遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNの落書き帳
外部リンク
最新のコメント
ありがとうございます、息..
by soma0506-yca at 10:17
soma0506-yca..
by dostoev at 21:11
観月祭の記事拝見させて頂..
by soma0506-yca at 10:41
下記のURLは、早池峯神..
by dostoev at 18:41
この早池峯神社山門の神像..
by dostoev at 18:39
数十年前に、旅の手帳とい..
by soma0506-yca at 06:56
doronko-ton..
by dostoev at 15:59
駒木の西教寺の開山年代が..
by dostoev at 15:58
お邪魔します。 インパ..
by doronko-tonchan at 15:30
天台に始まるという駒木の..
by 鬼喜来のさっと at 14:18
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


金子富之展 -アジアの神々-

f0075075_1139384.jpg

金子富之氏から、個展の案内が届いた。今回は「アジアの神々」をモチーフにしているらしい。ただ日本の神々は、元々アジアの影響も受けている事から違和感は無いが、違いは神々への色使いが日本と比べるとサイケデリックになっているくらいだろうか。

会場は「ギャラリー桜林」「入場無料」のようだ。

期間 2017/10/15~2018/1/28
時間 10:00~16:30



〒309-1634

茨城県笠間市福原2081 
常陸国出雲大社境内 桜林館1F

Tel/Fax 0296-71-6700
Tel 0296-74-3000(社務所)
e-mail ohrin@izumotaisha.or.jp


・・・茨城県に出雲大社があるとは知らなかった・・・。大社? そして常陸国を強調している。歴史はどうなっているのだろうか?
# by dostoev | 2017-10-15 11:52 | 金子氏幻想作品 | Comments(0)

「青ノ木」トイウモノ

f0075075_19551772.jpg

以前「青ノ木」の意味という記事を書いた事がある。鬼が仰向けになって死んだ地であるから「仰向鬼」が「青ノ木)」になったとされる。その記事では、青には死の国に繋がるイメージがあり、鬼が帰る地でもあったのが「青ノ木」でもあった事から、恐らく「青」とは黄泉国の入り口を意味するのでは?とした。
f0075075_206285.jpg

筒井 功「青の民俗学」を読むと、著者は全国の「青」の付く地名を巡り、「青(アオ)」とは「オフ・オウ・アハ・アワ」でもある事を知り、それが葬送の地と結び付く事に気付いた。ただ全ての青がそうである訳では無いが、多くの事例から結論は出ないものの、青の意味を導き出そうとしている意欲的な本でもある。
f0075075_20153061.jpg

「青(アオ)」が「アハ」でもある事から一番古い例が「古事記」での伊弉諾が黄泉国が脱出し、禊をしたのが橘小門の「阿波岐原(アハキガハラ)」だった。近江国も元は「淡海(オウミ)」で「青(オウ)」で同じであるようだ。「古事記」では死んだ伊邪那美が「淡海の多賀に坐すなり」と記されている事から、やはり「オウ」は、葬送の地の意味合いを持ちそうである。ただ著者は「橘小門」の意味を見つけ出せずにいた。「儺の國の星」によれば、「たちばな」とは「上昇する熱気と水気によって、上空に虹暈或は陽のごとく浮かぶ雲霞の類であり…。」と記され、また「をど」とは「水没した噴火口の古称」であるとしている。簡単に説明すれば「橘小門」とは、「霧立った池」という意味になろうか。確かに、映画などでもそうだが、スモークが焚かれたシーンは神秘的に感じる。それが自然の熱気と冷気で出来た霧の立つ池や川は、まさに神秘的な禊場に思える。そこで伊弉諾は、死の穢れを祓った。これはつまり、三途の川に渡る逆バージョンでもある。三途の川も橘小門の阿波岐原も、死の国、黄泉国との境界にあるものなのだろう。自殺の名所で有名な"青木ケ原樹海"もまた、黄泉国への入り口のようでもある。
f0075075_2143256.jpg

ただ「青」は、そのまま埋葬地などだけの意味では無いだろう。例えば「青面金剛」は中世に確立されたようだが、古代においての青は黒と同じ認識であったようだ。
f0075075_21154980.jpg

確かに太陽が沈んだ後の、空と色と雲の色のグラデーションは、青と黒から成り立っている。ただ中世の頃の青というものは「水」を意味する色として認識されたようだ。恐らく「青面金剛」の「青面」は水を意味する筈である。陰陽五行においての黒色は北を示す色と共に、水を意味する色でもあった。その黒と青が同じとされたものが、中世になって明確に分離したのが今にも伝わる青色なのだろう。
f0075075_21312932.jpg

