遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2015年 06月 ( 16 )   > この月の画像一覧

「遠野物語拾遺20(樹木供養)」

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昔栗林村の太田に大きな杉の木があった。その名を一の権現といって、五里も離れた笛吹峠の上から、見える程の大木であった。ある年わけがあってその木を伐り倒すことになったが、朝から晩まで挽いても鋸屑が一夜のうちに元通りにくっついて、幾日かかっても挽き切ることが出来なかった。ところがある夜の夢に、せの木という樹がやって来て、あの切屑を毎晩焼き棄ててしまったら、すぐに伐り倒せると教えてくれた。次の日からその通りにすると、はたして大杉は倒されてしまった。しかし多くの樹木は仲間の権現が、せの木の為に殺されたといって、それからはせの木と附合いをしないことにした。

                                                     「遠野物語拾遺20」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この記事は一度、北欧神話を交えて書いた事があるが、日本において、これに似た一番古い話は「今昔物語(推古天皇、本ノ元興寺ヲ…。)」で紹介されている。古木を人間に例えれば、歳を経た翁か媼という事になる。神話の中に、翁などが人間離れした能力を発揮しているのは、年老いた猫が猫又という妖怪に変化する概念と同じである。樹木もまた年老いて、その地の妖怪的な主になると考えられたのだろう。その樹木を伐る術を教えてくれるのが、「遠野物語拾遺21」では、同胞のセノキで「遠野物語拾遺22」では、流浪の乞食であるが、「今昔物語」では、恐らく夜の闇の世界から聞こえてきた木霊の言葉であるようだ。夜の闇は、魑魅魍魎であり神々が蠢く時間帯でもある。その時間帯に、昼間は大人しくしていた木霊の声が聞こえたようだ。

ところで画像の様に、神木には注連縄が張ってある。「今昔物語」でも、古木を伐る方法を語る木霊らしき言葉に注連縄らしきが登場している。

「だが、もしも麻苧の注連を引きめぐらし、中臣の祭文を読み、杣人に縄墨をかけさせた上で伐るようなことになれば、もはや我々はどうしようもないではないか。」

この「今昔物語」での注連は「シリクヘ」と読むようだ。注連縄は「和妙抄」で「シリクベナワ」で、別に「斯梨俱梅難波」という漢字があてられるよう。ここでの注連は、注連縄と同じと考えて良いだろう。その注連縄だが、どうも不動明王の持つ"羂索"と同じ力を持つようだ。羂索の「羂」は「捉える」という意があり、「索」は「縄」を意味する。仏教的には衆生を残さず救う慈悲の縄であるとしているが、別の意味では邪悪なモノを縛る縄の意もあるようだ。神木には、神が宿るとされている。その神木から彫られた仏像は、神と同体とされたのは、仏教側の詭弁であった。神とは本来、慈悲深い存在では無く、一方的に祟りを為す存在であった。その神の宿った神木に注連縄を張り巡らすのは、その荒々しい神を樹木に封印する為の手段でもあったのか。ならば昔、早池峯神社の神木を伐った関係者が5人も死んだ事件というのは、このような神木の伐採方法を行わなかったのかもしれない。樹木を伐る事とは、神を制御し供養する事に等しい。例えば、「遠野物語拾遺20&21」での切り屑を燃やすという事は、樹木自身の火葬でもある。そして「今昔物語」では「大祓祝詞」を唱えるのは、今まさに伐られようとする樹木の身を清めるという、いわば供養である。その供養を神域全ての樹木にしなかった為の事件であったかと思えてしまう。

「遠野物語拾遺20」で人間に伐り方を教えたのは"せの木"であるが、「今昔物語」では"木霊"らしきである。どちらも魑魅魍魎が蠢く夜の時間帯に囁き、もしくは夜の夢に移り渡って訴えたのは、同族の裏切り行為であり、どことなく人間らしさを醸し出している。もしも昼と夜の住人が入れ替わったとしても、同じ事が起きるという事であろうか。それは、つまり神=妖怪=人間という事だろう。
by dostoev | 2015-06-27 17:45 | 「遠野物語拾遺考」20話~ | Comments(0)

