遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
ミシャグジの「ミ」は「御..
by dostoev at 20:09
瀬織津姫とミシャグジは対..
by ななし at 11:54
「雨乞い観音」のモチーフ..
by dostoev at 08:42
正法寺七不思議のひとつに..
by 鬼喜來のさっと at 23:55
下野小山氏は奥州菊田荘を..
by 鬼喜來のさっと at 22:24
遠野市小友町の藤沢の滝の..
by dostoev at 19:50
人の首と書いて人首とは何..
by 鬼喜來のさっと at 22:11
ishiwaさん、良かっ..
by dostoev at 19:08
dostoevさん、こん..
by ishiwa at 18:05
さっと氏、情報ありがとう..
by dostoev at 17:42
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2016年 06月 ( 16 )   > この月の画像一覧

遠野イノシシ情報

f0075075_1924826.jpg

これは、泊り客から聞いた話である。一人は釣り人で、遠野側から笛吹峠を越え橋野の辺りの川に降り立ったところ、何やら異臭がしたそう。その異臭の正体は、イノシシの死体であったそうな。数年前、一関で捕獲されたイノシシだったが、それが北上しているとは聞いていたが、笛吹峠にも、イノシシがいるという事がわかった。

もう一人はハンターで、遠野のハンターとも交流があるという。少し前の事、鱒沢のある畑に、妙な穴が開いている事が、たまにあったという。気になっていたが、その穴を開けた正体はイノシシであったそうな。江戸時代に、八戸でイノシシに畑を荒らされ餓死者200人という記録がある事から、今まで鹿の被害に苦しんでいたところ、今度はそれにイノシシが加われば、大変な事となる。取り敢えず、鹿対策で電気柵を設けてはいるので、イノシシにも効果があるものだろうとは思う。

とにかく、遠野の町から西寄りの鱒沢でイノシシが確認され、また北東の笛吹峠にもイノシシがいた事から、遠野盆地周辺全体にイノシシが確実に進出しているのだろう。目立った目撃例は無いが、イノシシが番でいた場合、もしくはそれがイノブタだとしても、今後もっと目撃例及び、畑の被害は増えるものと思われる。山菜キノコ採りで山に行く場合、今度はイノシシにも気を付けなくてはならなくなるだろう。
by dostoev | 2016-06-20 19:38 | 遠野で遭遇する生物 | Comments(0)

閉伊氏の正体(其の三)

f0075075_761797.jpg

【尾崎縁起其の三】

「閉伊氏の祖為頼、後に閉伊武者所頼基といふ。身の長ヶ七尺二寸、勇力他に越え、眼目異相にして脇の下に鱗六枚あり。疑ふらく是れ水神の化身ならんといふ。承久二年六月十五日、根城に於て逝去(寿六十三歳)。翌年家族郎従等里老と議り、尾崎大明神と崇め奉る。閉伊崎(下閉伊重茂村音部の一角)に鎮座するもの是なり。宝治二年、神託によりて船越村田野浜に遷宮、今荒神と申す。正応二年、示現したまはく、「吾れ昔閉伊気仙の主たり。今それ両郡の界に跡を垂れて守護すべし。」と。依て両郡の界なる釜石浦白浜に遷宮す。白浜の出崎青出の奥五丁許にして御手洗流あり。神木は藤なり。田鎖氏の家に凶事があるときは藤の花開かず弓矢に遇ふときは御手洗流の水変じて紅色となり、祥端あるときは家鳴る。之を家鳴と伝へられきとぞ。閉伊七所の明神とは亦其の重臣七人の霊を崇め祀れるにて、下記の如し。

