遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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熊の話(其の二)

熊の話(其の二)_f0075075_09342456.jpg
X(旧ツイッター)を見ていると、熊が里に降りてきて害をなしているのは、山に設置されたメガソーラーの影響もあるという書き込みをいくつも見かける。それは果たして、どうなのだろうか。

平成6年(1994年)に、遠野の水光園行われた「日本ツキノワグマ集会in遠野」の情報によれば熊の胃袋の中身の90%以上は、ドングリなどの木の実だという。つまり、主食のドングリなどの木の実が不作、もしくは伐採された場合は、熊の主食が無くなるという単純な構造が理解できる。X(旧ツイッター)では、熊が里に降りてくるのにメガソーラーの設置は関係ないだろうとの否定派もそれなりにはいる。しかし単純に、メガソーラーを設置する為に熊の主食であるドングリのなる樹木を伐採すれば、それだけで熊に対する影響は、かなりあるだろう。

クワガタの話で恐縮だが、クワガタは毒素を持つ針葉樹には生息できない。ドングリなどがなる広葉樹があってこそ、クワガタの生息圏となる。ところがその広葉樹が伐採されて針葉樹が増えれば、限られた広葉樹地帯へとクワガタも密集する。するとまず始まるのが、クワガタの小型化だ。一本の木に沢山のクワガタの幼虫が密集すると、幼虫同士が近づくたびに顎をカチカチ噛んで警戒音を発する。そのストレスが続くと、早くその木から脱出しようとサナギ化が始まる。じっくり育つ環境があれば、かなりの大きなクワガタに育つのだが、小型化したクワガタを目撃するという事は、環境の破壊(広葉樹の減少)が起こっているものと理解できるのだ。遠野市でも、平成の半ば過ぎまで「植樹祭」といえば杉の木を植えていた歴史がある。平成の初期頃に、遠野の山々でクワガタ採集をしてまわったが、やはり懸念していたクワガタの小型化は始まっていたと思える。それと比例するかのように、平成6年に絶滅の危機に瀕しているツキノワグマに対する集会が行われている事からも、ドングリのなる広葉樹は、かなり無くなっていたのだろう。生物の絶滅は、乱獲によるものではなく環境破壊が一番の要因だからだ。
熊の話(其の二)_f0075075_16252484.jpg
「遠野物語」には、熊の話が殆どない。狼や狐、もしくは猿などが多く登場している。これだけ存在感のある熊が、何故に「遠野物語」に登場しないのか。それは、里の人々が熊を目撃する事が殆ど無かったものと考えてしまう。江戸時代となり、狂犬病が日本に上陸し、今まで山の奥で鹿などを捕食していた狼が、狂ったように人や馬を襲うようになった。それ故に、まず馬を保護する為に曲がり家が普及した。更に、三峰様を祀る(信仰)と狼除けとなるとされれば、一気に三峰様を祀るようになった。江戸時代の記録によれば、関東から東北にかけて一番日本鹿が生息していたのは、遠野の東に聳える五葉山周辺であったよう。それに伴い、その鹿を捕食する狼も、また多かった。和山方面には廃村になった場所がいくつかあるが、目につくのは「三峰様」の石碑だ。和山は五葉山にも近いために、狼もかなり生息していた事だろう。それに伴い、三峰様の石碑が多いのも、当然の成り行きだろう。ともかく、人間に害をなす獣は、ある意味神として祀られる。その根底には「祟らないでください(襲わないでください)」という意識があるからだ。遠野界隈で唯一、熊を祀っている神社は上記に示した画像。川を渡って参拝する、熊を祀る山神社だ。とにかく狼や狐に比べて、これだけ熊を祀る神社が少ないのは、熊が山奥に棲んでいて、人里には殆ど降りてこなかったからだと考える。
熊の話(其の二)_f0075075_17234498.jpg
一昨年の遠野新聞にも此記事を載せたり。上郷村の熊と云ふ男、友人と共に雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分して其跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてゝ熊に抱へ付き雪の上を転びて、谷へ下る。連の男之を救はんと思へども力及ばず。やがて谷川に落入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打執りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

