遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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2017.12.31(大晦日)

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今日で2017年は、お終い。夜中の12時に合わせて、これから早池峯神社へと行く予定。その前に暇だったので、卯子酉神社へと行って見た。
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縁結びで有名な卯子酉神社の正しい祈願方法は、人目を忍んで一人で夜に参拝する事。その場合、赤い布切れを左手だけで結び付ければ縁が結ばれるとされるが本来、それを果たしてくれるのは水神であって、卯子酉様では無い。正面の社では無く、隣に水神を祀る碑があるので、そこに願ってみよう。
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ところで今日、座敷ワラシ期待の客が泊っているが、なかなかチェックインしないので不安になっていたら、夜の8時半頃に到着した。聞くと、座敷ワラシを期待しているので遠野に到着し、タクシーで早池峯神社へ行ったとの事。それであちこち経由して、総額25000円かかったとの事。初めに、自分に相談してくれれば良かったのに。早池峯神社は、これから出発する予定である。また早池峯神社では座敷ワラシの御守も販売しており、座敷ワラシが出没したという伝説の神木もある。それらを知らないで行ってきたようだ。なんか、勿体ないなぁと。
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それでは来年も、いろいろな御縁がありますように、最後も卯子酉神社の画像でお終い。今年もいろいろと、ありがとうございました。
by dostoev | 2017-12-31 23:31 | 民宿御伽屋情報 | Comments(2)

遠野不思議 第八百七十七話「とんでもない琴畑の娘」

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土渕の琴畑に、一人の長者がいた。一人の娘がいたが、縁あって小国の長者へと嫁がせたのだった。だが、その娘にとって嫁ぎ先がどうも気にくわない。それで、実家に帰ろうと思ったと。しかし昼間は人目があるので、皆が寝静まった夜中に小国の屋敷を忍び出たと云う。小国と琴畑の境には、白望山の高峰が聳えている為、そこを進むには鬱蒼とした樹木を掻い潜って進まねばならず、ましてや闇夜であるから先が見える筈も無い。意を決した娘は、小国の屋敷に火を放った。棟高く甍を連ねて建てられた長者の屋敷が燃え盛る様は、その火の明りが幾十里の遠き山々まで照らし、その明りを頼りに娘は無事に琴畑の実家に帰ったと云う。その娘の帰宅に合わせる様に、小国の屋敷も鎮火したのだと。

              「遠野くさぐさ(琴畑長者が娘の事)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野くさぐさ」の話は、文章を若干修正して紹介している。そしてこの話を、どう言ったらよいのだろうか。ともかく、とんでもない琴畑の娘の伝説である…。
by dostoev | 2017-12-30 16:56 | 遠野不思議(伝説) | Comments(0)

笊と箕

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遠野地方では、子供に対して「笊を被ると背が伸びない。」と言って、子供に笊を触れさせないようにしていた。これは、子供が笊を魚獲りに持って行かせない為の言葉であったようだ。
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ところが「箕は被るな!」という言葉は、含む意味が異なっていた。遠野では「癲癇」を「ドス」または「ミカブリ」と呼んでいた。その為、癲癇を持った家系を「ドスのマキ」「ミカブリのマキ」と呼んでいたという。また「マキ」というのは別に「遠野物語拾遺249」で書いているので参考にして欲しい。

「ミカブリ」は「箕被り」である。昔、癲癇患者が死んだ時、その葬儀の棺の上に箕を被せる習わしがあった。その意味は、この癲癇が続かぬ様にという呪術でもあったようだ。いつしか「箕被り」という言葉が、いずれ死ぬ癲癇患者を指す様になった事から、子供達に「箕は被るな!」と戒めたという。ただ何故に箕であったのかは不明である。調べると箕には、豊饒と多産に関する呪術性があるらしく、九州を中心とする西日本では嫁入りの日に花嫁の頭上に箕を戴かせたり、不妊の嫁に箕を贈る習慣があるようだが、癲癇患者への呪術とは意味合いが違う。ただ箕は竹製であるから、竹の呪力であるかもしれない。