国堺明神 近能左七郎親良
小槌明神 大田島源五
老木明神 広沢平馬丞忠季
川井明神 阿蘇権太楼重休
小国明神 明石監物宗時
川崎明神 石関兵庫勝時

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「閉伊氏の祖為頼」と記されているが、"為頼"とは源為朝という伝説の武将源為朝の三男という事である。ところが「保元物語」によれば、源為朝は自害した時に、その息子をも殺している。それでは生き残って、陸奥まで逃げ延びたのか?となれば殆ど、源義経の北方伝説に似ている。似ているといえば、為頼の身長と容貌をこう評している「七尺二寸、勇力他に越え、眼目異相」と。これは為頼の父である源為朝は七尺ほど(2m10cm)の大男で、目の隅が切れあがった容貌魁偉な武者だったという事から、幼少の頃に死んだ為頼に、父の面影を重ねて表現しているのだとわかる。また「脇の下に鱗六枚あり。」とあるが、この脇の下に鱗があると知られた人物は、一人しかいない。それは豊後国の、尾形惟義である。尾崎神社に感じる蛇神の気配は、源為朝の家系からは感じられない。ところが緒方惟義は九州の大神氏系であり、祖母岳大明神の神裔という大三輪伝説がある大神惟基の子孫で、臼杵惟隆の弟となる。「義経記」には源義経が緒方惟義を頼って来たくだりがあるが、菊池氏と天秤にかけ尾形氏を選んだのが源義経の本意だったのは、緒方氏は古来から九州の大族であり、大宰府にあった平家が誘っても、拒絶する程の強さ背景とした信念を持っていたからではなかったか。もしもの場合、頼れるのは緒方氏であると踏んだのだろう。

この源義経の時代、緒方氏の部下には阿蘇氏などが従えていた。それで気になるのは、閉伊頼基と共に殉死した家臣で川井明神となった阿蘇権太楼重休だ。阿蘇氏という氏族は、九州に発生した氏族である。源為朝もまた九州で暴れたりはしたが、九州に根を張っていたわけではなかった。その阿蘇氏を配下に置けたのは、緒方氏でしかなかった。また気になるのは、閉伊郡であった今の宮古市に臼杵という地名が見えるが、臼杵という地名に関係するものに、ほぼ豊後国の臼杵氏が関係している。今の宮古市の臼杵地域は、臼杵氏が開拓した地であるとされているが、恐らく緒方氏と共に閉伊まで来たのが臼杵氏ではなかったか。緒方惟義の一つ上の兄は、臼杵次郎惟隆を名乗っていた。緒方惟義は、"緒方三郎惟義"が正確で、緒方家の三男であったのも、源為頼が三男であるのと被る。とにかく閉伊頼基とは、源為朝と緒方惟義を合成したような人物であるが、どうも緒方氏の割合が強そうである。

閉伊氏の菩提寺が、宮古市の華厳院であるようだ。岩手日報社「いわてのお寺を巡る」で確認すると、建久二年(1191年)、地頭閉伊頼基が父である源為朝の菩提を弔う為に建立された、宮古市最古の寺であるようだ。この菩提寺の由緒にも、父であると源為朝を取り上げている事から、あくまでも創建に関わったのは、伊豆で死んだ筈の息子である源為頼という事になっている。しかし、華厳院には戒名を写した文書がある。その写しは、下記の様に記されている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一代 頼基尾形陸奥守  承久弐庚辰年六月十五日 元光院殿竜嶽滄海大居士