                          「遠野物語43」
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「遠野物語43」に、熊の話が登場する。そこには六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたればと記されている。また現実に、この話を紹介した遠野新聞には山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出しと書かれている事からも、山の奥にこそ熊は棲んでおり、滅多に人里に訪れる事は無かったものと思える。江戸時代など、飢饉が頻繁にあっても、熊が人里に降りてきて害をなしたとの話が殆どない。平成の初期に、やはり飢饉があった。岩手県では、人間が食べれる米が出来なかった。その年に、わたしの住む家から歩いて10分もかからない場所に、光の園幼稚園がある。そこに熊が出没し、残飯を漁っていたと聞いた。そう、江戸時代の飢饉でも熊は里に降りてこなかったが、平成の飢饉時には、熊は人里に降りてきていたのだ。これはつまり、山の豊かさが江戸時代よりも平成時代が、より失せていた可能性があるだろう。
熊の話(其の二)_f0075075_04582269.jpg
街中での熊の被害が相次いでいる秋田市では、熊一頭の駆除の報奨金を以前よりも増額し、1万円を支給すると発表している。吉田政吉「新・遠野物語」を読むと、熊は昔から大変お金になるもので、狩猟民の間で重宝されたらしい。なので山役人の許可を受け熊を獲り、礼銭という名目の税金を支払わなければならなかったようだ。熊の胆をお金に換えて、一年寝て暮らした猟師もいたという事である。それだけ熊は、お金になった。しかし時代が現代となり、熊を一日一頭駆除し、30日間続ければ給料が30万円貰えると考えた場合、昔の相場とはかなりかけ離れているのが理解できる。果たして、現代での熊駆除の適正相場は、いくらであろうか。
熊の話(其の二)_f0075075_07480693.jpg
神として祀るという話をしたが、熊を神として崇めていたのはアイヌが有名だ。局地的であるが、熊野大社がある紀州では、熊は熊野権現のこの世に現れた姿とみなし、熊を捕獲すると熊野権現を祀っている社の屋根の茅が一本抜けるという可愛らしい俗信があるようだ。また別に、熊が殺されると雪が降るとの俗信もある。

