遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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<   2013年 02月 ( 16 )   > この月の画像一覧

朝の窓

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-20度の朝、暖かい水蒸気は窓に付着し、夜中の内に寒気に凍り付く。朝はガチガチに凍り、窓を開ける事は出来ない。
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窓枠に発生した霜と氷が、綺麗な冬景色を室内に作っている。
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こんな冷たい冷凍庫の中の様な世界に住んでいても、人間という生き物は強い。
by dostoev | 2013-02-26 20:08 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

鬼束ちひろと、漫画「きせかえユカちゃん」の定岡先生

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いろいろな画像やら、漫画やらを見たり読んだりしていると『なんか似てるなぁ…。』と思う時がある。まあ別に、人と人も、どこかで遺伝子が繋がっているので「世の中に、自分と同じ顔が3人いる」という俗信さえ信じてしまう。しかし漫画と実物の人間が、なんとなく似てるとなると、思わず『ニヤリ』とする時が、ままある。とにかく今回紹介するのは、鬼束ちひろの、あるワンシーンと、やはり「きせかえユカちゃん」の定岡先生のワンシーンが思わずリンクした。是非、実写版「きせかえユカちゃん」をする場合は、定岡先生役に鬼束ちひろを起用して欲しい(^^;
by dostoev | 2013-02-20 21:21 | よもつ文 | Comments(4)

「遠野物語82(闇に見えるモノ)」

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これは田尻丸吉と云ふ人が自ら遭ひたることなり。少年の頃ある夜常居
より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷との境に人立て
り。幽かに茫としてはあれど、衣類の縞も眼鼻もよく見え、髪をば垂れ
たり。恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当
り、戸のさんにも触りたり。されど我手は見えずして、其上に影のやう
に重なりて人の形あり。その顔の所へ手を遣れば又手の上に顔見ゆ。
常居に帰りて人々に話し、行燈を持ち行きて見たれば、既に何物も在ら
ざりき。此人は近代的の人にて怜悧なる人なり。又虚言を為す人にも非ず。

                                「遠野物語82」

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これを読んで、幽霊譚であると思う人は殆どだと思う。自分は見たが、それを人に話し、複数で確認しようと見に行ったら、何もいなくて見えなかったと、定番の様な話である。ただ特異なのは、田尻丸吉は幽霊らしきモノに対して、手を伸ばしたという事。これは普通では、恐ろしくて出来ない事である。つまり田尻丸吉は"怜悧な人"と記されている事から、物事を理性的に分析し確認する賢い人であったのだろう。

人が見えるものでも、手に出来ないものがある。例えばそれが月だとする。見えても手が届かないのは、遠近感で理解できる。しかしその人間の持ち得る遠近感が、鈍る場合がある。それは錯覚などとなり、見えるけれども通常とは違うものに感じてしまう不可思議さが伴う。夜空には、星が輝き、月が渡る。それが通常であり、手に届かないものと認識できる為に、それを手に取ろうとは誰もしない。しかし日常の家の中に、ある筈の無いモノがある場合、人はそれをどうするか?恐怖という障害が無い限りは、それを手に触れて見ようとする。ただ田尻丸吉は幽霊思しきものに対して恐怖を感じつつも手を伸ばすが、それを手にする事は出来なかった。それでは、その幽霊と思しき正体とは?

他の人々と見に行ったら、いなかったとあるが、正確には行燈を灯して確認しに行ったのである。そこでもう一つの考えが浮かぶ。明るいから見えなかったのか?である。普通の人であれば、真昼に空を見上げても、天空に輝く星空は太陽の光に負けて見えないもの。そこに存在するのがわかっていても見えないのが、真昼の星空である。または、昼間に見るホタルの発光か。つまり世の中には、明るい為に見えないものも、また存在する。

ただ不思議なのは、その幽霊と思しきものに手をかざすと、自分の手は見えなくなるが、その手に重なって、人の形が浮かび上がっている。まるで光が届かない、暗い水に手を入れたような描写である。鏡の原初は、水鏡から始まった。その水鏡は、角度によって風景を反射させる鏡になるのだが、やはり角度によっては反射させず、透明度によって川底を透過させて見せるくれるもの。水の様なとは言ったが、SF的に言えばホログラフィーが映し出された状態のようにも感じる。ある意味、ブロッケン現象のように、空気中に舞う塵に自分の体が投影されたのかのようにも感じる。