二代 家朝尾形出羽守  承久三年九月十四日 静体院殿前羽州大守源姓家朝大禅定門

三代 義基尾形大膳太夫 貞応弐癸未年五月廿八日 常証院殿前大官令源姓義基大禅定門

四代 忠朝閉伊十郎大夫中務 康元元丙辰年四月十五日 霊聖院殿前大夫中書源姓忠朝大禅定門

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これによれば、初代から三代までは尾形を名乗り、四代目から閉伊氏を名乗っている。やはり源為頼の流れでは無く緒方氏の流れの様だが、戒名に源姓を採用しているのは"源氏党"を強く意識していたからでは無かったか。大宰府の平家の誘いに断じて乗らなかったのも、自らは源氏という強い意識があったからなのだろう。それとやはり、源義経に対する意識もあったのかもしれない。緒方惟義は、都を落ちた義経と共に船で九州へ渡ろうとするが、大物浦の嵐の為に一行は離散、惟栄は捕らえられて上野国沼田へ流罪となる。その後、惟栄は許されて豊後に戻り佐伯荘に住んだとも、途中病死したとも伝えられるが定かでは無いらしい。源義経に味方した緒方惟義であったが、緒方一族全てでは無いらしく、源頼朝に逆らい源義経に味方した緒方惟義だけが一族から浮いていたようだ。源頼朝の天下となっては一族に迷惑がかかる為、九州にも帰れなかった可能性はある。となれば行先は、北方しかないだろう。唐桑半島の御崎神社には、緒方氏が立ち寄った痕跡があるとされている。尾崎縁起に記される「吾れ昔閉伊気仙の主たり。今それ両郡の界に跡を垂れて守護すべし。」とは、釜石の尾崎神社と唐桑半島の御崎神社の事を云う様である。
by dostoev | 2016-06-18 18:45 | 閉伊氏の正体 | Comments(3)

閉伊氏の正体(其の二)

f0075075_15424991.jpg

閉伊氏に関係する、尾崎神社がある。その由緒は、どれが正しいという訳では無いが三つある。由緒が三つあるという事は、よくわからない意味でもあるのだろう。伊能嘉矩「遠野くさぐさ(尾崎明神の由緒)」から、その由緒を三つ抜き出して書いてみるが、取り敢えずそのうちの一つは、下記の通りとなる。

【尾崎縁起其の一】

「尾崎明神の御本体は、日本武尊なり。尊が東夷征討の際、身を相総の海中に投じて海神の犠牲となり、風涛を止めたまゐし妃橘媛の尊骸後に漂ひて釜石浦白浜の出崎に着く。里民乃ち之を祀る。依て明神の使者は白鳥なりとて氏子の家之を食はずとぞ。」(弘化年代尾崎明神御縁起)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
景行天皇時代、日本武尊の蝦夷征伐は記紀に記されてはいるが、あれは現在の茨城県辺りで終わっている。東北に来たという事は無かったようだが、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の影響からなのか、いくつかの神社で坂上田村麻呂の代わりに日本武尊を祭神としている。この由緒は、あくまでも古くて尊い神社だという意味を持たせる為の由緒であろう。ただし、上記の由緒を読めば、祭神は日本武尊というより弟橘媛になる筈だが、これはどうした事か。

現在の尾崎神社の由緒にも、この日本武尊説を採用している。それが、次の通り。「尾崎神社縁起によると、日本武尊が東征の折の足跡の最北端であり、最終地点がこの尾崎半島であり、その足跡の標として半島の中程に剣を建ておかれたものを、土地の人々が敬い祀った事が尾崎神社の起こりであり、御祭神は日本武尊であるとされている。」

弟橘媛の骸が尾崎半島に流れ着いた話が、いつしか日本武尊自身が東征に来た話となっている。これは尾崎神社の御神体が宝剣である事から、日本武尊の持つ天叢雲剣に準ずるものであるという事を示したかったのではないか。「日本書紀」の注釈には「ある書がいうに、元の名は天叢雲剣。大蛇の居る上に常に雲気が掛かっていたため、かく名づけたか」とあるように天叢雲剣は、蛇を意識している。つまり、尾崎神社の御神体である宝剣は、蛇である事を意識して記された由緒であると思われる。弟橘媛の骸が流れ着いたという由緒も、恵比寿信仰を思わせるもの。恵比寿神も本来は蛇神である事から、尾崎半島全体に蛇が纏わりついている様である。
f0075075_16411411.jpg

