遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
外部リンク
最新のコメント
カエルのような両生類と考..
by dostoev at 04:56
河童は冬眠しないのでしょ..
by 森のどんぐり屋 at 14:34
安来市と比べ、神代の歴史..
by dostoev at 09:42
 島根県の安来市あたりも..
by 名古屋特殊鋼流通倶楽部 at 13:57
いくつかの梨木平を見てき..
by dostoev at 18:39
梨木といえば、昔話の「な..
by 鬼喜來のさっと at 22:09
遠野まで来たら、キュウリ..
by dostoev at 07:06
河童はおる。わしが河童じゃ!
by 竜桜 at 20:55
観念や概念は、各民族によ..
by dostoev at 20:45
以前コメント欄にお邪魔し..
by 河童ハゲ at 18:12
最新のトラックバック
ライフログ
検索
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2011年 06月 ( 15 )   > この月の画像一覧

避妊したメスはオスと認識されるのだろうか?

f0075075_44524100.jpg

昨日、1歳になったばかりのミーが、新しいグーの彼氏に襲われて負傷。新しい彼氏はグーが発情期を迎えた為に、毎日オス猫を呼んで定着した、茶トラ風の野良猫。1歳のミーはもしかして避妊した為、メス猫じゃなくオス猫と認知されたので「俺の女に手を出すな!」と、襲われたのだろうか?

襲われた場所には、ミーの毛が散乱して、ウンチが落ちてた。どうも興奮して脱糞したらしい。。。
by dostoev | 2011-06-29 04:52 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

語り部トイウモノ(其の2)

f0075075_1857507.jpg

武田祐吉「上代日本文学史」において、「記紀」や「風土記」に出雲系の神々の説話が多く、古詞の多い事から語り部は主として出雲系説話の伝承者であったろうと推測している。

元来「語り部」とは「延喜式」などの大嘗祭の際、各地の語り部と呼ばれる人々が参列して、古詞を奏した事が原点のようだ。その参列した語り部の出身地は、美濃・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・淡路であって、これらが出雲系の繁殖した国であろうと。この儀式では、伴宿禰、佐伯宿禰という武力を代表する氏族に率いられ参列している事から、その時代の語り部とは"被征服者"では無かったか?と述べている。

平成になって発覚した事実に、遠野地方を収めた南部氏は、過去の歴史や伝承を採用して、南部氏の伝承として記録に残したという事。征服者は、被征服者の歴史や伝承を改竄し君臨している事実が、日本国内で行われている。

しかし語り部が伝える伝承が征服者の都合の良いように伝えられても、その根っこの部分は、本来のものが潜んでいる。よく言われる「古事記」が朝廷により都合の良いように改竄されているというが、全てが真っ赤な嘘というわけではない。その中から"根っこ"の箇所だけを掬い上げる事が出来れば、本当の歴史やら伝承は理解できるのだろう。

遠野の早池峰山頂手前に、祭礼の河原というものがある。実は仏教が入り込んで、今では一般的な賽の河原になったようであるが、それ以前は神々の集う場所であり、出雲の神在月と同じである。神無月とは出雲に神々が集まり懐疑する月である為に、他の地域からは神々がいなくなる為、暦上では神無月というのが一般的だが、全国で分かっている限り神在月となっている地域は、出雲を筆頭に熊野・諏訪・二荒、そして早池峰となっているが、もう少し出てくるのだろう。

