遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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遠野不思議 第八百六十二話「迷岡稲荷社」

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迷岡地区にある、田んぼの脇の小さな社。祭神は宇迦御魂命。
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その社を覗くと、そこには翁と媼。そして、小さな子供がいた。手前には、それを護る様に左右に配置された狐。この小さな社の内部には、あたたかな情景が広がっていた。
# by dostoev | 2017-07-22 04:45 | 遠野各地の稲荷神社 | Comments(0)

遠野不思議 第八百六十一話「愛宕神社(鱒沢)」

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鱒沢にある愛宕神社だが、詳細不明。
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本殿内部には、向かって左が愛宕社。右が金毘羅社で合祀となっているようだ。
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「宮守村誌(下鱒沢地誌)」に、金毘羅神社は字沖中と字細越にあると記されているが、この愛宕神社の場所から猿ヶ石川ほ隔てた対岸の地に細越があり、神子との境界に鳥居と共に大きな金毘羅の碑がある事から、この愛宕神社に合祀された金毘羅神が祀られていた元地であろうか。字沖合は、見付けることが出来ないでいる。

金毘羅の額は明治時代となっているが、遠野の金毘羅神社の大抵は、木流しによる水難事故などから勧請された場合が大半である。江戸時代には、盛んにお伊勢講や金毘羅講が行われ、お伊勢参りと金毘羅参りに遠野の人達も大勢行ったようだ。
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本殿手前に、湧水の場所がある。恐らく御神水であるだろうが、この暑さの為か、水が涸れつつあるため、流れも無く淀んでいる。
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遠野には、多くの愛宕神社があるが、大抵は村の外れの小高い山に鎮座している。この愛宕神社も、それに当て嵌まる事から本来は愛宕神社があり、後から金毘羅神社が合祀されたのだろう。
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本殿の周辺は神の斎く目印としての松ノ木が植えられており、遠くから見ても確認できる。
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ちなみに、この愛宕山へ登ったのはお昼頃。愛宕山山頂に着いた頃、地域の望楼からの放送があり「鱒沢駅近くに熊が目撃されました。近くの方は、じゅうぶん注意してください。」と聞こえてきた…。
# by dostoev | 2017-07-21 17:08 | 遠野各地の愛宕神社 | Comments(0)

早池峯神社宵宮(2017.07.17)

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昨夜は、数年ぶりで早池峯神社の宵宮へ行って見た。
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遠野駅の上空は晴れ渡っており、これは天の川も見えるか?と思い、宵宮だけでなく天の川の撮影も考えてみた。安居台を過ぎて早池峯山方面を撮影してみると、早池峯山方面から黒い雲が広がって来ているのを確認。
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雲が気になったので、早池峯神社前を過ぎて、又一の滝へ行く途中、薬師岳がよく見える場所へと行って見た。カメラを携えて草むらに入って行くと、何やら気配を感じた。ライトを当ててみると、牡鹿がこちらを睨んでいる。ゆっくり近付いて行ったが、なかなか逃げない牡鹿だった。
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薬師岳方面を撮影してみると、やはり雲がだんだんと広がってきている。これで天の川の撮影を断念した。
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さて、早池峯神社に到着。実は車で早池峯神社に向っている最中、かなりの車とすれ違った。時間は9時に近付いているので、かなりの人達が宵宮の会場から帰路についたのだろう。
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山門をくぐり、奥の神楽の会場が見えて来たが、なんとなく人気を感じない。やはり、かなりの人達が帰ったのだろう。
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出店などを見ても、人はかなり少なかった。子供連れの人達は、夜の9時頃までが限界なのだろうと思うので、これは仕方ないか。
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神楽を見ている人達は、大勢の人達が帰った後なので、どこかゆったりとしている。
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数年ぶりに夜神楽に来て見たが、神楽に参加している人達の面子が、いつもと変っていた。いろいろとあったのだろう。
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神楽が演じられている周辺以外は、本当にひっそりとしていた。
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友達の娘も神楽を踊るとは聞いていたが、踊った後にそうそうに帰ったのだろう。
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早池峯神社を訪れた人達は、ほぼ参拝されたのか、本殿もひっそりとしていた。
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以前は、御手水のところにはライトは無かった。
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最後の演目が「権現舞」…やはり、ここまでいないと寂しいと思う。やはり来年も来て見ようか。
# by dostoev | 2017-07-18 21:29 | 遠野体験記 | Comments(2)

