遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
このガイドには、そんなに..
by dostoev at 10:35
良いなあ〜。 夜のガイ..
by soma0506-yca at 09:32
死んだら魂は山へ…という..
by dostoev at 05:03
そうなのですね。 確か..
by soma0506-yca at 22:03
あ…「6つ3合う」ですね..
by dostoev at 17:09
日本人は良くも悪くも言葉..
by dostoev at 17:03
凄く面白いですね。 6..
by soma0506-yca at 16:15
なるほど。ありがとうござ..
by 秩父まほろば at 09:49
西の真言、東の天台と云わ..
by dostoev at 06:12
こんにちは。 円仁の話..
by 秩父まほろば at 17:57
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2011年 11月 ( 27 )   > この月の画像一覧

「遠野物語拾遺7(会矢)」

f0075075_5101199.jpg

小友村の荒谷は元は会矢といったのだそうな。昔八幡太郎が西種山の
物見から、安倍貞任は東種山から、互いに矢を射合ったところが、両
方の矢がこの荒谷の空で行き会うて共に落ちた。それ故にここを会矢
というようになったという。その矢の落ちた処と言伝えて、同処の高
稲荷山には割石という大岩がある。双方の矢が落ちて来て、この大き
な岩が二つに割れたといっている。

                                 「遠野物語拾遺7」

f0075075_4432378.jpg

地図で示すと、画像のようになる。地図の上方は北となる。右の貞任山から斜め左下方の延長上に種山(物見山)があり、貞任山寄りの赤丸で示したのが、割石のある高稲荷山となる。荒屋と堂場沢の地名にも、赤色でチェックを入れた。

とにかく互いに矢を放ったとされる、西に聳える種山から真っ直ぐ貞任山へと線を結ぶと、やはり高稲荷山の頂に、交差するのがわかる筈。実際には有り得ない伝説ではあるが、この伝説を作った人物は当然いる筈。それも、正確に山が重なる事を知っている者である事から山に詳しい者であったのだろう。

荒屋の隣り合わせの堂場沢には堂場沢金山というのがあり、やはり産金に関わる連中が住んでいたよう。先に述べたように、貞任山も種山にも、産金に関する跡がある事から、やはりタタラ系の人間が作った伝承だと思う。何故なら昔は、山というものには恐ろしい魔物などが棲むと信じられていた為に、普通の絶対多数の百姓などは、余程の事が無い限り、山に登る事は無かったからだ。
f0075075_4535046.jpg

この話に登場する高稲荷山というのは、堂場沢に面する山で、頂に堂場沢稲荷が祀られている。そしてその稲荷社の脇には、上の画像のような巨大な岩があって、確かに割れている。これが「遠野物語拾遺7」で云われるところの割石である。
f0075075_455247.jpg

また八幡太郎が陣取った西種山は、遠野側からは物見山とも呼ばれ、宮澤賢治がよく星を見に行って後に「銀河鉄道の夜」を書いたのに影響を与えたという立石という地がある。この西種山の峰続きに大森山という山があるが、ここはアテルイの子である人首丸の墓がある。坂上田村麻呂に鬼の名と共に退治され、その亡骸をこの大森山に埋葬したという。その事から、この山の麓から奥州市(旧水沢市)に抜ける峠を人首峠という。更に西種山には義経が立ち寄ったとされる「義経北方伝説」の場所でもあり、西種山には伝説がかなり埋もれているのも、やはり古代にはいろいろあったのだと想像してしまう。
f0075075_4574051.jpg

また東種山は貞任山とも呼ばれ、遠野市の小友町の平笹地区には「貞任砦跡」という立て看板があり、古くから安倍貞任の伝承の残る地でもある。またこの貞任山は「東日流外三郡誌」によれば、馬を放牧している地でもあったようで、そこによく源義家が馬を略奪にきた話が紹介されている。またタタラ跡もある事に関連してのものであろうか「遠野物語拾遺96(一つ眼一本足)」の伝承が残る地でもある。
f0075075_4443076.jpg

またこの東種山と西種山と呼ばれる山は、小友町を背にして南を向けば、左右…つまり東と西に分かれる山であり、確かに名称通りの山ではある。ただ、東種山という呼び名は遠野市に関する書物では発見できていないが、「種」とは山伏用語で「鉱石」を意味し、また鉱山跡やタタラ跡がこの周辺ではあった事から、安倍貞任時代以前に「種山」と呼ばれていたのだと想像できる。

産金に長けていた山伏は、山に登って鉱脈を調べていたという。その山伏の使用していた用語がある。

タネ⇒鉱物

ネ⇒鉱脈

ミ⇒鉱石

アラ⇒砂鉄


これから察すれば矢が会ったから会矢だという地名は伝承に合わせて作られ語られた地名であり、恐らく砂鉄の採れた地であるから、本来の荒谷が正解であると思う。早池峰の麓の荒川という地があるけれど、やはり砂鉄が採れた川なので荒川と名付けられたよう。またその川沿いに不動明王を祀る社があり、傍に不動の滝と呼ばれる滝があるのも、山伏が開発した道筋には全国のあらゆる場所に、不動明王が祀られ、不動の滝、もしくは不動岩と呼ばれるものがあるのも山伏の軌跡を表しているものである。砂鉄の採れる谷で「荒谷」であり、その砂鉄から鏃でも作っていたのではなかったか。
by dostoev | 2011-11-30 05:21 | 「遠野物語拾遺考」1話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺1(3人姉妹)」

f0075075_4482892.jpg

昔三人の美しい姉妹があった。橋野の古里という処に住んでいた。
後にその一番の姉は笛吹峠へ、二番目は和山峠へ、末の妹は橋野の
太田林へ、それぞれ飛んで行って、そこの観音様になったそうな。

