遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2013年 09月 ( 37 )   > この月の画像一覧

「遠野物語拾遺254(恋の呪い)」

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ひとりでに帯がほどけたら、その晩に思う人が来る。また褌や腰巻が自然に
はずれても大変よいことがあるといわれており、そのほか眉毛が痒いと女に
出逢うということもある。

                                 「遠野物語拾遺254」
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小野小町は、いくつもの夢の歌を詠っている。そのいくつもの有名な夢の歌の一つに、こういうものがある。

いとせめて恋ひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る  小野小町


この「遠野物語拾遺254」の話は、夢の話ではないのだが、全般に渡って「愛しい人」に逢いたいと云う願いからの習俗は衣類に絡めて記されているが、本来は夢占からの転であろう。記されている衣類も、これから寝ようとしている状況にかけてある事から、基本は夢占からのものである事が想像できる。小野小町の歌もまた、愛しい人に夢で逢う為に衣を裏返しに来て夢を見ようとしている。衣を裏返すとは、昼間の現実と違い、裏側の世界である夜の夢であるからとかけているのだろう。

そして、夜寝る時の衣を寝間着ともいうが、それは寝衣(しんい)とも云い、それは神意に繋がる。古くは、神仏からのお告げを知る為の夢占からであった。古い夢譚では「古事記」「日本書紀」において神武天皇の夢譚が古いだろうか。神武天皇の夢には神が登場し、その神意を伺っている。

また、褌や腰巻は下半身を守るものであるが、それが解けるとは裸になるという意を表し、異性と結ばれる事を示している。いずれも秘め事は夜に行われるものであるから、夢との関連から発達したものであろう。

女性との絡みで有名なのは親鸞の「女犯偈」。これは親鸞か山籠もりの後、六角堂に籠って見た夢に、観音様が女性として現れ、交わった夢を親鸞が見たものと伝えられる。親鸞の名誉に関わるが山籠もりの後の六角堂での籠りは、性的な欲求が高まっていたものと想像できる。それを常日頃信じている翰音様を人間の女性として自分の夢に登場させ交わったものと考えた方が現代では納得する。

ところで遠野では「眉毛(まゆげ)」の事を「このげ」と云う。「諺・譬えことばー遠野地方のむらことばー」には遠野言葉で「このげァけぁバ、人にうわさされでる。」という意味は「眉毛を掻くと…に悪口をされている。」か「眉毛を掻くと…珍しい人に逢える。」という意味などがある。当然、眉毛が痒いと、いつも女性を思っている人は、女性に逢えるのかもしれない(^^;
by dostoev | 2013-09-30 20:08 | 「遠野物語拾遺考」250話~ | Comments(0)

佐々木喜善の命日

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今日9月29日は、「遠野物語」を書いた柳田國男に、遠野の話を伝えた佐々木喜善の命日。実は、自分の誕生日でもあるので、とても他人事には思えない為いつもこっそりと、佐々木喜善のお墓参りへ行っている。確かその佐々木喜善の命日には墓の前でイベントがあった筈なので、いつもかち合わないように行く事にしていた。
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今日は、穏やかな秋の空が広がっていた。
by dostoev | 2013-09-29 15:13 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(2)

九頭竜信仰と遠野と早池峰の神

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以前にも書き記したが、遠野は北に早池峯という高山が聳え、その麓から流れ出る猿ヶ石川が街中を経由して西へと流れ出るのは風水上では理想とされている。また山や丘などの起伏や水の蛇行は龍脈とも云われ、それが龍穴に集まるという。その龍脈である生気が集まる龍穴を見い出すのが重要だと云われる。
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それが恐らく阿曽沼氏が城を築いた横田城であった可能性はある。それは東西南北に鎮座する各々、物見山と早池峯、石上山と六角牛を線で結んだ中心は黄龍と呼ばれ、そこに来るのが横田城であったからだ。
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風水上において太祖山となる早池峯は北に鎮座し、北極星と北斗七星を頭上に冠する高山である。北は水気を意味し、水龍をも意味し龍脈の根源ともなる。水神を祀る早池峯は北に鎮座し、まさに理想の山が早池峯になるのだろう。
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鹿島神宮の要石は地下に潜む鯰を抑えつける石だと云うが、実は龍脈を抑え、地震を抑える為だと云われる。画像のように、日本列島は龍に取り囲まれていると思われていた。当然、龍が暴れれば日本列島に災害を為す。その考えが孤立した小地域に分散し、広まったのだろう。古代の都も、そういう風水思想に基づいて建設したとされ、代表的な都は平安京だとも云われる。
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画像を見れば、天ヶ森を頭とした一匹の龍が遠野盆地に横たわっているようにも見える。その麓に横田城が築かれたのだ。早池峯&薬師から観ない限り、この図は理解できないだろう。恐らく山を支配した山伏の力添えがあってこその横田城の築城が成されたものと思える。その阿曽沼は、何故か戸隠神社へと何度か参詣したと伝えられる。それは遠野に古くから伝えられるわらべ唄が、阿曽沼の参詣を伝えているものだと。

