遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNの落書き帳
外部リンク
最新のコメント
ありがとうございます、息..
by soma0506-yca at 10:17
soma0506-yca..
by dostoev at 21:11
観月祭の記事拝見させて頂..
by soma0506-yca at 10:41
下記のURLは、早池峯神..
by dostoev at 18:41
この早池峯神社山門の神像..
by dostoev at 18:39
数十年前に、旅の手帳とい..
by soma0506-yca at 06:56
doronko-ton..
by dostoev at 15:59
駒木の西教寺の開山年代が..
by dostoev at 15:58
お邪魔します。 インパ..
by doronko-tonchan at 15:30
天台に始まるという駒木の..
by 鬼喜来のさっと at 14:18
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2014年 01月 ( 20 )   > この月の画像一覧

「遠野物語101(死体を操る)」

f0075075_20422853.jpg

旅人豊間根村を過ぎ、夜更け疲れたれば、知音の者の家に燈火の見ゆるを幸に、入りて休息せんとせしに、よき時に来合せたり、今夕死人あり、留守の者なくて如何にせんかと思ひし所なり、暫くの間頼むと云ひて主人は人を喚びに行きたり。迷惑千万なる話なれど是非も無く、囲炉裡の側にて煙草を吸ひてありしに、死人は老女にて奥の方に寝させたるが、ふと見れば床の上にむくむくと起直る。胆潰れたれど心を鎮め静かにあたりを見廻すに、流し元の水口の穴より狐の如き物あり、面をさし入れて頻に死人の方を見つめて居たり。さてこそと身を潜め窃かに家の外に出で、背戸の方に廻りて見れば、正しく狐にて首を流し元の穴に入れ後足を爪立てゝ居たり。有合はせたる棒をもて之を打ち殺したり。

                                   「遠野物語101」

f0075075_2113449.jpg

狐は、死肉をも食べる陰獣ノイメージがあるが、死体を操り動かすという話は、他に例を見つける事が出来なかった。唯一「化物歌合せ」の中に、尻尾をクイッと持ち上げる事により、死体を操る狐を見い出した程度だった。これが化け猫であれば、クイッと手招きする事により死体を動かすというイメージがあるが、狐はあくまでも人に化けるか、人に憑くというイメージが主体だ。

古代中国では「抱朴子」「狐寿八百歳也。三百歳変化して人の形と為る。夜、尾を撃ちて火を出す。髑髏を戴きて北斗を拝し、落ちざれば人に変化す。」また「百歳神巫と為る。」とあるので、狐は百歳から呪文を唱え、生き霊や死霊を呼び出して自分に乗り移つらす巫女の様な存在となると思われていた。歳を経た野狐や野干を紫と称し紫乃狐は、将に怪を為す巫女となった狐であったよう。北斗七星とは人の生死を司る存在でもあるから、狐が頭に髑髏を載せて北斗を拝するのは、人の生命力を手に入れる手段であろうか。験力を現すという髑髏本尊は真言宗で有名だが、天台宗にも似た様なものがある。つまり狐の霊力は、密教の髑髏本尊と何等かの繋がりがあると考えて良いだろう。

しかし「遠野物語101」での狐は、ただ覗いているだけで死体を動かしている。「五雑爼」「狐千歳にして始めて天と通じて、魅をなさず。その人を魅するには多くの人の精気を取りて以て肉丹となす。然れば即ち甚だしく婦人を魅せざるは何ぞや。曰く狐は陰類なり。陽を得て乃ち成る。」とあり、死体を動かす程の狐とは千歳をも過ぎた老狐であったのだと思えるが、すぐにその正体を見破られ殺されてしまうのは、やはり畜生であったと言いたいのが「遠野物語101」でもあるのだろう。

また重要なのは、起き上がった死体に胆を潰しながら心を鎮め冷静になった男の心であろう。映画「砂の惑星」「恐怖は、心を殺し全てを無にする。」というセリフを唱え、恐怖に打ち勝った主人公であったが、「遠野物語101」でも、その恐怖に打ち勝つ強い心が大事であるとも説いている。しかし…悪戯をした狐を簡単に殺してしまう話が多い「遠野物語」は、この現代となっては少々残酷であると感じてしまうのだ…。
by dostoev | 2014-01-25 05:46 | 「遠野物語考」100話~ | Comments(0)

「遠野物語105(満月と云う鏡)」

f0075075_195060.jpg

又世中見と云ふは、同じく小正月の晩に、色々の米にて餅をこしらへて鏡と為し、同種の米を膳の上に平らに敷き、鏡餅をその上に伏せ、鍋を被せて置きて翌朝之を見るなり。餅に附きたる米粒の多きもの其年は豊作なりとして、早中晩の種類を択び定むるなり。

                                   「遠野物語105」

f0075075_19143576.jpg

「遠野物語103」「遠野物語104」「遠野物語105」を読んでいると、小正月と満月を組み合わせて語られているようだ。ただ「遠野物語105」には"満月"という言葉は出てこないが、鏡が登場する。正月の鏡餅は蛇のとぐろを巻いた形ではあるが、鏡そのものは満月を象ったものでもある。

鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめずらしみ 思ほしし 君と時々

まそ鏡 照るべき月を 白たへの 雲が隠せる 天つ霧かも

吾が思ふ妹に まそ鏡 清き月夜に  ただ一目 見するまでには


三浦茂久「月信仰と再生思想」によれば、まそ鏡が月である事を意味するならば、太陽神である天照大神との整合性が取れない為に、まそ鏡は月であるという見解は避けられてきたようだ。しかし「万葉集」の歌から見ても、鏡は月と並べて詠われ、太陽とは結び付いていない。「まそ鏡」は「真澄の鏡」の意であり、ギラギラと輝く太陽に澄んだ光をイメージし辛いのは本来は月光にあてたものだからだろう。

太陽暦が導入されたのは持統天皇時代がやっとであり、それ以前は太陰暦であった。太陽暦が導入されても、世間一般では太陰暦が通常であり、一日の始まりは太陽が沈んでからというのは、その夜に輝く星や月が、一日の象徴でもあった。「遠野物語」の小正月に関わる話もまた、月との関連を示す話であるのも、太陰暦を意識してのものであろう。
f0075075_2002520.jpg

また農事には、春は花見で始まり、月見で終わるのは、花見時期が田植え時期と重なり、山から降りてきた山の神が田の神へと変化し、秋の収穫時が十五夜と重なり、収穫された米から餅が作られ月見に供えられ、田の神を山へと送り、山の神へと戻す習俗によるもの。この月見の習慣を小正月に盛り込んでいるのは、小正月が1年の始まりで、農事の一年が月と共に進むのだという証でもある。満月を見ると妊娠するという俗信があるのは、満月は孕んだ月であり、それは作物の豊穣にも繋がるからだ。
f0075075_209777.jpg

こうして満月を見て見ると、確かに孕んだお腹の様に、月の中に胎児が丸まっているようにも見える。満月の優しい光は、あたかも鏡の発する光の様で、五穀豊穣を願う農民達を照らすかのようだ。
by dostoev | 2014-01-23 20:13 | 「遠野物語考」100話~ | Comments(19)

「遠野物語104(月占)」

f0075075_2050890.jpg

小正月の晩には行事甚だ多し。月見と云ふは六つの胡桃の実を十二に割り一時に炉の火にくべて一時に之を引上げ、一列にして右より正月二月と数ふるに、満月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く、曇るべき月には直に黒くなり、風ある月にはフーフーと音をたてゝ火が振ふなり。何遍繰返しても同じことなり。村中何れの家にても同じ結果を得るは妙なり。翌日は此事を語り合ひ、例へば八月の十五夜風とあらば、其歳の稲の苅入を急ぐなり。

                                   「遠野物語104」

f0075075_2112648.jpg

胡桃の俗信に「14日、小正月に訪れる魔物や疫病神を退治するために、「十二月様」をタラの木やクルミの木でつくって窓や戸口にたてる。」というものがある。十二月様とは山の神の十二様であろう。タラの木は棘があり魔除けとなる木であり、タラは膨らみ満ちる意がある事から月の意でもある。胡桃もまた魔除けであり、魔そのものでもある。「遠野物語104」では満月の月見をするという事だが、月見は月読で、男がするものとなさっているのは、山の神が女人禁制であるのと通じているのだろう。六つの胡桃を割って十二にするのは、1年を十二月に分割したという事。ただ、何故に満月と胡桃を結びつけて占うのか。

火にくべた胡桃が赤いのは、火で真っ赤になった為だろうし、黒くなったのは胡桃が燃えて表面が炭状になったものだろう。また、胡桃が火振るのは火が胡桃に燃え移ったものだとは理解できるが、何故にいつも同じ結果となるのかは理解できない。

胡桃を調べると「今昔物語」に、胡桃を寸白(すばく)が嫌がる話があった。寸白とはサナダムシで寄生虫の事。しかし話は、腹に寸白を持っている女が産んだ子供が胡桃料理で、その正体がわかったとある事から、本来の宿主は女であり、女の巻く白帯の少し下…つまりお腹を指す事から寸白と呼ばれ、婦人病の意にもなっている。女と言うものは月経がある事から、ある意味月に等しい存在。

そういう意味から、この「今昔物語」と「遠野物語104」をかけ合わせて考えれば、満月という月が満ちた状態は、月が孕んだ状態で、女性が妊娠している事にもされている。その孕んだ状態の満月に胡桃を火にくべて占うというのは、満月と言う腹に潜んだモノを明らかにする事と考えられる。女は陰であり、男は陽であるという陰陽の考え方からすれば、陽である男が、やはり陽である火に胡桃をくべ、陰である女と同様の満月を調べるというのは至極当然の話であった。また占いも、農事中心であるから、母なる大地では無いが、食物を為す大地は、生命の源であり、日本の古来はその源流を山に見立てていた。山は、水を成し、樹木を成し、獣を成す、生命の源であるから、胡桃を十二に割るのは、1年を十二に割るのと、山の神を十二様という事にかけ合わせているのだろう。
by dostoev | 2014-01-22 07:35 | 「遠野物語考」100話~ | Comments(0)