新紀元社「神秘の道具」によると竹の節の空洞は、神霊や霊魂が宿り、この世に現れ出て来る異界であるとしている。そして「箕」は、誕生や死の儀礼にしばしば用いられるという。嫁入りの日に一升桝を入れた箕を嫁の頭に載せると記されている事から、福岡の習俗はこれなのだろう。不妊の嫁に箕を贈るのは女性の生殖と受胎に関係すると記されているが、要は「竹取物語」と同じく、月の呪力と考えても良いのだろう。となれば癲癇患者の棺に箕を被せるのは、癲癇という悪しきモノを異界に封じ込めるという意図を含んでいたのだろう。逆に箕を遺族が被り「戻れや~!」と死者の名前を呼んで、蘇らせようとする呪術でも用いられるようだ。これは、願いの言霊を箕に宿る神霊に託すのだろうか。
by dostoev | 2017-12-30 12:10 | 民俗学雑記 | Comments(0)

嫁トイウモノ

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かみさんから「そんな無駄なブログなんて、やめてしまえ。」と言われた。まあ、仕事に直結していない事から、無駄といえば無駄。だからといって、ここまで積み上げたものを簡単にはやめられない。ここでフト、子供の頃に覚えた歌のフレーズが出て来た。「いやじゃありませんか家の山の神…。」ドリフターズの「ほんとにほんとにご苦労さん」という歌の中にある歌詞の一節だ。この時は、ただ歌詞を覚えただけで、「家の山の神」が、どういうものかを理解していなかった。ところがそういう場合、子供同士で情報交換があり、山の神とは母親の事を言うのだと、何となく理解した。それが明確に理解出来たのは、自分の父親と母親の力関係を子供視点で見ていくと『なるほど。』となるのに、そう長くはかからなかった。そういう流れの中「刑事コロンボ」というドラマが始まり、主役のコロンボ刑事の口癖に「家のかみさんがね…。」というがあった。やはり、常に"かみさん"を意識している刑事コロンボは、かみさんに頭が上がらないようであったのは、古今東西同じなのだとも理解できた。ただそれでも、本来の山の神がどういうものかは、まだわかっていなかったが…。
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ところで、山の神は別に略して「かみさん」とも言われるが、別に「妻」とか「嫁」とも言われる。「妻」は「古事記」にも記されているのでわかるが、「嫁」とは「女」と「家」の結び付き。これは、他人の家に入る女という感覚で思っていたが、取り敢えず「日本語源大辞典」で調べてみた。

嫁とは「息子と結婚してその家の一員となった女性」と説明されている。それでは、その語源はというと、下記に一覧を書く事にしてみる。

1.「呼女(よびめ)」家に呼んだから。
2.「弱女(よわめ)」立場が弱いから。
3.「吉女(よめ)」良女(よきめ)の義。良い女、幸運をもたらす女と解釈か。
4.「世継女(よつぎめ)」世継ぎを生む女。
5.「夜女」夜の殿に仕える女の意か。


まあいろいろあるが、どれも確定ではないようだ。ところで別に「嫁が君」という言葉がある。これは何故か、鼠の異称とされている。「遠野物語」で有名になったオシラサマの話は、馬と娘が結び付いた話になっているが、古くは「日本霊異記」に人間の男と子供までもうける「狐女房」という異類婚の話もある。鼠になると、室町時代成立の「鼠の草子」では逆にオシラサマと同じく、人間に化けた鼠と人間の娘が婚姻を果たす話になっている。ただ、正体がばれて娘は逃げ出してしまう事が、オシラサマとは違ってくる。だが、オシラサマの別譚では、馬を嫌っていた娘を強引に連れて行く話もあるので、一概にオシラサマは馬と娘の恋物語では無い。そして仏教思想が蔓延すれば、畜生類と結び付くのは畜生道に堕ちるとも考えられていた筈である。動物との異類婚を認める事は、普通有り得ないだろう。
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ところで鼠で思い出すのは、地下の住人という事である。「古事記」では、大国主を素戔男尊が放った火から地下へと導いて助けたのが鼠であった。そこでもう一度「嫁」を調べると「夜目(よめ)」という言葉がある。これは先の鼠が「嫁が君」とは本来、夜に行動する鼠を意味して「夜目が君」ではないかとしている。ただ鼠は、そんなにも夜目がきくわけでは無いらしい。その「夜目」とは「夜モノ」の転であるようだ。「夜モノ」とは「名前を呼ぶ事を忌はばかる恐ろしいもの」。これは夜行性の獣全般に言えるようだが、ようは夜と云う時間帯は人間では無く、神や魑魅魍魎の時間帯となる。つまり夜モノとは闇のモノと考えても良いだろう。闇が広がるのは、黄泉国もそうである。鼠が「嫁が君」と呼ばれる背景には、もしかして黄泉津大神(よもつおおかみ)がいるからではなかろうか?鼠は、黄泉津大神の使いであると。闇の国である黄泉国を支配するのは、女神だ。「嫁が君」とは暗に黄泉津大神である伊邪那美を指している可能性があるだろうか。

