遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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<   2015年 02月 ( 19 )   > この月の画像一覧

遠野物語拾遺103(里人の意識)

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同村字山口の火石の高室勘之助という老人が中年に、浜歩きを業としていた頃のことである。ある日大槌浜から魚を運んで帰る途中、山落場という沢の上まで来て下を見ると谷間の僅かの平に一面に菰莚を敷き拡げて干してあった。不思議に思って、馬を嶺に立たせて置いて降りて行って見たが、もう何者か取り片づけた後で、一枚も無かったという。この老人は明治の末に八十三で死んだ。これはその孫に当たる者から聴いた話である。

                       「遠野物語拾遺103」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
火石という地名には正福院という山伏系の家があった。その奥に、その家で祀っていた「遠野物語拾遺232」にも登場する熊野堂がある。また、宮守に火石沢という地名があり、やはり修験が入った場所と云われ、タタラ場もあったと云われる。火石という名は、まさにそうなのだろう。

「注釈遠野物語拾遺」によれば、高室勘之助は財産家であり、後に遠野の町へと引っ越したという。つまり、大槌の浜から魚を運んで商売をし、財を成したのだろうか。
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山落場という沢とは、琴畑の林道を登れば、樺坂峠があり、その西斜面が山落場沢であるという事だ。ここ数年の間に営林署が、細かな沢でも、その名が分かるよう表示をしたので、簡単に確認ができる。

ところで、樺坂峠から白望山の登山道方面へ行くと、金糞平というタタラ場がある事から、山にも人が住んでいたのはわかっている。そういう事から、菰莚は山に住む人が虫干しにしていたものだろうが、何に使用したものかはわからない。これは里の者が「山には人が住んでいる筈が無い。」という前提での話である。
by dostoev | 2015-02-27 19:54 | 「遠野物語拾遺考」100話~ | Comments(10)

遠野物語拾遺101(餅)

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これとやや似た話が二戸郡の浄法寺にもあったそうな。遠野の事では無いがこのついでに書いておくと、浄法寺村字野田の某という者、ある日山へ行くとて途中で一人の大男と道づれになった。大男はしきりにお前の背負っている物は何だといって、弁当に持って来た餅をなぶりたがって仕様が無かった。これは餅だと言うと、そんだら少しでいいからくれと言う。分けてやると非常に悦んで、お前の家でははや田を打ったかと問うた。まだ打たないと答えたところが、そんだら打ってやるから何月何日の夜、三本鍬といっしょに餅を三升ほど搗いて、お前の家の田の畔に置け。おれが行って田を打ってくれると言うので、某も面白いと思って承知をした。さてその当夜餅を搗いて田の畔へ持って行って置き、翌朝早く出て見ると、三本鍬は元の畔の処にあって、餅はもう無かった。田はいかにも善く打っておいてくれたが、甲乙の差別も無く一面に打ちのめしたので、大小の畔の区別も分からぬようになったという。その後も某はたびたびその大男に行き逢った。友だちになったので山へ行くたびに、餅をはたられるには弱ったということである。大男が言うには、おれはごく善い人間だが、おれの嚊は悪いやつだから、見られない様にしろとたびたび言い聴かせたそうである。これも今から七十年ばかりも前の事であったらしい。