「新古今集」「神祇歌」に下記の様な歌がある。

鏡にも影みたらしの水の面に映るばかりの心とを知れ

この歌の(注)に「これもまた、賀茂に詣でたる人の夢に見え」と記されており、「神鏡の面にも影が映り、御手洗川の水の面にも影が映っているほどの神の心であると知れ」という訳であり、その本意は「神のお姿が神鏡や御手洗川に映って見えるのは、祈願に確かに答えられる。」という神意であると理解されている。心霊も神霊も、ある意味似た様なもので、普通には見えないものである。ここで言えるのは、目の前に写ったものは、田尻丸吉の心が投影されたものでは無かったかという事。それが恐怖であれば、幽霊のように思え、それが信仰心であるなら、神仏にも見える不可思議な説明出来ぬもの。とにかく現代では理解できない空間が「遠野物語」当時の時代には広がっていたという事だろう。
by dostoev | 2013-02-19 21:01 | 「遠野物語考」80話~ | Comments(7)

「遠野物語拾遺41(死の影)」

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土淵村大字柏崎の新山という処の藪の中に泉が湧いていて、ここが小さな池
になっているが、この池でも水面に人影がさせば雨が降るといわれている。

                              「遠野物語拾遺41」

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人影がさすと雨が降るのは、この前の「遠野物語拾遺40」での開慶水がそうであるが、何故に人影が泉にさすと雨が降るのであろうか?遠野での雨乞いには泉や滝壺に動物の死体や骨を捨てて、水を穢して雨を降らせる方法を取る場合がある。つまり水が穢れれば、神の怒りによって雨が降ると信じられていた。それでは影は、穢れる元であるのだろうか?

人は死んで"あの世"へ行くと信じられていた。ある場合は、黄泉の国であり、根の国であり、海の彼方にあるというニライカナイであったり、極楽浄土の常世であったりする。それは果てしなく遠いイメージがありながら、死とはいつも身近に存在し、いつでも行ける場所にあるものだ。

例えば、地面に穴が空いている場所は、黄泉の国と繋がっていると云われていた。だから、便槽を掘るトイレであったり、地面を掘る井戸もまた黄泉と繋がっていると信じられていた。その為、井戸やトイレには幽霊の話が多い。そしてその黄泉と繋がる穴は、山などの洞窟もまた黄泉の国と繋がっているものと信じられていた。

「古事記」において、イザナギが死んだイザナミを探しに行く描写も、洞窟内のようである。そこでイザナギはイザナミと出会い、帰って来てくれと願う。そう黄泉の国であった筈のイザナミは生きていた時と同じであったから、イザナギは恐れずに帰って来てくれと懇願した。その後にイザナギはイザナミから「あなを視たまひそ(私を見ないで)」と言われるまま待っていたが、ついに待ちきれずに覗くと、そこにはイザナミの腐乱死体があり驚いた。つまり、イザナミの本体は腐乱死体であり、その前に出会ったイザナミの姿は幻影のようなものであったのだろう。
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「あの世」と「この夜」それは鏡の世界の様に裏表の世界だとも云われる。鏡が真実を映すならば、その目の前に立っているのは仮の姿であるのだ。吸血鬼が鏡に映らないのも、実態は既に死人である為だ。つまり、黄泉の国で最初に会ったイザナミはイザナミの影であり、本体は腐乱した死人の姿である。これが現実世界では、生きている人間が本体であり、その影とは死人と同じようなものと考えざる負えない。生と死は表裏一体であると云われる事から、影の黒色は、闇を意味し、黄泉の国の闇を表すのだろう。実際に黄泉の国においてイザナミのタブーを無視してイザナギがイザナミの姿を覗こうとした時「一つ火燭して入り見たまふ時に」と記されているのは、黄泉の国が闇に覆われて真っ暗な事を意味している。しかし最初に出会ったイザナミを見る時には火を灯さなかったのは、「この世」と「あの世」が逆転しているからであろう。つまり「この世」での影は暗く見え、「あの世」での影は明るく見えるという意味であると考える。それ故に、「この世」での影とは「あの世」における本人の死の姿であり、それは死という「黒不浄」を意味するので、泉に影がさすと雨が降るのはやはり、泉が穢された事を意味するのであろう。
by dostoev | 2013-02-18 22:37 | 「遠野物語拾遺考」40話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺154(魂の浮遊)」

