遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2015年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

早池峯神社行きを希望されるお客様。

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今まで、早池峯神社へは路線バスによって、神社のある大出まで行けたのですが、その路線が無くなりました。それ故、早池峯神社へ行く為には、レンタカーを借りて行くか、タクシーを使うしか行けなくなりました。昨今、早池峯神社へ行きたいという希望のお客さんが増えて来た事に逆行するものでした。そこでですが、民宿御伽屋に泊ったお客様で希望される方は、早池峯神社まで連れて行こうと思いますので、お気軽にお申し込みください。
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by dostoev | 2015-12-23 17:08 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

瀬織津比咩の本(風琳堂氏の遺稿から)

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今日、風琳堂出版からクリスマスプレゼントが届きました。「八幡比咩神とは何か(隼人の蜂起と瀬織津姫神)」というタイトルの本です。ありがとうございます。当初は10月下旬に出版と聞いていた本が、11月末に変更され。そして師走になって、出版されたのには、余程の苦労があったと思います。これから読む予定ですが、この本を編集し、風琳堂氏の遺稿を世に送り出してくれたTさんには、感謝の一言です。
by dostoev | 2015-12-21 16:09 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(2)

名前の話

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画像は、ルキノ・ヴィスコンティの映画「家族の肖像」に登場した教授(バート・ランカスター)の母親役となったドミニク・サンダ。この映画はまるで映画というより、舞台劇を観ているようだった。建物内部で繰り広げられる家族の葛藤であり、現実と思い出が交錯しながら、内面を描こうとした作品で、変化に乏しく活劇を期待したい人には眠くなってしまう映画だっただろう。ただその中にも、戦争が起きた時代であるから、左翼思想と右翼思想の衝突も描かれていた。ところで、この映画で唯一つの疑問であり疑念は、主人公である筈の老教授の名前が、何故か明かされないままに終わっている。初めから終わりまで、教授という名称で通した映画だった。例えばプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」でのアリア「わたしの名はミミ」で歌われる様に、主役のミミの本当の名前はルチアであった事を思えば、「万葉集」でナンパに遭った女性の問答歌が「たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか」での"母が呼ぶ名"とは本名であろうが、つまり通常は「ラ・ボエーム」のミミと同じ様に、愛称であり諱を使用していた事が分かる。明治時代となり姓名を名乗ろうとなった時、本名を捨て、通名であった諱を本名として登録した人もいたようだ。とにかく日本と同じく西洋にも綽名や愛称、諱が普通にあったようである。

またドストエフスキー「罪と罰」の主役であるロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフの名前にドストエフスキーはゲマトリア数値による悪魔の謎を施したのではないかとされる。そしてラスコーリニコフの妹の名は、作中でアウドゥーチャであり、ドゥーニャやドゥーネチカとも呼ばれる為に混乱する人も多く出るのではないかと心配する程。とにかく西洋でも名前には、謎の魔法がふりかけられていた。謎と言えばプッチーニのオペラ「トゥーランドット」で、トゥーランドット姫の投げかけた三つの謎の内、最後の謎が自らの名前であったり、そのトゥーランドット姫に求婚したカリフの名前をも謎として扱っている。謎といえば、よく何々家秘伝の薬というものがあるが、それの処方箋が、理解し辛く表記されているという。例えば、ある薬に百合の根が使用されているとする。その場合の表記を「百合の根」であるものを「湯 李野根」と、知らない者を混乱に貶める表記になっている。確かに秘伝であるから、誰もが理解出来るものでは不都合であるのだろう。