青が水を意味するのではと書いたが「青の民俗学」では、青木地名を調べると最後は縄文遺跡に辿り着くようだ。ただの遺跡では無く、石棺が数多く出土している事から、縄文時代の墓地であったろうと。

「万葉集巻第16の3889」の歌がある。


人魂のさ青なる君がただひとり

         あへりし雨夜の葉非左し思ほゆ
  

人魂は、その時代青いと考えられていたようだ。また「今昔物語」には、冥土の使者が青い衣を着ていた。これは「雨月物語」の「青頭巾」がやはり死して鬼になった僧でもあった事から、やはり青色は死をイメージしているようだ。
f0075075_21445558.jpg

それでは、遠野から笛吹峠の頂を過ぎた所にある、世界遺産にも登録された青ノ木という地名は、どうして付けられたのだろうか?冒頭でも紹介したように、鬼が死んだ地でもあるが、鬼が死ぬ間際に帰った地でもある。つまり、青ノ木は地獄の鬼の棲家でもあったのだと思う。その鬼とは、灼熱の蹈鞴を踏み、また山に穴を掘る鬼たちの棲家という事だろう。「遠野物語」にも紹介されている様に、笛吹峠には魔物が出るとされたのは、そこで働く鬼たちが旅人を襲ったからだともされる。大槌町の十一面観音堂に納められる呪いの十一面観音を見つける為に占った巫女は、まるで西洋の魔女の様な女性だった。その血筋は、青ノ木で働く白人系外国人であった。まさに、昔の日本人にとって、笛吹峠で大きな白人系外国人に遭遇すれば、それはまさしく鬼と思ったに違いない。その鬼の棲家が青ノ木であれば、それはこの世では無くなってしまう。まさに笛吹峠に地獄の入り口があったという事になるのかもしれない。やはり青ノ木は地獄であり、死者の国と信じられた為に「青ノ木」という地名が付けられたのかもしれない。
# by dostoev | 2017-10-14 21:59 | 「トイウモノ」考 | Comments(0)

空を見ると

f0075075_19292387.jpg

いろいろ調べる事があって、外に出てみた。今日の遠野は、午後になってから晴れ間が広がった。天気を予報は曇り時々雨の予報だったので、嬉しい誤算だ。空を見ると、変った雲があった。
f0075075_19323357.jpg

遠目で見ると、百足か何か長いモノに足が生えている様に見えたが、よくよく見ると皆で何かを担いでいる様にも感じた。雲は、自分の安易な?想像力を刺激してくれる。
f0075075_1935239.jpg

この変った雲を見る視点を右へと向けてみたら、幻日が出ていた。意外に気付かないものだ。
f0075075_19365620.jpg

雲の形もそうだが、こういう自然現象を見る為には、やはり空をいつも気にして見て無ければ発見出来ない。
f0075075_1939679.jpg

風により雲が流れ、太陽も光の加減や輝く位置が変るので、幻日もあっという間に見えなくなってしまう。これからもう少し、空に気をとどめておこうか…。
# by dostoev | 2017-10-13 19:41 | 遠野の自然(秋) | Comments(0)

ある秋の一コマ

f0075075_1732922.jpg

誰か倒れてる!?
f0075075_1783181.jpg

と思ったら、マネキンだった。しかし恰好が…。
f0075075_1793724.jpg

慌ただしく上空を、自衛隊ヘリが飛んでいた。
f0075075_17101839.jpg

この前は、釜石の山林火事でやはり自衛隊ヘリが消火活動の為に慌ただしく何度も飛んでいたのを思い出した。しかし、天気が思わしくない日が続く…。
# by dostoev | 2017-10-12 17:17 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

猿ヶ石川トイウモノ

f0075075_95847.jpg

猿ヶ石川の語源は、猿と石を見間違え「猿か?石か?」という稚拙な伝承となっている。古老によれば、猿ヶ石川源流に、その語源となった猿石があるというが、どうやら後付けであったようだ。