「遠野物語と妖怪」

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遠野市立博物館で、7月24日~9月23日の期間に特別展「遠野物語と妖怪」が開催されるようだ。様々な妖怪関係の展示物が並ぶよう。妖怪に興味がある方は、是非遠野へ。
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by dostoev | 2015-06-20 08:44 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(4)

「遠野物語拾遺184(蜘蛛)」

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佐々木君の隣家の三五助爺、オマダの沼という処へ行って釣りをしていると、これも青い小蜘蛛が時々出て来ては貌に巣をかけてうるさかったから、その糸を傍の木の根に掛けておいた。すると突然、その根株が倒れて沼に落ち込んだという。また小友村四十八滝のうちの一の淵でも、土淵村の人が釣りに行っていたら、同じような蜘蛛の糸の怪があったそうである。よく聞く話であるが、村の人達はこうしたことをも堅く信じている。

                                                  「遠野物語拾遺184」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
蜘蛛をコブと呼ぶ地域が全国に有り、岩手県も含まれている。これは、腫れた意の瘤と同じであると。ダニが血を吸ってお尻が膨れるのと同じ感覚で、蜘蛛の体形が瘤だと表しているようでもある。「宇治拾遺物語」に掲載されている「こぶ取り爺」の話は、歳を経た爺様に瘤が出来ているのだが、これは同じく歳を経た樹木が、ボコボコの瘤が出来て異形な樹木になる事に影響を受けている様である。岩手県では、ブドウ球菌によって根のある固くなった腫物を根太(ネクモ)と呼ぶが、要は蜘蛛と同じ意味となる。そして、根のある切り株もまた根太とも呼ぶようである。となれば、この「遠野物語拾遺184」で木の根株そのものも、蜘蛛の体の一部であるとの意を含んでいるか。
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蜘蛛の糸が顔に付くのは不快を覚えるが、蜘蛛にとっては生きる為の命綱でもある。ただ蜘蛛の狩りは、待ち伏せしての狩りである為に陰湿な生き物とされ、女性的とされる。その中でも女郎蜘蛛は悪意の代表となっている。その女郎蜘蛛は男を狩ると云うが、三五助爺を襲った蜘蛛は、もしかして女郎蜘蛛であったのか。

ところで、オマダの沼に釣りに行ったと記しているが、佐々木喜善の住む山口部落から、オマダの沼は和山の赤柴という遠い地にあるので、現実的な話ではない。ただ堺木峠沿いである為に、そのオマダの沼での話が伝わって来たものであろう。また、小友村での話は、藤沢の滝ではなく平笹の滝の方であるようだ。
by dostoev | 2015-06-17 20:19 | 「遠野物語拾遺考」180話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺131(乙蔵爺)」

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金の鶏や漆万杯の話がある館跡は幾つもある。土淵の一村だけでも、字角城の角城館、下栃内の八幡沢館などいずれも松の根を掘りに行って壷を見つけたとか、放れ馬の蹄に朱漆がついて帰って来たとかいう口碑がある。また字琴畑の奥の長者屋敷には、五つ葉のウツギがあって、その木の下には宝物が埋まっていると伝えている。字山口の梵字沢館にも、宝物を匿して埋めた処があるという。堺木の乙蔵爺が死ぬ前に、おればかりその事を知っている。誰か確かな者に教えておきたいと言っていたが、誰も教わりに行かぬうちに爺は死んでしまった。

                                                         「遠野物語拾遺131」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐々木喜善の祖母である、佐々木ノヨは新田家から嫁いだ者だった。何故か新田家は、代々話者を出す家系であったようだ。この「遠野物語拾遺131」に登場する新田乙蔵は、その佐々木ノヨの兄であった。