                     「遠野物語拾遺1」

f0075075_4551129.jpg

三人の姉妹が住んでいた地と書かれている古里には、樹齢400年と云われる神楽杉と云われる巨木が屹立していた。この地は高台にあり、見晴らしの良い土地であり、昔は傍に役場があったというのである意味、昔の事を成す中心であったのかもしれない。

この「遠野物語拾遺1」は、遠野の三女神伝説に似ているが、この古里から別れた三姉妹は各々観音になったとされるが、この古里の地でも観音を祀っている場所というのは無い。この神楽杉の根元には小さな祠があるが稲荷を祀っているもので、比較的新しい時代に祀ったらしい。
f0075075_54556.jpg

f0075075_554097.jpg

ただ御神楽神社というものが違う地の、舘跡があった場所にあるというのであったが、その御神楽神社周囲の樹木を見れば、御神楽杉が立っている地である古里の方が古いというのは、理解できる。

とにかくこの「遠野物語拾遺1」の内容は、そのまま遠野物語の三女神伝説と重複する。ただその地の中心が、遠野から離れ、笛吹峠を超えた橋野という地である事。ただしだ…橋野町で一番多い苗字は「菊池」であり、となれば九州から移り住んだ菊池一族が、このような三女神伝説を遠野と橋野にまた、運んできたと考える事が出来る。

実は、奥州市大迫という地にも三女神伝説があり、その地域に住んでいる人達もまた菊池という姓であった。そして岩手県内の他の地域の三女神伝説もまた菊池である事から考えてみても、岩手県に移り住んだ菊池一族は、一族に伝わる三女神伝説を携えて、その地に適応させた新たな三女神伝説を作りあげて住み着いた可能性はある。
f0075075_5104662.jpg

そしてあくまで、伝説の中心になるのは早池峰山となる。しかしだ、九州の菊池一族が岩手県内に住み着いて、何故に岩手県固有の早池峰山を信仰しなければならないのか。つまり山では無くて、早池峰山に鎮座する神を慕って早池峰山を信仰するようになったと考えて良いのだと思う。思うに、九州は熊本に広く信仰されていた神と、早池峰山に鎮座する神が同一であった為と考えた方が無難なのだ。
f0075075_5133589.jpg

「遠野物語拾遺1」では末の妹は、古里から太田林に行ったとされるが、地元の古老に聞くと、太田林では無く、末娘は違う場所に行ったという。古老に言われた場所へ行って見ると、そこにあったのは三峰神社だった。この三峰神社は、この地で一番古くからあり、村の氏神様として祀っている神社だという。ご存じの通り、三峰神社は狼を祀る神社である。ただ狼と早池峰大神との関連もあるので、ここがもしも早池峰と関係がある三峰神社だとしても驚く事は無かった。
f0075075_515370.jpg

f0075075_5155059.jpg

石段を登ってみると、社はなく石碑が無数に建っているだけだった。その石碑の上の真中を見ると、山の神の石碑を隣にして、やはりというか「早池峰山」と刻まれている石碑が、この三峰神社の中心となっていた。
f0075075_5235640.jpg

「遠野物語拾遺1」での話では、笛吹峠・和山峠・太田林に各々三姉妹が別れたとされるが、笛吹峠と和山峠のどこであるかは定かでは無いらしい。

ただ笛吹峠で目立つ社といえば、緒桛の滝を御神体とする不動明王の社である。早池峰大神である瀬織津比咩が滝神として存在するならば、三姉妹として三分割された御霊の一つが、笛吹峠にある緒桛の滝に行ったとしても、何らおかしくは無い。
f0075075_5254652.jpg

また和山峠のあちこちに建つ石碑を見て気付くのは、三峰の碑の多さである。これは「遠野物語」「遠野物語拾遺」を読むと、狼の話に和山が多いのは、日本で一番鹿が生息する地域が岩手県沿岸の釜石を中心とする周辺である事から、その鹿を餌とした狼もまた多かった事によるのだろう。

以前書いたように、狼の被害は狂犬病が日本中に蔓延してからの事で、それ以前の狼とは「作物を荒らす鹿を退治する益獣」であったという事実があった。それこそ狼とは山の神の使いで、畏怖する存在であったのも狼とその背後にいる山の神の祟りが恐ろしかった為だ。
f0075075_545401.jpg

岩手県浄法寺に伝わる昔話には、湯殿山の行者が来て「三峰様を山の峯に祀ると、狼の害が無くなる。」と言って祀らせてから、だんだんと狼被害が減ったという伝承がある。

気になるのは古里から各々散った三姉妹が行きついた先は、各峠であるという事。末娘が三峰神社と結びついたのも、和山峠に三峰の石碑が多いのも、また笛吹峠でさえ狼の話はあった事を踏まえると、狼によって旅人が守られたとなるのだが…。

