遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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「遠野物語拾遺226(贋金)」

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青笹村字中沢の瀬内という処に、兄弟七人皆男ばかりの家があった。そのうちに他国に出あるいて終りの知れない者が三人ある。総領も江戸のあたりを流れあるいていたが、後に帰って来て佐比内の赤沢山で、大迫の贋金を吹いて、一夜の中に富裕になったという話が残っている。
                                                  「遠野物語拾遺226」

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大迫銭とは、慶応元年盛岡藩は幕府の認可を得て大迫の外川目に銭座が設営された事から始まる。造られた銭は、面が「寛永通宝」で、裏に盛岡の「盛」の文字が刻まれている。別名「背盛字当四文銭」と言われたそうである。「寛永通宝」は子供の頃に流行っていた「銭形平次」のオープニングに平次の投げる寛永通宝がアップになる為、昔の貨幣には寛永通宝というのがあったんだ・・・と真っ先に覚えた江戸時代の通貨であった。ただその寛永通宝が、地域によって裏側に刻まれるデザインや文字が違う事は後で知った。
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贋金造りもまた、一攫千金の話ではある。こことは別に、小友町の岩龍神社の御神体である、神社の後ろに聳える不動岩の側面に"隠れ岩"というものがある。昔は、そこで偽金造りや博打をした場所だと伝えられるが、つまり無法者の集まった場所でもあったという事か。この「遠野物語拾遺226」も、男ばかり七人兄弟という事から、女のいない荒くれた生活になった影響もあるのだろうか。

「遠野物語拾遺108」の石田家でも男達ばかりのようで、田畑を放棄し狩猟に狂ってしまっている。狩猟も博打に近く刺激の強いものであるが、縄文時代から続く男の仕事でもある事から、地道な畑仕事よりも狩猟に生きがいを求めるのはわかる。だがなんとなく「遠野物語拾遺108」と「遠野物語拾遺226」の両方とも、男所帯であった為に極端な生活になった可能性があるのではないだろうか。学校でも、男子校・女子高と男女を分けている学校よりも、男女共学の学校の方が互いを意識して大人しく真面目になる事を思えば、男所帯の家と云うものは、こういう荒くれた生活になるのは仕方のない事かもしれない。ただ現代では、この生活は無理ではある。
by dostoev | 2015-04-29 11:56 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺225(ゴンボほり)」

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土淵村に治吉ゴンボという男がいた。この郷でゴンボとは酒乱の者や悪態をする者のことを言うが、この治吉も丈高く、顔かたちが凄い上にことに筋骨の逞しい男であった。市日に遠野町の建屋という酒屋で酒を飲んでいるところへ、気仙から来たという武者修行の武士が入って来た。下郎を一人つれて、風呂敷包みをワシコに背負い、滝縞の袴を穿いた偉丈夫である。治吉はこの侍を見るなり、俺こそはこの郷きっての武芸者だ、さあ試合をしようと言った。侍は心得たと、家来に持たせた荷物の中から木刀を取り出させる。治吉はもともとただの百姓で剣術などは少しも知らず、酒の酔いに任せて暴言を吐いただけであるから、相手のこの物々しい様子を見てひそかに驚いたが、もう仕方が無い。今日で命は無いものだと覚悟をして、見る通り俺は獲物を持ち合わさぬが、何でも有り合せの物でよろしいかと念を押した。侍の方は、望みの物でさしつかえないと答えたから、治吉は酒屋の裏手へ獲物を探しに行って、小便をしながらその辺を見廻すと、そこに五寸角ほどの材木が一本転がっていた。よしこれで撲ちのめしてくれようと言って、この材木を持ち、襷掛けで元の場所に引返した。武芸者の方では、治吉が裏へ行ったきり帰りが遅いので逃げたものと思って高をくくり、しきりに高言を吐いていたところであったから、治吉の出立ちを見て驚いた様子である。治吉はこの態を素早く見て取ったから、さあ武芸者、木刀などでは面白くない。真剣で来いと例の材木を軽々と振廻して見せた。すると何を思ったのかその侍は、からりと木刀を棄て、いや先生、試合の儀はどうかお取り止め下さい。その代りに、拙者が酒を買い申そうと、酒五升を買って治吉に差出した。治吉はますます笠に掛って、いやならぬ、どうしても試合をすると言って威張って見せると、侍はそれを真に受けて怖がり、ひたすら詫びを言っていたが、とうとう家来といっしょにこそこそと逃げ去った。天下の武芸者を負かした上に、五升の酒をただで飲んだと言って、治吉はますます自慢してならなかったそうな。