「遠野物語拾遺126(三面大黒 続編)」

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狩人の話では早池峯の主は、三面大黒といって、三面一本脚の怪物だという。
現在の早池峯山のご本尊は黄金の十一面観音゛あって、大黒様のお腹仏だと
言い伝えている。その大黒様の像というのは、五、六寸程度の小さな荒削りの
像である。

早池峯の別当寺を大黒山妙泉寺と称えるのも、この大黒様と由緒があるから
であろうとは、妙泉寺の別当の跡取りである宮本君の言であった。

この人の母が若かった時代のことというが、寺男に酒の好きな爺がいて、毎朝
大黒様に御神酒を献げる役目であった。いつもその御神酒を飲みたいものだと
思っては供えに行くのであったが、ある朝大黒様が口を利かれ、俺はええから
お前達が持って行って飲めと言われた。爺は驚いて、仲間の者のいる処へ逃げ
帰ってこのことを告げたが、皆はボガ(虚言)だべと言っ本当にしなかった。

試に別の男が御神酒を持って行って供えることになったが、再びその時も大黒
様は口を利かれて、俺が飲んだも二つないから、其方へ持って行って飲めと言
われたという。物言い大黒といって、大変な評判だったそうな。

                     「遠野物語拾遺126」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回、三面大黒について正しいかどうかは別にして、いろいろ考えてみた。ところで、早池峯妙泉寺の御本尊であり秘仏の観音像は、かっての別当であった宮本家で所持しているのだが、この三面大黒像があるとは聞いた事が無い。それでは三面大黒像が無いという前提の話で作られたのであれば、仏教説話としての話であったのだろうか?

江戸時代後期の町人学者、山片蟠桃(1748~1821年)は、過去の歴史上の聖山の開山及び神社建立は、私利私欲の為であると下記のように批判している。

「役小角・空海・行基・最澄をはじめ、その他の高僧、貴僧と称らせれているものは、みな無鬼のことをよくわきまえてのち、人主を欺き、権家を偽り、堂社を建てさせ、本地垂迹そのほか、さまざまの偽飾をのべて自分の私欲をはたし、開山・祖師と尊ばれて、千年の後に至っても祭祀され…。」

この山片蟠桃の批判は、当然の事であった。信仰対象である早池峯などの聖山には、本地である観音などが宿ると信じられていた。観音などは"黄金"と見立てられており、聖山は修験者から"金山"と称されていた。早池峯は岩山であるが、こういう岩山は山の精が凝縮していたと信じられ、岩は星に見立てられていた事から、夜空に輝く星が最終的に妖しく光る鉱物であるとされたのだろう。そして全国に例があるが、そういう山の岩窟には仏像を祀る信仰があったのも霊山(金山)に内包される観音(黄金)を意図しての信仰であったろう。
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「黄金→仏・観音」とされた為に、仏像を祀る事により、その聖山が"黄金を産む山"であると定められたようである。各寺院に御本尊と祀られる観音菩薩などの仏像が黄金色になっているのは、神々しさを表す為では無く、黄金そのものとされていたからであった。「遠野物語拾遺126」の十一面観音も"黄金"であった。

