遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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ラーラのテーマ

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久々に「ドクトルジバゴ」を観た。初めて観たのは中学の時のテレビ映画で、水曜ロードショウだったか?2度目は二十歳過ぎてからで、今回で3度目の「ドクトルジバゴ」体験だった。10代・20代・40代で観ると、観方、感じ方も変わって来るもので、今回はストーリーを追うというよりも、言葉を意識して観ていたような気がする。今回気になったのは、下記の言葉。


「詩を愛する人は詩人を愛する。ロシア人ほど詩を愛する国民はいない」

ロシアの詩人というと真っ先にプーシキンを思い出すが、ドストエフスキーの小説を読んでいても、何度かプーシキン賛辞の言葉が目に付くほど、ロシア人にとって偉大な詩人は、確かに国民に愛されていたのだと感じる。

「ドクトルジバゴ」の監督はデビット・リーンで、イギリス人だ。ロシア人とイギリス人というものは、どこか馬が合わないようなイメージがあるので、イギリス人の監督がロシアを舞台に映画を撮るというのはどうか?とも感じた時があったが「…ロシア人は詩を愛する…」で思ったのは、イギリスといえばシェークスピアのソネットだ。このシェークスピアのソネットは当時、その言葉の斬新さにイギリス人を魅了したという。現代においてもシェークスピアが持ち上げられるのは、そのソネットによるものが大きいのかもしれない。そうイギリス人もまた詩に魅せられた存在だった。ならばイギリス人であるデビット・リーンが「ドクトル・ジバゴ」を撮影するにあたって意識したのは"詩的なもの"では無かったろうか?

映画の冒頭が、ジバゴとラーラの間に生まれたトーニャに話しかけるシーンから始まるのは、過去の想い出を詩的に表す為の序章のようなものかもしれない。ここでプーシキンの詩が、頭を過った…。
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日々のいのちの営みがときにあなたを欺いたとて

悲しみを またいきどおりを抱いてはいけない。

悲しい日にはこころをおだやかにたもちなさい。

きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから。


こころはいつもゆくすえのなかを生きる。

いまあるものはすずろにさびしい思いを呼ぶ。

ひとの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。

流れ去るものはやがてなつかしいものとなる。


ラーラの生き様は、少女から突然大人の女性の世界へと羽ばたく。その激動の中、ジバゴと結ばれるのだが、そこにはロシアの女性の激情と安らぎが同居しているかのよう。またラーラ役のジュリー・クリスティーが金髪なのが良い。何故金髪が良いのかと言うと、ロシアの歴史上、金髪の女性とは類稀な存在であり、ロシア人の憧れだもあったからだ。ドストエフスキーの小説においても、メインの女性は大抵金髪であるのも、ロシア人の心を代弁しているのだろう。ジバゴの妻の黒髪に対比するかのようなラーラの金髪は、まさにジバゴが魅かれる要因でもあった筈だ。まさにここにも、一つの詩的な要素が見つけられる。その金髪であるラーラが、激動の時代に少女から大人の女となってジバゴを愛し、そして別れが訪れる。またもう一つの詩的な要因は、バラライカの音色だろう。ラーラから娘のトーニャに受け継がれたバラライカは、激動の中の安息を示すものであり、またそれは心を穏やかに保つ為の一つの重要な音でもあった。流れ去り懐かしいものとなったジバゴとラーラの愛は、娘であるトーニャの中で息づいているという、まさしく詩的な映画として撮影されたのでは無いかと、この年になって感じてしまう。
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思わずバイオリンを手にして「ラーラのテーマ曲」を弾いてみた。このメロディラインはまさにロシアの哀愁、切なさを醸し出すもので、この「ドクトル・ジバゴ」には欠かせない曲であるのを、改めて認識した。恋を知って、少女から羽ばたき大人の世界へと踏み込み、そして愛を知って本当の大人の女性となつたラーラという女性は、帝政ロシアの末期から第一次世界大戦、ロシア革命とそれに続く内戦時代を背景に、時代に翻弄されながらも詩人としてのジバゴに結び付いて奏でられる名曲でもある。
by dostoev | 2011-01-31 01:21 | よもつ文 | Comments(2)

