遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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妖怪すねこすり

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ウィキペディアによれば、「すねこすり」とは、岡山県に伝わる妖怪の一種であると。人間の歩きを邪魔するとされる。」と書いている。その正体は、犬とも猫とも、また別の生き物ともされている。ただ"人間の歩きを邪魔する"というと、よく犬が人間にすり寄って歩く場合邪魔になるので、そのイメージもあるが、猫も人間に付いて歩かないものの、人間の歩きを邪魔にする場合が多々ある。岡山というと、以前何度か泊った事のある化野燐によれば、妖怪すねこすりの最古の記録は「現行全国妖怪辞典(1935年)」が初出とされる事から、文献では無く古くから口伝で岡山県に広まったものが、妖怪すねこすりなのだろうか。

化野燐氏とは以前、"妖怪土ころび"の正体の話をしたことがある。遠野の翁の体験に、山道を歩いていたら、上から"黒いモノ"が転がって来て目の前を通り過ぎ、下の沢へと転がって行ったと。すると、その正体は熊であったという話がある。土ころびの絵を見ても、一つ目以外は黒い毛に覆われているので、熊のイメージに近い。熊はよく、下りがヘタだと云われる様に、見た事は無いが、たまに転ぶらしい。そのイメージから土ころびが出来たのかもしれない。そういう意味では、すねこすりもまた身近な生き物がモデルになっていると思うのが普通だろう。丸まって寝ている猫の姿がすねこすりに似ているという人も多い。ただ、大きさをさて置けば、ヤマネの冬眠している姿もすねこすりのイメージに近いのかも。昔、初冬の遠野の山にクワガタ採集に行った時の事、朽木を見つけたので斧で割ったところ、中から奇妙な毛玉が出て来て、一瞬ドキッとした記憶がある。正体は、冬眠中のヤマネだった。まん丸の毛玉のヤマネは、そのままキーホルダーにしてみたいほどの大きさと、毛のフワフワ感が漂っていた。

ところで、何故に"脛こすり"なのだろうか?歩行の邪魔をするからという説明が、なんとなくしっくりこない。脛といえば、「親の脛をかじる」とか「弁慶の泣き所」の言葉が思い浮かぶ。調べると、「すね1本、腕1本」という言葉は、お金を稼ぐ部位であるらしく、足では無く何故か脛という言葉を使用したか気になる。だが「弁慶の泣き所」という意味から考えても、脛は急所であり弱点でもあるが、ある意味足の中でも"大事な個所"ともとれる。つまりお金を稼ぐのに必要な足の、更に大事な個所が脛なのだと理解できる。となれば、その大事な場所にすり寄って来るとは、人間の弱点を攻めに来る妖怪と云う認識で良いのだろうか。そういえば、猫嫌いで有名なフランスの思想家ボルテールは、猫を評してこう言っていた。「猫が足にすり寄って来るのは人間に対して親しみを持っているからではない。人間の足を利用して、単に自分の痒い場所を掻きに来ているだけだ!」と。つまりボルテールに言わせれば、猫は悪意を以て人間の脛(足)にすり寄って来る魔物に等しいようである。そういう意味では、妖怪すねこすりの正体は、猫に一票となってしまう。ただ、このボルテールの言葉も、猫を飼っている身としては納得するものである。確かに痒いところを掻こうとする面もあるが、ボルテールには猫に対する愛情が足りないから、そういうところだけしか見えてないという事だろう。まあともかく妖怪すねこすりだが、その正体はご自由にが正解なのかもしれない。

by dostoev | 2016-09-28 22:01 | 民俗学雑記 | Comments(0)

小童の魂

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画像は"死後人形"。どういう人形かというと、子供が幼くして死んだ後に、その魂の器として祀るもののようである。人形は元々そういう器として考えられたものでもあった。古くは、土偶や埴輪も似た様なものであろう。また人形は、他人に呪いをかけるための呪詛の道具、そして人間の身代わりに厄災を引き受けてくれる依代でもあった。日本の信仰の原点には、穢祓があった。いかに厄災を祓うかを考えられた中に、樹木や人形が人間の身代わりとして考えられてきた。しかし、この死後人形は、我が子の魂の復活を願ってのものではないだろうか。例えば、土淵から附馬牛にかけてはお盆中に、長い竹竿の上に提灯をかかげて、魂が我が家に帰ってくる目印としての習俗が今尚続いている。死んでも尚、家族と云う意識を持ってのものだろう。イタコを利用して、死者を呼び出すのも似た様なものか。死んでも家族であったものは、どこかで逢いたいと云う願いが感じられる習俗であると思う。