ではもう一度、ここで三面大黒を考えてみよう。三面の正面は、富と福の大黒天。そして左右に武力の毘沙門天と美貌と才能の弁才天の合体像が三面大黒である。毘沙門天は北の守護神であり北に聳える早池峯と重なる。弁財天は、早池峯の女神である瀬織津比咩と習合する女神でもある。そして富と福とは、黄金を内包する山そのものであろうから「遠野物語拾遺126」の三面大黒は、早池峯山そのものを擬人化して伝えているのだと思う。それ故、文中の「毎朝大黒様に御神酒を献げる役目であった。」という事は、早池峯妙泉寺での毎朝の神事であり、神前に御神酒を献上した事を伝えているのだろう。そして神前に供えた酒は、実際に神が飲むわけでは無い。神前に供えた後は、その酒を飲むのが普通であるからだ。

早池峯妙泉寺は当初、天台宗であった。三面二臂像の三面大黒天は伝教大師が天台宗と寺門興隆の為、比叡山延暦寺に祀ったのが初めで、その霊験があまりにも大きい事から全国に広がったと云う。その流れから、早池峯妙泉寺にも三面大黒の霊験が伝わり、それがいつしか早池峯と重ねられ語られて来たのではなかろうか。山を大黒様とする逸話は、葛城山にもある。役行者が葛城山で修行中に、大黒天が山頂に現れ、役行者に対し、孔雀明王の法を授けたとある。それから修験道を開いて大黒天の像を彫って葛城山に安置したと云う。この伝承もまた、葛城山は大黒天そのものであると伝えているかのよう。そして、それ以来、川の流れの中に大黒天の像と見える小石が流れると云う話が伝えられるが、その大黒天の石とは鉱石の事を指しているようだ。やはり山片蟠桃の批判は、的を射ていたのであろう。

また「遠野物語拾遺126」では、その三面大黒を"三面一本脚の怪物"と称しているが、一本脚とはつまり、一本蹈鞴であろう。一本踏鞴(いっぽんだたら)とは、日本に伝わる妖怪の一種として伝えられ、熊野の山中に棲む、一つ目で一本足の姿の妖怪とされるが、地域によって伝承内容には違いが見られる。熊野の一本蹈鞴は「猪笹王(いささおう)」と呼ばれるが、本来は「イタタ」の音が転じて「イササ」になったものだとされている。「イタタ」は但馬系の蹈鞴族であり、大和政権が成立していく過程で、東北へと移住したと伝えられる。熊野修験の関係は東北の地にも多く来ており、もしかしてその修験者の中に但馬系の蹈鞴族がおって、この話を伝えたのではないかとも思える。始閣藤蔵が「金が採れたらお宮を建てる」と約束したのが早池峯であった。早池峯で金が採れたという話は聞かないが、早池峯そのものが、この遠野盆地全体の山の主であるからこそ始閣藤蔵は、その主に祈願した。その主である早池峯に多くの熊野修験が集まって、遠野における新たな信仰の流れから出来たのが、この「遠野物語拾遺126」ではなかったか。
# by dostoev | 2017-07-17 16:51 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(2)

天斑駒

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荒川高原に、青白い斑駒がいる。斑駒というと思い出すのは「日本書紀」で、素戔男尊がいくつかの罪を犯している。その一つに「秋は天斑駒を放ちて、田の中に伏す。」 またもう一つに「又天照大神の、方に神衣を織りつつ、斎服殿に居しますを見て、即ち天斑駒を剥ぎて、殿の甍を穿ちて投げ納る。」という二つの罪に、何故か天斑駒が登場している。天斑駒は、天界に棲むという斑毛の馬とされ、ほぼ空想上の馬と云う事になっている。ただ「日本書紀」の天斑駒は「ごま塩柄だ。」とも云われるけれど、正確な描写がないので、どういう斑模様なのか、よくわからない。ただ白馬は、神の乗る馬とされるので、その白馬の斑柄なら、天斑駒のイメージに近いのか?とも思える。
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白馬の斑(ブチ)というと、競馬界のアイドルホース"ブチコ"を思い出すけれど、この馬はどちらかというと、ヨハネ黙示録第6章第8節にあらわれる、死を象徴する青白い馬のイメージに近いか? アガサ・クリスティ「蒼ざめた馬」は、タリウムによる毒殺の小説だったと思うが、その死の象徴としてヨハネ黙示録に登場する蒼い馬がタイトルに採用された様だ。
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顔を見れば、アイドルホースのブチコと比較して、とてもアイドルホースではなく、やはり不吉なヨハネ黙示録に登場する蒼ざめた馬の方にイメージが近いと感じる。もしも荒川高原へ行ったら、この不思議で奇妙な柄の馬を見つけてみてください。
# by dostoev | 2017-07-13 06:25 | よもつ文 | Comments(0)