                                                  「遠野物語拾遺101」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山の者が餅を食べるで思い出すのは、山姥が餅に魅かれて逆に焼けた石を食べさせられた"白髭の洪水"の話がある。餅は里の田圃で作る糯米から作られるものであるから、山には無いものである。つまり、ここでは里の者と山の者との物々交換の約束が成り立っている。ただし、米そのものを食べる事の出来た農民は殆どいなかったという事から「山へ行くたびに、餅をはたられるには弱った」というセリフが切実に感じる。とにかく山男をここまで働かさせる餅は、余程の魅力があるのだろう。ただ餅は鏡餅とも言う事から、鏡と同等のものであるとも云われる。そして、カガは蛇の古語であり、鏡餅そのものが蛇のとぐろを巻いた姿を現していると云われる事から、山との繋がり、恐らく山男や山姥との繋がりも見出せる為、山男が餅を好むのは当然なのかもしれない。
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「山城国風土記」には、伏見稲荷の縁起が紹介されている。秦伊侶具は稲や粟などの穀物を積んで豊かに富んでいた。ある時、餅を使って的として弓で射たら、餅は白い鳥になって飛び去って山の峰に留まり、その白鳥が化して稲が成り出でたので、これを社名としたとある。ところが「豊後国風土記」の出だしには、稲荷縁起とは逆に白鳥が餅と化して豊かな国となって豊国という名になったとする。しかし、同じ豊後の田野という地で、餅を的にして射たら白鳥になって飛んで行ったその年に百姓達が死に絶えたという。これは「山城風土記」の伏見稲荷縁起と同じパターンでありながら、方や栄えて、方や滅びている。「豊後国風土記」の序文に則れば、本来の伏見稲荷の縁起は不幸に見舞われたのを改竄したのではなかろうか?それは白鳥が餅になったのは、幸福が舞い込んだものであり、餅が白鳥に変って飛び去って行くのは単純に、幸福が去って行くように思えるからだ。

ところで画像は伏見稲荷の神符であるが祀られている神は、宇迦御魂命という穀霊神だ。この神符の下には狐が居て、陰陽五行によれば、黒い狐は水を意味し、白い狐は金を意味する。そして、この神符の中央には米俵に乗った蛇の姿が描かれている。宇迦御魂命の「宇迦」は梵語で「白蛇」を意味する事から、伏見稲荷の根本は蛇神信仰であったのだろう。先に書いた様に、鏡餅は蛇のとぐろを巻いている形であるが、この米俵に乗った白蛇は恐らく鏡餅を意図しているのではなかろうか。また、首の長い鳥は蛇とも同一視された事から、白鳥は白蛇とも同等であるといえる。そして、伊勢神宮の外宮における豊受大神も倉稲魂命も白蛇を本体とするという事から、白蛇がどれだけの力を持っているかわかるというもの。その白蛇は、山神と繋がり、それが餅で現されるのならば、山男がどれだけ餅を欲するか理解出来るというものだろう。
by dostoev | 2015-02-26 16:29 | 「遠野物語拾遺考」100話~ | Comments(2)

不思議な光の軌跡

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たまたま古い画像を観ていたら『おや?』となった。画像は2012年10月29日の23時少し前に撮影した7枚連続の画像だった。場所は、旧仙人峠の手前にある砂防ダム湖。ある山の真上には月が輝いていて、その真下の方には赤味がかった僅かなゴーストが見える。
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しかし、別の画像には月に向って斜め左下に、光の軌跡があるのを見つけた。何となく変な軌跡だ。これもゴーストだろうか?
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トリミングでアップしてみると、何やらリング状の光が移動したブレのように見える。
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実はその前に、光の凝縮したものがあった。昴の様な、光の集合体にも見える。これはまだ、光の尾を引いていない。
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しかしその約2分弱後、同じ場所の撮影であるが、今度は流れ星の様なものが写り込んでいる。果たしてこれは、月光の悪戯だろうか?それとも、普通のゴーストだろうか?一連の写真というより、タイムラグが2分弱あるので、同じものとは思えないが、同じ位置に不思議な光の軌跡は、果たしてなんだろう?と思ってしまった。
by dostoev | 2015-02-25 14:18 | 遠野体験記 | Comments(0)

遠野物語拾遺105(蝮捕り)

