遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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遠野不思議 第八百二十六話「仙人峠の由来 其の二」

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昔、仙人峠の麓で千人もの人夫が鉱山の採掘現場で働いていた。その中に孝太郎という若者がいた。孝太郎は、年老いた母と二人っきりの生活をしていた。

或る日、孝太郎が仕事を終えて帰ろうと山道を下りて行くと、数人の人が一匹の蛇を殺そうとしていた。孝太郎は蛇を可哀そうに思い、お金で蛇を買い取り逃がしてやったという。その日の晩の事であった。寝ていた孝太郎は何かにうなされて目を覚ますと、枕元に美しい女性が立っていた。

「今日は、助けて戴いて、何とお礼を申してよいかわかりません。せめてもの恩返しに、貴方にお知らせしたい事があります。決して明日は仕事に出てはなりません。若し仕事に出れば、貴方の命はありません。」

その知らせを言い終わると、煙の如くその女性は消えてしまったと。

翌朝、孝太郎氏仕事へ行くか行かないか迷ったが、どうしても夢とは思えないので、其の日は仕事を休んだと。すると昼近き頃に天地も割れようかという轟音が鳴り響いた。鉱山が爆発して、働いていた千人もの人々の命が消え去ったという。孝太郎に知らせた蛇とは、仙人峠の山奥に住んでいる音羽姫が蛇になった姿であったという。その千人もの人夫の命を失った事故以来、その峠を仙人峠と呼ぶようになったと云われる。

尚、今でも音羽姫が蛇になって現れる岩穴があり、今でも時々小さな蛇が出るが、人々はそれを音羽姫の子孫だと云われて殺さないようにしていると云う。                       

                                                   「上閉伊今昔物語」

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旧仙人峠のトンネルの脇に、その岩穴へと行く道がある。別の伝承では、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の後に、十一面観音を祀った事から観音窟とも云われている。当然、音羽姫の話もあるのだが、どちらが正しいのかは定かでは無い。岩穴を有する小高い山の壁は岩壁となっており、今ではロッククライミングの練習場になっている。穴はいくつかあるが、入り口から一番手前が観音窟であり、一番奥がウサギコウモリの繁殖洞窟と云われていたが、いつの間にか崩落して、そのウサギコウモリ自体を見なくなってしまった。

この話は「浦島太郎」にも似通った話で異類婚にも似ているが、蛇は孝太郎の妻にはならずに、ただ知らせを告げただけだった。そういう意味ではオシラサマが幸せを"お知らせする神"とも云われたものに近い。ただ、千人もの人夫がいたというのはあくまでも伝説であり、実際はそこまでの人夫を使った鉱山は存在しない。恐らく、仙人峠という名称があっての後に、語呂合わせ的に作られた話であると思う。
                
by dostoev | 2014-07-31 18:31 | 遠野不思議(伝説) | Comments(0)

百物語(驚きの演出)

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怪談話のイベントとして百物語というものがある。一人づつ怪談を話し終えては、ロウソクの灯りを消していき、最後のロウソクの灯りが消えた時に怪異が起こるという伝説めいたイベントだ。これはつまり、明るい昼間から、徐々に暗くなり、夜の闇に移行する情景を演出しているのだろう。そして、真っ暗闇とは恐ろしいものだと。

また、誰もいない部屋に入る場合、柏手で大きな音を立てるというものがある。音が反響すれば、その部屋には何もいないとなるのだが、音が反響しない場合は、何かがいるから気を付けろとなる。大きな音というのは、例えば山に行った時に、鈴を鳴らす、笛を吹く、大きな声をあげるなどは、獣に対してその存在を示すと共に、猫などを観察すればわかるように、突然の大きな音には、人間も驚くが獣も驚くもの。つまり、大きな音とは魔除けの効果があるという事だろう。

「源氏物語」などでは魔物が現れた時に、弓の弦を弾いて音を出すのを弦打ちなどと言い、やはり魔除けとなる。ただ、鐘などを鳴らして神霊を呼ぶ場合があるので、音は魔を除け、神霊を呼ぶのだろうか。ローレライの歌声には、聞き惚れた男が寄って来るが、不快な音からは皆逃げるもの。真夏の太陽は眩しく熱く、人は太陽を避けようとするが、逆に真冬の太陽は、人々に暖を与える。あまりにも眩しい光は、目を背けるが、暗闇の中の灯りは、出口か、はたまた天国への入り口かと、人々は殺到するのだろう。