ボナリ考

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画像は母也明神。実は、この母也明神について「注釈 遠野物語拾遺(上)」の解説に、興味深い事が記されている。

「綾織町新里根岸の屋号を日光という家に不思議な伝承がある。日光家は鈴木姓である。昔、参宮の帰りに杖にしてきたヒバの木を、上下を逆にして立てておいたところが根付いて育った。枯れかかっているが、今でも水田の中に目立った林となってある。その鈴木家から松崎矢崎に行ったイタコがあり、矢崎でも鈴木を姓としていて、そこで母也の伝承が始まった。」「解説より抜粋」

「遠野物語拾遺28」は母也明神の話が紹介されているが、柳田國男「妹の力」では、宮城県や岩手県にいくつかある"ボナリ石"を文書には"巫女石"と書いていると紹介している。となれば恐らく遠野の母也明神は、音の「ボナリ」に後から「母也」とあてたものではなかろうか。

また柳田國男「山島民譚集二」では、八百比丘尼であり白比丘尼について書かれているが、そこに「この比丘尼が訪れてきて箸を立てたり、杖を突きさして去った跡に大木が成長したという伝説の語られる地域が見られる。」と記されている。これは解説に紹介されている鈴木家の伝承に重なる事から鈴木家は、この比丘尼の信仰を携えた家系ではないかと想定される。ここで思うに「遠野物語拾遺28」と「注釈 遠野物語拾遺」の解説で交錯するキーワードは「ボナリ」「白」「杖」「鈴木」であると思われる。

「遠野物語拾遺28」は、大同年間の頃とされているが、「注釈 遠野物語拾遺」の解説では、参宮した時代と考え合せ、そんなに古くない時代だと考えているようだ。まあ実際にもしも大同の頃であるなら、それは丁度坂上田村麻呂によって蝦夷が平定されてすぐの頃となり、まだ稲作は行われていなかったろう。恐らく遠野で本格的な稲作が始まったのは、阿曽沼時代からではなかろうか。

ところで「ボナリ」を「巫女」と捉えた場合、六角牛山にも六角牛の神が与えた"巫女石"というものが伝わる。少し前に「河童の座石」の記事を書いた。この「河童の座石」の詳細が「まつざき歴史がたり」での「猿ヶ石川物語」の中に記されていた。早池峯の麓、又一の滝から始まった石が下流へと流れ広まる様を、子供向けの民話の様な語り口で書いている為、誰もが作り話だろうと思いそうだが、かなり注目したい内容である。それは「谷内権現縁起古老伝」に記されている「当に今此石を以て礫に擲げ、其の落ち止まる地を以て我が宮地と為すべし。」という文章から発生した下記に紹介する「逃げ石」の伝承というものがある。

昔早池峰山に、白髭が膝まで届く老翁が住んでいたという。或る時の事、この老翁が小石を足で蹴り落とし、早池峰山を下っていったという事である。ところが、この石の取り除かれた所から、水が湧き流れ出て、今の猿ヶ石川になったと云う事である。この老翁が蹴り落とした石は、綾織の根岸の里で動かなくなったと。それを確認した老翁は、そのまま再び早池峰山に帰ったのだという。しかしその石は不思議な事に、その土地から逃げ出し、一夜のうちに和賀郡丹内村のヤツアナのガコに行って止まったと云う。今でもその石はその淵の中にあって、権現頭のような形をして、常に早池峰山を睨んでいるという事である。

