遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2012年 05月 ( 32 )   > この月の画像一覧

十日余りの月

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廻り逢いて 見しやそれともわかぬまに 
                   
            雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部) 

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旧暦の10月10日には「十日夜」と呼ばれる行事があって、観月の慣習もあったという。実際に、毎日形を変える月を観る楽しみはあったのだろう。ただし月に願いをかけるのは、不実な事であるという。それは毎日変わる月の形が、心変わりを表すからだと。

上記の紫式部の歌だが「久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかのわずかな間に慌ただしく帰ってしまわれた。まるで、雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。」という感じで訳される。心の変化と共に、歳と共に見た目の変化など、知られたくない人には知られたくないもの。そういう場合は、そそくさと身を隠すのが良いのだろう。また、それとは別に"垣間見る美しさ"を意味しているとも捉える事が出来る。ずっと同じものを眺めていれば、飽きる時もあるだろうが、それが一瞬であれば、その残像が脳裏に刻み込まれ、その個人の中で妄想を湧き上がらせ、必要以上に美化されて残る場合がある。月は美しいものの例えになるが、その美しい月が雲に隠れている中、たまに顔を覗かせた時ほど、美しく感じるものであろう。雲を纏わない月というものは、日常に溶け込んでしまい、印象に残らないものであるから。
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by dostoev | 2012-05-31 20:55 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

蟲の姫

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遠野市小友町に「蟲供養塔」というものがある。昔、この道路の開発の際に、大アリの如くまたムカデの如き寄虫が無数に出て、上の千眼城山に逃げ去り、常楽寺の第十二世海岳呑船和尚が供養の為に建立去れたものだと云う。しかしその蟲供養塔は、いつの頃かの洪水の為に流失し、今は「路供養塔」のみ現存する。
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最初の解説は「小友探訪」からによる抜粋だが、この話には異伝があった。ある古老に聞いた話では、なんでも無数の蟲が湧いた時、ある少女の笛の音によって、その蟲は千眼城山の麓に集まり、その少女を包み込んで山の奥彼方に消え去ったという。まるで、その少女は「風の谷のナウシカ」みたいな存在だったのかとも思えてしまう…。

物語に登場する少女の奏でる笛はまるで「風の谷のナウシカ」に登場する"蟲笛"の如きか?「風の谷のナウシカ」では吹くというより、振り回す事によって音をだし、蟲を呼び寄せるもの。この異伝での蟲笛とはどんなものだったのだろうか?蟲を呼び寄せるに似通っているものに"ハーメルンの笛"がある。このハーメルンの笛は、蟲では無く鼠を呼び寄せるもの。呼び寄せる場合には、その蟲なり鼠の好む音か、もしくは敵意を抱かせる音なのだろう。ナウシカの場合はオウムという蟲の触手によって傷を癒されたが、逆に無数の蟲に襲われて体が蟲に包み込まれる場合もあるだろう。この少女は、どちらであったのだろうか?

蟲を操るで古くは「古事記」において、根の国へ行った大国主が蛇の室や呉公(ムカデ)と蜂の室での試練で、須勢理毘売から「領巾(ヒレ)」を借りて危機を乗り越える。この領巾もまた蟲を操る道具であり、寄せるとは別の蟲を除ける道具となる。

蟲は古来、蛇を含んで蟲と言っていた。その名残として"蝮(マムシ)"または魔蟲とも云われる毒蛇が蟲に含まれていた。蛇は、煙草の脂の匂いを嫌うとされ、山中では魔である蛇が寄って来ない様、煙草を吸ったという。先に記した「古事記」での領巾は、それを振る事により除けるもの。つまり視覚に訴えたのであろうか?煙草の脂は嗅覚に訴え、そして笛は聴覚に訴えるものであるのだろう。有効範囲を考えてみても視覚<嗅覚<聴覚であろうから、広範囲に渡っての有効手段は聴覚に訴える笛が有効であるのだと思う。ましてや無数の蟲が湧き出たのだから、広範囲に有効な笛が登場したのは理解できるのだ。

