遠野市青笹町に、臼館跡がある。そこに伝わる古い伝説には、安倍貞任はこの舘から義家軍の背後をついて、挟み撃ちにしようとした。しかし、その攻めは失敗に終わり、貞任軍の兵の屍が臼館の周辺に山と積まれたそうだ。それからの事、この臼舘には化け物が現れるようになったのだと伝わる。それは、俵の形をした化け物であったと。刀で切ったり、棒で叩けば、その化け物の姿は三つにも、四つにも分かれたと云う。そして、みるみるまた元の俵の形に戻ってしまうのであったと。人々は、この化け物は死んだ兵達の怨念が形となって現れたのではと噂されたと云う。この臼館の化物であり、妖怪の類を考え探してみたが、似た様なモノは存在していない。となれば、何かの抽象的な表現ではないかと考えた。そこで浮かび上がったのが、蝶であった。

「吾妻鏡」「黄蝶が群れ飛び、鎌倉じゅうに充満した。これは戦乱の兆しである。天喜年間には陸奥出羽にこの怪事があり、平将門と安倍貞任が乱をおこした時にも黄蝶の群飛があった。」と記されている。蝶は人の魂の化身で、蝶の群れは人々の魂の不安を現したと考えられたようだ。また黒い大型の蝶をカマクラチョウと呼ぶ地域では、新田義貞の鎌倉攻めの時に死んだ武士達の魂が黒い蝶になったと信じられていた。上総の国では黒蝶が地獄蝶と呼ばれるのも、黒い大型の蝶は死霊であり、人魂の具現化と信じられたようだ。鴨長明「発心集(1215年)」にも、花好きの男が死後に蝶に生まれ変わった話もある。先に記した事からも含め、人は死後に虫になるという話は恐らく、日本独特のものではなかろうか。

今井彰「蝶の民俗学」には、"蝶の妖怪"が紹介されている。前九年の役の時、安倍氏の家来が源義家の投げた石に当たり、足を滑らせて沼に転げ落ち、そのまま息絶えたと云う。その死体は沼の中で大きな蝶になり、曇った日や夜になると沼から浮かび出て、空を飛ぶのだと。月夜の晩のその蝶の妖怪を目撃した話では、水で羽がキラキラと輝き、幻想の中にいるように感じたと云う。ところで「吾妻鏡」に記されている黄蝶だが、黄色は陰陽五行で土を示す。この土は、水死体を土左衛門と呼ぶ元となった。また死者の国と思われる黄泉国にも、「黄」が使用されている様に、黄色には死の匂いが漂う。「吾妻鏡」は史書としても扱われている事から、黄蝶の大群は、実際に目撃されたのかもしれない。つまり「吾妻鏡」による黄蝶への意識は、「蝶の民俗学」でも紹介された、安倍氏の兵士が蝶の妖怪化した伝説があるように、虐殺した蝦夷に対する恐怖が蝶に重ねられている可能性はあるだろう。
臼館の妖怪について_f0075075_21255455.jpg
そしてもう一つ、その蝶は変態する虫である。成虫の以前は、蛹の姿であり、それは有名な怪談「番町皿屋敷」に登場する"お菊"の姿と重ねられた。家主に縛られ折檻された姿が蝶の蛹の様であったから、その蛹を"お菊虫"と名付けたようだ。しかし、それ以前から蝶そのものが人の霊魂と重ねられて考えられていた為、蝶の蛹もまた霊魂の具現化として捉えられたのだろう。仏教が普及して、死んだ先は、極楽浄土か地獄となるのだが、日本神話の世界では黄泉国、常世の国となろうか。黄泉国から帰還した伊弉諾は、禊をして現世に戻ったのは、死と再生の観念が黄泉国に存在するからである。人が死に、その魂が蝶となって復活した。当然、それを恐れる人々とは、その者達を死に追いやった者達となる。臼館の妖怪は、安倍貞任に仕えた兵士達が死後、復活したものと考えられている。

