遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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<   2016年 05月 ( 20 )   > この月の画像一覧

柳の木

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石上山の麓に、沼平という地名があり、そこはかって大きな沼であったという。その沼には大蛇が棲んでおり、いつも暴れるので村人は、恐れていたそうな。その話を聞いた東禅寺の無尽和尚が大蛇退治をし、その大蛇を供養したのだと。大蛇は沼の傍らに埋め、その上に柳の木の枝を逆さにして弔ったという。死人のあった時、その墓場に柳の枝を逆さに立てて拝むと、死人は極楽往生が出来るとという事である。無尽和尚は、大蛇の極楽往生を願ったのだろう。今でも沼平には、逆さに立てた柳の枝に根が生えて育ったと云われる古木が残存している。

                           「上閉伊今昔物語」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「しし踊りが踊られぬ事(逆生の柳)」で、柳の枝を逆さに植えるのは「飢饉封じの呪術ではなかったか?」と書いたが、同じ綾織の話に、柳の枝を逆さに植えるのは、死者の供養であるという事が正しいのであれば、「しし踊りが踊られぬ事(逆生の柳)」での逆さ柳とは、飢饉で死んでいった人々の供養の為に植えたが正しいものになろう。前にも書いたが、柳の木そのものは霊界と繋がっていると信じられていた樹木である事から、死者への供養が一番納得するものである。

「岩手民話伝説辞典」で調べると、飢饉の供養として、柳の木を塔婆代わりに立てた記録があるようだ。また境界の役目を柳の木は果たしているようだ。ただし水辺に植えられた柳は、あの世とこの世との境界を定めているらしい。岩手県に多く伝わる似た様な猿婿の話しにも柳の木は必ず登場し、柳の木から池に落ちて死ぬ猿は、この世から柳の木を経て、あの世へと落ちて死んだという事になるのだろう。柳の木に関する話の殆どは、水辺と大蛇に関わっている。柳の語源を調べると「矢箆木(ヤノギ)」の転。「矢之木(ヤノキ)」の義だとする説があるようだ。どちらにも矢が含まれるが、矢は蛇とも繋がる。古代中国の象形文字は、"蛇が転じて矢"になったものであるから、柳の木が実は蛇の木だとしても驚かない。ましてやそれが水辺に植えられているのならば、琵琶湖の瀬田の大橋に大蛇が登場した事から、境界をも示す柳の木は、あの世とこの世を結ぶ橋の意味も併せ持つのではなかろうか。

柳の木が、あの世との境界に植えられ、死者を弔う意を含む樹木である事は理解できた。あの世が水界にあるというのは、「大祓祝詞」に記されている様に、罪や穢れが川から海へと流れ、そこから根の国・底の国に坐す速佐須良姫が"カカ呑み込む"という。水界は地の底へと繋がっており、速佐須良姫のカカ飲みとは、蛇の丸呑みを意味する事から、全て柳の伝承と結び付く。ただ、柳の枝を逆に植える事が、何故に供養となるのか確かな文献をまだ見つける事が出来ないでいる。これに関しては、宿題としよう。
by dostoev | 2016-05-31 20:52 | 民俗学雑記 | Comments(0)

光害の少ない早池峯周辺

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最近知ったばかりの"光害マップ"というものがある。それによれば、岩手県内で早池峯周辺が一番光害が少ない地のようだ。いや、東北一であり、全国でも有数の光害の少ない地が早池峯周辺のようだ。例えば、遠野の西の外れに種山高原があるが、そこに立山という地がある。宮沢賢治曰く「ここから見る星空が一番美しい。」と言ったそうだが、今では奥州市のネオンなどに影響されて、星空の見え具合には疑問符が付く。下記をクリックで、公害マップへ。

「光害マップ」
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昨夜は、10時頃から天の川が昇って来るので、それまでは動物探しをしていた。そして11時には月の出が重なる。方向的に、天の川と月が一緒に見る事が出来るだろうと思っていた。画像は、やっと昇って来た天の川。ちなみに冒頭の画像は、天の川が山と平行にあるのだが、薄い雲と重なっている為、認識し辛くなっている。
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そして、天の川が昇る中、月がジワ~ッと出てきたようだ。
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完全に月が昇り切ってしまえば、天の川は見えなくなるだろう。
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天の川が、月の明かりに失せつつある。
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全体的に霧が出ているので、遠野は雲海に覆われているのだろうと、今度は高清水へ行って見た。月明かりに照らされる、雲海で時刻は12時頃。高清水展望台には、既に一組のカップルがいたが、どうやら邪魔してしまったようだ。
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土曜の朝には、雲海撮影の人達で、ここも賑わうのだろうか?
by dostoev | 2016-05-28 07:49 | 遠野の夜空 | Comments(2)

