遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
このガイドには、そんなに..
by dostoev at 10:35
良いなあ〜。 夜のガイ..
by soma0506-yca at 09:32
死んだら魂は山へ…という..
by dostoev at 05:03
そうなのですね。 確か..
by soma0506-yca at 22:03
あ…「6つ3合う」ですね..
by dostoev at 17:09
日本人は良くも悪くも言葉..
by dostoev at 17:03
凄く面白いですね。 6..
by soma0506-yca at 16:15
なるほど。ありがとうござ..
by 秩父まほろば at 09:49
西の真言、東の天台と云わ..
by dostoev at 06:12
こんにちは。 円仁の話..
by 秩父まほろば at 17:57
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2014年 03月 ( 22 )   > この月の画像一覧

春の進み具合

f0075075_16445413.jpg

アズマイチゲの群生も見付けた。春の進みを感じる遠野であった。
f0075075_1645475.jpg
f0075075_16451576.jpg

f0075075_16574299.jpg

f0075075_1645262.jpg
f0075075_16453651.jpg

by dostoev | 2014-03-31 16:47 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

雨上がり

f0075075_1248598.jpg

昨日は一日、かなりの雨が降った。今日は、風は強いものの晴れ間が見える。それでも午前中、場所によってはにわか雨が降った場所もあったようだ。車を走らせていると、何やら道路を急ぎ足で進む動物がいる。猫か?とも思ったが、よく見ると狐だった。尻尾がすっかり濡れたのか、フワッとした狐の尻尾のイメージではなく、濡れて尖がったような尻尾だった為に、猫と見間違ったようだ。
f0075075_12513882.jpg

風通しの良い樹上にはつがいの鳥が、パタパタとせわしなく動き回っていた。
f0075075_12532846.jpg

昼に向けて花開く福寿草にも、通り雨の滴がついていた。
f0075075_12544425.jpg

日差しが出ると、イヌフグリに付着した水滴が輝く。
f0075075_12545970.jpg
f0075075_1255760.jpg

by dostoev | 2014-03-31 12:57 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

「遠野物語83(草分けの家)」

f0075075_16141251.jpg

山口の大同、大洞万之丞の家の建てざまは少し外の家とはかはれり。其図次の項に出す。玄関は巽の方に向へり。極めて古き家なり。此家には出して見れば祟りありとて開かざる古文書の葛籠一つあり。

                                  「遠野物語83」

f0075075_1620476.jpg

この大洞万之丞家の話は「遠野物語14」「遠野物語69」にも紹介されており、オシラサマの草分け的な家でもある。この家からオシラサマが三体作られ、それが分散したというのは、どこか遠野三女神伝説を彷彿させる。姉神であるオシラサマがこの大洞万之丞家にあるというのだが、それは三女神のうち、六角牛の女神を意識してのものではなかったか。

文中に「玄関は巽の方に向へり。」とあるのだが、「注釈遠野物語」にも記されているように「遠野の曲り家は原則的に南向きで、玄関も南面し、風よけの意味もあって厩を西側に作る。地形によっては東側に厩を置く例もある。」としている。この大同の大洞万之丞家の方向から東南を見ると、六角牛が聳えている。玄関が六角牛に向けて建てられているというのは、まるで六角牛の何かを受け入れる為、意図的に建てられた可能性もあるのではなかろうか。大同と隣接する山口部落では、六角牛から「モンスケ婆が来る!」とか「ヤマハゝが来る!」「狼が来る!」などと子供を諌める話が伝わっているのは、山は異界であり、恐ろしいモノの棲む地であるという意識からだ。ところが、その六角牛に向けて玄関を作ったというのは、何かを受け入れるという意味ではなかろうか。それがオシラサマの姉人形があった大洞万之丞家であるから、三女神のうちの六角牛の女神を受け入れようと意図して巽の方角へ玄関を向けたのではないか。三体あったオシラサマを分けたのは、どこかで三女神伝説を継承し、オシラサマに結び付けたものと考える。巽の方角は、辰と巳の間で、龍神でもある六角牛の女神との関連が深い意味もあるのだ。