「遠野物語102(遠野のハロウイン)」

f0075075_18561459.jpg

正月十五日の晩を小正月と云ふ。宵の程は子供等福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家へ行き、明の方から福の神が舞い込んだと唱へて餅を貰ふ習慣あり。宵を過ぐれば此晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でゝ遊ぶと言ひ伝へてあれば也。山口の字丸子立におまさと云ふ今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。如何なるわけにてか唯一人にて福の神に出で、処々をあるきて遅くなり、淋しき路を帰りしに、向の方より丈の高き男来てすれちがひたり。顔はすてきに赤く眼はかゞやけり。袋を捨てゝ遁げ帰り大に煩ひたりと云へり。

                                   「遠野物語102」

f0075075_19215719.jpg

小正月に子供達が袋を持って各家々から餅を貰い歩く風習は、なんとなく西洋の「Trick or treat(トリック・オア・トリート)」と唱えてお菓子を貰う、ハロウィンの夜に似ている。ハロウィンは、ムソグルスキー「禿山の一夜」で知られるように、満月の晩に魔の山であるブロッケン山から、沢山の化け物が現れてサバトを開く。ブロッケンの幽霊でおなじみのブロッケン現象なども、やはりブロッケン山がハロウインの舞台となった魔の山に由来して付けられた名称だ。

「遠野物語103」では小正月の夜、もしくは冬の満月には雪女が童子をあまた引き連れてくると記されており、そういう面からも化物が沢山登場するハロウインの夜と雰囲気と内容が重複する。「注釈遠野物語」によれば、半紙大に大黒様の絵を木版で刷ったものを持って「トウネンモ マイネンモ アキノホウカラ フクノカミ ドッサリマイコンダ」と掛け声をかけると、その家では、その紙を貰い、代わりに餅や菓子、または小遣い銭として1銭をくれてやるというのは、まさしくハロウインと、ほぼ同じだろう。この風習がいつから遠野に伝わったかはわからないが、日本には西洋の風習や、もしくは西洋の神話などの伝説やキャラクターなどが伝わっているのが不思議だ。

例えば、今となっては謎の人物となった聖徳太子もまた、何故にキリストの境遇と同じ内容として伝わっているかは謎と云われている。このハロウインに似た風習もまたキリスト教圏と同じ風習であるならば、何故に遠野に伝わったのかという事だろう。遠野には隠れ切支丹がいた事実はあるが、徳川幕府が御法度としてから、宣教師たちは日本から追い出され、見よう見まねでキリスト教の真似事をした時代がかなり続いた。あくまでも真似事であって、キリスト教の神髄からはかけ離れていたというのが隠れ切支丹であったようだ。しかし、真似事であるからこそ、この遠野に伝わる風習が、根本は違うが似ているという事にもなるのだろうと思う。今ではこの風習が遠野に存在するとは聞いていない。つまり、あったとしても江戸時代からの風習の名残がある明治から大正、そして昭和の初期まであっただろうか。江戸以前となると、どうしても遠野では考えられない風習となる。

ただ青森県の戸来村に伝わるキリストの墓伝説などや、秋田美人にはコーカソイドの遺伝子を含むなど、かなり古くから西洋との繋がりが東北にはあるようだ。自分の家系もロシアの血を引く家系だと云われるのは、実家が沿岸の久慈市であり、難破船などが浜に辿り着いて、地元の娘などと結び付いて血が入り込んだというものの一環のようである。つまり、中央の朝廷であり幕府は、西洋との関わりを危惧していたが、末端の東北までは目が行き届かなかった為に、いろいろな侵入と血の交雑を招いた可能性は否定できないだろう。またキリスト教圏の風習も、全ては南の九州や、大阪の堺ばかりでなく、東北も政府の知らぬ間に結びついた可能性があったのかもしれない。
f0075075_20141778.jpg

丸子立の"おまさ"の出遭った山の神であるのか福の神もまた西洋人に多い赤ら顔であり、東北に多い、山男や山の神の姿も案外西洋人であった可能性もあるのだろう。遠野の今では、英語の外国人教師などが多く入り込み、工場などにもブラジル人などの、あからさまな異国人が増えたので、今では外国人に対する免疫も出来てはきたが、それでも未だに外国人を物珍しそうに見る人々は多い。それが明治時代などに遭遇すれば、それこそ鬼か山男か天狗と思う人達も多かった事だろう。

遠野から沿岸である釜石までは、約42キロ。つまり、フルマラソンコースと同じくらいの距離であるから、簡単に沿岸からの流入はありえるだろうが、南部時代は幕府からの命で尾崎半島を拠点として、そういう難破した外国船のチェックは厳しくしていたようだ。ただそれでも盲点はあるだろうから、難波した舩から山を越えて遠野に来たとしても、その可能性を全て否定する事は出来ないだろう。
by dostoev | 2014-01-20 20:31 | 「遠野物語考」100話~ | Comments(0)

瀬織津比咩の御札とお守り

f0075075_2092774.jpg
f0075075_2093987.jpg

瀬織津比咩の御札とお守りのツーバージョン。ついいつもの癖で、余分に購入してしまった(^^;
by dostoev | 2014-01-19 20:10 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(8)

神木の伐採の話

f0075075_17195046.jpg

去年から「御神木の伐採による祟り」の記事に対するアクセスが多いなぁと思っていたら、人伝に「次の遠野ファンタジーは、早池峯神社の御神木の伐採の事をやるらしい。」と聞いた。その影響もあるのかなと思った。

