遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
高砂の生石神社に造作巨石..
by 河童ハゲ at 20:47
たまに「悪い事したら、河..
by dostoev at 12:02
あの後、遠野博物館でカッ..
by soma0506-yca at 10:42
語源で思い出しましたが、..
by dostoev at 08:19
実は、出て行かれた後に気..
by dostoev at 08:14
環状列石と似た様な感じて..
by dostoev at 08:07
↑ごめんなさい、名前入れ..
by soma0506-yca at 06:06
GOさん、今日はお会い出..
by soma0506-yca at 18:12
立石を環状列石と関わりが..
by 河童ハゲ at 15:01
あまり興味の無い内容なの..
by dostoev at 19:20
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2012年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧

高清水の道路状況

f0075075_1522335.jpg

「高清水には、まだ登れませんか?」という二通のメールが届いた。高清水展望台からの雲海の写真を撮るのが好きという人物二人からのメールだった。時期的に、まだ早いとは思うが、例年よりも少々雪も少ないので、どの程度まで行けるのか、自分も興味があったので、行って見てきた。
f0075075_15272015.jpg

ビールのホップなどを栽培している場所は日当たりも良く、道路にもまったく雪が無いのだけれど、日陰のところにはやはり雪が。進めば進むほど、木々が日陰を作り、それに比例して雪が多くなっていく。

f0075075_15311412.jpg

車の痕があったけれど、これは重機だった。つまりキャタピラじゃなきゃ、この先には行けないよう。やはり4月の半ば過ぎ…やはり4月末頃じゃないと、高清水の展望台までは行けないと思うのだが。。。
by dostoev | 2012-03-29 15:34 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(2)

遠野ガイド

f0075075_943658.jpg

春休みとなって、観光に訪れる学生もチラホラ。しかし季節的にはまだ寒く、雪も残っているので行ける場所には限りがある。昨日も、デンデラ野奥の妖狐の墓を案内しようと思ったが、雪が多く、行くのには時間がかかると判断し、断念。その代りの妖怪系として、「遠野物語拾遺187」に紹介される貉堂を案内した。やはり遠野の本格的な観光は、雪が融けて桜が咲き暖かになってからのような気がする。
by dostoev | 2012-03-26 09:14 | 民宿御伽屋情報 | Comments(2)

災害に強い遠野

f0075075_2122169.jpg

要石というのを御存じだろうか?鹿島神宮の境内にある、地震を抑える石の事だ。その要石が存在する地域を調べても、他に香取神宮と、宮城県の鹿島神社にしかない。そして何故か、遠野には13箇所もの要石が存在する。

遠野は七ヶ町村が集まって遠野市となっているが、その要石の分布を見てみると、早池峰神社だけが一か所だけ離れている。そこで思うのは、早池峰神社を中心に要石が広まったのではないか?という事。早池峰神社の後ろに聳える早池峰山は本州最古の地層である蛇紋岩の山となる。蛇紋岩に魅了された宮澤賢治は頻繁に早池峰山に訪れて、蛇紋岩を採集したという。また早池峰山の信仰は、遠野地域だけに留まらず、東北全体にも、その信仰の根強さを伝えている。
f0075075_21272728.jpg

早池峰山に祀られる神は瀬織津比咩てはあるが、それとは別に不動明王もまた、だ。早池峰の麓に又一の滝があるが、そこには不動明王もまた祀られている。更に早池峰神社の境内にも不動明王の姿を見る事が出来る。今でこそ考えるに、早池峰山には不動の山では無いのかと思う次第である。先ほどの要石とセットになる信仰も不地震に対するもの。ある不地震の伝承では、天変地異に蠢く日本列島の中で、安全な地を求めて遠野に流れ着いたというものがある。つまり、遠野とは揺るぎ無い地であるという信仰が古代にはあったのかもしれない。それは早池峰を中心として、遠野中に広まっているのはやはり"揺るぎ無い早池峰山"があってのものだと考えてしまう。