                                                  「遠野物語拾遺225」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは知らなかった事だが、ここに登場する建屋という酒屋は、今でも続く上閉伊酒造の前身であったようだ。この時代は、酒を造る場所と、酒を飲ませる場所が分離していたようだ。この建屋の酒造部が独立して上閉伊酒造となったという。

この「遠野物語拾遺225」を読んで、まず思った事は、ホラ話であろうと。いくら角材を振り廻す恐ろしい怪力の男であろうと、角材を振った瞬間に隙が出来るもの。武芸者であれは、その隙をついて木刀で打ち抜けば良いだけで簡単な勝負であった筈。菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」で、こう述べている。「この村の村人たちは、大ホラ吹きと大ゴンボほりの二種類に分類することができた。」と。考えて見ると、現代の様にネットがあるわけでもなく、テレビやラジオも無い。楽しみは、人の話を聞く事と、酒を飲んで楽しむ事だ。明治29年に三陸大津波が起こり、沿岸域が大変な事になったと噂が拡がった。そこで遠野の何人かが、釜石などの沿岸の様子を見に、歩いて山を越えて見に往ったと。それを楽しみと言っては御幣があるが、そういう災害なり怪奇譚なりを知る方法が人から聞くしか無かった時代、人を楽しませる為に、山を越えてまで話のネタを集めに行く人も存在した。そして体験した目撃譚も、その人のフィルターを通す為に、誇張され伝えられた。それが村を驚かせたり、怖がらせたりと、どこかで半分嘘だと信じつつも、不思議なリアリティをホラ吹き達から感じていたのだろう。

最近は聞く事が少なくなったゴンボだが、親が営んでいた食堂に、一杯の酒を飲みに来る人々が集まっていた。初めはシャンとしていながらも、酒がまわるに従い酒に呑まれ、だんだんと素行と言動が怪しくなる人が何人かいた。そういう中で、余りに酷い人に対して「〇〇ゴンボ」というレッテルが貼られて、いつしかニックネームとなっていた。その人が来ると「おい、〇〇ゴンボが来たぞ。」と囁かれ、そのゴンボの独壇場が始まる前に、逃げ出す人も多かった。この「遠野物語拾遺225」に登場する治吉ゴンボは、ホラ吹きとゴンボの両方に加え、体の大きな乱暴者も併せ持った、村人にとっては最強のホラ吹きゴンボであったようだ。
by dostoev | 2015-04-27 13:45 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺224(大下万次郎)」

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昔土淵村字厚楽の茶屋に、四十格好の立派な侍がお伴を一人連れて休んでいた。ちょうど昼飯時であったから、持って来た握飯を炉に炙り、また魚を言いつけてこれを串にさして焼いていた。その場には村の男が四、五人居合わせて、これも火にあたっていたが、中に大下の万次郎という乱暴者がいて、いきなりその侍の握飯を取ってむしゃむしゃと食い、その上に串の魚にまで手を出した。侍は真赤になって、物も言わず刀を抜いて斬りつけたが、万次郎は身を躱してその刀を奪い取り、土台石の上に持って行って、散々に折り曲げ、滅茶苦茶に侍の悪口を言った。けれどもその侍はすごすごと茶屋を出て行ったそうな。後で聞くとこれは盛岡の侍であったというが、さすがに土百姓に刀をとられたとは言えなかったのであろう、そのまま何事もなかったそうである。

                                                  「遠野物語拾遺224」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語拾遺」によれば、大下は土渕町山口田尻の古屋敷家の分家で「オシタ」と呼び、確かに万次郎という乱暴者がいたそうであると書いてある。実はこの大下万次郎、「遠野物語」にも登場する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山口村の吉兵衛と云ふ家の主人、根子立と云ふ山に入り、笹を苅りて束と為し担ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心付きて見れば、奥の方なる林の中より若き女の稺児を負ひたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。極めてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。児を結び付けたる紐は藤の蔓にて、著たる衣類は世の常の縞物なれど、裾のあたりぼろぼろに破れたるを、色々の木の葉などを添えて綴りたり。足は地に著くとも覚えず。事も無げに此方に近より、男のすぐ前を通りて何方へか行き過ぎたり。此人は其折の恐ろしさより煩ひ始めて、久しく病みてありしが、近き頃亡せたり。

