遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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佐久那太理

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「八雲御抄」の関連本を読んでいたら、「佐久奈谷」と「佐久那太理」と「桜谷」が繋がってしまった。これに関連して、今度は自分の姓である"佐々木"について、言及しようと思う。遠野は菊池ばかりが注目されるが、佐々木は次に多い姓だ。菊池・佐々木は馬の糞とよばれる中の佐々木という自分の姓は、全国でベスト10に入るほど。しかしその大半が秋田県と岩手県に集中している。東北の佐々木という姓の発祥は二分されるのだが、共通点が唯一あるのが佐久那太理に関する事になる。
by dostoev | 2012-01-30 08:47 | 民宿御伽屋情報 | Comments(2)

「遠野物語拾遺150(夢診断)」

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昔ある侍が物見山を腹の中に呑込んだ夢を見た。気に懸るので、
大徳院で夢占を引いて来るように、下男に言いつけて出してや
った。

下男は途中で某という侍に出逢ったが、どこへ行くのかと訊か
れて、その訳を話すとその侍は、それは大変だ。物見山を呑ん
だら腹が裂けようと言って笑った。大徳院では、この夢はもう
誰かに判断されているので、当方では判らぬと言って、答えな
かった。夢を見た侍は、その後どういう事情かで、切腹して死
んだそうな。


                   「遠野物語拾遺150」

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物見山は、遠野の町の南に聳える山で、遠野7観音の桂の木が採れた山であったという伝承が残る。南部時代は、大事な狩場としてあり、物見山は動植物の宝庫であった。大正時代にも、岩手名勝として、物見山のリンドウが挙げられるなど、自然に溢れていたが、戦後から木々の伐採が続き、水は枯れ、動植物が、かなり減ってしまい、昔の面影は全く無くなってしまった。


【肥前国風土記】

ヒメコソの里。此の里の中に川があり、名をヤマヂ川という。その源は、
北の山より出でて、南に流れ、ミヰの大川(筑後川)と合流する。昔々、
この川の西に荒ぶる神があり、道行く人が多く殺され、人々の半ばが生
き、半ばが死ぬありさまであった。

時に、このように祟る原因を占い求めてみると、次のように神意が現れた。
すなわち、筑前の国、ムナカタの郡の人カゼコをして、吾が社を祀らしめ
よ。もし願ひにかなはばば、荒ぶる心を起さじ、と。

そこでムナカタのカゼコを招き、神の社を祀らせた。カゼコは幡を奉納
し、祈っていった。神が誠に私の祭りを欲するなら、この幡は風のまま
に飛んで、私を求めている神のいる場所に落ちよ、と。

やがて幡を揚げ、風のまにまに放ってやると、幡は飛んでいって、御原
の郡のヒメコソの杜に落ち、さらに還り飛んでヤマヂ川のとりに落ちた。
そのおかげで、カゼコはおのずから神の在します場所を知った。

その夜、カゼコの夢に、クツビキとタタリが舞い遊びでて、カセゴを圧
し、驚かせた。そこでカゼコは、この荒ぶる紙が女神であることを識っ
た。

カゼコが社を建てて祀ったので、それ以来、ヒメ神の名からソメコソ
(姫杜)という名が由来し、今は里の名となっている。



「肥前国風土記」を引用したが、昔から人々は、災害や怪異などに遭遇した時、その原因を知る事によって心の平安を得ていた。ただその場合、巫女などによる曖昧な卜占や夢占に託していた不安定なものであった。

「日本書紀」にも、多くの卜占や夢占が記されている。卜占は誰もができるものでは無いという認識の元、特別な巫女であり神官が、その勤めを果たしていた。また、夢占に関しても天皇などの特別な存在が見た夢を重要視しており、それを判別するのもやはり、特別な聖職者であった。それ故「遠野物語150」においても、見た夢の判断を大徳院に見て貰おうとしたのは理解できる。
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古典の中に「悪夢」を探してみると、まず「蜻蛉日記」の天禄二年四月に作者自身が、腹の中に入った蛇に肝を食べられる夢を見ている。