【尾崎縁起其の二】

「閉伊武者頼基、夙に神仏を崇敬し、其の秘伝を仙人より得と称せられ、嘗て曰く、九山の権現八海の明神は、我が日本の守護神なれば、国の守護郡の地頭すべて武家たらん者は、此の神々を其の縁に随ひて信仰すること大切なりと。又、曰へらく、「我領地は海辺にして貢を納るゝに、田畑少ければ唯魚を貢ら備ふ。されば明神を深く祈らん。」と。年月良く久しく鹿島への参詣怠らず、深く信心の丹誠を払いひたまふ。鹿島にても神の告多く、神々も不思議を示しける。其の居住の庭に藤を植え色を交へ愛したり。蓋し鹿島明神深く藤を惜みたまふといふに因めるなり。

承久二年の春頃より頼基不例なり。乃ち重臣等を内席に召して遺言すらく、「吾れ鹿島明神の霊を崇敬し、心中に大願あり。今其の成就の期ならん。吾は誓を立てゝ海上守護の神となるべし。吾れ死なば陸地に葬ること勿れ。抑々日本の地形東南北の礒に於て釜石の浦尾崎ならでは長き崎なし。依りて藤布の装束を以て骸に着け、棺槨を此の崎の海中に納め、其処を廟所と仰ぐべし。植え置きし藤をば永く吾れと思ふやう子孫に告げよ。」と。終に同年九月二十八日未の刻に没したまふ。家族里民涙ながらに仰に随て亡骸を尾崎の海中に葬り奉る。夫より家臣居城に帰りて断食をなし中陰を送り、後釜石尾崎明神と祭り、海上安全の守護を祈りけり。

道俗男女釜石の湊より参詣の輩船にて渡航す。重臣七人あり。中陰の内断食日々重り終に即ち死す。里民共其の所の氏神に祈る。之を閉伊七社と号す。

頼基の子出羽守家朝、承久三年六月十五日自ら生害す。是れ即ち田ノ浜尾崎明神なり。(嘉永四年尾崎大明神縁起)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
尾崎明神の由緒のもう一つには唐突に、鹿島明神が登場している。現在の鹿島神宮の祭神は武甕槌となっていて、それが広く浸透している。武甕槌は、出雲の国譲り神話に登場する他、天津甕星の退治にも登場している武神のイメージが強い。それが武甕槌を称し"九山の権現八海の明神は、我が日本の守護神なれば"というには、そのイメージが結び付かない。だが以前「鉄の蛇」で調べた様に、本来の鹿島の神は花房社に祀られる竜蛇神であった。それは、二荒山との関係が深い竜蛇神でもある。山と海にまたがる神が竜蛇神であれば、それは理解できる事である。つまり、この縁起には、鹿島の神が、どういう神であるか記されているという事となる。

民俗学を齧っている人なら気付くだろうが、水や水神に関係の深いものに"藤"が常に登場する。それは地名であったり、氏名であったりだ。例えば。中臣不比等は元々火神を祀っていたのを、途中から水神に変更したという逸話がある。それに伴って、中臣姓から藤原姓に変更したのだろうか?となれば、鹿島神宮の花房社の花とは、藤の花であろうか?

気になるのは、閉伊頼基が死んだ月日である。この縁起によれば、9月28日とされているが、この8月28日とは、不動明王の縁日でもあり、竜蛇神でもある水神の縁日でもある。恐らく竜蛇神の意識が強いからこそ、亡骸を海中に葬ったとしたのだろう。ただ現在の尾崎神社の由緒には「亡骸は尾崎の宝剣の傍らに葬れ」との遺言」とある。宝剣の傍らとは尾崎神社奥ノ院の事であろうか、それとも尾崎半島の突出した奥ノ院傍の海中の事であろうか?どちらにしろ、龍蛇神を深く意識した由緒であろう。そして由緒は、もう一つある。
by dostoev | 2016-06-15 19:09 | 閉伊氏の正体 | Comments(0)

金山繁昌ー黄金に魅せられた人々ー

f0075075_6481892.jpg

平成28年7月22日~9月19日の期間に、遠野市立博物館で特別展「金山繁昌ー黄金に魅せられた人々ー」が開かれる。例えば早池峯神社も、始閣藤蔵による金への祈願からだった。聖武天皇時代に東北から金が発見され、その為に東北は征夷の波に襲われた。

