遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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<   2011年 10月 ( 17 )   > この月の画像一覧

「遠野物語拾遺271」

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正月十五日の晩にはナモミタクリ、またはヒタカタクリともいって、
瓢箪の中に小刀を入れてからからと振り鳴らしながら、家々を廻って
あるく者がある。タクリというのは剥ぐという意味の方言で、年中懶
けて火にばかり当たっている者の両脛などに出来ている紫色のヒカタ
(火斑)を、この小刀を以て剥いでやろうと言って来るのである。

これが門の口で、ひかたたくり、ひかたたくりと呼ばれると、そらナ
モミタクリが来たと言って、娘たちに餅を出して詫びごとをさせる。
家で大事にされている娘などには、時々はこのヒカタタクリにたくら
れそうな者があるからである。

「遠野物語拾遺271」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話は、あまりにも有名な秋田のナマハゲと同じ習俗の話であるが、違うのは鬼として語られていないという事。遠野地方から沿岸域である大船渡に行くと、やはりナマハゲと同じ鬼の格好をしたセネカというのが登場する。鬼の姿は”威力”でもあり確かに子供達には効果的であろうが、何故か遠野ではその威力たる鬼の姿にはならないのである。

よくわからないのは…ひかたたくりが、火にばかりあたっているので紫色の火斑を言い、有名な秋田のナマハゲは、その語源がナモミ(アマメ・ナゴメとも)といい、やはり長時間火にあたり続けることによって生じる皮膚の変質(火型)を指す方言で、それを剥ぐからナモミハギとなって更に転訛しナマハゲとなったそう。

そして別に、能登地方の民俗に節分の夜、小学生が中心となり豆まきと一緒に行われるアマメハギというのがある。これは薄暗くなった頃、鬼の面を着け、箕、前垂れをあて、手桶に包丁を持ち「アマメー」とか「怠け者はおらんか」などと小さな子どもを脅し、餅を貰うと退散するというもの。「アマメ」とは、囲炉裏に当たってばかりいると出来る痣状のマメの事で、「怠け者」の印のアマメをはぎ取る事で怠惰を戒め、厄を祓って歩く民俗行事だというが…実際に、そういうものが出来るのであろうか?

自分の小さい頃の炬燵は炭炬燵で、寒いから炭炬燵に入ると暖かく、そのまま寝てしまう場合があり、そうすると足が炭火にあたって軽い火傷をする事がたまにあったのを記憶している。ただ「子供は風の子」と自分の頃にはよく云われたとおりに、子供ってのは雪が降っても外で遊ぶのを楽しみにしていた。

「遠野物語拾遺271」で云われるのは娘であって、自分のような男では無い。では昔の冬の寒い中、女の子達はそんなに外にも出ないでずっと家の中で囲炉裏にばかりあたっていたのか?と考えても、いまいちイメージが湧かない。

ここで妄想するのだが、この民俗は本来、子供達に対するものでは無く、遠野のように娘達に対するもの、もしくは嫁いだ嫁に対する民俗であったのでは?と感じてしまうが…。

ただ昔は、7歳までは神の子であったので、何もしなくても養って貰えたが、7歳を過ぎた子供は、いろいろと家の仕事を手伝わされた。今で言えば、小学一年生から普通に、大人並みの仕事を課せられたよう。
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「百年前の日本」という写真集を見ると、確かに幼い女の子がもう赤ちゃんをおんぶしている写真が数点あった。子守は親の仕事では無く、子供の仕事であったのだろう。つまり7歳を過ぎると遊んでいる暇もなかなか与えられず仕事をさせられたのが、昔の子供なのだろう。となればやはり、ナマハゲは子供達に対する民俗だろうか?
by dostoev | 2011-10-31 05:40 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(6)

能力者トイウモノ

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瀬織津比咩に関していろいろ書き綴っていると、やはり瀬織津比咩に関する人物との接点がいろいろできるのは当然といえば当然か?