「七八日ばかりありて、わが腹のうたなる蛇(くちなは)ありきて、
 肝を食 む、これを治せむやうは、面に水をなむいるべきと見る。」



この治し方は、顔に水をかけるとあるので、悪夢とはあくまでも夢である事を言っているのかもしれない。水を顔にかけて目を覚ますという意味合いもあると思うが、ここには水の持つ力を信じてのものだろう。ただ蛇は食べたのではなく、自然といつの間にか、腹に潜んだものであり、受動的である。「遠野物語拾遺150」の能動的な夢とは違う。

また天禄三年二月には、石山寺の法師が見たという夢が記されている。その夢には作者が登場し、日月を受け取り、月を足の下に踏み、日を胸に当てる夢を見ている。


「いぬる五日の夜の夢に、御袖に月と日とを受けたまひて、月をば足の下に
 踏み、日をば胸にあてて抱きたまふとなむ、見てはべる。これ夢解きに問
 はせたまへ」



先の蛇は、悪夢であって水さえかければ治ると思っていた作者も、この月日を抱く夢は奇怪な夢であるから、夢診断を受けようとなった。

この時代の一般的に、月は后を示し、日は帝を示すと云われていた。この「蜻蛉日記」の作者は、後に太政大臣にまで昇った藤原兼家の妻となる。その妻は、こんな夢を診断されるのは馬鹿らしいので、他人の夢という事にして見て貰った。すると、その夢の診断は、朝廷を思うがままに取り仕切る事が出来る政治ができるだろうと判断された夢であった。

「遠野物語拾遺150」での夢も、南部家の聖山とも云える物見山を呑むという壮大な夢は、政治に関わる事のなのだと思える。漢の高祖である劉邦が生れる時も、父親が妻の上に竜が乗っている夢を見た後に、劉邦が生まれた。壮大な夢とは、国に関わる夢であると信じられていたのかもしれない。

古代の夢診断を調べると、「蜻蛉日記」で石山寺の法師が見た夢は「日月(じつげつ)の夢」というものであり、定型的な吉夢とされている。それは仏教思想の中から、釈迦が善彗仙人である時に見た五つの夢が、吉夢の基本となっているようだ。

1.大海に臥す

2.須弥山に枕す

3.海中にいる一切の衆生が身の内に入ってくる

4.手もて日を執る

5.手もて月を執る


実は「曾我物語」でも、北条正子がやはり日月の夢を見ている事(正確には、他人が見た日月の夢を買い取った)から、やはり天下を治める夢が日月の夢なのだろう。ところが、山に枕すというものはあるが、山そのものを呑むという夢に吉夢は無い。海中にいるものが身の中に入るのは吉夢だとしても、腹に蛇が入るのが悪夢なら、山を呑むという壮大な夢を解釈すれば、やはり政治的な悪夢であるとしか言いようがない。その後に切腹したのを考えれば、やはり吉夢に沿わない壮大な夢は、悪夢となるのだろう。

さて、もう一つ。本来は夢占をする人物に見て貰う予定が、別の第三者の介入によって夢が診断されてしまった事だ。つまり正式な夢占では無かった可能性があるのだが、それが予知夢として変換されてしまった事。

本来、願を掛けるとは人知れずかけるものだという。正月などの初詣は願を掛けるというより、その土地の氏神様に対し感謝の意を込めて挨拶に行くようなものだ。ところがお百度詣りなどは、深夜にこっそりやるものとされる。または、丑の刻詣りなども同じだ。

御神籤なども「大吉だ!」と人に見せれば、ご利益が消えるとも云われる。つまり本来の流れを断ち切ると、結果が逆になるとも考えられる。これを当て嵌めれば、本当は物見山を呑んだ夢は吉夢だったのだろうか?
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C・G・ユングは「空想・夢」を、「幻想」であるか「創造活動」であるとして捉えている。そしてその空想や夢は、能動的空想と受動的空想に分けている。