津は「~の」の意であるから黄泉津は「よもの」とも読める。黄泉津は闇世界であるから、そこに君臨する黄泉津大神とは、伊邪那美の変化である。伊邪那美は黄泉津大神となって伊弉諾に対して「一日、千人の人間を殺す」と宣言した恐ろしい女性である。となれば、「家の山の神」も「嫁」もまた、恐ろしい存在として認識されたという事になるか。
by dostoev | 2017-12-28 12:42 | 「トイウモノ」考 | Comments(13)

大荒れだった遠野

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26日の夜から雪が降って、降って、27日の朝にはかなり積もっていた。それが殆ど粉雪なもので、日中の強風で遠野全体が地吹雪が舞う日だった。
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車で走っていても、その地吹雪の直撃を受けると、全く前が視えない為に、取り敢えず車を停めて過ぎるのを待つしかない。
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雪がしんしんと降り、朝になって子供達が雪だるまやカマクラを作る冬景色ではなく、こういう地吹雪が、遠野らしい冬というイメージ。どこかに「サムトの婆」を意識しているのかも…。
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by dostoev | 2017-12-28 03:19 | 遠野の自然(冬) | Comments(0)

遠野不思議 第八百七十六話「愛宕延命地蔵尊」

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遠野市新町の常福寺に、愛宕延命地蔵尊と呼ばれる像が、鎮座している。これは案内板を読むと、初めは享保二年(1717年)に、小友金山全盛時代に豪商両川覚兵衛が愛宕神社へ奉納し、明治時代になり神仏分離となってから、常福寺に納められたと記している。

補足すれば、制作は京都の仏師に頼み、海路はるばる釜石まで運ばれてから、遠野に持ち込まれたと云う。しかし当初は延命地蔵ではなく、愛宕権現として両川氏が寄進したようだ。一度、この愛宕権現の像の片腕が盗まれた事があったそうだが、愛宕山を下ったあたりから像の腕が急に重くなり、仕方なく愛宕橋の辺りに棄てて逃げたと云う。そしてこの愛宕権現の像は明治時代の神仏分離で、仕方なく両川氏の菩提寺であった常福寺に運ばれたのだと。それから愛宕権現像は、延命地蔵尊と称するようになったそうである。両川覚兵衛は別に、愛宕神社の石段も寄進している。
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by dostoev | 2017-12-26 16:50 | 遠野不思議(神仏像) | Comments(0)