また「開かざる古文書の葛籠」だが、「遠野物語拾遺141」には宮家の「開けぬ箱」が伝わっており、それとは別に遠野の汀家にもまた似た様な「開けぬ箱」が伝えられていた。全てが共通する意図を含んでいたとは考え辛いが、やはり公に出来ぬ内容が記されていたのだろうと察する。しかし結局、その中身がどのようなものであったのかは、わかっていないようだ。宮家と汀家の中身はわかっているだけに、大洞家だけがわかっていないのは重ね重ね残念である。
by dostoev | 2014-03-30 17:04 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(9)

「遠野物語78(来訪神)」

f0075075_2072753.jpg

同じ人の話に、家に奉公せし山口の長蔵なる者、今も七十余の老翁にて生存す。曾て夜遊びに出でゝ遅くかへり来たりしに、主人の家の門は大槌往環に向ひて立てるが、この門の前にて浜の方より来る人に逢へり。雪合羽を著たり。近づきて立ちとまる故、長蔵も怪しみて之を見たるに、往還を隔てゝ向側なる畠地の方へすつと反れて行きたり。かしこには垣根ありし筈なるにと思ひて、よく見れば垣根は正しくあり。急に恐ろしくなりて家の内に飛び込み、主人にこの事を語りしが、後になりて聞けば、此と同じ時刻に新張村の何某と云ふ者、浜よりの帰り途に馬より落ちて死したりとのことなり。

                                  「遠野物語78」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
田尻家での幽霊騒動は、かなりあったという。ここで登場しているのは雪合羽を来た人物が、幽霊ではないかとされている。合羽や蓑笠の格好、または深編笠を被った虚無僧の格好などは、その人也の顔が見えない為に不気味に感じるものだ。罪人や隠密行動をとる者にとっての格好のアイテムが蓑笠であり、深編笠を被る虚無僧の姿である。

小松和彦「異人論」の中に「マレビトと蓑笠」の項があり、そこで蓑笠=祖霊という考えが語られている。確かに、秋田のナマハゲなども、蓑を身に纏った年に一度だけ訪れるマレビトである。ただナマハゲは霊というよりも、リアルな物の怪としてのイメージが強いだろう。笠こそ被ってはいないが、代わりに鬼面を被り、やはり顔を隠している。年に一度訪れるマレビトは御歳神とも捉え、蓑笠の衣装は「山に生きた人々の日常の姿」とされ、山神との結び付きがあるとの考えを示している。吉野裕子「蛇」でも御歳神に触れており、出雲の正月の歌を紹介している。

正月さん、正月さん、どこからお出でだ。三瓶の山から。
蓑笠着て、笠かべって、ことことお出でだ。


その他にもいろいろな事例を出し、その共通点を下記の三点としている。

1.一本足である。
2.海、または山から来る。
3.蓑笠を付けている。

f0075075_20532687.jpg

奇しくも、蛇を祀るとされている綾織から小友へ抜ける小友峠に鎮座する二郷神社の社殿には、笠こそ無いものの蓑が飾られている。社殿内部が竜蛇に関連するもので溢れているのが二郷神社であった。吉野裕子は御歳神は蛇であると考えているが、確かに出雲での来訪神は海蛇とされている。まあ、この「遠野物語78」での雪合羽を着た者が蛇であるとするわけではないが、姿を隠す合羽でありマレビトの衣装である蓑笠に対して、定住民は、どこかで恐怖の意識を抱いていたのではないかと考えている。

最後に新張村の者が浜よりの帰り道に馬から落ちて死んだと結んでいるのは、山で死んだ者が雪合羽を着て現れたと感じている事に注目したい。馬から落ちてとあるが、落馬なのか、それとも馬共々崖下に落ちたのかはわからない。

例えば「佐野円次郎家文書」には、小川新道で1824年(文政七年)八月十三日に大雨洪水があり、遠野馬八疋死と記録にある。これは大雨による道の崩壊事故によるものだったらしい。また、笛吹峠では広い道は馬で行き、細い道は牛で行ったと伝えられるが、現在の車が通れる広い道ではなく、昔は足を踏み外せば崖下に転落するような狭い峠が多かったようである。

人は死ぬと、魂は山へと昇るとされる山岳信仰は、遠野でも根付いていた。山で死んだ者は、そのまま山神に魂を委ねるのだが、その魂が具現化し、来訪神として里に降りて来る場合は、それは生身の人間では無くなっている。有る場合は蛇であり、ある場合はナマハゲのような恐ろしい鬼となっている場合もあったのだろう。誰でも着る筈の合羽であり蓑笠ではあるが、果たしてそれを身に付けた存在が生身の者では無いと知った時の恐ろしさが、この「遠野物語78」で語られているのだと思うのだ。
by dostoev | 2014-03-29 21:22 | 「遠野物語考」70話~ | Comments(0)