夜霧の中

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昨夜は、何と言うのだろう。多くの野生動物に遭いながら、殆ど撮影するタイミングを逸していた。日本鹿、アナグマ、タヌキ、キツネ、熊が何度も目の前を通り過ぎて行った。

そんな時、車を走らせている最中に、再びツキノワグマに遭遇した。動画の冒頭部に、チラッと映ったツキノワグマ。しかし、必死に逃げて藪の中に消えて行く。
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車の中での撮影は、タイミングが全て。しかしライトが黄ばんでいるし、前面のフロントガラスも撮影に邪魔。少し、外に出て歩いてみた。フクロウの鳴声が響き渡っているだけで、それ以外は静かな夜だった。夜霧が漂う中、草木はタップリ水を含んでおり、ズボンがすっかり濡れてしまった。せめて鹿がいないかと思ったが、なかなか難しい。ただ今回のメインは星空撮影なので、動物撮影はまたの機会にしよう。
by dostoev | 2016-05-28 07:24 | 遠野体験記 | Comments(0)

しし踊りが踊られぬ事(逆生の柳)

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綾織の山口で昔、しし踊りを始めた事があった。ところが、その年から何年も飢饉が続いた。村人達は、これはしし踊りの為であろうと話し合った結果、柳の木を逆さに植えて根が付いたなら、神様がしし踊りを止めろという事であると決め、日廻山の奥の谷地に、柳の木を逆さに植えたという。月日が過ぎ、柳の木を見に行くと、根が付いていたのを確認した。翌年には、その柳の木が芽吹いていた事から、綾織の山口ではしし踊りが踊られる事無く、今もその誓いが守られている。

                           「上閉伊今昔物語」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話は、綾織の山口からしし踊りが失せた逸話が掲載されている。ただ実際に、山口にしし踊りがあったのかどうかは、調べてはいない。この話で解せないのは、何故に柳の木に神意を託したのかという事。何故なら、柳の木は挿し木で容易に増え、根が丈夫な事から川沿いに植えられ、水害対策にされた。倒れて埋没し流木と化しても、どこにでも根を張らせる強い生命力を持つ。「日本書紀(顕宗天皇)」に、下記の柳の根の強さを詠う歌が見える。

稲莚 川副柳 水行けば 靡き起き立ち その根は失せず

また「万葉集(3491)」でも、柳の生命力を自らに対比させ、恋の歌に変換され詠われている。

柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむを如何にせよとそ

生命力溢れる柳の木が水辺に植えられる事に加え、枝垂れの木であった事から、霊界と繋がっていると信じられてきた。天から降る霊は、枝垂れを伝い、地面の下の黄泉国へと行く。またその逆に、枝垂れを伝って天へと昇ると信じられたから、枝垂れ柳、もしくは枝垂れ桜は霊界と繋がっていると信じられた。柳田國男の調べによれば、枝垂れ桜は寺、もしくは霊場に多く植えられ、死霊の依代としたという。この様に、霊界と繋がると信じられた枝垂れ系の樹木だが、戦時中の遠野では、その迷信がまだ生々しく生きていた。

釜石がアメリカ艦隊の艦砲射撃により壊滅状態になった時、遠野でもその轟音が響き渡ったという。その時に、遠野にデマが流布した。

「次は、遠野が攻撃されるぞ!」

遠野の人々は、たまに上空を飛ぶアメリカの偵察機に怯え、枝垂れ柳や枝垂れ桜の木の下へと隠れ潜んだという。何故なら、枝垂れ系樹木は霊界と繋がっており、上空から見下ろしても、アメリカ兵には見えないだろうという事だったらしい。

