遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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遠野不思議 第八百七十五話「程洞」

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以前、「遠野物語拾遺140(程洞稲荷由来)」の記事で、この程洞の地に住み、医療をしてきた宮家の話は書いたが、この程洞に至る事を書いていなかった。

宮家は、最後の男当主であった宮康氏が生前、宮家は阿曽沼氏の一族で、阿曽沼氏没落後、この程洞で密かに暮していたと述べていた。宮氏には元々祖先伝来の系図があったが、明治元年私有財産制度確立に伴う縁故払下げが行われた時、程洞稲荷神社付近の払下げを願い出、系図の写しを他の願書に添えて青森大林区署に出したところ、系図を写しでは無く元本を送れとなり、写しは返されたそうな。されから祖先伝来の系図を送ったところ、不幸にして大林区署の火災と共に焼失してたしまった。

阿曽沼氏として最後の殿様であった阿曽沼広長は、失意のうちに仙台で亡くなったというが、その広長には義政という子供がおり、隼人と称していたという。その後、隼人は倉掘と姓を改め気仙より山を越えて、眼下に鍋倉山の横田城を望む程洞山に密かに住み始めたと云う。いつの日か、再び阿曽沼の復興を願っていたが、いつしかその願いも失せ、道義という人物の代になってから姓を宮と改めて程洞山を下り、六日町に住み、明治に至るまで医者として南部氏に召し抱えられたのだと。ただし別に伝わる話では、弘雲の代に山を下りて新町に移り住んだとされる。「遠野物語拾遺140」に登場する"こうあん様"とは、この弘雲であろうとされる。
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また別に、五百羅漢は一般的に飢饉で死んだ人達を供養する為に作られたとされるが、本来は阿曽沼氏の一族を供養する為に自然石に彫られたとの伝説もある。ただ五百羅漢を彫った人物が、怨み深い南部氏の菩提寺であった大慈寺の住職義山和尚である事から、何やら皮肉めいて聞こえる伝説でもある。逆に思えば、南部氏が貶めた阿曽沼氏が怨霊とならぬように五百羅漢が彫られたとしても、辻褄は合うだろう。
# by dostoev | 2017-12-22 11:55 | 遠野不思議(伝説の地) | Comments(0)

「現代遠野物語」 第百十四話(遠野の忠犬ハチ公)

昔、女子師範学校を出た女性が教師となり、遠野の町から青笹小学校へと通勤していたそうな。その女性になついでいた飼犬も、毎日行き帰りを一緒について行ったそうな。その頃の遠野は、まだ舗装道路では無かった為、女性は換え足袋を持って通勤していたが、気付かぬうちの足袋を落しても犬が探して拾ってくれる程の犬であったと。

そのうち女性は花巻に転勤する事になり、下宿生活になる為、犬を両親に預けて引っ越したのだと。ところが急に飼い主がいなくなった犬は、それでも飼い主に逢えるのかと毎日青笹小学校へ通い、夕方に帰った来る日々を過ごしていたと云う。ある日の事、やはり青笹小学校へ行った日の夕方、首が曲り足を引きずりながら犬が帰って来た。恐らく誰かに、殴られるか蹴られでもしたのだろうと。その日から犬は、食べ物を全く口にしなくなり、そのままとうとう死んでしまったそうである。当時、電話も無い時代、その状況を飼い主であった女性に知らせる事も、なかなか出来なかったよう。あとで帰省し、その事を知った女性は「何と可愛そうな事をした。一緒に連れていけば良かった。」と、今でもその犬の事を思うと、涙がこぼれるという。
# by dostoev | 2017-12-21 11:48 | 「現代遠野物語」110話~ | Comments(0)

「現代遠野物語」 第百十三話(闇に消えた女性)

山田さんは、釜石から遠野行きの列車に乗っている最中、小佐野を過ぎた頃からうとうとと眠ってしまったそうである。ふと眠りから覚めたのは、仙人峠を過ぎたあたりであったと。すると誰も居なかった筈の座席の前に、24、5歳くらいの美しい女性が座っていたそうだ。その車両は殆どガラガラの状態で、何故自分の前に、女性がわざわざ座ったのか理解できないでいたという。話しかけると、自分と同じ遠野まで行くのだと。遠野に到着し、改札口まで自分の後をついて来るので、ついつい夕食を誘ったらOKされたのだと。楽しい食事を共にして、その店の前で別れたそうだ。その美しい女性が歩く後姿を見送っていると、いつの間にか闇に溶け込むように消えてしまったそうだ。山田さんは遠野に赴任して1年は過ごしたそうだが結局、一度もその女性に逢える事は無かったそうである。今では、不思議な体験として心に残っているようである。
# by dostoev | 2017-12-21 09:21 | 「現代遠野物語」110話~ | Comments(0)