えっけぇどの  にけぇど

さんぐらこの  しけぇど

はせのかんのん とがくしみょうじん

くまのべっとうさま なぁんじょ


戸隠神社には、九頭龍が祀られている。その九頭龍の語源は”国津龍(くにつりゅう)”であるとされている。つまり、日本古来の地主神であった龍を祀った神社が戸隠神社なのだろう。その戸隠神社に遠野を統治した阿曽沼が参詣しに通ったと云う。それは、何故か?
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戸隠山の開創伝承は、嘉祥二年(849年)学問行者が独鈷を放って落ちた処に岩屋があり、法華経を唱えると九頭一尾の鬼が現れたとされている。しかしそれは本来、龍神か大蛇であり、それをわざわざ鬼とと記したと云われている。その龍神に対して学者行者は「鬼は形を隠すものだ。」と言い放ち、龍神が住んでいる処へと帰り、それからそこを”龍尾”と云うようになったと。

遠野市土淵町に白龍神社がある。実は土渕には、大蛇が退治され三分割となり、その尾の部分がある箇所に白龍神社が祀られた。大蛇であったり白龍であったりややこしいが、古代は大蛇も龍も同じであり、違いは無かった。それ故に「大蛇退治」であっても、それは「オロチ退治」でもあり「龍退治」でもあった。とにかく土渕には、その退治された大蛇(龍)の三分割された巨石が点在している。つまりこれは大蛇の始まりは尻尾からであると言っているようなもので、九頭龍が帰った場所が龍尾であり、遠野で退治された大蛇も尾の箇所で祀っているのは、そこから発生したものであろう。余談となるが、日光の滝尾神社もまた”瀧尾”であるから、水龍の大元が祀られているものだと思える。「瀧」とは「さんずい+龍」である事から”水龍”を意味する。それを早池峯に当て嵌めれば、早池峯の麓に流れ落ちる又一の滝の尾は、その水源である早池峯そのものであり、早池峯に祀られる龍神という事だろう。
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ところで九頭龍だが、九頭一尾の鬼と記された嘉祥二年の開創は、天台宗である比叡山の僧による書「阿娑縛抄」によるものだが、その200年後に戸隠山の僧による「顕光寺流記」によれば、比叡山の学問行者の前に「九頭一尾大龍」が出現していたという事らしい。それを別に「九頭竜権現」とも云う事から仏教と結び付いていたようだ。

九頭龍は、白山にも出現しており泰澄が白山の池に祈ると九頭龍が現れ、真の姿を現わして欲しいと祈ると十一面観音が現れたという。また「彦山流記」でも、阿蘇の池に九頭龍が現れ、そして十一面観音が現れている。山の地主神が九頭龍、つまり国津龍であり、それが本地垂迹と重なり十一面観音と結び付くのは、早池峯とも重なる。阿蘇の龍神である阿蘇津比咩は、早池峰の神である瀬織津比咩であった。また「白山大鏡」によれば、白山の池に現れたのも早池峰の神である瀬織津比咩であった。ならば当然、早池峯が聳える遠野を初めて統治した阿曽沼が戸隠へ向かったのも、同じ龍神である早池峰の神を抑える、または鎮める手段を学ぶ為の行脚ではなかったろうか。阿曽沼は十一面観音で有名な長谷寺へ向かい、九頭龍(国津龍)を祀る戸隠神社へ立ち寄り、そして熊野へと向かった。岩手県の室根神社に伝わる縁起では、熊野から瀬織津比咩が唐桑半島経由で運ばれ。室根山に鎮座した歴史がある。つまり阿曽沼の参詣行脚とは、遠野を統治するにあたって、その国津龍である九頭龍を鎮める術を学ぶ為だったと考えるが当然の事のように思える。
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伊能嘉矩「遠野史叢」には、いくつかの不地震地帯が紹介されており、それがいつの時代からなのかはわかっていないようだ。その不地震地帯には、地震を抑える要石らしきも置かれており、それが早池峯を頂点として、遠野郷全体に扇状に広がっている。先に記した様に、古代においては龍脈を抑えるとはその地を安定させる為の手段であった。恐らくこれらが制定されたのは、奥州藤原氏を滅ぼした鎌倉幕府の命を受けた阿曽沼氏が、安倍一族や奥州藤原氏が信仰した早池峯の国津龍神を鎮める為に学んだ結果ではなかったろうか?そう考えるのが、遠野郷に点在している不地震地帯を理解するのに一番納得する理由となり、阿曽沼が何故横田城をその位置に築いたか納得するのだ。
by dostoev | 2013-09-28 20:34 | 阿曽沼の野望 | Comments(0)