臼館の妖怪は、俵の形をした化物と表現している。その俵の形をしたものを、私は蝶の蛹ではないかと考える。宮田登「妖怪の民俗学」によれば、「番町皿屋敷」での舞台の屋敷跡の廃井から、女が縛られた様な小虫が夥しく出たと伝わる。この小虫が蛹であるのだが、恐らく臼館で伝わる話は「吾妻鏡」にリンクするのではなかろうか?「吾妻鏡」に記される黄蝶の大群とは、それ以前に大量に発生した蛹の後である。つまり過去に例を見なかった夥しい数の蛹が発生し、それを不気味に思い、安倍貞任の兵士達の霊魂と重ねられ語られた。そしてその蛹から、大量の黄蝶が発生し、飛び散ったものが「吾妻鏡」に報告され、それ以前の話が、遠野の臼館跡に伝わる伝説になったのだと考える。刀で斬っても、棒で叩いても、みるみるまた元の俵の形に戻ったという表現は、人間の手に負えない程の黄蝶の大発生を意味しているのだと思うのだ。

# by dostoev | 2020-01-10 21:44 | 民俗学雑記

遠野の日本一

遠野の日本一_f0075075_09113592.jpg
遠野の日本一というのがある。その一つが、ビールのホップ生産量日本一だろう。殆どがキリンビールに提供していたようだが、最近ではそのホップを使って料理なども考案されているようだ。そして、養殖ヤマメの生産量が日本一だった筈。しかし、やはり誇れる日本一は、早池峯ではないだろうか。日本最古の地層を持つ山で、蛇紋岩の山は、宮沢賢治も何度も訪れ、蛇紋岩のコレクションを集めたという。その早池峯山は、日本列島が隆起して出来る時に、真っ先に海面から顔を出したのが早池峯山と云われる。女神を祀る山であるから、日本列島の長女とでも云うべきだろうか?ただしこれは、確定された事ではない。しかし、遠野に住む人達は、誇りを持って早池峯山を日本一の山として紹介しても良いと思う。


# by dostoev | 2020-01-03 09:24 | 遠野情報(雑記帳)

令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。

令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_16561395.jpg
令和二年一月一日、皆様あけましておめでとうございます。正月はいつもの通り、早池峯神社への参詣から始まりました。道路の凍結を心配し、夜中と早朝の参詣を止め、なるべく午前10時前後に到着するように家を出発。何故、午前10時頃に合わせて早池峯神社に向うかというと、日差しが丁度良い角度で照らし、早池峯神社の空気感が清々しく感じるからです。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_15452846.jpg
やはり、早池峯神社参詣する前に、この神遺神社は、避けて通れない。遠野駅前から出発した頃は、雲はどんよりしていたのだけれど、早池峯神社に近付くにしたがい、空が晴れ、日差しが出て来た事に感謝。ただし、道路は完全凍結で、車のブレーキを踏んでも、すぐには止まってくれない。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_15453567.jpg
丁度、午前10時頃に到着した早池峯神社は、晴れていたが雪がチラついているという、狐の嫁入り天気になっていた。参拝客も、それなりに見受けられた。一年間に、何度も早池峯神社を訪れているが、こうして人に出会えるのは、大祭時と正月時くらいだ。ただ空気が異常に冷たい。手袋をしていなかったが、手がかなり冷え込んで、指先が痛いくらいだ。とにかく気温が、他とは全く違って、寒いというか冷たい。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_15454455.jpg
そして、いつもの通り甘酒を、振る舞っている。唯一ストーブが置いている拝殿は、正月時に御札や御守なども販売している。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_15455190.jpg
御手水の水が、今日は凄く綺麗に見えた。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_15455928.jpg
階段を登り始めると「ド~ン!トーン!」と、太鼓の響きが。どうやら本殿で、神事が行われているらしい。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_16252715.jpg
これだけ早池峯神社に人がいるのは、久々だ。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_15460756.jpg
さて、遠野早池峯神社の次は、盛岡の早池峯神社へと向かう。もうこれが数年来の正月行事になっている。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_16292433.jpg
そして必ず、酒を奉納している。この酒を奉納しているのは、遠野早池峯神社と盛岡早池峯神社、そして遠く宮崎県は高千穂の瀬織津比咩を祀る社へだ。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_16310737.jpg
達曽部から大迫にかけて車で走っていると、かなりの猛吹雪に見舞われた。こうしてみると、遠野早池峯神社だけが晴れているのは、奇蹟的な事に思えてしまう。盛岡早池峯神社までの道路も、それなりに雪があるのだが、凍結はまったくしていない。走っていて、タイヤががっしりと雪をかんでいるのがわかる。逆に遠野早池峯神社周辺の、ガチガチの凍結道路は、それだけ早池峯周辺が異世界である事を実感してしまう…。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_16311746.jpg
盛岡早池峯神社に到着した。しきりに雪が降っている。
令和二年一月一日(2020年)あけまして、おめでとうございます。_f0075075_16312682.jpg
参拝後、いつもの通り宮司さんに酒を届けて、新年の御挨拶。これが果たして、いつまで続くのだろうか。聞くと宮司さんも、肺の病気で数日前まで入院していたらしい。風琳堂氏も、肺癌でこの世を去った。また知り合いの瀬織津比咩を護って来た人物も、胸からの病気で、若くしてこの世を去っている。自分も肺を患っているので、瀬織津比咩に関係する者は胸の病気になりやすいのか?などと思ったりしてしまう。いや新年早々、こんな事を書いて申し訳ない。とにかく今年もマイペースで、いろいろわかった事を、このブログで書いて行こうと思う。新年、あけましておめでとうございます。