「現代遠野物語」 第百十二話(白装束の女)

大橋鉱山がまだ盛んであった頃、宮守の男が大橋鉱山で働いていた。ある日、急用が出来たので、宮守の実家に帰らねばなくなったと云う。仕事を終え、社宅に戻って準備を調え、大橋を出たのが夜の10時過ぎ。歩いて仙人峠を越えて、軽便鉄道駅を目指して歩き始めたのだと。夜中の12時を回った頃、峠の上の方にガサガサッと、落葉を踏みながら下って来る足音が聞こえたそうな。見ると、白装束の人影がそこにあったと。男は草むらに身を隠して、その人影を見たのだと。白装束の人影は女であり、髪を振り乱して、額には手鏡を付け、口にはツゲ櫛を咥えていたそうだ。初めは恐ろしくて動けなかったが、その後慌てて道では無い藪を下り、気付いたら身体が傷だらけになったまま足ヶ瀬駅に辿り着いていたという事である。
# by dostoev | 2017-12-20 16:00 | 「現代遠野物語」110話~ | Comments(0)

「現代遠野物語」 第百十一話(黒い蝶)

これもやはり、山口部落での蝶の話になる。新田某さんの祖母は、長く入院しており、亡くなる数日前の寒い冬の日に、病院の看護婦さんから「お宅の部落から黒い蝶が飛んで出たのを見たから近いわよ。」と言われたそうな。黒い蝶は、人の魂の具現化したものとも云われるが、ここでは人の死の予兆として信じられていた様である。
# by dostoev | 2017-12-20 05:05 | 「現代遠野物語」110話~ | Comments(0)

「現代遠野物語」 第百十話(予兆としての蝶)

昭和の始め、まだ土葬であった頃の話である。小雪がちらつく冬に、山口部落の老婆が亡くなった。部落中の人達が葬儀の準備を手伝う中、ある女性があるお婆さんと墓地傍にある祭壇を飾る小屋掃除を担当していた。すると、黒い小さな蝶が飛び出したので、一緒にいたお婆さんに教えたところ「ホレホレ、今、死んだ婆さんが成仏するところだ。そっと奥に送ってやれ。」と言われたそうな。しかし、その次には白い蝶が飛び出してきたそうな。それもまたお婆さんに教えると、お婆さんは驚いて「これは大変だ。何事も起きなければいいが…。」

昔から、白い蝶を珍しい場所や、珍しい時期に見ると不幸が起きると云われていたそうである。その蝶の出来事のあった五日後に、同じ部落の青年が自殺したという。まさにその時の蝶は、不幸の予兆であったようだ。
# by dostoev | 2017-12-19 20:13 | 「現代遠野物語」110話~ | Comments(0)

遠野不思議 第八百七十四話「上郷の獅子踊り」

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下郷に対して、上郷の獅子踊りの元祖は、松崎村駒木の角助と云う人になっている。

今は昔、この角助は遠野南部氏に仕えて鎗持ちをしていた。或る年の事、領主がお伊勢参りに出かけたのであるが、角助もまたこれに従った。旅の途中、遠州の掛川に着いた。そこには偶々大きな祭典があり、まことに賑やかであった。殊に勇壮にして珍奇なる踊りが、衆人の目を引いた。その踊りこそ、獅子踊りであった。鎗持ちの角助も之を見ていたが、興に乗じて帰るのも忘れて終日見ていたので、遂に領主の一行と別れてしまった。夜になって宿を求めたが、一晩中心配し通しで、眠る事が出来なかった。翌朝、宿の主人に事情を打ち明けて相談した。すると主人は、こう述べた。

「あなたが今になって、主人の行列に借りに追いついたとしても、罪は決して軽くならないで、かえって罰せられるだけだろう。それならば、その踊りを覚えて国へ帰り、この踊りを組織して、改めて領主に事情を話して謝ったなら、或は許す事もあるであろう。」