ところで遠野の黒木沢に白髭の洪水の時"おかばみ"という化け物が出て、暴れまわったという伝承が残る。この"おかばみ"とは、ワニであったと云う。ネットでこの"おかばみ"を検索すると、山形県南陽市に似たような話があった。ただし南陽市では"大蛇"となっているよう。

http://www.city.nanyo.yamagata.jp/012/rekisi/minwa/index.htm

古代におけるワニの話で有名なのは、因幡の白兎や山幸彦と結ばれた豊玉姫がワニになった。またその妹の玉依姫もワニであったという話がある。実は、そのワニとは古代の豪族である和邇氏である、という話がある。

http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB/

補足として、怪異・妖怪伝承データベースで"ワニ"を調べると、島根と東北だけに伝承があるというのは不思議な気がするが…。
f0075075_1911227.jpg

ちなみに岩手県で発行した「猿ヶ石川流域伝承マップ」では"おかばみ"を画像のような絵として表現している。一般的に"うわばみ"とは大蛇を意味して、大きなものも丸のみする事から転じ"酒豪"の意味にもなっている。では"おかばみ"を考えると、やはり"おか"は丘であろうと思う。つまり丘を歩く、大きなものを丸のみする化け物と捉えて良いのだろうか?爬虫類である蛇は這うと表現するが、同じ爬虫類でもワニは歩くものと捉える。故にわざわざ"おか"を付けるのはやはり、歩く爬虫類と捉えていいのだろうか?
f0075075_193699.jpg

志斐媼の話を先にしたが「新撰姓氏録(鳥)」には、志斐を名乗る連の話が紹介されている。

ある時、名代なるものが天武天皇に楊花を献じて、天皇に何の花か?と問われると、これは「辛夷花」だと申し上げた。群臣がこれは「楊花」だと言っても、どうしても「辛夷花」だと言って強弁した。この「強い語り」によって「阿倍の志斐」という姓を賜ったという話だ。

何故「阿倍の志斐」と呼ばれるかだが、「新撰姓氏録(鳥)」には、大彦命の八世孫と記されているからなのだろう。大彦命は四道将軍の一人で、北陸地方を統治した人間で、安倍の祖であるという事から、安倍の志斐となっているのだろう。北陸と云えば当時は蝦夷国でもあったわけだ。越ノ国ともあるが、越ノ国という名称も実際のところは謎であるらしい。

ここで感じるのは安倍の志斐とは大彦命の孫であったとしても、生まれも育ちも蝦夷では無かったのかという事。また先に紹介した志斐媼は持統天皇に仕えた。この安倍の志斐は天武天皇に仕えたのを考え併せると、同一人物?いや、志斐連の母親?と捉えても良いのかもしれない。
by dostoev | 2011-06-28 19:08 | 「トイウモノ」考 | Comments(6)

津波について思った事(安倍一族、平泉)

f0075075_20462311.jpg

「東日流三郡誌5(文化・地誌 編)」の【十三湊町史】には、こう書き記している。


「興国二年に大津波起りて一挙に海の底に埋まり、その昔影を遺すに至らず、今は住む人ぞ二十一軒なり。湖底に眠る幾千人の霊魂は唐崎の地蔵尊に崇まるとも、その縁ずる者もなく、今は無縁なり。」

興国二年とは南朝暦であり、西暦1341年。要は、南北朝時代真っただ中だ。和田喜八郎著「知られざる東日流日下王国」では「東日流三郡誌」で書かれている日本海での津波などあり得なく、でたらめも甚だしいと講演した某大学教授への批判が書かれているが、実際にその後、1983年(昭和58年)5月26日11時59分57秒に秋田沖日本海中部地震が起き、津波が押し寄せた。新聞やテレビで知ったところによると、砂浜を歩いていた小学生が津波に呑み込まれたなどと、津波の恐ろしさを伝えていたのを記憶している。

ところで文献上、東北を襲った地震と津波で一番古いのは、「貞観の大地震」貞観11年(869年)であるが、ここでフト三陸のリアス式海岸を思い出した。小学の地理の授業で習うには、ノコギリ状のギザギザな地形という事だが、これは海水面の上昇によってこの地形が現れた…という考えが一般的のようだ。しかしこのリアス式海岸の地形を作ったのは、やはり水の力だろうと思う。もしかして人類が東北に住む以前から、何度も津波が押し寄せてリアス式海岸を作り上げた可能性も否定できないのかもしれない。