また早池峰山の語源とはなるが、ハヤチは風をも意味する。遠野には飢饉の歴史が根深く残っているが、ヤマセが吹くと、その年は飢饉であるとなっていた。その風を起すのは早池峰山であると信じられていた節がある。古代の神は、現世利益などまったくなく一方的に祟りを成す神であった。だからこそ人々は、山の怒りを鎮める為に、早池峰を畏怖し敬った。しかし去年、秋の収穫の時、放射能問題から、放射能検査が済むまで、米を一般には販売できない事となっていたが、遠野の米には放射能が検出されなかった。一部、寺沢高原という、遠野の西に聳える山で若干の放射能が検出されたのだが、それは盆地という特性もあったのかもしれない。つまり風に吹かれて東北新幹線沿いの平野を北上した放射能は、遠野盆地の入り口でもある西の山に阻まれたのかもしれない。そしてもしくは、早池峰山から吹く風によって、放射能が遠野盆地内に入り込まない様阻んだのかもしれない。そう思ってしまうのは、去年の大地震によっても然程の被害が無く、夏の大雨の被害も、隣の釜石や盛岡などにはあっても、遠野地方には無縁であった。また大雪による被害により、各地では多くの犠牲者を出してはいるが、やはり遠野では皆無。せいぜい寒さが厳しく冬が長い程度だろうか。こうした災害の無さを振り返ってみると、早池峰山という存在が大きく感じてしまう。そう、遠野という町は、早池峰山に守られているのではないのか?と。

ここで思うのは、もっと多くの人が遠野の良さをわかってもらい、移り住んで欲しいものだ。小松左京の「日本沈没」においても、この早池峰周辺は残るという設定だった。実際に地質学上も、かなり安全らしい。
by dostoev | 2012-03-19 22:09 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(8)

祓川

f0075075_17413123.jpg

瀬織津姫が祀られる早池峰神社前に流れる川を、祓川という。これは早池峰神社に辿り着く手前、祓川の上にかかる橋の上から撮影したものだ。祓川…つまり、橋を渡らねば早池峰神社には辿り着けないのだ。

ところで山上伊豆母「古代祭祀伝承の研究」において、清少納言「枕草子」の川に関する記述を紹介している。

「川は飛鳥川、淵瀬もさだめなく、いかならんとあわれなり。大井川、おとなし川、七瀬川、耳敏川…玉星川、細谷川、いつぬき川、沢田川…名取川…吉野河。」と書き記している中で"七瀬川"だけが、今でも不明であるとしているが、それを山上伊豆母は"賀茂川"であろうと論じている。

以前の記事で七瀬祓について書き記したが、原初は近江国の佐久那太理に始まる宇治水系であったが、平安期においては「賀茂七瀬」すなわち賀茂川水系に七瀬祓が移行していたようだ。それに加え、京洛一である筈の賀茂川を清少納言が記していないのは、清少納言の時代の賀茂川は七瀬川と呼ばれていたからであったろうと、山上伊豆母は論じている。そして七瀬というからには、賀茂川水系に七つの祓戸が存在する筈だとしている。その一つに深草山に水源を有する川も賀茂七瀬の一つであるとしている。祓戸は、水辺において水の霊力に頼った咒術をする場所であった。

宇治水系から賀茂川水系に七瀬祓戸は移ったとされるが、実際は広まったものと考えて良いだろう。何故なら赤木文庫「神道集」において、橋姫について、下記のように書かれている。


「抑橋姫申神ハ、日本国内大河小河橋守神也、而レハ、摂州長柄ノ橋姫、淀ノ橋姫、宇治ノ橋姫ナント申シテ、祖数多申…。」

つまり、日本国内の大小の河川にかかる橋を橋姫が守っているのだと。
f0075075_18523424.jpg

宇治の橋姫神社に祀られる神は、瀬織津比咩である。これは天智天皇の御代に佐久奈度神社に瀬織津比咩が祀られ始まった水による祓戸の始まりから、後に橋姫神社に勧請された為だった。ただ佐久奈度神社の建立時に「佐久奈谷大明神を祀って佐久奈度神社が建立された。」という社伝から、既に瀬織津比咩は佐久奈谷大明神として鎮座していたのがわかる。

