遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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久慈星

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遠野生まれの遠野育ちでありながら、自分には遠野の血はまったく入っていない。両親がどちらも、久慈出身な為だ。久慈といえばもう数年前になるか、全く観てはいなかったがNHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台で有名になった、岩手県の北に位置する海の街でもある。

自分の知っている有名な久慈は、柔道の三船十段か琥珀くらいだった。その「ひさしくいつくしむ」「久慈」の語源はどこから来ているのか謎になっている。「久慈市史」を読んでも不明とされていた。もしかして、茨城県の久慈と関係があるのでは無いかとも考えたが、確証が無い。ところがある時、星に関する民俗の本を読んでいると「久慈星」というものを発見した。どうやら、天文暦象の諸事一般を載せた書を「日爾雅(くにが)」というらしいが、古事記編纂の時代に北辰が天上天下の根源を為す信仰が広がり、いつしか斗極(北辰)に久慈星という名が冠せられたのだと。つまり「日爾雅(くにが)」の「日爾」「くじ」とも読む。しかしこれでも、久慈市の久慈がここから来ているかといえば、少し弱い。ところが久慈という名称に、また別の説があった。

「儺の國の星」によれば筑紫では亀の呼称を「鼈龜(ぐず)」あるいは「渠師(ごうず)」と呼んでいたようだ。倭人はその音を「宮子(くうし)」と書き、陸奥九戸久慈などに伝わったとされている。ところが、古代中国では卜占の女人を宮子(ぐうず)と崇めたらしいが、それを宮姑(みやこ)とも呼び、陸中閉伊宮古に伝わったともされている。ただし根源が亀であるから、それが卜占としての「宮姑(みやこ)→宮古(みやこ)」と、北を玄武とする斗極の「鼈龜(ぐず)→宮子(くうし)→久慈(くじ)」の違いはある。つまり、岩手県の久慈市と宮古市は、どちらも北を意味する言葉であったという事。先の「日爾→久慈」も、北を玄武とする事で重なる。簡単に訳してしまえば「久慈」とは「北の亀」、つまり「玄武」という意味の地名となる。これは朝廷側の立ち位置により、岩手県の地名の多くは朝廷の北に位置する地域であるとして付けられたものであったか。
by dostoev | 2017-01-30 14:58 | 民俗学雑記 | Comments(0)

岩手山の噴火と芭蕉

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昨夜、秋田県を震源とする地震があり、位置を確認すると、岩手山に近いと事から一瞬火山性地震か?などと思ってしまったが、そうではなかったようだ。岩手山の噴火は、大正時代まで遡るが最近は噴火の気配を出した時もあったが、どうにか噴火までは至っていない。ところで火山の噴火は神の怒りとされ、古代の人々は、その神の怒りを鎮める為に苦労したようだ。その火山の噴火を別に"天泣"と呼ぶ。確かに火山の噴火は、天を覆うほどの激しさであるから、イメージが湧く。そしてその天泣の別名を"魚涙"と云うそうだ。火山の噴火で、川の中に棲む魚も被害に遭って泣くという意味だろうか?

行く春や 鳥啼魚の 目は泪

上の句は、松尾芭蕉が奥の細道への旅立ちの時に詠んだ句である。一般的なこの句の訳は「うららかで花咲きそろう春は格別である。その春が行ってしまうのだから、鳥までもわびしさで泣いているように聞こえ、魚も目に涙を光らせているように思われるものだ。」しかし、火山の噴火の別名を「魚涙」と知ってしまうと、別の考えが浮かんでくる。

芭蕉が奥の細道に旅立ったのが1689年(元禄二年)の桜が咲く頃であったと。しかしそれが新暦でいえば5月16日という事から、疑問が残る。桜前線は、南から北に移動するように、必ず時差が生ずる。現在の東京での桜は4月前後に咲くのであるが、岩手県の桜は5月前後が一般的だ。春の花といえば桜の事で、「花の色はうつりにけりないたずらにわがみ世にふるながめせしまに」という小野小町の歌に登場する花は桜を意味している。それ故、芭蕉の句の訳として「花咲き揃う別格の春」とは、桜満開の春を詠っているものと思われるが、5月の東京での桜は、既に散っている。つまりこの芭蕉の句とは、これから向かう先の春を詠んでいる句ではないだろうか?

