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早池峯神社への初詣(2026.01.01)![]() ![]() #
by dostoev
| 2026-01-01 17:12
| 遠野情報(雑記帳)
岩手県に歴代総理大臣が多い理由の俗説![]() 岩手県を南部藩とした場合の、全国一位というものがある。それは、百姓一揆の多さである。だいたい江戸時代になってから明治維新までの間に起きた百姓一揆は、伊達藩で5件である。ところが南部藩においては、153件も発生しているのは異常である。その根底には飢饉があるものの、百姓一揆の発生には、藩の失政が大きかったようだ。 例えば享保十二年から三つの村の地頭であった南部藩士の四戸氏は、私生活と藩の役目を務めるが、生来が横暴で贅沢で失費が多く、35年に渡りその肩代わりを農民に押し付けていた。例えば御用金の申付けは、多い時は一年で5、6回(享保三年、文化四年、十二年)も徴収していた。また文政四年には法外な税金を命じ、反対農民からは土地を没収。南部藩内でこういう統治が行われていれば、自然と農民達から「伊達藩へ移りたい」という声が聞こえてきたそうである。 ところで、南部藩を小馬鹿にした有名な話がある。伊達藩と南部藩との境界を定めようと、夜明けと共に各々、その定めようとする地域へと向かい、落ち合った場所を境界に定めようした。ところが、伊達藩は早い馬に乗ってきたが、南部藩は歩みの遅い牛に乗って来た為に、かなりの境界を損したという話を昔からよく聞いていた。これが作り話というのは理解できるが、どこから発せられた話かと考えた場合、恐らく南部藩の内部の民衆から出てきたのではと思ってしまう。何故なら、南部藩の圧政に苦しみ伊達藩の優良さに憧れた民衆の抵抗の一つとして作られた話と思ってしまうのだ。 ここでは153件も起きた百姓一揆の背景を紹介しようとは思わない。ただ江戸時代から、南部藩が統治した約260年余りに発生した153件もの百姓一揆には、必ず数多くの百姓を束ね指導する者達がいた事実がある。その指導者たちは、南部藩に百姓一揆の代表として罰せられ、処刑されてきた。それにも関わらず、常に百姓一揆の指導者を輩出してきた歴史が、南部藩であり岩手県の人々の中に存在していたのではないか。日本一多かった百姓一揆の歴史から岩手県民の中に脈々と受け継がれたものが、歴代の総理大臣を輩出した根底にあるのではないかとの俗説があるようだ。
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by dostoev
| 2025-12-31 12:00
| 民俗学雑記
遠野の要石トイウモノ![]() これらとはまた別に、伊能嘉矩は「猿ヶ石川流域に於ける不地震地帯」において、「古事記」を引用し「多芸志之小浜」の地も要石のある不地震地帯ではないかと述べている。この多芸志之小浜とは、出雲大社の鎮座する地である。 「大倭日高見の國を安國と定め奉りて下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ」 早池峯の神名が登場する「大祓祝詞」に、上記の一文がある。簡単に訳せば、安定した地盤に神社を立て神を祀り、この国を治めるという事。出雲大社もそうであるように、神社が建立される地には、古代から安定した地盤が求められている。遠野の13か所の不地震地帯でも、殆どが神や仏を祀る地となっている。 もう一度、上の図に戻るが、何故に早池峯神社を中心に放射状に広がっているような図にしたのかというと、基本的に要石は神社の敷地内に置かれているものであると理解できるからだ。その遠野の13か所もの要石の中で、一番古くに要石伝承があっただろうと想定できるのは、やはり遠野で一番古い早池峯神社であろう。それ故、早池峯神社を中心とし遠野郷全体に、地震の来ぬ地が制定された可能性はあると思う。何故なら、遠野七観音の制定も似たようなものであろう。十一面観音の中心が早池峯神社であり、それを遠野郷にさらに分布させたが最後は、早池峯へと帰結する流れ。言葉を換えれば北極星である早池峯の周りを回る北斗七星のようなものが、遠野七観音か。また、岩手県内にいくつもある三女神伝説もまた早池峯へと帰結する事からも、北極星の様に常に中心となるのは早池峯である。そう、常に早池峯が信仰の中心となっていると思ってよいだろう。 ![]() ![]() 「大倭日高見の國を安國と定め奉りて下つ磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安國と平けく知ろし食さむ國中に成り出でむ」 この冒頭の「大倭日高見の國を安國と定め」とあるのは、大和国が蝦夷国の別称である日高見国の平定を述べている。