ところで佐々木喜善の住んでいた土淵では、嬰児を殺せばそれを決して屋内より出さず、必ず土間の踏み台の下か、あるいは石臼場の様な、繁く人に踏みつけられる場所に生めたそうである。また生後一年位で死んだ嬰児を逆児と言って、その死体を家の外に出すのを非常に忌み、同じような人が多く踏み付ける場所に埋めたようである。それら嬰児の霊魂は、睡眠病や首下がり病の神となると信じられたようだ。死んだ後に神として祀る行為の大抵は、祟りや呪いが恐ろしいと考えられた為だ。全国に拡がる異人殺し譚が、いつしか神に置き換えられ祀られたのは、その祟りを恐れてのもの。国を挙げて盛大に祀ったのは、天神に祀った菅原道真がいる。出雲大社も、同じであったろうか。

子供が死ぬ場合も、病気や事故の場合もままあるだろうが、意図的に家庭内や属する社会で抹殺された可能性も否定できないだろう。そのいくつかは、「闇・遠野物語」にも書き記した。つまり、子供の魂を人形に込めようとする意識は、その子供を愛でていた場合と、祟りを恐れた場合の二通りがあるのだと思う。
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少々書き辛いのだが、自分には兄がいた。しかし身体が弱かったせいか、生後間もなく死んだと云う。この前、久々に兄弟三人が揃った時に、たまたま死んだ兄の話題になったのだが…。以前母親から聞いた話によると、死んだ時に母親は産後の肥立ちが悪く動けなかった時に、知人に頼んで墓地に持って行き、適当に穴を掘って埋めたとしていた。その後に掘り起して供養したから問題ないとしている。しかし今回、長女から聞いた話によると、その知人(誰かはわからない)は、鍋倉の入口に埋めて来たそうである。時代は、昭和30年になったばかりの頃である。画像は、昭和10年頃の鍋倉山の入口であり、南部神社の入口でもある。現在は、石の鳥居を潜ると左手に図書館と博物館があり、右手はアエリア遠野が建っていて、奥に続く道路はアスファルトとなっているが、画像の時代にはまだまだ土の道路となっている事から、埋葬も容易に出来たのだろう。

遠野の古い時代には、鍋倉山の中腹にも料亭が在ったり、南部神社境内では園遊会などのイベントも盛んで、多くの人々が南部神社にある鍋倉山に足を向けていた。そういう大勢の人々の集まる鍋倉山の入口に埋葬するとは、どういう意図からであったのか。今となって母親に聞いても知らぬ存ぜぬであり、事の真相は闇の中である。だが人の出向く所へと埋葬するというのは、踏み付けるという意図が見え隠れする。例えば、古代の朝廷では自然災害や疾病などは、全て地下に棲む悪霊の仕業と考え、それを鎮める方法として、相撲の様式の一つである四股を踏んだりして、その悪霊が地下から出ない様にした。道教による北斗踏みは、七福神巡りをすると御利益があるとして大勢の人々が行っているが、坂上田村麻呂によるとされる津軽の北斗七星型に祀られた神社には舞草太が埋められている事から、蝦夷の力を封じる呪詛ともされている。だが表面的には"御利益がある"と宣伝し、大勢の人々を呼び込んで、その呪詛を気付かせない様にするのが通常。恐らく七福神巡り、もしくは遠野の七観音巡りも裏の意図があるのかもしれない。