その霊会と繋がっていると信じられた枝垂れ柳は、古代中国では魔除けの樹木であり、占いの樹木でもあったようだ。春分から十五日目、陽暦四月五日頃で万物に清新の気がみなぎる時節を"清明"という。この清明に、一年の降雨量を古代中国では占ったそうだが、それは日本にも伝わった様。そして、それに加えて日本では清明の日に、虫封じの風習が伝わる。それは虫封じの呪文を書いた紙を戸口に"逆さに貼る"というもの。逆さに貼る事によって呪禁が成就するらしい。

これらの事を総合すると、綾織の山口で柳の枝を逆さに挿した事は、しし踊りを続けるかどうかでは無く、飢饉封じの呪術ではなかったか?9月の遠野祭りが過去に、冷害によって中止になった事がある。それは祭があくまで豊作を祝う祭りであるからだ。ところが最近は、凶作の年でも遠野祭りをした事があるのは、いつしか豊作の祭りが観光の祭りに変化した為であろう。綾織の山口での話も冷静に考えれば、しし踊りの存続よりも重要なのは、飢饉が続く事である。その飢饉が無くなって欲しいというのが綾織の人々の切実な願いであり、しし踊りの存続は、そのついでになろう。よって、ここで紹介した話は、飢饉封じの呪術が、いつしかしし踊り存続の話に変換され伝わったものであろう。
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綾織の古老は、遠野祭りの準備の為、しし踊りに使われる鉋屑を削る作業をしていた。その鉋屑は、ドロノキを削ったものであると。ドロノキは泥の木でヤナギ科の樹木で、別名"ドロヤナギ"とも云われる。しし踊りの振り乱れる髪が、ヤナギ系樹木で作られているのは、柔らかく加工がし易すく、どこにでも生えている樹木であるという事もあるが、やはりどこかで霊木の意識もあったのではないか。その霊木の鉋屑を振り乱して踊るしし踊りとは、空気を揺るがし神を呼び起こして、魂を奮い立たせようとする神の魂振りでもあろう。
by dostoev | 2016-05-27 13:16 | 民俗学雑記 | Comments(0)

化け猫の家

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旅の途中、怪我をして飛べなくなった雀は、ある古い家を見つけ、そこに一晩厄介になる事にした。
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その家の脇には、奇妙な大きい猫の置物が置いてあったとさ。
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すると、闇の奥から、家の大きさもある化け猫が現れたとさ。
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化け猫は、スルスルと雀のいる家の屋根に登った。「誰か、ワシの家に入ったニャ~」
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どれどれと、化け猫は家の中を覗き込んだ。
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破れた障子の穴から覗き込む化け猫。
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「おお、美味そうなスズメだニャ~」
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今にも襲われそうになるスズメ。危ない!
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とっさにスズメは、囲炉裏の火を咥え、猫の傍をすり抜けて、家の外に火を焚いたとさ。化け猫は、火を恐れるので、それを知っていたスズメであった。
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化け猫は、火に恐れを抱いて遠くから、スズメの居る家を悔しそうに眺めるだけだったとさ。どんどはれ(^^;
by dostoev | 2016-05-24 19:11 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

「遠野物語拾遺291(麻と女)」

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なおこの日は麻の祝いといって、背の低い女が朝来るのを忌む。
もし来た時には、この松葉で燻して袚いをする。

                        「遠野物語拾遺291」

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「なおこの日は」と、冒頭に記されているが、これは「遠野物語拾遺290」に繋がるものである。「遠野物語拾遺290」では、虫に負けぬようと、健康を願ったものであるが、それが麻の祝いの日に行われたという事。

麻は、縄文時代より日本人の生活に使われて来た歴史の深い植物である。子供が生まれた時の臍の緒を麻糸で切る習俗があるが、生育の早い麻の様に丈夫にすくすく育つようにとの親の願いがあった。その他にも、麻の着物を着せるのも、嫁ぐ時にも髪を麻糸で結う儀式があるのも、麻の霊力によって子供の成育から巣立ちまでをを護って行く呪術であったのだろう。