鎌倉最末期から貞和二年(1346年)にかけて青蓮院尊円親王が集成した「拾玉集」の歌にはこうある。


にほてるやさくらだによりおちたぎる浪も花さく"うじ"のあじろ木


上記の歌は、近江国の桜谷から始まる水の霊力は宇治に広まったのを感じる歌でもある。実際に祓戸という咒術は、宇治水系を下り広まり、平安時代には賀茂川にまで七瀬祓戸が広まったのは、瀬織津比咩の上に被せられた橋姫の霊力によるものが大きいのだろう。

本居 宣長「古事記伝」において瀬織津比咩「瀬織」「瀬下」であろうと論じている。瀬織津比咩は、瀬に下って穢祓を勧める神であろうと。しかし瀬織津比咩の対となり、同じく"瀬に下った"橋姫「源平盛衰記」において、嫉妬に狂う鬼として語られている。

明神、哀れとや覚しけん、「誠に申す所不便なり。実に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて三七日漬れ」と示現あり。

貴船明神の託宣により、嫉妬に狂った橋姫は瀬に下った。ところで柳田國男は橋姫に関して、こう述べている。「橋姫とは橋の一端に奉安した境神であり、元々は男女二柱の神であるが故にネタミ深く、容易に人を近付けない性格を有する。」と。また嫉妬の語源となる妬みは「"ネタシ"という形容詞の内容は本来、水の霊の冒涜、もしくは、その命令に対する不従順をひっくるめての言葉である。」と。つまり橋姫はまさに水を象徴する月の女神ダイアナの二面性である別の顔、復讐の女神ヘカテと同じである。時代に負の要素が広まると、負の咒術が広まる。丑の刻詣りもその一つとなる。また安倍晴明が持ち上げられるのもしかり、平安時代に拡がった闇の深さが、橋姫という存在を持ち上げ、本来の水神である瀬織津比咩の存在の上を行ったのだろう。それ故に佐久奈谷から宇治川に流れ下った水の咒術は、人間の負の感情を経由して賀茂川水系にまで広がったのかもしれない。ただしそこには、あくまで太陽の昇っている時に行われる清廉な水の咒術と、太陽が沈み闇の中で行われる水の負の咒術の二面性があった可能性があったのかもしれない。

「神道集」の書き記すように、橋姫は日本全国に広まった神であるのだろう。太陽の元に行われる早池峰神社の大祭では、神輿が早池峰神社前の橋の下の祓川によって清められる。神輿を担ぐのは神の霊振るいでもあり、それに水をかけるのは若水と同じ邪気を祓い、新たな生命力を宿す行為であろう。しかし夜の闇の中、人知れず行われる水の咒術は、水の霊に対する冒涜となり、人々の負の勧請を増幅するものとなるのであろう。実際に遠野地方でも知らず知らずに、呪いの藁人形などが発見されているのは、本来の咒術に相反する人々の意識があった為であろう。川とは古代から穢れを祓うものではあった。そして、その川の上にかかる橋は、古来から境界でもあった。橋姫が鬼となったのは、橋が現世と異界との境界にかかるモノであり、橋姫はその異界の負の要素に引き込まれ、鬼となったのだろう。

遠野の祓川にかかる橋を渡ると、瀬織津比咩の鎮座する早池峰神社に辿り着く。しかし、その橋において異界に引き込まれれば、それはまさに「水の霊の尊厳の冒涜」となり、心に鬼を宿してしまうのだろう。それでも水の霊力とは古代から尊いものとされているので、闇の中の水の元で鬼となった橋姫も、太陽の元の水に触れて穢れが祓われるのだろう。何故なら、太陽と水の結び付きとは、本来の男女二柱の神の霊力の元であろうからだ。「遠野物語拾遺28(母也明神)」において、人身御供は昔から男蝶女蝶の揃うべきものであるという記述は、本来の正当な水の呪力に頼る為でもあった。

