遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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夜ガイド(夜の山は吹雪いていた。)

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予約で、夜のガイドを頼まれていた。早池峯神社の座敷わらし祈願祭のあった4月29日、夜はマヨヒガコースへと行ってきた。ただ生憎の天気で、期待の霧に遭遇する事は無かった。当初は雪がちらついている程度であったけど、山頂に近付くと吹雪となった。まあそれでも、極端に寒いという感じでは無かった。動物は、親子のカモシカと、タヌキが二匹ほど出て来たくらいか。しかし、日本シカは山を下って里に近付いて、やっと見かけた程度。かなり駆除したとは聞いたが、本当に日本鹿の姿を見かけなくなったものだ。
by dostoev | 2016-04-30 04:42 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

雨に濡れる座敷わらし祈願祭(2016.04.29)

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今日、4月29日は、遠野の早池峯神社で座敷わらし祈願祭が行われた。昨夜、自分の民宿に泊った客で、早めに行きたい客は、朝の6時に朝食を食べて、そのまま早池峯神社へと直行。なんでも座敷わらし祈願祭当日は、早くから駐車場などが混むのだそうだ。ただし、座敷わらし祈願祭は、参加者が増えた為、二回に分けて行われる。自分は、二回目の祈願祭に参加する客を、早池峯神社まで送り届けに来たに過ぎない。
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遠野の駅周辺は、朝から雨が降っていた。早池峯神社の方はどうかと思ったが、気にならない程度だったが、やはり小雨が降っていた。
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小さな水溜りが、早池峯神社境内に、いくつか出来ている。
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ただこの雨で、神社の杜が生き生きと感じる。
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写真は遠景なので、拝殿内部はよくわからないと思うが、内部は雨宿りの客で膨れていた。
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他人達は、本殿前に建てられた仮設テントの中で待機している。
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本殿内部では、一度目の神事が行われている。本殿の外に並んでいる、傘と履物が目に付く。
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今年も10体の座敷わらし人形を販売したのだろうか。自分の宿の客は、待って待ってやっと今年、手に入れる事が出来ると言っていた。
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by dostoev | 2016-04-29 15:46 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(8)

白い闇(マヨヒガコースの下見)

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今日も、遠野は晴れ渡った。そろそろ夜のガイドの為に、下見がてらマヨヒガの地へと行って見る事にした。例年だと、舗装道路部分は車で走れても、林道の日陰などに雪があって行けない場合が多い。確実に白望山登山口付近に行けるのは、連休明け頃が無難であった。ただし今年は、例年よりも雪が少なく暖かな冬だった。恐らく、問題無くこの時期でも行けると思ったが、とにかく下見する事にした。
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下界は晴れていたのに、白望山登山口付近に来ると、白い霧が出て来た。
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昼間でも、深い霧に包まれると先が見えなくなる。この深く白い霧の状況を、誰が言い始めたのかわからぬが、いつしか"白い闇"と呼ぶようになった。確かに、先が見えないのが闇であるなら、夜の闇は暗闇であり、昼間の闇は"白い闇"となる。

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まるで生き物みたいに霧の動く様の中に立つと、まるで自らがホラー映画の舞台に立った様にも感じる。
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林道を下りきって里の近くまで来ると、明るい空が見えて来た。やはりマヨヒガの地は、昼間でも白い闇に遭遇しやすい地である。とにかく雪は僅かな塊を、沢の日陰部分に見た位であった。これならば、夜に出かけても問題は無い。
by dostoev | 2016-04-27 17:22 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

遠野桜

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今日の夕方、テレビをつけたら「めんこいテレビ(フジ系)」で、遠野の桜の生中継ですとやっていた。猿ヶ石川沿いの桜並木が生中継場所のようで、その猿ヶ石川沿いの桜並木を紹介していた。気になるのは、猿ヶ石川沿いの桜は老木となるので、早めに桜の苗木を植えておかないと、この猿ヶ石川沿いの桜の名所は、いつか無くなってしまうという事。まあそれは、どこにでも言える事。維持していくのが、一番難しいのだろう。
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by dostoev | 2016-04-26 20:24 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