気になるのは安倍一族であり、奥州藤原氏だ。安倍一族を調べると、どうも本来は海の民では無かったのか?と思う節がある。しかし安倍一族は、海の面していない奥六郡を本拠地としていた。また安倍一族の血を引く奥州藤原氏は十三湊で大陸との交易をしていたようだが、十三湊から平泉まで交易の品々を運ぶには、かなりの距離がある。いくらでも十三湊寄りに近づいた方が、輸送の不安は拭えた気もするのだが、北東北の丁度中央に位置する平泉という地に金色堂などを築いたのは、黄龍の思想もあったのでは無いかと考える。要は東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武で、その中央に位置するのが黄龍であり、支配の位置であるからではなかろうか?

そしてもう一つ、津波に対する警戒心から沿岸域には都の建設をしなかったのではなかろうか?本当の事実はどうかはわからんが、1341年の地震による大津波が起きたにしろ、史書には記録されていないのは十三湊が辺境の地であった可能性からであろう。

史書でわかっている古い津波の歴史は、日本最古の書物である「古事記」の編纂を命じた天武天皇13年(684年)10月14日土佐に津波が来襲し、船多数沈没とあるのが最も古い。天武年間には伊豆の地震に対する不安を書き記してはいるが、それより更なる北…東北に関する記述はない。しかし今回の3月11日の三陸大津波の余波はニュースで注目を浴びなかったがやはり土佐をも呑み込み、三陸ほどの被害は無かったものの、かなり深刻なダメージを与えたようだ。つまり天武年間の津波の記述も、もしかして土佐という局地的なものではなく、広く太平洋沿岸域に起きた地震と津波であった可能性もあるのではなかろうか?

こうして古代史を調べていて気付くのは、海人族が海を捨てて、内陸に移住して文化を築いている事。安曇族しかり、何故に海の民が山へと進出して、海の文化をもたらしたのかと不思議だった。何故なら山の中でありながら、竜宮に繋がる伝承は数々ある。「遠野物語」を一つ一つ紐解いていっても、海の民の文化に繋がるのである。何故海の民は、海を捨てたのか?それはやはり、歴史の知らない津波が、今まで住んでいた海の民の町を壊滅させた可能性に心惹かれてしまう。

何故に海幸彦が海で溺れなくてはならなかったのか?もしかしてだが、海を捨てた民が山幸彦となり、海を捨てない海幸彦を溺れさせた隠された背景があったのではなかろうか?などと、今回の三陸大津波がいろいろ心に語りかける。

そして最初に戻るが、本来は海の民であったらしい安倍一族が何故海に面していない奥六郡に拠を構えたのかも、沿岸域の津波の恐ろしさを知っていたからではなかろうか?と考える。そして何故に奥州藤原氏が内陸の中央に極楽浄土の思想によって平泉を築いたのも、津波によって流離う海の民を意識してのものではなかったのか?と。つまり津波という恐ろしさを知っていたからこそ、居住も含め精神的信仰の拠点としての平泉では無かったのか?一般的に知られる極楽浄土とは、補陀落渡海。つまり海の彼方にあると信じられた。しかし奥州藤原氏は、その極楽浄土を東北の内陸の中心に築いたのは、津波の不安が無い地であった可能性。そして奥州藤原氏の築いた文化には、安倍一族から受け継がれたものが多大に含まれている可能性はあるだろう。つまり妄想を広げれば、安倍一族は津波によって故郷を捨て、東北に流れ着いた海の民では無かったのかと…。
by dostoev | 2011-06-27 21:57 | 民俗学雑記 | Comments(2)

語り部トイウモノ(其の1)

f0075075_6402460.jpg

文献上、日本の最古の語り部ではないかと言われるのが、稗田阿礼が語り、それを太安万侶が書き留めた日本最古の書物である「古事記」での話を語った稗田阿礼、その人となる。