能動的空想は直感がきっかけとなり、最高の人間精神の活動となるのに対し、受動的空想は、往々にして病的、あるいは異常の刻印を帯びると述べている。簡単に言ってしまえば、能動的空想はプラスイメージの空想であり、受動的空想はマイナスイメージの空想だ。例えば、浄土真宗の宗祖である親鸞は、六角堂に籠って女犯の夢を見たという。これは観音が女体化して、親鸞と交わったというのだが…これは、青年が禁欲して籠った六角堂での、性的な欲望が夢として現れたのだと思う。しかし親鸞は、これを宗教概念化し、坊さんでも婚姻できるとし、坊主の妻帯者を認めた。これはまさにプラスイメージに変換された夢であり、親鸞そのものがポジティブな思想の持ち主なのだろう。

ここで思うのは「遠野物語拾遺150」に登場する侍の見た夢とは、侍の意識が受動的空想というマイナスイメージによるものから生み出された夢では無かったかという事。実際に、夢診断というのは江戸時代には廃れて来ていた。つまり夢は、あくまでも夢であって、現実とは非となるものと認識されたかにであった。それでも江戸時代も…いや現代においても、常にマイナスイメージを心に宿す受動的空想の持主は、日常の中のミスを腹に宿し、それをモンスターに成長させて喰われてしまうのかもしれない。つまり侍は奉公していた城などにおいて、自らの失態を徐々に肥大化させ精神を病み始めた時に見た夢が気になって仕方が無かった。そして後に切腹したというのも、その肥大したモンスターが、更なる失態を招いた為では無かったのか?
by dostoev | 2012-01-28 07:23 | 「遠野物語拾遺考」150話~ | Comments(0)

雪の朝(1月25日)

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再び、雪が降った。この前とは違う、フンワリとして冷たく乾燥した雪だった。気温は低下し冷たい朝の遠野は、綺麗に見える。
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遠野の町に太陽の光が差し込む。
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まだ昇りたての太陽は、どこか赤味を帯びている。
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軽くフンワリ積もった雪は、吹けば吹き飛ぶほどに軽い。
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山の木々は、雪をまとって光っている。
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昇り切らない、朝の光が山を美しく見せている。
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太陽が昇ると共に建物の間に上昇気流が発生し、軽い粉雪を空に舞わせている。
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町を覆う電線にも雪が薄ら積もっている。ただ水分の殆ど無い粉雪なので、日本海側に降る、水分の多い雪とは違って、電線もその重みを感じないほどだ。
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まず町の人達は、雪かきで動く。町が、動き始めた。
by dostoev | 2012-01-25 08:56 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

嘘吐きは、民主党の始まり(ーー)


by dostoev | 2012-01-24 10:29 | Comments(0)

遠野、熊情報

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遠野市綾織町の石上神社で、熊が目撃されたそうだ。この時期の大抵は、熊は冬眠しているものだが、蛇などと違い仮死状態になるわけでは無く、普通に寝ていて、たまに起きる事もあるらしい。また、餌の確保さえできれば冬眠しない熊もいる事から、今回発見された熊はさて、どちらだろう?たまたま起きた熊ならば、再び寝るのだが。。。
by dostoev | 2012-01-22 16:01 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(4)

雪の日

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雲に覆われて、昨夜からずっと雪が降っていた。それでも気温は暖かく、雪も水分の多い暖かい雪だ。
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今年は寒かったが、雪の量は少ない。木にも殆ど雪がかかっていない景色が普通だったが、雪景色を楽しむには、やはり木々に雪がついていないと興ざめだ。
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本当に寒い時は、水も冷たく見えるが、何故か今日は水も温く見えるのが不思議。
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光の園幼稚園のマリア像も雪を被っている。
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町も、久々の雪で白く化粧を施したよう。
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雲が低く垂れ込め、やっと雪があがった。
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気になった場所があった。新しく遠野商工会が入るという、新家屋。
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この屋根に溜まった雪が次々に道路に落ちていた。柔らかな雪なら、まだ良いけれど、これが氷ならヤバイんじゃないか?
by dostoev | 2012-01-22 11:32 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(8)