明治三十年頃、乙蔵爺は堺木峠に茶屋を出し、甘酒を茶碗一杯二銭で売って生活していたという。確かに物知りで有名な爺であったそうだが、元来風呂に入らない、衣類の洗濯もしたことが無かったそうで、近付くだけで吐き気がする程の悪臭を放っていたらしい。これは「遠野物語12」と重複してしまうが、乙蔵爺が余りにも臭い為に、誰も近付かなかったのが真相の様である。ただ、物知りと"ひょうはくきり"は、紙一重の存在でもあったらしい。乙蔵爺だけではないが、地域の物知りやひょうはくきりの語る話は真実の様で嘘が多く、嘘の様でも真実に近い話もあったようで、乙蔵爺の話も、どこまで信じて良いのかわからないだろう。
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画像は八幡沢館で、安倍氏と戦った源義家の陣屋があったという伝承がある。また角城館にも、安倍氏の伝承がある。この「遠野物語拾遺131」で記されている内容の殆どは、黄金に関する伝承であるが、その黄金探しは、蝦夷征伐の名目で古くから始まっている。それが本格化されたのが、蝦夷が平定された桓武天皇時代であり、その蝦夷の反目の流れが安倍氏に受け継がれている。

ところで、金の鶏の話が出ているが、遠野では黄金の牛の話は伝わるが、金の鶏の話は聞かない。ただ、平泉にある山に金鶏山というのがあり、山頂に雄雌一対の金の鶏を埋めたという伝承がある。例えば、東北で初めて経塚を行ったのは、奥州藤原氏だと云われる。その経塚が遠野にはいくつかあるが、それが奥州藤原氏の影響から来ているようである。文化の流入と共に話の流入があるとしたなら、金の鶏の伝説もまた、奥州藤原氏から流れて来たものではなかろうか。その奥州藤原氏の祖は安倍氏であるが、土淵にはその安倍氏の痕跡が多く残っている。その安倍氏から奥州藤原氏の流れの中の伝承を、乙蔵爺が知っていたと云う事では無いか。

堺木峠で茶屋を営んでいた乙蔵爺は、旅人からも多くの情報を得ていた可能性はある。琴畑の長者屋敷も、その範疇であろう。長者屋敷を延々と登れば、白望山の登り口を通過し、小槌川の減流から大槌へと抜ける。また琴畑からは別に、立ち丸峠へ抜ける峠もある事から、山の怪異と神秘の伝承を携えた人達から多くの情報を得た事だろう。代々評判の話者を排出する新田家の血に、乙蔵爺の集めた情報が重なり膨れ上がって、確かに多くの事を知っていたのだろう。しかし、その乙蔵爺から好奇心旺盛な佐々木喜善が、多くの話を継承出来なかったのはやはり、乙蔵爺の放つ悪臭が、あまりにも酷かったのだろう。
by dostoev | 2015-06-16 20:30 | 「遠野物語拾遺考」130話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺129(奇跡の御本尊)」

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上郷村大字佐比内、赤沢の六神石神社の御本尊は、銅像にしてもと二体あった。昔から金の質が優れて良いという話であったが、一体はいつの間にか盗まれて無くなり、一体ばかり残っていた。その一体もある時盗み出した者があって、これを佐比内鉱山の鉱炉に入れて、七日七夜の間吹いたけれどもどうしても溶けないので、盗人も恐れ入って社に返して来たという。今もある御神体が即ちそれである。

                                                  「遠野物語拾遺129」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐比内(サヒナイ)の「サヒ」は、「鉄」の意味から来ている地名である。また、赤沢という地名も、鉄や水銀の産出する地の土は、赤土が多い事から、赤の付く地名が多い。赤沢は、それが滲み流れる沢の意であろう。

佐比内鉱山の歴史は「佐比内鉄鉱山遺跡発掘調査報告書」によれば、嘉永五年(1852年)に、西閉伊郡上郷村大字佐比内鎌ヶ峰に鉄鉱を発見し、同六年に高さ三尺の鉱炉を等設立したと記されている。しかし明治時代七年に、佐比内鉱山を経営していた明治新政府の財政を支えていた豪商の小野組が破産してしまい、それから昭和時代の戦後の開発まで、佐比内鉱山は眠っていたようだ。となれば、この「遠野物語拾遺129」での鉱炉で銅像の御本尊を溶かそうとしたのは、明治七年以前の話であろうか。もしくは、鉱山経営が停止した明治七年以降に、その鉱炉の使い方を知っている者が密かに、佐比内鉱山の鉱炉に忍び込み御本尊を溶かそうとした可能性も考えられる。