鍋倉山の桜

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天気が良く、時間があったので久々に桜が咲き乱れる鍋倉山へと行って見た。去年は、桜の撮影をしなかったので2年ぶりの撮影になるのか。明るい日差しの中、遠野にしては人も多く出ていた。
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鍋倉山の桜を手前に、奥に聳える六角牛山を望む。
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咲き始めの桜もあったが、かなりの花びらが散った葉桜も目に付いた。
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日差しが強く、コントラストがきつい日でもあった。
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今年はあと数日、頑張って桜を撮影してみようか。
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by dostoev | 2016-04-25 20:14 | 遠野の自然(春) | Comments(2)

春の又一の滝

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九州の被災地から遠野を訪れた客が、是非に早池峯の又一の滝へ行きたいというので案内してきた。去年から早池峯神社のある大出行きのバスが無くなった。ましてや又一の滝までなると、タクシーも行く事が出来ない。遠野観光で、早池峯神社と又一の滝を希望する観光客は、これからいろいろと難儀する事になるのだろう。

例年より雪が少なかった遠野であったから、この時期の又一の滝への道のりには、まったく雪が無かった。ただ一部、渓流沿いの日陰部分に残雪を見つけたに過ぎなかった。
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馴れない山道を歩いて疲れたお客さんも、又一の滝でのマイナスイオンに触れて、元気を取り戻したよう。
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滝に向って、手を合わせるお客さん。
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時間帯は午後の為に、滝の上部にだけ日差しが当たっていた。この又一の滝が全て太陽光に浮かび上がるのは、昼頃になるが、写真を撮影するには、滝の水が明るくなり過ぎになるので、撮影をメインにする時は、いつも昼頃は裂けるようにしている。
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今日の又一の滝は、まずまずの水量があった。渇水時期に来ると、落水が片側だけ流れている時がある。既に亡くなった古老だが、以前に又一の滝に関する話を聞いた。又一の滝は二股に別れてこそ、男滝・女滝が揃うのだと。向って左側が女滝でいわば、早池峯の姫神となる。右側の滝だけが流れている場合は、その姫神が姿を隠しているのだと。
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遠野の街中は、桜などが咲き乱れて来た。しかし、この又一の周辺は、今やっと木々が芽吹いて来たところである。同じ遠野でも、早池峯の麓は時間軸がずれているようだ。
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by dostoev | 2016-04-24 17:59 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

鯰と地震(其の二)

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「いせこよみ」では国土を取り囲んでいるのが龍蛇であったが、「和漢三才図会」によれば、龍蛇が鯰に変身し、琵琶湖の主になったとの話がある。また、8月15日の月夜に竹生島の砂の上で数千匹の鯰が転げまわったとの記述があるが、これは恐らく月の変若水との関係を伝えるものだろう。要は、鯰は龍蛇と同じ水神の使いであると。
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江戸の町に鯰が登場したのは、前回にも書いたが享保十三年(1728年)の大水害の時であった。それまで江戸の庶民は、鯰を見た事が無かったようである。この大水害の時に、鯰の大群が出て、江戸の人々はこれを捕まえて不思議がったという。恐らくこの時から、江戸の人々の意識の中に、鯰が不吉の前兆と刷り込まれたのではなかろうか。

享保十三年の約100年後、文政十三年(1830年)京都で大地震が起きた。その時に、江戸時代後期の歴史家であり思想家、そして漢詩人でもあった頼山陽が地震の詩を書いている。