例えば旧仙人峠は、遠野と釜石を結ぶ重要な峠であった。しかしその峠を支配する甲子村の人々は、村をあげてかなり高い通行料を取っていたという。そこで甲子村の手前にある小川村から遠野に抜ける小川新道というものが、ある豪商の手によって開通された。しかしそこで甲子村との争いが始まったという。

通行料という利益は、山沿いの村にとって大きい収入になっというが、この橋野でもやはり、通行料を旅人から取っていたという。つまり橋野町の峠の支配は、橋野を拠点として、笛吹峠と和山峠に達していたようだ。

ここからは資料が無いので憶測ではあるが、無事に峠を越えるようにと、通行料を取るか、もしくは通行料の代わりに「狼除け」の札を売っていたとしてもおかしくはないのかもしれない。実際に狼は明治の半ばまではいたのであるから、まだ迷信が蔓延っている時代であれば「狼除け」のお札があれば、購入した人達もかなりいたのだと考える。実際、中国においても虎が出没する地域には、虎除けの札が売られたという。

とにかく三姉妹が飛んで行って観音となったというが、その各地には観音の気配を感じる事が出来なかったが、殆どの三女神伝説と同じように、末の妹の行った先が早池峰である共通点はあった。とにかく橋野に伝わるこの話もまた、広く普及する「三女神伝説」の一つであった事が理解できたのだった。
by dostoev | 2011-11-29 05:57 | 「遠野物語拾遺考」1話~ | Comments(2)

早池峰シンドローム

f0075075_15184926.jpg

昨日、橋野方面へ行った帰り道、車を運転しながら早池峰方面を見ると、遠野盆地の山々中で唯一、白い化粧を施した早池峰の姿が見えた。なんかその姿を見るだけでドキドキし、とにかく運転中で危ないのだが、早池峰が気になって気になって仕方が無かった。仕方無く初音橋に差し掛かった頃に、車を邪魔にならない場所停めて、パチリと一枚撮影し、やっと気持ちが落ち着いた。

しかし、この時に感じた感情は、もう恋心に近いのかも(^^;
by dostoev | 2011-11-28 15:24 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

「遠野物語拾遺6(婆喰地)」

f0075075_4414039.jpg

昔橋野の太田林に、母と子と二人暮しの家があった。母は六十を過ぎて
もう働くことが出来ず、息子一人の手で親を養っていたが、その子は
大阪の戦に駆り出されて出て往った。

村の人たちは婆様が一人になって、定めて困ることだと思って時折行っ
て見るが、いつ迄経っても食物が無くなった様子が見えぬ。不思議に思
ってある者がそっと覗いて見ると、その婆様は土を食っていたという。
それ故に今でもその土地を婆喰地と書いて、バクチというようになった
のだそうな。

                        「遠野物語拾遺6」

f0075075_456192.jpg

橋野という地は、山間の土地で、総体的に日当たりは良い方では無いが、太田林内の婆喰地は、恐らく橋野で一番日当たりが良い土地だろう。つまり、人が住んで、一番心地良い土地が、この婆喰地であり、太田林という土地なのだろう。

地主に聞いてみると、縄文土器や鏃や石器が、この婆喰地で出土したらしい。実は住み辛い不便な地であると思っていた為、開拓で移り住んだ人が大半以上かと思っていたが、縄文土器が出土している事から、かなり古い時代から人が住んでいたという事がわかった。橋野町のメイン通りは、どちらかというと山と川にに近い場所にあり、太田林よりも日当たりが悪いし、洪水の時には被害を受けるだろう。。川から離れる高台であり、縄文土器が出土する事から、この地に古くから住んでいた人達は太田林に住んでいて、後に移り住んだ人達が、現在の橋野に住み着いたと考えてもおかしくは無いだろう。

そしてもう一つ、婆喰地という地名は現在無い…というより、所有者曰く「昔は、角地田(かくちた)と呼ばれていた。」そうである。まあ、「婆喰地(ばくち)」が「角地(かくち)」としても転訛の範疇なので、いつしか婆喰地⇒角地になって、その後「角地の田んぼ」となり「角地田」になってもおかしくはないだろう。
f0075075_4441197.jpg

画像の、耕している畑の奥に、以前はこんもりと土が盛られて塚になっていたようだ。そして小さな祠もあったというが、何を祀っていたかは、わからないという。

そこで思い出したのは「遠野物語拾遺16(蝦夷塚)」の話だ。土淵の和野と、小友町の蝦夷塚から人骨が出た例を紹介しているのだが、可能性としてはあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。いや実は、齢80をゆうに超える所有者曰く、小さな頃に親なのか祖父なのかが、畑を耕すのに邪魔だからと、そこを壊してしまったのだという。何が出たのかは、わからないと。まあ人骨が出ないにしろ、縄文土器が出土する土地であるから、何かしらの跡であったのは確かだろう。

こういう現代になり、遺跡や祠が壊される例は、かなりある。例えば「遠野物語拾遺266」で紹介されている青笹町のデンデラ野には、戦後の一時まで、石碑と小さな祠があったというが、やはり畑仕事に邪魔だからと祠を壊して、石碑はどこかに捨てたのだという。近代化と共に、古いものが撤去され、地名も変わる話が多いが、古きを知るにあたっては暴挙であろう。
f0075075_4462362.jpg