光と闇、音や光の強弱、音の質などを昔の人達も理解し使い分けて、怪談や神事に利用したのだと思う。ホラー映画で会場がシーンと静まり返った時こそ突然、幽霊や化物が出現すると観客が知っていても、やはり驚いてしまうのは、長年の積み重ねられた人間の習性なのだろうか。そういう意味では、世の中で一番恐ろしい音楽とはマーラー交響曲第六番「悲劇的」だろう。最後の一撃の衝撃は、知らないで聴いていれば、心臓が止まりそうになるほどだ。当然、マーラーの交響曲は怪談でもない、単なる音楽だ。つまり、人間が恐れるとは幽霊というよりも、視覚と聴覚が日常より逸脱した時に起こり得るという事なのだろう。
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逆に、無音の恐怖というものがある。遠野のマタギに伝わるのは、山中で一番恐ろしい時とは、音が止まる時であるという。自分も何度か経験しているが「草木も眠る丑三つ時」というフレーズが幼少時より刷り込まれていた。その時間帯は、午前二時半頃となるが、確かにその時間帯に音が止まる事がしばしばあった。夜の山というものは意外に煩いもので、夏の夜の山であればフクロウはもとより、カッコウやウグイスも鳴き、たまに眼前を飛び交う。また草むらでは小動物がガサガサと移動している音が響いて、とにかく賑やかだ。その賑やかさが丑三つ時頃に止まるというのは、昔の人もそれを実体験として記憶していたからこその言葉であったのだろう。「草木も眠る丑三つ時」とは、よく言ったものだと思う。
by dostoev | 2014-07-30 20:29 | 民俗学雑記 | Comments(0)

鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の三十一

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白山の開祖泰澄は、愛宕の開祖でもあった。それは、何か意味があったのだろうか?白山を水の信仰とすれば、愛宕は火の信仰となる。そのあたりに、何かの意味を有しているのだろうと思える。

原島知子「火事と愛宕山」を読むと、愛宕山の奇妙な風習が紹介されてあった。愛宕山の宿場としての清瀧村は愛宕信仰上、重要な位置を占める地であるようだ。清瀧村を流れる清滝川は、伊勢内宮の五十鈴川と同様の水垢離場である。その清瀧村での愛宕山詣での描写が司馬江漢「江漢西遊日記」に記されている。

「路ふもとより五十町清滝なと云処ありて、路々喰物あり、人をも泊まる。女土器を投げる妙なり。」

これは江戸時代中期であるが、この土器を投げる習俗そのものはいつまで遡るかわからないという。大森恵子「愛宕信仰と験競べ」では、それを更に掘り起こしている。この土器を投げる行為とは、死者が極楽に往生するといった意味。死者の供養をする為には、品物を投げて散供するのだと。それがもしも荒ぶる神に対するものであるならば、祟らないでくれとの祈願からの土器投げであろうと説いている。
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ここで気になったのは、崇徳上皇だ。崇徳上皇が愛宕神社で呪詛を行い天皇を呪い殺したという噂が広まったのは、元々愛宕神社が呪詛と関係ある神社ではなかったのか?愛宕神社に伊弉諾が祀られているのは、火神である軻遇突智を切り殺した為での火伏せの意味からであろう。その軻遇突智もまた、愛宕山に祀られている。しかし軻遇突智の怨念は生きていた為、崇徳上皇事件は起きたのだと思う。山田雄司「崇徳院怨霊の研究」によれば、その呪詛の方法とは、近衛天皇の霊が巫女に口寄せしての事によれば、誰かが呪詛して愛宕山の天公像の目に釘を打った為、自分は目が見えなくなり、ついには無くなってしまったとの事だった。そこで白河法皇をその像を調べると、果たしてその通りであったとの事である。

軻遇突智は、母である伊邪那美を殺した忌子だと云う。愛宕の漢字は「愛」という漢字に「宕」という石で蓋をする意味の漢字の組み合わせだ。愛した我が子を封印したという意味になるのだろうか?古代では、流れる血によって新たな生命が生まれると信じられていた。軻遇突智の首を斬り落とし、流れる血によって多くの神々が誕生した事を踏まえれば、迦具土神は神々の誕生の為の生贄であったのだと思える。しかし怨念とは無念の為せる極みである事を思えば、軻遇突智とは本来、別の神ではなかったか?何故なら、生まれてすぐに殺された軻遇突智は、怨みというものが育つ前に死んだのではなかろうか。つまり、ある神が、その神名を伏せられて軻遇突智という仮の名を付けられ「記紀」での神話上で生贄として殺された。だからこそ無念であり怨霊が発生した為、それを知っていた関係者が崇徳上皇を貶める為に、愛宕神社での呪詛事件を起こした。

「記紀」の神話は、多くの神々を誕生させ過ぎた。例えば、伊弉諾が黄泉国から脱出して禊祓いした時に誕生した四神は、元々八十禍津日神という一柱の神が、四分割されて発生した。その八十禍津日神も、本来は天照大神の荒御魂であった事を考えれば、軻遇突智の死によって誕生した神もまた同じ可能性があるのではなかろうか。つまりだ、軻遇突智という火神は、その火という属性を考えた場合、「記紀」から姿を消した謎の火の神である可能性はある。山田雄司は、怨霊と龍とは、深い関わりがあると説いている。「愛宕山縁起」では、空也上人が愛宕山に参詣したおり、女人に変化して現れた大蛇が成仏を願ったので、念仏を受け、その代わりに清泉を湧き出させたという因縁がある。愛宕の本地神である勝軍地蔵尊(ショウグンジゾウソン)の名の本来は、蛇神でり風神でもあるミシャグチ、シャクジンからの変化であるようだ。つまり勝軍地蔵尊そのものが、蛇であり龍を意味している。その愛宕山に祀られる軻遇突智命(カグツチノミコト)は別に「イカヅチノミコト」と読む。京都でのイカヅチ神とは賀茂別雷神社の賀茂大神を意味する。しかし本来は、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊であろうと云われる。
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土器片を清滝川に投げ入れる習俗で思い出すのは、羽黒神社である。羽黒神社の鏡池に鏡を投げ入れるのは、鏡が白銅鏡(ますかがみ)であり、月を意味する水の依代でもある事から、水神の供養でもある。それと同じに、愛宕山の清滝川に土器の破片を投げ入れるのは、土器が火神の依代であるという事だろう。つまり火神の怒り、祟りを鎮め供養するという意味であるのだと思う。