以前、古代日本においての本来、物語とは文字では無く、語る事によってそのリアリティが伝えられると書いたが、この「古事記」もまた人々によって語り伝えられていたものが初めて書物としてまとめられたという事だろう。つまり「古事記」そのものの内容は、古くから"語り部"によって語り継がれていた内容であり、その「古事記」…つまり「ふるごとのふみ」は、その語りのスペシャリストとして稗田阿礼が採用されたのかもしれない。ただ厳密に言えば「古事記」の編纂に当たっては、各地域の伝承を書き記す書物があったという事で、それを稗田阿礼が読んだという事らしい。つまり"語る"とは"読み"のスペシャリストでもあったわけだ。

遠野での以前、遠野の語り部の代表格に故・鈴木サツさんという方がいた。やはり語りというものは、その人によって語り口が違う。しかし、その語りの良さというものは、人々の評判によって決まるものであるから、「古事記」の稗田阿礼も、遠野の語り部である鈴木サツもまた、人々の評判によって代表格となったのだと理解していいのだろう。ただ稗田阿礼の阿礼(アレ)は、神が現れる古代語とされており、稗田阿礼そのものが巫女的な存在であったようだ。

稗田阿礼が語り部とは書いたが、元来「語り部」とは「延喜式」などの大嘗祭の際、各地の語り部と呼ばれる人々が参列して、古詞を奏した事が原点のようだ。その語り部の唱える声に類似しているのに「祝詞」がある。祝詞は、神と人との媒介者が神を讃えると共に、人々の言葉を神に伝えるものであるよう。つまり魂の篭った言葉…所謂"言霊"を伝えるという意味で、語り部の語りと祝詞は同じものとして良いのだろう。それ故に、語り部の語る話は単なる昔話では無いという事だろう。そこには、先祖の魂が引き継がれているからだ。
f0075075_6425043.jpg

ところで「万葉集(新潮日本古典集成)」巻の三を読むと「天皇、志斐媼に賜へる御歌一首」というのがある。



* 【天皇、志斐媼に賜へる御歌一首】


いなといへど 強ふる志斐のが 強語り

 このころ聞かずて 我れ恋ひにけり

【「もうたくさん」というのに聞かそうとする、志斐婆さんの無理強い語りも、ここしばらく聞かないでいると、私には恋しく思われる。】

 
 *【志斐媼が和へ奉る歌一首】

いなといへど 語れ語れと 宣らせこそ

 志斐いは申せ 強ひ語りと言ふ

【「もういやです」と申しても、「語れ、語れ」とおっしゃるからこそ、志斐はお話申し上げるのですが、それを無理強い語りだなどとおっしゃいます】



これを読んでいて感じるのは、語り部らしき志斐婆さんが天皇(持統)と、とても良い関係にある事。まるで乳母のように親しみを感じる関係である事が伺える。つまり天皇が幼少の頃から古事(ふるごと)を、この志斐婆さんから聞いてきたかのようだ。これはつまり、遠野の語り部にも通じる事でもあるだろう。

遠野の語り部と呼ばれる文化は"子供騙し"からであった。夜でも家の中で騒ぐ子供たちを、早く寝かしつける為に「坊や、面白い話を聞かせてあげるよ。」と、子供の動きを止める。動きが止まった子供というものは大抵、コックリ、コックリと居眠りしてしまうもの。この役を担ったのは、家によって違うようだ。先に紹介した故・鈴木サツさんは、父親から様々な話を聞いたという。ただ、持統天皇が志斐媼から聞いた話と、遠野で語られた話は違うだろう。

本来皇族とは無駄に昔話を聞くのではなく、帝王学の一環としての話が多いだろう。つまり志斐媼が語ったのは、天皇一族の歴史や伝承であったろうと想像できる。「古事記」の編纂を命じたのは天武天皇だった。その天武天皇の皇妃であった持統天皇に対し志斐媼は恐らく、天武天皇に語ったであろう話を引き続いて、持統天皇にも話したのだと推測する。持統天皇と志斐媼が親しげな関係であるのは、間に天武天皇がいたからであろう。