東北に神社が建立され始めたのは、坂上田村麻呂の蝦夷征伐後が顕著であった。江戸時代後期の町人学者、山片蟠桃(1748~1821年)は、その神社の建立に対し、こう言い放っている。

「役小角・空海・行基・最澄をはじめ、その他の高僧、貴僧と称らせれているものは、みな無鬼のことをよくわきまえてのち、人主を欺き、権家を偽り、堂社を建てさせ、本地垂迹そのほか、さまざまの偽飾をのべて自分の私欲をはたし、開山・祖師と尊ばれて、千年の後に至っても祭祀され…。」

山片は、歴史上の聖山の開山及び神社建立は、私利私欲の為であると批判している。しかし、アメリカにもゴールドラッシュがあったように、私利私欲に目が眩むのは、世界共通の事でもあった。マルコポーロが日本をジパング(金山を有する国)と称したのは、奥州藤原氏の黄金文化を垣間見たせいだとも云われる。その奥州藤原氏の黄金文化のを支えたのは、東北の金山に他ならなかった。ただ黄金の採掘・治金は、東北の文化の発達にも貢献している。そう、黄金があったからこそ、東北は熱い視線を受け、狙われもしたが、様々な人や文化の流入あり、現在の東北になったとも言える。その黄金文化の歴史を知るという事は、自分達が今住んでいる東北の昔の文化にも触れるという事になる。それ故にこの企画展は、極めて魅力的なものに思えるのだ。
f0075075_7113137.jpg

by dostoev | 2016-06-14 07:13 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

閉伊氏の正体(其の一)

f0075075_18101277.jpg

旧仙人峠に、観音窟と呼ばれる洞窟がある。別名沓掛観音窟と呼び、「上郷聞歩」では、こう説明されている。「早瀬川の源流、細越の沓掛付近の石灰岩地帯に発達した浸食洞窟で、坂上田村麻呂が観音像を祀ったという伝承から、早瀬観音窟と呼ばれるが、一説には中世に閉伊地方を支配していた閉伊頼基の夫人乙羽姫が観音像を祀ったともいわれている。」

東北に数多く拡がる坂上田村麻呂伝承だが、この観音窟での観音像は、戦に勝利した後に祀ったとされるものだ。それと連動するように、この観音靴へ行く途中に鎮座している日出神社に、坂上田村麻呂の戦の前日の伝承が伝わる。戦の前後で繋がっている事から、日出神社と観音窟が何等かの関係にあるのだろうと思われる。ところで、何の脈絡もなく、閉伊頼基の妻である”乙羽姫”が登場している。閉伊氏の出自は不明で、取り敢えず鎮西八郎源為朝の子孫と伝えられる。その曖昧な流れから、閉伊氏の祖である閉伊頼基の妻は、佐々木高綱娘か?とされているが、佐々木高綱にそもそも乙羽姫という娘がいたかどうかも怪しいようだ。

閉伊頼基といえば釜石から海に突出した尾崎半島を思い出すが、何故に閉伊頼基の妻が仙人峠の洞窟に観音を祀った裏付けも不明である。恐らく、観音窟を中心に拡がる信仰と伝説が相まっての乙羽姫伝説であった可能性もある。乙羽姫で思い出すのは、藤原秀衡の妹である乙羽姫であるが、その乙羽姫は奥州信夫荘司佐藤元治の妻となる。その二人の子は佐藤継信、佐藤忠信となるのだが、源義経の郎党となり、義経とともに行動し討死したとされる。源義経と云えば、何故か上郷の日出神社にも義経伝説が伝わる。そして閉伊頼基を調べると、やはり共通するのは”源義経”であった。
by dostoev | 2016-06-13 19:13 | 閉伊氏の正体 | Comments(0)

