遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2012年 08月 ( 37 )   > この月の画像一覧

ブルームーン

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3年に一度、一か月に2度目の満月が希少価値てある事から「ブルームーン」と呼ばれるという。そのブルームーンが今日の満月となる。ブルームーンそのものの意味は「青い月」ではあるが、後に「非常に珍しい」という意味で「ブルームーン」という言葉が使われるようになったと。ただし、この時間帯はまだ夕陽の影響を受けており、明るく赤味がかった月だった。
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実は…月の出は17:39で、外に出ると事がままならない時間帯となるが…「一時許して!」とばかりに、かみさんに後を任せようと、高清水に逃げるように行って見た…(汗)
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遠野八景というのがあり、その中に「六角牛山の月」というのがあるが、六角牛山と月の組み合わせは確かに趣がある。
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遠野の町は薄暮の状態で、徐々に街灯の灯りが強くなってきていた。
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by dostoev | 2012-08-31 19:27 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

瀬織津比咩の祭祀其の十三「田中神社」

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大迫に、早池峰山の遥拝所として建立された神社がある。名を田中神社というが、本来は眞中神社であったようだ。
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【田中神社草創沿革記】


当社ノ草創ハ遠ク人皇五十一代平城天皇ノ御宇大同二年(八〇七年)三月八日 郷ノ眞中ノ地ニ一宇ヲ建立シ瀬織津姫命ヲ勧請シ東根嶽ノ里宮眞中明神ト称シタリ

即チ当社神主ノ先祖山陰兵部省藤原成房ト云ウ者コノ地ニ来リ大同二年三月狩猟ノタメ東根嶽ニ向ウ折シモ山麓ニテ額ニ金星ヲ頂キソノ体ハ雪ノ如ク眞白ナル奇鹿ニ遭遇セリ成房之ヲ追テ雪ヲ渡リ遂ニ東根嶽山頂ニ至リ彼ノ鹿見失イケリ時モ折遠野郷来内ノ四角藤蔵ナル者同シク奇鹿ヲ追テ山頂ニ来リ合セ共ニ神明影向ノ瑞相ヲ拝ス成房藤蔵ノ二人等シクコノ奇異ニ深ク想ヲ巡ラシ山頂ニ宮ヲ建立シ奉ラムト談合セルモ今ハ雪深ク事成リ難シサレバ雪消ノ候ト約シ二人各々ノ猟具ヲ後ノ標ニト残シ下山セリト斯クテ雪消ノ六月東根嶽ニ登リ一宇ヲ建立セリト伝ウコレ東根嶽ノ開山創始ナリ

而シテ成房三月八日郷ノ眞中ニ一宇ヲ建立シ眞中明神ト崇メ自カラ神主トナリテ祭祀ヲ司トレリコレ即チ真中明神ノ創始ニシテ成房ハ山陰家開祖第一代ナリ眞中明神ハコノ後同家三十九代ノ頃眞中ニ水田ヲ拓クニ及ヒ田中明神ト改メ更ニ明治初年ノ神仏分離ニヨリ神号ヲ田中神社ニ改ム

斯クテ山陰兵部省藤原成房真中明神創始以来実ニ千百数十余年当地域百家ノ宗トシテ現神主山陰幸三氏ニ至ルマデ連綿五十七代ニ亘リ歴代神主当社ノ盛衰ト共ニアリ祭祀ニ懈怠ナカリキ