嘉禎年間(1235年~1238年)に記された「諏訪上社物忌令之事」によれば、熊は諏訪神が人界に現れる仮の姿だから、熊肉を諏訪神へ供えてはならないと記されている。神とは、人前にそんなに頻繁に顕現するものではない事からも、諏訪地域でも熊が人里に降りてくるのは極稀であるのがわかる。また昔話などには多くの動物も登場するが、これだけ強烈な個性をもった熊が、殆ど昔話には登場していない。皆が知っている有名な話は、せいぜい「金太郎」くらいだろうか。つまり、それだけ一般庶民には認知されていなかったと考えられるのは、やはり滅多に人里に降りてこなかった事が理由にあげられるのではないか。遠野界隈では、狼除けや鹿除けの呪い(マジナイ)は聞くが、熊除けの呪いは聞かない。
熊の話(其の二)_f0075075_08065614.jpg
寛政十一年に記された「日本山海名産図会」によれば、飛騨から日本海側にかけての熊猟は、山の奥へと入り込みまず熊穴を見つけてからの熊猟のよう。熊と対峙して槍で突くのだが、その際に「お前の秘密を知っている、月の輪!」と大声をかけるそうだ。それは、熊が胸に秘めた月輪(ガチリン)の秘密を暴かれたと思って怯むとされ、その隙に槍で突くのだと。その掛け声は、熊の魔力を弱めるものと信じられていたようだ。魔力を弱めるといえば、岩手県沢内村では熊は化身の者だから、捕った熊の両目を抜き取って山に捨てよと伝わるのは、熊の目玉は死んでも撃ち取った者を見ていて祟りをなすので、その祟りを避けるための秘法であるそうだ。この祟り除けの秘法は、あくまでも一般庶民に伝わっているものではなく、マタギなどの狩猟者に伝わっているものである。
熊の話(其の二)_f0075075_08453068.jpg
話が少々逸脱したが、熊が里に降りてくる要因に、メガソーラーなどの環境破壊は当然あるだろう。ドングリのなる山の木が伐採されれば、熊は現存するドングリの木へと集まる。そこには当然、熊同士の力関係も発生するだろう。例えば、たまに遠野の町に現れるはぐれ猿も、単独で里に降りてくる牡の日本鹿も、争いに負けている筈だ。豊かな山があれば、熊同士の餌の争いの果てに里に降りてくる熊も、少しはいなくなる筈だ。とにかくツキノワグマは一度、絶滅の危機を迎えていた。その要因は、やはり山の木の問題、餌の問題だった筈。日本は、戦時中に東京が焼け野原となり、その戦後の復興に沢山の樹木が伐採されて運ばれたという。遠野の周辺の山々に牧場となっている山が多いのも、その影響を受けている筈。そして財産になるからと戦後、伐採された山々には杉の木が植林されたが、現代では単価の安い輸入材が主流となっている為に、放置された杉林が多い。とにかく、ドングリのなる木が伐採されて熊の餌が不足になり始めたのは戦後からだろう。それが平成の時代に差し掛かった頃に、ツキノワグマが絶滅の危機に瀕した事実がある。それでも立て直して、ツキノワグマが増えたのだが、やはり牧場だけではなく、スキー場やゴルフ場。最近ではメガソーラーと野生の熊の領域を、人間が利潤追求の為に開発している。仏教が導入された奈良時代以降、寺院作りに励んだ日本は土砂崩れが頻繁に起きるようになり、平安の末期には山の木の伐採禁止令が発布された。しかし現代は、そこまでの思い切った政策を打ち出せないまま、山に関してはほぼ放置となっているようだ。確かに、熊は恐ろしい。しかしその恐ろしい熊も、山の奥に潜んでいた状態であったならば、今ほどに熊に対して大騒ぎする事は無かったろう。山と里、熊と人との境界があった、そういう世界が、過去の日本にあったという事だ。

# by dostoev | 2025-10-31 09:25 | 動物考

細越(遠野市上郷町)

細越(遠野市上郷町)_f0075075_09190033.jpg
森下年晃「星の巫(かんなぎ)縄文のナビゲーター」では、細越は星の地名だと認定している。その理由が、星の付く地名「星越」に「細越」が沢山あるという理由らしい。つまり「HOSHI」と「HOSO」は転訛の流れがあり、共通地名と考えているようだ。ただ気になるのは「胡四王神社」などの「胡四(KOSHI)」は、越の国の「越(KOSHI)」でもあり、一説には「星王(HOSHIOU)」の転訛ではないかとも云われる。それは胡四王神社の殆どが北を向いている事から、北辰と関係があるのではと考えられているからだった。つまり両方合わせれば、「細越」の原型は「星星」という事にもなろうか。

森下年晃「星の巫(かんなぎ)縄文のナビゲーター」では、星地名や細越地名は全国に沢山あるとは記しているが、名字も含めた「細越」は、殆ど北東北に分布している。また名字としての「細越」の県別ベスト3は、青森県・岩手県・北海道となっている事からも、細越の地名や名字の殆どは北東北から北海道にかけて分布しているようだ。更に細越名字の市町村別分布のベスト5を挙げれば、青森県八戸市・岩手県宮古市・岩手県盛岡市・岩手県遠野市・秋田県鹿角郡小坂町と殆ど南部氏の関係地域である事から、南部氏が関わっているのでは?と考えてしまう。ちなみに鹿角郡も南部藩時代には、南部藩領となっていた。