呪いの言葉

f0075075_16491043.jpg

文化十年(1813年)、小友町山谷で、夫である甚之丞を殺した罪で、鷹鳥屋から嫁いだサワと、近所の若者である寅松が、今の風の丘の真下、宮の目の処刑場で処刑された。甚之丞とサワの婚姻は本人の意志では無く、親同士の取り決めによるものだった。その為なのか、婚姻を果たしてもサワは甚之丞をどこかで嫌い、その結果、近所の寅松と密通する事になったようだ。いつしか夫である甚之丞が邪魔となったのか、共謀して計画を立て、ある日の子の刻に、十三坊の近辺で襲い、甚之丞を亡き者にした。しかし罪はあからさまになり、処刑当日、妻であるサワは、遠野町内を裸馬で引き回され、寅松は大工町の牢から出された後、一日市の櫓下に連れられ、それから宮の目の処刑場に運ばれたという。寅松は、磔柱にくくりつけられると、死に物狂いの大声で、こう叫んだという。

「三年たたない内に、山谷の郷を黒焦げにして見せる!」

その処刑から三十三年後、山谷に大火があり、山の手の離れた家を一軒残したのみ、ほぼ山谷の集落が燃えてしまったという。それからどこからか、これは寅松の祟りではないかと噂されたようである。三年以内が、三十三年後になっても、やはり呪いの言葉を放って死んだ者の呪いは生きていたという事であろうか。言霊信仰があり、言葉には魂が宿り、言った言葉が現実になるのだというが、呪いの言葉は生きている人々の心に刻み込まれる為、三十三年後であっても、語り継がれ生きて来たのか。

この宮の目の殺傷場で、最後に磔にされたのは、お沢という絶世の美人であったという。やはりサワと同じ様に裸馬に乗せられ、町中を引き回しにされるまでは、化粧した顔に薄ら笑いを見せていたが、いざ磔台にさらされた時の言葉は、下記の通りである。

「ああ!なんともならぬものか!魂は止まってこの里の活け大根を一本残らず腐らせてみせるぅ!」


と叫んだと云うが、大根が腐る事は無かったという。呪であろうが、願いであろうが、身の丈に合ったものが良いのだろう。
by dostoev | 2016-06-12 17:27 | 民俗学雑記 | Comments(0)

遠野不思議 第八百四十八話「被り岩滝」

f0075075_18174659.jpg

平笹の四十八滝の一つ。といっても、滝が四十八あるわけではなく、熊野四十八滝にのっとり、多くの滝がある意味での四十八滝。
f0075075_1818479.jpg

f0075075_155865.jpg

by dostoev | 2016-06-10 18:21 | 遠野各地の滝 | Comments(2)

遠野不思議 第八百四十七話「小滝」

f0075075_15141651.jpg

昔から霊験あらたかな処とされ、汚物を洗ったり投げ入れたりすると、俄かに荒天になるとの伝説あり。
f0075075_1513511.jpg

f0075075_15175393.jpg

by dostoev | 2016-06-10 15:18 | 遠野各地の滝 | Comments(0)

遠野不思議 第八百四十六話「小滝神社」

f0075075_1575478.jpg

小滝大神を祀る社。詳細は不明。
by dostoev | 2016-06-10 15:10 | 遠野各地の神社(その他) | Comments(0)

早池峯神社ガイド

f0075075_10454640.jpg

早池峯神社の周辺は、いろいろな花が咲き乱れていた。天気は若干の雨模様だったが、早池峯神社だけに行きたいという大阪からの客を連れて、早池峯神社へと行ってきた。遠野観光ではなく、早池峯神社だけを希望する客は、年々増えている気がする。このブログで紹介してない場合も含めれば、かなりの頻度で客を連れて早池峯神社に来ている。
f0075075_1049963.jpg

長い参拝の時間を過ごしていた客であるが、何を想い願っているのかは、知る由もない。
f0075075_10502053.jpg

いつもひっそりとしている、早池峯神社。社務所に立ち寄って呼び鈴を鳴らしたが、誰もいないようだった。
f0075075_1051126.jpg

by dostoev | 2016-06-09 10:53 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)