遠野の語り部が語る話は、子供騙しの話であり創作の話だ。しかし志斐媼が語ったのは、天皇家の歴史や伝承、もしくは各氏族に伝わる歴史や伝承だろう。つまり本来、歴史を語るのが語り部であったのだが、まあ広い意味では遠野の語り部も、また語り部と呼んで良いのかもしれない。

そしてだ、その語り部の源流を辿ると、丸邇氏の影がちらつく…。
by dostoev | 2011-06-26 07:16 | 「トイウモノ」考 | Comments(10)

ところで桜?

f0075075_73919.jpg

猿ヶ石の源流に行ってすぐに目についたのが、ピンクに染まった花。近付いて見てみると…桜?例えばこの時期の去年は、まだ雪の残る早池峰山に登ったのだが、5月の里で咲く桜は1か月以上早池峰山では遅く、それでも咲き誇るのは6月の上旬から中旬頃まで。去年のデータを調べると、6月11日に早池峰山へと登っていたが、桜は既に、ほぼ散っていた状況だった。

今年は地震の影響なのか、桜の開花は例年より遅く、5月の連休明けに満開となった。となれば、里よりも咲くのが遅い早池峰は今が見頃なのだろうか?今年は地震の為に忙しく殆ど山に登る機会が取れない。秋にはどうかだが…。

そしてまた、この早池峰の懐から流れる猿ヶ石の源流に咲く花は、本当に桜か?少々自信が無いのが正直なところだ…。
by dostoev | 2011-06-24 07:17 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(3)

昨夜の遠野の雲

f0075075_732233.jpg

日中は暑かったものの、薄曇りの天気で快晴というわけじゃなかったのは、ほぼ梅雨入りしているせいだろうか?遠野駅辺りから夜の上空を眺めると、雲が蠢いて合間に星の輝きが見える。それではと高清水へと行き、遠野上空を確認した。遠野の街上空はやはり雲が多いのだが、その隙間に星を見る事ができた。
f0075075_735996.jpg

西である綾織方面を見ると、雲は薄く、かなりの星空が見えた。
f0075075_7352673.jpg

また北方面も雲はあものの、星空の占有率はかなりあった。つまり遠野の街から東にかけてが雲で覆われていたのだろう。10時45分頃の月の出も確認したかったが、早朝の仕事を考えるとこれ以上遊んでいられないので撤退。しかし地震以来ずっと外に出ていなかったので、少し余裕が出てくると遊びに対し自制が効かなくなってしまうのは反省点か?(^^;
by dostoev | 2011-06-23 07:46 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)

真夏日の遠野における涼

f0075075_20161913.jpg

この時期でありながら、予想最高気温は30度を超すという。平成初期の頃は、遠野にエアコンを完備している建物は少なかった。せいぜい、パチンコ屋か喫茶店くらいだったか?しかし何故にエアコンが普及していなかったかというと、天然の涼しい風があったからだ。周囲が田園地帯であれば、窓をあけると涼しい風が吹き込み、エアコン要らずの遠野であったのだが…。

しかし暑かったら今でも山の渓流などに行くと、まったく暑さ知らず。今日は暇だったので、朝から速攻で猿ヶ石の源流に行ってきた。
f0075075_20205542.jpg

遠野の街中と違い、やはり自然の広がる地に足を踏み入れると景色が違うのに加え、自然に生息する動植物や昆虫が目につく。今回も街中では見る事の出来ないクロアゲハの群れが道を塞いでいた。車が近寄った為に、半分以上逃げてしまったが、その一部のクロアゲハをどうにか撮影。
f0075075_2024051.jpg