ところで、遠野市上郷町細越地域をGoogleマップで検索したのが、上記の画像となる。旧国道283号線沿いに仙人峠(遠野側)まで続く地域となるが、その面積の凡そ9割近くが山だというのが理解できる。
細越(遠野市上郷町)_f0075075_10561396.jpg
遠野市には「細越」と同じように、「越」を使用した地名に「小田越」が遠野市の南北に二つある。その「小田越」だが、辞書によれば「小田」とは、「小は接頭語で田んぼを意味する」と説明されるが、遠野の小田越は、田んぼには関係の無い山の奥にある。小田治「黄金秘説」によれば、修験の言葉で「おだ」とは「鉱山を掘る」意であるという。聖武天皇時代、奈良の大仏の金が足りなくて困っているところに、現在の宮城県の遠田郡から金が見つかり、奈良の大仏が無事に完成された。その遠田郡は、それ以前は小田郡であったようだ。また「小」「ササ」とも読み、「砂金」を意味する。これらから遠野の南北にある小田越とは、産金に関係した道筋を意味しているように思える。何故なら北の小田越の先は霊峰早池峯が聳え、始閣藤蔵が金を見つけたらお宮を建てると約束した山でもあるからだ。また南の小田越も、火石金山への道筋となる。

森下年晃「星の巫(かんなぎ)縄文のナビゲーター」では「細越」を星地名と認定しているが、その星もまた産金と関係あるのは以前、何度も書き記した「日本書紀纂疏」の一文から、星と産金の結びつきを感じる。

然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と
為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と
曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、
春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為
す。日分かれて星となる。

故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること
明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。


「古事記」では、火之迦具土神が伊弉諾によって首を切られた後に誕生したのが、山の神である。どうやら細越、そして小田越は、根底に星を意識した金の散気満ち溢れる山への道筋のようである。
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ところで先に南部氏の名が登場したが、南部氏は甲斐源氏の流れをくむ氏族である。仏教民俗学者の五来重によれば、「甲斐源氏を研究するには、山伏を切り離して本質は窺い知れない。」と述べている。また「修験道と金は密接な関係にある。」とも述べている事からも、遠野市上郷町の細越の殆どの面積が山で覆われ、それが仙人峠へ続く金の道筋のように思える。それはつまり、根底に星を意図しながら産金への道筋を示す地名ではないかとの憶測が成り立つのではないか。平安時代の末期、武士が台頭して武力によって資源を蓄え密教に帰依して鉱山を保護し、自らも修験者となっていったのが甲斐源氏であり、その中の一つの氏族が南部氏である。「星の巫(かんなぎ)縄文のナビゲーター」の著者は、「細越」は縄文語と考えているようだが、恐らく南部氏が命名した地名ではなかろうか。この細越地区には、由来に南部氏の影響を受けている日出神社があり、南部八景に数えられる片岩がある事からも南部氏の影響を感じる道筋でもある。

# by dostoev | 2025-09-28 12:41 | 遠野地名考

遠野不思議 第九百四十四話「くねくね」

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昭和時代には聞いた事のなかった「くねくね」という怪異、平成の世となって突如として現れた。恐らく誰かの創作だろうという事だが、口裂け女同様令和の世となっても、その存在は生きているようだ。正直「くねくね」というものがどういうものかよくはわかっていない。ただ、"白いくねくね動くもの"という存在の話は、以前聞いた事がある。
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これは、平成初期の頃の話。名前は憶えていないが、私の経営する民宿に大学生の男の子が二人が2泊程度の予定で宿泊した。その大学生二人は、続石へと行く途中、鳥居に気付いて続石手前の愛宕神社も、ついでに訪れようとした。ところが社近くまで辿り着くと、何やら白っぽい影のようなものがくねくね動いている。初めは誰かが掃き掃除をしているものだと思ったそうであるが、どうも様子がおかしかったと。一緒にいた友達は、なんとなく恐ろしくなったので帰ろうという事で帰ったそうな。

二人で話し合ったところ、結局愛宕神社の神官さんが本殿前を掃除していたのだろうという事で、翌日再び綾織の愛宕神社へと向かったそうな。そして社に近付くと、やはり昨日と同じに白い影みたいなものがくねくね動いていたそうな。そこで目を凝らしてよく見たが、やはり人では無く、白い影だったのであったという。宿に帰ってきて、「続石手前の神社で、こういうの見たんですが、あれなんですか?」と聞かれたが、私が答えれる筈も無し。ただ今となっては、「くねくね」というものに似ているので紹介しようと思う。
# by dostoev | 2025-08-17 08:03 | 遠野の妖怪関係