                                                       「遠野物語4」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語4」では、吉兵衛という者が登場しているが佐々木喜善「縁女綺聞」で紹介している話は、大下万次郎となっており、ほぼ同じ話であるのがわかる。恐らく、柳田國男が意図的に万次郎から吉兵衛に名前を変えた可能性があるだろう。柳田國男は「遠野物語8(サムトの婆)」の話でも、登戸という地名を寒戸に変えてしまっている。柳田國男の考えまではわからぬが、何か意図があっての事だろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の村の大下の万次郎と云ふ村きっての美男でそして乱暴者であった。或る時、近くの境木峠の大沢口の根ッ子立と謂ふところに笹刈りに行って居ると、奥の方からさらさらと云ふ音を立てゝ一人の美しい女が藤蔓で赤児をおぶって来たとも、又靑笹の上を後に垂らした髪がさらさらと引いて笹の上を渡ってきたとも云ふ。其の女とどんなことをしたか分からないが、その儘家に帰ってから病みついて遂に死んでしまった。

                                                       「縁女綺聞」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
帯刀する侍に対しても平気で乱暴狼藉を働く大下万次郎という豪傑が、山女に出遭った為に病んで死んでしまうというのは意外でもある。しかし、この大下万次郎に関する話は、他にもあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
陸中遠野郷北川目の者等五六人の同行で出羽の湯殿山をかけに行ったことがあった。かけ下して来て深林帯の尾根に一行がさしかゝると一番後に立ち遅れてゐた大下某と言ふ男、顔色を変へて皆に追ひつき、今の呼び声を聴いたかと言ふ。皆が何の呼び声かと訊くと、おや其れではお前達には聴こえなかったのか、今此の深沢で女の叫び声がしたが、どうも其れが俺の女房の声のやうであったと言ったが、其れからは鬱々として楽しまず家に帰ると遂々病み出して死んだと言ふこと。其の女房と言ふのは三年前ばかり前に死んでこの世にゐなかった者だと言ふことである。

                                                        「東奥異聞」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「縁女綺聞」での大下万次郎は、山女に出遭った後に死んでしまっているが、「東奥異聞」では出羽の山中で女の叫び声を聞いた後に、家に帰って死んでいる。ただこれは、大下万次郎が出羽から家に帰り、地元の山中で山女に出遭ってから死んだという時系列で良いのだろう。大下万次郎の村での評判は、美男子で乱暴者で、幻想をよく見る資質があったという。これは出羽での幻聴だけではないだろう。恐らく日常に、そういうモノを見たり聞いたりという話を万次郎がしており、それが村に広まっていたのだと思う。万次郎が山女と出遭ったのも、それが本当なのか、もしかして"ひょうはくきり(ホラ吹き)"と村人が捉えていたのかは定かでは無いが、若くして死んだ万次郎であったから、その死と山女との遭遇や、死んだ筈の女房の叫び声を聞いた話も、それらがその死に関連して語られたのは想像に難くない。

こうして考えて見ると、誰もが恐れる侍に対しての乱暴な振る舞いも、万次郎自らが死を常に纏っていたからでは無いかとも思える。既に死んだ女房の叫び、そして山女の正体も、既に村で死んでいたオリエという死霊であった事から、万次郎自ら、既にあの世に足を踏み入れている意識があったのかもしれない。だからこそ自暴自棄となり、死をも恐れぬ様になったのではなかろうか。そうでなければ、誰も近寄らない侍に対する暴挙を、単なる乱暴者だけという理由で説明できないのではなかろうか。
by dostoev | 2015-04-26 11:40 | 「遠野物語拾遺考」220話~ | Comments(0)

SLイベント

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何やら駅前に、馬が登場しているので何事だ?と思っていたら、どうやらSLが走る日らしい。
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よく見りゃ、馬だけでなくしし踊りの団体も駅前に集まっている。去年やはり、SLが走るたびに、しし踊りが踊っていたのを知ってはいたが、見に行った事は無かった。当然SLも、汽笛の音は聞いていたけど、その姿は…。
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集まった人全てがSLを見に来た人なのかどうかはわからないが、駅前が賑やかになってきたのは、これも春の到来なのだろう。去年は全く見なかったSLでも、今年は見に行ってみようか…。
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馬はというと、集まってきた子供達を乗せる為に連れてきたようだった。
by dostoev | 2015-04-25 14:04 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