ところで、土を食べて生きるなんて有り得ないと思うが、以前観たテレビで土を食べて生きていた外国人の女性を紹介していた。またアメリカでは、ピーナッツバターだけを食べて成長した青年の話などがあったのが記憶に残っている。通常、バランス良く食物を摂取して成長するのが一般的だが、特異な体質の場合、偏った食事でもじゅうぶんに生きていけるようで、あながち土を食べて生きた婆様も嘘では無かった気もする。「土を食べて生きる」で検索したら、下記がヒットした。

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/?mode=m&no=78


またウィキペディアには、食べる土や土の料理を紹介すると共に、病気としての土喰いの紹介。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F_(%E9%A3%9F%E6%9D%90)

しかし…こういうのを知ると、吸血鬼というのもマジにありなんじゃないかと思えてきた。。。
by dostoev | 2011-11-28 05:20 | 「遠野物語拾遺考」1話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺19(ほのぼの合戦)」

f0075075_641755.jpg

昔この早栃で源平の戦のあった時、なかなか勝負がつかずそのうちに
食事の時になって、両軍とも飯を煮て食った。源氏の方では早く煮え
るように、鍋を低く下げて似たけれどもよく煮えなかった。平家方で
は鍋を高くかけて、下に多くの薪を燃やした為に、たちまちに飯がよ
く出来た。それで今でもこの土地には、平家の高鍋という諺があって、
物を煮るには高鍋がよいと言っている。

                     「遠野物語拾遺19」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語拾遺18」のところでも書いたけれど、この地で源平の合戦がある筈も無かった。しかし、ここでも書かれているのはやはり、逃げ延びた平家の者がいたのだろうか?内容は大した事はないのだが、要は「平家の方が、文化的にも優れているのだ!」という事を伝えたい伝承となっている。

遠野の土淵町に似田貝という地があって、その地名の語源は「煮た粥」からきているというが真意は定かではない。ただしこの「煮た粥」は、安倍一族と戦った源義家の軍が、戦の合間に「粥を煮て食った」という事から来ている。

以前観た映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」で、戦でありながら、戦の開始時間や終了時間があり、また昼飯時間も決められていて、なんとのんびりしているのだろうと思った。実際に史実考証をきちんとして作った映画が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」であるという。相手国と戦うのでありながら、なんかサラリーマンのようだなぁ…と思った。

こうして考えてみると、例えば桓武天皇が蝦夷討伐をライフワークに掲げたのに、坂上田村麻呂が征夷大将軍として遠征するまで、殆ど成果が無かった。しかし、その遠征中の兵糧は大量に減る一方で、桓武帝が怒っている記述が正史に残っている。

よくよく考えてみると、戦というのは一生懸命にすれば馬鹿をみるというか、自分の命を削ってしまう。命令を下す天皇は、その成果を期待して軍隊を送り出すのだが、戦っている当人たちにとっては、あまり無理したくないというのが本音。坂上田村麻呂以前の征夷大将軍もまた人の子であるから、死にたくは無い。しかし「腹減った、飯食いたい!」となる。そしてサラリーマン根性で接すれば、ほどほどに戦を仕掛けて、ほどほどに撤収すれば、命に関わる事無く、飯を食えると考えるのは普通だと思う。偉そうに命令する天皇なぞ、現地に赴くわけがある筈も無い。報告書を適当に書けば問題ないだろうと、たかをくくっていたに違いない。それ故に、蝦夷にとって不運だったのは、坂上田村麻呂という、上司の命令を忠実にこなす真面目な企業戦士?が登場した為だったのか?(^^;

とにかく戦でありながら、飯の伝承が残るというのは、昔の戦というものは、かなりのんびりしたものでは無かったのか?と想像してしまうのだった…。
by dostoev | 2011-11-27 06:50 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺4(天女の曼陀羅)」

f0075075_428977.jpg

遠野には天女の羽衣伝説が二つあり、一つは綾織の光明寺にまつわる話である。

綾織村の方でも、昔この地に天人が天降って、綾を織ったという言い伝えが別
にあり、光明寺にはその綾の切れが残っているという。あるいはまた、光明寺
で無い某寺には、天人の織ったという曼荼羅を持ち伝えているという話しもあ
る。

                       「遠野物語拾遺4」

f0075075_4305940.jpg
f0075075_4312511.jpg

天人が天降ってとある地は、昔は深かったらしいが、現在は浅い小川が流れる上に御前沼神社が鎮座している。実は以前の猿ヶ石川は、この崖下を流れており、かなり広大で深かったのが猿ヶ石川でもあった。しかし、いつしか流れは人間の力によって変えられた。また、遠野周辺の山々のブナなどが伐採されるなどし、だんだんと水量が減ってしまい、今の猿ヶ石川になってしまった。昔の猿ヶ石川は「遠野物語」が生まれる土壌を成す川であったようだが、自分の生まれた頃にはもう既に、その川は無かった。
f0075075_442262.jpg

この御前淵神社には白竜が祀られ、御供え物は卵となる。こういう龍蛇神系の神に対する御供え物は、殆ど卵となっているようだ。
f0075075_5275.jpg

「遠野物語拾遺3」には、六角牛山の天人児の織った織物が光明寺に奉納されたとあるが、光明寺の住職は、それを否定している。山号の「照牛山」などは、六角牛山をイメージしてしまうが、あくまでも山号は精神的イメージによるもので、光明寺と関係のある天人とは、御前淵神社から来たものであるという。
f0075075_4433067.jpg