養老二年(718年)に室根山周辺の地域を平定するために、紀州熊野から熊野大神である早池峯の女神が運び込まれた。早池峯の女神は、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる天照大神荒魂でもある。 「日本書紀(神功皇后記)」で三韓征伐に出航する前「和魂は王身に服ひて壽命を守らむ。荒魂は先鋒として師船を導かむ」とある。「住吉大社神代記」でもほぼ同じ事が記されているが、その注釈に「荒魂は現魂の意があり、外に進み現れ出て神威を顕現する魂なり。」と説明されている。確かに、椿大神社に合祀されている石神社に伝わる「石神社略縁起并古書」では、倭姫命が、この霊巖は太神宮荒魂を奉斎し"石太神"と唱え、暫くした後に天照大神も影向したとあるから、どうやら天照大神荒魂は、先導神のようでもある。先んじて、戦も含めその場の穢祓をする存在であると考えて良いだろう。実際にその後の文に「荒魂を撝ぎたまひて、軍の先鋒とし」とある事から、まさに戦の先人に立ち、神威を持って敵を威圧する為の荒魂であろう。 崇神天皇時代、疫病が流行ったのは神の祟りと考えられ、祀っていた天照大神の神霊を込めたとされる御神体の八咫鏡を豊鍬入姫命に託したが、その後倭姫命へと託され各地を彷徨い、伊勢へと至った。ただ、近江雅和「記紀解体」によれば、崇神天皇から離れ遷座の地を求め彷徨ったとされる旅の面々を見る限り、それは武力平定の移動であったろうと述べている。それは天照大神荒魂の性質から、彷徨ったのは天照大神の和魂ではなく、荒魂と考えた方が良いだろう。恐らく各地の武力平定の旅であったろうと想定できる。そしてそれは、蝦夷国である日高見国でも同じ事が行われたのだろう。明確な記録として残っているのは、室根山だけであるが、遠野の早池峯に祀られのも、そういう流れがあったものと想像できる。 ![]() 「古事記」において、倭建命が詠んだ歌がある。 倭は国のまほろば たたなづく青垣山籠れる 倭しうるはし 「青垣山籠れる」とは盆地であり、遠野盆地のような地形を意味する。ところで、この倭建命と倭姫命は、甥と叔母の関係である。同じ一族として同じ想い、同じイメージを共有していた可能性は否定出来ないだろう。その倭姫命の血脈がどこまで続いたのかはわからない。遠野盆地の北に聳える早池峯に天照大神荒魂を祀る事にした経緯は、未だ謎。ただ、この倭姫命や倭建命の意識が脈々と受け継がれていた場合、遠野盆地の北の早池峯に天照大神荒魂を祀り、遠野盆地全体を素晴らしい伊勢の別宮「とおの宮」として考えられた可能性もまた否定できないだろう。倭建命の歌を少々変えれば、こうなるだろう。 遠野は国のまほろば たたなづく青垣山籠れる 遠野しうるはし
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by dostoev
| 2025-12-05 16:46
| 「トイウモノ」考
呪術人形![]() 実は現在の宮古市に属する地にも、山口村があった。その山口村の天保年間の記録「山口村肝入文書」には、こう書かれている。
「山口村では盗みに困り果て、見せしめの藁人形を辻に立て、三日三晩竹槍で突かせたが、盗みは増えるばかりで効き目が無かった。」 どうやら人形は、盗人に対して使用する呪術に用いてものであったよう。ただ逆に遠野の山口村では、「遠野物語拾遺71話」に記されているように、村内で盗難に遭った場合、三峰様を衣川から借りてきて利用している。宮古市の山口村では、村外部の人間に対しての呪術に人形を利用し、遠野の山口村では村内部の人間に対し、三峰様を利用していた。ただ、この人形の利用に関してだが、宮古市の山口村だけの話であっただろうか。 「小山田の秋葉部落の、大洞坂と花見石山の境の小道を通り、山屋の鳥鳴田(となきだ)前に通ずるところに長根があり、その長根の左右に人間大の藁人形が多数祀られ、道ゆく人に異様な感じを抱かせたものだった。それも数年も経た藁人形が頬冠りのまま朽ちかかってグニャリと路に倒れていると、ほんとうの人体が腐れかかっているみたいで不気味であり、小雨の夜などは女、子供などは通れない寂しいところであった。」 この東和町の長根の人形は、呪いの習俗であったそうだ。例えば何かを盗まれれば、その盗人に似た藁人形を作り、呪う箇所へ竹槍や釘を打ち込んだそうである。その実際に行われた呪術の目撃譚が記されている。 満州事変の頃に、果樹園から大量の果物が盗まれたそうである。その犯人の凡その見当が付いた為、部落民でその盗人に似せた藁人形を作り、氏神の秋葉神社に部落民一同が集まり、盗罰顕現の大祈祷をなし、藁人形を長根に立て、部落民全員で竹槍で突いたそうである。その呪術の三日後、呪われた男は馬から振り落とされて大腿骨骨折の重傷を負い入院したそうである。それが人形長根での呪術の最後であったようだ。 ![]() #