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この似田貝という人が近衛連隊に入営していた時、同年兵に同じ土淵村から
某仁太郎という者が来ていた。仁太郎は逆立ちが得意で夜昼凝っていたが、
ある年の夏、六時の起床喇叭が鳴ると起き出でさまに台木から真逆さまに堕
ちて気絶したまま、午後の三時頃まで前後不覚であった。後で本人の語るに
は、木の上で逆立ちをしていた時、妙な調子に逆転したという記憶だけはあ
るが、その後のことは分らない。ただ平常暇があったら故郷に還ってみたい
と考えていたので、この転倒した瞬間にも郷里に帰ろうと思って、営内を大
急ぎで馳出したが、気ばかり焦って足が進まない。二歩三歩を一跳びにし、
後には十歩二十歩を跳躍して疾っても、まだもどかしかったので、いっそ飛
んで行こうと思い、地上五尺ばかりの高さを飛び翔って村に帰った。途中の
ことはよく憶えていないが、村の往来の上を飛んで行くと、ちょうど午上り
だったのであろうか、自分の妻と嫂とが家の前の小川で脛を出して足を洗っ
ているのを見掛けた。家に飛び入って常居の炉の横座に坐ると、母が長煙管
で煙草を喫いつつ笑顔を作って自分を見瞻っていた。だが、せっかく帰宅し
てみても、大した持てなしも無い。やはり兵営に還った方がよいと思いつい
て、また家を飛び出し、東京の兵営に戻って、自分の班室に馳け込んだと思
う時、薬剤の匂いが鼻を打って目が覚めた。見れば軍医や看護卒、あるいは
同僚の者達が大勢で自分を取巻き、気がついたか、しっかりせよなどと言っ
ているところであった。

その後一週間程するうちに病気は本復したが、気絶している間に奥州の実家
まで往復したことが気にかかってならない。あるいはこれがオマクというこ
とではないかと思い、その時の様子をこまごまと書いて家に送った。すると
その手紙とは行き違いに家の方からも便りが来た。その日の午頃に妻や嫂が
川戸で足を洗っていると、そこへ白い服を着た仁太郎が馳け込んで横座に坐
ったと思うとたちまち見えなくなった。こんなことのあるのは何か変事の起
こった為ではないかと案じてよこした手紙であったという。何でも日露戦争
頃の事だそうである。

                             「遠野物語拾遺154」

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この話は「遠野物語拾遺153」と連動するものであり、物語の中にやはり「白い服」を着た仁太郎が登場する。「遠野物語拾遺153」で書いたように「魄」は形に付くものであり、魂が想いを具現化したものと考えていいだろう。「白い兵隊」は戦に勝つという兵隊の想いなら、この「遠野物語拾遺154」は兵隊となった仁太郎の想いが、田舎に帰る事であったのだと思う。

古代には、魂は頭に宿ると信じられていた。それは「頭」の語源「天の魂(あまのたま)」からきているからであった。神の魂が天から降って来て頭に宿る。よって人間とは、神の作りたもうものであった。その人間の頭に宿った魂は、口や鼻から、もしくは髪の毛の先端から抜け出ると信じられてきた。「だんぶり長者」では、眠っている若者の鼻に蜻蛉が止まるのは、鼻の穴から魂が抜け出る意味を伝えていた。また北陸では、鼻の穴に蝶が止まり夢を見るので、蝶を「夢虫」とも称していた。魂が浮遊して、肉体とは別の場所を見て来る事を夢とも現とも判別できなかったからだ。その魂の浮遊…所謂人魂の浮遊と蝶のヒラヒラと飛ぶ飛行が似ている為に、蝶が結び付いた為だ。鼻息は「鼻」から出る「息」だ。「息」とは「自らの心」という意味になる。心とは魂とも解釈され、神の息吹により人間が生れるとの神話がある様に「古事記」においても、素戔嗚尊が気吹いて宗像三女神が誕生した。つまり、鼻息もそうだが息を吹く事は、魂を吹き込む事にもなる。奇しくも水難事故などで、マウストゥーマウスで水難者の息を吹き返すのも、ある意味"魂のやり取り"でもあるのだ。

また「徒然草(第四十七段)」では「くさめ、くさめ」と唱える老婆が登場する。クシャミをして死なない為の呪文が「くさめ」であるのは、クシャミをすると魂が飛びだすと信じられた為の呪文であるのは、口が魂の出入り口になっている事を示す。「宇津保物語」にも「口なくば、いづくよりか魂かよはむ」と書かれているように、口は魂の出入り口であったようだ。