橋姫が鬼になった理由は、叶えられぬ恋心からである。本来結びつくべきが結ばれぬ為、独り取り残され嫉妬し「可愛さ余って憎さ百倍」という負の感情に呑込まれた為だった。とにかく、早池峰神社の手前にある祓川にかかる橋をわたり、無事に瀬織津姫の元に辿り着くか、そうでないかは、その人の持つ心によるのだろう…。
by dostoev | 2012-03-18 20:22 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)

最低な民主党政権に対する正論


by dostoev | 2012-03-17 21:44 | Comments(0)

白鳥の飛来する遠野は…。

f0075075_6323318.jpg

昔、豊後国球珠の郡にひろき野のある所に、大分の郡にすむ人、その野に来たりて家つくり、田つくりて、すみけり。在り着きて家富み、栄かりけり。

酒飲み遊びけるに、とりあえず弓を射けるに的の無かりけるや、餅ひっ括りて、的にして射けるほどに、その餅、白き鳥になりて飛び去りにけり。それより後、次第に衰へて惑ひ亡せにけり。

後は廣き野になりたりけるを、天平年中に速水の郡に住みける訓邇と云ひける人、さしもよくにぎはひたりし所の廃(あせ)にけるを、借しとや思ひけん、また此處に渡りて田を耕たりけるほどに、その苗みな枯れ亡せければ、驚き恐れて、又も耕ず捨てにけりと云える事あり。

                                  【豊後国風土記】


上に記した【豊後国風土記】簡単に訳すと「昔、田野の野はよく肥えていて食べ物が有り余るほどだった。農民たちは富み奢り、ある時、餅を的として弓を射たところ餅が白鳥となって飛び去った。その年のうちに農民は死に絶え、水田を耕す人もなくなり田畑は荒れはててしまった。」となる。

昨日、たまたま綾織の農道を車で走っていたら、白鳥が雪解けの田んぼに群れを成している場所に出くわした。よくよく見ていると、雪解けの水溜りに嘴を差し込んで、何かをついばんでいた。これを遠目で客観的に見ると、何やら田植えというか、田仕事をしている人の姿にも感じられた。そして更によく見ると、その田んぼの中に糞などをしている。ここで思い出したのが、上記の【豊後国風土記】だった。

餅を的にしたら白鳥となって飛び去り、それから飢饉でも来たのだろうか?ただし、これは農民の驕りを説いている話でもある。ところで餅を的にしたというのを紐解くと、食べ物を粗末にしたとも考えられるが、別に思いつくのは、実際に白鳥を弓で射たのではないか?という事。

上の動画を観ても、白鳥のする行動は、田を掻き、糞という栄養分を与えている行動でもあって、白鳥が飛来する田んぼというものは、田畑が豊かになるのではないかと思った。毎年、白鳥が飛来するのは、その土地の人達は暖かく迎えるのであって、もしも白鳥に対して弓で射ったり危害を加えれば、白鳥は恐れて、その土地を避けるようになってしまうのかとも感じた。

水辺で優雅に佇む白鳥の姿もよくよく見かけるのだが、それとは別に、こうして田んぼに飛来して何かを啄んでいる姿も、かなり見かける。もしかして、人間が田を耕す前段階を白鳥が代わりに耕していてくれているのかもしれない。そして恐らく、これからも長きに渡って、白鳥が飛来してくれる遠野という地は、五穀豊穣を約束された土地なのかとも感じた次第だった。
by dostoev | 2012-03-15 07:00 | 民俗学雑記 | Comments(0)

笠通山と三笠(御笠)山と風の神

f0075075_17341268.jpg

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

             三笠の山に 出でし月かも


画像は笠通山であるが、この笠通山にはアイオン台風の後、猿ヶ石川沿いに桜を植え、笠通山に"三笠山"と刻まれた石が奉納されたのはわかっていた。それで何故に「三笠山」なのかを古老に聞いたところ「その当時の長老の決めたとおりに従っただけ…。」という回答に、ずっと三笠山の意味が謎のままであった。そこで上記の歌に詠われる三笠山に関して調べてはいたが、一向に笠通山に結びついてこない。そんな時に、たまたま「大宰府の伝説」というものを読んだのだった。