「遠野物語拾遺234(恐ろしい都市伝説)」

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これは維新当時のことと思われるが、油取りが来ると言う噂が村々に拡がって、夕方過ぎは女子供は外出無用との御布令さえ庄屋、肝いりから出たことがあったそうな。毎日の様に、それ今日はどこ某の娘が遊びに出ていて攫われた、昨日はどこで子供がいなくなったという類の風説が盛んであった。ちょうどその頃川原に柴の小屋を結んだ跡があったり、ハサミ(魚を焼く串)の類が投棄ててあった為に、油取りがこの串に子供を刺して油を取ったものだなどといって、ひどく恐れたそうである。油取りは紺の脚絆に、同じ手差をかけた人だといわれ、油取りが来れば戦争が始まるとも噂せられた。これは村のたにえ婆様の話であったが、同じ様な風説は海岸地方でも行われたと思われ、婆様の夫冶三郎爺は子供の時大槌浜の辺で育ったが、やはりこの噂に怯えたことがあるという。

                                                              「遠野物語拾遺234」

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佐々木喜善「聴耳草紙」「油採り」という話が紹介されているが、そこではナマハゲの伝承に似て、太ったナマケモノには油取りが来るような話となっている。実はこれ、逃竄譚といわれるもので、怠け者などが旅先で歓迎されるが恐ろしい目に遭って逃げ助かる話であり、「三枚の御札」の系統に属する話である。
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この「遠野物語拾遺234」の話は、画像の辷石谷江から聞いた話であるよう。この中で「油取りが来れば戦争が始まる」とされているのは、明治六年各地で起こった徴兵制に絡む都市伝説からであるようだ。徴兵に応じると外国に連行され、生き血を搾り取られるとの噂が拡がり一揆にも発展したという事件があった。この明治の都市伝説が油取りと重なり、恐れられたようである。

考えて見れば、この現代でも"口裂け女"の都市伝説があたかも事実の様に日本列島を駆け巡った。地域によっては、口裂け女が怖い為に登校拒否になったり、通学に際して大人達が子供達を守る為に、登下校を見守ったりした。つまり流言が事実と認識された為であった。明治時代の生き血を搾り取られる流言もまて信じられたからこそ、不安が高まり一揆にまで発展したのを考えれば、リアリティ溢れる流言は、人の心を乱してしまうという事だろう。油取りの話も、生き血を搾り取る話も、時代的にはそう変わりの無い時代である。つまり、どこかでこの残酷な油取りの話は、根底で生き血を搾り取る話と繋がってそうな気がする。

油取りのイメージ的には、処刑の一つである磔ではないだろうか。磔は残酷で、体を槍などで刺して血が流れるのだが、すぐには死なずに放置されるようだ。それが血を搾り取る、もしくは油を取る様子に似てるのでは無いだろうか。「聴耳草紙」での「油採り」の話は、逆さまに吊り下げて目鼻口から滴る人油を採るシーンがある。これは、逆さ磔と同じものだと感じる。逆さ磔は、罪人を最大限に苦しめてジワジワ殺す刑罰だという。逆さに吊るされると血液が脳にたまり、脳浮腫をおこしてすぐに死んでしまう為、こめかみの静脈を切り、少しづつ血が滴る様にして長く苦しんで死ぬようにしたのが、逆さ磔であった。この時、その磔された罪人の下には、多量の血が溜まったと云うが、これが油取りのイメージに繋がる気がする。いや、断言しよう。公開処刑である磔を見て来た日本人に刻まれたトラウマが生み出したのが、油取りの都市伝説であったと。
by dostoev | 2015-04-24 19:19 | 「遠野物語拾遺考」230話~ | Comments(0)

桜シーズン到来

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この陽気に我慢出来ずに、約半年ぶりにカメラを持って外に出て見た。観光客からの要望の多い、貞任山経由から白見山登山道を横目に見て、広又沢林道を下って琴畑に出るコースが行けるかどうか確認したかったのもある。しかし、やはり林道の一部が雪で覆われていて、まだ完全に林道は開通になっていないようだ。
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ところで、この時期に目が行くのが桜だ。駅周辺の早い桜はピークを過ぎ散りつつあるが、遠野全体の桜はこれから本格化するようだ。この陽気が続くようなので、今週末の土日がほぼ満開になると思う。
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by dostoev | 2015-04-23 18:20 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