「貉(MUJINA)」

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「貉(MUJINA)」といえば中学の英語の教科書に、小泉八雲「貉(MUJINA)」が載っていた。しかし何故か英語の先生は、その「貉(MUJINA)」をすっ飛ばして授業をしたものだから、残念な思いが残っていた。昔は、小泉八雲は普通に日本人だと思っていたが、ギリシア生まれの外国人で、名前をラフカディオ・ハーンというのは、後に知ったものだった。ところで小泉八雲は何故に、話に"のっぺらぼう"登場するのだが、タイトルを「貉(MUJINA)」にしたのだろうか?作品には"のっぺらぼう"という言葉すらない。一般的に"のっぺらぼう"は、貉や狸が化けていたとされるから、敢えて"のっぺらぼう"という名称を避け、妖怪の本体である貉を強調したのだろうか?
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貉といえば、私はまず歴代の住職を喰い殺してきた「遠野物語拾遺187」の貉が思い浮かぶ。今では貉はアナグマとされている為、狸と違ってどこか凶暴に思える顔付きであるから、アナグマが住職を喰い殺すイメージをどこかに感じていた。しかし、調べるとよくわからなくなるのが貉だった。
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中村禎里「動物たちの霊力」には、大正13年(1924年)栃木県で起きた、俗に云われる「タヌキ裁判」の詳細が書かれていた。自分は、ある猟師がアナグマを撃ったら、それは禁止されているタヌキを撃ったとして、裁判に負けて罰金が与えられたが、上告して無罪を勝ち取った話であると思っていた。しかし、よくよく読むと、そういうわけでは無かった。被告は「ムジナは撃ったが、タヌキは撃っていない。」との主張だったが、この被告はムジナとはタヌキであり、タヌキとはアナグマだと思っていたようだ。ところがその時代の動物学者の見解は「ムジナとタヌキは同一の動物である。」であった。ただ普通に、タヌキはタヌキと呼ぶ地域もあったようなので、この動物名の混同は、まだ学問的に確立されておらず、何となくの知識が伝わって、タヌキがムジナになり、またアナグマにもなっていたのかとも思える。似た様な話で、岩手県でのマガレイは、宮城県ではマコガレイと呼ばれ、岩手県と宮城県で、逆転して認識されている。また別に、岩手の海に生息するアナゴを岩手県の人達はハモと呼び、ハモを知っている人達からは「えっ?」という顔をされる。これは恐らく、河童の伝播も似た様なものでは無かっただろうか。「川にはこういうモノがいるらしい。」という情報を、適当に当て嵌めて地域に認識されたのが河童であるから、全国の河童の肖像がみな違っているのは、情報の混乱と適当な当て嵌めからきているのだと思う。
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「狸」という漢字は、古代中国から伝わって来た。中国では、山猫やジャコウネコなどに「狸」という漢字をあてた。それが日本に伝わり、「狸(ネコ)」と訓んだ。中国では、狐に次いで妖怪的な獣として狸がいたという。それが日本に伝わり「狸」とは、人を化かす獣であると思われた様だ。タヌキが人を化かす原型は、どうやらここから来たようだ。ところが「今昔物語」「宇治拾遺物語」に同じ話が伝わっているが、かたや狸が登場し、かたや野猪が登場している事から狸=猪という認識もあったのかもしれない。となれば狸とは、人を化かす獣であると認識はされているものの、それは固有種ではなく、広義的な意味合いとしての狸という意味になっている。「カチカチ山」の話も悪い狸が登場するのが一般的だが、タヌキの代わりにサルになったいる話もある。となればサルもタヌキでは無い、狸の仲間入りとなるのだろうか。
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そして、ここに厄介な貉も加わる。遠野には貉の妖怪の話がいくつか伝わり、似た様な話が三つほどある。それが暗くなると行燈を照らす女だが、いくら女を鉄砲で撃っても手ごたえが無い。そこで行燈を打つとギャッ!という悲鳴と共に貉が倒れる話だ。ところが、似た様な話が遠野以外にも多くあり、それが貉ではなく狸になっている。 これは化かすものが貉でもあり狸でもある事から、貉と狸が共有された話でもある。これこそ「同じ穴のムジナ」である。この諺の意味は「一見違っているように見えるが、実は同類である」という事になっている。

それでは貉とは何だ?狸とはなんだ?と問うても、まだ動物が学問的に確立していない時代、各地域ごとの判断や呼び名にまかせるしかなかった。だから地域ごとの混同が起きたのだろう。そして恐らく、小泉八雲もムジナを調べて、その正体が結局わからず、ムジナの顔が見えてこなかった。だからタイトルを「貉(MUJINA)」とし、「のっぺらぼう」という名詞を使用せず、ただ「顔が見えない存在」として「貉(MUJINA)ムジナ」としたのではなかろうか?
by dostoev | 2017-12-25 20:44 | 民俗学雑記 | Comments(0)