             平成四年九月吉日    雲南住   山本一楽 謹書

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眞中に建立されたので、眞中明神とも呼ばれたとあるが、現在の田中神社の住所は岩手県花巻市大迫町内川目47-30となっている。ところで、大迫には稗貫川の支流、中居川が流れているが地名として田中神社のある内川目の傍には、外川目という地があり、そこには下中居という地名がある。「大迫町史」によれば、中居川沿いに外川目村があるとされている。
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ところが大迫の古地図を見ると、現在の下中居の位置が違うのが確認できる。どの文献で読んだか失念したが神道的に「中居」の意味は本宮の手前であり、里宮の先、祭祀をする中間の意味があった筈。実際に、遠野市上郷町の中居は、日出神社へ参詣する手前で、日出明神を祀った場所であった。この古地図には田中という地名が見えるが、田中神社の由緒通りであれば、田中の以前は眞中という地名であったのだろう。その眞中という意味も、恐らく中居に通じる意味を有していたのではなかろうか。あくまでも憶測になるが、中居川の中居も、眞中も本来は、早池峰山に対する遥拝所としての眞中であり中居ではなかったろうか。
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画像の様に、田中神社は「早池峰の里宮」として存在しているようだ。岳の早池峰神社が早池峰山に向かって建てられておらず、遠野側の早池峰神社に向けられて建てられている事から、真に大迫の里の人々が早池峰山を参詣し信仰する為の神社が、この田中神社であったのだろう。
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この田中神社には瀬織津比咩を祀るとハッキリ記されている。岳の早池峰神社の祭神が未だ「早池峰姫大神」とされている事から、この田中神社の建立理由の一つに、里の人々に早池峰山に祀られる本当の神名を教える為でもあったのかもしれないと考えてしまう。
by dostoev | 2012-08-30 20:40 | 岩手県の瀬織津比咩 | Comments(0)

星地名

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昨日、見知らぬ人から書籍の入った郵便が届いた。誰だろう?と開けて見たら、この画像の本が入ってあった。添えてある手紙を読んだところ、なんとこの書籍の著者である森下年晃さんからであった。なんでも以前、森下さんの著作「星の巫(かんなぎ)ー縄文のナビゲーター」を自分のブログ記事に引用し、紹介したのに対し謝礼の意味として、新たに著した「星の地名」を送ってくれたのだった。森下さん、この場をお借りして、お礼申し上げます。ありがとうございました!m(_ _)m
by dostoev | 2012-08-29 03:45 | 民宿御伽屋情報 | Comments(3)

春日と月

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たまたま、春日明神と一緒に二十三夜と刻まれた石碑を見つけた。刻まれている二十三夜とは、二十三夜に昇る月の出を待って、それを楽しむ信仰的な民俗である。また春日とは春日大社を総本山とし、全国に1000社を超える春日神社がある、その春日となる。その春日大社の祭神は、和銅3年(710年)藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の三笠山(御蓋山、御笠山)に遷して祀り、春日神と称したのに始まると云う。

文暦年間に成立した「古社記」には「春日山を以て三笠山と号す」という事から、三笠山は春日山と同じだという事なのだろう。


春日(ハルヒ)を春日(カスガ)の山の高座の三笠の山に朝去らず雲居たなびき

上の歌は、山部赤人が詠った歌である。春日山は三笠山であるとされながら、この歌では、同時に二つの山が登場している。ただし、良く読むと、高座があるのは三笠山であり、春日の山は三笠山の形容になっているようである。つまり山部赤人の歌は、春日の山は三笠山にかかる意味と捉えても良いのかもしれない。
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「新撰姓氏録」には大春日朝臣が糟を積んで堵となさしめた事により、後に「糟垣(カスガキ)」をカスガに改めたとある。「糟」を調べると、「糟尾」「糟毛」など、どうも白いものが混じってはっきりしない様を意味しているようだ。更に調べると「大言海」には「春日の霞む」が言い慣れて「春日」を「カスガ」と訓むようになったとしている。となれば「糟」と「霞む」が結びつくようだ。
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うぐいすの春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども  「万葉集1845」


ある説に「カサ+ウカ」が縮まってカスガとなったというものがある。「カサ」は「笠・傘・暈」であり、「ウカ」は「食物」の意味もあるが「三日(ミッカ)」など「日」を意味するが、それ以前は「月」を意味していた。「万葉集1845」の歌は、解説によれば「夜の霧を詠んだ歌」であるというが、「カサ+ウカ」が「暈+月」であるのならば、それは暈を被った月となる。