話を戻すが、鍋倉山の入口に埋葬したのは大勢の人に踏んでもらいたいという意図があってのものだったのか。ならばその魂は、悪霊としての可能性もあったという事か。例えば「遠野物語」に、未婚の娘が河童の子供を生んだので、その子供を切り刻んで埋葬した話がある。これは、夜這いの話にも結び付くのだが、正当な子供でない場合、河童の子として処分されたとも考えられている。つまり忌子は、生れても不遇を受けなければならない。意図的に子供を座敷ワラシにする為には、家で死んだ子供は外に出す事無く、家の中の人の多く足を踏み入れる場所に埋葬された。そういう意味で、外に埋葬された自分の兄は悪霊の懸念があってのものだろうか。
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遠野では、河童が陸から上り家に入って座敷ワラシとなるとも伝えられている。河童と座敷ワラシの共通点は、おかっぱ頭だとも云われるが、その河童と座敷ワラシを足したものと似た様な童話の主人公がいる。それは、桃太郎だ。川上から大きな桃の中に入ったまま流れて来た桃太郎は、川で洗濯していたお婆さんに拾われる。そしてお婆さんとお爺さんの家で暮らし、成長した時に鬼が島へ行き、鬼から宝物を奪って帰り、そのお爺さんとお婆さんに富をもたらした。川は異界・霊界の入口でもある。その川から流れてくる桃太郎は穢れの存在の様でもあるが、桃は「古事記」においても黄泉国で黄泉醜女を撃退するアイテムでもあり、民俗的には邪気を祓うとされる果物であるから、桃太郎は桃に守られた子供であった。遠野の河童がいつしか赤いとされる意味に、邪気祓いの赤色が結び付いたのだろうか。当初は、赤ら顔の子供が河童と結び付けられたのだろうが、その赤が火の赤、不動明王の背後に燃え盛る赤い邪気を祓う焔を意図したのかもしれない。赤い褌、赤い腰巻は、身体の大事な場所を守る為に赤色となった。今でも家に、赤いものを置きなさいと言うのは、、赤色が魔除けとなると信じられたのも、焔と結び付いているからだ。ともかく川のモノが屋敷に入って富をもたらすのは、桃太郎、そして一寸法師もか。座敷ワラシの原型がそういった流れを汲むものなら、それは桃太郎などに結び付くのは当然の帰結だろう。

河童(カッパ)という音が、小童(コワッパ)に類似しているのも、語源がそこからきているのかもしれない。神話世界によく登場する人間を導く童子と翁は、人間の生と死を意図してのものだろう。生を迎える神秘と死を迎える神秘は、毎日太陽が東から生れて、西に死ぬという生死観が具現化され、それが童子と翁(或は媼)となったと考える。しかし、童子は生に近いながらも、生命力の弱さから死にも近い。その不安定さが、人間の力を借りて成長するしかない小童なのだろう。座敷ワラシは、あくまで家に寄生する存在。その見返りとして富を、その家にもたらすのだが、桃太郎もまた川から拾い上げて貰った恩と、その翁と媼に育てて貰った恩を返す為に富を与えた。どちらも行為の見返りではあるが、それは小童一人では出来なかった。あくまで人の手を借りてこその、見返りと考えて良いだろう。単純に言い換えれば"親孝行"なのだが、そこに神秘性を含ませてこその童話となったのが桃太郎であり、不思議譚として地域に定着したのが座敷ワラシの話になるのだろう。小童の魂の捉え方、扱いによって様々なモノが生み出されていったと思うのだ。子供の成長を夢見るという事が通常なら、死して彷徨える子供の魂の行方を、悪い方へと行かないよう導き見守る習俗は、自然の流れに起こったものと思える。

生れてすぐに死んだ子供や、流産で死んだ子、中絶で死んだ子供を"水子"と云う。これは「古事記」において、伊弉諾と伊邪那美の間に生まれた水蛭子(ヒルコ)が足が立たないから失敗した子供として、海に流された事を由来としている。現代の日本の死亡の最多は、人工中絶による水子が一番となっている。暮らしの中で訃報を聞くのは大抵御老人なのだが、水子には訃報は流れない。密かに命が消えて行くだけであるから誰も気付かないのだが、この世に多く漂っている魂があるとすれば、それは水子の魂である。もしかして現代にも、冒頭に紹介した死後人形が必要なのかもしれない。

by dostoev | 2016-09-27 20:11 | 民俗学雑記 | Comments(9)

水の流れと共に生きる

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お盆の頃に大雨が降り、そしてその後に台風に直撃された岩手県。遠野も土淵方面で、多大な被害があった。大雨によって土砂と共に草木が倒され流されたのだが、それでもしぶとく生きている草木はある。人間に踏まれても、土砂を浴びても、日照り続きでもしぶとく生きる草木を雑草ともいう。その雑草の逞しさを「草魂」として座右の銘にしたのが、元・近鉄バッファローズのエースだった鈴木啓示だった。