とにかく気を抜くと、鼻の穴から、口から魂は抜け出てしまうようだ。「遠野物語拾遺154」において、台木から真っ逆さまに堕ちたと書き記されているのは、仁太郎は恐らく頭を強く打ったことを意味する。つまり魂の宿る頭を強く打てば、その拍子に鼻や口から魂が抜け出た事を意味しているのだろう。仁太郎が飛んで田舎に帰ったのは人魂が飛ぶものだと思われていた事に重なる。また妻と嫂のいる川に向かったのは、妻に逢いたいという想いとは別に、三途の川の信仰も結びついての事であったろう。

上田秋成「菊花の約」でも、友との約束を果たす為に魂で飛んで行った物語も、この「遠野物語拾遺154」と同じである。そして、和泉式部のあまりにも有名な歌がある。

もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る by和泉式部

この和泉式部の歌に書かれているように、「出づる魂」とは「もの思う」事に強く関連する。仁太郎の田舎に帰りたい、妻に逢いたいという強い思いが、頭を強く打った事によって魂が抜け出た事を意味しているのが、この「遠野物語拾遺154」であろう。
by dostoev | 2013-02-17 20:30 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺153(白服の兵隊)」

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日露戦争の当時は、満州の戦場では不思議な事ばかりあった。露西亜
の俘虜の言葉に、日本兵のうち黒服を著ている者は射てば倒れたが、
白服の兵隊はいくら射っても倒れなかったということを言っていたそ
うであるが、当時白服を著た日本兵などおらぬ筈であると、土淵村の
似田貝福松という人は語っていた。

                             「遠野物語拾遺153」

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これを読んだ人は恐らく霊体となった兵がいたのだろうと考える筈である。それは死に装束が、白い衣であるのにも関係するだろう。その為か、葬式などの時には、死者を見送る人々は闇を意味する黒い服を着なければいけないなどど云われる。それは死者が白い装束の為、白い服を着て見送ると仲間だと思って近寄って来るから、決して白い服を着てはいけないという俗信がある。白色は浄化の意味をも含むので、死という黒不浄を浄化するという意味も含まれる。

ところで、幽体離脱という言葉があるように、次の「遠野物語拾遺154」のように、生きていながら魂が肉体から離脱するものだと考えられてきた。古代中国から伝わったものに、人間の霊魂には「魂」「魄」の二つがあると伝えられた。その二つの違いは「魂」は「気」に付き、「魄」は「形」に付くと云われる。そういう意味から察すれば、白い兵隊は一つの形であり、「魄」が形として兵士になったものと考えられる。

また「魄」という漢字を分解してみると「白」と「鬼」の二つに別れる。つまり「魄」とは「白い鬼」でもあるのだ。古代中国では死者の事を「鬼」とも称した事から、「白い兵隊」は「白い鬼」でもある。つまり日本人の魂が「白い鬼」という形として具現化したのが「白い兵隊」の正体であると解釈しても良いのだろう。大東亜戦争に敗れた後、多くの日本兵が自害したという。その遺書の中に「死んで護国の鬼となり、日本国や家族を守ろう。」との遺書があった。現代でも、家の魔除けとして鬼面を屋根や玄関に飾る風習があるのは、鬼そのものが外敵から家族を護る存在であるからだ。「遠野物語拾遺153」の「白い鬼」も、大東亜戦争後の「護国の鬼」も、日本人が日本という国と、そこに住む家族を守りたい気持ちからの鬼である事は、いうまでもない。
by dostoev | 2013-02-17 17:49 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

「遠野物語22(よみがえり)」

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佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族集まり来て其夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人も亦其中に在りき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に座り、母人は旁に炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かゞみて衣物の裾の引きずるを、三角に取上げて前に縫附けてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間もなく、二人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとまはりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打臥したる座敷の方へ近より行くと思う程に、かの狂女のけたゝましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。其余の人々は此声に睡を覚まし只打驚くばかりなりしと云へり。

                         「遠野物語22」

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不思議な話だが…自分も直接聞いた事があり、また数人の人から、土淵の人は幽霊を見たという話が非常に多いという。土渕といえば佐々木喜善に代表されるように、菊池照雄「遠野物語をゆく」において佐々木喜善を、こう評している。「現実と裏側の世界との聖域に注連縄を張れない人であった。境界に霧がかかり、その切れ切れの間にあの世が見え、ついふらふらと踏み込んで行き、現実と幻想を混同してしまう人だった。」と。また本山桂川の佐々木喜善に対する印象は「いつも茫洋とした眼で夢か幻想の方を見ていたのじゃないかな。」