愛宕大権現の本地仏は白猪乗り武神像であり、愛宕大権現の化身動物が白猪で火の神だと信じられている。猪は多産である事から多産の神であるとなるが、男神で多産?という疑問符が付く。だが考えれば、軻遇突智の死によって多くの神々が誕生した事から、つまり火神とは、軻遇突智(イカヅチノミコト)であろう。

白蛇が水神である瀬織津比咩の化身とも云われるが「記紀」において、蝦夷征伐をしたヤマトタケルを滅ぼしたのは山神の化身で、「日本書紀」においては「白蛇」であり、「古事記」においては「白猪」となる。これが秦氏の一族である泰澄の行動と重なる。「日本書紀」と「古事記」において、何故に山神の化身が、白蛇と白猪に分かれたのか。それはある意味、「記紀」の関係者が水龍と火龍の分断を意図的に施した為ではなかろうか。泰澄はそれを知っており、だから水の信仰である白山を開き、そして火の信仰である愛宕を開いた。それはつまり、「記紀」によって抹殺された、火龍である天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と、水龍である瀬織津比咩の供養としての白山と愛宕山の開山ではなかったのか?
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崇徳上皇は、怨霊となって大天狗になった。愛宕山には太郎坊という天狗がいるが、太郎とは長男の意味を持つ事から、天狗の頂点に立つ大天狗であり、その大元は怨霊の変化となった大天狗であった可能性はあるだろう。その太郎坊の正体は、御霊神であろうし、それは軻遇突智であり天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊なのだろう。

東北において、竈の火に樒(シキミ)をくべるのは、愛宕山の習俗が、そのまま全国に広まったからだという。樒の実は毒を持っており魔除けにもなるという。また樒の語源は「悪しき実」からきているという。全国の竈に祀られる竈神とは、非業の死を遂げた者が、竃神として祀られているのだが、その竈の命である火は、愛宕の火でもあった。愛宕大権現に樒を供えるのは、ただ単に樒が愛宕山に自生していただけではなかろう。樒による呪力「魔除け」の効果を期待して、土器片を投げるのと同じく「祟らないでください。」という祈願であった筈だ。それは非業の死を遂げた火龍の祟りを恐れての習俗であろう。

ここで軻遇突智(カグツチ)の「カグ」は、かぐや姫と同じ「光り輝く」の意であり、「ツチ」は霊の意であり水龍である「ミヅチ」と同じで蛇を意味する事から、火龍であるだろう。また香香背男の香香(カカ)は、蛇の古語であり、瀬男(セオ)は水の尾で「綺麗な水の湧くところ。源流」を意味し、また別に「カカセ」とは「穢祓」の意がある事から水龍であろう。「日本書紀 神功皇后記」「星辰」「あまつみかぼし」と読んでいる。「辰」は龍でもあるが、日・月・星の総称でもあり、要は三光信仰か。つまり、香香背男でもある天津甕星は龍神であり星神であり、そして水龍という事になる。
by dostoev | 2014-07-29 21:04 | 鉄の蛇 | Comments(5)

柳田國男の霊言

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数日前・・・家の婆様が、アエリア遠野のイベントに行きたいと言った。何かと聞いたら、なんでも好きな俳優が來るので行きたいのだと。そんなイベントがあるのか?と思っていたら、一枚のチラシを見せられた。大川隆法とあるので、幸福の科学だとわかる。チラシの下には、「柳田國男の霊言」という見出しの元、異界・霊界を畏れず、神仏を尊ばず、宗教を軽んじる現代の遠野人を戦慄せしめよ!とある。ん?とは思ったが、確かに科学が発達して、心霊写真も画像ソフトが発達した為か、誰にでも捏造心霊写真は作れるようになり、益々心霊系に対する視線は胡散臭いものとなっている。いくら科学が発達しようが人の心を戒める為にも日本には、こういうものは残って欲しいと、自分もそう思っている。

ところで、その俳優が来るというのはどこだろう?とチラシを見やったが・・・あった、何々?堺雅人・・・菅野美穂・・・小保方晴子!?・・・の守護霊インタビューとある。

おいおい・・・来るのは守護霊だけかよ(ーー;)

しかし、家の婆様は絶対來る筈だと言って結局、かみさんに送られてアエリアへ行ったが、参加者は4人しかおらず、延々とビデオばかり流されて、つまらないから、途中で帰って来たという、馬鹿みたいな話だった。。。
by dostoev | 2014-07-28 05:53 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の三十