「大魚坤軸を負ふ、神有り其首を按ず、稍怠れば即ち掀動す、乃ち或は酒に酔へる無きか願欲一たび醒悟し、危を鎮めて其後を善くせんことを」

この詩における大魚とは鯰を指し、神は鹿島神であるのを意味している事から、鹿島神宮で龍蛇の首尾を抑え込んていた要石は、この詩の後から鯰の頭を抑え込むようになったのかもしれない。そしてこの詩の25年後、安政の大地震が起きる。安政二年(1855年)の事であった。
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大地震で被害を受けた人々は、どこに怒りをぶつけて良いか分からない。そういう時に描かれたのが、地震の原因である鯰をこらしめる事で、憂さを晴らすという絵。これが龍蛇の姿であったら、これほど滑稽に描かれたのかどうか。江戸の庶民が龍蛇でなく鯰を選んだのは、大地震という災害による悲惨な状況をも笑い飛ばそうという気質からきたのではなかろうか。大地震の後に描かれた、こういう鯰絵は様々な絵柄が大量に出回ったという。
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大地震によって損をしたのは、金持ち連中であったと。家屋敷を失い寄付金を強いられた金持ちは、背後に鯰がおぶさるように憑いて泣いている。しかし、商人であれば"損して得とれ"なのだろう。現代でも大地震の被害に対して、金持ちや企業は寄付をしたり、直接物資を届けたりしている。明治時代の三陸大津波の時に岩手県の新聞で紹介されたのは、「奇特な米商」と題して「西閉伊郡上郷村の米商細川熊吉なるものは此度の災害を聞くや同胞窮厄を救わん為、自宅より夜通しに米穀を釜石に運び来り海嘯以前よりも価格を引き下げて販売し又大工の不足を憾み自村より十二三名の大工を派遣して一時の急を救へり…。」と。無料では無かったようだが、車の無い時代に夜通し米を遠野から釜石へ運んだのは、とても大変な事だ。それを成し遂げたのは、津波で被災した人達にが困っているだろうという想いからであったろう。そして被災者も、その想いを感じた事だろう。江戸時代で損をし泣いたであろう金持ちの商人も、その後の復興で笑い顔に戻ったのではなかろうか。
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地震で家屋が崩壊すると、復興景気で職人の仕事が増え、手間賃が跳ね上がった大工をはじめとする職人は笑いが止まらず、鯰を讃えたと云う絵が上の絵となる。それは江戸時代に限らず現代でも同じで、破壊されれば再生する流れから、2011年の東日本大震災の後の好景気は"復興バブル"とも呼ばれた。
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地震後、仮設住宅ならぬ"仮設遊郭"が建てられたそうだ。通常、遊郭を利用する事を拒まれた大工をはじめとする職人達だったが、復興景気で儲けた職人をターゲットに、この仮説遊郭は繁盛したという。
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地震で家が崩壊し、我が家が無くなった人達は、今では国の主導の元に仮設住宅を当てがられるが、江戸時代の人達はもっと逞しく、使えなくなった襖や障子が貼られた扉で独自に仮設住宅を作り、住んだり商売を始めた様である。瓦版の絵からは、あまり悲壮感が漂っているようには見えないのは、やはり江戸っ子の気質なのだろうか。
by dostoev | 2016-04-23 12:31 | 鯰と地震 | Comments(2)

鯰と地震(其の一)