岩手の昔話に、山姥から尽きる事の無い麻糸の臍を貰う話がいくつか伝わる。麻糸の臍とは、麻の糸玉の事を云う。山姥は、山神と関係の深い存在だが、その山姥から麻糸を貰うという事は、やはり麻糸が人の生命に関わると考えられたのか。山神は「サンジン」とも訓ぜられ、それは"産人(サンジン)"とも合わせて語られていた。「遠野物語」でも、山神が出産に関係する神だと認識される話があるが、山は水や樹木に獣など、様々なものを生み出す存在であるからこそ、そこに棲む女の物の怪を"山姥"と呼んでいる。その山姥は金太郎を育てるなど地母神的要素があるのは、そのまま山神の性質を受けている存在であるからだ。尽きる事の無い麻糸は、そのまま尽きる事の無い命に関わって来る。
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「背の低い女が朝来るのを忌む。」とは、成長が早く、背丈がすぐに伸びる麻に対して、朝一番に背の低い女が来るのは不吉だという意味なのだろう。これは麻に対して朝がかけてあるが、麻は朝でもあった。マタギが山中で魔除けに使用する三途縄は麻糸で出来ている。つまり、山中の夜には魑魅魍魎などが跋扈する、恐ろしい時間帯だ。その時間帯に"朝の結界"を張る事によって魔除けとしている。人の死体を好むとされる金屋子神は、麻苧に足を取られて死んでしまったという事から、麻を嫌うとされている。金屋子神は神であるから、その神が蠢く時間帯が太陽が沈んでからの夜である。それ故に、麻(朝)を嫌うのでもあった。ただし、女である理由が定かでは無い。遠野地方の女に対する諺には、下記の様な神に対する禁忌がある程度。

「女(おなご)ァ、高山(たかやま)サ登れば、荒れになる。」

「十五夜のお月様に上げた餅、女(おなご)ァ食うもんでねぁ。」


ならば、神に対する禁忌に触れた理由があるから、背の低い女が嫌われるのだろうと考える。背が低いとは、それが子供だろうと、麻の祝い、つまり神の祝福を受ける事が出来なかった者である可能性。また民俗学的に、山姥の身体的特徴とは「背が高く、髪が長い…。」とされるのだが、背の低い女とは、山姥とは対照的な異質感を覚えたのではないか。それが逆の意識から、山姥と重ねられた可能性もある。

「来る」とは、家に来る事であるから来訪者を意味している。小松和彦「恐怖の存在としての女性像」の中で、山口昌男の説を紹介している。山口は、「女性とは日常生活、社会秩序から排除され差別された、潜在的「異人」としての役割を象徴的に担わされている。」と。そして、「女性は「文化」の周縁に位置する人間社会の内なる「他者」である。」と。この山口昌男の説に小松和彦も同調しているが、要は体内に自然を有する(出産など)霊的世界に結び付く女性とは、男達にとってコントロール出来ない力を有する存在故に、それに恐怖して排除しようとする意識が働くとしている。それを「遠野物語拾遺291」に当て嵌めれば、朝一番に訪れる背の低い女性を山姥の対比と捉え、更に男社会の前に立ちはだかる女性の霊的能力に対する恐れから忌み嫌うのは、男の逃げの意識なのであろう。家の嫁を"山の神"と昔から称していたのは、男とは違う異質な存在に対する恐れを抱いていたからである。
by dostoev | 2016-05-23 18:00 | 「遠野物語拾遺考」290話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺290(虫)」

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二十日はヤイトヤキ、またはヨガカユブシといって、松の葉を束ねて村中を持ち歩き、それに火をつけて互いに燻し合うことをする。これは夏になってから蚊や虫蛇に負けぬようにと言う意味である。

ヨガ蚊に負けな。蛇百足に負けな。

と歌いながら、どこの家へでも自由に入って行って燻し合い、鍵の鼻まで燻すのだという。

                          「遠野物語拾遺290」

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自分が子供の頃、家の婆様が「今夜あたり、"ヨガ"が来るな…。」という言葉に反応して、子供心にヨガを考えた。言葉の響きが、忍者の伊賀や甲賀に似てるなぁとか。何となく、妖怪の類の様にも思えた。しかし、その正体は蚊であった。夜に現れる蚊だから「夜蚊(ヨガ)」であると。ちなみに遠野地方では、ムササビの事を「バンドリ」と呼んでいた。それはムササビが、"晩に飛ぶ鳥"とされていたからだった。