和賀郡丹内村のヤツアナのガコとは、丹内山神社の事であった。丹内山神社は早池峯山の方向に向いて建立された神社で、その間にある瀬織津比咩を祀る滝沢神社が丹内山神社の神が顕現したところとされている。つまり丹内山神社も早池峯山に関する神社という事である。そして丹内山神社の石がそれ以前にあった地が、綾織の根岸という事になる。ボナリ石が巫女石であるなら、それは逆に信仰を伝えた巫女が住みついた場所に巫女石の伝承が出来たとも考えられる。柳田國男「玉依姫考」を読んでいると"神が石を生んだ"とする信仰が深く根付いていたようだ。そしてその石は、更に石を生むと。全国的には、熊野または伊勢より携えた石が子を生む話が広がっている。「猿ヶ石川物語」にも石が三分割になった話が紹介されているが、その中の一つは子供の石であった。その母親である石は、猿ヶ石川の落合の女ヶ渕へ行ったとあり、その石を守ったのは河童とある事から、落合の河童座石と重なる。そしてその母親の正体は、白蛇という事だ。ここでも白色が登場する。
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画像は、矢崎の猿ヶ石川沿いにあり、ひっそりと佇む巫女の墓。

鈴木家に伝わる伝承が白比丘尼系に属するものである様だが、その正体は恐らく熊野の歩き巫女であるのだと思う。まず鈴木という姓だが、今では日本で一番多いとされる姓の一つとなっているが、その発生は熊野であり、熊野三党の一人が鈴木氏となる。その熊野三党の由緒が記されている「三党縁譜」には、こう記している。「人皇十代崇神天皇六十五年熊野神邑に行幸ましませし時路の危難に惑ひ給ふ。国霊日女一形の手には水晶の玉の器を持ち給ひ…玉の鈴を祭りあげて鈴木氏の紋(榊の枝に鈴なり)」ここには熊野三党である宇井氏、榎本氏、鈴木氏の家紋を紹介しているが、その大元となるのは日女神が手にしていた水晶、つまり霊石から作られたという事。熊野の歩き巫女もまた霊石の伝承を携え、地方へと散った可能性がありそうだ。その中の一人が、綾織の根岸に辿り着き、鈴木を名乗ったとしてもおかしくは無いだろう。その根岸の鈴木家から出た巫女が矢崎へ行っても鈴木姓を名乗るという事は、鈴木姓が大事であったと思われるのも、全てはその発生が信仰を携えた熊野の歩き巫女であったからではないか。母也明神の年代が大同という説だが、大同年間は早池峯神社の建立された時代と重なる。熊野の本宮神は早池峯大神と同体の可能性は、「瀬織津比咩祭」でも書いたが、その本宮神の祀られている早池峯山の麓に、熊野の歩き巫女が集まっても不思議では無いだろう。その中の一人が、綾織根岸の鈴木家であったのかもしれない。そして恐らく母也明神が大同年間と伝えられたのは、早池峯神社の建立年代が混同され伝わったものではないだろうか。

川原で巫女は、水神に対する祈願をしたという。その巫女の装束は、白装束であった。「遠野物語」や「遠野物語拾遺」に伝わる川の大石に乗る白装束の女とは、熊野の歩き巫女の可能性が高い。「白い石は死に石」という伝承は、死への旅立ちを意識した巫女や山伏の白装束からきているものではなかろうか。白装束は、死に装束でもあるからだ。「猿ヶ石川物語」にも、川の主に娘を捧げる話がある。また陸前高田の瀬織津比咩を祀る舞出神社には、遠野から来た娘を川の主に捧げている。現代よりも、更に恐ろしいと思われていたであろう川は、常に死への旅路に繋がると考えられていたのではないか。琵琶湖の俵藤太の伝説もまた、川底に竜宮の入口があり、そこにも早池峯の神がいた。娘が嫌がる事無く川の主に身を捧げるのは、その竜宮へと入れるという希望があったのかもしれない。これは平安末期の末法思想に近いものではなかろうか。進んで入水するのは現世に落胆し、死んで浄土へと向かい、魂の救済を受けようとした末法思想の感覚に近いような気がする。

