遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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照井さん

照井さん_f0075075_08451119.jpg
千城央「エミシとヤマト」に、阿弖流為(アテルイ)の事が書かれていた。

「山道のエミシの代表は、征夷大将軍の坂上田村麻呂に降伏し、延暦二一(802年)年に母禮とともに処刑された大墓公阿弖流為で、その本拠地は岩手県奥州市水沢の辺りにあって、実名は「照井」であったと推測されます。」

わたしは、阿弖流為(アテルイ)という名前に関しては調べる事も無く、ただ古代蝦夷独特の名前であり、単純にそうなのかと思っていただけだった。それが実名が「照井」となれば、遠野市にも何件かの照井さんがいる。遠野市の電話帳で確認すると、36件の照井さんがいた。その照井さんを悪く言うわけではないが、天平年間以降国家反逆罪を犯した首謀者は、斬首や島流しに加えて侮蔑的な姓名に改められた事から、阿弖流為(アテルイ)は「大馬鹿の頭領で安保の照井」という姓名に改められたとみられているそうである。

阿弖流為(アテルイ)という名前だが、以前に読んだ及川洵「蝦夷アテルイ」において、「アテルイ」の名前について述べていた。元は「アテリィ」という名かもしれないと。またアイヌ語で解釈しようと「アッテルイ(気前のいい)」ではないかなどと。また他には「アクルイ(弓の名人)」など、アイヌ語で試みるもどれもしっくりきていない様子。アイヌ語解釈は金田一京助「アイヌの生活と民俗」から、遠野にもかなり影響を及ぼしている。

また千城央は、他にも"照井"に関するものを示した。宮城県の迫川の昔は「照井川」だった。宮城県栗原市若柳に「照井様」という祠がある。宮城県大崎市小野田には「照井」の地名と6世紀後期古墳とみられる「照井塚古墳」。宮城県登米市南方町・東和町・東松島市赤井に「照井」の地名。岩手県一関市に「照井堰」。岩手県奥州市前沢区な「照井館」。これら照井の名のある場所から推察するに、照井は馬牧を持つと共に馬を使って船を上流に曳いていた可能性があると述べている。

この照井の元々は、物部系熟エミシに属していたとみられると述べている。坂上田村麻呂がアテルイを河内国へと連れて行ったのは物部の祖先神磐船神社の饒速日神に誓いをさせて助命嘆願させる為だったと。しかし、それも叶わず斬首され、そのアテルイの首は故郷である北へと飛んで行ったとの伝説が残っている。つまりアテルイにとっての故郷は、物部の祖先神を祀る地ではなく、東北の地であったという事か。しかし、アテルイの魂を引き継ぐ照井さんは、未だに東北に多く存在している。

# by dostoev | 2023-11-12 09:32 | 民俗学雑記

物部氏と遠野(其の二)土淵の始まり

物部氏と遠野(其の二)土淵の始まり_f0075075_18404458.jpg
土淵町の地域誌である「土渕教育百年の流れ」によれば「土渕の地名は、大字土渕小字土渕を通称土渕といって、土淵はここから出たという。ここには淵があって、常にその水が濁っており、その渕の底を見る事が出来なかったそうだが、アイヌ語で「河の穴」という意である。」と記されている。この記されている住所は、常堅寺と観光地となっている、俗に土淵の河童淵と呼ばれる場所となる。「まつざき歴史がたり」「猿ヶ石川物語」には、濁った淵だから土淵とは書かれているが、常堅寺の裏を流れる足洗川は構造上、元々は濠であったと考えられている。しかしそれでも水源はあった筈である。