その内容は、昔、神功皇后が羽白熊鷲という賊を討った後に松峡の宮に移る時、突風が吹いて神功皇后の御笠が吹き飛ばされ、それからその地を御笠村と呼ばれるようになり、今まで竃門山と呼ばれていた山が御笠山になったという伝説。実は、この笠通山に対する伝承も、出羽山から坊さんが東に向かって笠を投げ落ちた処が、笠通山という山になったという伝説がある。ところで松峡の宮というのは地名として存在してないらしく「竃門神社伝記」には「松峡の宮の地は、竃門山九重原、是也。」と記されている。また、江戸時代の学者である青柳種信「松峡の宮は竃門の麓九重原より愛嶽山にかけてを云う名也。」と述べている。

ところで気になる竃門山を調べると、別名「宝満山」とも呼ばれ、この宝満山には玉依姫が白蛇(白竜)の姿になって法城窟に姿を隠した時、その尻尾が別の山を向いたので、その山を「尾だけの山」と呼ばれ、後に「愛嶽山(おだけさん)」になったという。

ここで出羽と、大宰府との共通点が見いだせる。それは"玉依姫"だ。出羽の羽黒権現は、玉依姫とも伝えられるのだ。また出羽は古代「イテハ」と呼ばれ、越の国の先端を意味するという。
f0075075_1858674.jpg

以前から「笠通山(かさのかようやま)」は「風通山(かぜのかようやま)」では無いかと考えていた。ここで神功皇后の伝説を意識しても風は避けられないような気がする。何故なら、三笠山という石を被害のあった台風の後に笠通山に奉納するという行為は"それ"を鎮める意味があってのものだと考えるからだ。

風の神の大元と云われているのは奈良県に鎮座している龍田大社である。祭神は、級長津彦命と級長戸辺命。実は近江国には三大神社が鎮座し、風の神である級長津彦命と級長津姫命が祀られており、これは別名息長宿禰王高額比賣とも呼ばれ、二人の間にこの地で生まれた女子が息長帯比賣命、つまり神功皇后であった。

また他に伊勢神宮の内宮・外宮に、それぞれこの両神が祀られている。伊勢神宮においての外宮は「風の宮」、内宮は「風日祈宮」と呼ぶそうである。そして5月に行われる風日祈祭は「御笠の神事」と呼ばれるのであると。ここでついに「御笠(みかさ)」が繋がった。
f0075075_6504867.jpg

遠野の笠通山に三笠山と刻まれた石が奉納されたのだが、これは恐らく「御笠(みかさ)」であったのだろう。風害とは一般的に、今で言うところの台風の事を言う。つまり、アイオン台風の後に、笠通山に「三笠山」の石を奉納したのは伊勢神宮で云うところの「御笠神事」であったのだろう。

ここでもう一つ、明らかにしなければならないのは…笠通山と出羽と越の国、そして神功皇后と玉依姫を結びつける事である。それを、次の機会に書き記そうとしよう…。
by dostoev | 2012-03-14 19:47 | 民俗学雑記 | Comments(0)

3月13日、民主党関係者が女性に暴力!


3月13日夕方、有楽町マリオン前で民主党近藤洋介議員(山形2区 野田派)他三名の街宣中、街宣内容を批判する女性に対し民主党の街宣車から出てきた男が迫りぶしつけに撮影し、髪を掴み首を絞めて悠々と街宣車に戻るも、民主党議員・スタッフ誰も止めない。13日22時現在男は警察にて聴取、解放との事、傷害罪受理との情報あり。男は民主党本部、国民委員会副部長・中山伊知郎(52)と判明。TV・新聞での報道なし。これとは別にニコ動による生中継によれば、警察は被害届を出さない様、被害者を説得していたという。つまり、警察にも民主党の力が及んでいたという事か。