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同じ頃の話だというが、松崎村字駒木の子供が西内山で一人の大男に行逢った。荻草刈時のある日の午過ぎのことであった。その男は普通の木綿のムジリを着て、肩から藤蔓で作った鞄の様な物を下げていた。その中には何匹もの蛇がぬたくり廻っていたそうである。子供は驚いて、路傍の草叢に入ったまますくんでいると、その男は、大急ぎで前を通り過ぎて行ってしまった。それでやっと生きた心持になり、馳出して村に帰り著いたという。正月の遊びの夜、若者たちから聞いた話である。

                                                    「遠野物語拾遺105」

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この話は、「遠野物語拾遺104」と同じ頃の話だとしているが、目撃者は子供である事から子供の視点から大きい男であるという意味と、子供にとって不気味に思えた男の話という事になろう。私も子供の頃は蛇を恐ろしく思い、蛇の恐怖を克服したのは中学生になってからだった。それでも周りはまだまだ蛇を怖がる者が多く、大人になっても嫌いな生物のトップになるのは蛇である。その蛇が何匹もうねっているのを見れば、子供だろうが大人だろうが恐ろしく、気味悪く感じるのは普通なのであろう。

蛇は食糧とされる場合があるが、その蛇の中で一番美味しいとされるのが蝮である。また蝮は、薬効効果もあり、蝮を生殺しにした後焼酎などに漬け込む蝮焼酎が人気がある為、今でも遠野では一升瓶に生きたまま入っている蝮を売っているドライブインもある。岩手県内には、久慈市と花巻市に蝮センターがある為、蝮を捕まえてお金にしている人もままいるようだ。昭和五十年代に、久慈市に有名な蝮捕り名人の婆様がいたが、その婆様の長生きの秘訣は、生きた蝮の目玉を食べる事だと、テレビでその蝮の目玉を喰らうシーンを放送していたが、少々グロすぎた内容だった。昔の見世物小屋で蛇を喰らう女の出し物と、婆様の蝮の目玉を喰らうのと何等変わりは無いものだった。

東館に住む某氏によれば、遠野にも蝮捕りの名人がおり、素手で複数の蝮を捕まえ、片手に何匹もの蝮の首根っこを摑まえながら、片手で軽トラックを運転する豪の者がいるという。その蝮も場所によっては減ったとも云われるが、どうなのであろう?去年は笠通山で蝮に二度遭遇したし、綾織の二郷山の二郷神社は、蝮を神として祀る神社だとも云われる。攻撃的な動物が神になる場合が多々あるが、確かに蛇の中でも攻撃的で毒を有する蝮は、神に等しい存在となろうか。
by dostoev | 2015-02-24 20:44 | 「遠野物語拾遺考」100話~ | Comments(0)

遠野物語拾遺104(大草履)

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ある人が鱒沢村から稗貫郡の谷内へ越える山路で、山男の草履の脱いであるのを見た。篠竹で作った、長さ六尺もあろうかと思う大きなもので、傍の藪の中には赤顔の大男が熟睡していたそうである。これは大正の始め頃のことで、見たという本人はその頃五十位の年配であった。

                              「遠野物語拾遺104」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
画像は、綾織の羽黒神社入り口に飾られている、石で出来た大きな下駄。羽黒岩の天狗伝承を意識して作られたものだが、「遠野物語拾遺104」に登場する六尺の草履と同等の大きさだろう。これを履ける者は天狗というより巨人であろうか。伊勢から熊野にかけて、大草履を作って海へと流し、海の彼方から来ると云われる巨人に対抗する習俗がある。つまり、巨人の足より大きな草履を作る事によって「お前より大きい奴がいるんだぞ!」と、巨人を恐怖させ、こちらに来ない様にする為の習俗である。大きいものを作るとは、相手を威圧する為であり、古代ヨーロッパでも大きな鎧を作って置いて、敵がそれを見て怯え、戦わずに逃げたという伝説もある。それと同じなのが、伊勢から熊野に伝わる習俗なのだろう。つまり、それは遠野にもあったのだろうか?「遠野物語拾遺104」の描写には大男が熟睡していたとあるが、果たしてその草履の持ち主である程の巨人であったのかは定かでは無い。