「土渕」の「渕」であるが、河原ではよく禊や祭祀が行われていた。同じ土渕の小烏瀬川と琴畑川の合流地点「一の渡」は、カテゴリの遠野地名考一の渡で書いたが、一(イチ)が神子(イタコ)を意味する言葉で、河原の祭祀場があったと思われる。そして「渕(フチ)」という名の付く場合、大抵の場合禊場であった可能性を見出している。例えば、霊峰富士山は、火の山で有名になってはいるが、本来は霊峰富士(渕)山であった。天応元年(781年)桓武天皇時代に、富士山が噴煙を上げたのが最古の記録か。それから富士山は火山としての認識が持たれているが、富士の語源の本来は、その麓の水からであった。麓には奇麗な水が湧いており禊場として始まった「渕(フチ)信仰」が本来の富士信仰であった。

諏訪を調べていくと、"諏訪の春日姫"「大祓祝詞」の女神であった。それが浅間大明神であり、富士(渕)信仰と繋がる浅間信仰になる。また、知らない人が多いが、富士の山頂に"白山"があるのも、元々富士山が水を意識した山であるという事。
物部氏と遠野(其の二)土淵の始まり_f0075075_19211793.jpg
「大祓祝詞」に登場する女神とは、早池峯の姫神の事である。その早池峯妙泉寺の末寺としての常堅寺は、ある意味早池峯妙泉寺であり、早池峯山の遥拝所として建てられたのではなかろうか。その早池峯の古くは"東峯"と呼ばれたと記録にある。しかし、"東"とは太陽の昇る方位を意味する漢字である事から、それは恐らく盛岡南部の意思から早池峯を東峯と呼んでいるものと考えていた。しかしだ、物部氏を調べていくと諏訪の"守屋山を東峯"と云う事がわかった。そして物部氏にとっての東(あづま)とは、単に東の方角を意味するものでは無く、特別な意味を含んでいるらしい。

遠野の早池峯を東峯と名付けたのが南部氏ではなく、物部氏であったのならば、それは早池峯が物部氏の崇敬する山である守屋山を重ねた可能性がある。諏訪の守屋山であるが、"諏訪明神は元来守屋山から降臨する"と伝えられている事から、土淵が諏訪明神によって開発されたと伝わるのであれば、土淵の地名の発生した常堅寺の建つ一帯が、早池峯の神の降臨地とみるべきだろう。つまり言葉を置き換えるならば「諏訪明神は東峯から降臨する。」または「早池峯明神は東峯から降臨する。」である。白山中居神社の由緒も、白山の女神が降臨する地であった。それと同じ構図を持った伝承が、上郷町の中居に伝わる伝説。その伝説には南部の殿様が登場しているが、恐らく南部氏が早池峯の遥拝所である上郷町の中居の伝説に自身を組み込んだものと思える。その白山を開山したのが、物部氏の同族である秦氏の泰澄。ともかく、土渕の渕は水神の信仰であり、早池峯の神の降臨地であった可能性がある。

ところで「渕」を「水」として考えた場合、陰陽五行において「土」と「水」は相克の関係である。土が水を汚すとされるので、「土渕教育百年の流れ」「ここには淵があって、常にその水が濁っており、その渕の底を見る事が出来なかったそうだが、アイヌ語で「河の穴」という意である。」との記述はある意味、陰陽五行に則っている。ただ別の可能性として、足洗川が濠だとされるように、土によって川の水を抑制した事から土淵となった可能性もある。何故なら、物部氏の同族に秦氏がいる。秦氏は、土木作業に秀でており、平安京の治水を含めた土木作業を行っている。土渕という地名が、川を制圧した地名である可能性もあるのだろう。

# by dostoev | 2023-11-11 19:50 | 物部氏と遠野

駒木の周辺(妙見と秦氏)

駒木の周辺(妙見と秦氏)_f0075075_08445942.jpg
松崎町駒木であり、遠野馬の里の側に「マンコ長者の愛馬供養の…。」という標柱があり、その奥にマンコ長者の愛馬を祀った駒形神社(蒼前堂)がある。

駒木の周辺(妙見と秦氏)_f0075075_09404685.jpg
この駒形神社には謂れが二つほどある。一つが、マンコ長者の愛馬が倒れ供養の為に神社を建立し、旧1月16日を縁日として参拝したとの説。もう一つは、八幡太郎義家が桔梗ヶ原にて狩をしている際に、秀馬が脛を折った為にこの地に神社を建立し祀ったので「脛折り蒼前」と名付けたという、どちらも信憑性に欠ける伝説となっている。