「遠野物語119(竃)」余談として塩竈神社

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遠野郷の獅子踊に古くより用ゐたる歌の曲あり。村により人によりて少しづゝの
相違あれど、自分の聞きたるは次の如し。百年あまり以前の筆写なり。

馬屋ほめ

一 まゐり来てこの御台所見申せや、め釜を釜に釜は十六

                     「遠野物語119」

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「遠野物語119」は歌の紹介になっている。その歌はいくつもあるが、今回は一つだけをピックアップする為、残りの掲載を省く事とする。

そのいくつもの歌の中に、釜に関する歌があった。「め釜を釜」と記されているで「遠野物語拾遺22」で、東禅寺にあったという夫婦釜を思い出した。「遠野物語拾遺28」でも「人身御供は男蝶女蝶の揃うべき」とあり、世の常は男女揃う事は陰陽の和合になるという事だろう。釜もまた、中に水(陰)を入れて外から火(陽)をつける事が、陰陽の和合の道具でもある。そしてその釜を据え付ける竃そのものが、陰陽和合の場となる。

茶家の正月と云われるのも、茶席の炉や囲炉裏を開くのも「亥」の日が良いとされる。それは「亥」が陰陽五行の水にあたるので、火を司る炉に水の陰で対し、火の安全を願った為だと云われる。つまり、火の場には常に水が付き纏っている。
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ところで台所には竃が設置されており、画像の様な火の神でもあり、全ての家というわけでは無いが、荒神とも云われる竃神の面を掛けておく習わしがある。この竃面は、有名な「ヒョウトク譚」に由来するもので、家に幸運を運んできた醜いヒョウトクの面を木や粘土で造って、竃前の釜男という柱に掛けておく。しかし、その火の神となったヒョウトクは山の水界からの貰い物である。山中異界、山には竜宮と繋がっている話は多く、その水神系からの贈り物が火の神系であった。

水神系で醜いとされたのは神功皇后に呼ばれた磯良神が有名だ。また「醜い」として有名なのは、木花咲耶姫の姉である磐長姫だ。ただ、磐長姫の醜さとは、宮崎県西都市の銀鏡神社の社伝によれば、鏡に映った磐長姫の顔は龍神であったとされている。つまりそれは、人間を超越した神の御姿でもあった。そしてその龍神は水界と繋がる。となれば、当然の事ながら水界に棲む磯良も、磐長姫も竜神系の神であると推測される。竃面のヒョウトクも山中の水界からの来訪神である事から当然、龍神系との繋がりは深いのだろう。
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昭和57年に、京都の浄土宗華台寺の天井裏から、竹・藁・布で出来た奇妙な等身大の藁人形が発見された。その藁人形には男根を模したものが付いており、手の指は三本であるという。恐らく水神的性格をもった人形で、家の火臥せを意識されたものであろうと云われている。火所とは、竃が置かれる土間の台所だ。つまり竃の火を臥せようとする意図ではないかとされている。三本指の藁人形とは、つまり河童を意識して作られたものではなかったか。男根が付いているという事は、何かと交わせようとする意図を感じる。