巨人は日本において、ダイダラボッチなどと云われる。それは大太郎(ダイダロウ)や大平(ダイダイラ)山などとも伝えられるが、遠野の九重沢は太平山があるが、これは茨城県、当時の常陸国の流れから来ているだろう。その常陸国にはダイダラボッチの伝承が多い。また遠野市青笹町に大草里(オオゾウリ)という地名があり、これもダイダラボッチに関係するのかもしれない。またデンデラ野も、呼び方によってデンディラなどと呼ぶ事から、ダイダラボッチにも繋がりそうだ。

ダイダラボッチの原型は蹈鞴(タタラ)から来ていると云われる為、蹈鞴筋の山への流入と共に、里の人達を山の蹈鞴場に寄せ付けない為、大きな草履を作った可能性も否定出来無いだろう。登場する谷内という地名は、東和町の丹内山神社に、江刺の谷内とも関係がある棟札がある事から丹内も谷内も同じであるとされる。丹内山神社も製鉄と関係される事から、谷内=丹内=胎内=蹈鞴は同じであるとされる。蹈鞴の溶鉱炉をホトと呼び、その内部は胎内である。その蹈鞴筋が居付いた製鉄の地に谷内・丹内などという地名が付くのは、当然の流れであろう。その蹈鞴筋には修験者も関係し、小友町の能傳房神社もまた採掘・産金のの民の蹈鞴筋との繋がりがある。羽黒修験の羽黒堂の入り口に、大きな下駄のオブジェを飾るのも、その流れに沿ったものであったか。
by dostoev | 2015-02-22 14:59 | 「遠野物語拾遺考」100話~ | Comments(16)

遠野三大祈願場所

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【卯子酉神社(縁結び)】

遠野の町で、縁結びを祈願する神社で有名だったのは多賀神社だった。しかし遠野の町外れであり、綾織町との境界にある卯子酉神社は水神を祀り、そこに縁結びを祈願する。左手だけで赤い布切れを結び付ける事が出来れば縁が結ばれるとされるのは、神前には左だけを捧げるもので、それは水神の水に対して火である左手と、火の赤色を捧げるのは陰陽の和合となる為だ。それがスムーズに成されれば陰陽の和合となり、縁が結ばれる。
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【白山様(財を成す)】

長者(金持ち)を祈願するならば、この小高い岩山に一人で登って祈願すれば良いという。遠野の長者達は、この白山様で祈願したとも伝えられる。
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【能傳房神社(一生に一度の願い)】

峠の手前、普段はひっそりと静かなこの能傳房神社は、一生に一度だけの願いを叶えてくれる神社だと云う。本当に困った時だけ行くべき神社であると。
by dostoev | 2015-02-20 17:45 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

遠野物語拾遺243(異国文化?)

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産婦が産屋から初めてお日様の下に出る時には、風呂敷の様なもので顔を包んで出る。また生子の額には鍋墨で点をつけてやらねばならぬ。

                                                    「遠野物語拾遺243」

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正直、この習俗は知らなかった。「注釈遠野物語拾遺」で確認すると、「暗い産屋から明るい場所に出るので、眼を守るためである。」と記されている。ほっかむりに被るのでは無く"顔を包む"とあるので、どちらかといえばイスラム女性の風俗である。山形県から広がったハンコタンナもイスラム系風俗に似ていると云われる。ただ、ハンコタンナは農作業での日除けに使用されるので、恐らくこの「遠野物語拾遺243」もハンコタンナの事を言っているのかもしれない。ハンコタンナの形がいつの時代から始まったかわからぬが、イスラムの風俗が流れて来たものだとする説も流布してはいる。
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>「また生子の額には鍋墨で点をつけてやらねばならぬ。」