今日は、花三つ

f0075075_16261186.jpg

芽吹いているのも春ではあるが、やはり花が咲いているのを見つけると嬉しくなる。今日は、花が咲いているのを、三つほど見つけた。一つはイヌフグリ。一つはハコベの花。一つは、あちこちで咲き乱れている福寿草だった。
f0075075_16282634.jpg

イヌフグリの花は、咲く場所によってなのか、色の濃淡が違った。同じ日当たりの良い場所に咲いてても、色の濃い奴と薄い奴が。
f0075075_16295260.jpg

ある場所のハコベの花も、やはり日当たりの良い場所にだけ咲いていた。
f0075075_16305111.jpg

ハコベの花は小さい花なので、僅かな風でもブレ、また手ブレもし易いので慎重に、慎重に…。
f0075075_16322248.jpg

小さな、イヌフグリやハコベの花に比べれば、福寿草は大きく、安定して撮影できるので楽。
f0075075_16374936.jpg

今は福寿草が咲き乱れているが、一か月後には桜に変わっているだろう。
by dostoev | 2014-03-29 16:38 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

「遠野物語85(白子)」

f0075075_746321.jpg

土渕村の柏崎にては両親とも正しく日本人にして白子二人ある家あり。髪も肌も眼も西洋人の通りなり。今は二十六七位なるべし。家にて農業を営む。語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。

                        「遠野物語85」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分が子供の頃にも、白子であろう人物はいた。名前も知らぬが、たまにみかける程度だった。確かに色素が薄いという印象だけで、顔は日本人であった。ただ、まつ毛なども白かったので、当初は違和感を覚えていた。

この「遠野物語85」を読むと、悪意を感じる先入観の記述であるように思える。例えば「正しく日本人にして白子二人ある家あり。」とあるのは、両親は二人とも日本人だが、何故に外国人みたいな子供が生まれたのか?という疑念を込めている。白子がいる家を紹介するだけなら「両親とも正しく日本人にして」の紹介は、要らない筈だ。つまり白子という異常を紹介しているのではなく、母親が外国人と密通したと云わんばかりだ。決定付けるのが、その後の記述「語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。」だ。つまり、白子という遺伝子疾患ではなく、密かに外国人の子供を産んだのでは?という疑念からの文章であろうと感じてしまう。

色が白いという事は、農作業をしている女性には有り得ない話だ。常に紫外線を浴びながらの作業は、顔はいつも日焼け顔で、白くなる事はまずなく、白く見せる場合は白粉で誤魔化す程度になる。であるから、顔が白い女性というのは、余程の家の奥方か姫様か、雪女という民衆にとっての特異な存在となる。つまり、この当時の基準は、男も女も色が日に焼けて黒いであるから、お姫様、雪女、白子、外国人は全て異人であるといっても過言ではないだろう。

ところで「注釈遠野物語」によれば、恐らく遠野の民衆が外国人の姿を見たのはオランダ船ブレスケン号の乗組員ではないかと記している。1643年(寛永20年)に、岩手県の山田町にオランダ船ブレスケン号が燃料と食料を求めて寄港した。しかし南部藩は、上陸した船長など10名を捕えて、大槌、遠野で泊った後に、盛岡へと送ったとある。南部藩は幕府の命を受けて、尾崎半島に外国船の監視所を置いたようである。しかしそれでも多くの、外国船を監視する事は不可能であったと思える。

天狗や山男が実は外国人では?という想像は、実際に嵐で難破した外国船が海岸線に流れ着き、しばらく滞在した後、村の娘などと交わったとの伝承は、全くの作り話とも思えぬ。それは、岩手県の久慈出身の母方の家系にも伝わっている。自分の母親の肌の白さは、外国人のそれに近いとも云われる。またその妹は、その風貌から、子供の頃からずっと「あいのこ」と揶揄され続けてきたという。言い伝えでは、難破して久慈沿岸に漂着したロシア人との血が入ったという事である。