佐々木喜善の生きている山口部落の時代は、良くも悪くも喜善中心であったろう。東京の大学へ行き、村長までした喜善は、周囲に対する影響力は、かなりあったものと思われる。集団妄想(集団ヒステリー)という言葉があるが、喜善はその影響力を持って、周囲の人間を集団妄想、もしくは共同幻想の世界に引きずり込んだ可能性も考えてしまう。ましてや佐々木喜善の住む山口部落の傍には、デンデラ野という"あの世"という地が、山口部落から見上げれば、すぐに見る事が出来た。そう、死とあの世が身近な存在として生活していたのである。

喜善の家には、旅人がよく泊ったという。境木峠を越える場合、喜善の家に一泊して早朝に立つか、夜中にそのまま進むかであったという。旅人が峠の夜の恐怖を拭い去る為に歌いながら峠を進んだというが、山口部落で家の寝床に臥して聴く歌声は、それこそ闇に蠢く亡者の歌声であったろうか。
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ところで「遠野物語22」では曾祖母の通夜であったろうか。その曾祖母の死体が棺に納められている時に、その曾祖母の幽霊が現れた。「小栗判官物語」を読むとわかるが、昔は土葬の方が火葬よりも手厚い葬り方だった。肉体が残っている為に、魂が復活する可能性を持たせていたからだ。「日本霊異記(閻羅王の使の鬼、召さるる人の饗を受けて、恩を報ずる縁)」では、肉体が火葬され魂が戻れず別の人間の肉体に戻る話があるが、今でも死んで火葬までに時間を置くのは"よみがえり"を期待してのものだ。しかし「遠野物語22」では魂が死体に戻るのではなく、肉体とは別に曾祖母が姿を現わす。これは別の話では狐狸の悪戯にも例えられる話となってもおかしくないのだが、あくまでも幽霊譚として語られているのが「遠野物語22」である。

実は、似た様な話が「遠野今昔(第四集)」で綾織に住む阿部愛助氏が紹介している。美代という女性の葬式の前夜、親族が集まっている中、死んだ美代の幽霊は姿を現わしている。「とどが今、この部屋に入って来たるに、その肩のあたりに美代が、覆いかぶさるようにして追いかけ入り来たりたり。我ら驚き騒ぎたれば、闇に吸わるる如く消えたり。」この話も「遠野物語22」と同じような共同幻想であるが、共通点としては親族が目撃しているという点だ。

狐筋や犬神筋などという言葉があるように、ある特殊な信仰などに携わる一族を「何々筋」という表現を使う場合がある。「遠野物語」は喜善の住む土淵の山口部落を中心に語られる話でもある。日常から逸脱した不可思議な出来事の多くが、佐々木喜善や、その周辺の人々のの目や耳に入って来て語られ、それらを全て共有し日々を暮している集落の人々。人の細胞とは、食べ物から作られ、家族であればいつも同じものを食べているから細胞もまた同じであるという。つまり佐々木喜善が育った風土は、食べ物も含め、視覚や聴覚で捉えた物を全て共有してきた共同体であった。ある意味それは一つの家族の集団としても捉える事ができ、いわゆる「何々筋」と呼ばれてもおかしくはないだろう。この「遠野物語22」は「喜善筋の者達」が共有体験した物語でもあるのだろう。
by dostoev | 2013-02-16 06:12 | 「遠野物語考」20話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺30(おせんヶ淵)」

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小友村字上鮎貝に、上鮎貝という家がある。この家全盛の頃の事という。
家におせんという下女がいた。おせんは毎日毎日後の山に往っていたが、
そのうちに還って来なくなった。この女にはまだ乳を飲む児があって、
母を慕うて泣くので、山の麓に連れて行って置くと、おりおり出ては乳
を飲ませた。それが何日かを過ぎて後は、子供を連れて行っても出なく
なった。そうして遠くの方から、おれは蛇体になったから、いくら自分
の生んだ児でも、人間を見ると食いたくなる。もはや二度とここへは連
れて来るなと言った。そうして乳飲児ももう行きたがらなくなった。

それから二十日ばかりすると、大雨風があって洪水が出た。上鮎貝の家
は本屋と小屋との間が川になってしまった。その時おせんはその出水に
乗って、蛇体となって小友川に流れ出て、氷口の淵で元の女の姿になっ
て見せたが、たちまちまた水の底に沈んでしまったそうである。