この習俗も知らなかったが、魔除けの為のようである。額にポツンとあるのは、ヒンズー教徒のビンディーか、観音様の額にある白豪をイメージしてしまうが、魔除けとなると、どうも違うようだ。ただビンディーが既婚者を意味し、他の男が寄り付かない様にするのも、一つの魔除けではある。

鍋の墨に意味があるのか?と調べると、二つだけ見つけた。沖縄では「夜、子供が外出するときは鍋の尻の墨で三度子供の額に黒子を入れてやると魔除けになる。食べ物を親類や近所に配るときサンを載せないと食べ物の精を取られるので、滋養にならない。」三度と指定されているが、ほぼ遠野の話と同じである。また、大分県では「喉に魚の骨が刺さったときは、鍋の墨を服用すると良いという。」これは額に塗りつけるのでは無く、服用するのだと。ただ、どちらも九州・沖縄にある習俗で、それ以外の地域で、この鍋の墨を魔除けとする習俗を見付ける事が出来ない。鍋もしくは、墨単体で調べてはみたが、魔除けとされるものを見つけ出せないでいる。つまり、この遠野の習俗は、九州・沖縄から伝わって来たものであろうか?

蝦夷の俘囚が西日本へと移動させられた古代であったが、逆に九州などの反朝廷の民族もまた蝦夷の住む東北などに流されたという。つまり、日本の真中をすっ飛ばして、東北と九州の人と文化の交流があったという事。今回の鍋の墨の様に、九州の習俗が何故に遠野に伝わったのかを考えて見ても、時代は分からぬが何らかの理由で遠野に住み付いた九州の人間がいた可能性が強まる。実際に、遠野の菊池氏は九州から来て根付いて拡がったとの伝承がある。逆に九州に、私有地であり、また小字に遠野という地名を確認し、遠野の習俗と重なるものもある事から、遠野を調べる場合は九州を調べると面白い。ただ九州で見付けた墨の魔除けも、どこから発生したものかはわからない。それこそ、異国の習俗が九州に流れ着いて定着したものかもしれない。案外、ビンディーの変化形ではなかろうか。
by dostoev | 2015-02-19 19:48 | 「遠野物語拾遺考」240話~ | Comments(0)

遠野物語拾遺231(金平糖)

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維新の当時には身に沁みるような話が世上に多かったといわれる。官軍に打負かされた徳川方の一行が迷って来た。お姫様の年ごろははたち前らしく、今まで絵にも見たことが無いうつくしさであった。駕籠にやや年をとったおつきの婦人が乗り、そのほかにもお侍が六人、若党が四人、医者坊主が二人まで附添っていた。村の若い者は駕籠舁きに出てお伴をしたが、一行が釜石浜の方へ出る為に仙人峠を越えて行った時、峠の上には百姓の番兵どもがいて、無情にもお姫様に駕籠から降りて関所を通れと命じた。お姫様は漆塗りの高下駄に畳の表のついたのを履かれて、雇われて行った村の者の肩のうえに優しく美しい手を置いた。その様子がいかにもいたわしく淋しげであったから、心を惹かれた若者達は二日も三日も駕籠を担いでお伴をしたという。佐々木君の祖父もの駕籠舁きに出た者の一人であった。駕籠の中のお姫様は始終泣いておられたが、涙をすすり上げるひまに、何かぼりぼりと噛まれた。多分煎豆でも召上がっているのであろうと思ったところが、それは小さな菓子であった。今考えると、あの頃からもう金平糖があったのだと、祖父が語るのを佐々木君も聞いた。またお姫様が駕籠から降りて関所を越えられる時に、何故にこんな辛い旅を遊ばすのかとお訊きしたら、お姫様はただ泣いておられるばかりであったが、おつきの老女がかたわらから戦が始まった故と一口答えた。あれはどこのお城の姫君であったろうかと、常に追懐したという。