宮田登「女の霊力と家の神」によれば、竃神は歴史的に陰陽師や山伏が関与した事実が立証されており、その為「三宝荒神」とも云われるのはその影響からだ。ところが一方では農業神としても崇められ、田の神に近い性格を有しているという。飯島吉晴「竃神と厠神」では、「弘法大師行状記」の「竜頭太事」の説話を紹介している。竜頭太は田の神であり山の神であり、竜蛇的形姿とその光から、雷神的性格を持ち竃に安置するものである事が書かれている。

「或記云、古老伝云、竜頭太ハ和銅年中ヨリ以来、既に百年ニ及フマテ、当山麓ニイホリヲ結テ、昼ハ田ヲ耕シ、夜ハ薪ヲコルヲ業トス、其の面竜ノ如シ、顔ノ上ニ光アリテ、夜ヲ照ス事昼ニ似リ、人是ヲ竜頭太ト名ク」    「弘法大師行状記(竜頭太事)」

顔は醜いとは記されて無いものの「其の面竜ノ如シ」とあるのは、そのまま醜いとされる水界・竜宮の使いが竃に斎く事を意味している。
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竃神の顔は、圧倒的に男顔である。つまり竃に斎いているのは水界から来た火の神であろう。ならば先に紹介した男根の付いた藁人形は陽(火)の人形であろう。つまり男根は陰(水)と結び付く為のものであると考える。

釜には女釜と男釜があるように、恐らく竃にも女竃があるのではなかろうか。それはつまり竃神に田の神の性格を見い出せるというのは、常に竃に斎いた火神である竃神とは別に、同じ山界であり水界から降りてくる水神を迎え入れる為の藁人形であると考える。

田の神とは本来山の神であり、春に山から下りて来て田の神となり、秋の稲刈りの終了と共に山へと帰って山の神となると云われている。遠野の上郷町に田の神神社があり、その傍らに早池峯の石碑がある事から、早池峯の女神を意識して建てられたものだと理解できる。山の神とは大抵の場合女神と認識され「日光狩詞記」においてのアンケートの殆どが、山の神は女神であるという認識があるようだ。遠野においても、失せ物をしたら山で男根を露出すると見つかるなど、山の女神はグロテスクな男根と海の醜いオコゼを喜ぶとされるのは、自らが醜いせいだと云われている。それはつまり、磐長姫の顔が龍神の様に醜い顔と同じ、水界・竜宮の主が山の神であるという事だろう。

更に、竃は生産の場でもある。火と水が融合して、水は湯にもなり、食物が生産される場である。そこには陰陽の和合が当然ある事から、家の竃には男神である火の神が斎き、いつも山から降りてくる山の女神を迎え入れ陰陽の和合を果たして、様々なものが生産される信仰の形が、家の竃に施されたのだろう。
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余談であるが、竃の普及は塩竈から来ているとも云われる。塩竈で思い出すのは、宮城県の一宮である塩竈神社だ。ヒョウトク譚の火男も、死んで竃神になった。「竃神と厠神」で飯島吉晴氏は述べている。「いわば非業の死をとげたものが、竃神として祀られている場合が多い。」と。

母屋とは女性の胎内を意味するという。その母屋の中で土間のある竃は生産の場でもある為、女性の女陰でもあり、隠される場所だ。「日本昔話集成」によれば、死体を隠す場所は家の中である場合、家を表と裏に湧ければニワ(土間)やニワの隅(竃の側)であるなど、家の裏側の領域であるとされる。金屋子神を祀るタタラ場に死体を供えるよう、竃もまた死体を隠す場所であるようだ。東北に普及された竃の原初となる塩竈を名乗る、宮城一宮の塩竈神社は福島県から宮城県に渡って多く分布する。つまり、当時の朝廷にとっての裏側が、陸奥国であった。

塩竈神社に堀川天皇(1087年~1107年)はこういう歌を詠んだ「あけ暮れてさぞな愛で見む塩釜の桜が下の海士のかくれ家」

塩竈神社の御神体は、塩竈の石であるといい、つまり塩竈神社自体が竃であると言って良いだろう。木花咲耶姫が火中出産を果たしたように竃は生と死を媒介する場でもあり、そこに死の匂いのする桜の木を含めて「隠れ家」と詠んでいる。非業の死を遂げた者が竃神として祀られるのを考えた場合、それに桜が加わるのなら、果たして塩竈神社には誰が祀られているのか?それは恐らく朝廷にとって隠すべき存在であろう。ただ、生と死を媒介するのが竃であるならば、非業の死を遂げた者も、いつかは復活するのであろうか?とにかく塩竈神社は、謎の多い神社でもある。
by dostoev | 2013-09-27 18:25 | 「遠野物語考」110話~ | Comments(10)