昔は白い動物は神の使いとも云われるが、身近な人間の白い者は神では無く、どこか異人か魔物のように扱われたのかもしれない。せいぜい皇族である白髪大倭根子命という名の清寧天皇が白子であったようだ。ただ神の血筋である皇族である為に、天皇として祭り上げられた。これが庶民であったならば、ただはじかれただけであったろう。
by dostoev | 2014-03-29 08:55 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(2)

春模様(2014.03.28)

f0075075_14225535.jpg

元旦以来だろうか?本当に、久しぶりにカメラを手にして外に出てみた。春の陽気に誘われたというのもある。田んぼは、雪融けの水が溜まって、まるで田植え前の水を引いた状態にも見えた。
f0075075_14244093.jpg

早ければ1月に、雪を掘れば目にするフキノトウが、かなり芽吹いていた。
f0075075_14264214.jpg

さっそく、フキノトウでも食べようかと、撮影した後に採集した。
f0075075_14345366.jpg

この時期になると、福寿草は満開となって、あちこちに咲いていた。
f0075075_14273236.jpg

f0075075_1430784.jpg

あちこちの福寿草には、やはりミツバチがその蜜を集めに集まっていた。
f0075075_14302647.jpg

そいて、福寿草以外の花が咲いているのも発見。
f0075075_1431090.jpg

花が咲けば水側も、暖かく感じるものだ。
by dostoev | 2014-03-28 14:32 | 遠野の自然(春) | Comments(0)

「遠野物語43(大熊)」

f0075075_1615474.jpg

一昨年の遠野新聞にも此記事を載せたり。上郷村の熊と云ふ男、友人と共に雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分して其跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてゝ熊に抱へ付き雪の上を転びて、谷へ下る。連の男之を救はんと思へども力及ばず。やがて谷川に落入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打執りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

                                  「遠野物語43」

f0075075_164089.jpg

上郷村仙人峠は今は篠切りの季節にて山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出し仝村細越佐藤末松を先頭に七八人の猟夫等沓掛山をまきしに子連れの大熊を狩出したれば狙ひ違はず二発まで見舞たれども斃るゝ気配のあらざれば畑屋の松次郎は面倒臭しと猟銃打ち捨て無手と打組みしも手追ひの猛熊処きらはず鋭爪以て引掻きしも松次郎更にひるまず上になり下になり暫が間は格闘せしも松次郎が上になれば子が噛み付くより流石の松次郎も多勢に無勢一時は危く見えしも勇を鼓して戦ひしに熊も及ばずと思ひけん松次郎打ち捨てゝ逃げんと一二間離れし処を他の猟夫の一発に斃れしも松次郎の負傷は目も当てられぬ有様にて腰より上は一寸の間きもなく衣類は恰もワカメの如く引き裂かれ面部に噛み付かんと牙ムキ出せばコブシを口に突き込みし為め手の如きは見る影もなき有様にて今尚ほ治療中なりと聞くも恐ろしき噺にて武勇伝にでも有り相な事也。

                    「遠野新聞(熊と格闘)」明治39年11月20日

f0075075_1751078.jpg

「注釈遠野物語」に、「遠野物語43」の元記事である「遠野新聞」に掲載された記事が紹介されていた。「遠野新聞」は明治39年に発刊された地方新聞で、一部は壱銭五厘、六か月契約で八銭、壱ヶ年契約で参拾参銭という料金で、その当時の米壱俵が四拾銭であった事から、1年契約で米一俵分より、若干安かった料金であった。

まず、「遠野物語43」の話は、剛の者が熊と対等に戦ったような話になっているが、実際は戦った男は、かなりの痛手を負ったという事がわかる。また場所も、六角牛山では無く、仙人峠となっているのも、これを伝えた佐々木喜善の問題となろう。ところで仙人峠といえば、平成になるかならないかの頃「牛みたいな大きな熊」が出たとされ、一時期、釣り人が恐れて近寄らなくなった事があったが、真相は定かでは無い。また近年土渕の琴畑にも、かなり大きな熊が出没したが、無事に撃ち取られたという話を聞いた。