                                                  「遠野物語拾遺231」

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遠野を統治していた南部藩は幕府側に属していた為、それを頼って来たものだろうか。物部氏、平家の落人、源義経、長慶天皇、新選組の土方歳三、多くの敗者が北に逃げて来た歴史の中に、このお姫様一行も含まれるのだろう。

ところで金平糖は砂糖菓子になるのだが、室町時代以降ポルトガル船によって砂糖が持ち込まれ、菓子文化が始まりを告げる。桃山時代となって西欧菓子の製法も伝わり、その゜お菓子を南蛮菓子と呼んだ。それ以前の菓子には、中国から伝わった唐菓子があるが、砂糖が使われず、米・麦・豆を粉にして酢・塩・胡麻を加える菓子であるから砂糖菓子の魅力には勝てないのだろう。漫画「信長のシェフ」でもその甘い洋菓子の美味しさに、その時代の人々の驚きを表現しているが、洋菓子文化の始まりが桃山時代であるから、漫画の表現と言えどもリアリティを感じる。

洋菓子を南蛮菓子と呼んだのは、ルソン・シャム・マカオなどの南方の国を南蛮人と呼んでいたのに加え、ポルトガル人やイスパニア人がその南蛮国を経由して来るので、まとめて南蛮人と呼ぶようになった。その為、南蛮人の作る菓子だから南蛮菓子となったようである。秀吉の生涯を綴った「太閤記」には「下戸にはカステイラ、ボウル、カルメヒラ、アルヘイト、コンヘイトなどをもてなし…。」と記されている。様々な洋菓子が伝えられたが、日本人の好みに合わない菓子は消えてしまったようで、後世まで残った南蛮菓子には「コンペイトウ(金平糖)、カステラ、タルト、ビスカウト(ビスケット)、ポーロ、カルメル(キャラメル)、ブロフ(パン)、ヒリオス(ドーナツ)」くらいのようである。その中でも金平糖は保存が効くので、この「遠野物語拾遺231」でのように、こんな遠くの遠野まで持ち込んで食べたのだろうと思う。泣きじゃくるお姫様を慰めたのは、やはり甘いお菓子であり、それは現代でも女性を慰める食べ物として甘いお菓子は市民権を得ている。
by dostoev | 2015-02-18 20:47 | 「遠野物語拾遺考」230話~ | Comments(0)

遠野物語拾遺114(山の女)

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同じ様な話がまだ他にもある。稗貫郡外川目村の猟人某もこの女に行逢った。鉄砲で打殺そうと心構えをして、近づいたが、急に手足が痺れ声も立たず、そのまま女がにたにたと笑って行過ぎてしまう迄、一つ処に立縮んでいたという。後でこの男はひどく患ったそうな。およそ綾織宮守村の人でこの女を見た者は、きっと病気になるか死ぬかしたが、組打ちをした宮守の男ばかりは何事も無かったと言うことであった。

                                                    「遠野物語拾遺114」

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「遠野物語拾遺113」でキャシャと、山に出没する赤い巾着の女は違うのではと書いた。ここでも、其れらしき女が登場しているが、今度は手足が痺れ、患い死ぬという話に発展している。「遠野物語拾遺45」では、ハヤリ神を馬鹿にした男が動けなくなった話があるが、これを神仏を馬鹿にして罰が当たった話としている。

小松和彦「日本怪異妖怪大事典」で、山女を調べると似た様な話が紹介されている。その簡単な説明は「人間の命を奪う恐ろしい存在で、猟師や炭焼きなどが犠牲になる点、雪女伝承にも通ずる部分がある。」とある。確かに雪女は、その姿を見た者を凍らせ、死に至らせしめる。そういう意味では、山女も雪女も同じものだろう。