話を戻すが、18世紀のイタリアに生きたプッチーニであるが、映画「家族の肖像」の舞台もまた18世紀のイタリアであったのも何か関連があるのだろうか。ただ恐らくだが、貴族でもあった「家族の肖像」の監督のヴィスコンティは、自らを老教授に投影し、心の中でルキーノ・ヴィスコンティという名を唱えたのではなかったか。また同じバート・ランカスターが主演した「山猫」での最後のシーン、新しい時代に背を向けて後に手を組み、ゆっくりと歩く姿は、まるで古い時代の貴族が没落していく様をを表現しているかのようで、どこか「家族の肖像」の老教授と重なる。ならば主演のバート・ランカスターそのものが、ヴィスコンティ自身の投影であったのかもしれない。だからこそ、名前を伏せたのか。
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「家族の肖像の」老教授は名前を隠したが、その名前を隠す事が、昔の日本では普通だった。名は魂に直結している為に、その名を呼ぶ事は、その者の魂を呼ぶ事であったからである。つまり名前が人に知れれば、その名前を呪詛に使われる可能性があった。だからこそ、名前は隠すものであった。名前を呼ぶ事を「呼ばい」といった。女性に名前を聞く事は求婚の行為であり、それで名前を教える事は、男性を受け入れた事になる。それが密かに夜に、男が女の家に行き「呼ばい」して家に入れて貰って一晩を過ごした事から、いつしか性風俗の用語となり「呼ばい」「夜這い」に変化してしまったようである。
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ところで名前と言えば、某サイトで瀬織津姫と瀬織津比咩という名前の違いが利権ウンチャラと語られていた。確かに瀬織津比咩と瀬織津姫は同じ神だが、漢字表記が違う。他にも瀬織津比売、瀬織津媛、というのもある。比咩と姫との違いは、一字で表すか、二字で表すかの違いだけである。ただし、表記の歴史の古さは比咩であろう。「続日本紀和銅六年(元明天皇)」に、こう記されている。「畿内と七道との諸国の郡・郷の名は、好き字を着けしむ。」"好き字"とは、漢字二字の体裁と縁起の良い名に整理しよという勅命であった。つまり二文字に、綺麗にまとめろというものであった。こういうのは日本人の得意分野で、短歌や俳句での字数制限の中で文章をまとめる事を好んでしてきている。今ではツイッターなどの字数制限SNSでも、苦も無く発信しているの。二字にまとめた例には「无射志」が「武蔵」となり、「明日香」が「飛鳥」となった。この二字制限は次第に人名にもおよび、嵯峨天皇の時代に皇子・皇女の名を漢字二字にする習慣となって定着している。この名前の二字で流行ったのが、〇子という名で貞子とか徳子などなど。とにかく名前や地名などが短くして、まとめられた時代でもあった。当然神名なども、「比咩」が略されて「姫」に変化していった。そういう事から、瀬織津姫という神名表記は、嵯峨天皇時代以降であろうから、瀬織津比咩は、それ以前という事。どちらを使うのかは、好みの問題になるだろう。
by dostoev | 2015-12-18 06:23 | 民俗学雑記 | Comments(0)

座敷の霊魂(座敷わらしを呼び込む方法)

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日本の古来から伝えられる信仰に、御霊信仰というものがある。非業の死を遂げた人の霊が様々な災禍をもたらすというものであるが、遠野では子供限定とした奇妙な俗信があったようだ。佐々木喜善「奥州のザシキワラシ」に記されているが、その内容はこうだ。

「不時に死に、又は昔時無残な最期を遂げた童子の霊魂は、そのまま屋内に潜み留まり、主に梁の上などに棲んでいる。」

佐々木喜善は、これから座敷ワラシの可能性を考えていたようだ。例えば土淵村字火石の庄之助という家で、一族二十人ばかり集まっている夜に、桁の上から女子の小櫛が落ちて来たので、皆上を見たが何も見えなかったという。しかし、ある者の目には、髪を乱した女子の顔が梁にくっついていて、じっと下を見つめていたのだと。それは恐らく、飢饉の年に餓死した召使の少女の魂魄が梁の上に留まっている為だとされた。

又、土淵村の山口では、天明の飢饉の時に盗み癖のあった子供を山に連れて行き、斧で斬殺した霊魂が家に帰り、梁にくっついで、悲しそうな声で最後の語を呟いている事があるという。その最後の語とは「父(トト)、何をする。」という言葉であったようだ。