また、何故に少女であったのかを考えてみても、女性である須勢理毘売がその領巾を扱う存在であったのは本来、神などと更新するのは巫女であり、古来は卑弥呼の様な女性であった。髪を結わないザンバラ髪は、毛先から霊力が溢れ出るとされていた。「日本書紀」における天武天皇記では、「巫女は髪を結わないのが好ましい」とされているのは、元々神や異界と交信する為に、髪の毛がその有効手段である証明であり、女性の髪そのものが霊力溢れるアイテムであった証となる。つまり、蟲であろうと物の怪や神であろうと、女性という存在は、そういうモノ達と交信できる存在であった故、この物語においても少女が登場するのも納得出来るのだ。恐らく「風の谷のナウシカ」においても、そういう意識が働いて、少女が主人公になったのではなかろうか。ましてや、その国の姫という存在である。呪力は古来から、高貴な血ほど効果的であるとされている事から「風の谷のナウシカ」は王女であったのだろうが、この小友町の伝承に登場した少女とは、はて…。
by dostoev | 2012-05-31 08:24 | 民俗学雑記 | Comments(0)

月の持統天皇(今日は、九日月)

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新月から始まり、今日で九日月となった。古代は太陰暦であり、こうして毎日、月を確認して時の移り変わりを感じていたのかもしれない。変わらぬ太陽より毎日、少しづつ変化していく月の形が、古代の人達にとって現実的であったのだろう。
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北山にたなびく雲の青雲の 星離れ行き月を離れて(持統天皇)

この持統天皇の歌は、天武天皇を雲に例えて、月を持統天皇、皇子らを星に例え、離れていく様を詠んだ歌と考えられている。ここで疑問が起るが、本来男神であった天照大神を持統天皇擁立の為に女神としたという説があるが、持統天皇は自らを月に例えて歌っている。それでは、太陽かと思われる天武天皇を、雲に例えているのだ。とにかく持統天皇には太陽神の自覚が無いのか、その意思が無いのか、自分は太陽の対となる月であると、心情を歌に込めているのだ。

月は東から昇り、西へと沈んでいく。太陽神である天照大神の荒御霊は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と云われる。以前、書き記したように「天疎(あまさかる)」とは「月が西に去って行く事」である。また「倭姫命世記」では、荒祭一座を「一名瀬織津比咩是也。」 とある。しかし最近、多賀を調べているが、伊勢神宮にも多賀宮があり、そこには月神が祀られているという。
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また「倭姫命世記」垂仁26年の条に「伊弉諾尊捧げ持ちし所の白銅鏡二面是れ也。是れ則ち日神月神所化の鏡也。水火二神の霊物たり。」これを読むと、元々は伊弉諾と伊弉弥が日神と月神を司っていたのが、伊邪那美が闇である黄泉の国へと堕ちた為、代わりの日神と月神を新たに化成させようとしたのではなかろうか?
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ところで…内宮所伝本「倭姫命世記」「天照皇太神和魂」の項には「亦右目を洗ひて、月天子を生みます。亦天下生ますみ名は、天照皇太神の和魂也。祓戸神、伊吹戸主神は、是天照皇太神の第一の攝神荒祭宮の多賀宮是也。」つまり、天照大神の和魂も荒魂も月神であったという事になる。ならば天照大神として擁立された持統天皇もまた、月の神であったというのが正しいのだろうか…。
by dostoev | 2012-05-30 22:35 | 月の考 | Comments(0)