「遠野物語拾遺37(極楽浄土)」

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綾織から小友に越える小友峠には祠が祀ってあるが、この辺りの沢には稀
に人目に見える沼があるという。その沼には、海川に棲む魚の種類はすべ
ていると伝えられている。もしこの沼を見た者があれば、それが元になっ
て病んで死ぬそうである。


                                「遠野物語拾遺37」

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「遠野物語拾遺165」と重複してしまうが、二郷山は山中他界である。もう一度、綾織の古老から聞いた、この話の別バージョンを紹介しよう。



「遠野物語拾遺37(別バージョン)」

麓の里の某は、これほどの有名な山なのに登山しないとは勿体無いと、登山
道を開拓しようと、家の者の止めるのもきかずに二郷山に入った。

山腹で昼食を取りし後、飲み水を求めて沢に下り行く途中、思いがけなくも
直径5、6尺ばかりの壺を埋めたような小池を発見した。

池の底には小豆粒ほどの白石が敷きつめられており、清涼な水は何処から湧
いて何処へ流れ流れているのか疑問に思った。その池の水は水晶の如く澄み
きり、その中に青、白、赤、黒、黄などの魚が泳いでいたと云う。

某は、魂を抜かれるほどに立ち竦みその池を見つめていたが、明日には友達
を誘って、この魚を獲り、自分の池に放してしまおうと、手頃の柴を目印に
立てて帰ったのだと。

翌日、友人ら2、3人を誘って二郷山に登ったと。しかし目印の柴はあった
が、小池も五色の魚もかき消すように失せていたと云う。何度も探したがつ
いには叶わず落胆しているところに山の頂上より金床の如くの雷雲が現れ、
たちまち里の上空いっぱいにその雷雲が広がったと思ったら、激しい稲妻が
走り始めたので、恐ろしくなって一目散に山を降りて家路に帰ったそうな。

某は、家に帰るや体がだるくなり、熱も上がってしまったと云う。それ以来
体調が優れず、その年のうちに死んでしまったと伝えられている。

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とにかく「遠野物語拾遺37」では「海川に棲む魚」とあるが、綾織の古老から聞いた別バージョンでは「青、白、赤、黒、黄などの魚」と表現されている。

例えば「遠野物語拾遺187(貉堂)」は別に「聴耳草紙(貉堂)」に、その内容が詳しく載っているが、貉が見せる景色は極楽の絵図であった。画像は彩雲だが、仏教では「五色の彩雲」と呼ばれ、西方極楽浄土から阿弥陀如来が菩薩を随えて、五色の雲に載ってやってくる来迎図などにも描かれており、瑞相であるとされている。つまり、極楽浄土は、この世のものとは思えない美しさに彩られていると信じられていたようだ。この極楽浄土の景色に相対するのが、地獄の景色となる。例えば、恐山が地獄とも云われるのは、温かみの無い色合いの殺伐とした景色に地獄のイメージが重なった為だ。極彩色の仏像などもある事から、色とりどりのものが散りばめられた場所が極楽浄土のイメージがあるのだろう。

恐らく、この「遠野物語拾遺37」での稀に見える不思議な沼の意図するものは、極楽浄土を表したものであると考える。それ故に、現実に聳える二郷山の別の姿である山中他界に足を踏み入れ、その姿を見た者は境界侵犯となり、その魂を他界に飲み込まれたのだろうと考える。
by dostoev | 2012-01-19 10:49 | 「遠野物語拾遺考」30話~ | Comments(8)

「遠野物語拾遺165(見ると死ぬ)」

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綾織村の17歳になる少年、先頃二子山に遊びに行って、不思議な
ものが木登りするところを見たといい、このことを家に帰って人に
語ったが、間もなく死亡したということであった。