光明寺の曼陀羅と呼ばれるものは、ブドウの木が描かれている事から、ペルシア系の織物であるのは間違い無いようだ。しかし、何故にこのようなペルシア系の織物が遠野の光明寺に伝えられているか、謎のままであるよう。ただ遠野の風俗を調べれば、遊牧民族の文化の流入があったと意識せざるおえない。

遠野の養蚕技術は、拓殖夫人によって伝えられたというが、その年代は、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の後であるという。ただし、この光明寺の建立時期は永禄三年(1560年)だと云われる。つまり古くはあるが、拓殖夫人が遠野に養蚕の技術を伝えた年代よりも、遥かに新しい時期に出来たのが光明寺だ。この曼陀羅の年代測定はされていないらしく、その年代が光明寺の建立時期よりも以前であるならば、やはりいろいろな可能性を想像せざるおえない。ところで光明寺は、元々綾織の大久保という土地から移転し、またアイオン台風の影響によって現在の場所に定着したらしい。

寺内には、綾織周辺の家々から集まった仏像だったり信仰するに使用した掛け軸などが、飾られている。恐らくいろいろな理由で手放せざるおえなかった信仰の形の物が、この光明寺に集まって来たのだろう。つまり光明寺に伝わる曼陀羅もまた、個人所有であった物が、はたまた記録には残らない神社に奉納された物が、光明寺に預けられたのだと考えられる。
f0075075_448538.jpg

気になるのは以前、綾織町の和野という地に、胡四王神社があった。この胡四王神社は安倍一族の末裔が祀っていたのだという。その胡四王神社は、やはり二日町の駒形神社に合祀されているのだが、その胡四王神社に奉納されていたという神仏像が、やはり光明寺に保管されている。もしかしてだが、光明寺の曼陀羅も、本来は胡四王神社に奉納されたものではなかったのか?と考えている。画像の役行者像は、胡四王神社からやはり光明寺で保管されるようになったのだが、これは比較的新しい頃に、光明寺に運ばれたものだ。
f0075075_453218.jpg

胡四王神社の胡四王とは一説に「越王」であり、越の国であった現在の新潟近辺の国であるというもの。しかし「(越)koshi」の実は「(星)hoshi」であって、胡四王神社が北向きの神社であるのも、北辰・北斗七星を信仰する星の神社であるとの説もある。

遊牧民族が星を信仰したとの風俗を考え合わせると、光明寺の曼陀羅は、やはり遊牧民族の息吹と習俗を感じさせる安倍一族の信仰した胡四王神社に奉納されていたものが、今は光明寺にあるとされる方がしっくりくる。この光明寺に保管される胡四王神社からの像を見て思い出すのは、会下の十王堂だ。胡四王神社から運ばれ保管されている像と殆ど同じラインナップであるのだ。会下の十王堂は、遠野の九重沢にあった天台宗である積善寺との関係が深い。天台宗は星の宗教とも云われるように、星を意識している宗派であった。早池峰神社の前身である妙泉寺もまた天台宗であったのは、そういう信仰の下地が早池峰山の麓に広がっていたものだと感じている。
f0075075_528358.jpg

綾織の和野の胡四王神社とは別に、沿岸に結びつく山の一つに貞任山というのがある。この山の奥にもやはり和野と呼ばれる地がある。そしてやはり、安倍一族の末裔、もしくは部下だったものが前九年の役で敗れ去った後に逃げて、隠れ住んだとされる。その地に星の宮神社と呼ばれるものがあった。あったと過去形になっているのは、その地の集落は限界集落であった為に平成の世になって廃村となり、安倍氏の末裔と呼ばれる子孫は現在、笛吹峠を過ぎた辺りの青の木という集落に移り住んでいるからだ。

その安倍氏の末裔の人物に話を聞くと、星の宮神社は星もそうだが、自然のあらゆるものを信仰する神社であったそうだ。そして星の宮神社の社はやはり、北向きに建てられていたという。つまり、綾織の胡四王と一緒であった。

気になるのは「古事記」や「日本書紀」などにおいて、星の神は悪神であるとされた事。星の神で有名な香香背男は悪神のレッテルを貼られて、退治されてしまっている。その香香背男を封印したとされるのか建葉槌命だ。

建葉槌命は「日本書紀」に登場した倭文神で、経津主神・武甕槌命では服従しなかった香香背男を封印した神とされる。倭文神とは織物の神で、建葉槌命が何故に香香背男を封印する事ができたのかというと、織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説があるようだ。ただこれを裏返して考えてみると、夜空に浮かぶ星々を織物に閉じ込めてしまう文化に接したとも捉えられる。
f0075075_5123757.jpg

ギリシア神話に登場するアラクネは、織物の神でもあったアテナと織物勝負をし、女神であるアテナとそん色のない織物を織りあげたが「人間如きが!」と、そのアテナの怒りを買い、蜘蛛に変えられてしまった。その時の勝負で女神であるアテナが織った織物は、神に懲らしめられる人間の物語を夜空の星に表現したとされる。つまり古代ギリシアにおいて、織物に夜空の星を散りばめる発想は既にあったという事。その技法と発想を、様々な文化がまだ未開であった日本民族が見たとしたら、どういう風に感じ取っただろうか?単純に素晴らしい技法であると捉えたと共に、一つの呪術として捉えても古代の日本ならば、おかしくは無い筈だ。
f0075075_5152283.jpg