ところで猿と言えば「遠野物語」には、猿の経立、御犬の経立という化物が登場する。しかし考えてみれば、猿も御犬(狼)も、山神の使いである。ましてや猿は、比叡山の神の使いとなっている。元々比叡山は「ヒエの山」と呼ばれ、そのヒエは日枝、そして日吉でもある。東北を布教し、早池峯を支配した天台宗の総本山の比叡山。その"ヒエの使いとして猿の経立が伝わったとしても不思議では無いか。

ちなみに日吉大社の使いは「神猿(マサル)」で、昔「まさる」という名前の子供は、「サル」が付くからと馬鹿にされていた記憶がある。また遠野(とおの)高校は、略して「遠高(エンコウ)」と呼んでいた為に昔、他校から「猿猴(エンコウ)野郎!」と、やはり馬鹿にされていた。
f0075075_111766.jpg

気になるのは、猿ヶ石川が早池峯連峰を源流としている事。その猿ヶ石川の流域に、附馬牛と呼ばれる地名がある事。何故に附馬牛という地名が気になるかと言えば、猿が牛馬の健康を守ると信じられていたからだ。また「西遊記」で有名な孫悟空は弼馬温として、馬を護る仕事をしていた。つまり、猿ヶ石川という河川名は意図的に付けられ、それに沿うように牛・馬も飼育された可能性も考えてみたい。ちなみに、その附馬牛の語源由来は下記の通りとなる。

【槻馬牛】

この地には槻の大木があり、その下に牛や馬が群息していたので、槻の木の下の馬・牛という意により【槻馬牛(つきもうし)】と云われたと。


【突馬牛】

多くの馬・牛を放牧していたが、ある時に馬の大群と牛の大群が衝突し、共に傷つき倒れたので、衝突した馬・牛の跡として【突馬牛(つきもうし)】とも云われたと。


槻、つまりケヤキを「遠野市植物誌」でチェックすると、峠か殆ど神社などの神域に現存しているというのは、意図的に植えられた樹木であっただろうか。附馬牛町でケヤキが現存し、その伝承が残るのが稲荷神社のある小倉であり、この地だけをピックアップして槻馬牛→附馬牛となったとは考え辛い。「突馬牛」の地名の由来は、有り得ない話である。

伊能嘉矩「遠野馬史稿」を読むと、早池峰を中心とする周辺は、最も牧馬に適しているとある。実際に、周囲には五か所の牧場が開かれ、また、遠野で一番古いとされる駒形神社が荒川高原の入り口にあるというのは、馬の生産地の中心が早池峰周辺であった事を意味するのだろう。 ところで、遠野で一番古い荒川の駒形神社は、阿曽沼氏が蒼前駒形明神を祀ったのが始まりともされている。御神坂から神社前広場にかけてが阿曽沼氏の御料牧場であったとされている。
f0075075_13191333.jpg

その阿曽沼氏だが、同族に小山氏なるものがいる。その小山氏は阿曽沼氏と争い、阿曽沼氏所領を自領と訴えている。その小山氏は、琵琶湖の瀬田橋での百足退治をした藤原秀郷の末裔としても名高い。その小山氏が琵琶湖の瀬田橋の傍らに館を建てて、その一帯を取り仕切っていたのだが、その領地内で祀られている神社は佐久奈度神社であり、早池峯大神でもある同じ姫神を祀る神社である。

俵藤太の伝説は、大蛇と百足の戦いであるが、その大蛇と百足とは、採掘法の違う部族同士の争いを伝説化したものであるという説が一般的である。以前に「蛇と百足(諏訪神社縁起の疑問)」を書いたが、それを南部氏と阿曽沼氏の軋轢のようにも表したが、もしかして阿曽沼氏の建立した諏訪神社の由緒に書かれている「蛇の妖怪退治」の話を今考えれば、小山氏の事を指していたのではなかろうか?蛇に味方し百足を倒した小山氏の祖を貶める事、つまり小山氏を否定する為に建立されたのが諏訪神社であった可能性もあるのかもしれない。いや、やはり同族であるから、祖である俵藤太を貶めるという事は無いか…。
f0075075_13322637.jpg

柳田國男「山島民譚集」などで柳田國男は、諸国の著名な猿まわしの頭に、しばしば小山を名乗る者がいたと指摘している。筒井功「猿まわし被差別の民俗学」によれば、猿地名を調べて、その地に猿回しがいた事から、猿地名になった所もあるという。江戸時代の有力な猿まわしの家筋が「小山」を姓として採用していた事実を重要視している。