                    「遠野物語拾遺165」

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「見たら死ぬ」といえば、有名なのは「リング」に登場する呪いのビデオ、「奇々怪々あきた伝承」の中に紹介されている「千年の秘薬・猿酒」くらいになる。この「猿酒」は、菅江真澄の記録にも紹介されており、清原武則時代に、金沢城が落城の際に「猿酒」の瓶を持ち出して中を見た坊さんが死んだとか、現代でもその「猿酒」を調査した人が死んでいるとの事だ。そうして「遠野物語拾遺165」を、もう一度読んでみると、その文中に「不思議なものが木登り…。」とあるように、もしかして猿なのか?とも思ってしまう。
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ただ、今書き込んでいる最中に思い出したのが、上田秋成「雨月物語(蛇性の淫)」において、法師が真女児の正体である大蛇がカッと口を開いて邪気を浴びた時、その法師は、暫くしてすぐに死んだのを思い出した。考えてみればこの二郷山は、蛇を祀る山だという。その二郷山の中腹には神社があり、入り口には白い蛇のオブジェが置かれており、神社の本殿内部にも、蛇や竜に関するものが飾られている。

それでは蛇なのか?と思っても、昔から蛇の姿形というのは認識されており、不思議なものとはならない。当然、猿であっても昔から猿の姿は知られており、やはり不思議なものとはならないのだ。
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調べてみると見て死んだ…という妖怪を一つだけ確認。「ひょうすべ」という妖怪だ。ウィキペディアによれば、ナス畑を荒らすひょうすべの姿を見た女性が後に、全身が紫色になって死んだ話がある。また、ひょうすべが笑って、つられて笑うと死ぬというが、これはどうやら創作らしい。

広島の「野呂山年表」には奇妙な記述があり「1819年。野呂山中に怪物が現われ、和七と新平、三吉、兵四郎などが怪物を見て逃げ帰る。和七は遂に発病して死ぬ。仁方の人『山笑う』」 とある。ひょうすべは河童とも云われるが、河童が山に行くと、山童となると云われるのを踏まえると、この広島の野呂山の「山笑う」も、可能性として山童(やまわら)の転訛の可能性もあり、ひょうすべの異形の可能性も考えられる。ただ遠野には、河童の伝承はあるが、ひようすべや、山童の伝承は無い。青森県に行くと、ひょうすべの伝承はあるのだが…。
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そして「見ると死ぬ」で、もう一つ浮かんだのがドッペルゲンガーだった。世界の俗信を調べると、古代ギリシアのアルカディアでは、聖域の立ち入りは禁じられており、それを犯すものは死ぬとされているよう。実は、ドッペルゲンガーを調べようと昔の本を読み返していて、この俗信にぶち当たった。

影とは魂であると認識している国が、殆ど世界中に広まっており、江戸時代にもドッペルゲンガーは認識されていたようで、影の病い、影のわずらいと言われ、離魂病とされた。ただ影は、その人の魂であるから、人によって、その姿形は違うよう。となれば、心に化け物を飼っている者の影が具現化すれば、目の前に化け物が登場するのだろうね。

また影は、肉体を離れると死んでしまうとも云われる。そういや漫画「ONEPIECE」でゲッコー・モリアが影を切り離し、ある一定の時間内に影を肉体に戻さないと死んでしまうというのがあった。。。

つまり影は幽体に近く、それ故に聖域、または黄泉の国など、人の近付いてはならない区域に人が近付くと、魂である影が、その聖域などに引き込まれ、分離してしまうらしい。

世界の古代において、影は鏡に映った自分の姿も影だと捉えたようだ。日本においても、例えば高野山にある井戸を覗いて見て、水面に自分の顔が映らないと死んでしまうという伝承があるのも、似たような概念が日本に入り込んでいる為なのかもしれない。そして井戸など、地面に穴が開いているのは、冥界や黄泉の国と繋がっているものと信じられているので井戸やトイレには幽霊の話が多いのも日本の特徴。その井戸の水に顔が映らないのも、自分の魂である影を黄泉の国に引き込まれたと考
えれば納得ができる。影踏み遊びもまた、影を踏まれた人間が"鬼"になるというのも、影を踏まれた者が"地獄の者"に変化してしまうと捉えて良いのかもしれない。

ドッペルゲンガーを不思議なものと捉えた場合、例えば幽体離脱して、自分の姿を見た場合、嘘か本当かわからんが、不思議な光景だという話が現代においても多く伝えられている。「遠野物語拾遺151」では、幽体離脱の話が紹介されているが、影を失うも幽体離脱も魂が抜けるという点では、同じようなものだろう。