本当は恐ろしい卯子酉神社

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かなり昔に「卯子酉神社(血の呪法)」という記事を書いた。その後、補正の意を込めて「冥界との縁結び」という記事を書いた。今回は、後に分かった事を付け加える補助的な記事となる。

この卯子酉神社の前身は、倉堀神社であり水神を祀っていた。
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遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。その傍の小池には片葉の蘆を生ずる。昔はここが大きな淵であって、その淵の主に願を掛けると、不思議に男女の縁が結ばれた。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せたともいっている。

                        「遠野物語拾遺35」
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「遠野物語拾遺35」に書かれている通り、当初は"淵の主"、つまり水神に願をかけていた事になる。ところで「遠野物語拾遺35」を読んで気になるのは、卯子酉の祠の傍らの小池に片葉の蘆が生ずるが、その理由が記されていない。「片」とは「不完全」を意味する漢字である。また「片葉」は「かたわ」にも通じる言葉であり、縁結びには程遠いように思えるが、それが独身者という片者であれば、納得はする。ところで長沢利明「片葉の葦」を読むと、全国の片葉の葦の伝承地の殆どが、悲劇を伝える話が付随している。長沢利明氏は「片葉の葦」の地をこう表現している。

「おおいなる悲しみと悔しさ、そして恨みと怨念が込められた地、非業の死をとげた者たちの御霊のさまよう地。」

全国的に見ても、片葉の葦の伝承地には恐ろしいイメージがあるようだ。この情報からも、以前書き記した「冥界との縁結び」の裏付けの後押しとなる。また民俗学的に、片葉の植物は神霊であり心霊を乗り移らせる呪具とされる。そして、片葉の植物が生じる場所は、呪具を採集する場所として神聖な土地と考えられるようだ。では、その呪具とはなんであろうと考えた時、思い浮かぶのが"赤い布切れ"である。
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ところで話は飛ぶが、以前「池之端(其の二)」という記事に、遠野の池端氏の伝承を紹介した。そこにも片葉の葦の話がある。

昔、池端の家の先祖が遠野にやってきた時、敵に追われて川岸まで追い詰められていた。その時、川に鮭が溢れるようにやってきて、その上を渡って危難を逃れる事ができた。また、鮭の背を渡って向こう岸に辿り着いた時、川辺の葦を掴んで岸に上がったので、それ以来片葉の葦となったという。それが、倉堀の卯子酉神社の片葉の葦であるという。(池端寛1927年生まれの話)
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上記の話は、池端家当主の話した内容を、当時の遠野物語研究所の方が書き記したものである。私は「池之端」という記事で池端氏は、古代の豪族秦氏の流れではないかと書いた。とんでも説と呼ばれる「日ユ同祖論」がある。それによれば、秦氏はユダヤ人の流れを汲んでいるという。その秦氏と葦は、深くかかわる。ヘブライの民にとって「東方の日出づる国」は「天国」を意味し、その大地であるカナンと呼ばれる地は「葦の原」を意味するという。つまり、遠野の池端氏の祖が命からがら助かった卯子酉神社の地は、ヘブライの民にとっての「天国」でもある「葦の原」であっただろうか。

その秦氏と物部氏は、結びつく。物部氏は、聖徳太子の時代に戦に負け逃げ延び、その一部の物部氏が逃げ延びた先が秋田県であり、秋田物部氏は有名である。そして、遠野にも、その聖徳太子の時代でもある奈良時代の遺跡から「物部」と書かれた須恵器が出土している事から、遠野にも物部氏が逃げ延びてきているのがわかる。また秦氏は、平安京を造った後に用無しとなり、桓武天皇に追われてやはり全国に逃げている。その秦氏の一部の人間がたどり着いたのが、遠野の琴畑ではないかとの話もある。