「遠野物語拾遺248(取子)」

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生れた児が弱い場合には、取子にして、取子名をつけて貰う。一生の間、取子名ばかり呼ばれて、戸籍名の方は人が知らぬと言うことも往々にあった。佐々木君の取子名は、若宮の神子から貰ったのが広といい、八幡坊から長介、稲荷坊からは繁という名を貰っておいたと言うが、しかし一向強くもならなかったといって笑った。

                                                    「遠野物語拾遺258」

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生れた子供の体が弱かったり、親などに不幸が続いた場合、それを心配して神様などに託して丈夫にして貰う為の呪術でもある。別に、神託子とも呼ばれる。佐々木喜善は、八幡や稲荷から取子名を貰ったようだが、こうして複数の取子名を貰うのも、色々な神の加護を受けて強くする意がある。まだ確認はしていないが、遠野では「トリ子祭」というものが行われているらしい。

子供は死ぬものであるという意識が、昔は強かった。ましてや跡取り息子となる男の子の死亡率は高い為、どうにか無事に成長してくれるようにとの願いが込められる呪術が定着していた。それでも死亡率は然程下がらない為、何人もの子供を産んで、生き残った男の子を跡継ぎとした。しかし現代となり、医療技術も発達した為か、いつの間にか子供は死なないで普通に生まれるものとなったようだ。子供を沢山生む必要が無くなった現代、少子化になった影響は、こういうところにもあるのだろう。
by dostoev | 2015-04-22 19:44 | 「遠野物語拾遺考」240話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺247(捨子)」

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年廻りの悪い子は捨子にするとよい。まずその子に雪隠の踏張板の下を潜らせた後、道違いに行ってちょっと棄てる。始めから拾う人の申合せが出来ていて、待っていてすぐ拾ったのを、改めてその人から貰子をする。こういう子供には男なら捨吉、捨蔵、女の場合はお捨、おゆて、ゆてごなど、捨という名をつけることが多い。

                                                  「遠野物語拾遺247」

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年廻りが悪いとは、親が厄年の時に生んだ子供であったり、丙午の時の子供であった場合を云う。その年廻りの悪い子を上の画像の雪隠の踏張板の下を潜らせるというものは、何度も書いて来たようにトイレとは、霊界の入り口であって、踏張板は、その境界の扉と考えた方が良いだろう。「今昔物語」にも紹介されている様に、セッチンであり厠であるトイレとは、人間が妖怪などに変化してしまう場所でもある事から"化粧室"とも呼ぶ。化けるのは、陰から陽であったり、その逆の場合もある。民間ではトイレに南天を置いて「難を転じる」願掛けをしたりする。またトイレは"黄金(糞尿)"の溜まる場所でもあるとされる為、お金が溜まるようトイレを綺麗にしなければならないとされるのも、陰から陽への変化を期待してのものである。ここでの年廻りの悪い子という陰の要素を陽に転換する為の、民間呪術であろう。

そして道違いに棄てるというのも、道違いは辻でもあり、雪隠と同様、現世と霊界との境界でもあると信じられていた。つまり捨子にするとは二度、霊界を潜らせるという意味になる。ただこれが、子供の為を想ってする呪術なのか、家や親の今後を良くする為の呪術なのかは定かでは無い。
by dostoev | 2015-04-22 18:04 | 「遠野物語拾遺考」240話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺244(クセヤミ)」

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妻がクセヤミ(悪阻)または出産の時に、その夫も同時に病むことがある。諺にも、病んで助けるものは、クセヤミばかりだという。

                                                    「遠野物語拾遺244」

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ここでは悪阻を「クセヤミ」と読んでいるが、通常は「悪阻(ツワリ)」という読みが一般的だ。この「遠野物語拾遺244」の話は現代でもよく耳にする話で、妻のツワリ時に、やはりツワリの様な体験をする夫がいるという。それを仲の良い夫婦と称する場合があるが、逆に妻を蔑にしていたので罰が当たったなどと捉える場合もあるようだ。

風邪をひいた人の傍に居ると、いつの間にか自分もその風邪がうつった様な感覚になる場合がある。「病は気から」の様に、妻の出産を心配するあまりに、その精神が同調した為に起きるのであろうか?