ところで「遠野物語拾遺165」での文中では「二子山」と表記されているが、現在は「二郷山」と表記され、どちらも「ふたごやま」と読む。その二郷山は綾織町の聖山となっており、昔から登ると祟りを成すと云われている山だ。

「遠野物語拾遺37」では似たように、二郷山にある沼を見た者があれば、それが元になって病んで死ぬそうである。ところで遠野物語拾遺37」では「海川に棲む魚」とあるが、綾織の古老から聞いた別バージョンでは「青、白、赤、黒、黄などの魚」と表現されている。ここで思い出すのは、極楽浄土などの仏教色の強い話では、五色の雲がたなびいて…など、極楽浄土の世界とは、色とりどりの煌びやかな世界のようだ。つまり、これから察するに、やはり二郷山とは山中他界。つまり、この世の場所では無い聖域であると見做した方が良さそうだ。つまり二郷山に訪れるという事は、死出の旅路にほかならない。そういう意味から考えると、少年が出遭った不思議なものとは、聖域に足を踏み入れた為に、聖域に引き込まれた自らの影ではなかったのか?人の形をした黒い影が木に登るとなれば、やはりそれは不思議なものであったのだろう…。
by dostoev | 2012-01-18 19:06 | 「遠野物語拾遺考」160話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺175(猫の価値)」

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明治になってからも、町にはこんな事件があった。下組町の箱石某という
家の娘が、他家に縁づいて子を産んで死んだので、可愛そうに思ってその
子を連れて来て育てていた。ある晩いつものごとく祖父が抱いて寝たのが、
朝起きて見ると、懐に見えず、あたりを見廻すと座敷の隅で死んでいた。
よくよく見ると家に飼っている虎猫に、喰い殺されていたのであった。そ
れを警察へ連れて行って殺して貰おうとしたが、どこへ逃げたか行方知れ
ずになった。後に愛宕山で見かけたという者もあったが、勿論二度とは姿
を見せなかった。

                       「遠野物語拾遺175」

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とにかく「遠野物語拾遺174」で書いたが、猫が人を襲うという事は、化け猫の伝説意外に無いのが実情。ただ唯一昭和43年に富山県で、野生化した虎猫に人が襲われるという事件があった。当初は山猫と思われたようだが、実態は飼い猫が野生化したものだったらしい。この昭和43年という時代の天候を調べてみないと何とも言えないが、例えば今から10年前くらい、北陸方面に台風が頻繁に襲った時があった。その為にストレスと山の餌が無くなった為に、里に降りてきた熊の被害が、過去最多だった時があった。要は、餌が無いと野生の生き物は気が立つのだ。当然、飼い猫であっても餌が無ければ気が立つ。ましてや元飼い猫であれば、恐らく山に捨てられたであろう猫は、人間に対して不信感を持っていたのかもしれない。

そしてもう一つ、虎猫は凶暴だという口承伝承がある。これは何故かというと山猫の伝承の殆どが虎猫の為であったようだ。実際に離党の野生猫は虎猫である。そして、北陸にはかなりの山猫の伝承がある。先程紹介した昭和43年の、元飼い猫に襲われた事件があったが、それも当初は山猫伝説は正しかったのか?と地元民は、思っていたらしい。しかし、こういう事件がある為なのか、今でも虎猫は凶暴であるという認識を持っている人はいる。話は違うが、ある実験で他の猫がいる中にペルシアネコを放したところ、他の猫達が逃げたというのを聞いた事があるが、確かに猫の種類によって凶暴な種というのはいるのかもしれない。しかしそれでも飼い猫が自ら進んで家の家族を襲うという事は無い。ただ、個人的に嫌われる人はいるだろうが(^^;
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ところでネズミが赤ん坊を噛み殺して、そのネズミを捕まえようとしたところを家の者に目撃されて、猫の仕業になった事件があった。似たような話で、サソリに刺された男が、ふと目にしたのは大きなタランチュラで、サソリでは無くタランチュラに刺されたと思い込み、タランチュラとは怖いものだという話が全世界に広まった事実がある。そういう意味で考えると、子供を噛み殺したのはネズミではなかったのか?