猿回しの発祥は、近江国の小野氏からの様である。その小野氏の本拠地は、近江国で先に紹介した小山氏の近くとなる。そして何故か両氏共に、二つ巴の家紋を有するのは出来過ぎだろうか?その小野氏の一部は古代に、小山氏と同じ下野国へと移住している。二荒山に伝わる大蛇に味方した猿丸大夫が、小野氏の系譜である事から、小野氏は俵藤太伝説との関連から小山氏と繋がっている可能性が高い。

実は、遠野での猿回しというと、実はピンと来ていなかった。ところが柳田國男「巫女考」で、盛岡藩に「店屋猿引」と呼ばれる賤民がいた事を紹介している。そして「遠野古事記」によれば「この地方(遠野市周辺)の守子は代々テンヤという一種の神人と夫婦であって、二人して祈禱の札を配りまた春の始めには春田打ちという舞を舞って初穂を貰った。」と記されている。説明によればテンヤとは、僧や山伏の宗教者では無く、俗態にて祈禱の守札を配ると説明している。また守子(モリコ)は祈禱・託言を業とする巫女で、イタコなどを指すようだ。

猿地名は知る限り、陸前高田の横田町にある猿楽。この猿楽にも、何故か早池峯の神を祀る神社がある。そして遠野は地名では無く河川名の猿ヶ石川となる。しばしば猿を飼う者を「猿飼い」とも呼んだと云うが、猿回しに縁が深い小山氏が遠野に於いてもしも「猿飼い氏(さるかいし)」と呼ばれれば、その音は「猿ヶ石(さるかいし)」と結び付く。小山氏と遠野の接点は、阿曽沼氏もあるだろうが、同じ神を祀っている信仰上の理由が大きいのかもしれない。猿回しは牛馬、特に馬の厄払いに特化していたとされ、つまり猿回しとは牛馬を専門に祈禱する巫女であるとされる。当初、猿を神の使いとする比叡山の天台宗に支配された早池峯に猿の話が無いのが不思議なくらいだ。それが唯一「遠野物語」に登場する猿の経立だとしたら、それこそ比叡山の神使であり、山王信仰の介入だと考えるべきか。

とにかく附馬牛を流れる猿ヶ石川という河川名の源流が早池峯から始まる事になったのは、牛馬を守る為の呪術として、阿曽沼氏か小山氏による命名では無かったかと考えてしまう。ただハッキリしないのは、小山氏が遠野に定着していたか否かなのだが…。
# by dostoev | 2017-10-10 17:45 | 「トイウモノ」考 | Comments(13)

傾いた日差しの中での撮影

f0075075_1821343.jpg

時間が空いたので町外れへと行き、コスモスなどの花を撮影してきた。とにかくこの時期、どこもかしこもコスモスで溢れている。
f0075075_184085.jpg

昨日、たまたま蝶の記事を書いたので、蝶の写真を撮ろうと思ったが…何故か蝶は飛んでいなかった。思うに、午前中から日中にかけての方が、蝶が花に寄っている気がする。
f0075075_1861312.jpg

やはりというか、陽が傾いているので、全体的に色合いが黄ばんで見える。
f0075075_188169.jpg

傾いた日差しが眩しい。秋もかなり過ぎたのに、撮影しながら日に焼けそうだ。
f0075075_18102576.jpg

場所を河辺に映して見る。
f0075075_18113595.jpg

傾いた陽を川の水がキラキラと反射させている。
f0075075_18151161.jpg

川にピントを合わせてみると、こうなる。
f0075075_18132830.jpg

白いコスモスは、光りを透過して、レンズ越しにも眩しかった。
f0075075_18191588.jpg

なんでもそうだが、花は特に光を浴びて生き生きとして見える。
f0075075_18201888.jpg

f0075075_18215192.jpg

f0075075_18223337.jpg

急に暗くなってきた。空を見ると、太陽が雲に隠れつつある。以外に厚みのある雲なので、再び明るくなるにはかなりの時間がかかるだろうと、撮影もここで終了し、家路に向かった。長い時間撮影していた気がするが、これでせいぜい30分程度の撮影。たかが30分程度でも、かなり遊べて、息抜きにもなった。やはりこういう自然の中で撮影するのは、気分のリフレッシュにもなるので、かなり好きだねぇ。
# by dostoev | 2017-10-09 18:28 | 遠野の自然(秋) | Comments(0)