ところで少し前、ある人物から連絡があった。「あなたの声を聞きました。」と。意味が不明で何を言っているのかサッパリわからなかったが、実はその人物、直接遠野の自分の経営する宿に泊りに来てくれた。そこで詳しく話を聞きだす事ができたのだった。

その人物は、代々瀬織津比咩を氏神として祀る家系に生まれ、元々は蝦夷の国に住んでいた末裔だという。つまり祀っている瀬織津比咩というのは早池峯からの分霊であるようだ。その瀬織津比咩を代々守り続けて、今は熊本県に住む。つまりだ、古来において蝦夷国から熊本県へと流れた家系であったよう。それは俘囚としてなのか、その辺は聞かなかった。

ところで声の話なのだが、その声とは去年、自分が早池峯の麓であり、瀬織津比咩を祀る又一の滝の前で、叫んだ時の声のようだった。その人物から何月何日の又一の滝の前と言われて、慌てて画像の加工履歴を確認すると、確かにその日に、自分は又一の滝へ行って写真を撮影していた。そして確かに、滝に向かって叫んだのを覚えている。しかし周りには誰もいる筈が無く、ましてや熊本県に住んでいる人物の元まで、声が届く筈も無い。

瀬織津比咩に関わって、自称「能力者」と云われる人と数人接してきたが、殆どは偽能力者みたいな人物が殆どだった。しかし今回知り合った人物は異常だった。誰も知る筈の無い叫びの声を、遥かに離れた熊本県の地から聞きとる事のできる能力とは一体?

瀬織津比咩という存在は、調べれば調べるほど深みを増すと共に、謎も深まる。全国にあまたにある瀬織津比咩を祀る神社を調べればキリが無いので、自分は早池峯を中心とする信仰圏を調べようと思っている。つまり、早池峯の瀬織津比咩には純粋でありたいと願っている。その願いが早池峯の麓で瀬織津比咩を祀る又一の滝を経由して、熊本県の人物まで声が届いたのだろうか?今となっても、その不思議な気持ちは変わらない。

しかしだ、能力者と呼ばれる人は星の数ほどいるのだろうが、その人を察する能力は大抵漠然であり、占い師やイタコのように"だいたい"の事を言っていれば、どれか当て嵌まるもの。また漫画「霊能力者 小田霧響子の嘘」のように、能力呼ばれる者の裏には、情報やトリックが含まれているのが確かだと思っていた。実際に、今まで知り合った自称能力者数人の能力を分析すれば、トリックの可能性は否定できないものだった。しかし今回だけは、あまりにも唐突で、突然に自分の心の中に入られた感覚に陥ってしまった。こういうのを本物の能力者というのだろうか?

とにかく瀬織津比咩を通じて、その人物と知り合い指名され、早池峯神社への参詣を果たし、再び遠野を訪れるというので、早池峯山への案内を頼まれた。拒絶する理由も無いし、本物の能力者であるのならば、もっと身近に、その能力に接してみたいものだと思っている。しかし本当に【能力者】とはいるものだろうか?
by dostoev | 2011-10-30 19:40 | 「トイウモノ」考 | Comments(2)

TPPを政府は参加しようとしているが、それによって日本は終わる。


一部で中野氏を、話し方が荒い、態度が悪いと評する人もいるが、いかにTPPが日本にとって危険か、この動画がわかり易く説明している。とにかく絶対TPPだけは阻止しなくてはいけない。

農業VS工業の構図でしか語られないTPPは、絶対おかしい。それを先導するマスコミも含めて、その疑問を中野氏はわかり易く説明しています。その底に、もっと日本が酷くなる構造が示されているという事を。

またこの動画を見ると、民主党政府が東北を切り捨てようとしているのがわかります。

by dostoev | 2011-10-30 06:45 | Comments(0)

「遠野物語拾遺275」

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十二月は一日から三十日までに、ほとんど毎日の様に種々なものの
年取りがあると言われている。しかしこれを全部祭るのはイタコだ
けで、普通には次のような日だけを祝うに止める。すなわち五日の
御田の神、八日の薬師様、九日の稲荷様、十日の大黒様、十二日の
山の神、十四日の阿弥陀様、十五日の若恵比寿、十七日の観音様、
二十日の陸の神(鼬鼠)の年取り、二十三日の聖徳太子(大工の神)
の年取り、二十四日の気仙の地蔵様の年取り、二十五日の文殊様、
二十八日の不動様、二十九日の蒼前様等がそれで、人間の年取りは
三十日である。