今回「遠野物語拾遺28」の作り話のような伝承が、実は様々な事を教えてくれるのだと感じた。
# by dostoev | 2017-07-12 07:09 | 民俗学雑記 | Comments(7)

荒川高原で(2017.0709)

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荒川高原に、馬だけでなく牛も放牧され、活気が戻って来たように感じる。馬は毎年放牧されていたが、牛は去年あたりからポツポツと。一時は、放射能問題で肉牛の放牧がなされていなかったが、どうにか以前の荒川高原に戻りつつあるようだ。
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馬がゾロゾロと、行列を作ってある場所に集まっていた。
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景色でも眺めに来たのか?と思って確認すると、実は柵があり、これ以上前に進めないようだ。
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廻りを見渡すと、いくつか集団行動をしないはぐれ馬も、若干いた。
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ふと気付くと、タヌキが現れ、こっちに向ってくる。少しして、こちらに気付いたが、慌てる様子もない。このタヌキ、この後も逃げるわけでなく、自分の居る場所の周辺を、うろうろと移動していた。
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夜の7時頃になると、月が昇って来た。まあ当初から、月を撮影する予定だったけれど、だいたいこの辺から昇って来るだろうと思っていた場所と違う場所から登って来た。
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七夕の後だったが、今回は月の出と重なるので、天の川の撮影は諦めて月の撮影にとどめた。
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最後に、牛と月のツーショットで帰路についた。
# by dostoev | 2017-07-10 10:49 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

ミヤマクワガタ♂の保護

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ふと気付くと、ミヤマクワガタの♂が、ノッシノッシと店内を歩いていた。誰かに踏まれたり、家の猫に見つかるとヤバイので、飼育ケース(コバエシャッター)に無事保護。しかし、久々にミヤマクワガタの♂を見た気がする。昔は(昭和40年代)は、遠野駅の街灯に多くの虫が飛んできて、遠野駅でも簡単にミヤマクワガタを採る事が出来たが、昔にはウジャウジャといた筈の蛾やコガネムシの類も、今は全く見る事が無くなった。そういう中でのこのミヤマクワガタの♂は貴重かもしれない。恐らく去年の秋以降に羽化して、そのまま越冬した個体だと思うので、寿命は短いだろう。

欲しい人がいたら、店まで寄っていただければ、飼育ケースごと差し上げます。
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# by dostoev | 2017-07-09 10:58 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

落ち逢う

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猿ヶ石川と早瀬川が合流する地点を落合と云う。この落合という言葉は、一般的に川の合流点という意味で使用される。道で言えば、辻に等しい。ただ道の辻はしばしば、異界や霊界の境界とされるが、落合もまた同じである。川が落ち合うだけでなく、死人とも落ち逢う場所でもあるようだ。画像は、昭和52年撮影の航空写真で、早瀬川の下流域で落合までの流れとなる。
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この落合から下早瀬橋辺りまでの川は、自分が子供時代の遊び場でもあった。沢蟹を採ったり、カジカを捕まえて焼いて食べた自然の遊び場であった。今では有り得ない話だが、川遊びをする子供達は、普通にマッチを所持しており、いつでも魚を焼く為の焚火を出来るようにしていたものだった。