「日本霊異記」に、左大臣藤原永手の死後、霊魂が漂い家に戻って子供に憑いてしまった話が紹介されている。山に連れて行かれ殺された子供の霊も、やはり家に戻るしか無かったが、憑く人もモノも無い為に、梁に居憑いてしまったのかもしれない。
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遠野では、人は死んだらその魂は山へと昇るとされている。その遠野の土淵での魂の昇る山は、貞任山であったが、どうも子供限定の山であるようだ。画像は、貞任山のスリーグリーンラインと呼ばれる本道から一本外れた道沿いにあるのが、子供の為の賽の河原であり、この辺一帯を地獄山と呼ぶ。通常子供の遺体は墓地に埋葬するのだが、魂はこの賽の河原に来るものとして、昔はここにランドセルや子供の遊んだオモチャなどが置かれていたという。ここで、子供の魂の選別が行われていたのかが分かる。つまり、通常の子供の魂は賽の河原に来るのだが、非業の死を遂げた魂は、その生への執着か、はたまた恨みからなのか、とにかく生きていた頃の家の梁上に棲み付いたと思われていた。
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飢饉の時は、真っ先に弱いものから死ぬとされ、夏前にヤマセが吹くと飢饉と分かった事から、無駄を省く為なのか、生まれた嬰児を殺したのだという。その場合、川に流したり、畑に埋めたりしたという。昭和五十年代に秋田県の民家の庭から、沢山の嬰児の骨が発見された事があったが、それも同じように、その家の長い歴史の中で間引きされた子供達の骨であったようだ。

そしてだが、土淵だけであったかどうかはわからぬが、嬰児を殺せばそれを決して屋内より出さず、必ず土間の踏み台の下か、あるいは石臼場の様な、繁く人に踏みつけられる場所に生めたそうである。また生後一年位で死んだ嬰児を逆児と言って、その死体を家の外に出すのを非常に忌み、同じような人が多く踏み付ける場所に埋めたようである。それら嬰児の霊魂は、睡眠病や首下がり病の神となると信じられたようだ。

ところで首下がり病という病を、自分は知らなかった。調べると風土病であり、青森県南部・岩手県北部・岐阜県に多いとされた地方病だという。一過性の発作が起き、四肢の麻痺・めまい、眼球運動障害等の眼症状・嚥下障害 等の症状をみせる。発作時に首が下がることから「首下り病」と呼ばれているそうだ。原因・要因まではわからぬが、今の遠野に、そういう病気を聞く事も無くなった。

とにかく死んだ嬰児は、神に昇華されたようである。これは、神社などで祀られる神々と同じ考えに則って行われたものであろう。人は死んだら神になるのだが、その多くは非業の死を遂げ、祟り神として祀られている。この嬰児達もまた、非業の死を遂げた者達であった。
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青森県に、坂上田村麻呂が剣を埋め、その上に建立し北斗七星型に配置されたという七つの神社がある。実際に、一つの神社では本殿移建の際に、一本の蕨手刀が発見されている為、恐らく七つの神社全てに蕨手刀が埋められているのではないかと推測されている。蕨手刀は、蝦夷が使用した刀である。それを埋めたという事は、蝦夷の力を抑えるという意味があったのではなかろうか。その上に神社を建てたのは、民衆の信仰の力を利用して、いつも神社に人が多く参拝するという事は、常にその地を踏み続けられる事を意図してのものであろうか。相撲の四股は、地鎮祭と同じで、その地の神を鎮める為の行為である。つまり、この七つの神社は蝦夷に対する鎮魂の意味でもあろうが、怨霊としての祟りを恐れてのものでもあっただろう。遠野での嬰児の死体を家の中の、頻繁に人が踏みしめる場所に埋葬するのも、同じ理由からであろう。五来重「日本人の死生観」で現代、民俗社会で一般的に広まっている死者との交流は、もっぱら懐かしい先祖との再会を強調しているが、人間には神々と同じように和魂と荒魂があり、人を怨み祟るのは、その荒魂の仕業でもある。崇神天皇時代に災害を起こし天皇家を祟ったのは天照大神とされているが、本来はその荒魂である神であった。だからこそ、その荒魂を鎮める為に諸国を漂い、その祟りを鎮める為の良い場所が、伊勢神宮の別宮である滝原宮であり、遥宮(とおの)であった。いかに荒魂を鎮めるかが、古来から続く怨霊との戦いでもあった。
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座敷ワラシに関する俗説の中に、その座敷ワラシを呼び込む方法が佐々木喜善によって語られている。家を新築する時に、ザシキワラシと称する木彫りの人形を、座敷の床下に人知れず埋めるというものだ。これも先程と同じように、人に踏まれる事によって祟る荒魂を鎮め、和魂としての利益だけを抽出する方法であろうか?踏み付けるは、例えば毘沙門天が邪鬼を踏みつけていたり、岩手県花巻市に伝わる鬼剣舞もまた、大地を踏む事で魔物を退ける呪いの踊りである。
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また住居内に小さな御堂を作り、中には男女の木彫りの人形と書物と鏡と櫛を入れ、厳封し棟木に打ち付ける習俗も、座敷ワラシを呼び込む方法であるようだ。祟り神となった菅原道真の死後、大宰府においては味酒安行という者に神託があり、道真の墓に祠を建てて天満大自在天として祀ったという。また京都でも、道真の乳母であったらしい多治比文子に託宣があり、やはり祠を作って祀ったという。天慶四年に道賢上人が体験したという冥界往来譚がある。その冥界で道真に会った時に言われたのが「わたしの像を作り名号を唱えて祀れ。」というものだったらしい。