遠野には、御神木の伐採に関する話がいくつかある。例えば、観光名所の一つになっている綾織町の熊野神社境内にある「田屋の大杉」もその一つだ。昔、伐採しようとした時に、血が流れ出して伐採をやめたという。その後、福泉寺の初代住職が観音像を彫る為に田屋の大杉を候補に入れたが、そういう謂れから断ったという。結局、福泉寺の観音像が彫られた樹木は、同じ綾織町の石上神社境内の御神木であった松の木となったが、そこでは祟りという話は起きていない。

樹木の伐採による祟り話は「今昔物語」に、いくつか紹介されているが恐らく、樹木伐採の日本最古の話となるか?「推古天皇、本ノ元興寺ヲ造リ給エルコト」では仏像を彫ったので、その仏像を奉納する御堂を建てようと、その地の槻の巨木を切ろうとして何人か死んだが、たまたま精霊らしき声に「注連縄を引き巡らし「大祓祝詞」を唱え、杣人に縄墨をかけたうえで伐採すればいい。」と知り、どうにかその槻の巨木を伐採した話がある。その槻の巨木を伐採した時の情景が、遠野の六神石神社の御神木を伐採した時の話に似通っていた。

木が倒れようとするとき、不意にバサバサと羽音がして、山鳥くらいの大きさの五、六羽の鳥が梢から翔びたち、空へ舞い下がった。そして、それと同時に、巨木はどおっと地響きたてて地に倒れた。木の葉が小鳥の群れのように舞い立ち、土ぼこりが渦巻いた。

六神石神社の樹木伐採の話は「ものがたり青笹」「六角牛山物語」に紹介されている。話は、こうだ。

さて、とうとう木が倒れたその時、突然木の根元から霧のような煙が出て、その中から白い鳥が六角牛山めがけて飛んで行った。たまげた木こりは、それから暫く寝込んだという。それを見た村人達は、このままにしていたのではわがねぇと、六角牛山の頂上にスクナビコノミコトとしておじぞうさんを祀ったのだそうだ。

調べると、少彦名命は小さな鳥であるミソサザイと習合しており、恐らく六角牛山へ飛んで行ったのはミソサザイと思われた為に、少彦名命を祀ったのだろう。ただ地蔵という事だが、六角牛山の頂にある地蔵とは、恐らく賽の河原に佇んでいる地蔵の事であろうか?地蔵は、それ以外に無いので、恐らくそうなのだろう。「今昔物語」では、飛び立った鳥たちの為に推古天皇は鳥たちの為の神社を建てたとなっている。

巨木を伐採して鳥が飛び立つというのは、巨木を巣にしていた鳥が驚いて飛び立ったと理解できるが、神域での鳥は、ヤマトタケルの話ではないが、魂を運ぶ存在として聖なる存在にもなる。ましてや「今昔物語」では、巨木の伐採に関して人も死んでいる事から、鳥と霊が重なったのだろう。当然の事ながら、六神石神社でも、同じ感覚で地蔵を祀ったのだと思うのだ。
f0075075_188684.jpg

「今昔物語」での巨木は槻の木であるが、槻の木は欅であり、やはり「今昔物語」では巨大になり過ぎた欅の巨木を伐採する話がある。巨大な欅は、百姓達の畑をその影で覆ってしまい、収穫に影響する事から伐採されたが、実は欅とは縄文文化の象徴の木でもあった。弥生文化の影響から狩猟文化から畑作文化に変わった影響でもあったのだろう。ちなみに、六神石神社の御神木は「神座の松」と呼ばれた松の木だった。松の木は弥生時代に輸入された樹木で、美保の松原の天女の話で有名だが、松の木は神が斎く樹木として広まった。石上神社や六神石神社の御神木が松の木であったのも、神が斎くものという信仰に則ったものであったかもしれない。
f0075075_1822490.jpg

六神石神社の「神座の松」はもう今は無いのだが、古い写真からその姿を見ると、その枝振りから、かなり神々しい松の木であったようだ。こういう樹木には樹神が宿るものとされ、やはり「今昔物語」に樹神であり、木霊と呼ばれる存在が登場している。神社という聖なる場所の御神木は神が宿るものと信じられ、また神が愛する存在でもあった。丑の刻詣りで行う呪いの藁人形も、実は神社の御神木に藁人形を五寸釘で打ち付け「これを外して欲しくば、我が呪いを成就しろ。」という神を脅す行為でもあった。それだけ神に愛されている御神木であろうから、正式な段取りを以て伐採しないと祟りが発生したのかもしれない。

とにかく動物でもそうだが、長く生きたものには神霊が宿るのだろう。例えば「捜神記」には、千年以上の古木が物の怪の正体を見破った話がある事から、千年一区切りと考えれば、樹木に神霊が宿るのは千年なのかもしれない。そういえば、綾織町の田屋の大杉も1300年は悠に過ぎている筈であろうし、早池峯神社境内の御神木もまた、千年と言う時を過ぎたものが伐採されたのだろう。ただ、六神石神社の「神座の松」だけは、その寿命を全うした為に、人々を祟る事無く倒れたのだろう。
by dostoev | 2014-01-17 18:46 | 民俗学雑記 | Comments(2)