秦氏と同族でもある物部氏は、呪術に長けていた。その物部氏には、十種神宝(とくさのかんだから)と呼ばれるものがあり、その中に三つほど「比礼」が含まれている。比礼とは、女性のスカーフのようなもので、首からかける布切れである。宗像のみあれ祭りで使用される白い布切れは、水を意図しているようだ。滝を「瀑布」と表現するように、風にたなびく白い布切れは、水を意図しているのは理解できる。では、赤い布切れは何であろうか?
当初、赤色は血の色と考えていたが、卯子酉神社での作法である「左手だけで赤い布切れを結ぶ事とが出来れば、縁が結ばれる。」は本来、男性限定の作法である。女性は右手でやらなければならない。何故なら左手(ひだりて)の「ひ」は、男性を意図する「火」「陽」を意味している。古代中国の皇帝の玉座は南に面しており、常に北を見据えていたのは陰陽のバランスを取るためであった。南は陽であり赤色で、男性を意味する。北は陰であり黒色で、女性を意味する。その赤と黒が交われば紫となり、至高の色となる。それ故に、遠野の卯子酉神社は、男性を意図する赤い布切れを使用して、男性が女性との縁を願う地という事になろう。ただしその女性とは、その卯子酉の地に埋葬された女性の可能性が高い。そのことに関しては「冥界との縁結び」で書いた。

鎌倉時代に、天武天皇の墓が暴かれ、頭蓋骨が盗まれるという事件があったらしい。何故に頭蓋骨を盗んだのか。それは恐らく、呪術を行う為だったと推測されている。呪術に効果的な頭蓋骨とは、一に宗教者の頭蓋骨。次に高貴な者の頭蓋骨であるそうだ。天武天皇の頭蓋骨は、高貴な者の頭蓋骨に属するだろうが、また別に天武天皇は奇門遁甲に長けていたという事から、はた目からは呪術を使うものとして宗教者とも思われていたのではないか。それ故に、その頭蓋骨は貴重な呪術のアイテムとなったのだろうか。

ところで赤い布切れだが、それが物部氏の比礼と同じ呪具だとしても、比礼よりも小さく大きさが違う。しかし呪術には、いろいろな概念があり、それを効果的に大きくするには、小さな思いが籠ったものを沢山合わせて一つの呪具にする方法がある。要は、一人の想いが籠った比礼一枚より、一枚一枚に一人一人の念が籠った小さな比礼を沢山集めて一つの比礼にする方法。それが卯子酉神社の赤い布切れに合致する。遠野の卯子酉神社には、全般的に男性よりも多くの女性観光客が集まり、それぞれの念を込めて赤い布切れを結ぶ。しかし本来、男性が女性との縁を結ぶ方法であるから、遠野の卯子酉神社で行う女性観光客のその行為は、逆の効果となる呪術である。「冥界との縁結び」と重なるが、恐らく卯子酉神社に人柱として埋葬された独身の女性宗教者との縁を結ぶ呪法となっているのではなかろうか。
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猿ヶ石川は、早池峯(厳密には薬師岳)を源流とする川である。その猿ヶ石川で気になるのは、「遠野物語55話」の冒頭。そこには、こう書かれている「川には河童多く住めり。猿ヶ石川殊に多し。」。河童は、遠野だけでなく岩手県内にも多く、その話を残している。悪戯をするだけなら可愛いのだが、人を川に引きずり込んで殺してしまうという話もかなり多い。その猿ヶ石川にある河童淵の一つに、穴あき淵がある。河童に引き込まれた人間の死体は、その穴に入るという伝承だが、それ以外にも釜淵や鍋ヶ淵と呼ばれる淵がある。民俗学的に、鍋や釜は非業な死を遂げた者を意図している言葉でもある。宮城県の塩釜神社にも、どうやら誰か隠された者が祀られているらしい。遠野の中で一番河童が棲むとされる猿ヶ石川だが、その「猿ヶ石川の河童」にもやはり人柱なり、人の死を含む暗喩となっている可能性があるのではないだろうか。
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「遠野の民は、死んだらその魂は早池峯へ昇る。」という俗信がある。その早池峯の神は、水神であり、また山神でもある。古代中国では、この天の川を「霊魂の集まり帰るところ。」「霊魂昇天の道」とし、日本にも伝わっている。これは「万葉集(巻三 四二〇番歌)」「…天の川原に出で立ちて禊てましを高山の巌の上にいませつるかも」において、天の川は死者があの世へ行く為の道であり、そして川であり、禊する場所と信じられていたようだ。そう、天の川とは"祓川"でもあった。天の川は、南から北へと流れるように伸びている。早池峯の神を祀る来内の伊豆神社に夜に行き確認した事だが、早池峯が見えない伊豆神社から早池峯の方向を確認するには天の川の流れゆく先が早池峯だと思えばよい。その天の川が、早池峯への道筋だが、もう一つの道筋は猿ヶ石川である。猿ヶ石川の語源は様々な説があるが、恐らく妙見神でもある早池峯を意図しているのではないかと考えている。それは妙見とも結びつく「見ざる言わざる聞かざる」の猿の庚申の石碑が、猿ヶ石川沿いに多く見かけるのと関係しているのではないか。