また「遠野物語拾遺129」の文中に「吹いた」と記されているのは、佐比内鉱山では嘉永六年に高さ三尺の鉱炉に「日本吹子」で送風したとあり、鞴で風を送る事を「吹く」と表現する事から来ている。日本吹子は、鞴(フイゴ)=吹子(フイゴ)であり、それを女性的な愛称として表現したものだろうか。
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「七日七夜」という記述が気になる。例えば「聖書」では、神は6日間で全てのモノを造り、七日目は休んだ事から一週間は七日に設定されている。また「日本書紀」は「神代七代で始まる国」と評するように、七と言う数字は神的であり「七日七夜の間吹いた」との表現は、神話的であり、意図的に作られた話のようである。この意図的とは、やはり六神石神社の御本尊とは、奇跡をもたらす尊い像であると、権威付けの作り話ではなかろうか。
by dostoev | 2015-06-15 18:12 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺124(魔所)」

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村々には諸所に子供等が恐れて近寄らぬ場所がある。土淵村の竜ノ森もその一つである。ここには柵に結われた、たいそう古い栃の樹が数本あって、根元には鉄の鏃が無数に土に突き立てられている。鏃は古く、多くは赤く錆びついている。この森は昼でも暗くて薄気味が悪い。中を一筋の小川が流れていて、昔村の者、この川で岩魚に似た赤い魚を捕り、神様の祟りを受けたと言い伝えられている。この森に棲むものは蛇の類なども一切殺してはならぬといい、草花の様なものも決して採ってはならなかった。人もなるべく通らぬようにするが、余儀ない場合には栃の樹の方に向って拝み、神様の御機嫌に障らぬ様にせねばならぬ。先年死んだ村の某という女が生前と同じ姿でこの森にいたのを見たという若者もあった。また南沢のある老人は夜更けにこの森の傍を通ったら、森の中に見知らぬ態をした娘が二人でぼんやりと立っていたという。竜ノ森ばかりでなく、この他にも同じ様な魔所といわれる処がある。土淵村だけでも熊野ノ森の堀、横道の洞、大洞のお兼塚など少なくないし、また往来でも高室のソウジは恐れて人の通らぬ道である。

                                                  「遠野物語拾遺124」

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画像の竜ノ森には、小さな社がある。そこには、寶龍権現が祀られている。寶龍は、熊野の飛龍が転訛したものであり、龍蛇神となる。古い栃の樹の描写があるが、現在その栃の樹は無い。栃の樹の実は、縄文時代から貴重な食料であった。実際、この竜ノ森には縄文の遺跡があった事から、縄文人が住んでいて、栃の樹も食べていたのだろう。遠野で有名な栃の樹といえば、同じ土渕の稲荷神社と、上郷の日出神社にある。古代から神社は、一つの生活空間であった。神社の杜には、神社の補修材としても成長の早い栗の樹や、大量のデンプンを含む栃の樹が植えられていた。ただ、食料として米が確保されるに従い、栃の樹は土師氏達によって伐採されていったようだ。

全国にある栃の樹の根元から冷水が湧き出している場合が、いくつかある。上郷の日出神社の栃の樹も、そういう伝承が付随している栃の樹である。恐らく、この竜ノ森の栃の樹も、冷水が湧き出していたのではないか。
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一本の小川は江戸時代に人為的に引かれた用水路であるが、その近くには山口川が流れている。水脈が近い為に、栃の樹の根元から水が涌いていた可能性はあるだろう。何故ならここは竜ノ森という名称であり、竜蛇神が祀られている事を踏まえれば、この栃の樹を含む竜ノ森の情景が神社の様な聖域に見えた事からではなかろうか。昭和の時代に、似た様な事件があった。上郷町宇南田に、沼の御前を祀る地がある。そこも神域となっていたが、その神域で獲った岩魚を皆で食べた為に神罰にあたった話が伝わっている。

しかし、その聖域が魔所と呼ばれるようになったのは、やはり死んだ女の姿を見たとか、見知らぬ態の女を見たなどという話が広まった為であろう。これは、死霊の森というイメージが定着したからであろうか。例えば「遠野物語拾遺121」では、タイマグラに見慣れぬ風俗の人達がいたというだけで怪しげな場所、ある意味魔所になっている。