簡単な観光ガイド

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午前11時過ぎの頃、泊り客が13時20分頃の列車で帰るという。それまで暇だという事で、簡単な遠野観光ガイドをする事になった。まずは綾織町から小友峠を走りながら「遠野物語拾遺」に登場する二郷山の怪を話しながら途中の二郷山の中腹にある二郷神社へ寄った。
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その後、小友町に鎮座する巌龍神社へ寄り、傍らの河童淵を確認した。
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そして、虫の話をしながら虫供養塔経由で、「遠野物語拾遺」に登場する「おせんヶ淵」に足を向けた。雨が少ないせいだろうか、川の水量が少なかった。
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昨日案内した早池峰神社周辺は、赤いツツジが目立っていたが、小友町は藤の花で、辺りが染まっていた。また庭先に立派な藤棚を作っている家もあったので、今度撮影を頼んでみようかとも思う…。
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最後に立ち寄った河童池は、フナが群れを成して泳いでいた。小友だけでも、突き詰めれば1日では見る事の出来ない名所を、簡単に駆け足で駆け抜けた観光案内だったが、また来るというので、今度はもっとディープな場所を案内しようと思う。汗をダラダラかくような場所に(^^;
by dostoev | 2012-05-30 13:56 | 民宿御伽屋情報 | Comments(2)

早池峯神社茅葺屋根改修について

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数年前に拝殿の屋根にシートがかけられ、そして山門の屋根にもシートがかけられ、痛々しい姿になった早池峰神社。その茅葺屋根の改修には5千万円程の予算が必要であるという。そこで広く寄付を募っているようだ。自分もかなりお世話になっているので、これには参加しようと考えている。他にも、早池峰神社を守りたいと思う方は是非、寄付をよろしくお願いします。
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by dostoev | 2012-05-29 22:10 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(6)

三日月の沈む夜

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昨夜は、空が晴れており三日月が輝いていた。イメージ画像として三日月を撮っておきたかったので、撮影してみた。実は、遠野のあちこちに三日月様を祀る祠があり、青笹には三日月神社があって、伊達正宗を崇拝した為に建立されたものだという伝承もある。正確にまだ三日月信仰を詳しく調べていないので、今後の予定の為に、撮影してみたのだった。
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by dostoev | 2012-05-27 07:08 | 遠野不思議(自然) | Comments(0)

「遠野物語拾遺32(田村麻呂伝説)」

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橋野の中村という処にも昔大きな沼があった。その沼に蛇がいて、村の人を
取って食ってならなかった。村ではそれをどうともすることが出来ないでいる
と、田村麻呂将軍は里人を憐れに思って、来て退治をしてくれた。

後の祟りを畏れてその屍を里人たちは祠を建てて祀った。それが今の熊野神社
である。

社の前の古杉の木に、その大蛇の頭を木の面に彫って懸けておく習わしがあっ
た。社の前の川を太刀洗川というのは、田村麻呂が大蛇を斬った太刀を、ここ
に来て洗ったからである。

                      「遠野物語拾遺32」

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岩手県内に溢れかえる田村麻呂伝説が、この橋野にも漂流している。御存じの通り、田村麻呂は蝦夷征伐のヒーローとして扱われるが、実は東北地方にとっては征服者であったわけだ。その征服者がヒーローに祭り上げられているのは、勝利者による歴史の編纂が行われた事を意味する。これを逆説的に考えれば、勝利者である朝廷側にとって隠すべきものがあると考えても良いのではないだろうか?それかまた、都市伝説の流布と同じように、流行に乗り挙って伝説に名乗ったかのどちらかであろう。ただ、この熊野神社の宮司は田村氏といい、この熊野神社自体が田村家が、天文三年(1534年)に勧請したものだという。
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物語に多く登場する大蛇は、しばしば洪水に見立てられる。頻繁に氾濫する川は、暴れ川、もしくは暴れ竜とも称されるからだ。太刀を洗ったという太刀洗川とは、熊野神社の前を流れる能舟木川の事をいうが、別に洗川とも祓川とも云う。遠野の早池峰神社前の川も祓川と云う事から、この川でも禊の神事が行われたのかもしれない。