「甲子夜話」には、こう書かれている「奥州は養蚕第一の国にて、鼠の蚕にかかるを防ぐとて、鼠を殊に選ぶことなり。上品の所にては、猫の価金五両位にて、馬の価値は一両なり。」とある。通常であれば南部駒は名馬が多く、猫よりも価値は高いのだが、その馬産と共に重要な産業であった養蚕が、あまりにも鼠による被害が多い為に一時期、猫の価値が上がったらしい。

鼠は寺などの経典をも食い荒らすなどし、様々な場所でかなりの被害をもたらしたようだ。その為なのか、妖怪「鉄鼠」なるものも生まれたのかもしれない。とにかくネズミも猫も肉食ではあるが、飼わわれている猫というものは、餌をくれる飼い主と、その家族を覚えているもの。ただし猫を乱暴に扱う者に対しては、その者を避けるきらいがあるが、自ら進んで攻撃をしかける事は無いものだ。それ故に、この「遠野物語拾遺175」における子供を噛み殺したモノは、猫では無く鼠では無かっただろうか?
by dostoev | 2012-01-17 05:30 | 「遠野物語拾遺考」170話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺174(猫又)」

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遠野の家中の是川右平という人の家で、冬のある晩に主人は子供を連れて
櫓下の芝居を見に行き、夫人はただ一人炉傍で編物をしながら留守をして
いると、その側にいた虎猫が突然人声を出して、奥様お退屈でしょう。今
旦那様たちが聴いてござる浄瑠璃を語って聴かせますべといって、声も朗
らかに、ひとくさり語った。そうしてこの事を誰にも話すなと念を押して、
主人の帰って来た時には、何くわぬ顔をしてネムカケ(居睡)をしていたと
いう。

成就院という寺の和尚は是川氏の某友だちであった。ある時やって来て話
をしているうちに、主人の側にネムカケをしている虎猫を見て、おやこの
猫だ。先だっての月夜の晩に、おわ方の庭へ一疋の狐が来て、しきりに踊
りを踊りながら、どうしても虎子どのが来なけれゃ踊にならぬと独り言を
いっていた。そこへ赤い手拭を被って虎猫が一疋、出かけて来て二疋で踊
った。しまいには今夜はどうも調子がなじまぬ。これで止めべといってど
こかへ行ったが、それが確かにこの虎猫であったと話した。

その夜和尚が帰った後で、奥様は先夜の浄瑠璃の話を主人にしたそうであ
る。そうしたらその翌朝、いつ迄も起きて来ぬので主人が不審に思って見
ると、その奥様は喉笛を咬み切られて死んでいた。虎猫もまたその時から、
出て行って帰って来なかったという。今から八十年余りも前の話である。

                       「遠野物語拾遺174」

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日本の古来から伝わる殆どの猫のデータを集めた、平岩米吉「猫の歴史と奇話」を読んでも、猫が人間を噛み殺したという話は載っていない。ただ化け猫となって、主人の復讐を遂げた話は、かなり存在する。

これは漫画だが、猫が人間を襲う話は、美内すずえ「金色の闇が見ている」がせいぜいだろうか?また西洋でも猫に対する信仰や崇拝はあったが、その中に虎やヒョウにライオンなども猫として扱われていた為、人間を襲う話はある。しかし飼い猫が人間を襲う話はまずない。
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日本国内で、猫の伝承を調べると、一番多いのが熊本県となる。その熊本県には根子岳(猫岳)という山があり、猫の修行場であるという伝承を伝えている。根子岳に棲む猫の大王は大きな黒猫であるといい、修行に来た猫達に三日三晩稽古をつけてくれるのだと。修行する猫の大抵は肥満猫だが、7歳を超えた猫なども来るというので、ある意味猫又になる為の修行か?修行の後は痩せて帰って来るというのだが、その帰ってきた猫の傍には、決して"赤ちゃんを寝かせない"という言い伝えが 残されている。「遠野物語拾遺175」には、子供を食い殺した猫の話が紹介されているが、この熊本の伝承と何ら関連があるのかもしれない。何故なら、遠野の大半を示す菊池の家系は、九州の熊本から来たと云われるからだ。
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また「遠野物語拾遺174」を猫では無く、遊女として考えるとどうであろうか?狐と言うと大抵は、女に化けるというのが古代から伝わっている俗信であるが、江戸時代になると幕府公認の娼婦を「狐」と呼ぶのに対し、町場にうろついているいる娼婦を「猫」と呼んだという。