現代では蚊取り線香があるが、それが無い時代、代用品として松の葉を束ねて燃やし、その煙で燻す事によって虫除けの呪いと信じられていた。ヤイトとは「灸」の事であるが、ヨガカユブシは、夜蚊燻しであり、ヤイトも含めてまとめて虫除けを意味している。よく「痛いのは我慢できるが、痒いのは我慢できない。」と云われる。これに関しては、誰にでも経験があるのではなかろうか。とにかく人は、昔から虫刺されの痒みに苦しんできた歴史がある。
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イギリスの女性旅行家として有名な、イザベラ・バードがいた。その著書である「日本奥地紀行」は読んだ事が無いが、それが現在佐々木大河「ふしぎの国のバード」として漫画化されている。そして、これが非常に面白い。最近、2巻が発売されたばかりで、ついに東北の入口に到達したが、現れた人々は貧しく不潔な為、蚤や虱などの虫刺されに苦しんでいるよう。村人の話しでは、この生活に欠かせないのが、囲炉裏の煙であると。絶えず囲炉裏に火をつけておかないと、屋根に虫がついて家はすぐに腐ってしまうと訴えている。そこでイザベラ・バードは硫黄と獣脂で、痒み止めの塗り薬を作って、その作り方も含めて村人に提供した。時代は明治の話なのだが、、自分たちの先祖がこういう暮らしをしていたのかと、文字だけでは感じ得ないリアルさを、この漫画は描き切っている。
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囲炉裏の煙に燻された壁や天井は、画像の様に汚れてしまう。しかし、これが生活に必要であると昭和の時代まで続いていたという事実。虫除けの為に燻すのは家だけでは無く、人間の体もそうであった事を、この「遠野物語拾遺290」は紹介しているのであった。また、遠野のマタギが山中でタバコを吸うのは、蛇がタバコの煙を嫌うからだとしているが、元々は蛇も虫である事から、タバコもまた虫除けから来ているもののようである。

自然が豊富であるという事は、草木と共に、虫も非常に多いという事。虫などは特に女性が苦手な事もあって、田舎への転勤や、定年後の田舎暮らしに、真っ先に逃げ出す女性の話をたまに耳にする。それは平安時代も同じであって、虫を忌み嫌う女性の多い中で、「堤中納言物語(虫愛ずる姫君)」に登場する虫好きな姫は、その時代でも非常に稀な女性であった。吉田兼好「徒然草(19段)」には「蚊遺火ふすぶるもあはれなり。」と記されているが、"蚊遺火"とは、よもぎの葉、カヤの木、杉や松の青葉などを火にくべて、燻した煙で蚊を追い払う生活の為の文化であったよう。

遠野の場合は、松の葉だけであったようだが、これは羽黒の松例祭に影響されたものではなかろうか?昔、岩鷲山(現在の岩手山)に麤乱鬼という悪鬼が現れて奥羽に悪疫を流行させた時に、ある七歳の少女に羽黒権現が憑き、悪鬼に象った大松明を作ってこれを焼き調伏せよとの御宣託があった事から始まったのが、羽黒の松例祭である。元々松の木は神の依り憑く樹木として信じられていた。例えば、天女の羽衣がかかっていたのも松の木である事から、神木として祀る神社もまた多い。その松の木に依り憑いた、神の霊力を期待しての虫除けではなかったか。

とにかく、虫と人間のいたちごっこは、恐らく人類の歴史と共に始まったものであろう。昔は、この「遠野物語拾遺290」の様に民間の呪いの様なもので行っていたが、現代では科学的な殺虫剤が使用されている。それでも虫を完全に無くする事は、不可能である。これからも虫と人間の関係は、嫌でも続く事になるだろう。そういう時は"虫愛ずる姫君"の様に、少しでも虫に対して好意的になれれば、虫に対する見方も接し方も変わるのではなかろうか。そう、相手を制するならば、まず冷静に相手を観察できるようにならなければならないだろう。「ヨガ蚊に負けな。蛇百足に負けな。」の歌は、精神的にも虫に打ち勝てという意味なのだろう。
by dostoev | 2016-05-22 22:27 | 「遠野物語拾遺考」290話~ | Comments(0)

「遠野物語2話(遠野三山)」

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遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯と云ふ。北の附馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。

大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社にある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止まりしを、末の姫目覚めて窃かに之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。