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天女としての豊受大神を見直した場合、「丹後国風土記」では、波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里に留まり、万病に効くという酒を醸し評判を得る。これによって御饌都神となり伊勢神宮の外宮に祀られた筈の豊受大神であった筈が伊勢神宮の外宮の酒殿祀られているのは「天逆太刀。逆鉾。金鈴。加徒神定十座也。」となっているのは「倭姫命世紀」「豊葦原瑞穂の国の内に、伊勢加佐波夜の国は、よき宮所見定め給て、天上よりして投降し給ひし天の逆太刀・天の逆鉾・大小の金鈴等是也。」からの神であろうが、何故に酒殿なのか理解できない。ただ豊受大神は新たな中世神話によって御気津の神に昇格しているので、その代わりとして酒殿に逆鉾が祀られたのは、酒をかき混ぜる意からであろうか。

その酒であるが、一番古くは「古事記」において素戔男尊がヤマタノオロチを退治する場面に、酒が登場する。透明な清酒は「播磨国風土記」に清酒(すみさけ)として登場しているが、現在の清酒であるかは定かでは無いらしい。古代の酒は、大抵は白濁した白酒であり、今の濁酒と同じであるようだ。遠野の天女と沼の御前の伝説に登場するのは、白濁した水である白水であるのも、あるいは酒を意味していたのだろうか。ここで気になる氏族がいる。それは、秦氏だ。

秦氏の崇敬する神社に松尾大社があるが、平安京遷都後は東の賀茂神社と共に「東の厳神(賀茂)、西の猛霊(松尾)」と並び称され西の王城鎮護社に位置づけられていた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。酒の神として評判になったのは中世以降であるが、古くに酒造りの技術を持ち込んだのは秦氏であるとも云われている。常陸国の静神社もそうであるが、織物や酒、そして水に関する事には秦氏の影がちらつく。酒を古くは「クシ」と言ったらしく、酒を飲むと人の心を奪う事から「奇し(クシ)」「怪し(ケシ)」が転じたものとされている。酒の原料は米である事を思えば、素戔男尊と結ばれた奇稲田姫はその名から酒そのものの神でもあるようなのであるから、素戔男尊の心を奪ったのであろうか?
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ところで、その松尾大社の祭神に中津島姫命がいる。この中津島姫命とは、宗像大社が祀る中津宮の姫神で湍津姫神の事を言う。松尾大社は、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して、西の松尾山に鎮座する。前回書いたように、天照大神と素戔男尊の誓約の場面が、古代における天の川の場面ではなかったかとしたが、それは素戔男尊が牛頭天王という牛を意味する神でもあるからだ。その牛頭天王を祀る八坂神社が東に鎮座し、それに対峙する形で松尾大社、そして湍津姫神を祀るというのは意味が深いと考える。何故なら、湍津姫神は瀬織津比咩でもあり、天女とも云われる存在。そしてその別名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命であり、その意味は天空から西へと向かう月の意味を有する神名だ。八坂神社の祇園祭では一年に一度、鈴鹿山の会所に鈴鹿権現である瀬織津比咩が登場するのは、ある意味天の川の逢瀬でもあるように思える。「子持大明神縁起」によれば、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる神の名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とされ、その出自は鈴鹿からの神であった。

また、秦氏といえば、その秦氏の一族である泰澄の白山信仰を思い出すが、「白山大鏡」において洞窟内に出現した白龍とは瀬織津比咩であった。そして京都(山城国)のかっての愛宕郡に、北斗七星が降った霊山である比叡山の麓の八瀬の意味は「神の河瀬」であり、その同じ愛宕郡には愛宕山がある。その愛宕山に愛宕神社の創始者もまた、白山と同じ泰澄であったのは、何か意味があっての事ではなかろうか。奇しくも、遠野の愛宕神社の祭神が瀬織津比咩であるのは、愛宕神社そのものが、何かの因縁をもつ神社であると考えるのだ。(続く)
by dostoev | 2014-07-27 20:35 | 鉄の蛇 | Comments(0)

鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の二十九

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天河神社の天女が瀬織津比咩であるとは書いたが、やはり菊池展明「円空と瀬織津姫(下)」で紹介されている静岡県に鎮座する瀬織戸神社に祀られる瀬織津比咩の祭神説明では「天照大神と素戔男尊の第二王女」「一般に"弁天さん"」と呼ばれているとある。第二王女とは、田心姫に続く二番目の湍津姫神である事は間違いなく、これは湍津姫神が瀬織津比咩であるという、もう一つの現存する証明でもある。また、その瀬織津比咩が天女でもある弁財天とされているのは、山の頂に坐す女神は山神でもあり、その山神は春に麓に降り立って田の神となる伝承が、まるで天女の飛来の様である事から弁財天と習合されたのではなかろうか。となればやはり、常陸国の「我国間記」に記される丹後国に飛来した天女とは、豊受大神の名で語られた、大甕倭文神社、静神社、そして鹿島神宮の高房社に祀られてある香香背男としての瀬織津比咩である可能性は高いだろう。
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羽衣を奪われ天界に戻れなくなった天女を、堕天使ならぬ堕天女と呼ぶ。その堕天女となった経緯は、たまたま男が羽衣を見つけたので奪ったというのが一般的である。しかしリアリティを持った伝承は、唯一阿蘇に伝わるもので、阿蘇神社の御前迎え神事に結び付いている。