# by dostoev | 2020-01-01 16:48 | 民宿御伽屋情報

白山様トイウモノ…ついでに今年最後の御挨拶をば。

白山様トイウモノ…ついでに今年最後の御挨拶をば。_f0075075_16491750.jpg
土渕町に"白山様"という小高い岩山があり、この白山様に登り、長者を祈願すると長者になれたという伝説の岩山でもある。昔は上流の沢水をこの白山様の岩山の上に流し、人工的に滝にして水を流していたという。その滝をイメージしても、雄大であり綺麗であったろうと想像できる。ただ、その滝を単なる景観を良くする為に、人為的に滝を作ったのだろうと当初は、簡単に思っていた。しかし"長者祈願"を結び付けて考えた場合、登竜門の疑似体験場としての白山様では無かったか?と思えた。

古代中国の後漢書「李膺伝」に、黄河の上流に竜門という激流があり、その下に多くの鯉が集まり、殆どは急流を登れないが、もしも登ったら竜になれると伝える。それが転じて、立身出世の為の関門を、登竜門と言うようになったのが一般的な話となる。つまり、この岩山である白山様に流された滝というのは、登竜門を意図的に作り出し、それから立身出世=長者という貧しい民が長者を志す指標となったのかもしれないと考えてしまった。そういう意味では、単に登るのではなく滝が落ちる険しい場所を登ってこその登竜門であったのだろうか。

ただ一つ解せないのが、何故ここが"白山様"と呼ばれているのかだ。考えられるのは、白山信仰が被差別民と結び付いているという事と関係するのではなかろうか。被差別民というと、真っ先に穢多非人という言葉が思いつくが、古代の蝦夷もまた被差別民であったという事。白山信仰は、東日本、特に日本海側に多く分布している。そして西日本の白山信仰の分布は、俘囚として連れて行かれた蝦夷の集落と重なる事からも、白山様は虐げられた被差別民である蝦夷の信仰と重なるのではないかと推測する。更に付け加えれば、蝦夷の長であった奥州藤原氏そのものが、白山を強く信仰していた事も、後押しするだろう。