民主党の前原は、言うだけ番長と揶揄されたが、実際は民主党そのものが言うだけ番長みたいな存在の塊。3月11日の慰霊祭において、野田首相は復興に全力を傾けると宣言し、全国の都道府県に瓦礫の受け入れを指示したのだが、津波の後にすぐに指示をしているか、もしくは各被災地に瓦礫処理施設の予算を設けておれば、被災地が各都道府県の手を煩わす事無く、1年もあれば自ら瓦礫処理を行い、地元の雇用にも役立っていたであろう。つまり、1年間、民主党政府は言葉だけ発信し、何もしてこなかったという事。

その復興予算だが、宮城県の各自治体には希望の3割、4割程度しか出せないといいながら、韓国や中国には、言うなりに支援の手を差し伸べ、破格の国税を提供してる。また更に、バブルが崩壊し、勝手に売る事もかなわぬ中国の国債を買い、更には新潟の敷地1万5千坪の土地を、地元住民だけでなく、全国から反対の声が集まっていたのに関わらず中国に対して売却した。まったく、民主党とは、どの国の為の政党なのか。民主党を支持する国民とは、日本解体を願っている国民なのだろう。特に岩手県は民主党支持者が多いのは、売国主義が多いからなのか?今度の選挙で、そうでない結果を願ってはいるが…。

by dostoev | 2012-03-14 05:16 | Comments(1)

「とおの」の用法

f0075075_6413470.jpg

遠野の語源説には「トオヌップ」「十の戸(とおのへ)」「葛野(かどの)の転訛」「とおの海(とおのみ)」etcが考えられるのだが、古代の大宰府を「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼んだ言葉の用法が気になってしまう。

大宰府が九州の中心ではあったものの、都から赴いた人間にとって大宰府とは左遷の地であった為に「遠の朝廷」と呼ばれたのは恐らく自称であり、大宰府の地に住む人の矜持では無かっただろうか。神亀5年(728年)都から大宰府に大伴旅人が大宰師として下って来てから、筑前守の山上憶良、太宰大弐小野老、観世音寺の別当沙弥満誓らと共に文学グループが形成された。このグループを「筑紫歌壇」と呼んだ。後の天平2年(730年)に任期を終えて大伴旅人が都に戻ろうとする送別の宴での、山上憶良の歌がある。


天さかる雛に五年住まひつつ都の風習忘らえにけり


「天さかる」は、月が空を渡って西へ遠ざかる様を意味し、また「鄙」も都市部から離れた地を意味し「天さかる雛」で「都から遠く離れた田舎」との解釈が一般的になっている。ただ「ひな」という言葉には「夷」という漢字もあてられる。遠野の上郷町には不地震地帯の一つに「ひな森」というものがあり、その説明として「昔、あるお姫様が3月3日に雛遊びやカマッコタキをした場所で、この地は古来から地震で揺れないと伝えられている。」とある。この説明からは何故雛人形と不地震が結びつくのか理解できないが、別に「朝日巫女が常に所持していたオシラ様も、巫女の死後ここに一緒に葬ったとも伝えられる。」という伝承もある事から、蝦夷の聖地では無かったのかと思われる。

確かに「鄙」は田舎を意味しているものの「ひな」は「雛」であり「夷」でもある。「天さかる鄙」を「天さかる夷」に置き換えても、意味はじゅうぶん通用する筈だ。ここで思い起こされるのは、清滝姫の伝承となる。

伊能嘉矩「遠野史叢」には、不思議な伝承が紹介されている。古代の遠野では容貌麗しい14,15歳の少女を官女の教育を施す為に3年の間、和歌などを習わせていたという。その時に、現在でいう岩手県山田町から来た左内という男と、官女候補の清滝姫が恋に落ちての歌が記されている。


【左内と清滝姫の歌】

雨ふらで植えし早苗もかれはてん清滝落ちて山田うるおせ(左内)

及びなき雲の上なる清滝に逢わんと思う恋ははかなし(清滝姫)

かけはしも及ばぬ雲の月日だに清きけがれのかげはへだてぬ(左内)

よしさらば山田に落ちて清滝の名を流すとも逢うてすくわん(清滝姫)