犬と山神の話

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来年が戌年だから…というわけではないが、ちょっと気になった犬の話をしよう。画像は、弥生時代の銅鐸に刻まれた、イノシシを取り囲む犬が五匹と、弓を引く人間の姿。恐らくこれ以前の古い時代から、犬は人間と共に狩りをしていただろうという事になっている。その狩で思い出すのは、山神である。例えば遠野では、「遠野物語拾遺84」の様にオシラサマが倒れた方角へ狩へ行くと良い成果があるなど、他にも「遠野物語拾遺81」「遠野物語拾遺82」「遠野物語拾遺83」などもオシラサマと山神との結び付きを示唆する話になっている。「遠野物語」や「遠野物語拾遺」には、マタギがそれなりに登場しているが何故か、狩猟の友である筈の犬の登場が「遠野物語」「遠野物語拾遺」には、殆ど無い。唯一「遠野物語拾遺134」に、もしかしてと思える話が紹介されている程度だ。

オシラサマは養蚕に関する神であるとしながら、狩猟にも関係する神と認識されているようだ。しかし「遠野物語」「遠野物語拾遺」の狩猟に関係する話に登場しない犬が、三河の地で養蚕に関係している話がある。それは「今昔物語」「参河国に犬頭絲を始めし語」である。養蚕で羽振りの良かった家が急に蚕が全て死んでしまった為にさびれてしまった。しかし、蚕が一つ桑の木に付いているのを見つけ大事にしていたところ、家で飼っていた白い犬が、それを食べてしまう。ところが蚕を食べた犬がくしゃみをした拍子に、犬の鼻から白い糸が僅かに出た。それを巻いているとキリが無いくらい巻き取ると、犬はそのまま倒れて死んだ。それは神仏が犬に変化して助けてくれたものと思い、犬を裏の桑の木の下に埋葬した。それから、その桑の木にはびっしり蚕が繭を作り、極上の糸をとる事が出来るようになった。それが犬頭糸の由来となったようだ。娘と馬の悲恋物語のようなオシラサマ譚では無いが、これもまたオシラサマ譚に似通った話で、白馬の代わりに白い犬となっている。これは恐らくだが、山神に関係するのではないかとも思えてしまう。
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秩父の三峯神社では、参詣者に御守の札を与える事を「犬を貸す」と言う。東北では狼の事を「御犬様」と呼ぶ様に、どこかで狼=犬という認識があるからだと思える。実際に、犬とは飼い馴らされた狼から発生したものとされている。画像は、秩父の三峯神社から江戸時代に分霊された岩手県は衣川の三峯神社で、参詣者に出す御眷属様と呼ばれる御札となる。これが「犬を貸す」、つまり狼と同等の霊力を持つ御札である。これはどういう事かといえば、つまり狼は山神の使いであるから、その山神に使いである狼(御犬様)を借りるに等しいものとなる。
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あまりにも有名な「花咲か爺」の話は、よくよく読んでみると、かなり象徴的である。花咲か爺には、優しい老夫婦と、性根の悪い老夫婦が登場する。話は、その優しい老夫婦が川で犬を拾う事から始まる。この川で犬を拾うという話は、別に「桃太郎」という御伽話で、川に洗濯に行ったお婆さんが、川上から流れて来た大きな桃を拾う事に似通っている。桃はどこから流れて来たのか。また、犬を何故川で拾ったのか。川の源流は、山である。山というものは、水を産み、獣を生み、樹木をも生み出し、その山そのものの金などの鉱物を内包する、人間の母親の様な存在である。だからこそ、山神は女神であるという認識も広く伝わる。「日光狩詞記」を読むと、山神は女の場合と男の場合と二通り認識されてはいるが、女神であると信じている割合が多いようだ。

ある時、犬は畑の土を掘り「ここ掘れワンワン」と鳴く。爺様畑を掘ると、金(大判・小判)が掘り出されるのは、やはり山に内包する金を、山神の使いである犬が見付けるというものであろう。その犬は、隣の悪い老夫婦に奪われ殺されてしまう。優しい老夫婦は、死んだ犬を引き取って庭に墓を作って埋め、そして雨風から犬の墓を守る為、傍らに木を植えた。植えられた木は短い年月で大木に成長し、やがて夢に犬が現れ、その木を伐り倒して臼を作るように助言する。

短期間で成長する話は「竹取物語」を思い出す。かぐや姫が3ヶ月で大人になるのは、何故か狼と同じ。その狼は、満月の晩によく狩をするという。そして、そのかぐや姫を見つけた竹は、金色に輝いていた。それから竹取の翁は、暫く竹の中から金を見つけて豊かになったとしている。かぐや姫もまた、その物語のキャラクター設定の背景に狼と山神が組み込まれているものと思えて仕方ない。