ところで熊野神社の鎮座地を御山と呼び、熊野神社と称したのだという。つまり熊野神社勧請年代は1534年であるが、それ以前は、山そのものが熊野神社として祀られていたのだろう。現代においても、熊野神社の例祭を御山祭と呼んでいるのは、その名残であろう。御山とは「おやま、みやま」とも読む。「みやま」は山に対する尊称となるが「みやま」は別に「深山」でもあって、それは「新山」でもある。
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社の前の古杉の木に、その大蛇の頭を木の面に彫って懸けておく習わしがあったとあるが、マタギの風習に熊の頭を家の軒先に掲げ、魔除けとした例もある事から、それはやはり魔除けであり、厄除けであろう。大蛇が洪水を意味するのなら、その大蛇を倒したという証を、同族に見せる事によって厄除けとしたのではないか?それともう一つ考えられるのは、古代に似通ったものに"蘇民将来"がある。この蘇民将来、一説には「出雲神を祀らぬ家の者は殺された…。」というものがある。奇しくも岩手県には蘇民祭が多く存在する。以前は、この中村という地と橋野などを含めて栗橋村と言ったのだが、その歴史を調べると熊野信仰を持ち込んだ人々が開拓した地でもあったようだ。これはあくまでも妄想だが、熊野神社を勧請し、その証として大蛇の頭を模したものを掲げるとは、もしかして同族に知らしめる為では無かったのだろうか?古代から戦地となった蝦夷の地は、戦ごとに帰還せずに住み着いた人々が多かったそうだ。つまり、戦ごとに、かなりの種族が住み着いたのも、蝦夷の地であった。その同族、同郷の者に対するサインとしての習俗の可能性もあるのかもしれない。
by dostoev | 2012-05-26 18:13 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(0)

小ぎつね

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5月の連休明けから、この頃には高清水の麓から頂への道にかけて、あちこち小ぎつねがチョロチョロと遊んでいる姿に出くわす。自分はそれを知っているから、飛び出すキツネを轢かないように車をゆっくり走らせる。キツネに会うのも、目的であるし。

まだ幼いので警戒心は薄く、近寄っても『なんだろ?』という感じで、すぐに逃げずに、カメラを構えたこちらを伺っているので撮影は容易だ。今回は、頂付近で見かけたが、いつもは麓の方で多く見かけるのが、子ぎつねだ。多い時で5~6匹が道路でチョロチョロ遊んでいる。とにかく毎年、子ぎつねを見るのを楽しみにしてる(^^)

by dostoev | 2012-05-25 05:30 | 遠野で遭遇する生物 | Comments(0)

鈴鹿権現と瀬織津比咩(其の八)

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鈴鹿権現と瀬織津比咩(其の七)の後半において、各風土記における"荒ぶる女神"を引き合いに出したが、鈴鹿権現をいくら調べても、鈴鹿峠における鈴鹿権現の姿は曖昧になるばかりである。一番しっくりくるのは、荒ぶる女神として後世に創られた存在であるという事ではなかったか。ただハッキリ言えるのは、荒ぶる女神の属性を兼ね備えた存在が、鈴鹿権現であるという事だろう。荒ぶる女神は山に鎮座し、行き交う旅人の命を奪う存在。鈴鹿権現も、また同じ存在であった。
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何故に鈴鹿権現は京都の祇園祭の牛頭天王…つまり素戔嗚と一緒になっているのか?それは荒ぶる神としての属性の正統性に他ならないからだろう。この京都の祇園祭においての鈴鹿権現は、瀬織津比咩であるとされている。