春日なる御笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく

となれば、この「万葉集1887」の歌は春の霞を春日と御笠で強調している事になる。つまり春のおぼろの暈を被った月によって、夜桜を楽しみたいものだという意味になるのかもしれない。
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つまりだ、このたまたま見つけた春日明神と二十三夜の石碑は、春日が月と同じ意味を持つ有力な手がかりの石碑であるのかもしれない。
by dostoev | 2012-08-28 23:00 | 月の考 | Comments(0)

松川姫の恐怖

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蛇体となった松川姫が、後々も祟りを成す存在であったのは、やはり竜蛇神信仰に根付くものだと考える。岩手県だけでは無いが、広く全国には蛇に対する恐れの伝説が広がっている。それは神社だけではなく寺社においても、大蛇退治、大蛇調伏の由緒が伝えられる寺のなんと多い事か。それもひとえに、蛇の属性によるものであろう。

「遠野物語拾遺30」「おせんヶ淵」の伝説が紹介されている。おせんは山に通って蛇体になったのだが、我が子をも食べてしまいそうになってしまう。子供を置いて一人で山に籠ったおせんだったが、それから二十日後に大雨による洪水が起きた。その洪水の大水に乗って蛇体となったおせんは一旦、元の姿に戻ったが再び水の底に沈んだという記述などから、蛇は山に棲んでおり、水を自在に操る存在であると信じられているようだ。また我が子をも食べてしまうそうになるという事から、人間の感情は一切無く、人間に害をなす存在であると認識されていたようだ。岩手県の伝説を調べても、人間を呑み込み食べる話は、かなり存在する。
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例えば岩手県花泉町の大蛇の話には、退治した大蛇の祟りにより死んだ人々が恐れをなし、岩代国である現在の福島県の滝野神社から滝神である蛇王権現を分霊して祀った。画像は、欠上稲荷の境内に置かれている蛇王権現の石碑となるが、岩手県に広まった蛇王権現は本来、福島県の滝野神社からであったようだ。
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滝は水の流れ落ちる姿を、蛇とも竜とも見立てた。そしてその滝の発生している場所とは、殆ど山の中となる。
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山に通ったおせんが蛇体になったのも、山の霊力の影響を受けたからと捉えて良いのだろう。山トイウモノは、樹木が発生し、獣が発生し、水も発生する。そして雨を呼び込む雲も発生するのだ。水や滝などが蛇に見立てられる他に、異形となった古木なども蛇に見立てられていた。そして雲も雨を降らす竜と見立てられる。つまり山とは、蛇もしくは竜の棲家と考えて良いだろう。空海の雨乞いの儀礼の挿絵に見えるのは竜では無く蛇の姿であったのも、元々蛇も竜も同じものとして認識されていたのだろう。それ故に「龍蛇神」という表現がある。
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その自然の力を内包する蛇という存在を、人々は恐れたのだろう。松川姫が蛇体となった瞬間、そこには人間の姫では無く、人を超越した祟りを成す神に等しい存在となった為、それを恐れた人々は弁財天と共に祀り、祟りを抑制しようとした。松川の女護沼は、山の奥に存在する沼だ。松尾村の平舘における川の主の祟りも、川の水の発生が山である事から、松川姫が飛び込んだ女護沼も、川主の大元である水源の為であったのはつまり、山の神の祟りを受け、魅入られた姫が人身御供として飛び込んだのではなかったか。