画像は、幼い時に死んだ子供の魂を寄せる為の死後人形であるが、今の時代では普通に死んだら、肉体は火葬され、魂は成仏させられてしまう。しかし成仏できない魂もまたあると信じられている為に、木彫りの人形を御堂に入れるという事は、漂う子供の魂をここに集める意味があるのだろう。天満宮で道真の神像を祀るのは道真の魂を祀る為であり、また荒魂を鎮め和魂を生かしているからこそ、現在は学問の神となっているのだろう。この家の中の小さな御堂も、子供の霊を呼び込み荒魂を鎮め祀る事によって、和魂である方の座敷ワラシの御利益を授かる装置なのであろうか。ただこれが、本当かどうかはわからない…。
by dostoev | 2015-12-14 20:42 | 民俗学雑記 | Comments(0)

瀬織津比咩の見せる夢

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ほんの10年以上前には、瀬織津比咩の名に興味を持つ人間は少なかった。そういう自分も、「エミシの国の女神」を著した風琳堂氏と出会う事が無かったら、興味を示していなかったかもしれない。まあその出会いも、昭和時代に遡ってしまうのだがら、かなり経ってしまった。

ところで、瀬織津比咩とは何かと問われれば、真っ先に答えを出せるのは祟り神であったという事では無いだろうか。瀬織津比咩の古代の軌跡を探っても、祟りの軌跡が見えて来る。実際に、神の根源は祟り神であった。現世利益など皆無で、一方的に祟る存在が神。その為に人々は、神の祟りを恐れて、機嫌を取る為に供物を上げ祭をした。しかしいつしか、現世利益という言葉が発生し、何々の神様に祈ると願いが叶えられると。例えば、菅原道真が何故に神になったかというと、祟ったからだ。その祟りが恐ろしい為に、神社に祀り機嫌を取った。しかし今では、菅原道真といえば学問の神様となっている。天満宮へと行き「〇〇大学に合格させてください。」などという願いを叶えてくれる神様だと認識されている。そして絵馬に「合格祈願」などと書き記し奉納して神頼みは終了する。この絵馬もまた本来は、天候に対する祈願に生きた馬が使用されていたのだが、いつも生き馬を使うわけにはいかなくなって、その代用品として絵馬が登場した。しかしその絵馬も、いつの間にか、どんな願いをも書く代物に変化している。これは神社運営も大変な事から、どうにかして人を呼ぶ為に考えられた事で仕方がないだろう。ただ、朝廷の恐れた祟り神である菅原道真に合格祈願をするというのは傍目から見るとピンとはこない。ただ京都の愛宕郡にある天満宮などは、祭神が水神から菅原道真に変更させられたのは、当時の朝廷がリアルに道真を恐れていた為であろう。同じ祟り神でも、その時代で一番恐れられた神に変更されるのは致し方ないのだろう。
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画像は幻日だが、今の時代にこの幻日に遭遇するとラッキーと思えてしまう。綺麗な自然現象と認識されている為だ。しかし、古代においては摩訶不思議な現象であり、吉兆とも考えられた筈である。何故なら、仏教では、西方極楽浄土から阿弥陀如来が菩薩を随えて、五色の雲に載ってやってくる来迎図などが描かれいる事から、瑞相であるとしている。極楽浄土は、この世のものとは思えない美しさに彩られていると信じられていた為に、彩雲や幻日は瑞相、つまり吉兆と思われていたようだ。