岩手山は1686年に噴火して、更に1687年に噴火している。恐らく岩手山が噴火したという情報は、芭蕉の耳にも入っていた事だろう。しかし、現在の情報伝達時代とは違い、冬をまたいだ1689年の春において芭蕉は未だ岩手山が噴火しているものと思っていたのではないか。それ故の俳句が「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」とは、これから自分が向かう先の春は、岩手山の噴火で鳥啼き魚も泪しているに違いないという意味の句では無かっただろうか。
by dostoev | 2017-01-29 11:08 | 民俗学雑記 | Comments(0)

馬に関する早池峯七不思議

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早池峯七不思議の中に「龍ヶ馬場の駒の声」「安倍貞任の軍勢の音」というものがある。安倍貞任の軍勢の音は、騎馬の音であるようだ。どちらも馬に関するものだが、現実には有り得ないもの。では何故、早池峯に馬に関係する話があるのか。

「遠野物語」に馬の登場する話は少なくないが、怪異譚となると「オシラサマ」の話か、もしくは「遠野物語拾遺264」になるのではなかろうか。「オシラサマ」は有名過ぎて、今更紹介する話でもないかもしれない。「遠野物語拾遺264」は、出棺時の話になる。
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出棺の時に厩で馬が嘶くと、それに押し続いて家人が死ぬといわれ、この実例もすくなくない。必ず厩の木戸口を堅く締め、馬には風呂敷を頭から冠ぶせておくようにするのだが、それでも嘶くことがあって、そうするとやはりその家で人が死ぬ。また葬送の途中に路傍の家で馬が嘶くような場合もある。やはり同じ結果になる。こういう際の異様な馬の嘶きを聞くと、死人の匂いが馬にも通うものであるかとさえ思わせられるという。

                     「遠野物語拾遺264」

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柳田國男「山島民譚集」によれば、葦毛は最も霊異なるものなると同時に、又最も厄災に罹り易いと述べており、その葦毛馬には、神も妖怪も乗るとされる。これには昼と夜との関係が深いようだ。人間の活動する昼は、太陽光の下であるが、神や妖怪の活動する夜は、月光の下となる為、馬は太陽光と月光の影響によって特性が変わる様である。夜の闇であり月光は、冥界であり黄泉国との繋がりが深いと信じられている。テオドール・シュトルム「白馬の騎士」に出現する月光を浴びて疾走する白馬の騎士は、水害を象徴するかのような存在だった。また、コシュタ・バワーという首無し馬の引く馬車に乗るデュラハンは、死を予言する存在。馬というものは人間が制御する乗り物でもあるが、その馬は夜になると、逆に人間を意図的に誘導する存在に変化する伝承が多い。「遠野物語拾遺264」においても、馬に風呂敷を被せるのは、死へ導く馬の鳴声を阻止する為。つまり馬は、黄泉国にも近い事が「遠野物語拾遺264」によっても証明される。
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古代には、方位が逆転して示される方位観があったそうだ。それ故に、北辰を"馬脛"とも呼んだ時代があったという。"馬の足"という夜道に出現する妖怪がいる。福岡県の那珂川沿いには、遅くまで遊んでいる子供に対し「馬の足の化物が来るぞ!」と言ったらしい。昼間は大人しい馬も、夜になると恐怖の存在に移り変わったようだ。先に紹介したテオドール・シュトルム「白馬の騎士」の物語では無いが、夜の馬を怖がるのは単に怪奇譚というだけでは無い。水辺に馬の怪奇譚があるのは、水害との関連があるようだ。「白馬の騎士」は津波との関係があったが、福岡県の那珂川でも川の氾濫と馬の関係が結び付いての怪奇譚であったよう。それは九州では、夏の大風は南方、方角でいえば午から襲来すると伝えられている。自然災害が、方位と結び付いて考えられた怪奇譚なのだろう。世界的にも「闇夜に聞こえる馬蹄は、洪水の前兆である。」とされている事から、北に聳える早池峯は、方角として子となるが、方位逆転の時代もあった事から午にもなる。更に白髭の洪水伝説が伝わるのも、早池峯に祀られる神が龍神であり水神の為であろう。早池峯神社の大祭では、神を乗せた神輿は真っ先に、早池峯神社境内にある駒形社へと行くのは、早池峯大神を乗せる為でもある。神というものは、自然災害を引き起こす存在でもある。それを乗せるのが馬でもある事から、早池峯に伝わる七不思議での馬の話は、水害に関係するものではなかろうか。つまり「龍ヶ馬場での駒の声」や「安倍貞任の騎馬軍勢の音」がもしも聞こえた時は、水害が起きるのだと伝える為の七不思議ではなかっただろうか。
by dostoev | 2017-01-24 20:43 | 民俗学雑記 | Comments(0)