これは、ある爺様と話した時の事だった。「お前の知らない事を教えてやる。」とドヤ顔で某爺様が話すには「兎には二種類の兎が居る。茶色の兎は大山兎で、白い兎は白兎というんだ。」と。昔の爺様は図書館で調べたり、現代の様にネットで検索して調べたりはしない。あくまで自分の経験・体験が絶対だと思っている爺様が、少なからず居る。これを山女に重ねれば、山女が冬になれば雪女になると考えても良いのかもしれない。神々の世界にも四季の彩りを愛でたのか、春の佐保姫、夏の筒姫、秋の龍田姫、冬の白姫と四季の女神を造り配した。そういう意味から、季節ごとの妖怪が発生してもおかしくはない。その本体が、一つだとしてもだ。

遠野世界で山女の話はいくつかあるが、見たら死に至る山女の存在は、何故か綾織と宮守にしかないのは何故だろう。その綾織と宮守の境界には、笠通山が聳えている。まさしく笠通山こそが、綾織と宮守の人間に死を与える山女の姿を見せる場所でもある。笠通山は別名「出羽通(でわがよう)」と云った。笠通山に登る事で出羽山(出羽三山)に登ると同等とされたという事らしい。つまり、笠通山に入るのは修験世界の体験でもある。出羽の修験者を別に羽黒修験と呼ぶ。

羽黒山・月山・湯殿山で出羽三山と呼ぶのだが、古代には湯殿山は入っておらず、鳥海山を入れての出羽三山だった。その中心に立つ神が羽黒権現とも呼ばれる。その羽黒では、羽黒権現様は女神であると云われ、御歳夜の祭りには、羽黒権現様がお気に召した若者にその姿を見せるのだと云う。しかし、その御歳夜に山中で女を見た者は死ぬと伝わっている。これは羽黒権現の姿は、気に入った若者だけが見る事が出来るのだが、それ以外の者は女神とは違う女の姿を見た場合に限って、死ぬと伝わっている。これを笠通山に照らし合わせてみれば、そういう羽黒系のお祭の日に、笠通山で女を見た者は死ぬという事になろうか。古今東西、女神には二面性があり、穏やかな優しい女神の裏側には、狂気の復讐の女神の顔があるパターンがままある。山神の法則に照らした場合、大抵は女人禁制であり、それを破った女には罰が下る。今回の場合は、定められた日には定めた者に対して、女神は姿を見せるが、そうで無い者が山に入った場合、女神の恐ろしい面が妖怪を作り上げて、他の者を死に至らしめさすとも考えられる。この笠通山の女は、いつでも現れるわけではなかろうから、羽黒権現である女神の恐ろしい部分の具現化が笠通山に現れたのであるならば、何か特別な日であったのかもしれない。

また綾織三山(桧沢山・二郷山・笠通山)の一つである二郷山では、見たら死ぬという伝承が三つもある。一つは、謎の生き物の姿を見た場合。一つは、謎の池を見た場合。一つは、敦盛草の影に三本足の猫を見た場合。またこの笠通山の山女に遭遇した場合も、死に至る。ただ桧沢山だけは、死の境界線に彷徨う魂を現世に戻してくれるという伝承が残っている。しかしどちらにしろ、総体的に山というものは生死を司る存在であると思われていたのだろう。この「遠野物語拾遺114」の山女も、その山に含まれる観念が、神であり妖怪となって表立って伝えられるのではなかろうか。
by dostoev | 2015-02-16 16:33 | 「遠野物語拾遺考」110話~ | Comments(4)

遠野物語拾遺113(赤い巾着の女)

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綾織村から宮守村に越える路に小峠と言う処がある。その傍の笠の通と言う山に、キャシャというものがいて、死人を掘起してはどこかへ運んで行って喰うと伝えている。また、葬式の際に棺を襲うとも言い、その記事が遠野古事記にも出ている。その怪物であろう。笠の通の附近で怪しい女の出て歩くのを見た人が、幾人もある。その女は前帯に赤い巾着を結び下げているということである。宮守村の某と言う老人、若い時にこの女と行逢ったことがある。かねてから聞いていた様に、巾着をつけた女であったから、生捕って手柄にしようと思い、組打ちをして揉合っているうちに手足が痺れ出して動かなくなり、ついに取遁してしまったそうな。