他の、熊野ノ森や横道の洞など、以前は人の往来があった場所が、いつしか廃れ寂しくなった所を魔所と呼ぶ様になっているのは、現代において廃墟を幽霊屋敷と呼ぶのと同じ感覚であろうか。そういう意味では、縄文人が住んでいた竜ノ森の近辺も、今ではまったく人気が無くなっている為、同じ様な感覚で名付けられたのかもしれない。他の魔所は、一つ一つチェックして別記事に書く事としよう。
by dostoev | 2015-06-14 14:58 | 「遠野物語拾遺考」120話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺55(片割れの神像が見るものは)」

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琴畑の部落の入口の塚の上にある、三尺ばかりの無格好な木像なども、同じように子供が橇にして雪すべりをしていたのを、通りかかった老人が小言を言って、その晩から大変な熱病になった。せっかく面白く遊んでいるのをなぜに子供をいじめたかと言って、ごせを焼いたという話がある。この森が先年野火の為に焼けて、塚の上の神様が焼傷をなされた。京都にいる姉この処さ飛んで行くべと思って飛んだども、体が重くてよく飛べなかった。ただごろごろと下の池まで転げ落ちて、大変な怪我をなされたのだそうな。誰がこんなことを知っているかというと、それは皆、野崎のイダコ(巫女)がそう言ったのである。

                                                   「遠野物語拾遺55」

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この話は、「遠野物語72」「遠野物語拾遺49」と重複してしまう話でもある。「遠野物語拾遺49」では、狩人に足を撃たれた仏像が京都に飛んで行って、何とかの寺に居るとある。この「遠野物語拾遺55」では、野火で火傷した木像の姉が京都にいるという。つまり、この塚にいた木像とは兄弟で祀られていたのだろうか?それとも、姉妹だろうか。そして、「遠野物語72」によれば、その木像とはカクラサマであると云う。
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画像の地蔵端と呼ばれる小高い山の頂は踏み固められており、平坦になっているのは、信仰が最近まで続いていた名残であろう。「遠野物語拾遺55」の文中に、子供が橇遊びをしていたと記されているが、確かにこの小高い山から木像を橇代わりに滑って遊ぶ楽しいイメージが想像される。

この木像が二体であり、それがカクラサマであるというのなら、佐々木喜善の記録が明瞭になる。佐々木喜善「遠野雑記」では「不思議なるは、栃内村字米通路傍の森の中に在すカクラサマは、全く陰茎形の石神なることなり。然れども未だ彼のオコマサマの如く、男女の愛情其の他の祈願にて、このカクラサマに参詣したり等の話を聞きたることなし。」

この地蔵端は、琴畑の入口であり、村外れの境界でもある。道祖神系は、こういう処に祀られる場合が多い。その道祖神の大抵は、男女二体が普通であるが、遠野地方では、ただ道祖神と刻まれた石碑だけがあるのが現状だ。その道祖神の代わりに、このカクラサマが祀られていた可能性はあるだろう。この木像の正体が男女二体のカクラサマであるなら、残っていたカクラサマとは、男カクラサマであったか。しかし何故に、女カクラサマだけが京都にあるのかは理解できない。

柳田國男は「奥州のカクラサマは路傍の神には珍しい木像である。しかとは判らぬが円頭の御姿であった。地蔵の一族でないまでも、其外戚の道祖神の姿を彷彿とさせる。」と述べているように、大抵の道祖神は石造りである。しかし、路傍の石碑を建てる事の出来た人間とは、金持ちであった。それ故に、石像を頼めない者は、自らがノミをふるって素朴な像を彫ったりしたようだ。そういう事から、例えば京都から仏師が来て、木像の片割れをこの琴畑で彫って残して、別の片割れの仏像が京都にあるとは考え辛い。物理的に無理であるなら、精神的にどうかだが。
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例えば、京都の宇治橋に祀られる橋姫がある。柳田國男は「橋姫とは橋の一端に奉安した境神であり、元々は男女二柱の神であるが故にネタミ深く、容易に人を近付けない性格を有する。」と述べている様に、この地蔵端の小高い山の頂に行く為には、橋を渡らねばならない。小高い山の高みに祀られているのは、遠野では母也明神がやはり高台に祀られている様に、洪水を避ける為でもある。そういう意味から考えれば、このカクラサマとは、橋姫の片割れとして彫られた男神であるのかもしれない。だが橋姫は、男を呪った存在であり、その橋姫の呪いを鎮める為、当初は祀る時に男女二体としたようだ。ところが現在の橋姫神社には、早池峰の女神と同じ瀬織津比咩が祀られている。橋姫神社の当初から瀬織津比咩が祀られていたのだが、後から橋姫が被せられて橋姫神社となったようだ。