北(あべ)

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遠野の北に聳える早池峯山の上空には、北極星と北斗七星が輝く事からなのか、北辰であり妙見信仰とも結び付く山である。その早池峯山にはいくつかの安倍氏の伝承が伝わっているのも、安倍氏が早池峰信仰をしていたからに他ならない。そしてその安倍氏の出自が、未だにわかっていないのが現状だ。

安倍氏は蝦夷の豪族である事から、もしかしてアイヌの血を引いているのではないかとされたが、平泉金色堂に祀られていた安倍氏を祖とする奥州藤原氏のミイラのDNAを解析したところ、アイヌ系のDNAは無かったようである。また神武東征の場面で、大和地方で東征に抵抗した豪族の長として長髄彦がいるが、その兄弟である安日彦(あびひこ)が安倍氏の祖ではないかとも云われる。安倍は「アビ」であり、火を意味するという。それが確かなら、安倍は火を意識して作られた氏名という事になる。

ところで気になるのは、早池峯がかなり北を意識された山であるという事。ただ、早池峯の古くは東峯という山名だったという説は、以前に自分が否定した。東とは太陽の昇る意を含むもので、現実的にそれが適用になるには岩手県の内陸部である花巻地域から盛岡地域にかけて望む早池峯に限っての事である為、それは恐らく南部氏の意向を汲みとった山名であったと思われる。水沢の正法寺の裏山を早池峯と称して、毎年正月に参拝するのは、北に鎮座する本来の早池峯山の遥拝所であった為だ。また、大迫の早池峯神社の向きが、遠野の早池峯神社に建てられたのも、遠野側の早池峯神社を経由して、北に鎮座する早池峯山を遥拝する為だった。南部氏が力を示す以前に建てられた大迫の早池峯神社が北を意識していながら"東峯"という山名であったとされるのは、東という漢字の用法からやはりおかしいのである。
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日蓮宗総本山久遠寺の山号は、身延山(みのぶさん)である。その身延山の山号は、妙見にちなんでいるという。その身延(みのぶ)とは「みのべ」の転訛であり、本来「みなのあへ」からきているとされる。「みなのあへ」の「み」は「三」であり、「な」は「四」であると。四三の星(しそうのほし)と呼ばれる星があるが、これは古くから伝わる北斗七星の古語になる。三と四の組み合わせで浮かぶのは、北斗七星。身延山が妙見を意識してのものならば、それはすんなり受け入れられる。そして「みなのあへ」の「あへ」とは、「北」そのものを云う言葉であった。「あへ」は濁点が付いて「あべ」にも転訛する。つまり「あべ」という言葉そのものが古来、北を意味していたという事になる。「あべ」が「北」を意味する言葉であるなら、"安倍貞任""魁偉"という北斗七星を意味する名称で呼ばれた事も、すんなり受け入れられるのだ。そして北に鎮座する早池峯山に、やはり北そのものを意味する安倍氏の伝承が存在するのも当然の事であった。
by dostoev | 2017-01-21 13:16 | 安倍氏考 | Comments(0)

兎亀(とき)のかけっこ

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足の速いウサギと、足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する「ウサギとカメ(兎と亀)」の物語がある。

ウィキペディアによれば「イソップ寓話やラ・フォンテーヌが書いた寓話詩にも所収されている。 同じ素材の話がジョーエル・チャンドラー・ハリスの「リーマスじいやの話」にもあるが、内容は大きく異なる。日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。明治時代の初等科の国語の教科書には「油断大敵」というタイトルで掲載されていた。」