                                                  「遠野物語拾遺113」

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キャシャに関しては、以前にも書いてはいる。ただ解せないのは、この「遠野物語拾遺113」でキャシャという化け猫の妖怪と、この赤い巾着の女が同じである様に書いている事である。江戸時代になると幕府公認の娼婦を「狐」と呼ぶのに対し、町場にうろついているいる娼婦を「猫」と呼んだという。 その中で寺院の境内で商売する娼婦を「山猫」と呼び、京都の東山にいる娼婦もまた「山猫」と呼んでいたようだ。鍋倉山の西側に多賀神社があり、その上辺りに成就院という寺があったようだが、その境内にも娼婦はいたようで、それは山猫であったか狐であったか。ただ、多賀の狐の話がある事から、もしかして南部藩公認の娼婦の"狐"であっただろうか?

西洋に目を向けても18世紀のヨーロッパでも娼婦を「キャット」と呼び、売春宿は「キャットハウス」と呼ばれていた。これは発情期などの猫が、夜を彷徨い雄猫を呼び込む習性からきているようだ。「泥棒猫」という呼称も、物を盗むというより、男を誘惑し奪うという意味合いからの「泥棒猫」であって、どうも娼婦のイメージが猫から離れない。
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現在の小峠トンネルのずっと手前を左に入り、笠通山から流れる小川にお不動様がある。この小川は、長雨が続いても濁る事のない川と云われ、高い石の上から落ちる清い水は、昔からお不動様の御水と名付けていたそうである。街道を行き来する人達は、この御不動様の水に喉を潤して休んでいたそうである。これに目をつけた爺様が、小さな店を建ててワラジだの馬沓だのを売り、腰掛台を並べて、旅人の一休みにあれこれと気遣ったので、喉を潤すお滝様の清水と共に旅人に大変評判が高く、ここにも沢山の人が集まったらしい。また、笠通山の中腹にも阿弥陀堂と呼ばれる御堂があったそうだが、詳細は明らかになっていない。ただ山猫と呼ばれるような娼婦であれば、そういう御堂も商売の場所として使えるもの。

怪しい女の話であれば、笠通山には行灯を灯す女に化けた貉の話があるが、これと似た様な話は遠野で4ヵ所もある。一つは鍋倉山の行燈堀であり、一つは笠通山。一つは、寺沢高原であり、一つは小友町の外山となる。鍋倉の場合は成就院を少し上に行けば行燈堀となるので、成就院の娼婦の関係から作られた話の可能性はあるだろう。また小友町の外山の場合は、その貉が祀られた稲荷がある事から、狐話しの類の変化であろうか。寺沢高原の場合、東禅寺の開祖となった無尽和尚の庵のあったと云われる場所の傍であるから、笠通山の阿弥陀堂の様に、山に住み付く娼婦というより「高野聖」の様な仙女であろうか。傀儡目や白拍子など、神に仕えながらも漂白し、男と契りを交わす女達もいた。その行為を神婚と呼び、普通の娼婦とは違うのだと一線を画していた。神社の巫女達もまた、大祭などの夜には宮司と契りを結び、それを神婚と呼んでいたのを白拍子や傀儡目達も同じであるとしたのだろう。

平成初期に、現在は全く人気の無い東禅寺跡の無尽堂と呼ばれる小さな御堂に、尼僧が修行の為に暫くの間寝泊まりしている事があった。これと同じように、寺沢高原の無尽和尚の庵、笠通山の阿弥陀堂にも似た様な漂泊の宗教女が居付いていた時期があったのかもしれない。それが笠通山の化け猫であるキャシャと結び付けられ、語られた可能性があるのではなかろうか。
by dostoev | 2015-02-15 17:34 | 「遠野物語拾遺考」110話~ | Comments(7)