草葉の一枚一枚を丹念に見て回ると、とにかく生物が何かいる。その全てを撮影するのは大変だが、"それ"を見つけるのは楽しみでもある。
f0075075_20272643.jpg

涼むのに最適な場所は、やはり滝が一番だ。マイナスイオン効果の信憑性には疑問符が付くが、滝傍に発生しているであろう良質のマイナスイオン?は確かに、精神安定・疲労回復に役立つ気がする。この画像の滝は悲劇の清滝姫の伝説が伴う滝だが、あまり人の訪れ無い猿ヶ石の源流の奥に、ひっそりと佇んでいる。
by dostoev | 2011-06-22 20:33 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

アラハバキ神

f0075075_6433345.jpg

遠野には、二つの貞任山があり「安倍文書」には「猿ヶ石と遠野郷の南北の霊山二ヵ処に荒覇吐神社を建立す。此の二山を貞任山と号す。」とある。荒覇吐とはアラハバキと読み、谷川健一「白鳥伝説」ではアラハバキ神の事を、元々土地の精霊であり地主神であったものが後来の神にその地位を奪われて客人扱いを受けたという。全国的にも、その地に祀られていた土着の神が後から祀られた神に主祭神の位置を奪われ、末社に追いやられている場合が多い。

ところで気になるのは、宮城県多賀城市にあるアラハバキ神社だ。「封内風土記」には「阿良波々岐明神社 何時勧請せるや不詳と云い伝う。一宮末社也。之を祈み報賽する者は脛巾を献ず。」とある。この文に登場する一宮とは塩竈神社の事である。つまり従来の理屈に当て嵌めてみれば、塩竈神社に祀られていた神とは本来、アラハバキ神であろうか?
f0075075_7452840.jpg

アラハバキ神の正体には、様々な諸説がある。蛇神・塞の神・製鉄の神・などいろいろ言われているが、御神体として男根を模ったものを祀っているのを考え合わせても、全てに共通するものは山の神としてではなかろうか?

本来、山とは信仰の対象であり、遠くから仰ぎ見るものであった。修験が広がり、山伏たちが挙って山に登るようになり、明治時代の西洋のアルピニストの影響により、一般庶民までもが山々に上るようになった。しかし古代の日本では、山に登るという事は、殆ど行われていなかったようだ。

遠野の北に聳える早池峰山に関わる重要な人物として登場するのが始閣藤蔵である。菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」には藤蔵の子孫に伝わっている文書が紹介されている。「来内金山の守り神となって金鉱脈を発見させて下さったなら、お礼に早池峰山頂にお宮を建て、東岳三社権現として祀ると約束…。」とある。古来の山伏は鉱山師でもあったのだが、藤蔵の本来が山伏であったのかは定かではない。ただここで考えられるのは、藤蔵が初めて早池峰山に登ったのは、金脈を発見した後ではないかという事だ。

藤蔵が伊豆から来内の地に来たのは、金山開発が目的であったのだろう。しかし来内の地からは、早池峰はまず見えない。眼前に聳えて目立つ山は、六角牛山であるからだ。その六角牛山には、早池峰と同じ神が祀られている痕跡がある。藤蔵の子孫に伝わる文書には東岳三社権現とあるが、六角牛はその早池峰の分霊が祀られている山であった可能性は高い。おそらく藤蔵は、来内の地で人々から、この遠野の地で一番位の高い、北に聳える早池峰山の話を聞いたのだろう。その早池峰山こそが来内の地から眼前に聳える六角牛山に祀られる神の大元であったからではなかろうか?だからこそ藤蔵は、遠く北に聳える早池峰山の神に願をかけたのだと考える。それから金が発見されて初めて藤蔵は、感謝の意を込めて聖域である誰もが登らない早池峰山に登ったのだろう。
f0075075_8223394.jpg

f0075075_823347.jpg
f0075075_8235173.jpg

貞任山に連なる山々では現在、山躑躅が満開となっている。この山々では早池峰がどこからでも見る事ができる。早池峰を仰ぎ見る事ができる山…つまり早池峰山の遥拝所としての機能があったのだと感じる。だからこそ、早池峰を信仰したであろう安倍一族のアラハバキ神社も、この地に建立されたのであろう。