素戔嗚の子供には、宗像三女神がいる。素戔嗚の持つ十拳剣から、宗像三女神が誕生した。荒ぶる素戔嗚の所持する、また荒ぶる武器である剣から生まれた宗像三女神もまた荒ぶる女神であった。鈴鹿権現は、剣では無く薙刀を所持しているが、これは女神であるゆえ剣から薙刀に置き換えられたのだろう。その薙刀の初見は天慶の乱(938年)の合戦絵巻に登場するのが最古であるという。それから考えれば、やはり、坂上田村麻呂の蝦夷征討「延暦20年(801年)」の後に、鈴鹿権現が創られたのではないかと思う。貞観11年(869年)に祇園祭が始まったとされるので、その後に薙刀を持った鈴鹿権現という存在が出来上がった可能性はある。そして、その創った氏族は、恐らく秦氏の一族だろう。
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秦氏の建立した神社の中に、名神大社である松尾大社がある。その松尾大社を調べると「秦氏本系帳」によれば「松尾大社は、筑紫胸形に坐す中部大神なり」とある。恐らく宗像の中部大神の「中部」とは、宗像三女神の次女あるいは中津宮に祀られている姫神であろうと考える。それでは、その女神とは?「古事記」と「日本書紀」とでは祀られている女神と島が一致しないが、宗像大社の社伝に合わせると、それは多伎津姫(湍津姫神)となるのだろう。では何故、秦氏の建立した松尾大社に祀られる女神は多伎津姫なのであろう?ただ秦氏の、多伎津姫に対する思い入れを感じるのだ。その多伎津姫は與止日女と結びつく。その與止日女は瀬織津比咩と習合するとなれば、秦氏と鈴鹿権現である瀬織津比咩との結び付きは容易であった。
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そしてだ、京都に流れる水系で忘れてはならないのは、その水の源が近江国の琵琶湖からであり、佐久奈谷から始まっている事であろう。何度も紹介しているからわかっている筈だが、佐久奈谷に鎮座する佐久奈度神社に祀られる神とは瀬織津比咩であり、それが宇治川の畔に鎮座する橋姫神社と結びついた。宇治は兎路であり、その兎の経路を辿ると、鈴鹿峠を経由して伊勢神宮にかかる宇治橋まで行き着く。その途中の鈴鹿峠は、山中他界の信仰からまた異世界へと繋がっているのだと考える。菊地展明「円空と瀬織津姫(下)」では「蒲生郡志」が紹介されており、そこには「佐久奈度の神は水別の神にて境界線に祀らるゝ例多し。」とある。ここで瀬織津比咩は境界神でもあるというのがわかる。そう山中他界である鈴鹿峠もまた一つの境界であった。この琵琶湖の佐久奈谷の瀬織津比咩が宇治の路の流れに沿って鈴鹿峠に祀られ、鈴鹿権現になったものと考える。
by dostoev | 2012-05-24 18:46 | 鈴鹿権現と瀬織津比咩 | Comments(2)

多賀という語源(其の四)

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又、此の川上に石神あり、名を世田姫(または與止日女)といふ。海の神、
鰐魚と謂ふ 年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の
底の小魚多に相従ふ。或は、人、其の魚を畏めば殃なく、或は、人、捕り
食へば死ぬることあり。凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。

                         「肥前國風土記(抜粋)」

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橋野の沢の不動の祭りは、旧暦六月二十八日を中にして、年によって二月祭と
三月祭の、なかなか盛んなる祭であった。

この日には昔から、たとえ三粒でも必ず雨が降るといっていた。そのわけは昔こ
の社の祭の前日に、海から橋野川を遡って、一尾の鮫が参詣に来て不動が滝の
滝壺に入ったところが、祭日に余りに天気がよくて川水が乾いた為に、水不足して
海に帰れなくなり、わざわざ天から雨を降らせてもらって、水かさを増させて帰っ
て往った。

その由来があるので、今なおいつの年の祭にも、必ず降ることになっているといい、
この日には村人は畏れつつしんで、水浴は勿論、川の水さえ汲まぬ習慣がある。

昔この禁を犯して水浴をした者があったところ、それまで連日の晴天であったの
が、にわかに大雨となり、大洪水がして田畑はいうに及ばず人家までも流された
者が多かった。わけても禁を破った者は、家を流され、人も皆溺れて死んだと伝
えられている。