                            「遠野物語2話」

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この「遠野物語2話」の一節「大昔に女神あり」だが、正確には「山河有り」から始まった物語であろう。それは、山があってこその女神であると思うからだ。ところで遠野三山とは言うけれど、「遠野物語」には、早池峯と六角牛の逸話は登場するが、石上山は何故か「遠野物語拾遺12話(姥石)」だけが紹介されているだけだ。恐らく石上山はバランスを採るために後から加えて、三山形式にしたのだと思われる。ただし、石上山の鎮座する綾織町には"綾織三山"が存在し、石上山は別格の山であるとされているのは、やはり格式が高いとされる山であるからだろう。

大同元年に早池峯妙泉寺、大同二年に六角牛善応寺が建立されたという事だが、似た様な形態に、茨城県の金砂郷がある。ここは慈覚大師円仁の故郷であるが、やはり大同元年と大同二年に続けて本宮と別宮が建立されているのは、天台宗の教義による影響からなのだと考える。これがいつしか三山形式になったのは恐らく、羽黒修験の力が遠野に及んでからではないだろうか。その羽黒修験は、熊野修験に影響を受けており、その大元は熊野三山が発祥では無かったか。また、偽書と呼ばれる「竹内文書」にも、何故か早池峯と六角牛が登場しており、五葉山を含めて沿岸域からの三山となっている。さらに気仙三山と呼ばれるものは、五葉山、氷上山、室根山とされている。そして岩手三山が、岩手山、姫神山、早池峯山となる。奇妙なのは、この岩手県内全ての三山に、早池峯の女神が含まれている事であろう。三山の大元が熊野三山であるならば、それを伝えた熊野修験と早池峯の女神とが、深い関係にあるものと考えるべきではなかろうか。

「遠野の町は南北の川の落合に在り。」という一節だが、JR発行の雑誌に、京都の下賀茂神社の紹介の一節に「龍神は天空から地上をうかがうとき、足がかりとなる山頂をみつけて舞い降りる。京都盆地では北山に降り、この下鴨あたりに涌き出る清水を飲んで勢いをつけ、鴨川添いに一気に南下するであろう。」ここに記されている北山とは、北斗が降ったとされる比叡山であり、その麓の下賀茂神社は、龍との繋がりが深いという事を書き示しているのが理解できる。
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宮本健次「江戸の陰陽師」を読むと、やはり北に高山が聳え、川が北から南へと経由して西に流れるのを理想としている。更に、東から西へと川が流れる地を良しとしている。これはそのまま、北に聳える早池峯を頂点として、早池峰山麓を水源とする猿ヶ石川が南方から西に流れる北上川へと合流している。北に高山が聳えるという事は、つまり南面しており日当たりの良い地である事と共に、北風を避ける地を意味していると。そして東には仙人峠を水源とする早瀬川が西へと流れ、猿ヶ石川に合流している。この川の流れは、農業用水や飲料水としてだけではなく、大地の汚物を処理して疫病を防ぐ事にも適しているのだと。
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平安時代に書かれた日本最古の庭園書である「作庭記」によれば、「東方よりいたして舎屋の下を通して未申方へ出す最吉也。青竜の水をもちて、もろもろの悪気を白虎の道へ洗いたすゆえ也。」と。この"白虎の道"とは、"穢祓の道"でもある。例えば上記の画像"西国巡礼塔"であるが、遠野であるなら大抵村外れの地に建っており、そこから西国に度立ったという。この西国巡礼の旅は、三十三所の観音霊場の巡礼であり、それを巡る事によって罪や穢れが祓われると信じられた。つまり、罪や穢れを持って西国へと旅へ向かったという"白虎の道"である。ちなみに誰でも行く事の出来る旅では無いので、"プレ三十三所観音霊場巡礼"は、現在遠野の福泉寺で体験できる。
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以前、早池峯山・六角牛山・石上山・物見山に線を引いて繋げてみると、その線の真中に横田城跡が来た。陰陽五行によれば、真中は黄龍の地、つまり支配の地という事から、意図的に阿曽沼氏は、その地に横田城を築いたのではないかと考えた。この四神相応の思考は、何も阿曽沼だけでは無い。奥州藤原氏について書き記す「平泉誌」には、「左青竜河流。右白虎西有大決。前朱雀前有北森。後玄武後在山巌」と、奥州藤原氏もまた四神相応を意識していた事がわかっている。その奥州藤原氏の祖は、安倍一族であり、遠野での拠点は恐らく土淵であったろう。何故なら土渕こそ、早池峯が北に聳える山と認識される地でもあるからだ。現在の遠野の町からでは、早池峯山を見る事が出来ない。菊池春雄・荻野馨「遠野市における館・城・屋敷跡調査報告書」によれば、安倍一族の館跡には二つの石が立っており、その間には必ず早池峯が入るとの事から、安倍一族も又北に聳える早池峯を意識していたのは、まず間違いないだろう。「続日本記(二月甲戌)」元明天皇による遷都の詔では「平城の地、四禽図に叶ひ、三山鎮を作し、亀筮並に従ふ。都邑を建つべし。」というように、三山が登場する。ここでの三山は"大和三山"と呼ばれるもので、香具山・畝傍山・耳成山をいう。「万葉集」の歌に「香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」という大和三山が神代に恋争いをしたという歌があるが、これが恐らく岩手三山(岩手山・姫神山・早池峯山)の恋争い伝説の原型であろう。大和三山では、畝傍山が男神である説と、女神である説がある事から、岩手三山の中では、早池峯山が畝傍山の位置にされて伝えられている。