その中で寺院の境内で商売する娼婦を「山猫」と呼んでいたようだが、京都の東山にいる娼婦もまた「山猫」と呼んでいたようだ。西洋に目を向けても18世紀のヨーロッパでも娼婦を「キャット」と呼び、売春宿は「キャットハウス」と呼ばれていた。これは発情期などの猫が、夜を彷徨い雄猫を呼び込む習性からきているようだ。「泥棒猫」という呼称も、物を盗むというより、男を誘惑し奪うという意味合いからの「泥棒猫」であって、どうも娼婦のイメージが猫から離れない。

話は飛んでしまったが遠野の鍋倉山に南部城があり、その山並びに成就院という寺があった。その山寺ともいえる成就院に出没する虎猫を、山猫、つまり娼婦…というより、遊女と捉えれば、遊女は浄瑠璃などの芸能にも長けていた事から、どこかしっくりとくる。遊女と呼ばれる白拍子などは、全国を巡り、その合間で男の相手をした。そしてある地に辿り着くと、どこぞの家にも厄介になったりしたという。遊女との刃傷沙汰の映画もあった事から、「遠野物語拾遺174」の物語を遊女に置き換えても、何等問題は無いのだろう。
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ところで吉田兼好「徒然草 第八十九段」には「奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる」と人の言ひけるに…と始まるように、この時代では猫又とは、人を食うものと信じられていたようだ。

ウィキペディアで猫股を調べると、奥山に棲む猫又と家に飼われていて、年老いて尻尾が二股になって猫又になったものがいるという。猫又に対する恐怖は、庶民の間で続き、猫又にならないよう生まれた子猫の尻尾を切って来た歴史がある。その俗信が何世紀にもわたって続いた為に、日本猫の特徴に短尾というのも、日本人が尻尾を切ってきた事により、遺伝子に組み込まれた為であったようだ。
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何故に、ここまで猫は恐れられたのかを考えると、やはり夜の巷を闊歩する猫に恐怖を感じたのだと思う。夜というモノは、人では無いモノの蠢く時間帯でもある。発情期になると、夜の夜中に不気味な鳴き声をあげる猫は、恐ろしくもあったのだと考える。そして猫の目の変化だ。昔は、猫の瞳の変化は時を知らせるものとして信じられてきたようだ。そして、それはどうも猫の瞳に月が宿っているものと思われた節がある。日本の古来は太陽暦では無く、太陰暦であった。月に関する神秘の伝承はあるが、太陽が昼なのに対し、月は夜を司る象徴でもある。その人で無いモノが蠢く夜を支配する月が、猫の瞳に宿るとなると、それはもう人知を超えた神に近い存在ともなる。

ましてや猫の語源の一つに、昼間に寝ているばかりなので寝る子と書いて「寝子」ともいうが、熊本の根子岳の名称は、根の国の子である猫ともなる。それはつまり、スサノヲがイザナミのいる根の国に行きたいと駄々をこねた、黄泉の国ともなる。山中他界という言葉は、ひとえにこの世では無い黄泉の国を意味する言葉だが、猫股が奥山に棲むというのはつまり、人の棲む世では無い、黄泉の国という事となる。ローマ神話において、月の女神は優しいダイアナと復讐の女神ヘカテと、二面性を表す。猫にも月の女神と同じように、昼の顔と夜の顔があるように二面性がある事から、確かに猫の瞳に月の属性を宿していても違和感はない。これらから考えても、猫はじゅうぶん人間にとって恐怖の存在に成りえたのだと思う。
by dostoev | 2012-01-16 06:07 | 「遠野物語拾遺考」170話~ | Comments(8)