映画「パフューム」

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映画「パフューム」をやっと観た。かなり異色の映画だったけれど、かなり納得もした。というか、ヨーロッパ映画らしい面白さに溢れていたと思う。

沢山の女性を殺し、その匂いエキスを集め、最後に素晴らしい匂いを持つ貴族の赤毛女のエキスを足して完成した究極の香水は、全て女からできているのだが、その匂いは死刑執行に集まった民衆全てに幻覚?いや、この場合は幻臭というのだろうか?見事に死刑から免れるのだが、この香水は高貴な匂いを伴った、所謂フェロモンなのだろうなぁと。

ところで匂いは、特に食生活にかなりの影響を及ぼしており、自分が臭いと感じた食べ物は、なかなか食べる事ができないもの。外国人にとって、納豆の匂いはとてつもなく臭いもので、それを平気で食べている日本人という人種は信じられないという話を聞いた事がある。

大好きな焼肉を沢山食べ過ぎると、今度はこの焼肉の匂いだけで吐き気を模様する事だってある。鰻好きの人は多いけど、鰻屋が近所にあるところは毎日鰻の匂いをかがされて、鰻の匂いとは嫌な匂いだと認識している人達もいるのだとか。

とにかく、食べ物の放つ匂いは、食欲をそそる場合と、吐き気を模様す場合との両極端だ。ただし思うに、匂いの濃度のような気もする。微かに匂う場合は、その匂いを追い求めてしまうけれど、その匂いが強すぎると避けてしまう。

映画「パフューム」でも、その完成した香水を振り撒く場合、ハンカチに数滴垂らしてから、そのハンカチを振って匂いを拡散させていた。つまり強すぎる匂いは、逆効果と映画の主人公も知っていたのだろう。

とある女性刑務所で、たまに女囚が興奮して騒ぐ場合があるのだという。調べてみると、塀の外を男が歩いている場合に、女囚達が騒ぐのだという。つまり、動物と違って匂いに鈍感だと言われる人間であっても、知らず知らずのうちに異性の匂いを嗅ぎ分けているのだとわかる。

以前、北海道は留寿都のホテルに男数人で滞在していた時、扉をノックする音がしたので出てみると女性が立っていた。どうしたのかと聞いてみたら「男の匂いがしたから…。」という、なんとも不気味な事を言ったので、拒否した事があったが…(^^;

匂いを実験している研究機関があって、かなりのマウスで実験を繰り返しているらしい。マウスにも攻撃的な雄と、そうでない雄がいるらしいが、大人しい雄のマウスに攻撃的な雄のマウスの尿を嗅がせると、やはり攻撃的になるらしい。雄が攻撃的になると、雌のマウスもまたイライラと落ち着き無くなるという。しかし、これら全てを大人しくさせる方法は、雌のマウスの匂いを嗅がせるのが一番良いという。

例えば、男だけで出航する遠洋漁業の連中は、女性がいないものだから、しばしば船内で攻撃的になり、喧嘩が頻繁に起こるのだとか。それを鎮める為に、たまに港に停泊させて、女を買い漁るというのは、精神の安定を求める為なのだと。

マウス実験でも、雄マウスだけ入った場所は、喧嘩にあけくれ悲惨な状況なのだとか。そこに雌マウスの匂いを嗅がせてやるだけで、その喧嘩は収まり平和な時を過ごすのだという。

映画「パフューム」においても、女達を殺されて怒りに触れた群集が集まって騒いでいるのを鎮めたのは、女の匂いエキスだけで作った香水だった。そう、男が鎮まれば、それに引き付けられるように、女もまた静まる。

キリスト教とイスラム教の戦争もまた、一夫多妻制を一夫一婦制にせよというキリスト教側の暴挙から始まったのだという説もある。イスラム側は、女性の香しい匂いに包まれていたいのを、妙なキリストの戒律を強制した為だった。しかしそれでも、キリスト教・イスラム教どちらも、女性を求めているに変わりは無い。つまり、この世の中、優しくも香しい女性の匂いで包まれていれば人間など、どんな争い事も起きないのだという示唆に富んだ映画なのだと思った。やはり世の中、女性がいないと殺伐するという事だんねぇ(^^;
by dostoev | 2011-01-29 22:14 | よもつ文 | Comments(4)