年越しの祓の女神(其の六 結)

f0075075_17204287.jpg

「古事記」の成立は、和銅五年(712年)となるのだが、菊理媛神の登場するくだりは、取って付けた感がある。つまり、菊理媛神のシーンは無くとも話は繋がるのだ。死の穢れの黄泉の国で伊弉諾は、腐乱した伊邪那美を垣間見、穢れた黄泉津醜女に追いかけられ、命からがら逃げ出し、千曳岩で現世と黄泉の国を塞いだ後、中津瀬で穢祓をした。ある説では菊理媛神が穢祓を奨めたのだろうというのがあるが、恐らく既に伊弉諾は状況から、穢祓をしなければとわかっていた筈だ。恐らく菊理媛神の登場する、黄泉の国の黄泉平坂のシーンは、後世に追加されたシーンであったろうと思う。

何故なら白山の祭神が菊理媛神だと、何の脈絡も無く唱えたのは、室町期に成立した吉田神道であるが「古事記」そのものの写本も室町期からのものが伝わっているという。つまり、室町期に「古事記」の新たな編纂が成されたのでは無かろうか?

また「古事記」での穢祓のシーンで右目を洗い月夜見命が誕生し、左目を洗い天照大神が誕生するのだが、星の宗教と云われる天台宗にも、左目は太陽を意味し、右目は月を意味する教義が存在する。道教とも融合している天台宗であるから、この「古事記」にも天台宗であり道教にも通じる記述がいくつかあるのは、室町期に天台宗の教義に合わせて「古事記」が編纂された可能性も否定できないだろう。要は、菊理媛神の「くくり」とは「八十一の理」である天台宗の星の曼陀羅の真理を表す存在として作られた女神であり"真理へ導く者"としての女神であったのだろうと考える。
f0075075_18122287.jpg

菊理媛神が真理へ導く者であるならば、その真理とは何か。それは北斗七星と繋がる妙見信仰であったろう。そもそも本来は北辰である北極星が妙見信仰であったが、それがいつしか混同され北斗七星信仰が妙見信仰であるとなったのは、古代中国から伝わる北斗七星が、人の生死を司る存在であったからだろうと考える。

「遠野物語」において、山の神がやはり人の生死に関わる存在であるのは、天に近い山とは、その影響下にあると考えられたのだろう。早池峯信仰の構造そのものが天台宗の星の信仰に重なるのは、現世に星空を体現するのは山でしかなかったからだろう。いや天に聳える山は、そのまま天と思われていたのかもしれない。何故なら里山と違い早池峯などの高山は、まず人が登る事が無かったのは、登る事自体が天を汚すものと考えられていたようであった。その山の神の棲む早池峯に天台宗は、星の思想を散りばめた。実は、早池峯の女神である瀬織津比咩は、羽黒権現であるのだが、その羽黒の地に建立された五重塔の内部も北を重視し、妙見を祀っている。羽黒の信仰の根幹も妙見であるようだ。
f0075075_1835969.jpg

天台宗の星曼陀羅に描かれている北斗七星の女神一人は、地上に瀧と共に降りて、人と語らっている。瀧は、水の発生の根源であるとされ、水無くしては人は生きられぬ。その北斗七星の信仰が早池峯と瀧の女神である瀬織津比咩と結び付いたのは、必然であったのだろう。
f0075075_1718812.jpg

室町時代に成立した「日本書紀纂疏」に、星に関してこう記述されている。

然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と
為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と
曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、
春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為
す。日分かれて星となる。

故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること
明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。


金は、古代において金属の総称であった。黄金・白銀・黒金・青金・赤金と、様々な金属に色を付けて分類している。火之迦具土神を産んで、伊邪那美は死に黄泉の国と向かった。そして、伊弉諾は十拳剣で火之迦具土神を切った事により、金の気が散ったのだろう。黄泉の国は根の国・底の国と同じ、陽の当らない暗闇である。「大祓祝詞」においての「根の国・底の国」は、海の底の陽の当らない暗闇のイメージが浮かぶのだが、山には多くの竜宮信仰があるように、その海と山は繋がっていると考えて良いだろう。そして、それはあくまでも山の内部であり、洞窟などもその入り口となる。現実に、山は多くの鉱物を内包する。その鉱物とは金であり、それは「天(海)あま」から降ってきたものなのだ。

海から発生した水蒸気が雲となり、山の上にかかって雨を降らせる。その雨を山は蓄えて、ゆっくりと人里へと流してやる。また天から降ってきた流れ星などもまた山に含まれて鉱物になると考えられたのは「日本書紀纂疏」で記した通り。その鉱物の発掘が修験と結び付き登場したのが、金剛蔵王権現とも云われる。修験の祖と呼ばれる役小角は、金剛蔵王権現象を桜の木に彫った。「サクラ」の「クラ」とは「陰」の意があるのは、地中に隠された存在である鉱物をも意味しているのだろう。それ故なのか、遠野の白望山裏にあるタタラ跡に鎮座する大山桜と、貞任山の入り口に鎮座する大洞大明神とも云われる山桜など、採掘・治金などに関係する場所に山桜が咲くのは、やはり修験の関係からだろう。
f0075075_1923121.jpg