蝶トイウモノ

f0075075_20245412.jpg

結婚式の杯事の時に使う銚子や提子につける、折り紙の雄雌の蝶の事。通例は金銀や紅白の紙を蝶の形に折り、そこに金銀の水引で蝶の触覚をつけて用いる。婚礼の式場が普通の家に設けられる場合は、両親のそろった男女の子供が選ばれて、そこで新夫婦の杯に同時に双方から酒をつぐ。このため雄蝶雌蝶の名称は、もとの意味から転じて、この2人の男女の子供をさしていう場合もある。
                               「大辞林」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>もとの意味から転じて、この2人の男女の子供をさしていう場合もある。

「定本柳田國男集」に「雄蝶雌蝶」として、柳田國男自身が子供の頃、雄蝶役をやったと記している。「三々九度のお酌をする役を渡しは二度させられた。男の子が五つで女の子が七つに限るわけで、男蝶・女蝶になるのだが、女の子はただお酌だけしていればいいのに、男の子の方にはちゃんというべき言葉が決まっている。私はませていて、それがいえるので選ばれた…。」

柳田國男は明治8年(1875年)生れなので、これは明治13年の事になろう。つまり明治時代には、雄蝶雌蝶の役割は、本来の意味から外れていたという事になるか。しかし婚礼での雄蝶・雌蝶役は、三々九度にかかるのだが、その三々九度の文化が庶民に広まったのは、明治時代になってからだという。つまり雄蝶・雌蝶が庶民に広まったのも明治時代であり、それが酒を注ぐ為の器なのか、酒を注ぐ者に対してなのかが混同したまま伝わったのかもしれない。そして三々九度も、名称が違うものとして時代を遡っても室町期のようだ。
f0075075_21281615.jpg

遠野の伝承で「雄蝶雌蝶」という言葉が登場している話は、二つほどある。一つは「遠野物語拾遺22」と内容は同じだが「附馬牛村誌」に紹介される「夫婦釜」の話に、その夫婦釜を雄蝶・雌蝶として表現している。

【夫婦釜の伝説】


昔、附馬牛の大萩に東禅寺という大きな寺があった頃、そこには二百人もの修行僧がおり、修行に明け暮れていたのだという。なので食事も大したもので、馬釜のような大きな雄蝶、雌蝶と呼ばれた二つの釜で、ご飯を炊いていたのだと。

ところが時代も変わり、江戸時代の初期に、南部の殿様がこの東禅寺を盛岡に移転する事としたのだという。その時にこの雄蝶、雌蝶の二つの釜を一緒に運ぶ事となったのだが、何故かこの淵の側を通りかかった時に、急に片方の雌蝶の釜が崩れ落ち、あっという間に淵に沈んでしまったのだと。そして雄蝶と呼ばれた釜は空中に舞い上がり、火の玉のようになって、元の東禅寺まで飛んでいったそうな。きっと今まで居た東禅寺から離れたくなかったのだろうと、人々は語ったのだという。雄蝶の釜は今でも大萩の常福院に残っており、寺宝となっている。

そして、淵に沈んだ雌蝶の釜は、何十人という人足をかけても、ついに引き上げる事が出来ないままであったと。それから、この雌蝶の釜の沈んだ淵を釜淵と呼んで近寄らず、またこの釜淵で魚を獲ると祟りがあると恐れられたそうである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そしてもう一つは「遠野物語拾遺28」の人柱の話で、そこから抜粋すると「昔から人身御供は男蝶女蝶の揃うべきものであるから…」と記されている。この「遠野物語拾遺28」は、大同年間の事としているが、もしも雄蝶・雌蝶が酒器、もしくは酒を注ぐ者として始まったとしたならば年代が合わない。元々「遠野物語拾遺28」は、大同年間では無いのでは、とされている。しかし、どちらの話も夫婦を雄蝶・雌蝶としている事から、本来は夫婦を意味するものが雄蝶・雌蝶で、後から酒器に変化し伝わったのではないかと思える。

気になるのは、紹介した「夫婦釜」の話も「遠野物語拾遺28」も、人柱の様な話になっている。「夫婦釜」は、人間では無く釜の話なのだが、釜淵に沈んでから、そこで魚を獲ると祟りがあるというのも、人間としての話の様になっている。モノには魂が宿るという付喪神ではないが「夫婦釜」の話は、本当に釜の話であったのか?もしかして人間を釜に例えて話したものであったか気になるところである。
f0075075_5293876.jpg