花粉症の実験に、花粉症にかかっている人達に向って「今から花粉を流します。」と言うだけで、実際には花粉は流していないのに、花粉症の症状が出るという。つまり、それだけ身体の健康には精神的なものが大きく、実際に体は普通であっても精神がそういう方向に行けば、脳信号がツワリの症状の様なものを伝えるのだろう。

精神とは恐ろしいもので、呪いもまた似た様なものである。呪いの呪符を発見したとか、もしくは呪われているという意識が働いた場合、やはり精神が病んでいくものだと云われる。実際に、呪いというものは存在しないとは思うが、呪いという言霊に精神が侵されて病んでしまうのが呪いでもある。だから古代の天皇は、多くの人達を犠牲にして天皇になった為に、傍らには呪い返しをしてくれる陰陽師などを置いていた。呪い返しというものも有り得ないが、その呪いを返してくれる存在がいるだけで、やはり精神的に楽になるのだろう。普通の水を良薬であると洗脳して飲ませるのと同じである。「悪阻(ツワリ」にかかる夫、かからぬ夫の違いは、その夫の精神構造によるものが大きいのだろう。
by dostoev | 2015-04-22 16:34 | 「遠野物語拾遺考」240話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺241(産屋)」

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産屋の中では、産婦は藁一丸の枕をする。一丸とは十二束のことである。そうして一日に一束ずつ抜き取って低くして行き、二週間目には平枕の高さにするものだという。産婦は産屋にいるうちに、平常食べるあらゆる食物を少しずつ食べて置くようにする。この時に食べておかぬと、後でこの食物を食べる時に必ず腹を病む。ただ一例外なのは灰気のある物で、これは一切食ってはならぬとされている。

                                                  「遠野物語拾遺241」

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産屋で、産婦が何故に枕を高くして、徐々に低くしていくのかわからなかった。「注釈遠野物語拾遺」においても、それについては言及していない。藁は、稲作文化が日本に流れて来てから、その稲藁の廃品利用的な文化が完全に定着した。衣食住や職にも、藁が多く使用され、無くてはならない物であるのに異存はない。藁を入れた枕は現代でもある事から、産屋で産婦が利用する枕に、何等違和感は無い。ただ、産屋そのものは特異な場所であり、赤不浄という穢れを避ける為に、特殊に設けられたのが産屋でもある。農家ではそうでないが、身分の高い家の産屋は真っ白な壁にしたという。それは赤不浄を、穢れない白色で浄化するという意味合いがあるようだ。病院の壁の色が白色なのも、古代からの呪術意識が伝わっているのかもしれない。

出産と藁で思い出したのが、「古事記」での大気都比売神であり「日本書紀」での保食神である。素戔男尊に殺された大気都比売神の目から稲種が生り、月夜見神に殺された保食神の腹から稲が生っている。大気都比売神も保食神も同じ神であろうと認識されているが、稲が生るのが目と腹の違いがある。そこで感じたのが、枕を高くするという事だった。つまり最初は、頭を高くして周辺を見据える様にしているのだが、もしかして稲の誕生をも意味しているのではなかろうか。つまり、枕を高くして稲が出産する様に促し、徐々にそれを通常の寝る形に戻すというのかもしれない。大気都比売神は、目から稲種を生した。更に保食神が腹から稲を生したのも、出産と取る事が出来る。つまり、女性の出産を豊穣に見立て、それを完全にする為に目と腹を意識したのが、この産屋での風俗ではなかろうか。大気都比売神も保食神も女神であるというのも、やはり出産は女性だけのものという意識が強い。

また灰気の食べ物を食べさせるなだが、山菜系も灰汁が強く体に悪いとして産婦には食べさせない。「秋茄子は嫁に食わすな」という諺があるが、それと別に「五月蕨は嫁に食わすな」というものもある。これはやはり、秋茄子も五月蕨も灰汁が強いものを指しての言葉であるから、嫁イジメの諺では無く、嫁を気遣ってのものであると思う。
by dostoev | 2015-04-21 17:38 | 「遠野物語拾遺考」240話~ | Comments(0)