角助は宿の主人の教えに従って、決然意を堅くし、槍を宿主に託して、其の翌日から踊りの教えを受け、三年有余の年月を経て故郷へと帰った。

角助は領主へ事情を訴えて謝ったが、領主も偉い人で罪を問わず、直ちにその踊りを見たいと旨を申された。角助は喜んで居村であった駒木の若者を集め、数ヶ月にして習熟し、上覧に供した。領主は思いのほか喜ばれて褒美を与え、更に領内に広めるようにと仰せを出し、各村々にも伝わったとされる。従って別名を角助踊りとも云い、その時踊った場所を角助の踊り場として、今に伝えられている。

                        「上閉伊今昔物語」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回紹介した「下郷獅子踊り」の続きでもある。しし踊りは現在の遠野に13団体があり、分派もあれば、独自に伝わったとの由緒もあり、正確にどうして遠野にしし踊りが伝わったのかは、不明であるようだ。私は角助とは、しし踊りの踊りををまとめた人だと、漠然と覚えていた。だから、この伝説を読んでも、ぴんとは来なかった。このしし踊りの由来は、あくまで「上閉伊今昔物語」に掲載されている伝説の一つとして読んで欲しい。

下郷としての綾織のしし踊りだが、伝えによれば中宿の金成という屋号の家の祖先が宮城県の金成村のしし踊りを伝えたという。その後、中宿だけではなく、日影や砂子沢にも伝わったが現在は、一つにまとまって活動していると云う。また、綾織の山口では、かってしし踊りがあったが、飢饉に連動して、それから踊られなくなったとの伝説もある。

例えば小友町の長野しし踊りは、西来院を開創した興庵篤隆和尚に同行してきた現在の一関の東山五書が、慶長二年(1597年)に子孫繁栄を願って伝えたそうだが、その遠野のしし踊りが、釜石の小川町に伝えられ今でも踊られている事から、しし踊りの魅力が岩手県の人々の心をとらえ、あちこちに広がっているようである。そして現在でも、しし踊りを習いたいと云う人達もいる事から、しし踊りの連鎖は、今でも続いているようだ。こうなってくると、しし踊りの元祖とか本家とかは、どうでもよくなってくるものだ。とにかく、古来から人々を魅了し熱狂させた踊りがしし踊りであり、それを垣間見た者達が、まだ伝わっていないオラが村に伝え広めてきたのだろう。その枝葉が無数に広がったのが、今に至っているのだと思える。
# by dostoev | 2017-12-18 17:13 | 遠野不思議(伝説) | Comments(0)

遠野不思議 第八百七十三話「下郷の獅子踊り」

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昔、綾織の新里に六助という者がいた。どうしたはずみか、カマドを返して村に居る事が出来なくなり、旅へ出たと云う。どこをどう旅しているかわからないまま、今の静岡県まで行ったそうである。ところが眼前に、大きな川が行く手を遮ったそうな。ただ橋はあるにはあったが、制札があり、そこには橋銭を支払って渡る旨が書いてあった。見ると橋守はおらず、橋銭を入れる箱が一つあるだけであった。六助は、はたと困った。無一文であったのである。暫く待っていると、橋守がやって来た。六助は事情を話し、一句詠むから渡らせてくれまいかとお願いした。橋守も気の毒に思い、許してくれたと云う。

家で 鍋かけかねて 旅かけて 又掛けかねる 掛川の橋

六助はこう詠って、橋を渡らせてもらった。橋を渡らせて貰ったが、無一文では旅が出来ないので、この掛川の農家に奉公したのであった。ところが、この掛川にはまことに勇壮にして面白い踊りがあった。これが所謂、獅子踊りであった。六助は農家に奉公している間に、この踊りを覚えてしまった。六助は、カマドを返して村に迷惑をかけたので、この踊りを村の人々に教えて、村の人達の明日への糧にしようと、綾織の生まれ故郷に帰って伝授したと云われている。それ故、獅子踊りの別名を掛川踊りとも云うそうである。その踊り場は、小枕山の裏側のシザンと云うところで、其処は草の生える暇が無かったと云う事である。  

                        「上閉伊今昔物語」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在の遠野市には、上郷町はあっても下郷町は無い。遠野の町には、上組町があり、下組町がある。それ故に、上郷町という町名だけが浮き出ているように思っていたが、どうやら綾織町を別に"下郷"と呼んでいたようである。

「竃(カマド)を返す」とは、竃は台所にあるものだが、それが財産だと転じて考えられた。そのカマドがひっくり返る事とは現代で言えば倒産であり、自己破産である。昔は、村単位の共同体でもあった筈だから、やはり同じ村の人達に、迷惑をかけたのだろう。