                  「遠野物語拾遺275」
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神事や仏事は、生活の近代化と共に薄れ始めている。例えば遠野で有名なオシラサマであっても、明治時代にネフスキーが遠野を訪れた際に、ある家のオシラサマが寄贈されたというが、オシラサマとは神様でもある。その神様を人に寄贈する事自体、信仰が薄れた証明でもあるのだろう。

今現在、遠野では盆踊りさえ無くなりつつあって、生活が生きる為の仕事中心と言えば聞こえが良いが、元々農家であってその農作業を中心とした生活であっても神事と仏事はこなしてきたのだった。その為に廃れてしまうのは、その当時の習俗がどうであったかであろう。

例えば、遠野市小友町鷹取屋には胎内潜りの大岩があり、その大岩を年に一度村人総出で山に登って潜り、家に帰ってから風呂に入るという風習があった。しかしいつしかその風習も廃れ、今ではその胎内潜りの大岩がどこにあるかさえ分からない人も増えてきた。その大岩の前には祠もあったのだが、今ではその残骸が散らばっているだけであるのが現状だ。

「遠野物語拾遺275」の各神々の年取り日だが、これは本来の縁日に基づいている。例えば薬師如来の縁日は4月8日なので、年取りは、その8日を取って12月8日にしている。
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ところで画像は、荒川不動の滝だが、その不動に関して山形県には面白い習俗がある。山形県では不動明王を祀っている家では、ニワトリを飼ってはいけない。また、卵を食べてはいけないという。遠野でも卵を奉納する神社や小さな社はあるが、これら全てに竜神であったり蛇神を祀っている。これから察すれば、不動明王とは竜神と繋がるという事なのだろう。

不動明王は、滝や水場に祀られているのが殆どだ。ところが不動明王を調べても、ニワトリや卵には、どうしても結びつかない。つまり元々は竜神を祀っていた場所に、後から不動明王を祀るようになったというのが事実であろう。つまり羽黒周辺の不動明王は、元々祀ってあった龍神の上に、不動明王を被せたという事だろう。

実は、遠野でも不動明王に卵を供えるところがいくつかある。やはり不動明王の以前には竜神系が祀られているのだろう。この「遠野物語拾遺275」において、不動明王の年取りは28日とあるのだが実は、早池峰大神である瀬織津比咩の縁日は9月28日となる。恐らく瀬織津比咩の縁日に合わせて、その上から不動明王の縁日を被せて行ったものと思う。となればだ、全国的に不動明王の命日が28日に設定されていると考えてみても、その後ろには瀬織津比咩の姿があるのだろうと思ってしまう。
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そして瀬織津比咩続きにはなるが、遠野の伝承の中にいつくか貴人が白馬に乗ってと伝えられる話がある。その貴人とは瀬織津比咩であるのだが、その瀬織津比咩を乗せる白馬とは蒼前であろう。
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「遠野物語拾遺275」で28日の不動明王の年取りに続いて、29日が蒼前様の年取りであるのは、不動と蒼前がセットになさっているからだとも伝えられる。それは遠野地方で、瀬織津比咩の乗るものが白馬であるという伝承に他ならない。蒼前神も、田村麻呂の蝦夷征伐の後に駒形神が上から被せられ、後に馬頭観音と結びつけられ、いつの間にか蒼前という名が消えつつあった。しかしこの蒼前神こそ、東北地方に古代から伝えられる神であって、蝦夷に古くから伝えられる神馬であった。それ故に、この「遠野物語拾遺275」において、未だに駒形でも馬頭でも無く、蒼前と伝えられているのは貴重であると思う。

馬の最高位は龍に行きつくのは、タテガミもあるのだが、水辺で龍と結びついて竜馬が生まれたという伝説があるように、馬もまた竜の属性を持った生き物である。故に水神としても祀られる河童が馬を淵に引き込もうとして、逆に陸に引き出された「河童駒引き」の話も、水神としても河童よりも馬の方が位が高いという理由もあるのだと理解できる。

水神としての馬…ここでは蒼前に乗る瀬織津比咩の姿はまさに、馬であって竜でもある水神に、やはり水神でもある瀬織津比咩が乗るというのは水神の極みでもあるのだろう。とにかく9月28日は瀬織津比咩の縁日であって、9月29日は蒼前の縁日であり、それが「遠野物語拾遺275」において遠野では、瀬織津比咩が不動様と名を変えられていても、蒼前様の年取りと続けて伝えられているのは、瀬織津比咩に対する信仰が水面下で続いていたという証明になるのかもしれない。
by dostoev | 2011-10-29 19:21 | 「遠野物語拾遺考」270話~ | Comments(2)