それからその淵をおせんが淵といい、おせんの入った山をば蛇洞という。
上鮎貝の家の今の主人を浅倉源次郎という。蛇洞には今なお小沼が残っ
ている位だから、そう古い時代の話では無かろうとは、同じ村の松田新
五郎氏の談である。

                             「遠野物語拾遺30」

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この「おせんヶ淵」はまるで「竜の子太郎」のフロローグみたいな話である。「竜の子太郎」は、日本各地の民話組み合わせて作られた民話であるというが、小太郎の両親の設定は、父が白龍で母は蛟であるという。この「遠野物語拾遺30」には父親が登場せず、記述からどうも父無し子である雰囲気は伝わる。つまり母親のおせんは一人で子供を身籠り生んだのか、もしくは「竜の子太郎」の設定と同じく、初めから龍同士で交わり生れた子を人間として育てていたのかもしれない。

ところで全国の神社仏閣には、龍に関する伝説が数多くあり、やはり牡龍と牝龍との結び付きから、牡龍が去って行き、牝龍だけが残る話が多い。牝龍の大抵は、角の無い龍で蛟(ミズチ)であり、その蛟は別に「水霊(ミズチ)」とも書き表す。このミズチの形は宗像三女神が祀られている厳島神社において、平家納経の金銅製経箱、銀製の雲を吹き出し、前足に宝珠を持つ金の牝龍として浮き彫りにされている。それを「螭竜」もしくは「蛟竜」と書き記す。その螭竜が海の藍を示す藍地に黄色の螭竜紋とされ平家の守護となっていたようだ。それと同じものが琵琶湖の竹生島の都久夫須麻神社の神紋となっているのは、やはり同じ信仰が伝わってのものだろう。また那智の滝における飛竜権現や清滝権現を図像で表した場合は観音であり女神の手には、常に青い宝珠を持っているのは、牝竜であるミヅチが観音や女神の姿で表現されている為だ。そして手にする青い宝珠は、そのまま水を意味している。つまり、それら全てを称して水神であり、その信仰に基づいて竜などの昔話が誕生しているようだ。
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おせんが蛟だとして、小友には古くから蛟を祀る神社がある。それは厳龍神社だ。御神体の不動岩の根元から湧き出る水は神水と云われ、岩にに刻まれている蛇腹の痕は、蛟(ミズチ)が昇降した痕であるという。そう氷口も含め小友の信仰の中心は、この厳龍神社となる。

ところで"おせん"という名前から想像するのは「千と千尋の神隠し」という宮崎アニメがある。千と呼ばれる千尋は、白竜となるハクと日々を過ごす。最後は別れてしまうのだが、宮崎駿にも、牡龍と牝竜の伝説を元に「千と千尋の神隠し」を制作したのであろう。千尋が千(せん)と呼ばれるのは、どうもこの「遠野物語拾遺30」に登場する蛇体となった"おせん"を思い出してしまうのだ。
by dostoev | 2013-02-14 18:49 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺164(山が荒れる)」

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深山で小屋掛けをして泊っていると、小屋のすぐ傍の森の中などで、
大木が切倒されるような物音の聞こえる場合がある。これをこの地方
の人達は、十人が十人まで聞いて知っている。初めは斧の音がかきん、
かきん、かきんと聞え、いい位の自分になると、わり、わり、わりと
木が倒れる音がして、その端風が人のいる処にふわりと感ぜられると
言う。これを天狗ナメシともいって、翌朝行って見ても、倒された木
などは一本も見当らない。またどどどん、どどどんと太鼓のような音
が聞こえて来ることもある。狸の太鼓だともいえば、別に天狗の太鼓
の音とも言っている。そんな音がすると、二、三日後には必ず山が荒
れるということである。

                             「遠野物語拾遺164」

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昭和50年発行、知切光蔵「天狗の研究」という本がある。作者が上州迦葉山に天狗の取材へ行き、そこで天狗倒しの話を紹介している。

「山中天狗倒しといって、突然暴風の吹き荒れるような凄じい音の起こる事がある。木伐り坊とも空木返しともいい、斧でヤグチを掘る音がコツンコツンと聞こえ、ボクンボクンと矢を締める音、続いてワラワラと大木の倒れる音がし、今頃誰が木を伐っているのかと、夜明けに探しに出ると、何処にもそんな形跡はない。」