たまに聞く「大~」というものだが、例えば大蛇などという話を昔話としてかなり聞くが、現代人にとっての大蛇とは、アナコンダとかニシキヘビなどの、日本には生息しない大蛇のイメージが真っ先に浮かぶ。ところが日本での大蛇とはアオダイショウが一番大きく2mくらいになり、太さもかなりのものになる。普段、シマヘビやマムシを見ている中で、急にアオダイショウを見れば「大蛇だ!!!」となるのではなかろうか。恐らく、当時と現代では"大蛇の概念"が違うものと考えてしまう。熊もまた、座っていればあまり大きくは感じないものの、眼の前で立ち上がり威嚇した場合、それを目の前にした人間は恐怖の余り「大熊だ!!!」となるのではなかろうか。

とにかく熊は立っても、せいぜい150㎝程度の身長となるが、体重は100キロを超え、筋力もまた人間の筋力を超越する存在であって、人間が勝てる相手ではない。ただ、たまに秋田県で熊と戦って勝ったという新聞記事を目にする事がある。秋田県での、熊に勝った方法とは、相手の力を利用した柔道の巴投げや、レスリングの似たような利用する技によって、熊の気持ちを殺いで勝ったとしていた。熊とまともに戦ったら、やはり勝てる相手では無いのだ。
by dostoev | 2014-03-27 17:53 | 「遠野物語考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語92(早池峯への道程)」

f0075075_13104355.jpg

昨年のことなり。土渕村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り麓近くなる頃、丈の高き男の下より急ぎ足に昇り来るに逢へり。色は黒く眼はきらきらとして、肩には麻かと思はるゝ古き浅葱色の風呂敷にて小さき包を負ひたり。恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、小国さ行くと答ふ。此路は小国へ越ゆべき方角には非ざれば、立ちとまり不審する程に、行き過ぐると思ふ間もなく、早見えずなりたり。山男よと口々に言ひて皆々遁げ帰りたりと云へり。

                                 「遠野物語92」

f0075075_1621960.jpg

「注釈遠野物語」によれば、この話を提供したのは土淵小学校校長鈴木重男(1881~1939)であったという。小学校の校長であるから、子供達から実際に早池峯へ行き、山男らしきと遭遇した話を聞いたのであろうとは思える。ただ「注釈遠野物語」にも書いている様に、土渕の早池峯参道から歩いたとしても一昼夜はかかる。ましてや、小学生の子供達の足でとなると、疑問に思うのが普通だ。ただしだ、早池峯というスケールをもっと大きく見積もれば、あながち嘘では無いのかとも思える。通常の早池峯山への道は、古参道通りに歩いて、早池峯神社経由で行くのが普通なのだろう。そうなればまず、子供足ではどう考えても無理だと思う。しかし、早池峯山ではなく、早池峯として考えた場合、例えば前薬師という名称からわかるように、早池峯があってこその薬師である。つまり、薬師もまた早池峯に属する山であると考える。

そして、現在の荒川高原へ向かう道もまた、早池峯への道となる。途中には不動明王を祀る神社があり傍には渓流と不動の瀧がある。修験者は、川沿いの道を開発して奥へと進み、途中にあった滝や大岩に大抵は「不動」という名前を付けて進んでいった。

荒川の不動明王を祀る神社の背後は萬幡(ヨロズバタ)という地名がある。そして何故か、早池峯であり薬師岳の麓にある又一の滝へと向かう途中もまた萬幡という同じ点名がある。この点名は古来からの呼称を、そのまま採用したようだ。又一の滝は、早池峯山と共に早池峯神社の御神体の一つでもある。つまり又一の滝も早池峯の山麓でありながら早池峯に属する地である。そういう意味から考えれば、荒川の不動明王を祀る神社と滝のある地もまた、早池峯に属する地と考えて良いのではなかろうか。
f0075075_16204198.jpg

土渕から、早池峯山までは歩いた事は無いが、果たしてどれだけかかるのだろうか?通常であれば、どこかで一泊して進むというのが一般的であろう。以前の冬、耳切山の中腹に車を止めて雪で埋まった道沿いを歩いて荒川高原の馬の放牧地まで歩いて行った事がある。雪のせいで難義した為に、車から往復8時間かかった。これが雪の無い道であれば、その半分で済んだであろう。それでは同じ8時間をかけて歩くなら、土渕の早池峯古参道跡の鳥居から、荒川までは恐らく往復8時間程度で済みそうな気がする。明治時代に水筒があったかどうか定かでは無いが、必要なのは水である。耳切山経由では、水場が道沿いには無い。ましてや、明治時代に道路が開発されていたのかも定かでは無いが、附馬牛町から進む荒川の道は、先に記した様に川沿いを山伏が開発した道であり、明治時代であるのならば当然、道もあった筈だ。土渕の早池峯古参道跡から附馬牛の町までは、歩いても1時間以内で歩ける距離にある。そこからは、いつでも水を飲む事が出来る、荒川渓流沿いの道を進むのが、子供達にとっても合理的な道であると思う。
f0075075_16285754.jpg