水辺の紅葉

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青い空を映し出す水辺の赤い紅葉。
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by dostoev | 2011-10-28 16:16 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

「遠野物語拾遺213」

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明治の初め頃であったかに、土淵字栃内の西内の者が兄弟二人して三頭の飼い
馬を連れ、駒木境の山に萱苅りに行くと、不意に二疋の狼が出て来た。馬の荷蔵
にさしておいた鎌を抜き取る暇もなく、弟はとっさに枯柴を道から拾って、この
二匹の狼を相手に立ち向かった。兄はその隙に三頭の馬を引き纒め、そのうちの
一頭に乗って家まで逃げ帰った。たとえ逃げ帰っても、家族の者や村人に早くこ
のことを知らせたならば、弟の方もあるいは助かったかも知れぬが、どういう訳
であったか、兄は人に告げることをしなかったので、たった十五とかにしかなら
ぬその弟は、深傷を負ってむしの息になり、夕方家に帰って来た。そうして縁側
に手をかけるとそのまま息が絶えたということである。

                          「遠野物語拾遺213」

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この物語の舞台は、観光で有名な山崎のコンセイサマの奥に、駒木に通じる峠がある。今では人が殆ど通る事が無いのか、歩いてみると途中で道が途切れてしまう。峠の脇を見ると、ミズと呼ばれる山菜が無数に生えている。
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実はこの峠の途中は、別名「地獄山」と呼ばれ、石が多く積まれた場所があり、いわゆる賽の河原として昔は信仰された場所でもあった。この峠を行き切れば、駒木の妻の神の石碑郡の場所へ行くのだが、その反対へ進むと大沢の滝があり「遠野物語拾遺42」の舞台へと結びつく。

また更に奥へと登って行けば、耳切山経由で、馬や牛が放牧される荒川高原へと辿り着く。
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この峠の先は、先に述べた通り駒木地域ではあるが、実は峠を渡りきった処に三峰様を祀っていた跡地に辿り着く。昔は祠もあったらしいが、今では画像の石碑と立て看板だけの三峰様となる。

安政二年(1855)に狼が村里に出て来て、人や家畜に危害を加えるので、村人が三峰様の祟りでは?という事から衣川から分霊して貰い祀ったら、それから狼が村に出る事は無かったという。

この三峰神社があった傍には、狼洞と呼ばれる入り口が木々で覆われているが奥に進むと開けた牧草地がある。まだ狼が多く生息していた当時、この狼洞には無数の狼が屯していたと云う。

つまり「遠野物語拾遺213」の兄弟は、危険を承知で狼の巣窟である方面へ萱苅へ行ったのではなかろうか。それがその家で、その兄弟に課せられた仕事であった為に…。

何年前だか忘れてしまったが、まだ幼い兄弟で小川に遊びに行き、小さな弟が川の深みにはまって溺れたが、兄は怖くなって家に帰ってしまったが、誰にも告げる事無く黙っていたが、後で問い質すと、弟が溺れた話をしたが、もう手遅れであったという事件を覚えている。

この「遠野物語拾遺213」も似たような話ではあるが、年齢が違う為、同じとは言い切れない。ただ現代として考えてみるに、狼が多く生息する山に行かせた親にも問題はあるのだろう。ただ現代と違って日々を生きるのに精いっぱいな日常であるのなら、危険な仕事でも子供に任せざる負えない事情があったのだろうと察してしまう。
by dostoev | 2011-10-27 19:17 | 「遠野物語拾遺考」210話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺269&270」

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この地方ではよく子供に向かって、おまえはふくべに入って背戸の川に
流れて来た者だとか、瓢箪に入って浮いていたのを拾って来て育てたの
だとか、またはお前は瓢箪から生れた者だなどと言うことがある。


「遠野物語拾遺269」
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盆の十三日の夕方、新仏のある家では墓場へ瓢箪を持って行っておく。
それは新仏はその年の盆には家に還ることを許されず、墓場で留守番を
していなければならぬので、こうして瓢箪を代りに置いて来て迎えて来
るというわけである。土地によっては夕顔を持って行く処もあるという。