山形村に伝わる「八郎太郎」では、川の水と一緒に赤い魚を飲み込み、蛇体になり、そして龍に変わってしまった。また「遠野物語拾遺124」では、赤い魚を捕り神の祟りを受けたとある。また遠野市上郷町の傘森山の麓に沼の御前を祀る神域があるが、この神域で捕った魚を食べた為に祟りが起きたという話も伝わっている。川の主の大抵は神域に棲むもの。しかし、その川の水は山から発生し、流れて来ているのだ。山に龍宮の入り口がある話は、全国に見受けられるが、それはつまり、古くから山には竜神が棲むと信じられていたからだ。
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女護沼は、岩手山の山懐にある沼である。南部の守護の山としても岩手山は存在した。また、遠野においては松崎沼に松川姫は飛び込んだとされるが、その松崎沼の跡には沼の御前が祀られている。その伝承は、荒屋の沼と繋がっているとされ、その荒屋にもまた沼の御前が祀られている。その沼の御前の祠は早池峰山に向けられて建てられている事も踏まえ、遠野の沼の御前の伝承を調べてみても、早池峰山に結びつく。早池峰山は岩手山と並び、岩手三山の一つとなり、また南部氏の守護三山にもなる。つまり南部氏は、女護沼であろうと、松崎沼であろうと、松川姫が飛び込んだのは守護する山の祟りだと捉え、抵抗する術は無く、すんなり受け入れる他は無かったのであろう。恐らく松川姫が遠野に移り住んだのは、田舎での療養も含め、守護山であり水神の祀る早池峰の山の麓で、早池峰山に対しての祈りによる回復を期待したものでは無かっただろうか…。
by dostoev | 2012-08-27 22:36 | 遠野小学校松川姫の怪 | Comments(0)

画像の違和感

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同じ場所、ほぼ同じ時刻(16時頃)に撮影した画像に違和感が。。。
by dostoev | 2012-08-27 10:49 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

松川姫の怪(女護沼)

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遠野藩主でもあった南部弥六郎の上屋敷は、盛岡にあった。ある時、奥方
同伴で平舘に遊び、土地の者の勧めで赤川の替鞍淵でヤス使いの名手を
呼んで川狩りを楽しんでいたのだと云う。

その時、遠野では見た事も無い大きな鰻が捕れたので、殿様は大喜びで
「直ぐ料理して食膳に上げよ。」と命令し、奥方と二人で賞味したのだと。
実はこの鰻は女護沼の主であったそうな…。

丁度その折、奥方は身篭っておられたが、やがて月満ちて一人の姫を産
んだのだと。しかしその生まれた姫の顔には、ヤスで突いた様な痕跡と顔
一面に斑なソバカスが広がっており、見るも憐れな顔であったのだという。
しかし、夫婦は沼の主の祟りとはつゆ知らず、不憫な姫と思いながら慈しみ
育てたのだという。

そのうちに姫も17歳になった。花も恥らう頃とは言え、顔の傷は消える事も
無く、いろいろ手を尽くしても、その効果は無かったという。そんな時、松川
温泉の湯が効くと勧める者がいたので、藁をもすがる思いで、殿様夫婦は
姫を湯治に赴かせたのだと。

姫の籠が松川の女護沼側に差し掛かった時…。

「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ。」

付き人が籠の戸を開けると、姫は忽ち蛇体となったと。

「我が母の胎内に在りし時、替鞍淵の主である斑鰻を父母が捕らえて食し
たる 因果により、世にもあるまじき面貌となる。我は今より、この主無き沼
の主と なろう。」

と言い残し、姫は忽ち沼の水中に消えていったのだという…。

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女護沼は、現在「御護沼」と呼ばれ、松楓荘の手前にあり、自然の沼と云うより、松楓荘の庭の池の様に感じた。沼の背後は、木々が生い茂っているが手前は開けており、明るい陽射しが差し込み、陰鬱な沼というイメージがあったが、実際は明るい綺麗な沼であった。松川姫が「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ。」と言ったのが理解できるような、沼の風情である。
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しかしだ…現在は舗装道路が延び、この女護沼は、かなりの奥ではあるが、行き易くなっている。それが江戸時代となると、道は獣道のようなところを通り、この奥なる奥の沼まで籠を担いで来たのだろうか?
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沼の深さは、然程深くは感じなかった。松川姫が飛び込んだとしても、お付の者がすぐに助けられる深さであろうが、松川姫は籠から出た時には既に蛇体になっていたという。するすると水を這うように泳いで行かれたら、誰も手出しはできなかったのだろう。
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沼の周囲には、かなりの巨木があり、この地の歴史の深さを感じさせてくれる。いや歴史というより、かなり古くから未開の地であったのだろう。
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かなりの数のトンボが産卵の為に、この沼の上を飛び交っていたが、恐らく今も昔も、この光景は変わってはいないのだろう。
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「日本の伝説42(岩手の伝説)」に、やはりこの女護沼の伝説が紹介されている。大まかなあらすじは同じなので割愛するが、他に遠野での伝承にも触れていたので紹介したい。