「遠野物語拾遺49」には、こう記している「今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。」と。この地蔵端のカクラサマを社が北を向いているのは、京都の橋姫神社に祀られる瀬織津比咩ではなく、北に鎮座する早池峯に祀られる瀬織津比咩を見ろとの意味があるのではなかろうか。京都にいる筈のお前の片割れは、今では早池峯に祀られているのだよと。
by dostoev | 2015-06-12 17:54 | 「遠野物語拾遺考」50話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺85(占)」

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また土淵村大字飯豊の今淵小三郎氏の話にも、オシラ様を鉤仏ということがあるという。正月十六日のオシラ遊びの日、年中の吉凶善悪を知る為に、ちょうど子供等がベロベロの鉤をまわす様にして、神意を問うものだそうである。昔は大人も皆この占いをしたが、今では主として子供がやるだけで、この家ではついその正月にも炬燵の上で、盛んにやっていたということである。

                                                   「遠野物語拾遺85」

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オシラサマを回して占う方法は「遠野物語拾遺84」で紹介されている様に、狩に行く方角を占う為に使用されていた。これは辻などに出くわしどちらに行くか迷った場合、一本の木を立てて倒れた方向の道へ進む遊び感覚の占いと同じ様なもの。樹木には神が憑くと云われるが、俗説では石に影向するのは男神で、樹木に影向するのは女神だとも云う。それをオシラサマに対応させれば、山の神は大抵の場合女神である事から、オシラサマで狩りの方角を占うのは、山の女神の影向した樹木に聞くという事になる。そのオシラサマと、自在鉤が同一と考えられていた。その自在鉤にも方向性、方角性が重視されており、例えば自在鉤に鉄瓶をかけて温めるのだが、その鉄瓶の蒸気の吹き出す口を北に向けてはならないという禁忌がある。それはつまり、北を重視した信仰と結び付いたのが、自在鉤でもある。
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囲炉裏の横座で放屁すると、竈まで聞こえる話は「遠野物語拾遺86」で書いたが、囲炉裏と竃の空間は繋がっている意味になる。その竈のある空間は、食べ物を調理する台所でもある。その台所で正月七日に、春の七草を叩く事が行われる。七草を叩くのに、七回づつ七度、四十九叩くのだと。これは、七つ叩くのは北斗七星の七曜と結び付いているという。全部で四十九になるのは、その七曜と九曜、二十八宿と五星を全て足して四十九の星にする為だと云う。
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五星とは、火・水・木・金・土の五行の事である。この五行が生きていて囲炉裏と似た様なものに、茶室がある。囲炉裏の主人が座る横座は西に位置し、茶室でも主人が西側に座って客と対座する。ただし、囲炉裏では客が座るのは南側であるが、茶室ではそのまま東の違いがある。ただ結局、本当の主役は北側であり、茶室では掛軸などの飾り物が掛けられる。そして、その茶室でも占が行われるようだ。棗と茶杓を拝見に出す置き方が「卜」の字になるように置き、それが素晴らしい道具かどうか手に取って占うのが本来の意味らしい。

囲炉裏も茶室も、全て炉を中心とし、北側を尊重した世界観で流れている。ところで、飲む前に茶碗を回す作法は、相手への気遣いの表れだとされている。茶室の主人は茶碗の一番美しい絵柄部分を客に向けて出すが、そこに口を付けるのは失礼にあたる。だから、客は茶碗を回して飲む位置をずらすのだそうだが、東に座った客の位置から茶碗の絵柄は最終的に北を向く様に決まっているようだ。それはつまり、囲炉裏も茶室にも北辰や陰陽五行の思想が入っているという事は、北に鎮座する神に対して敬意を表する作法となっているのではなかろうか。オシラサマを回す、自在鉤を回す、そして、茶碗を回し、棗と茶杓を「卜」の形として占うのも、全て神が憑いたという流れによるものであろう。その神も、炉という火の神を中心とした空間から、北に鎮座する水の神との交流を意味するのであろうのは、それが陰陽の和合となるからだろう。
by dostoev | 2015-06-11 18:13 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺86(ベロベロの鉤)」