                        「遠野物語拾遺270」
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遠野においては、馬の墓場を卵場という。これは遠野の各地域ごとに馬の卵場があって、死んだ馬を埋葬する地でもあった。以前は狼やら狐やらが、この卵場に埋葬された馬を掘り起こして食べたとも云われている。

綾織の故阿部さんは、夜にたまたま卵場の傍を通りかかった時、ユラユラと揺れる青白い火を見て人魂かと思ったそうであるが、実は狐が馬の骨の付いた肉を咥えて近付いて来たのを見た時、その骨付きの馬の肉が青白い炎を纏っていたそうである。

ところで墓場を、何故卵場として呼ばれたのだろう?卵といえば、死よりも生。生誕を意味しているものに対し、墓場が死に結びつくのではあるが、これは死からの復活を意味しているのだと考える。もしくは魂の復活…輪廻か。

復活で思い出すのが、キリスト教圏に広かる「イースターの卵」だ。諸説様々だが、卵が象徴するものは、墓であり、そこから抜け出すことによって復活する命であるという事は、馬の卵場と共通するものの考えなのだと思う。

古代、人は卵から生まれたという概念があったようだ。「日本霊異記」にも卵を産んだ女の話があり、また「竹取物語」の原型として伝わる話に、こういう箇所がある…。


「昔竹取の翁という者あり。女をかぐや姫という。翁が家の竹林に鶯の卵女の形にかえりて巣の中にあり。翁養いて子とせり…。」


その卵とまた同じものとして「ひさご」があった。ひさひごとは、つまり瓢箪だ。”ふくべ”とも言う。その瓢箪と卵には、イースターの卵と共通する概念がある。

朝鮮には卵から人間が生まれた話が多く、また瓢箪は魂を入れる器として伝わっているのだという。日本の前方後円墳の正しい見方とは、横から見ることであるという。するとその形は、瓢箪を半分に切った形となる。つまり、死者を瓢箪(卵)に入れるという考えは、西洋のイースターの卵同様、復活を意識してのものであった。

ところで新羅本紀の中の脱解王の物語は龍城国出身の王女が卵を産んで、その子を舟に乗せて流したのを、新羅国で老婆が拾って育て、その子が脱解王になったという。

また「日本書紀」での豊玉姫は、姫が龍の姿になって卵を産んだと記されている。つまり豊玉姫とは新羅から来た姫である可能性、もしくはその概念によって作られた逸話である可能性は強い。これはそのまま、朝鮮から海を渡って、卵と瓢箪の概念が日本に伝わってきたものと考えてもいいのだと思う。その概念が、馬の卵場として伝わっていたのかもしれない。そして「遠野物語拾遺269&270」に語られるように、その概念が日本に広がり「瓢箪から生まれた。」という話が作られたのだと思う。

「西遊記」においては金閣・銀閣が瓢箪で人を吸いこんでしまうシーンがあるが、恐らく肉体だけでは無く、魂も吸い込むのでは?

「遠野物語拾遺270」においては、新仏は家に帰る事が出来ないので、墓場で留守番をするとなっている。ここでは瓢箪がどういう役割を示すのか記されていないが、新仏の霊体、もしくは魂を納める器としての瓢箪ではと想像できる。つまり霊体や魂という不安定なモノを受け入れる器としての瓢箪であろう。置いてくるのは、魂が入るようにという事であり、迎えに行くというのは魂が入り込んだものと仮定してのものだろう。
by dostoev | 2011-10-26 06:35 | 「遠野物語拾遺考」260話~ | Comments(0)

月の出を待って

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月の出の少し前、大槌は軽い雲海が発生しているよう。
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白いモヤの雲海が、光を白く発行させている。まるで大槌町の上にバリヤーが張られたようにも感じる。
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そこに月が昇ってきた。
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昇りたての赤い月は、その光で雲海の一部をを赤く染める。
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月は丸い輪郭を保って、夜空に昇って行く。


いつもの遊びで…(^^;
by dostoev | 2011-10-21 03:27 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