一方、遠野の南部家では8月13日になると、奥座敷に膳部を供えたうえ、家人の出入りを禁ずる。そこへ蛇体となった姫が現われて1年間の無沙汰を謝するという。姫は、その奥座敷に訪れた印として、鱗の一片を残して去るのだそうだ。また松尾の松川では、沼の主が留守するので、この日必ず暴風雨が起こるという言い伝えもある。

南部弥六郎は遠野に住んでいたわけでは無く、盛岡に屋敷を持ち、特別な行事の時に、遠野入りしていたという。つまり、家族も…また伝説の主人公である松川姫もそれに倣って遠野入りしていたのだろうか?ここに伝説の交錯がみえる。事実として松川姫が入水したのであれば、その話が末端まで広がったとすると、その入水した沼であれ池であれ、それが松川の女護沼ではなく、遠野の池や沼となったのは理解できる事である。何故ならば、松川姫自体が頻繁に遠野入りしていたのであろうからだ。病気の療養という名目は、今も昔も"田舎"でこそ行われる。記録には残っていないが恐らく、松川姫は病気の療養として、頻繁に遠野入りしていたのではなかろうか。もしくは、病気となってから遠野に移り住んだ。だからこそ入水したという箇所が「遠野物語31話」の最後に「ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所もあるようである。」と伝えられるのだと考える。
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また南部弥六郎が遠野と盛岡を行き来していたのも、執政の理由もあったのだろうが、娘に会いに来るという名目もあったのかもしれない。確かに松川姫の松川は、松川温泉の松川からきているのだろう。ただここでの疑問は、もしも姫が本当に、この女護沼に身を投げたとしても、何故にその遺骸を埋葬した伝承が遠野にしか残っていないかである。

松川姫が蛇体になったとしても、それならば、この女護沼に、神として祀ったであろう。しかし女護沼には、その形跡がない。遺骸になったとしても、大抵は盛岡の菩提寺に埋葬する筈だ。遠野側の伝承が松川の女護沼の伝説に比べて妙にリアルなのはやはり、松川姫が遠野に住んでいたからではなかろうか。松川姫が蛇体となったという伝承の事件は、松尾村の平舘であり松川の女護沼であろうが、後の死ぬまでの間を過ごしたのが遠野であれば、この「松川姫の怪」の伝説が遠野に強く残っている理由は納得するのである。
by dostoev | 2012-08-27 06:52 | 遠野小学校松川姫の怪 | Comments(0)

早池峯山遥拝所 其の一(拝峠)

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大迫の、拝峠へと行って見た。峠にある早池峰山の遥拝所を確認する為だ。拝峠の名の由来も、早池峰を拝むからきている。こういう遥拝所は、早池峰山を中心に、いくつも点在する。岩手県の山としては、最多の遥拝所があるのが早池峰山となる。そして、その中心となるのが遠野である。
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鳥居を潜り、草が生い茂った道を歩いて行くと、小さな石碑がポツンとあった。
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早池峰山と刻まれているが、然程古くはなさそうだ。
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本来は、この場所から早池峰山を仰ぎ見るのだろうが、草木が生い茂り、早池峰山を見る事ができない。ただし、峠の途中で早池峰山を確認している。車などで走っている最中、早池峰山が見えると、よそ見運転となってしまうが、ついつい見てしまう。なんというか、思い入れのある山が見えるだけで、どこか嬉しい気持ちがこみ上げてくる。恐らくこの拝峠の早池峰山遥拝所も、同じ気持ちを持つものが、その信仰心から建てたものだろう。そう、早池峰が見えるだけで感激してしまったのだろう。とにかくこの遥拝所が出来た理由は純粋で、素朴な信仰心からだと思うのだ。
by dostoev | 2012-08-25 19:18 | 早池峯信仰圏 | Comments(0)

子猫の貰い手募集!!!