以前から疑問だった事がある。明治以前まで、琴畑渓流の白滝神社に祀られていた瀬織津比咩が何故に、明治時代になって土淵町五日市に鎮座する倭文神社に合祀されたのかと。倭文は織物を祀る神社で、瀬織津比咩の「織」という文字に結び付けられて合祀されたのかと思っていた。しかし、こうして考えてみると、倭文という織物の神は、星の神を封印する力を有している事がわかる。

それでは瀬織津比咩が星の神なのか?という事だが、以前示した早池峰山を中心とした瀬織津比咩を祀る神社の殆どが、早池峰を北に位置するように祀っている。また大迫の早池峰神社などは、遠野の早池峰神社に向けて建立されている事から、一度遠野側を経由して参拝するという方違いの呪法を
施しているのが理解できるのだ。つまり水神、もしくは山の神、もしくは穢れ払いとしての瀬織津比咩には別に、星としての神の資質が備わっているのもひとえに、遊牧民族の信仰も重なってきた為だろう。その信仰の中心にいた一族とは、やはり安倍一族であると考える。
f0075075_517362.jpg

「遠野物語拾遺3」における六角牛山の天人児に関わる地には、沼の御前の伝承がある。また「遠野物語拾遺4」においての綾織の光明寺に関係する天人も沼の御前を祀る、御前淵神社である。つまりどちらにしろ、沼の御前という存在が、この光明寺の曼陀羅に関わるという事だ。その沼の御前とは調べる限り、早池峰山の神である瀬織津比咩であるというのはわかっているのだ…。
by dostoev | 2011-11-26 05:24 | 「遠野物語拾遺考」1話~ | Comments(0)

馬と龍と

f0075075_6501775.jpg

知人からプレゼントされた、手作りの真鍮で出来た、馬と龍。どんな高価なプレゼントより、心のこもったこういうプレゼントの方が、かなり嬉しいヽ(◎´∀`)ノゎ──ィ!!
f0075075_6503868.jpg
f0075075_650545.jpg
f0075075_6531316.jpg

by dostoev | 2011-11-25 07:01 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

「遠野物語拾遺18(実を結ばない小柿)」

f0075075_43324100.jpg

昔、源平の戦があって多くの人が討ち死にをした。その屍を埋めて塚の上に
植えたのがこの小柿であるという。その人々の霊によって、花は咲いても実
はならないと云われている。 

                         「遠野物語拾遺18」

f0075075_4412669.jpg

この柿の木は、遠野から笛吹峠を通り、橋野町を越えて行くと早栃という地域がある。その道路沿いに「遠野物語拾遺18(実を結ばない小柿)」というタイトル付の看板があったらすぐ傍なので、すぐにわかる筈。

平家の落ち武者の話は、中国地方・四国地方・九州地方に多いのだが、東北にも、かなりの話が伝わっている。ただ歴史上で、岩手県のこんな山奥の地で源平合戦があった筈も無い。よって、この柿の木の下に屍が埋まっている筈も無いのだが、話だけがこの地に伝わってきて定着した可能性は、あるだろう。この早栃近辺には栗橋村というのがあるが、この地域の人々は九州栗橋地区から移住して来た人達であった。この橋野町から早栃にかけては山々に囲まれた不便な場所で、普通は何も好んで山間に住む訳も無く、何らかの理由でこの地に辿り着き、開拓して住み着いたのは理解できる。
f0075075_4552247.jpg

この早栃には「遠野物語拾遺38」にあるように「神の隠れ里」の話がある。神というモノは、人が祀るから神であり、その神は、人の移動によってまた神も動くもの。「遠野物語拾遺38」では「ああ、この土地が気に入った」として、石船に乗って来た神が、この早栃に住み着いたという事であるが、それは当然、その神を祀る人達が早栃に移り住んだ事を示す伝承なのであろう。
f0075075_531772.jpg

奇妙な事というか、東北が蝦夷の国として存在した時代は、未開の地と思われていたのだろう。いや未開の地というよりも、朝廷の手が届かない、目が届かない地であるという認識の地が蝦夷の国であったのだと思う。それ故に、蘇我氏に敗れた物部氏は、逃げてきた。もしかして平家の残党も逃げてきた可能性はある。源義経も奥州藤原氏を頼って逃げてきた。更に南北朝時代に、長慶天皇も、この地へ逃げ延びたという。

鎌倉時代の日本地図には、北海道は存在していなかったという。それはあくまで朝廷側の知識に則った地図である為に、北海道…当時でいえば蝦夷島は、日本には存在しない地であった。しかし義経北方伝説によれば、義経は蝦夷の国を北上し、海を渡って北海道に上陸したという。この義経伝説の真意はさて置いて、恐らく地図上に無い蝦夷島は、噂の上で広がっていたものと思える。

憶測になるが、朝廷の手の届かない安住の地で生活するとなると、やはり未開の地へ逃げ延びるしかない。その当時、幻の蝦夷島の情報を知るには、とにかく東北である蝦夷の国へ行くしか無かったのだと思われる。それ故に、戦に敗れた者達は、北に向かって逃げたのだと思うのだ。