小学の1年か2年の時だったと思ったが、自分が初めてカジカを捕まえて焼いてみたが、すぐにカジカの表面が黒く焦げてしまい、上手に焼けなかった。すると、どこからともなく同じ学校の上級生が寄ってきて「なにやってんだ」と言って、その上級生がカジカに塩を振って焼くと、みるみる美味そうに焼けた。こういう事は、親では無く子供同士で情報交換をして覚えたものだった。例えば、初めて一人で銭湯へ行った時、座った場所の鏡がすぐ曇るので手で拭いていたら、やはり同じ学校の上級生がいつの間にか現れて、「こうすれば曇らないぞ」と、鏡に石鹸を塗りたくって洗い流すと、それからは鏡が曇らなくなると覚えたりと。とにかく日常の事は、親からではなく子供同士で教え合っていた。

それから必ず川遊びをする時は、マッチだけでなく塩を所持して遊んだものだった。そして川遊びを止めて家に帰る時は手が生臭くなっているので、いつも川原に咲いているピンクの花を採り、それで手を揉みこすった。ピンクの花は、手で揉みこするとブクブクと泡立ったので、その後は川でその泡を洗い流して家に帰ったものだった。自分達は、そのピンクの花を石鹸花と呼んでいた。これも子供同士で知った事なのだが、その花が本当に洗浄能力があったのかどうかは知らなかった。

川原の土手には蛇(大抵はシマヘビ)がいつもいて、その土手が秋になると、多くのカマキリが発生して、夢中でカマキリ採りをしたものだった。早瀬川から落合にかけては雑木も多く、クワガタやカブトムシもいた。子供の頃の早瀬橋の街灯には、沢山の虫が集まり、渦を巻いていた。だから落ちているカブトムシを拾うには、あらゆる虫の渦巻きの中に入らねば無かったが、たまに蛾や蚊が苦手な子供が、その虫の渦巻き前でオロオロしていた。
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小学校何年生の時だったろうか?夏休みに入る前、上級生の子が落合で溺れ死んだ。朝の朝礼で校長先生が、川遊びはじゅうぶん気を付けてくださいとの事を言っていた記憶がある。現代では、こういう事故が起きると川遊びは禁止になりそうなものだが、その時代は大らかで、気を付ければじゆうぶん防げる事故と考えられていたのだろうか。確か、現在の遠野小学校は、川遊びは禁止の筈である。"もしも"を考えたらきりがないのだが、その"もしも"の時は学校側が大変になるので川遊びが禁止となったのは、時代の流れであろう。

少ししてから、川で溺れた上級生が帰ってくるという噂を、人伝にチラッと聞いた。ただ冗談半分だったので、頭から冗談話だと思っていた。
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夏休みに入り、落合の辺りで1泊のキャンプをする事になった。友達の父親同伴である。今となっては、夜に何を食べたまでは記憶ないが、ずっと川遊びばかりしていた記憶がある。また、親の監視下から離れた解放感から、夜になれば早瀬橋の街灯下に行きカブトやクワガタを探し、また川に石を投げたりして遊んでいた。小学の頃は怖いものが好きで、家の隣が映画館だった事もあってか、夜の九時からの怪談特集を一人で見に行き、終了するのが夜中の2時頃で、気分が高揚しているので一人で、夜の鍋倉山に肝試しに行った程だった。とにかく夏の夜は、一人で夜の街灯を巡って昆虫採集をしたり、肝試しをしたりしている子供だった。

テントを張った場所から川に向うと、遠目に白い大きな石があった。たまに胴長を履いた釣り人が、その白い石に立っている姿をよく見た事がある。その白い石は夜でも、どうにかぼんやりと確認できる程だった。一人で夜の川辺に立ち、その白い石の方向を眺めた。その白い石の辺りが、ぼんやりと、ゆらゆら白色が揺れている様に見えた。石を手に持って、白い石の方向へと水切りしてみた。すると全く意識していない左奥の方から小さな白いモノが白い石の方向へと近付いている。恐らくその時は、鳥か何かと思っていた。すると次に、白い石で揺れていた白いモノがこちらに近付いてくる。この時、恐ろしくなってテントに急いで戻った。テントの中で"それ"を話し、皆で外に出て確認したが、その時は何も無かった。
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翌日の早朝、白い石の方向を見ると、釣り人が二人ほど釣りをしていた。すると「釣れたぞ!」と大きな声を上げて、だんだんとこちらの方向に近付いてきた。見ると、針掛かりしているのは魚じゃなくて、蛇の様だった。釣り人は近づいて来て笑いながら「ほれっ、マムシが釣れたぞ。」とマムシが掛かった釣り糸を、こちらを脅かす様に向けて来た。その頃はマムシは恐ろしいと思っていたので、慌てて逃げた。聞くと、マムシがいたのでマムシの目の前で餌の付いた釣り糸をブラブラしていたら食い付いて来たとの事。