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生後、約一か月の子猫がいます。画像ではよくわからないと思いますので、興味がある方は、直接店まで、おいでくださいませm(_ _)m
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by dostoev | 2012-08-23 18:43 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

遠野物語拾遺13(乳神様)

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宮守村、中斎に行く路の途中に、石神様があってこれは乳の神である。昔
ある一人の尼がどういうわけかでこの石になったのだと言い伝えている。

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かっては、乳の出ない婦人はここに参詣し、乳の形の石に酒をあげたり、石にその酒を注ぐと、今まで出なかった乳が出るようになったと知られ、この乳神様まで遠くから多くの乳の出に困っている婦人たちが参詣に来たという。

画像で見るように、平坦な石の尖った二つの出っ張りが、人間と同じ二つの乳房に見立てられたようだ。古来から日本人は、自然のモノに自らを投影していた。樹木の名称も、人間の部位に擬えて名付けられ、桜の樹齢が約50年である事から、人間の依代ともされた。また自然石にたまに見られる男根の形の石や、女陰の形の石なども崇敬し、人間を超える力を期待し、神としても祀られたものが、かなりある。この乳神様の乳母石もやはり、貧しい為に栄養不足となって婦人にとって、我が子に与える乳が出ないという事は、その我が子の死をも意味する為、こういう自然石にも、人間を超えた力を期待した。それが偶然であろうと、一度の偶然に、多くの人々が藁をもすがる想いで参詣した時代の名残が、この乳神様の石であった。
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しかし、この乳神様の場所には乳母石とは別に、何やら苔生した石碑が三つ並んでいる。この苔は、勝手に剥ぎ取るわけにもいかず、何が刻まれているか確認はしていないが、予想するに山神の石碑ではなかろうか。乳母石と呼ばれる石は、姥にもかけられ、恐らく山姥のイメージと重ねたのではなかろうか。いやあくまでも、これは妄想であるから、これ以上は書こうとは思わないが、この乳神様の少し離れた場所に、早池峰山と刻まれた石碑が建つ、早池峰の遥拝所がある事を知った。この乳神様は無尽和尚の小さな寺跡近くである事。また、この石そのものが無尽和尚の母親である貉が石になったものだと伝えられる事などから、恐らく石碑には「山神」と「早池峰山」と刻まれているのではないかと推測してしまう。無尽和尚の伝承に、早池峰の女神との関わりがある事も、一つの要因ではある。

「中斎へ向かう…。」と文中にはあるが、中斎へ行けば、そこから先は馬越峠を越えると、早池峰山の麓である早池峰神社まで行き着く事になる。途中を逆に曲がれば、無尽和尚の東禅寺に辿り着く。寺沢にある早池峰の遥拝所などから考えても、この寺沢経由で中斎へ行くという道のりは、最終的に早池峰への道のりではなかったろうか。「宮守村誌」の序文に森嘉兵衛氏の文章が、それを強く印象付けた。

「人々は山の生活と里の生活を調和する為に、天台の本覚を信じ、十一面観音を七か所に配し、深い精神に支えられ、政治の混乱に耐えてきた。安倍氏・藤原氏の没落にも、阿曽沼氏の不明にも、明治の南部氏の混迷にも、営々として迷わず、絶やさなかったのは先祖の祀りの灯であった。」
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宮守の歴史と信仰を調べると「先祖の祀りの灯」とは、早池峰への信仰心であろう。この乳神様は、森氏の言葉を捉えるなら、まさに「山の生活と里の生活」の調和そのものである。山に発生した霊験が、里の人々に幸せをもたらす象徴でもあったのだろう。ひとえに、この乳神様の霊験は山の姫神であり、遠野・宮守一帯に広がる早池峰姫大神への信仰が、人々の灯であったのだろうと思えてならないのだ。それ故に、乳神様の乳母石に建つ苔生した石碑は、早池峰への信仰から建てられたものであろうと考える。
by dostoev | 2012-08-22 21:44 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(2)