平成の初期に、荒川高原の道は舗装道路となり、タイマグラ経由で小国まで道が開発された。それ以前はでこぼこ道で、車で行くのにも、かなり難義した。そしてその途中、小国と小田越方面への分岐路がある。その分岐路まで歩くとしたならば、日の出前に歩き始めれば、休憩を数度交えても、昼までには到着するものと思える。であれば、小田越方面へとそこから進めば、早池峯登山口までの行程は可能であろう。その帰りの分岐点辺りで山男らしきと遭遇し、小国へ行くという言葉とは裏腹な方向へと進んだとしても、あの附近であれば、麓に近いという供述は納得できるものだ。よって土渕村の子供達は、荒川高原経由で早池峯山まで行ったであろうが、恐らく登山口まででは無かっただろうか。
by dostoev | 2014-03-26 16:49 | 「遠野物語考」90話~ | Comments(0)

瀬織津比咩と葬頭河婆

f0075075_16202115.jpg

山口より柏崎へ行くには愛宕山の裾を廻るなり。田圃に続ける松林
にて、柏崎の人家見ゆる辺より雑木の林となる。

愛宕山の頂には小さき祠ありて、参詣の路は林の中に在り。登口に
鳥居立ち、二三十本の杉の木立あり。其傍には又一つのがらんとし
たる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山
の神出づと言伝ふる所なり。

和野の何某と云ふ若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りし
に、愛宕山の上より降り来る丈高き人あり。誰ならんと思ひ林の樹
木越しに其人の顔の所を目がけて歩み寄りしに、道の角にてはたと
行逢ひぬ。

先方は思ひ掛けざりしにや大に驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、
眼は輝きて且つ如何にも驚きたる顔なり。山の神なりと知りて後を
も見ずに柏崎の村に走り付きたり。

                                   「遠野物語89」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
和野にジャウヅカ森と云ふ所あり。象を埋めし場所なりと云へり。此所だけには
地震なしとて、近辺にては地震の折はジャウヅカ森へ遁げよと昔より言ひ伝えた
り。此は確かに人を埋めたる墓なり。塚のめぐりには堀あり。塚の上には石あり。
之を掘れば祟ありと云ふ。

                                 「遠野物語113」

f0075075_1645187.jpg

葬頭河(ショウヅカ)婆(奪衣婆)は、三途川の畔に居て、亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼であるという。柳田國男「石神問答」では、この葬頭河婆を含んで「ソウズ」「ショウヅカ」は「障塚(サエの塚)」の意では無いかとしている。「障塚(サエの塚)」は、つまり塞ノ神の事であり、境界を表す。これは「古事記」において、この世と黄泉の国を千曳岩によって遮った事から伝わるものである。ここで思い出すのは「遠野物語8(サムトの婆)」である。菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」で書かれている様に、サムトの婆が来るたびに暴風雨が吹き荒れ、村は被害を被る為に、山伏などを頼み、里と六角牛山の間に結界となる石塔を建てたと云う。これはつまり、山である異界とを塞ぐ「古事記」で言えば千曳岩である。

そして、その「象坪」であり「ジョウヅカ」という「葬頭河婆」に類似した語句の登場する「遠野物語89」と「遠野物語113」を良く読むと、「遠野物語89」では「堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。」と記され、「遠野物語113」では「塚の上には石あり。」とある。「山神の碑」は、山神に遭ったか、山神の祟りを受けた場所である。つまり、山神の棲む異界との境界に建つ石だと思えばよい。また「遠野物語113」の塚の上の石は、これより先がジヤウヅカ森であり、地震の来ない異界であるという意味だろう。そういう意味では、柳田國男の「障塚」という説は正しいのだと思う。
f0075075_17295518.jpg