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昔から、鯰が暴れると地震が起きると云われていた。その感覚はまるで、ウルトラマンと戦う巨大な怪獣の登場シーンを彷彿させる。映画「ゴジラ」は放射能の脅威を具現化した怪獣であり、ウルトラマンなどに登場する怪獣たちは、災害や戦争を具現化した存在であったのだろうか。江戸時代の古書である「西遊見聞随筆」には、女が、とある堀で洗濯物をすすいでいたところ、堀の彼方に水波が激しく立ち、こちらへと近付いてくる。女ははじめカワウソかと思っていたが、目の前に迫った得体の知れぬものは、大きな口を開け、女を一呑みにするかのようであったと。その正体は、二間もある大鯰であったという。この大鯰の出現シーンはまさに、ウルトラマンに現れる怪獣の出現シーンのようでもある。在来の淡水魚で最大と云われるのが琵琶湖大鯰で、120センチにもなるそうだが、「西遊見聞随筆」に登場する大鯰は二間、つまり約360センチで有り得ない大きさだ。日本ではいる筈も無い大蛇騒動の話も多く、人の中にある"恐怖の意識"が、蛇や鯰を怪物かの如くに伝える場合がままある。まあこれは、遠野のひょうはくきりの話す事と同じで、自分の体験した話を面白おかしく大袈裟に伝えるのに似通っている。
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江戸時代の瓦版には、巨大鯰が人々を襲うシーンが描かれている。これはまさに、ウルトラマンやゴジラと同じ様な、災害の具現化であり、この頃には既に特撮の下地が出来上がっていたと思えて面白い。
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ただし、江戸時代にはウルトラマンは登場しないが、その当時もっとも親しみ易い神仏がウルトラマンの代わりをやっていた。地震=鯰を倒すとなれば、やはり鹿島の神(武甕雷男神)が登場する。科学が発達していなかった時代のヒーローは神仏であり、地震の様な災害だけでは無く、あらゆる病気にも、多くの神仏が関わって来た。例えば不動明王の背後にある火焔は、病魔を焼き尽くすとされた。その「紅蓮の焔=赤色」が魔を寄せ付けない、魔を倒すとされた事から、ウルトラマンのデザインに使用された赤色となったようである。
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鹿島の神が大地に要石を打ち付けて、日本全体を取り囲んでいる「地震蟲=大蛇=龍」の頭尾を抑え込んでいるから地震は起こらないと思われていた。しかし、鹿島の神がたまに留守をしたり、気を緩ませると大地震になるという言い伝えがあった。とにかく、外敵、災害を抑え込む要石信仰とでも言うべきだろうか、とにかく要石に対する意識が高まったのは江戸時代になってからのようだった。その要石を、水戸黄門でおなじみの徳川光圀が好奇心からなのか、現実主義者であった為か、鹿島神宮の要石を掘り起こそうとした話が「黄門仁徳録」に伝えられている。七日七晩、要石の周囲を掘り返したが、不思議な事に掘った穴は一晩のうちに元通りに埋まり、加えて怪我人が続出した為、作業は途中で頓挫してしまったという話になっている。内容から察すれば作り話ではあろうが、水戸黄門の迷信に惑わされない性格を意識した逸話となっている。ところで「遠野物語拾遺20&21」にも似た様な話があり、神木を切ろうとしても一晩で、その切った跡が元に戻るというものだ。要石も神木も神々しいものであるから、こういう話が作られたのだろう。
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浅井了意の仮名草子「かなめいし」には「俗説に五帝龍王この世界をもち、龍王いかる時は大地ふるふ。鹿島明神かの五帝龍王をしたがへ首尾を一所にくぐめて鹿目(かなめ)の石をうちをかせ給ふゆへに、いかばかりゆるとても人間世界はめつする事なし」とある。恐らくこれは、龍が実在するというものではなく地下に流れる龍脈を意図してのものだろう。つまり、龍脈の気が吹き出す龍穴が鹿島神宮であるとされていたのだろう。こういう陰陽五行に基づく風水思想は、神道世界を中心にかなりの広がりを見せていたのがわかる。
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寛文の頃から江戸で出版された「いせこよみ」には、日本の国土を囲む龍の絵が掲載されているが、その「地震蟲=大蛇=龍」が「鯰」に変ったのは、江戸時代になってからだという。「増訂武江年表」という書物に「昔江戸に"鮧魚"といふ魚なかりしが、享保十三年九月二日、江戸に大水出で、此魚長さ二尺計りなるもの多く、すなどりするをのこ此れを捕へしを、みな人見て怪しめり…。」ここで気になったのは、「鯰」という漢字を「魚」偏に「夷」で表す「鮧」を使用している事。例えば「夷狄」という言葉は、古代中国において未開な野蛮人だとする異民族に対する蔑称であった。元々鹿島神社は、蝦夷国との境界に建てられた神社であり、朝廷の外敵である野蛮とされた蝦夷に対する前線基地の意味合いがあった。まさに突如、江戸に現れた鯰は夷狄であると認識された文章であると思う。鹿島大明神は要石に宿り、国土を脅かす外敵を威圧するものであり、鯰だけでなく日本と云う国土安泰の要と考えられたようだ。それは幕末になり、黒船をはじめとする異国船が行き来するようになってから鯰を今度は「異国の鯰」という表現に変えたのは、まさに現実的な夷狄を目の当たりにした為の攘夷論からであった。
by dostoev | 2016-04-22 12:37 | 鯰と地震 | Comments(0)

白い犬

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昔話に登場する犬は、白い犬が多いと感じるのは気のせいだろうか。生類憐みの法を発布した五代将軍・徳川綱吉の時代に「犬毛付帳」という犬の戸籍を記すものがあり、それには「黒虎男犬・赤斑男犬・白男犬・赤女犬…」など、様々な犬の毛色が記されている。ところでその徳川幕府は、鷹犬に関しては白い犬ばかり使っていたようだ。ただしその理由は、山で迷彩色にならない白犬は見付けられ易いという理由が大きかったようだ。しかし古くは「日本書紀(景行天皇記)」に、信濃の山で迷ったヤマトタケルを助ける様、道案内する不思議な白い犬が登場している。初代神武天皇の時には、黒い八咫烏が道案内で登場しているが、ヤマトタケルの時には、伊吹山の白蛇&白猪も含め、白い動物が登場するようになっている。元号でも、白い雉が献上されめでたい事から元号が「白雉」に改元され、または白い亀が献上されたからと「神亀」「宝亀」に元号が変更されているのは、やはり白い動物は吉兆であり、神の使いと認識されていたのだろう。ちなみに遠野では、旗屋の縫の伝説の中に、やはり山中で迷った旗屋の縫を、どこからともなく現れた白い馬が旗屋の縫を導いた話があるが、これはヤマトタケルの話を下敷きにして作られた話であろう。