赤水宮山に健磐龍命が行ったら山女がいた。この山女は日下部吉見の姫が赤水に来ていたもので、健磐龍命がこの姫を強引に担げて来て自分の嫁にした。嫁盗みを神様がやったので、阿蘇の人々にも許されている。実際にも行われていた。姫を盗む途中で十二か所寄って来る。化粧原は十二か所目になり、ここから夜になるので松明を出す。そして赤水のお宮で強引に姫の穴鉢を割る(犯す)。それからお宮(阿蘇神社)に連れ込んで高砂(結婚式)をする。お宮に連れ込んだが、姫が生まれ在所に帰りたいというので羽衣を隠した。子供が十二人生まれる。これが阿蘇神社の十二の宮である。子供が多く生まれたので、安心して歌を歌う。「姫の羽衣は千把こずみの下にある。」それで姫は羽衣を見つけ、生まれ在所に帰った。

嫁盗みといえば、日本人と顔が似ているというキルギス国での誘拐結婚は、今でも有名だ。そのキルギスの風習が伝わったわけでもなかろうが、日本の古代にも似た様な事があり、世界中でも国を侵略し、その国の姫を奪うという話を列挙すればキリが無いくらいだ。そういう意味から堕天女という言葉は、そのまま「奪われた姫」という言葉に変えても違和感が無い。

健磐龍命は神武天皇の孫と云われ、その命を受けて阿蘇地域を支配したようである。そういう意味から、地主神である日下部吉見の水神を力によって支配したのだと理解できる。子供が出来ながらも、尚も故郷へ帰ろうとする天女の行動は、力による支配に対しての反抗でもあるのだろう。昔話での異類婚は、正体を知られた鶴であり、狐などが、子供を作りながらも、その子供を捨ててまで人間界から去ると云う悲話になっているが、その天女伝説の原初とは恐らく、阿蘇神社に伝わる姫(水神)の強奪ではなかったか?
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天の川は、天空に浮かぶ竜の姿にも例えられる。それは天の川と地上の川が繋がっているという信仰にもよる。それについては、やはり「円空と瀬織津姫(下)」に、筆者による読み下しの祭神説明があるのを見よう。

そもそも天川と申すは、天神七代の御末伊弉諾伊弉冉二尊の御本宮、吉野熊野宮とも、吉野熊野之中宮とも申し伝え、生身天女の御鎮座、天照姫とも奉崇して今伊勢国五十鈴之川上に鎮り坐す天照大神別体不二之御神と申し伝え、故に大峯山の内道場とも、或は日域の古伝にいうところの天安河とはすなわち今の天川なりと申し伝え候。

これによればつまり、この奈良県の天川が天安河であるとしている。つまり「記紀」での天照大神と素戔男尊の二神が天の安河を挟んで誓約を行ったという神話は、日本における天の川伝説の原型となるのかもしれない。それ故なのか、古代中国の地上に流れる黄河であり、天空に流れる天の川を意味する「天河」を採用した天河神社は、天安河でもあると伝えている事から星の伝説を意識しての神社であろうし、天照大神と素戔男尊の誓約のシーンを紐解く重要な地なのかもしれない。

天の川鏡にうつす神なれや来る度毎に再拝しつゝ(円空)

この歌は、円空が何度か天河神社に来て詠んだ歌だと云うが「鏡に映す神」で思い出すのが、宗像の中津宮のある大島である。「古今集紫雅抄」によれば、筑前大島の中津宮の天の川に盥を浮かべ、その水鏡に映る織女と出逢い、神仕えになったとの伝承がある。水鏡に映る神は織女であり、それは奈良県の天川においては天女であるのだろう。そして「肥前國風土記」である。

姫社の郷、此の郷の中に川あり、名を山道川といふ。其の源は郡の北の山より出で、南に流れて御井の大川に會ふ。昔者、此の川の西に荒ぶる神ありて、路行く人、多に殺害され、半ば凌ぎ、半ば殺にき。時に、祟る由を卜へ求ぐに、兆へけらく「筑前の國宗像の郡の人、珂是古をして、吾が社を祭らしめよ。若し願に合はば、荒ぶる心を起さじ」といへば、珂是古を覔ぎて、神の社を祭らしめき。珂是古、即ち、幡を捧げて祈禱みて云ひしく、「誠に吾が祀を欲りするならば、此の幡、風の順に飛び往きて、吾を願りする神の邊に堕ちよ」といひて、便卽て幡を挙げて、風の順に放ち遺りき。時に、飛び往きて、御原の郡の姫社の杜に堕ち、更還り飛び来て、此の山道川の邊に落ちき。此に因りて、珂是古、自ら神の在す處を知りき。其の夜、夢に、臥機と絡垜と、儛ひ遊び出で來て、珂是古を厭し驚かすと見き。ここに、亦、女神なることを識りき。卽て社を立てて祭りき。爾より巳來、路行く人殺害されず。因りて姫社といひ、今は郷の名と為せり。

この姫社は今では七夕の神にもなっているのだが、それ以前は往来の人を殺す恐ろしい荒ぶる女神であった。その正体は、機織りに関する神である事から女神とわかるが、その神名は明らかになってはいない。しかし宗像の郡の人の珂是古は巫女であろうから、その巫女が幡を神の依代としての占は、宗像のみあれ祭りそのものである。つまり珂是古は宗像三女神の中で、機織りに関係する女神を姫社に祀ったという事である。その後に七夕神社となっている事を付け加えれば、この荒ぶる女神の正体は養蚕神でもあり、七夕に関係する神でもある。つまりそれは、中津宮に祀られる湍津姫神とみるべきである。