画像は、黒揚羽蝶が小動物の糞の水分を吸いに来ている場面である。蝶というものは、花の蜜を求め彷徨っている綺麗なイメージがあるが、実はいろいろな体液を吸っている虫でもある。そして蝶は、しばしば人間の死体にも群がる。現代は死体を火葬する場合が殆どなので、古代の鳥葬などにおいて、鳥だけでなく蝶が寄って来る場面を目撃する事がまず無い。ただ、山での遭難者の死体に蝶が群がっていたという報告がある事から古代では、蝿などと一緒に人間の死体に群がる蝶がよく目撃されたのだろうと思える。遠野地方での蝶の方言は「てびらっこ」である。「てびら」は「掌」の事であるから、掌をヒラヒラさせる事が、蝶の飛ぶイメージと重なった為の方言であろう。ただ画像の黒揚羽蝶は地域によって「かみなりてふ」「じごくてふ」「やまでふ」などという方言も伝わる。「じごくてふ」は、そのまま「地獄蝶」という意味だが、死体に群がる蝶のイメージをストレートに表現したものと思える。

ところで死の匂いは、即身仏の影響から山形県の羽黒に漂う。羽黒には八咫烏の伝説もある事から「羽黒」とはカラスを意味していると思っていたが、死をイメージする時、カラスと共に、黒揚羽蝶もまた重なってしまう。何故なら、里での死体にはカラスが群がるのだが、山の奥で発見される死体には、カラスでは無く蝶が群がっている事を思えば、山を支配した山伏が、修行の末、しばしば山で亡くなった時、その死体にはカラスではなく蝶が群がっていた可能性がある。それが黒揚羽蝶であった場合、人間の霊魂を運ぶ存在としての黒揚羽蝶が認識された可能性も僅かながらもあったのではないかと思える。となれば鳥葬(ちょうそう)は、そのまま蝶葬でもあったのかもしれない。「万葉集」に蝶の歌が無いのは、死体をついばむ烏同様、忌み嫌われていた可能性があるだろう。古代に白鳥が、魂を運ぶ存在として認識され歌にも詠われたが、黒い烏は黒不浄としての意味合いと重なり、それと共に黒揚羽蝶もまた、それに重ねられた為だろうか。しかし烏は八咫烏なども含め"オミサキ"として神の使役としての一面もあるのに、蝶はどうした事だろうか?
f0075075_6374774.jpg

梅谷献二「虫の民俗誌」では"義経籠手"なるものが紹介されていた。本当かどうかはわからぬが、義経が吉野に落ちる時、興福寺に籠手を残して行ったと。それが現在国宝「義経籠手」と呼ばれる。そのデザインは菊水模様の中央に蝶が配されているが、どうやらアゲハチョウらしいが、恐らく黒揚羽蝶なのかもしれない。菊水は不老長寿を意味し、蝶は魂をも意味する事から源義経は、魂の不滅を求めたか?とも感じてしまう。古代には死をイメージする事から忌み嫌われた蝶を採用した源義経には、やはり羽黒修験と同じ魂を感じてしまうのは自分だけだろうか。
f0075075_5513314.jpg

今井彰「蝶の民俗学」には、"蝶の妖怪"が紹介されていた。前九年の役の時、安倍氏の家来が源義家の投げた石に当たり、足を滑らせて沼に転げ落ち、そのまま息絶えたと云う。その死体は沼の中で大きな蝶になり、曇った日や夜になると沼から浮かび出て、空を飛ぶのだと。月夜の晩のその蝶の妖怪を目撃した話では、水で羽がキラキラと輝き、幻想の中にいるように感じたと云う。

この蝶の妖怪で気になるのは、何故に沼に落ちて蝶になるのかという事。先に紹介した遠野の話も、水神に対する人身御供の様な話で、どこかで蝶と水神が繋がる可能性を秘めている。そこで初めに戻ると、雄蝶雌蝶とは酒を注ぐ酒器、もしくはそれを注ぐ人という事になっている。酒とは「くし」とも訓じ"薬"でもあった。古今東西、酒の発生は不老不死を求めての副産物であった場合が殆どである。酒造りには水が必要で思い出すのだが、遠野には「河童の盗み酒」という大吟醸があった。河童はしばしば悪戯の詫びに、万能薬や酒などを提供する話がある。酒と河童を結び付ける延長上に、前九年の役の後、流刑された安倍宗任がいる。安倍宗任の子供は、九州の松浦水軍と結び付いて子孫を残していった。その安倍宗任の血の流れを汲む中に、酒造りと河童を結び付けるものもあると云う。そして奇しくも蝶の妖怪もまた、その安倍氏に関係する話であった。ところで「蝶の民俗学」の作者曰く、蝶に関する民話や伝説を探したところ、何故か新潟を含む東北にだけしか無かったという。東北へと落ち延びた源義経の使用していたという菊水と蝶の籠手。そして東北を支配した安倍氏の影が、何故か蝶と水を結び付ける。