そして、臼だ。これは「遠野物語27」では山の沼に棲む主から臼を貰い、豊かになる話だが、似た様な話は全国にある。この「花咲か爺」でも、犬の墓の傍らの木から臼を作り、それで餅を搗くと、財宝が溢れ出た。この臼もまた、山神と関連するアイテムである。その臼もまた奪われ燃やされてしまうが、その臼が燃えた灰から、今度は花を咲かせる。全ては、山の内包する命に則った話でもある。
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オシラサマ譚も含め、先の桑の木と犬の話。そして「花咲か爺」も含め、実は山神による恵みの話であると思われる。その山神の使いである犬を大事にするという事は、山神の恩恵を受けるに等しいものだと、昔の人は考えたのかもしれない。まあその前に、人に懐き、狩の友となった犬に対する後付けとなるだろうが、白い犬を殺した「遠野物語拾遺134」「花咲か爺」を読めば、まるで座敷ワラシが出て行った様に、その家は没落してしまう。座敷ワラシも、遠野では早池峯という山の神と縁が深そうであるから、全ての根源が山神に結び付きそうでもある。ともかく犬は、山神からのプレゼントと思って良いのかも。

ちなみに「遠野物語」と「遠野物語拾遺」に何故に犬の話が少ないのかという疑問だが、明和八年(1771年)に南部藩が飼い犬禁止令を発布している。その禁止令の原因が、とんでもない。当時の南部藩主の妾が犬を嫌いだという理由から、飼い犬禁止令を発布したのだった。そしてその飼い犬禁止令から、とんでもない事件が起きている。南部藩の隣の伊達藩に、南部藩で飼われていた飼い犬をまとめて、数百匹を放したという。数百匹という数は、現代のペットブームの時代ではなく、江戸時代の話であるから、かなりの飼い犬が集められて、放されたのだと想像する。「遠野物語」「遠野物語拾遺」は江戸時代も含んだ明治時代中心の話であるが、約100年前に遠野から犬がまったくいなくなり、たまに遠野に迷い込んだ犬も、飢饉などの影響で食べられたり殺されたりすれば、犬はかなり貴重であったのか?…などと妄想をしたりする。そう犬は大事にもされたが、食糧にもされた歴史もあるので、山神の恩恵という幻想が崩れた時代は、犬を大事にしない人達も増えたようである。そういう意味から「花咲か爺」などの御伽話は、そういう事を伝える為に広まったのかもしれない。ただしこの現代、犬を可愛がる人は多いだろうが、山神の棲む山そのものをどうにかしなければならなくなっているのだろう。
by dostoev | 2017-12-24 21:26 | 民俗学雑記 | Comments(0)

河童と隠れキリシタン

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中村禎里「動物妖怪談」を読むと、中村氏は河童と隠れキリシタンが結び付く可能性を示唆している。

1805年に九州の日田代官が河童を調査し、河童を目撃した者の話を集めると、1667年に完成した用水の近くが三か所。川渕が二ヶ所。川堰の近くが一ヶ所。そして湧水から流れ出る小川のほとりが一ヶ所。これは江戸の町も含めて、河童を目撃した場所の共通の特徴は、人工的な水地という特徴があると述べている。その水地も、驚くほど小さな流れであるようだ。遠野の常堅寺裏を流れる河童淵と呼ばれる足洗川も、かなり狭くて浅い。

遠野の河童の共通した特徴は、河童淵と呼ばれるものが、まず民家の近くにあるという事。例えば河童が魚だけを食べる生物であるなら、人間の住む民家かから離れた山の淵でも、沢でも良い筈だ。しかし河童がいるとされる河童淵は、天敵になり得る人間の住む民家の近くにある。これはつまり、人間が近くにいてこその河童だとも考えられる。それは人間に依存している河童といっても、良いのではなかろうか。生物が"そこ"に棲む場合、餌を含む環境が重要となる。河童は、人間に関係する何かを求めて、民家の近くに住んでいる可能性は高いだろう。