「経立考」

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六角牛の峯続きにて、橋野と云ふ村の上なる山に金坑あり。この鉱山の為に炭を焼きて生計とする者、これも笛の上手にて、ある日昼の間小屋に居り、仰向に寝転びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰をかゝぐる者あり。驚きて見れば猿の経立なり。恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに彼方へ走り行きぬ。

                                     「遠野物語44」

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「遠野物語」に登場する「経立」と呼ばれるものは「猿の経立」「御犬の経立」の2種類となる。ところが、吉田政吉「新・遠野物語」を読むと猪の話が登場する。明治時代までは遠野に猪が居たようだが、病気が流行って死滅したらしい。その猪だが、吉野裕子「山の神」を読むと、日本の三大山の神の使いになっている。確かに、ヤマトタケルが伊吹山で山の神と出遭って命を落としたのは、白蛇か白猪となっている。山の神の使いには、御犬・猪・蛇が一般的に云われるものだ。千葉徳爾「オオカミはなぜ消えたか」によれば、西日本での山の神は猪が多いと云うが、逆に東日本は狼が多いと云う。そして蛇は、全国的に万遍なく広がっているらしい。その為、西日本に属する伊吹山に登場した山の神は、白蛇と白猪とになったのも理解できる。

柳田國男曰く「妖怪は神が零落したものである。」と述べている。そういう意味から、御犬の経立も猿の経立も神が零落したものと考えても良いのかとも思える。ただし猿は三大山の神に属しておらず、せいぜい日吉大社で神の神使とされているか、猿の大元であろう猿田彦に結びつくのかが可能性の一つとなろう。しかしだ、御犬の経立である狼は、遠野郷において三峰様として石碑・石塔が多く建てられ、神として祀られているのはわかる。だが、神であろう筈のもう一つの猿は、せいぜい石碑に刻まれた猿田彦の名に留まっている程度だ。

しかしだ、神と云う名をもう一度考えてみると「神」とは「申を示す」で「神」となる。「申」は「猿」であり、「申」は「庚申」という名の元に、遠野郷においては三峰塔を凌駕するほどの数を誇っている。
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庚申塔には「見ざる聞かざる言わざる」の三猿が刻まれているパターンがある。ただ遠野郷内においては、この三猿の彫刻を施した庚申塔は見た事が無い。画像は、笛吹峠を越えた橋野町で撮影したものだ。遠野郷では「庚申」という文字のみ刻まれた石碑がやたら多いのが現状となる。

狼もまた「大神」という名の元、神の名となっている事から狼は神であった。世界の中で狼を神として崇めた民族は、アジアでは日本民族だけであり、他にドイツ人やイギリス人がいる程度だ。狩猟民族時代に狼が集団で大型動物を狩る行為を模倣した。その名残がクジラ漁などであり、日本固有の犬であり秋田犬や北海道犬に北部ヨーロッパの遺伝子がある事から、日本列島にも狼を神と崇める民族が移住した可能性が指摘されている。

そして、猿だ。猿は日吉大社の神使でもあるが、「日本書紀(皇極天皇記)」に猿の吟(さまよふおと)を聴き「此は是、伊勢大神の使なり」とある。文章の流れから、猿の鳴くを天皇家が信仰する伊勢のお告げと捉えた感もあるが、その前に火の災いに備えた後の事であるから、その猿の鳴き声が伊勢大神の予言と捉えている感は意味深である。本来、天照大神は男神であったと云われるが、女神となったのは、皇極天皇時代とも持統天皇時代とも云われる。山上伊豆母「巫女の歴史」では「古くから火の神を鎮めるのは水の神でしかない。」と記されているように、日の神(火の神)である天照大神を鎮めるのは、恐らく荒魂であり水の神である瀬織津比咩でしかないだろう。都が火の災いに備えた後に響いた猿の鳴き声を伊勢大神の予言だとしたのも、猿が何等かの意味を示しているのかもしれない。