画像は、遠野で唯一存在する「祓戸大神」と刻まれた石碑。

この葬頭河婆は、しばしば早池峯大神である瀬織津比咩と同一視される。それは恐らく、亡者の衣類を剥ぎ取る行為そのものが、「禊」であり「身殺ぎ」である事から混同されたのだろう。滋賀県の佐久奈度神社に祀られる瀬織津比咩は祓戸大神として祀られている。禊とは、水の浄化作用を期待してのものであるから、水神であり穢祓の神である瀬織津比咩にとっては当然の事であろう。また身殺ぎも、蛇の脱皮を意味し、古い抜け殻を脱ぎ捨て新たな生命を得ると云う蛇の脱皮との結び付きがある。龍神(蛇神)でもある瀬織津比咩は、それとも結びついた。

この佐久奈度神社の瀬織津比咩は元々、桜谷に祀られる桜谷明神であり、その桜谷は黄泉との境界でもあったようだ。地域の伝承や「宇治拾遺物語」でも、黄泉国へと引き込まれそうな地が桜谷であった事から考えれば、この世と黄泉国の境界に鎮座していたのが瀬織津比咩という事なのだろう。となれば、あの世とこの世を分け隔てる三途の川にいる葬頭河婆と、ほぼ同じ意味合いを持っている。そう考えれば、伊弉諾が千曳岩から離れ、中津瀬で禊を果たして生まれた八十禍津日神が瀬織津比咩の異名であると考えれば、三途の川傍にいる葬頭河婆が瀬織津比咩と混同されるのは当然の事である。ただ、方や神道系の女神であり、方や仏教系の鬼であり妖怪の違いはある。
f0075075_17533493.jpg

柳田國男曰く「妖怪は、神の零落した存在である。」という言葉を考えれば、闇に蠢く妖怪であるが、神社の神事が本来夜に行われた事を考えれば、神もまた夜に蠢く存在であった。古代の一日の始まりは、太陽が沈んでからの事であった。つまりそれは人の一日の始まりを意味したのではなく、古代は神の一日の始まりを意味していた。それは夜を支配していたのは神であり、その神が零落したのが妖怪という事なのだろう。

「日本書紀」の岩戸から天照大神が出るシーンにおいて「即ち端出之縄(縄、亦云はく、左縄の端出すといふ。此をば斯梨倶梅儺波と云ふ。)界す。」とある。一般的に民衆が縄を作る場合、右綯いにするのだが、注連縄が左綯いにするのは、神前では左優先にする決まり事から来ている。礫川全次「左右の民俗学」によれば、確かに民衆は右を優先とし、例えば衣服を着る時に左前を禁忌としている。しかし、神前で前に進む場合は、左足から進み、右足は決して左足の前に出してはならないという禁忌がまたある。民衆に対するものと、神に対するものでは左右が逆転するという事だ。ジョーン・ハリファクス「シャーマン 異界への旅人」によれば「冥界、死者の領域は生ける者の世界とよく似ているものの、全てが逆さまに裏返っている。死は、生の反転である。」と説いているが、神々や死者の世界は、人間の世界と逆転した世界であるからこそ、神事とは人の寝静まる夜に行われていた。

葬頭河婆が闇の住人である鬼婆であるなら、瀬織津比咩もまた闇の住人である神であった。似通った存在である葬頭河婆と瀬織津比咩ではあるが、これを柳田國男に倣うならば、葬頭河婆とは、瀬織津比咩の零落した存在という事になろう。「零落」とは辞書によれば、「落ちぶれた事」であり「零落して見る影もなくなる」という意味となる。つまり、零落する以前は、光り輝いていた存在であるという事なのだろう。瀬織津比咩という神は、日本神話には登場しない神である。その存在は古代からあったものの、何故かその名前は「大祓祝詞」の中でしか見付ける事は出来ない。しかしその存在は、調べればその姿を垣間見る事ができる。しかし、いつしか見る影も無くなった存在であり、零落した存在なのかもしれない。葬頭河婆が瀬織津比咩とは言わないが、葬頭河婆がどのような思惑から創られたものなのかは、わからない。ただ想像主に悪意があったのならば、瀬織津比咩を葬頭河婆の様な醜くも惨めな存在に貶めたという可能性もあったのかもと考えてしまうのだ。
by dostoev | 2014-03-25 18:47 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)