カメラのファインダーを通して見るマクロレンズの世界は、肉眼では見えない、感じないものを見せてくれる。あれだけの雨が降ったにも関わらず、数日雨が降らないだけで、雑草は水を欲していたのだろう。再び水を浴びた雑草は「もっと水を!もっと、潤いを!」と言っている様に思えた。久々の水を浴びて、雑草が生命力を発散させているようにカメラを通して感じたからだ。この雑草を含めて、草木全体は水によって命を握られている。
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琴畑部落が通行止めになっていると聞いて、行くのをやめていた。しかしそろそろ良いだろうと、琴畑部落と滝を見に行って見た。久々の琴畑部落の景色を見て、やはり酷かったのだと実感した。アスファルトの道路の一部は、大雨により側面から削られ、抉られ崩壊している。鉄製のガードレールはひしゃげ、折れていた。
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その崩壊した道路の下には、申し訳なさそうに勢いのない、穏やかで透明な水が流れていた。
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しかし、その対岸には、鉄製のガードレールを破壊した水の力による残存があった。
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また、ある個所では、完全に川の流れが奥へと変わり、今まで流れていた川の場所は、淀みに変っていた。人もまた、水による被害を受けながら、水無しでは生きていけない雑草の様。何度も大雨によって踏みにじられても、水の恵みに感謝しながら何世紀も生きて来たのだろう。考えて見れば、草木の様に人間もまた、身体の60%から70%が水で出来ている。体内から水が失せれば、即身仏となる。つまり、水があってこその人間であり、その水が無くなって仏になるというのは真理でもあるだろう。
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その後に、白滝へ行って見て驚いた。そこは台風が来たのかも分からない程、いつもと変わらぬ景色があった。流木があるわけでもなく、綺麗な状態を保っていた。
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滝の傍にある社も林道も浸水した様子はなく、ここだけ台風は避けて行ったかのように感じた。この社に祀られている不動明王像は、明治時代に早池峯妙泉寺が早池峯神社となるにあたって、わざわざ琴畑部落の人々が早池峯神社まで行き、譲り受けて来た像であった。つまり琴畑部落を潤す水の神聖な神坐が、この社の建つ場所であり、滝そのものである。その神は水神で、過去にも何度も祟りを人々に与えて来たのだろう。それでも人々は、神を祀り続け、現代に至っている。「遠野物語拾遺119」で神業として、神聖な場所を犯したとして人を跳ね除け、また社に祀られている不動明王像に勝手に彩色した別当は、変死してしまったのも神の祟りであったか。恐ろしい祟り神でありながら、未だに水を求めてやまない人間は、まさに雑草と同じ"草魂"を持つものであるのか。
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水の恵みは、作物の恵みを与える。さあ、収穫だ。水の流れは、喜びも悲しみも含め全てを流し去る。流れ去るものは、全て懐かしいものとなる。そうして何世紀も同じ事が繰り返されてきたのも、全て水の流れの力によるものだったか。


by dostoev | 2016-09-26 21:42 | 民俗学雑記 | Comments(0)

UFO発見!?

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夜の9時前頃に、再び中秋の名月を撮影していた。途中から空には雲が広がって月が見えなかったが、この9時前くらいからやっと月が姿を見せたり、隠れたりの繰り返しをしていた。その撮影した画像をチェックしていたら、月の左上の雲の上に、何やら赤い光と青っぽい光を放つ人工物らしきが写っている。
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続けて撮影した画像は、先の画像の4秒後となる。その奇妙な人工物らしきが右方向に移動しているのがわかる。写っていたのは、この二枚の画像だけ。
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では、その人工物らしきが写っている画像を、トリミング拡大してアップしてみた。この正体が何であるか、わかる人はいるだろうか?先にツイッターでアップして聞いてみたところ、飛行機では?という意見があったが、かなりな低空の為、飛んでいればその音が聞こえた筈。夜にはよく自衛隊機が飛んでいるが、騒音を危惧してか、かなりの上空を飛んでいる。こんなに陸地すれすれに飛ぶ筈も無い。
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二枚目の画像を、トリミング拡大してアップしてみた。4秒後に、これしか移動していないという事は、浮遊してゆっくり移動しているという事か。この時間に、ドローンという事はあるのだろうか?ところでツイッターで自分の画像を見て反応した人が現れた。時刻は夜の9時半頃、やはり中秋の名月を眺めていたら、スポットライトを当てたような光が5個くらい2秒程ピカピカと光ったので、やはりUFOかと思ったと。さて、なんだろうか。

by dostoev | 2016-09-15 22:19 | 遠野体験記 | Comments(0)