とにかく猿が神であり、水の神との関連があって遠野で広く信仰されているのならば、それは猿ヶ石川に繋がるのではなかろうか。猿が神という文字を分解したものなら、それを戻せば猿ヶ石川は神石川と表記される。猿ヶ石川は薬師岳からその流れを発生させているのだが、前薬師と云われる様に、常に後ろには早池峯がある。つまり、薬師と早池峯をセットで早池峯と呼んでいたのが理解できる。その早池峯は神の宿る岩山であり、まさに猿ヶ石川とは神石川であると言っても良いだろう。その早池峯の神は北に鎮座し、妙見や庚申と結び付く神でもある。

神の原初とは、現世利益など存在せぬ祟り神であった。祟られぬ様鎮める為に、常に御祈りを捧げた。そう、神とは恐ろしいものであった。猿の経立が恐ろしいとされるのも、獣である猿を見たのではなく、猿の背後の神を見て恐れおののいた可能性。そしてその恐れた神とは、早池峯大神であったのかもしれない。
by dostoev | 2013-09-26 17:23 | 民俗学雑記 | Comments(0)

遠野祭終了(2013.09.22)

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9月21日、22日に渡って開催されていた遠野祭が終了した。
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躍動していた今年のシシ踊りも、消え去って行くよう。また来年だ。
by dostoev | 2013-09-22 17:50 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

遠野祭の夜(2013.09.21)

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2013年9月21日、遠野祭が行われた。いや正確には、まだ行われている真っ最中。取り敢えず、その雰囲気をお届けしようと、鍋倉山まで行って撮影してみた。街の一つの通りが明るくなっているが、そこで遠野祭に参加している団体が各ステージに別れて演じている。
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もっと近くによってみよう。こうしてみると狭い通りにひしめき合っているのがわかる。
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望遠レンズで凝縮された空間は、これだけとなる。ここに各団体と客が集結している。

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by dostoev | 2013-09-21 20:41 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

「遠野物語88(続・オマク譚)」

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此も似たる話なり。土淵村大字土淵の常堅寺は曹洞宗にて、遠野郷十二ヶ寺の触頭なり。或日の夕方に村人何某と云ふ者、本宿より来る路にて何某と云ふ老人にあへり。此老人はかねて大病をして居る者なれば、いつの間によくなりしやと問ふに、二三日気分も宜しければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にて又言葉を掛け合ひて別れたり。常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来りし故出迎へ、茶を進め暫く話をして帰る。これも小僧に見させたるに門の外にて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見れば亦茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日失せたり。

                                    「遠野物語88」

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これも本当に「遠野物語87」そっくりの話だ。ただ、過去から老人に聞いて来た人魂譚や狐火、狐に化かされる話は、どこか定型化されているきらいがある。ある意味、人から聞いた話がいつの間にか自分の体験談の様に語るものに近いのかもしれない。遠野には「ひょうはくきり」と呼ばれる人達がいたという。「ひょうはくきり」とはつまり「ホラ吹き」だ。人を喜ばす為に、ホラを吹いて喜ばせる。そのホラも、あたかもホラとわかる場合は笑い話で済むが、真実かホラかわからない場合は、相手を戸惑はせる。

明治29年の三陸大津波において「沿岸が大変な事になっているらしい!」という情報が広がると、何人かが峠を歩いて海に向かったと云う。車も列車も無い時代に、その津波の状態を確認し、遠野に戻ってその話を伝えたい話したいと思っている人が山の峠を登ったのだろう。そしてそういう人達の”土産話”を期待して待っている遠野の人達もまたいた。テレビやラシオなどが無い時代、ましてや文字も読めない人が多く居た時代は、人の話を聞くのが楽しみの時代であった。その人達を喜ばすのを生きがいとした人がいた。

このオマク譚も、とこかの話を感心し面白いと思い、自分達の土地に持ち込まれた話である可能性はあるだろう。そうでなければ、これほどまでに似た様な話が多い理由がわからない。ただそこには遠野独自のオマクという現象を信ずる民衆の意識があった事が、その全てであったのかもしれない。