とにかく「油断大敵」という寓話で有名となった「ウサギとカメ」だが、俊足の象徴としてのウサギと、鈍足としての象徴のカメに、誰も違和感を抱いていなかった。しかし、俊足はオオカミでもシカでも良かったのではなかろうか。「ウサギとカメ」はイソップ寓話にも載っているものの、その話の原型がどこまで遡れるかわからないのではなかろうか。

実は「ウサギとカメ」の組み合わせで、気になるものがある。それは、亀占だ。亀占の歴史は紀元前の最古の王朝と云われる殷代後期が際立った時代だと云われる。その殷代では、亀占によって天道を占っていたというが、その時代の概念に「月に莵在り、日に亀在り」と信じられていた。毎日昇っては沈む月と太陽は、時間の運行に関与していた。その月と太陽を間接的に表現した生物が、兎であり、亀であった。それ故に、時間を示す「"時(とき)"」とは、「兎亀(とき)」から始まった言葉でもある。

そこでもう一度イソップ寓話の「ウサギとカメ」を思い起こして見る。ウサギとカメの到達点は同じなのだが、辿り着くまでの速度が違う。しかし、太陽は安定した速度と形で進むのだが、月は不安定な形に変化して、一旦消えてしまう(新月)存在でもある。その月の不安定さは、まさしく寓話のウサギの行動にも重なる。また時計の長針は、短針よりも見た目が派手に速く動いている様だが、到達する時間は同じとなる。つまり長針はウサギと同じ様に、いくら速く動いても、短針でありカメに勝てない存在でもある。この月日の兎亀の関係と、時計の長針と短針の関係が、何故か寓話「ウサギとカメ」に重ねてしまうのは、自分だけだろうか?
by dostoev | 2017-01-20 19:43 | 民俗学雑記 | Comments(0)

一月の満月(雪女の襲来)

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小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でゝ遊ぶ
とも云ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。

里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になるこ
とあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のこ
となり。されど雪女を見たりと云ふ者は少なし。


「遠野物語103」に記されているように、一月の満月の日は雪女が出ると伝わっている。その日が昨日の1月12日であった。今年の遠野は暖冬で、サラッと降った雪もすぐに融けたので、10日まで遠野の街には雪が殆ど無い状況だった。それが一転して11日から、昨日の12日にかけて寒気団が押し寄せ、一気に遠野全体が雪景色となってしまった。雪女は、冷気を伴うというが、まさしく今回の寒気団は雪女の襲来であったかのよう。
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by dostoev | 2017-01-13 06:53 | 遠野の自然(冬) | Comments(0)

遠野不思議 第八百五十一話「鎌倉のねんずみ」

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からすぁ母親(あっぱ) 何処行った 万庶越えで 荘越えで 

麹(こおずけ)買えに 罷(まが)った 何升 麹買って来た

四升(すしょう) 麹買って来た

師匠(すしょう)どんの上臈は 神の前で孕んで 仏の前で坊産(な)すた

その坊の名は何と申します つくつん太郎と申します

つくつん太郎の御厩さ なんぼ馬ぁ 買え込んだ

四十六疋(すじゅうろっぴき) 買え込んだ

どの馬の毛色(けえろ)が良(え)え 油めって 照らめって

中の馬の毛色が良え 毛色の良え馬さ

貝に反った 鞍置えで 何処まで乗ってった 鎌倉まで乗ってった

鎌倉のねんずみは あんまり悪い ねんずみで

仏の油ぁ し盗んで 前髪(めぇがみ)にべったぁり 

後髪(うつしよがみ)に べったぁり

京の町に立ったれば 犬にワンとほえられで

明日の町に立ったれば 猫にニャンとえがまれだ

犬殿猫殿許しぇんしょう

戻りにぁ 酒買いましょう 百に米ぁ 一石 十文に酒ぁ 十ししゃげ

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上記の歌は「からすあっぱ」という"わらべ唄"となる。伊丹政太郎「遠野のわらべ唄」の中で、「からすあっぱ」は子守唄であるが、遠野のわらべ唄の中で"最も大切な唄"のひとつであると紹介されている。「からすあっぱ」とは、カラスの母親の意味であるが、ここでは熊野権現の使役カラスを意味しているのだと。ある程度の解説が「遠野のわらべ唄」には書かれているが、不明な点もいくつかある。その不明な点は取り敢えず省いて、全体を簡単に説明しよう。