何が不思議かと言うと、田舎と認識する遠野に於いて、官女を養成するなど考えられない。また文化的な和歌を教える地などある筈が無いだろうという先入観もある。しかし安倍貞任が衣川の戦いに於いて敗走する安倍貞任を、源義家が馬で追いながら「衣のたて(館)はほころびにけり」と、歌を投げつけたシーンだ。

一連の伝承は、ただの作られた話なのか、そうでないのか。ただ言えるのは蝦夷の文化と歴史は抹消された事実だけは残る。それ故に、伝承が事実であった可能性も否定できないのだ。とにかく誇大妄想とはなるが、遠野もまたはるか昔「遠の朝廷」と呼ばれ、和歌が盛んに詠われた時代があったのかもしれない、いや他に「遠の故郷」や「遠の湖」などと。そう「遠野」の「とおの」は「遠の…」と、何かを形容した名残の地名の可能性も思ってみた。
by dostoev | 2012-03-06 08:02 | 遠野・語源考 | Comments(0)

「遠野物語拾遺157(夢か現か幻か)」

f0075075_2033316.jpg

俵田某という人は佐々木君の友人で、高等教育を受けた後、今は某校の教授を
している。この人は若い頃病気で発熱するたびにきまって美しい幻を見たそう
である。高等学校に入学してから後も、そう言うことを経験し、記憶に残って
いるだけでも、全部では六、七回はあると言う。

まず始めに大きな気体の様な物が、円い輪を描きつつ遠くから段々と静かに自
分の方に進んで来る。そうしてそれが再び小さくなって行って終いに消える。
すると今度は、言葉では何とも言い表わせぬほど綺麗な路がどこまでも遠く目
の前に現れる。萱を編んだような物がその路に敷かれてあり、そこへ自分の十
歳の時に亡くなった母が来て、二人が道連れになって行くうちに、美しい川の
辺に出る。その川には輪形の橋がかかっているが、見たところそれは透明でも
なく、また金や銀で出来ているものではない。その輪の中を母はすうっと潜っ
て、お前もそうして来いと言う様に、向うからしきりに手招ぎをするが、自分
にはどうしても行くことが出来ない。そのうちに段々と本気に返って来るとい
う。

こうした経験の一番はじめは、この人が子供の時に鍋倉山の坂路を駆けくだる
際、ひどく転んで気絶した時が最初だと言った。倒れたと思うと、絵にあるよ
うな綺麗な処が遠くに見えた。それを目がけて一生懸命に駈けて行くと、先に
言ったような橋の前に行き当たり、死んだ母が向う側でしきりに手招ぎをした
が、後から家の人達に呼び戻されて気がついたのだと言う。同君が常に語った
直話である。

                        「遠野物語拾遺157」
f0075075_215284.jpg

現代でも「××が夢枕に立った…。」などという話を聞く事がある。夢でありながら、それがあたかも現実を示唆するものと捉える場合が意外に多い。河東仁「日本の夢信仰」を読むと、その夢枕に立った歴史が紹介されている。しかしやはり人は、夢は夢として考えるようになり、夢信仰が衰退した時代もあるのだが、やはりどこか信じてしまうのも、現実に対比できそうなリアルな夢を見てしまうからなのだろうと思う。

ところで「遠野物語拾遺157」においての俵田某という人物は、夢というよりも、どちらかというと幻を見たような感じだ。そのきっかけは、転倒してからのものだと述べているが、暗にきっかけさえあれば、そういう能力を得る事ができると述べているようにも感じる。この俵田某の友人である喜善もまた、幻を見る事が多かった人物でもあったようだ。喜善は、昭和6年に長女である若の死のショックからなのか、幻想的な夢を見るようになったという。それを柳田國男にも報告している。それ以前にも、幻は見ていたようだ。例えば、某博士と便所神の話をしている最中に喜善は…。