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ベロベロの鉤の遊びは他の土地にもあることと思うが、遠野地方では多くは放屁の主をきめる時に行っている。子供が一人だけ車座の中に坐って、萱や萩の茎を折曲げて鉤にしたものを持ち、それを両手で揉みながら次の文句を唱え、その詞の終りに鉤の先の向いていた者に、屁の責任を負わせる戯れである。

なむさいなむさい(あるいはくさい)

べろべろの鉤は

とうたい鉤で

だれやった、かれやった

ひった者にちょちょ向け


しかしこの鉤遊びの誓文を立てぬ前に、もう挙動で本人はほぼ知れている故、術者が機を制して、おのずから向くべき方に向くのは勿論である。

                                                   「遠野物語拾遺86」

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「遠野物語拾遺85」で、ベロベロの鉤を回して神意を占う様なことが記されているが、ここでは放屁主を決める遊び道具にベロベロの鉤が使用されている。一人の子供が車座の中心に占主の様に座ったが、似た様な放屁の遊び唄がある。

横座でががぁ 屁たれだ

どごまで聞けだ

かまの前まで聞けだ

竃の前のガギどぁ アハハと笑った


横座は、囲炉裏の奥の正面で、一家の主人が座る席。その席で妻が放屁して、子供達に笑われた唄になっている。囲炉裏には自在鉤が吊るされており、その自在鉤は、火の神である三宝荒神のの依代である事から、横座という言葉は自在鉤の横で、火の神の祭祀者の意にもなるか。横座での放屁が、竈まで聞こえたというのは火の神で繋がっている意であろう。

車座の中心も、恐らく祭祀者の意を持っての遊びになるのだと思う。遠野では、どの農家にも囲炉裏があって、炉の火を囲む暮らしが普通であった。寝るとき以外は、食事や団らん、昼寝から客の接待に針仕事などの、細かな仕事をする場も囲炉裏を囲んで行われた。生活の中心が囲炉裏の火であり、その中心にかけてあったのが自在鉤であった事から、自在鉤が火の神の依代に見做されたのも当然であったろう。文中の「とうたい鉤」とは「尊い鉤」である。この尊い鉤を使って子供が遊ぶのは、遠野だけでなく全国で伝わる仏像で遊ぶ子供達の姿と重なってしまう。そういう意味から、この自在鉤での子供達の遊びは、子供達と神仏との交流の一つではなかろうか。
by dostoev | 2015-06-10 17:43 | 「遠野物語拾遺考」80話~ | Comments(0)

夜ガイド

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今回は香港からのお客様で、是非星の輝く夜空を撮影したいとの事で、前々から予約が入っていた。しかし、この日の夜は雲が厚く、星が隠れてしまっている。取り敢えず、夜の遊覧として白望山方面へと向かった。ただ、途中に現れる野生動物たちに喜んでいた様子。

こういう、山の細い悪路を走る事は初めてのようだった。香港では低い山が多く、あまり登山などという行事は無いとの事。そして「遠野物語」の翻訳版(広東語)を読んで来たので、白望山の話は少し知っていたようだ・・・怖い話が多いと(^^;
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そして定番の帰り道は、不動堂のある白滝見学。日本語で「滝です。」と説明しても「滝」という単語を知らないので、その滝を見てやっと理解して貰った。宿に帰る途中コンビニに寄ったら、「進撃の巨人」の特集をやっていて、それを見て目を輝かせて「進撃の巨人」グッズを買い漁っていた。香港でも流行っているとは、知らなんだ。しかし、喜んで買っている姿を見ると、感覚は日本人となんら変わりないのだなぁ・・・と思ったのだった。
by dostoev | 2015-06-09 06:44 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)