「何れも天狗様の仕業とされているが、これは天狗様が山の清浄を尊ぶので、杣が不浄の身で歩く場合、山が汚されて天狗様が歩けなくなるので、杣を脅すため立てる怪音だという。」

これを読むと、遠野に伝わっているものと殆ど同じだが、山が荒れる原因は天狗様が怒っていると解釈できる。例えば、早池峰の神は不浄を嫌うので、火葬の煙が立つと災害が起こると同じ理由だ。雨乞いにおいても、滝などに動物の死体など不浄なものを投げ入れるのは、その不浄なものに対して山の神の怒るのを利用したものだ。

大工においても、妻が出産したのは赤不浄とされ、今でも遠野では大工さんは仕事を休む。これは大工が山の神の樹木を扱う仕事からきている。また昔から、鉄砲撃ちの間にも、山の神に対する多くの礼儀作法があり、それを守らなければならないのは、山の神の怒りや祟りを恐れてのものだった。
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例えば「トブサタテの儀礼」も似た様なものだろう。大木を切倒した後、その切り株に梢を挿し、新たに木霊が再生する為の儀礼だ。簡単に言えば山の神の縄張りの木を頂いたので、そのお返しするという意味だが、これも神霊に対する礼儀である。これをやらないと山の神が怒り、山が荒れ天候が荒れる。杣人の不浄に天狗様が怒るのと同じ図式となる。

つまり、山が荒れるのは天狗様が木などを倒し、大きな音を立てても、杣人など、山で働く者が何等かの礼儀に外れた行為をした事に起因するのだろう。現代の漫画などでも、山でのマナーを守らない者に対して祟りがあるように、今も昔も、山に対する礼儀を守りなさいという事か。
by dostoev | 2013-02-12 18:39 | 「遠野物語拾遺考」160話~ | Comments(0)

龍田姫トイウモノ

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龍田明神は紅を好み、紅葉を神木とするそうである。それは、紅葉の葉先が八つに切れているのは、矛の刃先に擬えているからであるという。その矛とは、天の逆矛を意味する。また神仏習合から、釈迦の示した八相と紅葉の八つの葉先が結びつくのだと。
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この「龍田」の作者は金春禅竹(1405~1471)であり、実際に「龍田」を観た事は無いのだが、この「龍田」の内容を読む限り、余りにも美しい真っ赤な紅葉が脳裏に浮かびあがる耽美的な作品であると思う。神を題材にしたこの「龍田」は、作者である金春禅竹が龍田姫に何を感じ、何を伝えたかったのかを意図している作品でもあるのだろう。
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仏教の教えを広めようとする僧が、龍田川を渡ろうとする。そこに巫女が現れ「川を渡れば神と人との中が絶える故、渡ってはならぬ。」という。この川とは竜田川の事であろうが、六人部是香「竜田考」によれば「廣瀬川も此の竜田川の流れ合ひつる後は廣瀬川の名は無くなりて、彼土橋の辺りより河内の国にいたるまで、凡二里ばかりが間をむかしは竜田川とぞいへりける。」と記されている。ここでいう廣瀬川とは「日本書紀」天武天皇4年(675年)4月10日条での「風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀った。」を意図しての廣瀬川である。つまり、廣瀬神社と龍田神社は繋がっているという意味に捉える事が出来る。

そしてこの「龍田」には「月も西に落ちる頃の滝祭りに、明神の前に散る紅葉は、そのまま神に供える幣である。」と記されているが、ネット上で竜田大社の滝祭りを調べると4月3日とあり、秋では無く春になっている。直接、竜田大社へ電話して聞いてみても「古来は4月4日であり、現在は4月3日となっておりまして、秋に滝祭りが行われたという事は無いと思われます。」と述べた。それでは何故、能の「龍田」には「秋の滝祭り」と記されているのだろうか?
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龍田姫は、秋を司る女神という位置付けになっている。その秋の龍田姫に触発されてか、どうやら後に春の佐保姫、夏の筒姫、冬の白姫と四季の女神が揃うのだが、それでも強い光を放っているのは龍田姫だけである。その秋の龍田姫故に、春の滝祭りを秋に記述した可能性も、当然あるだろう。「龍田」において「夕日で龍田の桜は色濃くなった。桜に照る夕日は紅葉に降る時雨である。」という意味の歌が紹介されているが、この歌から読み取れるのは、薄桃色の桜を濃い赤に変えるのは夕日という事だ。