実は座敷ワラシを調べていると、飢饉などが頻繁に起きた時代、小さな子供達は人の家に忍び込み、仏壇や神棚にお供えされたものをよく食べたと云う。それが座敷ワラシが仏壇などで目撃された話に繋がるものと思われる。それと似た様なものに、墓所に供える団子などもそうである。現代では、供え物をして放置すると、カラスなどに食い散らかされるので、皆で分けて食べるか、持って帰ったりもする。昔は神の使いとされたカラスなどにも意図的に与えた場合があるが、密かに墓所に供えられた供物を食べた者もいただろうと思える。ここで思い浮かぶのは、川から這いあがった河童は、家に入ると座敷ワラシとなるという伝承だ。これは河原に住まう何者かが、家に入り込み、食べ物を漁ったとも捉えて良いかもしれない。遠野に乞食がいたかどうかだが、通常は遠野の冬を乞食は越せないだろう。だから都会で見受けられる浮浪者は、遠野にはいない。それでも戦後に、河原に住む者達がいたという話を聞いた事がある。その冬を越す方法だが、やはり風と雪を遮る建物と暖は必要となる。それを兼ね備えているのは、厩だ。厩にイズナや狼が侵入して、馬が嘶いた話はよく聞く。しかし馬は余程が無い限り、警戒心を抱かないものである。河童を河原に住む者と考えた場合、そういう者が冬を過ごす為には、厩に忍び込むしか無いのではなかろうか。
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話は飛んでしまったが、画像は日田代官調書に描かれている河童の肖像である。この姿は、河童よりも猿。猿よりも人間に近いと、中村禎里は感じたようだ。明治時代になって文明開化と叫ばれるも、地方ではまだ原始的な生活をしていた場合が多い。一般庶民であっても衣類は高価な為に、滅多に着る事は無かったので男も女も、大抵は上半身裸で過ごしていたと云う。裸で髭はボウボウの姿は、まるで人間離れして見えたかもしれない。

日田代官が河童の調査を思いつき、その実施を豪商であった広瀬桃秋と森春樹に命じた。森春樹の随筆「蓬生譚(1810年)」に、河童の住まいを訪ねた報告書がある。それによれば「水の中かと言えばさにもあらず、家の中にもあらず。穴の中とおぼしき所にて、莚など敷きて居りし」と報告されている。中村禎里は「このような生活様式は、山窩と呼ばれる漂泊民のものと似ている。」と述べている。さらに中村禎里は、「九州の河童伝説濃密地帯は、かつてキリシタン大名が支配していた地域と重なると。仏教には帰依せず、山中にひっそりと隠れ住むと想像されたキリシタンの影もまた、河童にひそんでいた可能性を、完全に否定することはできません。」キリシタン大名は江戸時代に入り、慶長十八年(1613年)に禁教令も出された事から、それ以降はいなくなったが、隠れキリシタンは密かに独自の信仰形態に様変わりして明治時代まで続いていたようだ。妖怪は、神の零落したものだという見解を柳田國男を述べた。かって普通の民であったものが、山窩であり、隠れキリシタンに零落し、人間としての尊厳を奪われ、妖怪視された者達もいたのかとも感じてしまう。紹介した河童の肖像の頭が窪んでいるのは、所謂河童の皿というものであろうが、それがフランシスコ・ザビエルの宗教者と同じ、頭のてっぺんを剃っているものにも似通っているのは、もしかして河童がキリシタンをも内包して伝わったのかとも感じてしまうのだ。
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画像は、明治時代に瑞応院に持ち込まれた慈母観音像を聖母マリア像に見立てたものではないか?とされる像。全体に粒子の細かな砂が付いているが、それは坑内で祀られた像であるからとされている。遠野では、キリシタンの禁教令により、仙台領から逃れてきた後藤寿庵の門人やその系統の者達が。また元和、元文年中より寛永年中にかけて、志和郡佐比内より、金山経営者でキリシタン信者であった丹羽弥十郎の門人等が多数、上郷町の来内から小友町の平笹、長野にかけて移り住み、金山開発の採掘に従事したと云う。落盤事故の多かった金山開発は、死との隣り合わせでもあった。見つかれば死罪となる隠れキリシタンを、ただ殺すのは勿体ないと、南部藩も黙認したのかもしれない。ただ「盛岡南部家文書切支丹妻子御成敗目録」によれば、寛永十三(1636年)年三月二十五日、遠野においても隠れキリシタンが三人処刑され、数十人の改宗者があった事が記録されている。明治時代になっても明治政府による隠れキリシタンの迫害は続いたのだが、諸外国の非難・批判を招いた為に明治六年、江戸幕府以来の「キリシタン禁教令」が解かれて、やっと信仰の自由が認められた。ならば明治時代に瑞応院に持ち込まれた像は、察するに明治初期の頃であったろうか。