ところでこの「マンコ」だが、現代ではいささか口に出し辛い名称となっているが、本来は目の上の女性に対する尊称であったようだ。また有名な「曽我物語」での曽我兄弟の母親の名は「満江(まんこう)」で、四国の果てまで旅をし伝説を作った事から、あちこちに「まんこ屋敷」と呼ばれる跡地があるらしい。民俗学者の松山義雄は「"まんこ"は、童子の霊の口寄せの巫女の名前であったかもしれない。」と述べている。可能性として、"まんこ"という女長者はいなかっただろうが、"まんこ"と呼ばれた高名な巫女は、この駒木の地にいたのかもしれない。この駒木の地に住んでいた巫女であるまんこの、一頭である愛馬を祀った蒼前堂であるならば、八幡太郎義家の馬を祀ったという話よりも信憑性は高くなるだろう。

駒木の周辺(妙見と秦氏)_f0075075_13483100.jpg
ところで、この駒木の地に館跡がある。「遠野市における館・城・屋敷跡調査報告書」によれば、この駒木地域では「館」とだけ伝わっており、地域を考慮して「駒木館」とはしているが、情報は一切不明としている。この報告書の調査員は、その理由として南部藩時代に「語部」を禁止した事をあげている。この語部とはつまり、敗者の伝承を禁止したという事。ここでの場合、南部氏以前に遠野を支配していた阿曽沼という事になるだろうか。しかし、それ以前となると奥州藤原氏や、その祖である安倍一族まで遡るのかどうか。ただ事実として、この駒木の地に誰かが住んでいた事が、調査でわかっている。

また、地域紙である「まつざき歴史がたり」でも「駒木の人々でさえ"駒木館"の存在を知る人は少ない。」と述べている。気になったのはその駒木館のある地形の記述だった。「後ろに高栖山を背負い」とある。これは「琴畑と妙見」でも書いたが、鷹は鍛冶の神でもあり、産金・冶金に深く関わる。その鷹をシンボルとしているのが、古代の豪族である秦氏である。大和岩雄「秦氏の研究」「河内・山城の鷹巣山。鷹尾山・鷹ヶ峰」の項で、「"鷹巣を名乗る氏族が秦氏系"であることからみても、秦氏が鷹をシンボルとしていることは明らかである。」と述べている。とにかく全国の、鷹巣・鷹尾の付く地名・山名に関係しているのが秦氏である。恐らく、駒木館の背後の山の本来の名は、鷹巣山であろう。
駒木の周辺(妙見と秦氏)_f0075075_14270258.jpg
この駒木の駒形神社の額には「蒼前堂」と書かれている。この蒼前(そうぜん)は「勝善(しょうぜん)」とも言われ、福島県相馬地方の妙見信仰は、勝善神と習合し牛馬の守護となっている。この蒼前堂の狛犬が牛であるのも、その影響によるものだろう。そして馬は妙見の化生、使徒であるともされた。

駒木の周辺(妙見と秦氏)_f0075075_14405434.jpg
恐らくだが、遠野で有名な旗屋の縫の「旗屋」も、秦氏の秦ではなかったか。「旗屋の縫物語(山の祟り)」に登場する暗い夜道に現れ、旗屋の縫を家まで導いた白馬は、暗闇から目的地へと導く星の役割を担っていた。その旗屋の縫の観音堂手前に白馬を祀る駒形社の根底は、妙見と馬との結び付きを意図したものであろう。駒木の地の蒼前堂も含め、鷹巣山など、ちらほせと秦氏の顔がチラつく。実際、阿曽沼氏が横田城を築く以前に、近くには奈良時代の遺跡とされる高瀬遺跡がある。その高瀬遺跡からは「物部」と記された須恵器が出土している事から、その物部氏の同族ともされる秦氏が遠野に来ていてもおかしくはない。いずれ言及するが、横田という名称も「横田物部」と云われた物部氏が遠野に移り住んでのものではないかと考えている。同じ、横田村である陸前高田に「猿楽」という地名があるのだが、猿楽の祖は秦氏である事からも、陸前高田の横田村も秦氏が移り住んだものと考えている。