その中津宮のある大島だが、神社の関係者に聞いたところによれば、奥に隠れた禁足地があり、そこに妙見神を祀ると云うが、それは熊本の八代妙見とも関連するらしいが、八代よりも古い、妙見の原型とも云われる。妙見の女神は大亀に乗ってやってきたと云うが、その大亀(オオガメ)は何故か関東以北になると狼(オオガメ)となり、また白馬と変化する。その妙見と七夕と、そして天女に結び付く神が宗像の湍津姫神であり、天照大神の荒御魂となる瀬織津比咩という事になる。
by dostoev | 2014-07-24 00:15 | 鉄の蛇 | Comments(2)

鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の二十八

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天女を調べていると誰もが気付くとは思うが、七夕伝説に似通っている。水辺を中心とし、天女という織女が男と出逢って別れる図式は、七夕伝説と言っても良いほどだ。天女伝説の定着は王朝時代(奈良時代~平安時代)とされているが、弥生時代の銅鐸に紡いだ糸を巻く桛を持つ女性が描かれている絵を七夕と結び付けて考えられているが、それは天女伝説に結び付けても違和感が無いだろう。
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古代中国での天の川伝承の原型は、黄河か揚子江から発生したと云われる。天の川は天の河とも書き、それは古代中国の「天河」からきており、それは黄河の「河」が意識されている。黄河の水は天上より来て海に到り、再び天の河に戻ると云われている。これは、天の川と地上の川は繋がっているとの考えからだ。以前に紹介した常陸国の七夕磯もまた、二荒山(天)から神が降り、その磯(石)に影向するという伝説であり、これも古代中国思想の影響を受けたものであろう。

ところで天河で思い出すのが、奈良県吉野郡天川村に鎮座する天河神社だ。菊池展明「円空と瀬織津姫(下)」には、その天河神社に関する記事があり、天武天皇七月の勅命に、こう記されていると。

「弥山山頂に祀る天女を麓に移し、大神殿を造営し、吉野総社となして祭れ」

まず、山頂を天と見做しているという意識がわかる。謡曲「羽衣」でも、天女の坐すところは月宮殿であり、元は天上界であった。その天とは天空でもあり、その天空に聳える山でもある。その天女を麓に移して祀った天河神社には七夕神事があり、大峯山の神が牛頭天王と年に一度の逢瀬を果たすというもの。現在、天河神社は弁財天が祀られているが、弁財天女でもある。「神振山伝説」によれば、弥山山頂の天女が示現し袖を振りながら五色の雲に乗って高く舞い上がって行くという奇端を感得したとあり、天女伝説と七夕伝説の融合を、この天河神社に見出す。更に付け加えれば菊池展明「円空と瀬織津姫(下)」では、この天河神社の祭神の本来は、天照大神荒御魂であり瀬織津比咩であったと結んでいる。

天の川安の川原に定まりて神競は時待たなくに(柿本人麻呂)

菊池展明は、天河神社の創始を上記の柿本人麻呂の歌と同じ年であると解いている。それは素戔男尊と天照大神の誓約場面を意味しているとし、それは宗像三女神の誕生の場面でもある。宗像三女神の湍津姫神は瀬織津比咩である事は明らかになっているが、その湍津姫神を祀る宗形の中津宮のある大島には天の川があり、その天の川の両岸には織女宮と牽牛宮という小さな祠が祀られている。更に、その大島には禁足地があって、そこは妙見を祀っているのだと。つまり宗像三女神の中で一番、星信仰と深い繋がりのあるのは湍津姫神であり、瀬織津比咩という事になるのだろう。
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天女伝説は王朝時代に定着としてはいるが、これが七夕伝説と融合するものであるなら、それは先に紹介した弥生時代の銅鐸に描かれた織女の絵から、どこまで遡るのかはわからないが、天女の原型らしきが「捜神記」に記されているという事は、4世紀には既に天女伝説は定着していたと考えて良いだろう。古代中国の神仙思想は霊山と結び付くものが多い事から、山頂にいる女神は天女であるが、「神振山伝説」はその表現から、更に仏教思想が融合しているのがわかる。それ故に、天河神社に祀られる天女は瀬織津比咩ではなく、弁財天女となったのは理解できる。

月であり太白であり妙見であり北辰は、厳密に言えば、月・金星・北極星・北斗七星などであるが、いつしか混同し、全てが星の信仰として統合されたようであった。多面的な姿を誇る瀬織津比咩ではあるが、やはり本来は水神であり、その水を神聖視した人々によってあらゆるものに組み込まれていったのだろう。逆に言えば、多様性を持つ瀬織津比咩である為に、その姿を消すという事は「記紀」において、多くの神々を誕生させなければ、その失った穴を埋める事が出来なかったという事だろう。考えてみれば、水に対する意識とは全国共通であり、その水を支配する水神が乱立するなど有り得ないだろう。神社の根本は、彦神と姫神から発生している。神社で柏手を打つのは本来四拍とされているのは、例えば「お~い、お茶!」と言ってパンパンと手を叩くのは、一人を呼ぶ為の仕草である。それを、出雲大社と同じくパンパン、パンパンと四拍するというのは、彦神と姫神の二柱の神を呼ぶ為でもある。陰陽とは男と女であり、それは火神と水神である。その原初である火神と水神がバラバラにされた為、「記紀」では整合性を取る為に、多くの神々を誕生させたという事だろう。
by dostoev | 2014-07-21 22:05 | 鉄の蛇 | Comments(0)

鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の二十七

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天女の話をしよう。伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大神は、丹後国に降り立った御饌都の天女として連れてこられた。それでは、その豊受大神はどこから飛来したかというのが謎ではあったが、常陸国の「我国間記」には、常陸国から丹後国経由で伊勢神宮に行った事になっている。その信憑性には疑問符が残るものの、それ相応の伝承なり、神がいてこその「我国間記」の一文であろう。

天女の羽衣とは「古語拾遺」によれば、衣服の古語を白羽と云い、その「古語拾遺」によれば、天照大御神が天岩屋に隠れた時、麻を植えて青和幣を作った神で、その神名を天白羽神という。この天白羽神は以前、天白神でもあるとし、金星を意味する太白神つまり香香背男でもあろうとした。常陸国久慈郡には、養蚕の神社として天羽槌雄神を祀る静神社と、天白羽神を祀る天志良波神社とがある。この天羽槌雄神と天白羽神が「古語拾遺」では、並んで仲良く天照大神を天岩戸から出す為に協力しているのは、倭文氏と忌部氏の関東進出があっての事だと云う。しかし、静神社に祀られる神は倭文氏の進出以前は天手力雄神であり、それ以前は蛇神であった。そして、天志良波神社に祀られる天白羽神も、香香背男であり瀬織津比咩ともなる養蚕神にもなる。蛇神は養蚕における蚕を喰い破る鼠を捕食する事から養蚕の神にもなっている。つまり、静神社も天志良波神社も、それを祭祀している倭文氏と忌部氏の影響を受けて、祀る祭神が決められたのだろう。しかし、それ以前は秦氏が信仰する神を、秦氏の没落によって忌部氏と倭文氏がそれを受けて、神名の交代があったと思われる。それは、倭文織物(シズオリモノ)を古代では「志豆波多(シズハタ)」という事から、それは本来秦氏に関係するものが、後に秦氏が消え倭文氏に移行したという意味だろう。また、静神社の祭神が鹿島神宮の高房社に祀られているというのも、高房の房は恐らく麻の意だろうから、忌部氏の進出と倭文氏の繋がりの深さを意味している。
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遠野の清瀧姫の伝説は、群馬県桐生市の白滝姫伝説の影響を受けてのものだと以前に書いた。琴畑渓流にある白滝と、その白滝を祀る白滝神社(または清瀧神社)の祭神は瀬織津比咩であった。この琴畑という地名は、この地に移住した秦氏が畑仕事の合間に琴を奏でた事からの地名であると云う。また、この琴畑渓流沿いに伝わるマヨヒガ伝説に登場する朱塗りの椀は、遠野に朱塗り文化が無い事から、秦氏の持ち込んだ伝説だと云われている。つまり、白滝と白滝神社もまた秦氏との関係が濃厚で、桐生の白滝姫伝説にも秦氏の影がある事から、祭神の瀬織津比咩を含む白滝は養蚕を意味するものであろう。それ故に、この白滝神社に祀られていた瀬織津比咩は、明治時代に土淵町五日市の倭文神社に合祀されたのは、当然の流れであったろう。
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天女伝説を調べると、やはりその起源は古代中国へと行き着く。元は神仙思想に基づくもので、日本での王朝時代には、既に影響を与えていたようだ。天女伝説には白鳥が登場するが、古代の白鳥とは鷺であったり鶴であったり、そのまま白鳥でもあった。要は大型の白い鳥は全て白鳥と見做されたようである。ところが、古代中国「列仙全傳」によれば、白鳥では無く白龍にのって飛行するとある。その白龍の仲間として白鳥も登場し、その中の白鵞の空から堕ちるのに「劉女これに乗って去る。」事が天女伝説の原型に近いか。その後の「捜神記」では、最も日本の天女伝説に近い話が掲載されている。それは仙女が鶴に化すものであり、単なる天女伝説に留まらず「三光を観見し、北斗に遭う。」という星の信仰と繋がっている。この話の伝播は、古代ギリシアから古代中国を経ての流れであろうとされている。

熊本県の阿蘇山を中心とする周辺にも天女伝説は多くあり、その中に田鶴原は湿地帯で鶴が舞い降り、健磐龍命は鶴に乗って天空を駆けたとの伝説があった。これは恐らく、劉女が白龍に乗って天空を駆けるという古代中国の伝説の影響を受けているものだろう。龍であり蛇は、首の長さと魚を丸呑みにするその姿と動きが水辺の白鳥に似通っている事から同族とされていた。つまり健磐龍命が鶴に乗って天空駆けたのは、日下部吉見の龍蛇神を捕まえた事にかかる伝説だろう。そしてそれは、現在でも行われている御前迎えの神事に繋がって来るものであろう。また、阿蘇神社の家紋が、鷹とは別に舞鶴をも採用しているのは、天女を鶴に見立ててのものであろう。
by dostoev | 2014-07-20 20:39 | 鉄の蛇 | Comments(0)