少ししてから、その釣りのオジサンに昨夜の白い石の場所の話をしてみた。すると「坊主、落合ってのはな、死んだ人間と落ち逢う場所なんだぞ。」と言われ、ビビッた記憶がある。
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ところで白色というと雪の白さのイメージがあり、また昔の産室は白い壁でなければ無かったのは、白色が浄化を意味する色でもあった為だ。しかし柳田國男は、白色は異常彩色であり、本来忌々しき色だとしている。確かに白装束は死への旅立ちの衣装でもある。山へと向かう山伏の衣装もまた、死を意識しての白装束であった筈。逆に言えば、霊界から訪れる者達の衣装もまた、白装束という事になる。遠野のオシラサマも「お白様」であり、神の住む異界との交流に必要なモノではある。ところで調べると「白い石は死に石」という石に関する俗信がある。それを踏まえ、こうして現在、子供の頃の拙い記憶を呼び覚ますと、自分の見たゆらゆら揺れる白いモノとは、霊界から訪れた者達であったのかもしれない。その当時の石は、現在見る事が出来無い。その当時とは、かなり様相が変ってしまった。追い打ちをかけるように、去年の台風での洪水で、落合は更に変わってしまっている。土砂も流れ、石を埋め尽くしたようでもある。画像は、あくまでもイメージであり、その当時の白い石では無い。
# by dostoev | 2017-07-08 06:30 | よもつ文 | Comments(4)

遠野不思議 第八百六十話「お鍋ヶ淵」

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鱒沢村のお鍋が淵というのも、やはり同じ猿ヶ石川の流れにある淵である。
昔阿曽沼家の時代にこの村の領主の妾が、主人の戦死を聞いて幼な子を抱
えて、入水して死んだ処と言い伝えている。淵の中に大きな白い石がある
が、洪水の前などにはその岩の上に、白い衣装の婦人が現われて、髪を梳
いているのを見ることがあった。今から二十五年前程の大水の際にも、こ
れを見た者が二、三人もあった。

                     「遠野物語拾遺29」

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お鍋に関する詳細の記事は、以前「遠野物語拾遺29」の時に書いたので、ここでは省く事とする。ところで、このお鍋ヶ淵の白い石についてだが伊能嘉矩「遠野くさぐさ」によれば、明治三十年の頃、土木工事の際に砕いて材料に使用したと云う。お鍋は実在した人物のようで鱒沢出身のようだが、入水したのが出身地の淵か、奉公先の淵かという事になる。例えば坂上田村麻呂や源義経、もしくは和泉式部、小野小町の墓が全国に広がる様に、お鍋もまた親しまれたからこそ、入水した淵が複数云われるのかもしれない。ただ「遠野物語拾遺29」文中の「淵の中に大きな白い石があるが、洪水の前などにはその岩の上に、白い衣装の婦人が現われて、髪を梳いているのを見ることがあった。今から二十五年前程の大水の際にも、これを見た者が二、三人もあった。」が、必ずしも"お鍋"を指すものではないだろう。逆に言えば、そういう女を見たと云う情報から、「入水したお鍋という女」が思い出され、後で当て嵌められた可能性があるだろう。
# by dostoev | 2017-07-07 20:27 | 遠野不思議(淵) | Comments(4)