以前、遠野の伝説の地を探している最中に、とある一軒家を訪れた。そこには、昔話風に言えば翁と媼だけが住んでおり、稀人である自分は、たいそう歓迎された。普段は殆ど人が訪れないのだろう。お茶を出され、団子を出され、手厚く歓迎された。その家の裏には、一匹の白い犬が繋がれていたが、近付いて行くと自分に飛びかかる様に喜んでいた。恐らく、飼い主が歳を取った為に散歩に行く機会が減り、自分に対して「散歩に連れてって♪」みたいな期待の感情を表したのだろうと思った。ところで、その家を後にして自宅に帰ったところ、いろいろな良い事が起きたのを覚えている。もしかして、白い犬に接したのが吉兆になったのかな?などと思ったものだ。または山沿いの一軒家に、翁と媼と白い犬との出会いは、昔話の様でもあり、「遠野物語的」には"マヨヒガ"との遭遇に近いのかなとも思った。
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民話「花咲か爺」では、白い犬が幸せを運んでくれた。「今昔物語」には、白い犬から雪の如く白く輝く白糸出たが、糸が尽きると、その犬は死んでしまう。しかし、桑の木の下にその白い犬を埋葬すると、その桑の木には蚕が隙間なく繭を作り、極上の糸が取れるようになった。これもやはり白い犬が幸せを運び、また「花咲か爺」の民話との関連も見受けられる。遠野での蚕の話は、白い馬となるのだが、旗屋の縫の伝説と同じく、元は白い犬の話が遠野では白い馬に変化しているようでもある。この動物の変化は、例えば妙見信仰において、九州は八代での大亀に乗った女神が東国に伝わると狼に変化し、それが東北になると白馬に変化している場合が多い。例えば山の神の使いが西国では猪の場合が多いのだが東国以北は狼に変化しているのは、動物分布の地域性の問題であろうと「オオカミはなぜ消えたか」などの著者千葉徳爾氏は指摘している。これはカレーやラーメンと同じく、その味をそのまま伝えるのではなく、その地域に好まれるよう味を調整して伝え広まったものに近いのだと感じる。

例えば岩手県の東和町に早池峯の神である瀬織津比咩が祀られていた神社があったが、それを祀る別当がいなくなり、その地域で管理する事になった時、瀬織津姫の本地である十一面観音として祀ったという事がある。観音信仰が普及した場合、神名よりも観音様の方が、その地域にとって親しみ易いというのが、その理由であった。または、祭神の変更に関しても、その時代にいかに寄進を貰えるかという判断から、古くから祀っていた祭神を棄て、新たな祭神を祀る場合も多々あったようだ。つまり地域性や時代の流行などを加味して、伝説や民話が作られていったのだろう。
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土淵村の大樽という処に、昔は林吉という金持ちが栄えていたそうなが、
今はその家の跡も無い。この家には一疋の白い犬を飼っていたのを、何
か仔細があってその犬を殺し、皮を剥いで骸を野原に棄てさせた。

すると翌日家の者が起きて土間の地火炉に火を焚こうとして見ると、昨日
の犬が赤くなって来てあたたまっていた。驚いて再び殺して棄てたが、そ
の事があって間も無く、続けさまに馬が七頭も死んだり、大水が出て流さ
れたりして、家が衰えて終に滅びてしまった。

豪家の没落には何かしら前兆のあるもののように考えられる。

                      「遠野物語拾遺134」

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「遠野物語拾遺134」の話は、その白い犬を殺した為に、幸福では無く不幸に見舞われる話になっている。この話もまた、白い犬は幸せを運ぶという伝承を違った形で伝えているものだ。ところが、そういう犬を食べる文化が日本にはあった。「日本書紀(天武天皇記)」にも、犬などを食べないよう禁止令が発布されているが、その犬を食べたであろう遺跡の殆どが西日本であり、縄文遺跡には犬を埋葬していたが弥生遺跡には、そういう例がない事から、縄文文化と弥生文化の犬に対する差異を感じぜずにはおれない。