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だが実際は、彩雲も幻日も、自然現象であり、極楽浄土とは何も関係は無い。ただ人の心が、そういう良い方向に捉えるのは悪い事では無いだろう。またそれらを良い事と言うか、都合の良い方向に捉える人もまたいる。例えば浄土真宗の宗祖である親鸞は比叡山を下り真っ先に、京都の六角堂へ参籠したのは、29歳の時であった。六角堂での百日参籠の九十五日目に親鸞は"女犯偈"を受け、それから僧侶も妻帯して良いと解釈したまのが、親鸞の浄土真宗である。この六角堂での女犯偈を現代的に解釈すれば、若くて性欲の有り余っている親鸞が九十五日目に淫夢を見たのだが、それを都合よく解釈したものが女犯偈であろう。
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人の頭と心は、都合よく出来ている。例えば様々な変化を見せる雲が、一瞬の流れの中で、その人なりの認識できる形になると、なんとなく嬉しくなる。上の画像は、自分が竜みたいだなぁと思って撮影した画像であるが、本物の竜では無いのは誰が見てもわかるというもの。先程の親鸞の女犯偈では無いが、苦行をしていると幻覚が見える事があるという。それをどう解釈するのは、その人自身の問題となる。
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或る宮腹の女房、世を背けるありけり。病ひをうけて限りなりける時、善知識に、ある聖を呼びたりければ、念仏すすむる程に、此の人、色まさをになりて、恐れたるけしきなり。あやしみて、「いかなる事の、目に見え給ふぞ」と云ふ。聖の云ふよう、「阿弥陀仏の本願を強く念じて、名号をおこたらず唱へ給へ。五逆の人だに、善知識にあひて、念仏十度申しつれば、極楽に生る。況や、さほどの罪は、よも作り給はじ」と云ふ。即ち、此の教へによりて、声をあげて唱ふ。

しばしありて、其のけしきなほりて、悦べる様なり。聖、又これを問ふ。語つて云はく、「火の車は失せぬ。玉のかざりしたるめでたき車に、天女の多く乗りて、楽をして迎ひら来たれり」と云ふ。聖の云はく、「それに乗らんとおぼしめすべからず。なほなほ、ただ阿弥陀仏を念じ奉りて、仏の迎ひに預からんとおぼせ」と教ふ。これによりて、なほ念仏す。

又、しばしありて云はく、「玉の車は失せて、墨染めの衣着たる僧の貴げなる、只ひとり来たりて、『今は、いざ給へ。行くべき末は道も知らぬ方なり。我そひてしるべせん』と云ふ」と語る。「ゆめゆめ、その僧に具せんとおぼすな。極楽へ参るには、しるべいらず。仏の悲願に乗りて、おのづから至る国なれば、念仏を申してひとり参らんとおぼせ」とすすむ。

とばかりありて、「ありつる僧も見えず、人もなし」と云ふ。聖の云はく、「その隙に、とく参らんと心を至して、つよくおぼして念仏し給へ」と教ふ。其の後、念仏五六十返ばかり申して、声のうちに息絶えにけり。