中秋の名月を見て考えた。

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まだ空が明るい中、中秋の名月が昇った。まだ満月に満たない月は明後日、遠野祭りの日に満ちる。
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ところで、中秋の名月という事は月見行事が行われる各地域や、各家庭があるのかと思う。日本の農事は桜が咲く頃が田植えを始めて、花見をする。そして秋の収穫のサインが中秋の名月であり、収穫を祝って月見をする。今では花見は盛大に行われているが、月見はひっそりとどこかで行われているだろう、という程度か。この習慣であり農事は、あくまでも里の民を中心に作られたもの。春の田植え時期に山の神が降りて来て田の神となり、秋の収穫時に山の神は、山へと帰るものと考えたのは、里の民の都合に合わせてのものだろう。
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桜の「サ(SA)」とは、田の神を意味する神霊の「サ」から来ていると云う。そして「クラ(KURA)」は、その神の坐する場所。しかしサンスクリット語での「サクラ(SA-KURA)」とは、「同族・仲間の義」であった。考えて見れば、古代において里に伝わる言葉とは別に、修験者の間で通じる言葉があった。修験者、いわゆる山伏は、山の民でもある。画像は大洞の桜だが、この地は貞任山の入口でもある。山口部落が山の入口の意を持っている様に、この大洞の桜もまた山を意識して鎮座している。その貞任山とは、安倍貞任という蝦夷の長の名を冠した山であるが、その奥には明神平という大槌町にかかる採掘産金の場でもあった山の民の領域である。
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更に、白望山の大槌町側には金糞平という蹈鞴場があり、それは同じく山の民の領域であり、そしてそこには三つ又の桜の巨木が聳えている。この山の奥に置いて、田の神も何もあったものではない。サンスクリット語は、梵語として広く親しまれている。例えば「宇迦(ウカ)御魂命」の「ウカ」は梵語で「白蛇」という意味になる。修験が支配した信仰世界は、サンスクリット語が溢れている。修験などの山の民が、山に桜を植えたという事は、山の民の意図があると考えて良いだろう。となれば「桜(サクラ)」が「同族・仲間」を意味するのならば、それは山の民の集まる場所の聖なる目印として植えられた可能性があるのではなかろうか。本来、日本の桜は山桜から始まった事を考えて見ても、元々桜とは山の民にとって聖なる樹木としてあったものだと考えて良いのではないか。その山桜がいつしか里に降りて、里の民もが愛でるようになったと。となれば、山の神が山から下りて田の神となったという伝説は、山の民から桜を借りたものと考えるべきなのかもしれない。
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by dostoev | 2016-09-15 19:31 | 民俗学雑記 | Comments(0)

巨桐と霧とマヨヒガ

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大正十年の冬頃、さきの白望山の東南向きの麓、奥山音場という森林地帯に入って木炭焼渡世をしている人々がおり、それらの手によって奇体な巨木どもが毎日毎日伐り倒されてゆきました。何しろこの白望山森林地帯というのは実際の原始林なのですから、どれもこれも三抱え四抱え以上の巨木ばかりで、その幹は一様に苔に埋められ、その上に猿糸や木の耳、猿の腰掛などが生え附いているものですから、葉か花かでも無ければ、何が何木であるか少しも見分けがつかないのであります。

ある日、一人の樵夫が楢だと思って伐った巨木が、どうした事か斧の刃の立ち工合が違うのでよく見ると、木目などが細かくてよく似てはいるが、全く違った樹なので、皆が寄り集まってよくよく検べて見ると、それは間違いのない桐の木だという事が解りました。その木は何でも三抱えもあったといいます。それから樵夫どもは密かにそれを下げて、五十円ほどに売って酒代にしたという実話があります。