そして、罪や穢れを祓う水は、また鉱物の泥を流し、小石と鉱物とを仕分けるものでもある。水と桜の関係は、そういうところにも見え隠れする。それ故に、水神でもある瀬織津比咩に黄泉の国の匂い、黄泉津大神となった伊邪那美の匂いがするのは、琵琶湖の桜谷が黄泉の国と繋がっているものと同じだろう。白山に伊邪那美が祀られているのは、白山という山の内部に潜む…つまり黄泉津大神としての存在からだ。その黄泉の国の穢れであり、汚れを祓う水の女神が瀬織津比咩であるのは、神仏分離の際に遺棄されそうになった「白山大鏡」から読み取れる。白山に祀られる菊理媛神が真理へ導く者であるなら、それは伊邪那美→菊理媛神→瀬織津比咩というラインが出来上がるのだが、何故か世の中からは瀬織津比咩の姿がが消えてしまっている。

岩手県に瀬織津比咩が運ばれてきたとわかっているのは、養老年間に紀国熊野からである。早池峯の神社は大同元年で、坂上田村麻呂による蝦夷征伐の後の建立である。その後に天台宗の管理下となり、恐らくそこで妙見信仰と結び付けられたのだろう。穢祓の神としての瀬織津比咩は、天智天皇時代に「大祓祝詞」の舞台として琵琶湖周辺が描かれてのものであろう。しかし、京都に広がる七瀬の祓所の信仰は、確かに宇治川の源流である琵琶湖と結び付くのだが、それよりも比叡山延暦寺の存在が大きかったのだと思う。「歓心寺縁起実録帳」によれば比叡山は本来"北斗七星降臨の霊山"として伝わり、それから北斗七星の北斗踏みの呪術と七瀬の祓所が結び付けられたのだろう。
f0075075_20184663.jpg

実は、天台宗の星曼陀羅は、仏教的には吉祥天と結び付くものだ。吉祥天は蓮華の精でもあり、だから早池峯の三女神信仰には蓮華の奪い合いの伝説が伝わっている。しかし、その吉祥天の色合いがより強く表されているのは、早池峯では無く姫神山であろう。北方鎮護として坂上田村麻呂と結び付けられた毘沙門天の妻は、蓮華の精である吉祥天である。岩手三山の伝説には、岩手山・姫神山・早池峯山の三つの山が様々に語られているが、男山である岩手山に、坂上田村麻呂と毘沙門天が結び付けられ、その妻として相対する姫神山に瀬織津比咩が祀られた。その瀬織津比咩が、早池峯と姫神山とは別の流れから各々の山に祀られた為に、岩手三山の伝説は、曖昧模糊と変化して伝わったのだろう。つまり、岩手山と姫神山での瀬織津比咩は、北方鎮護としての存在であったのだろう。平安時代作の、姫神山に祀られた姫神像には、瀬織津比咩の威光というより、吉祥天の慈愛の心が刻まれているようだ。
f0075075_20461088.jpg

しかし、北方鎮護であろうが妙見信仰であろうが、全ては北に鎮座する女神としての瀬織津比咩であった。大迫の早池峯神社からは北に位置しない為に、遠野早池峯神社を向け祈る様に建てられたのは、あくまで早池峯が北に鎮座しているという存在として祈る為であった。岩手県の瀬織津比咩を祀る殆どの神社が、早池峯より北に位置しないのは、早池峯に向かうという事は、北に輝く北辰であり北斗七星を拝むかのように瀬織津比咩を拝む為であった。それは早池峯という山そのものが天界であるという意識の元に開かれた信仰の為であったのだろう。そしてもう一つは、早池峯の位置と構造そのものが、天台宗の教義に適ったのが大きいのであったのだろう。それは岩手県で一番高い山は岩手山でありながら、その岩手山よりも低い早池峯の方が信仰圏が広いのは、天台宗最大の秘儀とされる尊星王に適応したからなのだと考えるのだ。早池峯神社は当初天台宗が支配したが、その後に真言宗と変わった。次の機会には真言宗と瀬織津比咩との関係を書き記そうと思う。
by dostoev | 2014-01-16 20:51 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

年越しの祓の女神(其の五)

f0075075_310611.jpg

「サクラ」は「神の霊」の意の「サ」と、「蔵・倉・磐座」という居場所を意味する「クラ」から成り立っているというのが一般的解釈である。しかし、縄文語で「クラ」とは「陰・影」を意味している。例えば、貴船神社や丹生川上神社上社に祀られる「闇龗神」の「闇」は「クラ」と読み「谷合」を意味するが、それもまた「影」の意でもある。

役小角は、桜の木に金剛蔵王権現を彫り、それから金剛蔵王権現の象徴が桜の木となった。金剛蔵王権現は垂迹であり、本地は弥陀三尊と云われる。しかし密教系では弥陀三尊は日・月・星の三光信仰でもあるが、それは日と月を結びつける事により「明」となり「明けの明星」でもある金星であり、太白でもある。しかし、それとは別に北斗七星という別の摂理にも繋がる。そもそもこれは天台宗の表向きの摂理であるが、何故に金剛蔵王権現を桜の木に彫ったのかは、その桜に潜む影があったからに他ならない。桜の女神として木花開耶姫が祀られる場合があるが、本来は火中出産を果たした木花咲耶姫は「粉の花」であり「火の粉」を意味する女神であった。本来の桜の女神とは、陰の存在であり、死の匂いがするものでもある。
f0075075_3354910.jpg