「ホラッ、そこの壁から便所神様が顔を出しておられるっスベ、

                  ほら、見えるスベ、ほら、そこに!」



と、異様な目をして指をさしたという。本山某という人物が、喜善を表してこう述べている。


「喜善君は変わっていたが変人では無い。狂的なところがあったが狂人
 ではない。瞬間的に幽霊かオシラサマ、ザシキワラシの話になると常人
 では無くなった。彼は健康に恵まれ、意思が強かったら変人、奇人で通
 したろうが、普通の生活では病弱の為か、その異常を抑えて周囲と妥協
 をしていた。」



「実務の人ではなかったなぁ。いつも茫洋とした眼で、夢か幻想を見て
 いたのじゃないかな?」



「山深き遠野の里の物語せよ」の著者である菊池照雄氏は語る。佐々木喜善と同時代、もしくはその後の時代の人の中にも、同じ空気を吸った人達には、似たような傾向を持っていたと述べている。共同幻想という言葉があるが、あたかも遠野という土地に住む者は、この共同幻想に侵されていたのかもしれない。当然、佐々木喜善の友である俵田某も、これにあてはまっていたのだろうか。

ところで「魔境」というものがある。禅などの瞑想修行をしている者の前にしばしば神や仏が現われるというものだ。これは夢信仰の歴史に、それを仏意であったり神意であると解釈した歴史が残っている。

やはり禅をする臨済宗では「瞑想により仏陀や如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」と教えている。これは自分が凄い存在であるとエゴを肥大させるもので、ユング心理学において「魂のインフレーション」と名付けられた状態であるとされる。

現代でも、僅かな個人の内部的な神秘体験で、あたかも神が降りたような錯覚に陥る、いわゆる似非スピリチュアル系人間に多い。こういうものは古今東西、昔から魔というものは、神々しい光景などを見せつけ誘惑し、魔に取り込むものであるとされていた。「聴耳草紙(貉堂)」においても、神々しい光景を見せて魔に取り込もうとした貉の話が紹介されている。人というものは、どこか自分が特別な存在になりたいと願っているものであるから、こういう誘惑に騙されやすいのだろう。現在のスピリチュアル系とは、みな似たようなものであろう。

実は、現代の遠野においても神秘体験やらザシキワラシ体験があったという話を聞く。例えば明け方に、そういうものを見たという話が多いのは、夢現状態ではないかとも考える。先ほどチラッと紹介した「魂のインフレーション」でもあるのだろう。

遠野へと観光しにくる人の中に、多大な期待感をもってくる人もいるだろう。その心の奥底に肥大した自我の魂があって、その期待感に結びつき、そういう夢を見やすくなるのかもしれない。または菊池照雄氏の言葉に則れば、同じ空気を共有した者に、そういうものが見えるのかもしれない。これらを答えとは述べにくいものであるが、やはり見える人と見えない人の間には、何かあるとも考えてしまう。

幽霊も、個人で見たものは信じるな。されど、大勢で見たものは信じろとは云われるが、先に述べた共同幻想というものも、やはりあるのかもしれない。

「睡魔」というものがある。この魔に襲われた事の無い人は、いないのじゃないだろうか?とにかく、どんなに頑張っても眠くて眠くて仕方が無い。これも魔と呼ばれる一つなのだが、これは脳の活動レベルが低下してシータ波が出ている状態となる。しかし、昔は脳内の研究などなされていなかったので、魔として扱われた。つまり悪夢もそうだが、個人の意思とは関係無く制御できないものもまた魔となったようだ。

先程紹介した魔境などは、禅の世界においての座禅とは、敢えて魔境を呼び寄せる行であるとされている。睡眠心理学では眠気を誘うシータ波が出る頃に、心の奥底に眠っている無意識の自我が現われるとされている。つまりこれが禅の世界で云う魔境と同じであるようだ。ユングも実際に魔境らしきを体感したという。そしてその後にそれを自力で克服し無意識の領域を研究したそうである。

ところで日蓮「禅は天魔だ!」と批判したそうだが、それはつまり日蓮が実際に禅の世界を体験し結局、魔境を克服できなかった事を意味する発言である。やはり日蓮は、口だけ坊主であったのだろう(^^;
by dostoev | 2012-03-05 21:14 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(5)