                       佐々木喜善「遠野奇談」より
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桐は、マヨヒガ(「遠野物語33」)とも結び付いている。ある男が白望山へ行った時、南向きの洞を遠くから眺めていると霧の中に美しい花が浮かび上がったが、それが桐の花であったという。そして桐の巨木の話は、早池峯山麓にも伝わる。ある猟師が山の主の頼みを聞いたお礼に、巨樹の桐の林の場所を教えてもらい、その桐の木を伐り売って富貴となったが、その猟師が寿命を迎えて死んだ時に、その大樹の桐の林は隠され、誰も行く事が出来なくなったと云う。しかしたまに、猿ヶ石川に紫の桐の花が流れてくる事があるので、その幻の桐の大樹の林から流れて来るのだと云われる。
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日野巌「植物怪異」では、興味深い桐の伝承を紹介している。推古天皇時代、三河国の山に神代の桐の大樹があったと云う。その長さ四十丈、太さ三十二尋にして過半分枯れ、中に虚洞があった。其の中に龍が棲み、時々霧を発していたと云う。因ってその山を霧降山とも、桐生山とも伝ふと。桐の木で作るものには箪笥が有名だが、琴にも使用される。その琴の妖怪として"琴古主"というものがいる。琴古主の解説には「龍形の胴を現し、鳳舌の下に大きな目玉が二つ光っている」と記されており、龍の姿になった琴という事か。琴古主という妖怪が、神代の桐の大樹に龍が棲んでいた事に由来したものかは定かでは無いが、桐の木と龍の結び付きは、かなり古い時代まで遡るのだろう。白望山が銀鏡と結び付くのなら、そこには竜神が結び付く。そして早池峯もまた、龍神との関係が深い。そしてだ、桐が龍を通じて霧と結び付いている事がわかった。となればマヨヒガの原初には、龍神が関与している可能性があるのではなかろうか。

by dostoev | 2016-09-12 19:05 | 民俗学雑記 | Comments(0)

害獣駆除(熊)

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農家などが熊の被害に遭うと、害獣駆除を申請し許可が下りると画像の様な鉄製の罠が仕掛けられる。昔テレビに遠野の"熊捕りホイホイ"と紹介になった事もある。
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林檎の木に、まったく実がなっていない。全て熊に食われたからだった。この様な木がぱっと見た目にも10本以上あった。
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この罠に入ったままの熊を猟銃で射殺する。
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罠の視界が開け外が見えると、熊は凄い勢いで金網に突進してきた。


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熊の全長は、約120センチ程度のあまり大きくない雌熊だった。体重は恐らく80キロ弱程度との事。
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遠野での熊の害獣駆除は、これで36頭目という事らしい。

by dostoev | 2016-09-11 08:30 | 遠野で遭遇する生物 | Comments(2)

雨のち花、晴れのち蝶

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by dostoev | 2016-09-10 19:13 | 遠野の自然(秋) | Comments(0)

上弦の月が沈む時

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突然に、ああ今日は上弦の月だった事を思い出した。夜空を見ると、もう山にさしかかって沈む寸前となっていた。慌ててカメラとレンズ、そして三脚を準備して撮影という時にはもう上弦の月は、半分以上山に沈んでいた。これも遠野盆地ならではの、月の沈む時間の早さだった。平野部であったのなら、まだこの上弦の月は夜空に輝いていたのだろう。
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by dostoev | 2016-09-10 06:47 | 遠野の夜空 | Comments(0)

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夜霧の晩、それに光が当たる中、橋から見下ろした霧の向こうに、自分から独立したような影がいた。西洋ではドッペルゲンガーという印象も受けそうだが、自分の影が独立している感覚は、魂が抜け出た感覚にも等しいと聞く。また、諸星大二郎「鏡島」に自分と同じ者が鏡に映ったように動いているのは、もしくは影の様に動いているのは"海モッコ"と呼ばれる物の怪であるのだが、似た様な話に「古事記(下つ巻)」に雄略天皇が葛城の一言主に遭うくだりがまさに、鏡の様な、影の様な描写であった。

「天皇、葛城山に登り幸しし時に、百の官の人等、ことごと紅き紐著けたる青摺りの衣を給はりて服たり。その時に、その向へる山の尾より、山の上に登る人あり。すでに天皇の鹵簿に等しく、またその装束の状、また人衆、相似て傾かざりき。」

山を登る天皇の行列と、そっくり同じ行列が向うの山の尾根伝いを歩いている場面の描写である。諸星大二郎の漫画では物の怪となっているが、ここでは一言主という神がその正体となっている。ところが神と物の怪の境界が曖昧で、物の怪もしくは妖怪は神の零落したものであるという柳田國男の見解を考えみても、人に対して害をなすのは、神も物の怪も同じレベルにいるのである。「古事記」では一言主という神の描写が、諸星大二郎「鏡島」では物の怪となっても違和感がない。結局、神も物の怪も人を惑わす存在として、行動は一致するのであった。
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ところで影という表現では無いが「日本書紀(神代)」に、大己貴命が自らの幸魂奇魂に出逢うくだりがある。