河童は、仏教関係の事物を嫌うとされているのは、もしかして隠れキリシタンとの結び付きも指摘される。ただそれは遠野では聞いた事が無いので、恐らく河童と隠れキリシタンが濃密に繋がる九州限定であろうか。
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画像は、常堅寺に伝わる隠れキリシタン像と云われる。頭に罰点がついているのは、キリストのクロスを意図したものだと。こうして考えていくと、遠野の観光名所になっている河童淵傍の常堅寺には、隠れキリシタンの像があり、常堅寺から五日市よりの近くには、キリシタンの墓地がある。また常堅寺には、過去に隠れキリシタンとの深い因縁もある事から、常堅寺には何やら隠れキリシタンの匂いがしないでもない。先に紹介した供物を食べる話だが、お寺には供物が集まる場所でもある。また冬の寒さを凌ぐ為、家の無い者がお堂で過ごしたとの話も聞く事から、それらの条件を兼ね備えるのは、神仏習合時の寺院であったろうと思う。隠れキリシタンであった事から処刑され、その家族は追放されたとも聞く。行くあても無い追放された子供が、密かに民家近くのお堂などに住みつき、人間が妖怪に零落した存在として河童となったとしても、おかしくは無いかと思えた。あくまでも、河童の一つの形として有り得る話では無いかと、記事を書いてみた次第だった。
by dostoev | 2017-12-23 18:27 | 民俗学雑記 | Comments(0)

遠野不思議 第八百七十五話「程洞」

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以前、「遠野物語拾遺140(程洞稲荷由来)」の記事で、この程洞の地に住み、医療をしてきた宮家の話は書いたが、この程洞に至る事を書いていなかった。

宮家は、最後の男当主であった宮康氏が生前、宮家は阿曽沼氏の一族で、阿曽沼氏没落後、この程洞で密かに暮していたと述べていた。宮氏には元々祖先伝来の系図があったが、明治元年私有財産制度確立に伴う縁故払下げが行われた時、程洞稲荷神社付近の払下げを願い出、系図の写しを他の願書に添えて青森大林区署に出したところ、系図を写しでは無く元本を送れとなり、写しは返されたそうな。されから祖先伝来の系図を送ったところ、不幸にして大林区署の火災と共に焼失してたしまった。

阿曽沼氏として最後の殿様であった阿曽沼広長は、失意のうちに仙台で亡くなったというが、その広長には義政という子供がおり、隼人と称していたという。その後、隼人は倉掘と姓を改め気仙より山を越えて、眼下に鍋倉山の横田城を望む程洞山に密かに住み始めたと云う。いつの日か、再び阿曽沼の復興を願っていたが、いつしかその願いも失せ、道義という人物の代になってから姓を宮と改めて程洞山を下り、六日町に住み、明治に至るまで医者として南部氏に召し抱えられたのだと。ただし別に伝わる話では、弘雲の代に山を下りて新町に移り住んだとされる。「遠野物語拾遺140」に登場する"こうあん様"とは、この弘雲であろうとされる。
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また別に、五百羅漢は一般的に飢饉で死んだ人達を供養する為に作られたとされるが、本来は阿曽沼氏の一族を供養する為に自然石に彫られたとの伝説もある。ただ五百羅漢を彫った人物が、怨み深い南部氏の菩提寺であった大慈寺の住職義山和尚である事から、何やら皮肉めいて聞こえる伝説でもある。逆に思えば、南部氏が貶めた阿曽沼氏が怨霊とならぬように五百羅漢が彫られたとしても、辻褄は合うだろう。
by dostoev | 2017-12-22 11:55 | 遠野不思議(伝説の地) | Comments(0)