考えてみれば「遠野物語拾遺28」の「昔から人身御供は男蝶女蝶の揃うべきものであるから…」という言葉は、陰陽の和合でもある。陽は太陽であり男であり、陰は水であり女となる。その陰陽の和合を果たすから物事が成されると考えれば、蝶が魂の象徴であり、それが後に夫婦の和合、つまり婚姻の儀式に採用されたとしても不思議では無い。今回、蝶を調べてみて逆に、蝶に対する謎が深まった感がある。古代に忌み嫌われた蝶が、どこかで秘された存在であった可能性はあるのかもしれない。

ただ唐突に感じたのは、蝶の妖怪が水に落ちた者から化生している事から怪談「番町皿屋敷」に繋がるか?というもの。「番町皿屋敷」の話は、下女の"お菊"が皿を割った事で縛られ井戸に落とされ、それから幽霊となっている。縛られた状態のお菊がまるで、蝶の蛹の様な事から蝶の蛹を"お菊虫"と呼び、忌み嫌われた。そして「番町皿屋敷」関連を調べると、菊の花を忌み嫌う話が伝わっている。先に紹介した源義経が使用したとされる国宝「義経籠手」のデザインは「蝶と菊水」忌み嫌われる蝶と、そして菊の花がデザインに使用されているのは偶然だろうか?「番町皿屋敷」の行く着く先は"白山信仰"だと云う。お菊が縛られ、それが蝶の蛹に見立てられたのは、「ククリ」が「縛る」と重なった事になっているようだ。蝶を調べての謎は、何故に「万葉集」で詠われて無いのか。何故に東北・北陸だけに蝶の民話と伝説があるのか。そしてだが、もしかして白山信仰との結び付きと、白山信仰そのものの謎に蝶が、どこまで関連するのか?とにかく、蝶がこれだけの個性と存在感を示していながら、それに関する伝承が余りにも少な過ぎるのは、どこかタブーに触れる為では無かったなどと、余分な事を考えてしまう…。
# by dostoev | 2017-10-08 07:52 | 「トイウモノ」考 | Comments(2)

遠野不思議 第八百六十七話「熊野三社大権現神社(大萩)」

f0075075_194448.jpg

由緒不明。ただ附馬牛には5つの熊野神社があり、遠野市全体でもかなりの数にのぼる。ただ小友町や綾織町には熊野社が少なく、附馬牛や土渕町、上郷町に多いというのは、その時代の流れもあったのかもしれない。歴史的にも新しく、17世紀後半に出来た現在の遠野の街に熊野神社が殆ど無い事から、一時代を過ぎてから熊野神社の勧請が止まったとも考えられる。江戸時代に一番流行ったのは、稲荷社だ。遠野の街を歩いていても気付かないだろうが、氏神として裏庭に稲荷社を祀っている家が多い。つまり熊野神社は、稲荷社以前に流行ったものであったろう。
f0075075_1953966.jpg

熊野三社大権現と記されている棟札があった。熊野三社とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社であり、それらをまとめて熊野大権現、もしくは熊野大神とも云う。

観音像の手前に、狐像が倒れていたが、この社の手前に内部がカラッポの小さな社がある事から、もしかして手前の社に祀られていた狐像だろうか。となれば手前の社は、稲荷社であろう。
# by dostoev | 2017-10-01 19:23 | 遠野各地の熊野神社 | Comments(0)

南部氏の家紋について

f0075075_5202857.jpg

南部氏の家紋は「対い鶴に九曜」であるが、以前は「割菱紋」であった。では何故に家紋を変えたのかと云うと、二つの逸話がある。その一つは、南部守行が秋田の安東鹿季と戦った時、その陣中に二羽の鶴が飛来し、それを瑞祥として兵を進めたところ勝利をおさめることができた事から、家紋に二羽の鶴を採用したと云う。また一つは、初代南部光行が建久四年、源頼朝に従って浅間山に狩をした時、陣所近くの池に鶴が二羽舞い降りたのを、頼朝は鶴を殺さないようにして射とれと部下に命じた。南部光行は進み出て一羽は翼を、もう一羽は足を射て生け捕りにした。頼朝は一羽を天皇に献じ、一羽を陣中において光行を大いに誉め讃えた。南部氏の「対い鶴紋」はこれを記念したものだとも云う。しかし、どれもまともに信じられない逸話である。
f0075075_1126437.jpg