「夫れ葦原中國は、本より荒芒びたり。磐石草木に至及るまでに、咸に能く强暴る。然れども吾已に摧き伏せて、和順はずといふこと莫し」とのたまふ。遂に因りて言はく、「今此の國を理むるには、唯し吾一身のみなり。其れ吾と共に天下を理むべき者、蓋し有りや」とのたまふ。

時に、神しき光海に照して、忽然に浮び來る者有り。曰はく、「如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の國を平けましや。吾が在るに由りての故に、汝其の大きに造る績を建つこと得たり」といふ。是の時に、大己貴神問ひて曰はく、「然らば汝は是誰ぞ」とのたまふ。對へて曰はく、「吾は是汝が幸魂奇魂なり」といふ。大己貴神の曰はく、「唯然なり。廼ち知りぬ、汝は是吾が幸魂奇魂なり。今何處にか住まむと欲ふ」とのたまふ。


海を照らして浮かび來るモノは、こう言った。「私がいなかったら、どうやってこの国を平定できたのか。」と。正体は「幸魂・奇魂」との事だが、互いに"吾"と"汝"を問うてる事から、それは大己貴神自身の問答でもあり、それは陰と陽、つまり光と影のとの関係にもなるか。「幸魂・奇魂」は調べれば和魂の分割魂ともなるようだが、ここでの問答にはそこまでの複雑さを感じない。あくまでも、己の中にある光と影との問答にも思える。ここでの光は、あくまで前面に立つ大己貴命であり、幸魂・奇魂は陰で大己貴命を支えて、国を平定したと捉えるべきだろう。考えて見れば、伊勢神宮の天照大神の和魂は、その地にどっしりと構えて、荒ぶる者共を平らげる役目は荒魂の役目であった。崇神天皇の手許を離れ、荒ぶる者共を平らげて滝原宮に鎮座した荒御魂の力があったからこそ、天照大神は神々のトップに立ったとも言える。大己貴命であり、大国主もまた然り。出雲大社に祀られる神とは、大己貴命(大国主)の奉斎する神を祀るとの事。つまり、大己貴命の幸魂・奇魂とは単なる影の存在では無く、陰ながらに大己貴命の後ろ盾となった神そのものと考えても良いのではないか。つまり幸魂奇魂とは後から付け加えられた概念であり、本来は荒魂であったのを誤魔化す為に創作されたものではなかろうか。

大己貴命と一緒に国造りをしたのが少彦名命名であったが、熊野の御崎から常世の国へと帰って行った。その代わり、海上を照らしてやって来たのが幸魂・奇魂であったのは、常世と何か関係の深い神であると考えるべきだ。「日本書紀(垂仁天皇二十五年三月)」に天照大神が登場し、伊勢のイメージを「是の神風の伊勢國は、常世の浪の重浪歸する國なり。」という言葉で表している。伊勢と熊野は、光と影と云われる。その両方を繋げるものが常世という事になる。常世の「トコ」は「底(ソコ)」とも繋がり永久の闇の意ともなる事から、黄泉国とも解釈される。常世の闇が、伊勢や出雲と対比された場合、そこに共通する闇であり影は熊野となるのだろう。光りである天照大神の影は荒魂であり、大己貴命の影とは幸魂・奇魂であろうが本来は、大己貴命が奉斎する熊野神という事になる。こうして考えれば「古事記」や「日本書紀」を読んで感じるのは、熊野神あってこその世となったという事。初代神武天皇の話は熊野に重きを置いて記しているのは、熊野神を陰に追いやって、自らが光りとなった事を示すもの。天照大神が常世の波を感じたのも、大己貴命が神の後ろ盾によって国を平定できたのも、熊野神を意図してのものと考える事が出来る。それはつまり天照大神の影、大己貴命の影が熊野大神であったのだと思えるのだ。
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御影とは本来、霊的な影、神的な影を意味する。本体である自分から抜け出た影は、神でもあり物の怪にも成り得る。つまり、自らの影のいる場所と言うのは常世であり、黄泉国に近い場所と思っても良いだろう。




by dostoev | 2016-09-09 23:33 | 民俗学雑記 | Comments(0)