                           「遠野物語拾遺33」

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笛吹峠を越えたところに、橋野という地がある。「遠野物語拾遺33」に鰐が川上を遡って来るという話が伝わっている。それでは何故、鮫が川を遡るのかというと、そこには神がいるからであろう。「肥前國風土記」のように神を求めて鮫だけでなく、魚が遡って来たのだろう。そしてこの瀧澤神社には、竜神の石というものがある。伝説で鮫が川を遡って来たのは、竜神が石の形として鎮座しているからであったろう。
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そしてもう一つ、楕円形のボコボコの瘤だらけの石がある。遠目で見ると、鱗状の石にも見える。この石は、かなり昔、ある人物が竜神様の姿だとして持ち込んで祀ったのだと。この石を見て「磯良エビス」であると直感した。磯良神は対馬の和多都美神社に安曇磯良の墓なるものがあり、それは本来、磯良神の神体石であるという。それを"磯良エビス"と云う。その磯良は、白蛇&白竜と信じられる神でもあった。
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ところで話は変わるが、各風土記の荒ぶる女神の項を読んでいると、例えば「筑後国風土記」での筑紫の神とは「肥前国風土記」から、それは女神であり"人の命を尽くす女神"であるという。しかし、それ以前に人の命を絶つ神として君臨していたのは、黄泉津大神とも呼ばれる伊邪那美であった。

伊邪那美である黄泉津大神と筑紫の神も女神としては共通するが、その筑紫の神を紐解くと、川上に坐す石神であり、與止日女である事がわかる。しかし「出雲風土記」から多伎津姫(湍津姫)は多久村で生まれた石神とされる。この多伎津姫は風土記の中で與止日女と結びつく。肥前国一宮である與止日女神社の與止日女は瀬織津比咩と習合しているのを考え合わせるとだ…。
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素戔嗚の剣から生まれた三女神は、当然の事ながら荒ぶる女神の属性を備える。「宗像大菩薩御縁起」によれば、7代天皇期に、宗像神は出雲より宗像に遷行。つまり宗像神は出雲神でもあるのだ。また別に、大国主と多紀理毘売命が結びついている事から、出雲との結び付きは深い。しかし「先代旧事本紀」では、大国主(大己貴神)と結びついているのは多伎津姫となっている。ただどちらにしろ、荒ぶる女神には変わりないのだろう。
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遠野の多賀神社に何故、伊弉諾と水神がペアで近江の国の多賀大社から分霊されたのかを考えると天智天皇以前の古くから佐久奈谷(桜谷)は黄泉の国と繋がるという伝承が意味するのは、その水神が伊邪那美と同じ属性を持つからだろう。それは先にあげた人の命を奪う、もしくは尽くす神の属性、つまり荒ぶる女神の属性であるからだろう。
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また、近江の国の琵琶湖湖畔の佐久奈谷(桜谷)が宇治の橋姫神社と結び付いたのは、この地に鎮座する佐久奈度神社に祀られる瀬織津比咩であるからであった。

また天智天皇の時代、「大祓祝詞」が作られ、その世界観が近江の国の琵琶湖周辺の地と結び付けられたのを考えれば、琵琶湖そのものが罪や穢れを呑み込む黄泉の入り口であったのだろうと認識できる。

これらの事から察すれば、筑紫の神…つまり人の命を尽くす神とは、「大祓祝詞」において、根の国、底の国…つまり黄泉との繋がりを持つ瀬織津比咩であるのは間違いないだろう。それはつまり、人の命を送る女神が瀬織津比咩であり、それを受けるのが黄泉津大神である伊邪那美という事になる。それが黄泉の入り口で繋がっているという事ではないか。(続く)
by dostoev | 2012-05-23 17:47 | 遠野・語源考 | Comments(0)