飛ぶものを飛べなくして捕獲し献上する話は、空を飛ぶ鷹や鶴に当て嵌まる話ではあるが、それ以外に天女伝説も該当するのではないか。「殺さぬよう生け捕りにする」とは、天女が空に飛ぶ為の羽衣を奪う事にも繋がると思われる。

ところで、南部氏の家紋に鶴と九曜があるのだが、九曜は妙見信仰を表すものである。その妙見と鶴を結び付ける話が「捜神記」に紹介されている。それは仙女が鶴に化すものであり、単なる天女伝説に留まらず「三光を観見し、北斗に遭う。」とするもので、鶴が妙見への架け橋となる話だ。仙女であり、天女が鶴でもある話であるが、熊本県の阿蘇を中心とする周辺にも鶴と天女伝説を結び付けるものがある。例えば田鶴原は湿地帯で鶴が舞い降り、それを捕まえた健磐龍命は、その鶴に乗って天空を駆けたとの伝説がある。これは恐らく、劉女が白龍に乗って天空を駆けるという古代中国の伝説の影響を受けているものだろう。龍であり蛇は、首の長さと魚を丸呑みにするその姿と動きが水辺の白鳥に似通っている事から同族とされていた。つまり健磐龍命が鶴に乗って天空駆けたのは、日下部吉見の龍蛇神を捕まえた事にかかる伝説だろう。そしてそれは、現在でも行われている阿蘇神社の御前迎えの神事に繋がって来るものであろう。健磐龍命は、姫を奪って婚姻を果たした事になっている。そして阿蘇神社の家紋が、鷹とは別に舞鶴をも採用しているのは、天女を鶴に見立ててのものである。
f0075075_16562185.jpg

遠野の三女神伝説で、三女神は各山々へと飛んで行ったとされる。飛ぶものとは、鳥以外には天女となるであろうし、しばしば天女は飛ぶ鳥と結び付けられた。遠野三山で、北に聳えるのは早池峯であり、その山の頭上には北極星と北斗七星が聳える。北辰を強く押し出している星の宗教と呼ばれる天台宗によって当初支配された早池峯は、北に聳えるからこそ、その存在を崇められた。始閣藤蔵が、金が発見出来たらお宮を建てると、早池峯に祈願した歴史を踏まえれば、遠野を支配した南部氏が安定した治金を祈願するには、やはり早池峯を重視するだろう。鶴は鉱山用語で「鉱脈」を意味する。天女ともされる鶴と九曜を結び付けた南部氏の家紋とは、山の鉱脈をも意味する早池峯の天女を自らの手許に置いたという証の家紋ではなかったか。
# by dostoev | 2017-09-30 17:10 | 民俗学雑記 | Comments(0)

猫の目天気(雨曇り晴れ曇り晴れ曇り雨)

f0075075_18573597.jpg

昨夜から雨が降り、朝は曇り空(恐らく雲海?)だったが、朝の八時頃には晴れ間が広がっていた。その日差しを浴びて、濡れた草むらはキラキラ輝いて見えた。
f0075075_18505292.jpg

濡れた蜘蛛の巣を逆光で見ると、虹色に輝いて見える。
f0075075_18514513.jpg

草むらの中には雨で落ちたのか、既に紅葉している落葉などが散らばっていた。
f0075075_18593987.jpg

そんな中、シジミチョウが濡れた体が乾くまでじっとしているよう。
f0075075_1903591.jpg

強い日差しが刺し込んでくると、さっそく飛び立とうとした。
f0075075_19124420.jpg

しかし青空もつかの間で、昼には空全体が雲に覆われた。そして再び青空が広がったか?と思ったら、すぐに曇り。そして夕方には雨に変った。雨は今夜だけだろうか?明日の朝まで続くか?ただ日曜日は快晴の予報になっているが、どうなるかはわからない。
# by dostoev | 2017-09-29 19:18 | 遠野の自然(秋) | Comments(0)