「今昔物語」「陸奥国の犬山の犬、大蛇を食ひ殺しゝ語」では、犬を使って狩をする者を賤しいという表現で紹介しているが、柳田國男が明治時代にまだ遠野に山人がいるのではという期待を込めた様に、陸奥国の奥地では、こういう狩猟文化を持った人々がまだまだいると信じられていたし、そういう殺生による生業を賤しいものとする感覚が都の中にはあったという事だろう。それは確かに、狩猟という殺生が伴う生業よりも、畑を耕しその恵みで暮らす方が、より尊いとされた宗教的観念もあったのだろう。その為なのか、そういう狩猟の民の立場の零落と共に、犬の立場も零落したのではなかろうか。だからこそ、「延喜式」での"祥端の項"には、白狼・白狐・白鹿など様々な白い獣は記されているが、白犬だけは省かれていた。また仏教が普及すると共に"犬畜生"という言葉が普及し定着したのも、その根底に陸奥国の犬を使って狩猟をする民を蔑んだ視点があったのではなかろうか。どうしても「日本書紀」における、武内宿禰による蝦夷国に対する報告が頭を過ってしまう。その蝦夷国にも戦の度に、移り住む弥生文化・弥生思想の者が゛住み始め、時代が進むにつれ思想と文化と血が渾然一体になっていく。そんな中にも「遠野物語」「遠野物語拾遺」には、未だに縄文の血、蝦夷の血を引きずるような話が紹介されているのは、その血が遺伝子の中に組み込まれ、いつ発現するかわからないからであろう。ある心理学の本によれば、子供が小動物を見て追いかけてしまうのは、狩猟民族時代の名残りであろうとしているのも、一つの家系の中に縄文と弥生が渾然一体となっているからではないか。よく同じ家系の中に、犬嫌い、犬好きがいるというのも、そういう血が疎らに流れ込んでいるからなのかもしれない。狩猟民族は、獲物と成る動物をリスペクトすると云われる。つまり、狩猟民族の血が濃い場合は、動物好きが多いと云う事であろうか?

世界的に一番古い犬の骨は、アラスカから発掘された2万年前の骨の様だが、日本では神奈川県から発掘された約9500年前の骨が最古であるという。発掘されたのは、あくまで家犬であり、狼では無い。つまり、人間との共存がそれだけ長い間続いていたのが犬であった。しかしいつしか犬畜生となり、犬という尊厳は失せつつあったが、それでも民話の中に白い犬を中心に、伝えられてきた。幸せを運び、魔物を退治し、主人忠義を尽くす犬。明治時代になり、西洋文化の流入と共に洋犬が増え、逆に古くからの和犬がなおざりにされ、殺された歴史があるが、それでもその和犬を護ろうとした人々が立ち上がり、和犬を護って来た。民話や伝説も含め、その和犬の代表と成ったのは、犬種というよりも毛色の白い犬であった。白い犬はCMなどにも話す犬というキャラで採用される様に、今でも神秘性を携える犬の代表として、現代の日本にも定着しているのだと思える。
by dostoev | 2016-04-17 14:39 | 動物考 | Comments(2)

「遠野物語(もうちょっと教養)」

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昨日は、座敷わらしの本を紹介したが、実は少し前に、やはり自分の宿に泊ってくれた田中六大氏から「遠野物語」が寄贈された。偕成社出版で、「もうちょっと教養」シリーズの一つになるのか。、文章も挿絵も、子供向けに作られている書籍だ。「遠野物語」といっても、柳田國男の文書をそのままわかりやすく、かみ砕いて書いたのではなく、子供の気持ちを惹きつける様な言葉によって、「遠野物語」の中にあるいろいろな話を区分け(狐なら狐)して、分かり易く教えるという手法を取っている。

この本は読むというより、誰かが声に出して語るべき本であると思う。大正時代まで、日本人は電車の中でも声を出して本を読んでいた。今では学校で教師に「これを読みなさい。」と指名されるまで、本を声に出して読む習慣は無くなっている。「遠野物語」も本来は、声を出して語って聞かせる話である事を思えば、この田中六大氏の「遠野物語」は、それを意図し敢えて声を出させようとして書かれた「遠野物語」にも感じる。この本は購入はもちろんだが、学校の図書館に是非置いて欲しい本でもある。
by dostoev | 2016-04-16 15:53 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)