早池峰山中腹にある御金蔵は、白山にも同じものがある。元々早池峰山の名称などは、白山を意図して作られているのは、「白山大鏡」によれば、翠ヶ池に現れたのは、九頭竜であり瀬織津比咩であった。当初白山を支配したのは天台宗であった事から、妙見神の化身が九頭竜である事から、早池峯と白山の信仰が重なる。いや重なるというものではなく、本来同じものであった。恐らく、白山に祀られている姫神が、後から早池峰に祀られたのかとも思える。奥州藤原氏の信仰の重きが、白山と早池峯にかかっているのは、偶然では無いだろう。水沢の正法寺では白山・早池峯・熊野が同体として信仰されているのも、元の龍神であり滝神が同一神である事を意図してのものだろう。

白山様と呼ばれる小高い岩山に登り先端から遠望する先には、早池峯が聳える。その早池峰の女神は、東和町から花巻市にかけて「一生に一度だけ、無理な願いを叶えてくれる神」として伝わっている。この無理な願いを叶える内容の話は、「泥棒を守護する神トイウモノ」に書き記した。その"無理な願い"に、貧し民が切望する長者祈願が入っていたとしても、何等不思議ではないだろう。ともかく白山様は、直接的に龍神であり滝神である早池峰の女神に祈願する場所としてあったのだろう。
白山様トイウモノ…ついでに今年最後の御挨拶をば。_f0075075_16460181.jpg
今年の遠野は暖かく、昨日の午後から降っていた雨も雪に変る事が無かったが、今日の午後からは、その雨が雪に変化してしまった。上の画像は、夕方に撮影した遠野駅前の画像です。見て分かる様に、雨が雪に変わり、うっすらと白くなってしまった。ただ今年最後の日に、雨が雪に変わったのは、よく捉えれば、この記事に書いた様に鯉が龍に変化した吉兆と考えるべきかもしれない。この不景気の時代、来る年に向けて白山様であり早池峯の神に、豊かでゆとりある生活を祈願して、今年を終えたいものと思います。さて皆さま、今年はどうもありがとうございました。ブログも諸事情から更新の頻度が遅くなってはいますが、来年も続けて行こうと思いますので、どうぞ応援よろしくお願いします。それでは皆様、良いお年をm(_ _)m

# by dostoev | 2019-12-31 18:55 | 「トイウモノ」考

山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)

山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15010613.jpg
高清水山の次には、耳切山へ行ってみた。何というか、高清水山よりも麓の雪が多く残っている感じ。溶けてはいるのだが、車で走っていると氷をガリガリと潰して走っている様だ。これは、方角と日照の問題からだろう。高清水山方面よりも、耳切山方面の道は、確かに陽当たりが悪い。雪の量は途中までは、高清水山の方があるように思える。耳切山は、雪の表面が融けて凍りになって、パリパリになっている。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_16232540.jpg
高清水山と同じに、山の作業車両が走っているらしく、画像の様に場所によっては、雪が溶けている箇所もちらほら。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15005428.jpg
遠野盆地が見渡せる場所にも、問題無く車で来る事が出来た。まあここまでは、車の通った跡があるので大丈夫だろう。問題は、ここより更に上の方。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15004009.jpg
耳切山の牧場へと差し掛かったが、少し走ると、車の走った跡が、雪で埋もれつつあった。最近は、これより先に、車は来ていないようだ。これより少し進んでみたが、もう限界だった。それでも、遠野盆地が見渡せる場所までは、明日以降も行けそうなので、最終的にはそこで初日の出も拝めるだろう。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_16325836.jpg
ちなみに2012年の正月は、ここから初日の出を拝んだ。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15012783.jpg
ところで帰り道、白鳥が飛来していて、田んぼに集まっている姿を見つけた。そういや時期的には、とっきに来ていておかしくはない。ただ自分が気付いていないだけだった。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15013593.jpg
気になったのは、灰色交りのグループと白色だけのグループが別れていた。その他大勢の白色白鳥グループを、灰色交り白鳥グループが眺めていたのは、仲違いでもあったのだろうか?

# by dostoev | 2019-12-30 16:38 | 遠野体験記