# by dostoev | 2023-11-06 15:03 | 民俗学雑記

笛吹峠

笛吹峠_f0075075_10540426.jpg
現在「笛吹峠(ふえふきとうげ)」とは呼ばれているものの、大正時代の「上閉伊郡誌下閉伊郡誌」によれば、「吹雪(ふぶき)」が転訛されて「ふえふき」になったと云う。吹雪を意図した笛吹峠の話に、吹雪の日に峠を誤って転落し、助けを呼ぶ為に笛を吹いたが発見されず、死んでしまった盲人の話がある。
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ただ、鉱山などの金属に関係する集団と関わる地に「笛吹」という地名が付く事から、やはり世界遺産登録になった橋野溶鉱炉址を意識せざるおえない。「笛吹」は、鉄を吹く、フイゴを吹くという仕事を意図している言葉になる。フイゴを吹くという行為は、そこに伊吹を伝えるという事で、神霊との結び付きを意図する行為でもある。

北限の海女で有名な岩手県の久慈市に伝わるものとしては、海女が海面に上がって吹き出す息を「常世の風」を招く風招きの風習である。また遠野市の綾織地方では、夜に口笛を吹くと嵐を呼ぶと伝えられている。また同じように青笹地方でもまた、夜に口笛を吹くと大風が吹くと云わっている。綾織地方では、稲刈り後の稲などのゴミが溜まった頃を見計らって、夜に口笛を吹いたものだと云う。そうする事により、収穫後の汚いゴミが全て吹き飛ばされて綺麗になるからだと。だから逆に、普段の日は決して夜に口笛を吹くものじゃないと戒めているそうである。

そもそも、人間の頭という名称の発生は「天の霊(あまのたま)」であり、神霊が降りた部位でもある。その天の霊から生える「髪」は「神」でもあり、「毛」は「気」である。つまり「髪の毛」とは、「神の気」を意味している。そして天の霊の部位である口から吐き出る息は「伊吹」であり、神の霊を吹き入れる行為である。それがタタラのフイゴと連動して考えられている。「上閉伊郡誌下閉伊郡誌」「吹雪(ふぶき)」が転訛されて「ふえふき」になったという説は、有り得る話ではあるが、遠野の冬は、それこそあちこちで吹雪が発生している。となれば、吹雪を意識した地名がもっと多い筈である。しかし、この笛吹峠の「笛吹」という名を有するのは、橋野溶鉱炉址がある笛吹峠だけである事から、溶鉱炉のフイゴの風を意識した「笛吹」ではないかと考える。

# by dostoev | 2023-11-05 11:26 | 遠野・語源考

琴畑と妙見(其の四)

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菊池輝雄氏は「山深き遠野の里の物語せよ」において、「落ち武者伝説をもち」「加賀からおちのびて」とは述べているが、それを示す文献(古文書)を示していない事から、それは恐らく口伝だろうと思える。また菊池輝雄氏は、朱塗りの文化の無かった遠野に、マヨヒガ伝説を持ち込んだのは木地屋(木地師)であろうと説いている。また琴畑には長者屋敷が二か所あるという事に言及している。柳田國男もまた、琴畑の長者屋敷について「金山師の屋敷だろう。」と述べている。そして、菊池輝雄氏が指摘しているもので興味深いのが、琴畑の総本家が大向という屋号の家と"鷹巣"という屋号の家であると述べている。