美しい花が咲き誇る桜だが、桜は人の穢れを吸い取る存在でもあった。吸い取った穢れは、地中に張った根を通して川に流され海へと注ぎ、黄泉の国へと流される。「大祓祝詞」の舞台である琵琶湖の桜谷であり、佐久奈谷が何故、黄泉に繋がる伝承があるのかは、その為でもあった。桜は、修験のシンボルでありながら、黄泉の国へと繋がる一里塚でもあったのだ。黄泉の国と現世に繋がる黄泉平坂において、菊理媛神は伊弉諾を導く為に修験の理を告げた。その理とは、曼陀羅の真理であったろう。
f0075075_9192311.jpg

天台宗に伝わる尊星王供は、最高の秘法とされている。尊星王とは北極星の神でもある妙見菩薩でもあるが、通常での仏教が太陽を以て万物を摂する大日如来と呼ぶのに対して、ここでは太陽を北極星に置き換えて尊星王と呼ぶ。その姿は陰陽道と重なった時は太白である金星となったりと、千変万化となっている。画像は、その尊星王の曼陀羅となるが、青竜の上に立つ尊星王の姿だが、その青竜は北辰、北斗七星の姿であり、しばしば九頭龍となって降臨し水を守護する存在でもある。またその姿も下記の画像の様に、雨乞い観音としても表される。
f0075075_111397.jpg

尊星王は龍に乗っているが、周囲には虎、象、白狐、豹が尊星王を護る形で廃されている。これは「熊野権現縁起」「熊野の本地」に繋がるものだ。
f0075075_12561615.jpg

「熊野権現絵巻」は近世にかなり制作されたが、その大元は民間宗教者によって唱導されていたものであったようだ。そしてその根幹は、山の神とその使いの介入であり、それが天台宗の秘法と結び付いてのものであるのは疑いの無いものだろう。そしてその「熊野の本地」と共に伝わっているものに「秀衡桜」なるものがある。秀衡とは奥州藤原氏の藤原秀衡であり、その秀衡が桜を命の指針として手にし、山の神の加護を手に入れると言うもの。桜を折って地面に差し、それが成長する話には弘法大師などの伝承もあるが、桜が修験の象徴であり、それに命をの重さが重なるのは、金剛蔵王権現の金剛が北斗七星であり、その北斗七星は人の生き死にに関わるものとの融合からであろう。
f0075075_17444258.jpg

以前、台湾旅行をした時に、ある川に「七曲りの橋」というものがあった。道教思想に則ったその橋は、七つの曲がり角で厄を祓うと説明していたが、それはそのまま北斗七星信仰と結び付くものだろう。そして京都に伝わる七瀬の祓所も同じ道教の影響を受けているものであるだろう。台湾の川にかかる七曲りとは、瀬を折ったもので一つの瀧であると聞いた。七つの段差は、七つの瀧であり、その滝が身を清め穢れを祓うのは、道教での北斗踏みの呪術と同じである。恐らく七観音信仰も、この道教の影響を受けて成立したものであるのだろう。遠野の七観音信仰にも、一つ一つ井戸があってその水で翰音を洗い清めた事からも確かであろう。ここで桜と北斗七星が重なって来るのを理解できる。西行の足取りと桜の歌を読み取っても、吉野の桜と奥州の桜が結び付き、それは熊野へと帰結している。西行は「サクラ」という陰に潜んだ神の霊に惚れていたと言っても過言は無いだろう。それは親鸞の夢告から始まった女犯偈の思想を受け継いだ天台宗などの密教世界に通じている西行と考えた場合は、当然の宿命であったろう。
f0075075_13404272.jpg

竹田和昭「曼陀羅の研究」によれば、紫微宮に六柱の女神がおり、それは北斗七星の七つ星の中の六星を意味し、残りの一星の女神は地上に降り、人との対話を果たしているという。これらの星の曼陀羅の中に、山王曼陀羅もあるのだが、星の輝く天界は山の頂で表され、その中枢に紫微宮があり、人間との結び付きは、その麓となる。此の形を見て思い出すのは、早池峯の姿と重なる。以前は女人禁制であり、修験の者以外はまず早池峯の山へと登る事は無かった。今でこそ、車である程度行ける又一の滝でさえ、人里離れた山奥の滝であった。その又一の滝は恐らく「太一の瀧」として名付けられたものが、その音だけが残り「またいちのたき」として語られ、後からその所以が作られたのだと考える。その又一の滝が太一の滝であるならば、そこは星曼陀羅の中枢である紫微宮に相当するのだろう。何故ならそこには人里との繋がりを果たす、水の発生源の滝があるからだ。

「熊野権現絵巻」の熊野権現そのものは、抗議的に那智の瀧を意味する。熊野においての瀧が神の御神体であるのは、遥か遠い昔から伝わる揺るぎ無い事実である。「年越しの祓の女神(其の一)」で書き記したように、白山・早池峯・熊野は三位一体の関係である。そこには北斗七星の信仰が水の穢祓と結び付き、桜を媒介として秘せられた神の名がそこにある。一命"瀬織津比咩"、遠野の北に聳える早池峯の山の神であり瀧神であり、穢祓の女神、その一柱の神である。
by dostoev | 2014-01-15 18:03 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