大洞の山桜

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春に、桜の花びらを纏う大洞の山桜は、秋の日に、枯葉をまるで花のように咲かせているかのようだった。この枯葉の花ももうすぐ散り、今度咲くのは白い花になるのか。そして春には再び、暖かな桃色の花びらで楽しませてくれるのだろう。
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by dostoev | 2011-10-19 20:43 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

五角形について考えてみた

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五角形の舘跡、もしくは居住跡ではないかというのが、米通りの遺跡だが、五角形というのは縄文時代から、かなり普及していたという。縄文時代の住居跡は円錐形のイメージが強いようだが、四角形・五角形・六角形などの住居跡も多く発見されているよう。ただ五角形は少数のようであるけれど…。
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五角形という形をどうみるかだが、先に書いたように五角形は星の形や、画像のように桜の五つの花弁を結びつけると五角形になる。桜(サクラ)の語源を調べてみても神の依代となり、ある意味魂の憑依する場所ともとれる。古代、花と言えば桜であったが、桜が何故日本を代表する花であるのかは、花の咲く季節と、その散り様の他に色合いや形もあった。桜の五つの花びらを線で結びつければ、画像のような五芒星になる。この五芒星の起源を探れば、どうも日本というより西洋になってしまう…。

五角形を信仰的見地で考え思い出すのは、五芒星。秋田県では、タラの木を二つに割って一筆書きで五芒星を描き、戸口などにあちこちに飾るという。また山形県では朴の木を割って、片側に樹皮を残して「十二月☆」と五芒星をやはり一筆書きで書くという。この一筆書きの☆は、魔除けとして認識されているよう。

岩手である自分の周囲では、あまり五芒星に馴染みは無いのだが、有名な奥州市水沢区の天台宗妙見山黒石寺の蘇民祭は六角柱の護符の入った蘇民袋を奪い合うのだが、この角柱の護符には星を描く場所がいくつかあるのである意味、星を奪う祭りのようでもある。ここでは詳細を書かないが、牛頭天王を調べるとやはり星を信仰した西域の遊牧民族に繋がりそうだ。

ところで五芒星といえば殆どが、安倍晴明を思い出すだろうが実は、群馬県の縄文の遺跡から発掘された土器に、星型☆の線が刻印されたものが発掘されている。時代は奈良時代との事なので、安倍晴明の時代よりも早くから星型☆の…恐らく呪符が広まっていたようだ。つまりこの星☆の護符、呪符はどこからもたらされたのかだが…。

「帝都物語」などの著者で博物学で有名な荒俣宏の五芒星に対する見解は「元来は星というよりむしろウニの棘などの”目に突き刺さる針”を表しているようだ。」と述べている。先に紹介した秋田県では五芒星をタラの木に描くのは、タラの木にも棘があって、棘の二重用法で効果を上げる、となるのだろうか。

また南方熊楠「悪意を込めた邪視から逃れる為に、星型の目印を敵にしらしめた」と述べている。”悪意を込めた邪視”と記しているのでやはり、荒俣と同じに棘で目を刺す意味としての五芒星となるのだろうか。
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古代、例えば北斗七星は季節や時刻の指針として重要視された星の並びであった。信仰の対象としても様々に表現され、特に7番目の揺光は「破軍の剣先」と云われ、剣の形で表され、争いごとで、この星の示す方角に逆らってはいけないとされた。
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山梨県に、上記の画像のような星石が発見された。太陽は、大きな丸で描かれ、月は三日月形。そして小さな丸は星である。家紋などでも星とは丸型であり、これは中国から輸入されたものというのが一般的見解だ。だから星は丸型が普通であって、日本での文化的考えからすれば、星型☆は星では無いのだ…となる。しかし星を信仰する西域の遊牧民族に星型を見る事ができるようであり、その星型の原型は西洋から来ていると云われる。

ところで荒俣宏の「帝都物語」には陸軍の軍帽に五芒星が描かれているが、その「帝都物語」での登場人物のセリフにはこうある…。


「あの印はな、陸軍が独逸型の装備を採用した時に一緒に取り入れたものだ。軍部では最初、あれを単なる飾りだと思っていたんだが、実はとんでもない代物だったんだ。ありゃ独逸の護符だったんだ。独逸ではあの星形を、大変に霊力のある紋章と考えておってな、わしが日本に紹介したいと願う文豪ゲーテの「ファウスト」にも、霊験あらたかな魔除けとして何度も登場しておる。」