by dostoev
| 2025-11-21 07:13
| 民俗学雑記
熊の話(其の二)![]() 平成6年(1994年)に、遠野の水光園行われた「日本ツキノワグマ集会in遠野」の情報によれば熊の胃袋の中身の90%以上は、ドングリなどの木の実だという。つまり、主食のドングリなどの木の実が不作、もしくは伐採された場合は、熊の主食が無くなるという単純な構造が理解できる。X(旧ツイッター)では、熊が里に降りてくるのにメガソーラーの設置は関係ないだろうとの否定派もそれなりにはいる。しかし単純に、メガソーラーを設置する為に熊の主食であるドングリのなる樹木を伐採すれば、それだけで熊に対する影響は、かなりあるだろう。 クワガタの話で恐縮だが、クワガタは毒素を持つ針葉樹には生息できない。ドングリなどがなる広葉樹があってこそ、クワガタの生息圏となる。ところがその広葉樹が伐採されて針葉樹が増えれば、限られた広葉樹地帯へとクワガタも密集する。するとまず始まるのが、クワガタの小型化だ。一本の木に沢山のクワガタの幼虫が密集すると、幼虫同士が近づくたびに顎をカチカチ噛んで警戒音を発する。そのストレスが続くと、早くその木から脱出しようとサナギ化が始まる。じっくり育つ環境があれば、かなりの大きなクワガタに育つのだが、小型化したクワガタを目撃するという事は、環境の破壊(広葉樹の減少)が起こっているものと理解できるのだ。遠野市でも、平成の半ば過ぎまで「植樹祭」といえば杉の木を植えていた歴史がある。平成の初期頃に、遠野の山々でクワガタ採集をしてまわったが、やはり懸念していたクワガタの小型化は始まっていたと思える。それと比例するかのように、平成6年に絶滅の危機に瀕しているツキノワグマに対する集会が行われている事からも、ドングリのなる広葉樹は、かなり無くなっていたのだろう。生物の絶滅は、乱獲によるものではなく環境破壊が一番の要因だからだ。 ![]() ![]() 「遠野物語43」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「遠野物語43」に、熊の話が登場する。そこには「六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば」と記されている。また現実に、この話を紹介した遠野新聞には「山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出し」と書かれている事からも、山の奥にこそ熊は棲んでおり、滅多に人里に訪れる事は無かったものと思える。江戸時代など、飢饉が頻繁にあっても、熊が人里に降りてきて害をなしたとの話が殆どない。平成の初期に、やはり飢饉があった。岩手県では、人間が食べれる米が出来なかった。その年に、わたしの住む家から歩いて10分もかからない場所に、光の園幼稚園がある。そこに熊が出没し、残飯を漁っていたと聞いた。そう、江戸時代の飢饉でも熊は里に降りてこなかったが、平成の飢饉時には、熊は人里に降りてきていたのだ。これはつまり、山の豊かさが江戸時代よりも平成時代が、より失せていた可能性があるだろう。 ![]() ![]() 嘉禎年間(1235年~1238年)に記された「諏訪上社物忌令之事」によれば、熊は諏訪神が人界に現れる仮の姿だから、熊肉を諏訪神へ供えてはならないと記されている。神とは、人前にそんなに頻繁に顕現するものではない事からも、諏訪地域でも熊が人里に降りてくるのは極稀であるのがわかる。また昔話などには多くの動物も登場するが、これだけ強烈な個性をもった熊が、殆ど昔話には登場していない。皆が知っている有名な話は、せいぜい「金太郎」くらいだろうか。つまり、それだけ一般庶民には認知されていなかったと考えられるのは、やはり滅多に人里に降りてこなかった事が理由にあげられるのではないか。遠野界隈では、狼除けや鹿除けの呪い(マジナイ)は聞くが、熊除けの呪いは聞かない。 ![]() ![]() #
by dostoev
| 2025-10-31 09:25
| 動物考
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