黄金伝説に付随する歌に「朝日さす、夕日輝く…。」この朝日と夕日が同時に差す場所に黄金が埋められているとの伝承が、日本全国に広がっている。また、竜田大社の由緒に「仍て吾宮を朝日の日向う処夕日の日隠る処の竜田の立野の小野に造営して、吾前を鄭重に斎き祀らば、五穀を初め何れの作物も豊穣ならしめ、災禍も自ら終息して、天下泰平の御代と成るべし。」とあり、つまり竜田大社の鎮座する地とは「朝日が差し、夕日輝く地」であるという事なのだろうか?いやこれは、暗に廣瀬大社と竜田大社の融合を意味するものと考える。何故ならば、廣瀬大社と竜田大社の位置関係は、東と西になるからだ。
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廣瀬大社では2月11日に例祭として「御田植祭」が行われる。大忌祭の御田水口祭礼に由来するもので、砂を雨に見たてた祈雨の神事であるそうだ。拝殿前の広場を田に見立てて田植の所作を行い、それに対して参詣者と田人・牛に扮したひとが一斉に砂をかけあうもので、「砂かけ祭」とも呼ばれるという。そして竜田大社の例祭は4月3日の滝祭りとなる。竜田大社の社務所に聞くと、竜田大社は桜の名所としても有名であり、滝祭りの時に桜が花を添えるという。しかし龍田姫は秋を司る神であり春の女神では無い。そこで前に紹介した歌の意味が甦る。夕日を浴びた桜の花は赤く色濃くなり、まるで秋の紅葉のようになるという事だ。

ここでもう一つ紹介したいのは、日本の季節と農事の流れである。桜の咲く頃に田植えを初めると共に、日本人はお花見を楽しむ。そして秋の収穫の時期になると月見を楽しむと同時に、紅葉をも楽しむ。春の田植えと花見、秋の稲刈りと月見は、対局と成る農事のセットとなる。そして山の神の風習を思い出してみよう。

桜の咲く春に、山から山の神が降りてきて田の神に変わる。そして、秋の紅葉の時期に山へと帰り、山の神となる。つまり山の神は、田の神でもあるという事。陰陽五行で言えば、春は東であり、秋は西となる。つまり山の神は東から現れて西へと向かう。先に記したように、広瀬川は竜田川に合流し融合する。つまり広瀬の水神が、龍田と結び付くという事に等しい。風とは古来、山が風を作り出すと信じられてきた。これを厳密に述べると、山には滝があり、たぎり落つ水の力によって風は生まれる。これは滝の傍に近付いた者はわかるであろうが、滝は確かに風を起している。
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ところで「龍田」は「立田」とも記されるのは、「立つ」「発つ」「起つ」に通じるからであろう。春に山から下り、田に降り立った山の神は、秋の紅葉の頃に、田から再び山へと「発つ」のである。これが日本の安寧な循環となり、日本という国を想う気持ちにもなる。だから天武天皇は、広瀬と竜田を祀ったのだと思う。つまり、広瀬の水神と竜田の風神は同じ神であろう。「龍田」の中にそれは龍田の滝祭りで桜が夕日を浴びて紅葉の様に真っ赤に染まった情景を、作者である金春禅竹が暗に示しているものと考える。

「月も西に落ちる頃の滝祭りに、明神の前に落ちる紅葉は、そのまま神に供える幣である。龍田の山風につれて降る時雨の音は颯々としてさながら神楽の鈴の音となり、立つ川波は白木綿に見える。神風松風の中に紅葉は散り乱れ、夜明けの鶏も鳴いて夜が明けると、幣も小忌衣も風に翻る。」

風の中で散り乱れるのは、桜でも紅葉でも、同じという事になろう。桜が散るのは春の終わりを告げ、紅葉が風に舞うのは、秋の終わりを告げる。それを朝日を浴びた桜の花びらと、夕日を浴びた桜を紅葉に見立てて表現しているのだが、上記の文で"神に供えるとは"つまり、水を発生し風を起す、ここでは滝に向かっての言葉であろう。滝の神といえば、遠野においては早池峰の神である瀬織津比咩を示す。また鳥海山に祀られる大物忌は広瀬の神と同神であるというが、鳥海山大権現とは八十禍津日神を示す。この八十禍津日神は、天照大神の荒魂であり、別名瀬織津比咩という。また南安曇の神社に祀られる瀬織津比咩は、広瀬から勧請されたという。つまり広瀬の神と竜田の神が同神であるならば、その別名は瀬織津比咩という事になるのだろう。
by dostoev | 2013-02-11 18:59 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)