四神相応を謳いながら平城京が三山で良しとしているのは、その山のバランスが良いという事に加え、北に山があれば南は、北よりも低くなだらかであり水が豊富であれば、山があっても無くても良いからだ。南は朱雀となるが、あくまで南方の守護であるから、山は無くとも良い。遠野の場合、南には物見山が聳えるが、遠野三山よりも低く、それよりも重要なのは、古代の物見山は桂の木が多く、慈覚大師が七体の観音様を彫ったとの伝説も残っている。そして物見山には池が三か所もあったという程、水が豊富な山であったようだ。風水的には、南に水が豊富であるのが良しとされる事から、物見山は霊山としての資質はじゅうぶんにある山という事がわかる。
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こうして遠野は、三山が理想の形に鎮座する盆地であり、陰陽五行的にも理想の地である事から、三女神伝説が組み込まれ、語られたのであろう。遠野は地形的にも、伝説が発生する土壌が大昔からあったという事はだ、既にそれを見出して、遠野に移り住んだ人々も多く居たのだろうと思えるのである。

ちなみに補足であるが、上の画像は、寺沢高原から見た、冬の石上山である。早池峯山や六角牛山に比べて、山容が余りにも地味すぎる。だが石上山に登った事のある人ならわかるが、登山道は三山に相応しいものだという事を付け加えておく。見た目は地味な石上山は、登ってこその山。是非多くの人に、遠野三山制覇をして欲しいものである。
by dostoev | 2016-05-21 23:07 | 「遠野物語考」1話~ | Comments(0)

桜の季節からツツジの季節へ

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天気が良かったので、手にカメラを持って線路沿いを歩いて、早瀬の河原まで足を延ばしてみた。手当たり次第、目に付く花を撮影みた。まず目に付いたのは、ツツジの濃厚なピンク色だった。
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早瀬川沿いには、黄色い花が沢山咲いていた。正体は、イヌナズナか?
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早瀬川原は緑と黄色のコントラストというか、見事な若葉マーク色に染まっていた。
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調子づいたので、綾織方面に足を向けてみた。やはり黄色い花が目に付く。
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そして、やはりツツジだ。
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そして、タンポポも。
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フォーカスを手前に。
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フォーカスを奥に。
by dostoev | 2016-05-18 16:59 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

鯰と地震(其の八 結)

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鯰が水神の使役という事が分かり、本来の水神は竜蛇神であった。玄武は亀であり、本来は災害を招く龍蛇を抑える存在であり、古代中国などで大地を支える堅牢な亀の伝説が、そのまま堅牢な石に重ねられた節がある。つまり"要石"とは本来、"玄武"であった可能性がある。その玄武は北の守護獣である事から、不動の北極星、所謂"北辰"であり、妙見信仰と結び付いたようだ。陰陽五行である風水思想によれば、「龍神は天空から地上を窺う時、足がかりとなる北に聳える山を見つけて舞い降りる。」とされている。それが京都盆地では、北斗が降ったとされる比叡山となる。これを遠野盆地に置き換えれば、龍の降り立った山とは早池峯山となる。