アラハバキ神で思い出すのが、東和町の丹内山神社だ。この丹内山神社の御神体はアラハバキの岩であり、また丹内山神社の神は、丹内神社の背後約4キロ先に建立されている滝ノ沢神社の敷地内にある滝に顕現したとある。その滝ノ沢神社に祀られている神は、早池峰の神と同一である。そしてまた、丹内神社に向かって滝ノ沢神社を線で結ぶと早池峰山に繋がるのは、もはや偶然ではないだろう。

アラハバキ神を山の神と捉えると、女神となる。何故なら、アラハバキ神社の御神体としてあるものの中に男根を模ったものがあるが、これは本来、女神であろう山の神に捧げる為に祀られたのであろう。となれば当然、遠野に伝わるコンセイサマという男根を模ったものはアラハバキ神に通じるものであろう。安倍一族の末裔建立した綾織の地の胡四王神社も後に、やはり安倍一族の息のかかった駒形神社に合祀されている。その駒形神社の御神体もまた男根を模ったものである事から、綾織の胡四王神社もまたアラハバキ神を祀っていたのではないか?そのアラハバキ神が女神であり、山の神であるならば、それは全て早池峰に通じる可能性は高い。となれば、安倍氏の息のかかっていた宮城県の一宮である塩竈神社に祀られていた神もアラハバキ神であるならば、本来は早池峰の神と同じであった可能性があるだろう…。
by dostoev | 2011-06-21 08:52 | 民俗学雑記 | Comments(0)

満月

f0075075_20321893.jpg

天気予報は曇りで、満月は諦めていたけれど、何故か予報は外れて晴れ!今夜は出る事が出来ないので、上のテラスからの撮影。昨夜は満月に一日欠ける月だったが、今日の満月は大きさと色合いがどこか神秘的だ。やはり満月というのは、何か違う。

ところで”満月”とは”月””満ちる”と書く。満願成就という言葉には、願いが満ちるだが、本来は水が満ちる状態を示す言葉から発生しているようだ。つまり月と水との関わりには、深い歴史を感じる。

「淮南子」には、月が雨露と水と湿気とのもたらし手であり、あらゆる草木の生成や、魚介類の支配者でもあると記されている事から、日本では月読命がそれに充当するのだろうが、似たような神話に月読命にとって代わり、スサノオになっているのは、九州でのスサノオが山の神として祀られるているのに深い関係があるのかもしれない。もしかして本来は、スサノオが月の神だったのかもしれない。となれば「古事記」においてのアマテラススサノオの争いは、太陽と月の争いを表したものだろうか?と、いろいろ考えてしまう。
f0075075_203236100.jpg
f0075075_20325486.jpg

by dostoev | 2011-06-15 21:04 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

月の遠野盆地

f0075075_2262222.jpg

久々の、夜の高清水から見た遠野盆地だった。今日は昼寝もタップリしたし、夜も比較的早く仕事を終えたので、思い切って出かけてみた。満月に一日早い月ではあったけれど、天気予報では明日の満月の夜は曇っているらしく、今夜が月が綺麗な日だろうと…。
f0075075_2264022.jpg

月の明かりは月の傘を作り、虹色に見えた。ただ風が強く、雲は素早く流れ、また高清水の上は寒かった…。次は、久々の星空を狙ってみようか。
f0075075_2265446.jpg

f0075075_67130.jpg

サッカー場では自衛隊が撤退したのか、その痕跡は無かった。その代り遅くまで遠高サッカー部だろうか?練習をしている姿があった。
f0075075_2271235.jpg

f0075075_1716610.jpg

by dostoev | 2011-06-14 22:15 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)