これも、魔のさまざまに形を変へて、たばかりけるにこそ。

鴨長明「発心集」第四の七「或る女房、臨終に魔の変ずるを見る事」

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この鴨長明「発心集」には、死期の迫った女房に、恐ろしい者と火の車が見え、また美しい天女の車が見え、または墨染の衣を着た僧が見え…とあるが、聖は全て否定し、その導きに乗ってはならぬとたしなめた。鴨長明「発心集」は鎌倉時代の作品であるが、この時代には既に正しい導きとは、何も無く独りで行き着くものであると認識されている。神秘体験などは"魔の変じた幻覚"だと認識されていたようだ。つまり現代でも感じ得る?神秘体験とは、やはり何も無い”無”であり、そこには現実をどう認識できるかだけであろう。神社仏閣に赴き、具体的な何かを神秘に感じる事こそ”魔”に導かれるものであり、その魔に対して一歩足を踏み入れたものであろう。過去に、瀬織津比咩のCDを出したものが、早池峯神社境内で聞こえるアカゲラの木を突く音を無知の成せる業なのかどうか「木霊の音が聞こえた!」と都合よく解釈したのも、現実逃避であったのか、それとも…。

ところで禅世界では"魔境"と呼ばれるものがある。禅などの瞑想修行をしている者の前にしばしば神や仏が現われるというものだ。これは夢信仰の歴史にも、それを仏意であったり神意であると解釈した歴史が残っている。 その禅世界では、瞑想により仏陀や如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ、仏見たなら仏を殺せと教えている。瞑想中に神格を持つものとの一体感を持った認識、解釈をした結果、それが自分が凄い存在であるとエゴと妄想を肥大させるもので、ユング心理学においては"魂のインフレーション"と名付けられる態であるいう。

現代でも、僅かな個人の内部的な神秘体験で、あたかも神が降りたような錯覚に陥る人がいる。こういうものは古今東西、昔から魔というものは、神々しい光景などを見せつけ誘惑し、魔に取り込むものであるとされていた。佐々木喜善「聴耳草紙(貉堂)」においても、人間に神々しい光景を見せて魔に取り込み、喰らおうとする貉の話が紹介されている。多くの人の中には、どこか自分が特別な存在になりたいと願っている者も存在する事から、こういう誘惑に騙されやすく、また都合よい解釈をする者もいる事であろう。

瀬織津比咩という神を傍に感じたとしても、その瀬織津比咩が何を与え、また夢を見させてくれるかと考える事自体が無意味である。先に記したように、瀬織津比咩とは祟り神であった。ときには恵みの神ともなるが、本質は恐ろしい神様であると認識している。神道である神社側の人達は、瀬織津比咩をはじめ他の神々に対して、ただ仕える事だけをしてきている。何故なら、恐ろしい神々を自由に使役する事など有り得ないと思っているからだ。それ故に瀬織津比咩が見せる夢は無であり、現代では逆に、人が一方的に神に対して夢見ているだけになっているのだろう。
by dostoev | 2015-12-13 19:47 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(2)

座敷わらしを呼ぶ

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佐々木喜善「遠野のザシキワラシとオシラサマ」には、座敷わらしを呼び込む方法が記されている。その方法とは、家を新築する時に、ザシキワラシと称する童形の人形を木で彫り起こし、座敷の床下に人知れず埋めておくと、その家には座敷わらしが出るそうである。また、小さな祠に、木彫りの童女童子の像と、書物に鏡と櫛を加えて厳封し棟木に打ち付けて置くと、その霊魂が座敷に現れる可能性も示していた。ただそれが、座敷わらしと言って良いかどうかはわからない。
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小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でゝ遊ぶ
とも云ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。

里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になるこ
とあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のこ
となり。されど雪女を見たりと云ふ者は少なし。