陰陽五行では、北は黒色で示す。北を守護する玄武の玄は「玄(くろ)」である事から、やはり北となる。「遠野物語拾遺46」でのハヤリ神が当初、黒蛇大明神としていたのが後に早池峯山大神となったのも、北に位置する竜蛇神は黒色で示すからだ。つまり、遠野の早池峯大神も竜蛇神であり、妙見神でもある。

妙見神は亀に乗って来たと云われるが、日本の神々が大きく影響を受けたインドの神にも、亀に乗る女神が存在している。ヤムナー川の女神は、亀に乗る水神でもある。この水神の女神は、インド神話における太陽神スーリヤとサンジュナーの子で、死者の国の王ヤマの妹であるヤミーとされている。インドの死者の国は、日本での黄泉国に対応するのだろう。日本では、厠や井戸、そして枝垂れ桜、枝垂れ柳、更には桜谷(佐久奈谷)が黄泉国と繋がっていると信じられていた。地下から涌き出る水を考えると、水神が黄泉の国と繋がっていてもおかしくはないだろう。

そして、要石のある鹿島神宮の御神体は、海に沈む大甕であり、本来の祭神も本殿に祀られる武甕槌ではなく花房社に祀られる蛇神であった。甕(カメ)は亀(カメ)であり、カメによって竜蛇神を抑えるとは、そのまま要石でもある。つまり海中に沈む大甕には、本来の神である竜蛇神が封印されているのだろう。その竜蛇神は二荒山と結び付き、小山氏を通じて竜蛇神が近江国と繋がっていた。そして、原初であろう阿蘇の鯰伝説は、恐らく佐々木氏を通じて、琵琶湖と繋がったのは南北朝時代であろうか。その佐々木氏は、阿蘇地域に於いて菊池氏の家臣となっている。
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岩手県に、阿蘇から分霊された菊池神社の祭神は、水神姫大神であった。これは菊池郡を調べれば、水神であり、姫大神、もしくは乙姫と親しまれていたのは、日下部吉見神社から阿蘇へと嫁いだ阿蘇津比咩であり、別名瀬織津比咩であった。そして、佐々木氏が阿蘇地域の菊池郡に勧請した唐崎神社には、瀬織津比咩が祀られている。また日吉神社に到っては、「日吉社神道秘密記」によれば、竹生島は比叡山の奥ノ院であり、薬師を祀るとするが、薬師は妙見の本地である事から、北斗の降った比叡山の奥ノ院が竹生島であるならば、そこに妙見神が祀られている事になる。しかし仏教に帰依しつつあった聖武天皇は、天照大神の夢告を受けて、竹生島を弁才天女の聖地とした。しかし日吉神社本来の祭神は滝神であり、それが弁才天と結び付くかといえば否である。だが、阿蘇地域では乙姫であり天女と呼ばれるのは阿蘇津比咩である事から、阿蘇地域と琵琶湖周辺の信仰が何故か重なっている事が理解できる。古田武彦「まぼろしの祝詞誕生」によれば、「大祓祝詞」に描写される場所である地名は玄界灘を中心としたものであろうとしている。それらの地名がいつしか、琵琶湖周辺に移転されたのは、氏族の流れと信仰の流れからくるものであろうとしている。南北朝時代に、佐々木氏が阿蘇地域に水神を祀る神社を勧請してはいるが、その遥以前に九州から琵琶湖周辺に信仰が伝わって来ていたという事になろうか。それは阿蘇の水神と、八代の妙見女神と共に、水神の使役である鯰をも伴って。

地震を引き起こす鯰であったのは、実は竜蛇神であった。その竜蛇神は、蒙古襲来時に飛び出して日本と云う国土を守護したとも信じられている。しかし、日本と云う国土に災いをもたらすのも、また龍蛇である。地震だけでなく「肥後国誌」には、阿蘇の噴煙から龍が現れたという記述がある。水害・地震・火山の噴火にね龍蛇が関係していると考えられていた。その龍蛇は、日本の国土の地下に潜んでいる。だからこそ、それを抑える要石であり、玄武が必要とされてきた。しかし、どうやら、それと共に龍蛇の女神も歴史の闇の中に抑え込んでしまったようである。
by dostoev | 2016-05-14 20:28 | 鯰と地震 | Comments(6)