遠野にも、小友町などに隠れ里と呼ばれる地があり、やはり平家の落ち武者の話がある。また遠野には「不地震の森」の伝説が多くあり、日本が地殻変動や火山の噴火などによって、安住の地を求めて逃げ延びた人達が住み着いたとの話もある。

また坂上田村麻呂による蝦夷征伐や、源義家による蝦夷討伐。源氏による、奥州藤原氏の討伐などに参加した傭兵などは、帰らずに蝦夷国に居ついたという事実もある事から、戦の旅に多くの人々が蝦夷国に住み着き、いろいろな話を伝えるにはじゅうぶんだった土壌はある。

漫画の話で申し訳無いが、井上 雄彦「バガボンド」には、貧しい村に落ち武者が住み着き"不動様"と呼ばれて支配者となり、村人に幾度となく娘を差し出すよう命令する。つまり当初は武力を持った落ち武者が「この村を守る!」と言って村の用心棒になり、その後、武力も無い弱い村人を見、村を食い物にし始めた者達がいた可能性は確かに高く、実際に有り得る話である。こういう例が、悪神になったり、悪鬼になったりで、そして同じようにその村にブラッと訪れた来訪者によって倒され、昔話となったり伝説となったりしたのかもしれないだろう。
by dostoev | 2011-11-24 05:15 | 「遠野物語拾遺考」10話~ | Comments(4)

「遠野物語拾遺261(水占)」

f0075075_423623.jpg

家に残った者が旅先きの一行の動静を知る為に行う占の方法もある。
附木または木切れなどを人数だけ揃え、それに各々一行の者の名前を
書き込み、盥などの水の上に浮かべる。そうしてこれらの木片の動き
具合によって、旅先きの様子を察することが出来る。

佐々木君の祖母が善光寺詣りに行った時は、同行二十四、五人の団体
であったが、留守中同君の母はこの人数だけの木切れを水に入れて置
き、今日は家の婆様は誰々と一緒に歩いている。今夜は誰々と並んで
寝た等と言っておられたという。

ある日のこと、いつもは一緒に歩く親類の婆様と家の婆様との木切れ
がどうしても並ばなかったので、幾度も水を掻き廻してやり直したが、
やはり同じことであったから、何かあったのではないかと心配した。
帰ってからその話をすると、ほんにあの婆様とは気が合わぬことがあ
って、一日離れていたことがあると語った。伊勢から奈良へ廻る途中
のことであったそうな。

また先年の東京の大地震の時にも、村から立った参宮連中の旅先きが
気懸りであったが、やはりこの方法で様子を知ることが出来たという。


                     「遠野物語拾遺261」

f0075075_4241817.jpg

まず、水には鏡と同じ力があると考えられての事だと思う。厳密に言えば本来、鏡の源流は水鏡であったという事。水に映った自分に見惚れてしまったナルキッソスや、猿婿入りの物語で、池に映った娘の姿が本物だと思い、池に飛び込んで溺れて死んでしまう話など、鏡の原型は水であった。つまり水には、真実を映し出す能力があると信じられてきた為に、こういう水占いが広まったのであろう。
f0075075_4272533.jpg

水は人の姿だけでは無く、周囲の色をも反映させ染まる。また形も定まらず自由自在の水というものは、いろいろなものを映し出す神秘の存在であったのだと思う。
f0075075_4301895.jpg

水玉模様というが、水玉は水霊でもあり、海や川などは水霊の集合体と考えられた。もう一つ、光を浴びて水が水玉(水霊)のようにキラキラ輝く様は、水に加えて光も必要であると。
f0075075_4325868.jpg

あらゆる穢れを浄化する水の呪力に対する信仰は、日本だけでなく世界にも共通する観念となる。キリスト教圏でも「聖水」と呼ばれる聖なる水に対する信仰のあらわれであった。
f0075075_4334478.jpg

日本での水の呪力による代表的な行事は、穢れ祓いの行事となる。古くから、怪我や病気、厄災などは、体の中に穢れが溜まっているからと考えられた。その穢れを取出す手段として、形代などを川に流す事により、穢れが浄化されると信じられてきた。
f0075075_4351049.jpg

また水は生命の源であるという信仰から、穢れが祓われた体には新たな生命力が甦るとされた。正月や立春に汲む若水は、若返りの水とされるのも、新たな一年、新たな春は、生命の出発点である区切りの日である為だ。
f0075075_4254091.jpg

また末期の水というように、黒不浄と呼ばれる死においても、黒不浄を浄化する為に水は使われた。

つまり水は、人間の生命に関わる力を有していると思われていた。だから「遠野物語拾遺261」において、人の行動とは生きている証であるから、その命の揺らめきが、木切れに書かれた名前に表されるのだと考える。
f0075075_4363490.jpg

いや…今度面白そうだからやってみようかと…(^^;
by dostoev | 2011-11-23 04:37 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺245(生まれ変わり)」

f0075075_5147100.jpg

生れ変わるということもたびたびあることだという。先年上郷村の
某家に生まれた児は、久しい間手を握ったまま開かなかった。家人
が強いて開かせて見ると北上の田尻の太郎爺の生れ変わりだという
意味を書いた紙片を堅く握っていた。このことを太郎爺の家族の者
が聞くと、俺の家の爺様どんは、死んでから一年も経たずに生れ変
ったじと言って、喜んだということである。また墓場の土に柳やそ
の他の樹木が自然に生えることがあると、その墓の主はもうどこか
で生れ変ったのだといわれる。