                       「遠野物語103」

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この「遠野物語103」には雪女と共にあまたの童子が登場するという、雪女譚としては極めて稀な話となっている。その為、それが本当に雪女なのか?という疑問も無いわけでは無い。実は、遠野の綾織に伝わる話に、こういうものがある。
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綾織村字大久保に水口という農家がある。今から七十年前ばかりのこと、正月十四日の晩、非常な吹雪であったところが、その夜宮守村の日向という家から、何かしら笛太鼓で囃しながら、賑やかに出て来たものがあった。それが水口の家の前まで来ると、ぴたりと物音が止んでしまった。世間ではそれが福の神で、その家に入ったのだと言ったそうである。それから水口の家の土蔵にはクラワラシが居るようになって、家計が非常に豊かになったということである。
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この話は、福の神が賑やかに登場し、水口の家にクラワラシ(ザシキワラシ)を置いて行ったような話になっている。イメージとしては、真冬の百鬼夜行であろうか。平安の夜は、魑魅魍魎が跋扈する為に、人は恐れてめったに夜の町を歩かないもの。そういう意味では、東北の吹雪の晩も、人の歩く状況では無い事から、百鬼夜行が歩む時でもあろう。また「遠野物語103」で語られる満月の晩も、同じ事を意味している。満月もまた古代から直接見るものではないと云われ、東山文化では、そういう月を見る為に池に映して見る事が考案され、それが風流だともされた。しかしその本意は、満月とは古今東西、人の心を乱すものとして考えられてきた。そこに魑魅魍魎の入り込む余地は、十二分にあったのだった。それ故か、満月に晩に雪女が現れる話も、そういう背景が含まれて語られたのだろう。ただここでは、満月と小正月前後がキーワードになっている。

例えば遠野でオシラアソバセをする日が十四日であったり十五日であったりするのも、小正月と十五夜前後が重なっているからではなかろうか。それを踏まえれば、オシラサマもまた月に関係する神では無いかとも思える。その小正月、もしくは満月の晩に雪女が童子を連れてくるのは、綾織の福の神の行列にも重なってしまう。最終的に、クラワラシを与えてその家が裕福になり、また雪女の連れて来たあまたの童子がザシキワラシであるならば、「遠野物語103」での雪女は、ザシキワラシという福をプレゼントしにきたサンタクロースのもののようにも思える。となれば、ザシキワラシに遭いたいと思う人は、小正月を前後する日か、冬の満月の日にその可能性が高くなるのかもしれない。
by dostoev | 2015-12-08 19:07 | 民俗学雑記 | Comments(4)

早池峯神社の不思議(電磁波)

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早池峯神社を上空から撮影した俯瞰の絵が欲しいと、前から思っていた。だからたまに、早池峯神社の手前の山に登ったり、良い撮影場所が無いかと探していた。そんなある時に、友人がドローンのオペレーターをしていると聞いて、早池峯神社を撮影したいとお願いした。そして今日12月7日、ドローンを飛ばして撮影する事になった。

ところが、予期せぬ事が起きた。初めに参拝を済ませた後に、友人が本殿の前で飛ばそうと言う。まあいいかと思い、待っていたが電磁波の干渉により、ドローンが動かないという。何度も調整し、トライしたがダメだった。それなら駐車場に移動してやってみようとなり、いろいろ調整してもやはり電磁波による干渉という表示が出る為に出来なかった。近くには、高圧電線も無いのにおかしいな・・・となった。それじゃ、神社の少し手前に広場があるので、そこでドローンを飛ばしてみようと、再び移動してみた。すると、何もなかったように、すんなりとドローンが作動した。

これは、ドローンで撮影した早池峯神社手前の広場上空からの映像。
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操縦は全て友人任せで、自分はただ見ているだけだった。その友人が「あれ?」と呟いた。何でもこの場所から早池峯神社側に移動しようとすると、神社の手前を流れる川から先へはまるで結界が張られている様に、電磁波の影響で行けないのだという。早池峯神社境内で感知していた電磁波が、川の上空にも及んでいた事になる。つまり、早池峯神社そのものが電磁波を発生する場所だというのか?早池峯神社の山門や拝殿、本殿はもっと高度を上げないと見る事が出来ないが、今のところこの高度が限界だという。なので撮影された画像には、早池峯神社の杜だけが見えるだけになっている。だから上空からもっと早池峯神社に近付きたかったが、それは電磁波の影響で無理であった。やはり早池峯神社は、パワースポットなのか?ただ、今日は神様の機嫌が悪かったせいかもしれないから、日を改めてもう一度ドローンを飛ばしてみようという事になった。さて次は、どうなる事やら。
by dostoev | 2015-12-07 14:36 | 遠野体験記 | Comments(8)