年越しの祓の女神(其の四)

f0075075_13143584.jpg

桜咲く 四方の山辺を 兼ぬるまに のどかに花を 見ぬ心地す(西行法師)
「桜の咲いている四方の山をあちこち見ていると、のどかに花を見る気分だけではすまなくなるものだ」


桜を愛でた西行であるが、その桜をただただ愛でるのではなく、その桜を通しての信仰を意識している歌であろう。西行が初めて意識した桜は、吉野の桜であろう。その吉野の桜は、役小角が金剛蔵王権現像を桜の木に彫った事は、密教に携わる西行であろうから、じゅうぶん意識していた事だろう。
f0075075_13563346.jpg

能に「西行桜」という作品がある。作者は金春禅竹と云われるが、本当はどうも世阿弥ではないかとされている。その世阿弥「風姿花伝」の著作の中に於いて「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と言っているが、西行の歌とは仏師と同じだとされている。仏師が仏像に、理の魂を込めるのだが、西行もまた歌に理の魂を込めている。いや、秘していると云われる。世阿弥は西行の心に触れて「西行桜」を作ったのかもしれないが、その「西行桜」には桜の精が登場する。

花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける

この西行の歌に世阿弥が解釈を付けたのが「西行桜」であろうが、その「桜のとが」について桜の精はこう語る「桜を見るのは人の心次第であって"非情無心"の草木の花には関係のない事。」これはつまり、神と同じに桜には罪や穢れの無い存在である事を意味する。そして明け方近くになった時に「花の影より明け初めて…。」「白むは花の影なり…。」と、花の影を二度強調する。そう世の中は陰と陽の二つがあり、そこに五行が絡むと云う陰陽五行の哲学が入り込んでいる。これは神道と仏教の融合である、本地垂迹と同じでもある。花とは桜であったが、秘すれば桜でもある。桜は人の心を魅了する春を代表する花ではあるが、その桜花にも影がある。その影を秘して知るからこそ西行は、初めに紹介した歌の様に「のどかに花を 見ぬ心地す」と詠い、そこには桜花の咲く山に対する意識があったのだろう。
f0075075_14495019.jpg

役小角が、桜の木に金剛蔵王権現象を彫ったようにまた西行も、桜の理を歌に彫り刻んで行った人生であった。西行の歌は、ただ耽美的な歌では無く、信仰に裏打ちされた理が秘せられていた。その理を知っているからこそ、吉野の桜と奥州の桜を間に立って、結びつける事ができたのだろう。"あたら桜のとが"は、人を魅了する美しさではあるが、桜そのものにはその咎は無い。むしろ人の咎を吸い取り浄化するのが桜であった。古代には、子供が生まれれば、庭に桜を植える習慣があった。桜の寿命は人間の寿命に近く、その子供が成長するにあたって、病気や怪我をした場合、代わりにその病気や怪我を吸い取って、水と共に川に流す役割としての桜であった。琵琶湖の桜谷は、黄泉の国と通じているという伝承があるのは、桜が吸い取る罪や穢れ、そして病気や怪我をも吸い取って黄泉の国であり、根の国底の国へと流す役割があるからだ。その入り口が桜でもあった為だろうか、末法思想の蔓延した平安時代に極楽浄土を旅立とうとした人々と同じく、西行が桜の下で死にたいと願ったのは、桜そのものが黄泉の国という浄土の入り口でもあった為だろう。(続く)
by dostoev | 2014-01-11 15:11 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

夜の電話

夜の11時半頃に、携帯電話が鳴った。自分は既に寝ていたが、その電話の音で目が覚めて携帯を手にした。宿をしていると夜中でも、飲み屋から「泊めてください。」との電話が来る事があるので、それかと思っていた。

男「東北電力です!」

自分「はあ?こんな時間に、何の用ですか?」

男「いや、日中に何度かお電話したのですが、お出にならないので、この時間にかけてみました。」

自分「…店への電話は、すぐに携帯電話に転送になるので、かかってきた事は無いと思いますよ。」

自分「そして、どうして非通知で電話してるんですか?」

男「ただいまコールセンターからかけているので、非通知にならざる負えないんですよ。」

自分「???」

男「ところで電気の点検にお伺いしたいのですが、いつ頃がよろしいでしょうか?」

自分「はぁ…来るなら朝の9時過ぎでもいいですが…。」

男「9時過ぎでいいのですね?」

自分「ところで、あなたは本当に東北電力の人間ですか?」

男「ああ、また後でかけ直しますね。」


と電話を切られた。どう考えても、夜の11時半頃に電話するのもおかしいし、非通知というのも有り得ない。翌日、確認の為に東北電力へと電話してみた。すると、最近「東北電力」か「電気保安協会」の名を騙って、個人情報を引き出そうとする電話が相次いでいるんですよと。東北電力では、午後の5時以降は電話する事がありませんし、コールセンターからかけてるとしても非通知は有り得ませんと言っていた。

とにかく今の世の中、個人情報を引き出しての詐欺などが横行しているから、それを安易に引き出す為に、安心できる企業などの名前を騙って電話してくるのだろう。それでも、夜の11時半頃は無いだろ(ーー;)
by dostoev | 2014-01-10 08:08 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)