早池峯神楽の夜(2014.07.17)

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by dostoev | 2014-07-18 06:07 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の二十六

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二荒山を中心とする信仰が、どことなく阿蘇の信仰に似通っていると書いたが、その二荒山を遠望する平野部は毛野国に属していた。毛野国は、初期の大和政権の成立し、それらの勢力が東国に進出したのが4世紀前半以降であろうとされている。つまり謎の4世紀に属する時代に氏族の進出があったわけだから、正確にはわからない。ただその頃には既に阿蘇という地名はあったのは確かである。また気になるのは偽書と云われる「東日流外三郡誌」に登場する阿蘇辺族だ。何故「アソ」という名の付く部族名になっているかという事。自分は、「阿蘇の部族(アソノブゾク)」の転訛が「阿蘇辺族(アソベゾク)」になったのでは?と思ってしまう。

遠野には、早池峯を中心とする不地震の森の伝説が広がっている。古代に、安住の地を求めて移住した部族がいたのでは無いかととも云われるのだが、九州の地には動乱もあり、そして阿蘇山の噴火もあり、それを恐れた民族の移動の可能性も否定できないだろう。実際、遠野には今でこそ姓を変えたが、過去には阿蘇氏を名乗っていた家もある。また菊池氏もそうだが、阿蘇の自然と信仰を受けた一族が東北に移り住んでする。
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例えば岩手県には、菊池神社が一ヶ所だけある。そこに住む人は明治時代に移り住んだそうだが、その時に九州の菊池神社の神を分霊してもらい、今の地に祀ったという。
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その神とは、水神姫大神と水神大神であった。現在の菊池神社の祭神は、菊池氏歴代の当主であり、こういう神霊を祀ってはいない。しかし現に、こうして分霊された水神を岩手の地に持ち込んで大事に祀っている事実がある。この水神とは恐らく、阿蘇の神であろうと思う。阿蘇神社の祭神は健磐龍命と阿蘇津比咩であり、どちらも水神の扱いになっている。そして、菊池氏と阿蘇神社の共通するものは、家紋である。

「違い鷹の羽」の家紋は、菊池氏よりも阿蘇神社で採用したのが古く、その由来は現在宮山であり、古くは鷹山という霊山で阿蘇権現(健磐龍命)の月馬が遊んでおり、阿蘇権現はその馬を鷹山の地主神吉松神に献上したという。その吉松神とは日下部吉見神の事であるそうだ。水神を祀る日下部吉見の娘を娶った阿蘇権現(健磐龍命)であるから、阿蘇の地を征服した健磐龍命が和平の名の元に、地主神の娘を貰い娶ったという事になろう。つまり、阿蘇地域は元々日下部吉見の水神を祀る地域であったという事になる。阿蘇神社の神事に御前迎えというものがあるか、その姫神の依代となる御神木を採りに(迎えに)行くのが鷹山であるそうだ。その鷹山にちなんで出来たのが、違い鷹の羽紋であるようだ。

「菊池氏要略」の年表を見ていると、菊池氏は寿永四年(1185年)に家紋を日足紋から揃鷹羽紋に改むとある。日足紋は元々日下部氏の家紋であり、太陽の光が後光のように差している図柄で、この後光の光を「足」と見立ててのもののようだ。つまり日下部氏は「日」を奉じる氏族であり、その後裔の菊池氏もまた「日」を奉じる氏族であるのだ。熊本の菊池郡を「菊池郡市神社誌」で読み調べてみると、殆どが阿蘇の神を祀っている。違い鷹の羽家紋が元々日下部吉見の霊山からきているものであるなら、日下部氏は日足紋と共に違い鷹の羽紋も持っていたという事。家紋の表紋、裏紋を持っている氏族は珍しいものではない。その日下部氏と繋がる菊池氏が違い鷹の羽紋を使用するのに、同族であるから何ら問題は無い。
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阿蘇家であり阿蘇神社の違い鷹の羽紋は、権威の象徴であるという。それはある意味、鷹を権威としていた日下部氏を支配した事による鷹山という聖地奪取の象徴としての違い鷹の羽紋であったか。実際、蝦夷征討の過程で、支配した地から次々に朝廷へ、幕府へと鷹を献上する例が江戸時代まで続いたという。遠野では、織田信長に小友町の鷹鳥屋の鷹を献上した話が有名である。つまり、鷹を献上するとは権威の失墜でもあるのだろうか。その鷹を献上するという事例の一番古くは、紀元前での菊池氏と繋がる日下部氏の地であった阿蘇地方が健磐龍命に支配されたという事になる。そして、何故に蝦夷国で支配されるたびに、鷹が献上され続けて来たのか。それは、古代に阿蘇地方から逃げ延びて住み付いた人間を、朝廷側が理解していた為では無かろうか。それが「東日流外三郡誌」で云う阿蘇辺族・・・つまり、阿蘇の部族ではなかったか?それは、阿蘇の部族に伝えられる征服された古代の記憶を呼び覚ます行為が、鷹の献上であったのかもしれない。
by dostoev | 2014-07-16 21:47 | 鉄の蛇 | Comments(0)