どうやら二部構成になっている歌の様で、初めは熊野のカラスが酒を造る為の麹を買いに行き、つくつん太郎が生れて鎌倉へ行くまで。後半は、鎌倉での悪いネズミの話になっている。酒は霊力を持つ飲み物と理解されており、その酒を造る為の麹を四升買ったのだが、この四升は師匠にかけられているらしく、その師匠の上臈が子供を産んだ話となっている。師匠はどうも山伏系らしく、上臈は女中ではなく、ここでは妾という意味だろうか?もしくは白拍子か。

この「遠野のわらべ唄」では、仏を平清盛だとしている。遠野の昔(鎌倉時代以前)、多くの熊野修験の者が来て、遠野の民に、いろいろな事を教えたという。確かに遠野においても薬草などの山野草の知識や、民間療法は山伏が伝えたと聞く。その熊野修験の大元である熊野三山に対して多くの寄進をしたのが平清盛である事から仏の様な人、それが仏として、遠野のわらべ唄に歌われた様だ。平清盛は、奥州藤原氏とも血筋が繋がる様で、信仰も近似している。相対する源頼朝は、戦神でもある八幡大菩薩を信仰し、平家と共に平和を願う奥州藤原氏をも撃ち滅ぼそうとする悪者という認識があったのだと思われる。その源頼朝が後半"鎌倉のねんずみ"という形で登場している。

鎌倉のねんずみは あんまり悪いねんずみで

後半部の導入が、源頼朝の悪口から始まる。仏は平清盛を言うのだが、油は平家の勢力を表すのだと。木曽義仲や源義経に平家を攻めさせ、勝つ見込みが立ったところで攻め入った狡いやり方をしたのが源頼朝であったと伝わっていたようだ。また今まで奥州藤原氏の統治下でゆったり暮していたのだが、源頼朝の命を受けた阿曽沼氏が遠野を支配してから、厳しい年貢の取り立てに遠野の民は苦しんだという。これらの事から、源頼朝は悪い奴だと認識された。しかしおおっぴらに、それを言う訳に行かない。それをわらべ歌に託して伝えたのが、この「からすあっぱ」というわらべ歌であったようだ。
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ところで疑問なのは"つくつん太郎"とは、どういう存在なのか?「神の前で孕んで 仏の前で坊産すた」という神童らしい。例えば体の小さな者を「ちんちくりん」と評すのだが、遠野では訛る為に「つんつくりん」と言う。「つくつん太郎」を逆にすれば「つんつく」となり、訳すれば「ちいさな童」という意味になろうか?

「童謡(どうよう)」は、子供向けの歌を指すのだが、別に「童謡(わざうた)」とも読む。ところが童謡(わざうた)とは古代において、誰が作るともなく世間に流行った歌であり、民衆の間に広がる作者不明の流行歌という定義がなされている。ある意味、わらべ唄と同義でもある。平安時代中期に成立した「聖徳太子伝暦」という書に、歌の上手な八島という者がある晩突然訪問した人物と歌を競い合うのだが、その歌声が常にあらず、とても人の声には聴こえなかったという。歌合戦の後、その人物の後を追いかけて行くと、空が開ける頃には住吉の海に入って行ったそうな。それを聞いた聖徳太子は「それは、螢惑星でしょう。」と言った。聖徳太子曰く、その螢惑星とは火星の事で、色は赤く、南の空を司る星であると。この螢惑星は地上に降りて来て人の姿に変り、童子たちの間に入って一緒に遊び、好んで歌を作って未来の出来事を予言する様な歌を歌うと云われると答えた。また鎌倉時代末期に成立した「聖徳太子伝記」にも、似た様な事が記されており、微妙に違うのは、螢惑星を「人の世に戦乱や飢えや不作などの災難が起こる時、螢惑星が童子の姿に変身して地上に現れ、人々の間に交じって未来の吉凶についての歌を作り、広く人々に知らせる。」と説明している。最後に聖徳太子は、こう述べている「天に口無し、人の囀を以て事とす。」つまりこれは、流言などの噂話やわらべ歌が、天の意志であるという意味になる。天の意志は民の中に生きていると言って良いのかとも思う。恐らくだが、平清盛が開発したとされる禿という制度もまた、この聖徳太子の言葉を含んで制定されたものでせはなかったか?