                     「遠野物語拾遺245」

f0075075_515236.jpg

昭和の中頃、某女性が列車に飛び込んで自殺を図ったという。ところが
バラバラになった死体を回収しても、小指だけがどうしても見つからな
かったそうであった。

それから暫く経ち、自殺した女性の姪御さんが出産したそうな。ところ
がその赤ん坊に、小指が無かったそうである。自殺というものは業が重
いもので、その重い業が姪御さんを通じ赤ん坊に伝わったものだ…と言
われている。


               「現代遠野物語31」より


上記の話は、実際にあった出来事で、これも「遠野物語拾遺245」と同じく、生まれ変わりと捉えて良いものだろうか。つまり生まれ変わりがあるのならば、良い事も悪い事も、へだてなく伝えるという事だろう。もろ手を挙げて、喜べる事ばかりではない。
f0075075_5223536.jpg

遠野の習俗に、葬式の時に墓地で転ぶと死ぬというものがある。これは、墓地は穢れた地であり、魂を吸い取られるという思いから発したものかもしれない。

地面に穴が空いている場所は霊界と繋がっているという迷信は、広く日本に広がり、井戸とかトイレは霊界の入り口であると認識されていた。だからこそ、トイレや井戸には幽霊の話が多いのは、その為だった。これは洞窟もまた同じで「古事記」において、イザナギが死んだイザナミを迎えに行く為に、やはり洞窟を潜っていった。


>また墓場の土に柳やその他の樹木が自然に生えることがあると

柳の木が記されているが、柳といっても枝垂れ柳や、枝垂桜など、枝垂れ系の樹木もまた、霊界と繋がっていると信じられていた。天から降ってくる霊は、枝垂れ柳などの枝を伝って地面に潜り霊界へと向かう。また逆に、霊界から枝垂れ柳の枝を伝って、天に昇ると思われていた。


遠野での戦時中に、面白い話があった。遠野の隣である釜石は、新日鉄釜石が日本軍の武器の製造をしていた。その為に、アメリカ艦隊からの艦砲射撃を食らい、釜石の町は壊滅状態となった。そのアメリカ艦隊の艦砲射撃の音は、山を越えて遠野まで伝わり、遠野の人達も怯えていたという。そんな中、たまに遠野上空をアメリカ軍の偵察機が飛ぶたび、デマが飛び交った。


「次は、遠野が攻撃されるぞ!」


そしてその後、偵察機が飛ぶたびに、遠野の人々は家の畳を外して、外に隠し、自分たちは枝垂れ柳や枝垂桜などの枝垂れ系の樹木の下に隠れたという。その理由は、やはり枝垂れ系樹木は霊界と繋がっているので上空から見てもわからないから!という事だったらしい。

ちなみに畳を外して隠したのは、家が壊されても畳さえあれば、寝泊りなど、どうにか生活が出来るからだったという。今の時代となれば、笑い話となる逸話であった(^^;
f0075075_526625.jpg

わたしはあの蛇の棲む洞窟

わたしの臍から男達の宿命が生れ

すべての知恵が大地の一つの穴から生れる

神の姿がわたしの闇の中にあらわれまた消える


わたしの盲目の子宮からすべての王国があらわれ

わたしの墓から七人の睡り人が予言する

これから生れる嬰児でわたしの夢にあらわれるものはなく

わたしの中に葬られぬ恋人とてもない


わたしはあの怖れ求められる炎の場所

そこで男と不死鳥が焼きつくされ

わたしの低い穢された寝床から

新しい息子 新しい太陽 新しい空が立ちあがる


                キャスリン・レイン詩集「巫女」
f0075075_5311055.jpg

地面に穴が開いている場所の大抵は、霊界との入り口であるのだが、女性の子宮もまた霊界と信じられてきた。洞窟も、火山の火口口、もしくはタタラの溶鉱炉もまたホトと呼ばれたのは、まさしく何かが生まれる霊界の入り口だからだ。キャスリン・レインの「巫女」は、まさにそのホトによる女性による死と生を司る王国である事を示している。

狭い胎内を潜るように、狭い岩穴などの洞窟を潜り、新たな命、もしくは若返るなどという風習が各地に根付いているのはまさに女性の子宮を潜る行為を実践している。 遠野にも、山中の狭い岩穴に「胎内潜り」としての風習が、あちこちにある。

生まれ変わるとは、一度胎内を通った肉体が、再び胎内を巡るという事。つまり魂の輪廻でありながら、全ては女性の肉体無しでは魂の再生は無いのだ。ホトを焼かれて死んだイザナミは、黄泉の国ら通じる穴を潜ったのだが、生きている時の美しい姿とは別の、死んで腐った醜い姿が、洞の中、闇の中にあった。つまり、これも一種の変身であり、再生に至る破壊と再構築なのだろうと思う。つまり腐れ果てた肉体は醜いのではなく、蝶の蛹のように再び美しく生まれ変わる、仮の姿なのかもしれない。つまり生まれ変わるという事は、一度死んで腐り果て、醜い姿となる過程を否定してはいけないという事なのだろう。
f0075075_642344.jpg

by dostoev | 2011-11-22 06:43 | 「遠野物語拾遺考」240話~ | Comments(0)