そしてまた、その早池峯の山頂手前に、賽の河原と呼ばれる地があるが、本来は祭礼の河原であり、神々が集う地であったそうだ。それはつまり、出雲神でもあるという事。神無月は、出雲に神々が集まり人々の縁を結ぶ会議が行われるとされているが、早池峯の神こそが出雲大神であるから、縁結びと関係が深い。恐らく、卯子酉神社の前身である倉堀神社に祀られていた水神とは、早池峯の神ではなかったろうか。

# by dostoev | 2025-08-16 18:21 | 民俗学雑記

慰霊の森での思い出体験

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今から30年くらい前の事だったか。岩手県に「ふうらい」という季刊誌の雑誌があった。その雑誌の編集長と知り合いになり、ある日「御伽屋さんで、遠野怪談夜話をしませんか?」と言われた。結局怪談作家でもある平谷美樹さんをゲストに迎え、夏のある夜の日に「遠野怪談夜話」が行われる事となった。

御伽屋の一階フロアに外部の人や、宿泊客なども参加し飛び入りの怪談話も飛び交い、無事に終了。しかし、怪談話にあてられたのか、宿泊客3名がそのままフロアに残って雑談が始まった。そうしているうちに、誰かが「そういえば、岩手県には慰霊の森という有名な心霊スポットがありますよね?」と言った。すると他の宿泊客も興味深そうに慰霊の森の話に聞き入っていた。そんな中、誰かが「行ってみたい!」と言い始め、他の宿泊客も興味津々に賛同し始めた。自分もまた気持ちが盛り上がってしまったので、「それじゃ今から行きますか。」と言ってしまったのは、もう夜中の12時頃の事だった。
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雫石にある慰霊の森の入り口に到着したのが、夜中の2時過ぎだった。慰霊の森へ行く階段があり、さてその階段を登ろうかという時、「ゴォ~~~ッ!!!」という今にも着陸しようと近づいてくる飛行機の轟音が響き渡っている。誰かが、「この時間に飛行機って、飛んでました?」と言った。私は「夜中でも、自衛隊機がかなりの上空を飛んでいる事はあると思います。」「ただ、この辺には飛行場は無いですし…。」と言いながら時間を確認した。夜中の「2時5分」だった。その慰霊の森へ行く階段の右手に、日航機墜落事故の詳細が記してある看板があった。その看板を見ると、日航機の墜落は「2時5分」と記されており、誰かが「エーッ!!!」と声を上げると共に、背筋にゾゾッと寒気を覚えたものだった。ただ日航機の墜落は、昼間の2時5分であり、夜中の2時5分ではない。しかし単なる偶然と片付けるには、不可解な飛行機の轟音だった。その後に、階段を上って行ってみたが何もなし。それから宿へと帰った頃には、空も明るくなっていた。

# by dostoev | 2025-07-05 10:59 | 民宿御伽屋情報