置き換えれば支配者の耳を避けて拡がった「からすあっぱ」という遠野のわらべ歌こそ、民の意志であり、天の意志であったという事になるか。遠野の民を支配した阿曽沼氏も、秀吉の小田原征伐の後に没落し、代わりに南部氏が統治した。しかし振り返れば、遠野の民が一番幸せであったのは、阿曽沼氏以前であったのだろうか?それでは現代は、どうであろうか?
by dostoev | 2017-01-06 20:23 | 遠野のわらべ唄 | Comments(0)

鳥の雑文

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酉年という事で、鶏などについて雑文をば少々。ニワトリというと、夜明けを知らせる鳥として有名となっている。昔話で、鬼などの魔物に襲われていても、ニワトリの鳴声によって夜明けが近い事を知ると、魔物たちは慌てて逃げていく様が、よく描写されている。夜明けを嫌う者は西洋になると、吸血鬼になるのだろうか。太陽光線を浴びると、身体が崩壊するのだと、子供の頃によく見た吸血鬼の映画で認識している。しかし、西洋の吸血鬼映画にはニワトリは登場しない。考えてみれば吸血鬼映画とは、基本的に吸血鬼退治映画であるから、前もって日の出を知らせるニワトリは邪魔な存在になってしまうのかも。
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とにかくニワトリの鳴声は、朝を知らせる。それを利用して魔物を撃退する物語は、どこかでホッとするものだが「伊勢物語」では、そのニワトリの鳴声を口実に、まるで魔物から逃げるかのように女から逃げる男を表現している。しかし、女の歌を知ると、その女は確かに魔物であったかのよう。

夜も明けば水桶にはめなで腐鶏の まだきに鳴きてせなをやりつる

(夜が明けたらこの腐れ鶏を水桶にぶちこんでやろう! この鶏が夜も明けないのに、あんなに鳴いてあの人を帰してしまったから。)

逃げた男とは、色男で有名な在原業平であった。どうやら、田舎女に興味を示したものの、"用を済ませた"ので早く立ち去りたい在原業平が意図的にニワトリを鳴かせたようにも思える話である。上の歌は、女の気性の激しさは、まるで正体を隠す魔物の様。話を変換すれば、在原業平が知恵によって、魔物から逃げた話にもなり得る。ところで田舎とは陸奥国なのだが、この田舎の女が在原業平に恋い焦がれ詠んだ歌が、下記の歌。

なかなかに恋に死なずは桑子にぞ なるべかりける玉の緒ばかり

(なまじ恋焦がれて死ぬよりも、いっそ夫婦仲の良い蚕になった方がまし。蚕の命は短いけれど…。)


蚕は虫であるから人間より寿命は短いもの。ここで気になったのは、"夫婦仲の良い"と詠っている事だ。もしかしてだが、オシラサマの話が伝わってのものではないかと勘繰ってしまう。オシラサマの話は、若い娘が許されない恋心から白馬と共に、天に昇る(死んでしまう)という話だが、生前は確かに若くしての死であるから寿命は短いと思われている。もしかしてこの時代にオシラサマの話は、陸奥国に留まらない形で広まっていたのだろうか。
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再び「伊勢物語」になるが、雁の鳴声を娘の心情(実は母親の心情)に重ねている歌がある。

みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞよると鳴くなる

(三吉野の田の面に降りている雁でさえも、ひたすらあなたに慕い寄るという気持ちで鳴いております。娘も同じ心であなたを頼りにしておりますよ。)