現代で幽霊の存在を信じるという人が、どれだけいるだろう。心霊譚はいつの時代でも流行るものだが、科学の発達した時代にそれを頭から信じる人は減って来ている。ノーベル物理学賞を受賞したブライアン・ジョセフソンは、心霊現象を科学するとして現在その解明に努めているというが、学界ではブライアン・ジョセフソンの行為に難色を示しているという。科学的と心霊的とは相まみれないものと学界では認識されているからの為だ。しかし世界には心霊現象と云われるものが無数に出回り語り継がれている。それは信仰の狭間に落された堕天使のようなものかもしれないが、その舞台が日本になれば妖怪であり幽霊となる。その日本には祟りの文化があり、古くは貶められて死んだ菅原道真が祟られるという認識に加え、落雷などの偶然が重なり、祟り神に祭り上げられた。死んでも尚、生きている人達に接触しようとするのは”余程の想い”があるからと当時の人々は考えた。その想いが怨みであるなら祟りとなり、見守るという優しい想いに変化した場合、祖霊などとなるのが日本の文化でもある。
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先祖を大事にする、もしくは祖霊を大事にしたいという想いは、ある意味『祟られたくない』という想いの反転である。墓参りをしないから、家に悪い事が続きが没落したなどという話は、そこに起因している。「草葉の陰で泣いている」という言葉も、祖霊がいつも見守っているという言葉でもあり、いつも霊に監視されているのだという強迫観念にも通じる。つまり霊からいつの間にか日本人は逃げる事が出来なくなっているのが現状だ。しかし、だからといって、それが悪という事は無い。付喪神では無いが、物を大事にする、人を大事にするという観念が、言葉は悪いが日本の文化の根底にあり祟られない”秘訣”であるという認識をどこかで持っている日本人は、世界でも稀有な存在である。そういう意味から、遠野に広がるオマク譚というものは、霊を身近に感じ、常に意識する為の話であるのかもしれない。
by dostoev | 2013-09-21 08:16 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

「遠野物語87(オマク譚)」

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人の名は忘れたけれど、遠野の町の豪家にて、主人大煩して命の境に臨みし頃、ある日ふと菩提寺に訪ひ来れり。和尚鄭重にあしらひ茶などすゝめたり。世間話をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに遺りしに、門を出でゝ家の方へ向ひ、町の角を廻りて見えずなれり。其道にてこの人に逢ひたる人まだ外にもあり。誰にもよく挨拶して常の体なりしが、此晩に死去して勿論其時は外出などすべき様態にてはあらざりし也。後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶碗を置きし処を改めしに、畳の敷合せへ皆こぼしてありたり。

                                    「遠野物語87」

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この幽霊譚も、遠野流に云えばオマク譚となるのだろう。「注釈遠野物語」の解説によれば、明治時代末で小僧がいた寺は大茲寺と善明寺だが、文章の描写から善明寺であるとしている。善明寺は浄土宗で、今まで死人とは穢の元と思われていたが平安末期に死人に手を合わせて供養したのが浄土宗の坊さんで、それから葬式の形式が始まったと云う。

人を祀るのが寺院で、何を祀っているかわからないのが神社と云われる。そういう意味で、死霊であろうが”人”が集まるのが寺院なのだろう。それ故、自分が死後お世話になるだろう寺院に霊体となって挨拶にきたとしてもおかしくはない。とにかく「遠野物語」「遠野物語拾遺」も含め、この様なオマク譚は多い。
by dostoev | 2013-09-21 07:31 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(0)

寺沢高原の朝

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朝起きた時は、遠野は雲海に包まれていたよう。しかし寺沢高原は、山の上も霧に覆われていた。以前も来た時も、霧が深かった。遠野の街の方が雲が下り易いだろうか?
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満月の入りを撮影しようと思ったが、霧が深くてその霧が風で流される合間を縫って、どうにか月を撮影。
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とにかく、霧が晴れての撮影も、一瞬の勝負だった。
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そして、ようやく月が沈みかけたがここまで。この後は、再び霧が深くなり、これ以上は月を撮影できなかった。
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ただ、その代り太陽が昇り始めた。霧の中に太陽の光で、辺りはピンク色に染まっている。
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このピンク色の景色は、過去に貞任高原でも体験している。霧で太陽の光が滲み、こういう色合いになるようだ。
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風で霧が吹き飛ばされ、地面が見えてきた。
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太陽が昇り始めると、色がピンクからオレンジ色に変化してきた。

寺沢高原の朝霧の中の日の出を、動画でどうぞ。
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そして太陽の色は、だんだんと白っぽくなってきた。この辺で撮影終了とした。
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車を停めている駐車場の周辺は、まだ霧に覆われていた。
by dostoev | 2013-09-20 07:42 | 遠野不思議(自然) | Comments(0)