荒俣宏も従来の中国説を採用すれば、五芒星とは星では無く”棘”であるとするのだが、もしも五芒星が中国経由では無く、独自に西域の遊牧民族から来たとすれば、それはすなわち星☆そのものとなる。「古代東国の民衆と社会」では、五芒星は元来、西アジア地方に起源を有するマークであり、我が国へもかなり古くから伝わっていると述べている。その古くが、縄文の遺跡にみられるわけだ。ただし東国は以前、蝦夷の国であり、その蝦夷の国に広まった五芒星が安倍晴明が後に採用したとも考えられるとも思う。

ウィキペディアで「五芒星」をチェックすると、書きかけではあるが「ピタゴラス学派」とある。詳細は記していないので別に調べてみると…。

ピタゴラス(BC582~BC496)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者であり哲学者とあるが、本当は神秘主義者であったようで、数学史研究者はピタゴラスを「十分の一は天才、十分の九はたわごと」と評しているのは、ピタゴラスが新興宗教を起こして、その宗教団体の教義は万物の中心に数を据えて、霊魂不滅と輪廻転生を信じ、解脱をを得る為の修行を課したそうだが、この宗教団体のマークが五芒星であったようだ。

ピタゴラスは”一筆書きでする完全な図形”としての五芒星に神秘性を認めたという。このピタゴラスが考案した五芒星が、西洋の魔除けの呪符として受け継がれ、ドイツ軍の護符に採用されたようだ。当然の事ながら、ヨーロッパだけでは無く、シルクロードなどを経由してアジアにも伝わった可能性があるのだろう。となればピタゴラスの五芒星そのものが日本に伝わったのが遊牧民族経由であるならば、それは馬とその文化を有した蝦夷からという可能性が強い。何故なら「魏志倭人伝」では馬がいないとされていながら、蝦夷は西暦200年仲哀天皇朝を倒した応神天皇に馬を貸し出したという伝承があり、かなり以前から馬の文化を有していたとされるからだ。
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「黄金比」という本を読んでみると、五芒星は古代ギリシアでは生命の象徴でもあるという。恐らくそれもプラトンが考案した魂の輪廻思想の影響を受けてのものであろう。細かい事は省くが、この五角形に内在する黄金比は、西洋美を象徴するものであるとされる。

しかし、日本における美の象徴は、黄金比ではなく白銀比になるという。簡単に白銀比を説明すれば、正方形や長方形などの組み合わせによってデザインされている美術品や建築物などをいうようだ。つまり五角形の黄金比とは別物である白銀比の文化が根付いているのが日本という事だろう。では何故に安倍晴明は、五芒星を採用したのかだ…。

先に述べたように、五芒星の印は日本において民俗学的に考えれば、星では無く棘として説明される。それ故に、棘が魔除けとしての機能を持つものとして認識されてしまう。しかし、この五芒星が星を表すものであるならば、それは西洋の思想を安倍晴明が汲み取って採用した事になるのだろう。ではその五芒星の思想の経路はどこからなのか?という疑問は、簡単には説明できないものとなるのだが、可能性はやはり北方からの流れなのだと考える。

とにもかくにも、ピタゴラスの五芒星には霊魂が意図されていたよう。ところで「人は死んだら、お星さまになる。」という言葉がある。遠野でも、人は死んだら魂は高い山に登るとされるのも、一つは魂は天に昇ると伝えられていたからだ。高山は、その地域で一番天に近く、つの天に通じる場所とされてきた。そう山岳信仰の果てには、天に対する信仰があった。ギリシア神話で星々になった者達の物語が語られるが、これらも全て死んだ者達の魂が天に昇って星になったものである。ピタゴラスが魂の輪廻を信じて五芒星を考案したのもまた星に対する信仰があったからに他ならない。その人間の魂が行きつく五芒星は、やはり星そのものであろう。

となればその思想を含んだ五芒星がシルクロードを経て日本の北方に伝えられたとしたならば、その五芒星を意図する五角形という形は、信仰の拠り所となるのだと考える。ならば、遠野市土淵町米通りにある五角形の舘跡と呼ばれるものの正体は恐らく、安倍一族の信仰する社があった場所ではなかろうか。
by dostoev | 2011-10-17 11:50 | 民俗学雑記 | Comments(2)