雁の鳴声さえも総動員して、身分の高い在原業平を引き留めようとする歌だが、生粋の女好きの在原業平は、一人の女に留まる事が出来る筈も無く、ただ渡り鳥の雁の様に去って行く。ここでは鳥の鳴き声を、どう捉えるかだが「伊勢物語」は在原業平の女性遍歴の作品みたいなものだから、鳥の鳴声=女の泣声にも感じてしまう。その前に、泣くという行為そのものが、男よりも女に与えられた行為の様で、男も泣くは泣くのだが「男なら泣くな」という言葉が、かなり昔から伝わっている様に、逆に「女なら泣いても良い」という認識があったのだろうと思える。だからこそ、鳥の鳴き声は女の泣き声に重ねて表現しているのだろう。
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角田川(隅田川)で船に乗った在原業平は、白い鳥を見て船頭になんという鳥なのか聞く。「これなむ都鳥」と聞いて、なんと京の都にいる二条の后を思い出す。都鳥とはユリカモメの事だが、その都鳥の白い肢体から妻を連想する在原業平は、さすがとしか言いようがない。また、鶉(ウズラ)も登場する。それは別れ際に女が鶉になるという歌を詠んだ。

野とならば鶉となりてなきをらむ 狩にだにやは君来ざらむ

簡単に言えば、別れたとしても鶉になれば、今度は狩としてあなたが来てくれるかという切ない望みの歌で、まあ作者が在原業平であるから、脳内が鳥だろうが花だろうが、「伊勢物語」は、全て女に結び付けて作られている作品である。まあ鳥と言っても、ここで鷲とか鷹が出て来たなら、それは女より男を連想すると思うので、作品上猛々しい鳥を登場させないようにしている。少し気になったのは、鶯の花の歌のくだりだった。

鶯の花を縫ふてふ笠もがな ぬるめる人に着せてかへさむ

鶯の花を縫ふてふ笠はいな おもひをつけよ乾してかえさむ(返歌)

濡れる人を"思ひ(思火)"という炎で乾かそうというやり取りだが、月形半平太の有名なワンシーンを思い出した。思い出したと言っても、小学校の時に買ったかくし芸関係の本に、有名なセリフのくだりがいくつかあった中の一つが、この月形半平太のワンシーンのセリフを未だに何となく覚えているので、ちょっと書いてみよう。

雛菊「月様、雨が…。」

半平太「雛菊か。花を散らす心無い雨よのぉ…。」

雛菊「鶯の羽が濡れましょう。」

半平太「雛鶯か」

雛菊「帰りましょうか、もし。」

半平太「春雨じゃ、濡れて行こう。」


このワンシーンで、恐らく雛菊と雛鶯をかけているのは、最後に"思火"で乾かすという意味を含んでいるのではととっさに思ってしまった。もしかして月形半平太のこのシーンは「伊勢物語」から来ているのかなぁと。とにかく、鳥と女性が、よく結び付けられているのが「伊勢物語」であった。そういや、家の婆様も酉年だったなぁと、何となく思ったりもする。
by dostoev | 2017-01-04 22:41 | 民俗学雑記 | Comments(0)

稲荷穴の蕎麦屋の思い出。

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久々に稲荷穴を訪れて、目に付いたのが"手打ち蕎麦"の看板だった。思い出すのが平成初期の頃、今から20年以上前の時だった。観光客二人を連れて、美味しいと評判の手打ち蕎麦を食べに、わざわざ稲荷穴まで行って見た。

稲荷穴には、二軒の蕎麦屋があった。入口から手前の蕎麦屋は、商売してますよという風体の蕎麦屋であった。今回食べようと思っている蕎麦屋は、それよりも奥に佇む、爺様と婆様二人でやっている古い民家を利用した蕎麦屋だと聞いていた。どこかな?と迷っていると、子供連れの女性客、その蕎麦屋らしきに入ろうとしている。

女性客「すみません。お蕎麦、食べたいんですけど。」

爺様「食べたかったら、中に入ればいいじゃないか!」

外まで響く大きな怒鳴り声を上げる店主の爺様。女性客は、怯えた様にただ「はい」と言って中に入ろうとした。

女性客「あのぉ、どの部屋に行けばいいんですか?」

爺様「空いている部屋に入ればいいだろうが!」

この民家らしき蕎麦屋には、玄関から廊下沿いにいくつか部屋があった。確かに勝手がわからない人にとって、どの部屋に入ってよいか迷うのだと思う。自分達は、この子供連れの女性客の後を付いて行くだけだったので、非常に助かった(笑)とにかく大声で怒鳴る爺様だったので、気の弱い女性であるなら、怯えるか逃げるかするのではなかったか。