またこれは「上閉伊今昔物語」に紹介されている話だが、気になったのは橋銭の代わりに詠んだ歌が、三・七・五。七・七という歌になっており正しい形を成していない。出だしの「家で」は、もしかして別の言葉が削られていたのかとも思う。

小枕山は、天保年間に定められた、遠野八景の一つ「小枕暮雪」と云われた山で、今の桧沢山となる。小枕は昭和時代まで草刈場だったが、今では、利用する事もなくなったようだ。年の暮れに、雪で白くなる小枕は美しいと言われ遠野八景に定められたのだが、明治時代に定められた遠野八景からは、その姿を消している。 シザンの場所は、不明。
# by dostoev | 2017-12-17 18:38 | 遠野不思議(伝説) | Comments(0)

遠野不思議 第八百七十二話「諏訪神社の埋蔵金」

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昭和になった頃の事、和賀郡土沢村から法華宗の祈禱をする巫女が毎年、光興寺周辺へ来ては、各家々を廻って祈禱していたと云う。ある時、その巫女が諏訪神社を参詣した時に、社前の左右にある樹齢数百年を経たヒバの大木を眺め「ああ、此の木の根かたに小判が累々と埋もれているのが目に映る。私に所得の幾割かくれるならば、確実に其の場所を教えよう。」と言ったそうだが、未だに誰も掘り当てた者はおらず、今に至るようだ。「山屋長次郎氏談」
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実は、この諏訪神社の埋蔵金らしきは、贋金ではないかと噂される。慶長五年、阿曽沼氏が没落の後、南部氏の統治に代わった頃は、まったく政治が行われず、他領から悪者共が遠野地域に入り込み、暫く乱れた時代であったようだ。今は地名だけ残っている光興寺であるが、元はれっきとした光興寺という寺院があった場所である。東禅寺の無尽和尚の弟子が光興寺の住職を務めていたと云われるが、阿曽沼氏の統治する時代は繁盛し、かなりの裕福な寺であったようだ。

その乱れた時代になり、ある者が光興寺の住職を騙し、資金を出させて、仙人峠の窟で贋金を造り、間道をもって釜石に通じて、船で他領にその贋金を流したという事である。しかしそれが露顕し、悪者達は捕われ、御詮議された事から、光興寺住職の関与がわかったのだと。それから、光興寺が取り調べられたと云う。寺の床下には大きな木櫃があり、その中には沢山の贋金が入っていたそうである。それから光興寺の住職は追放、寺は廃寺となった。その光興寺の地続きに諏訪神社である事から、未発見の贋金が埋められているのではとの噂もたったようである。
# by dostoev | 2017-12-16 21:02 | 遠野不思議(伝説) | Comments(4)

遠野不思議 第八百七十一話「能傳房神社別祈願所」

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遠野市小友町の荷沢峠近辺に、能傳房神社というものがある。そこは「一生に一度だけの願いを叶える」と評判の神社であった。昔、遠野の町の人達もその噂を聞き付け、どうにか能傳房神社へ行きたいと思っていたが車も無い時代の事、小友町の奥であり気仙郡の境界まで、おいそれと簡単には行けない。ところが、どういう経緯かわからぬが、遠野の柳玄寺に、能傳房という山伏が所持していた御本尊である不動明王像が伝わっていた。それからというもの、柳玄寺の奥にひっそりと祀られていた不動明王への参拝が流行ったと云う。
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観光客の間で評判になっている卯子酉神社への祈願は、赤い布切れを左手だけで結び付ける事が出来れば、縁が結ばれるとされている。実は、この能傳房への祈願も似た様なものとなっていた。不動明王像の手前に鐘を吊るしている緒があるが、祈願する前にそこに赤いすはんこ(布巾)をさげていたと云う。この風習は、どうも遠野独特らしく、古来から贄を捧げて祈願した風習を引きずっているものと云われる。何故に赤いすはんこなのかと言えば、それが自らの血を示すものであるからのようだ。

取り敢えず今回は、この能傳房神社の別祈願所を簡単に紹介したが、気になる事もいろいろあるので、後でまとめて能傳房に関する記事を書こうと思う。とにかく今回は、紹介までにとどめる事としよう。
# by dostoev | 2017-12-15 08:13 | 遠野不思議(神仏像) | Comments(2)