この鷹巣だが、「遠野物語拾遺17」の冒頭に「小友村字鷹巣の山奥では、」と記されており、金山で栄えた小友町にも鷹巣という地名がある。鷹は鍛冶の神でもあり、産金・冶金に深く関わる。その鷹をシンボルとしているのが、古代の豪族である秦氏である。大和岩雄「秦氏の研究」「河内・山城の鷹巣山。鷹尾山・鷹ヶ峰」の項で、「"鷹巣を名乗る氏族が秦氏系"であることからみても、秦氏が鷹をシンボルとしていることは明らかである。」と述べている。その鷹巣の屋号を持つ人物が、琴畑の総本家であるという。秦氏だが、現在の京都である平安京を造ったのは秦氏によるものとされている。その平安京が完成された後、秦氏は桓武天皇に追われた。その秦氏の一部が北陸へ逃げ延び、輪島塗の祖となっている。恐らく、菊池輝雄氏の述べている「落ち武者伝説」「加賀からおちのびて」は、平家ではなく秦氏を意図しての言葉とであったと思われる。その秦氏は全国に散らばり、幡・波多・旗・畑などが付く地名には秦氏が住み着いている場合が殆どである事からも、琴畑は秦氏が移り住んだ地であるだろう。
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ところで前回、白山と早池峯が重なっている事を述べた。その白山という「白い山」の意味だが、鉱山を白山という例もある事からも、白山が単なる「白い山」では無いようである。若尾五雄「金属・鬼・人柱」において若尾氏は「白山の「白」は鉱石と関連があるのではないか…。」と述べている。

白山の頂に「御宝蔵」というものがあり、別に「権現の金蔵」と呼ばれている。早池峯にも似たようなものがあり、小田越から登っての五合目には「御金蔵」と呼ばれるものがあるのは、早池峯そのものが疑似白山でもあるからだ。白山の「白」が鉱石と関係あるとされた場合、それは琴畑渓流を遡って到達する白望山の「白」もまた、同じ意味を持つのだろう。その白望山の金沢寄りには、金糞平と呼ばれるタタラ場があった。そもそも白山を開山した泰澄は、秦氏であった。秦氏であるからこそ、白山に拘るのは当然の事である。ところで琴畑ではなく、同じ土淵の山口から登る境木峠の旧道には、白山様と呼ばれる長者祈願の小高い岩山がある。これは、琴畑の長者屋敷と重なるもので、長者=金の発見という意味になろう。これはつまり、始閣藤蔵が早池峯に向かい「金を見つけたらお宮を建てる」と祈願したものと同じであろう。
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秦氏の信仰は、白山信仰であり、稲荷信仰(伏見稲荷)であり、八幡信仰であり、愛宕信仰である。遠野には、これら秦氏の信仰していたものが数多く残っている。そしてこれらに加え、もう一つの信仰が妙見信仰である。「琴畑と妙見(其の三)」で慈覚大師円仁が海上で荒れ狂う嵐の中、妙見に祈願した事からも、海上であり水上の安全に妙見が信仰されていた。ただ、先に紹介したように遠野では、水上の安全を願って金毘羅を信仰しているのが殆どでありながら、琴畑には金毘羅の石碑が無い。しかし「遠野物語拾遺119話」でわかるように、琴畑川で木流しの仕事が行われていた。

植野加代子「秦氏と妙見信仰」読むと、秦氏は機織り、鉱物、酒などを扱う氏族であり、木地師でもあった。そしてそれら物資を輸送する手段として船も扱っていた事からも、水上の安全を願って妙見をも信仰していたようである。「日本霊異記」から、大和川流域に於いて妙見菩薩が祀られている土地には秦氏の存在が確認されている。その妙見神は、白山の女神でもあり、早池峯の女神でもある事から、琴畑の入り口で祀られていた神が、琴畑川での安全を祈願された神であったろう。その一つが、白滝神社であった不動堂の早池峯信仰。もう一つが、琴畑の入り口であり北の早池峯を向いていた地蔵端の神。これらが、金毘羅の神に代わって琴畑の水上の安全を守ってきた妙見の神であるのだろう。

# by dostoev | 2023-10-31 22:36 | 琴畑と妙見