暫くすると、子連れの女性客が注文した蕎麦が出来たようだ。

爺様「出来たから、早く持って行け!」

再び怒鳴り声をあげる爺様。

女性客「は、はい!」

緊張して驚いたような返事をする女性客。

その後に、自分達の注文した蕎麦が出来た。そば粉10割の蕎麦の為か、すぐにちぎれるような蕎麦だった。美味しいと評判を聞いて来ては見たものの、味に関しては、まあこんなもんかという程度で観光客の意見と一致した。ただ値段が安かった。例えばコーラが売っていたが、その当時喫茶店や食堂では150円から200円で売られていたコーラ瓶が80円という、殆ど卸値で販売していた。蕎麦もまたその時代の蕎麦屋の半値くらいで売っていた。まるで明治男のような頑固な怒鳴り声を上げる爺様も、その時代には貴重な存在で、蕎麦の値段も含め、一昔前にタイムスリップしたかのように感じたものだった。恐らくその当時で70歳程度の爺様であった筈だから、もうこの世にはいないのかもしれない。稲荷穴の手打ち蕎麦の看板を目にして思い出すのは、蕎麦の味では無く、あの爺様の怒鳴り声であった。
by dostoev | 2017-01-03 15:55 | 遠野体験記 | Comments(2)

稲荷穴や、その他の確認。

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元旦の日、先に盛岡の早池峯神社参拝の後、馬越峠を通って、遠野早池峯神社に参拝する予定だった。その途中、フト去年観光客に言われた言葉が頭を過り、寄り道する事にした。その観光客の言葉とは「稲荷穴が進入禁止になっていました。」というものだった。それを確認する為、少し寄り道してみた。稲荷穴の在る地に湧く水は、日本銘水百選に選ばれており、ポリタンクを持って水を汲みに訪れる人がかなりいたのを覚えている。今回は正月元旦に足を向けてみたが、人気は全く無かった。もしかして稲荷神社もあるので、参拝客でもいるのかと思ったが皆無だった。
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ここの稲荷神社の狐像は、相変わらず怖い顔をしている。
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それで肝心の稲荷穴だが、表面上は何も変わっていないように見えた。
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ただ内部を確認すると、柵が設けられており、施錠がかけられていた。確かに、侵入できなくなっていた。以前は、稲荷穴にも観光客を連れて、内部探検をした事があるのだが、時代と共に行けなくなった場所も、この稲荷穴の様にいくつか出て来ている。これも時代の流れなのだろう。
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ものはついでに、馬越峠を下った途中にある自然石のベットも久々に確認した。薄っすらと、白い雪がシーツ代わりにかけられていた。かなり以前に、アテナというAV会社にこの石の存在を教えたが、撮影したのだろうか?
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稲荷穴を経て、馬越峠の頂から遠野側に下ると、この自然石のベットの他、「目洗い石」、不気味な音を出す「音岩」、「人間蟻地獄」、「河童淵」、他に「遠野物語」に登場する場所や神社などの見どころ多数なのだが、今回気付いたのは、恐らく道路工事の関係だろうが、音岩が無くなっていた。ただしこれらは、遠野観光マップにも掲載されていないものだが、ある意味貴重な場所でもある。自然石のベットも道路工事の関係で、今の場所に移動された経緯がある。馬越峠という名前から、昔は車の通れない峠だったが、今の峠は新道でもある。以前の馬越峠の旧道には、達曽部側に権現岩というのがあり、その岩を拝まないと、普通に通れないなどという言い伝えがあった。自分が中学の頃は途中まで自転車で行き、獣道みたいな峠なので自転車を乗り捨てて、歩いて馬越峠を越えて、稲荷穴まで行った事がある。今では、懐かしい思い出だ。その道程も、今と昔では、かなり変ってしまった。ひして、今後も変わるのだろうか?
by dostoev | 2017-01-02 18:16 | 遠野体験記 | Comments(4)