晴れ時々地吹雪

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天気は晴れのようだが、風が強い日だった。その為に雲が流れ、たまに雪が降る。まあ雪程度はいいのだが、地吹雪が凄かった。ある意味、遠野名物と言って良い感じだ。
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地吹雪が止むと、キツネが移動を始める。やはり風はキツネにとっても厄介のよう。

撮影していて、顔の半分が痛かった…(^^;
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by dostoev | 2011-01-28 22:06 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

「モノ」トイウモノ

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鬼をモノと読んでいた時代は、平安以前だった。よく物部氏との関連も云われるが、本来”モノ”とは蔑まれる存在であったようだ。

人間に対して”者”を使う場合「愚か者」「好き者」「悪者」 「怠け者」と、実は者(モノ)という言葉というものは、非常に良くない意味がある。つまり「馬鹿者!」などと相手を罵倒する言葉は、相手を人間以下の存在として扱う言葉となる。となれば小説で「あるところに、某という者がいる。」という場合と「あるところに、某という人物がいる。」 という表現では、まったく違ったものになってしまう。

また例えば道端で人にものを尋ねる場合「そこの者!少々道を聞きたいのだが…。」という表現は、相手を見下して使うもの。まあ「そこの者」なんて表現は、童話などで王家の人物などが、民・百姓に言葉をかけるくらいだが。

再び鬼(モノ)に戻るけれど、鬼という怖い存在を何故モノと呼んだのは言霊の関係もあったようだ。例えば、暗闇の中に、怖ろしい形相をした鬼がいたとすると、その情報を他人に対して伝える場合…。


「あそこの暗闇に怖ろしい”モノ”がいる!」


つまり鬼に対して”オニ”と声を出してしまうと、言霊という信仰があった時代、その鬼そのものをこちらに呼び込んでしまうので、敢えて”オニ”を”モノ”として表現したそうだ。昔観た映画に「遊星からの物体X」というSFホラー映画があったが、英題は「THE THING」で、そのままモノであり、欧米諸国でも"モノ"に対する恐怖の概念はあったのだろうか?これは調べてみないとなんとも言えない。とにかく”モノ”という言葉の存在は、人間が他の存在を見下している存在となるか、自分が襲われるのではないか?などと恐怖を与える存在に対して言う言葉となってしまう。

家などで…例えば息子に「この馬鹿者!」と叫ぶ親父は、息子を見下しているものの、いつか自分を凌駕してしまう存在に対して怖れも含む言葉であるので、なんとなく納得してしまうが…(^^;
by dostoev | 2011-01-28 06:28 | 「トイウモノ」考 | Comments(10)

石トイウモノ

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然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と
為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と
曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、
春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為
す。日分かれて星となる。

故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること
明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
室町時代に成立した「日本書紀纂疏」に、星に関してこう記述されている。つまり、全国に広がる巨石信仰は、そのまま星の信仰でもあった筈だ。世界で最初に作られた鉄製の剣は、隕石に含まれる鉄からヒッタイトによって作られたのだという。つまり鉄の文化の根源が、隕石から始まったと考えても良いのだろう。

「石」は「意思」でもあり、「堅い石」は「堅い意思」にも通じる。つまり普遍な象徴として、神話においても長命の象徴であるイワナガヒメというキャラクターを生み出している。とにかく石は、硬く不変な象徴になっている。ジャンケンのグーも、拳を握って丸を作るのは、形もそうだが、堅さをも強調している。

小学校の時、アポロが月へと着陸し、月の石を地球に持ち帰った。そして大阪万博が開催され、そこで月の石が公開された時は、実際にこの目で見たいと思っていたが…無理な話だった。その月の石は評判を呼び、大阪万博の一つの目玉であったようで、かなりの人が殺到したという。それは宇宙空間に漂う星が身近になった時でもあり、そしてヒッタイトが隕石と初めて遭遇した感覚に近いものだったのかもしれない。
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写真は、遠野の西の外れに聳える…といっても標高は1000メートルにも満たない種山高原という山。この山には立石と呼ばれる場所があり昔、宮沢賢治が何度も通い「ここで見る星空が一番美しい」と、宮沢賢治に言わしめた場所でもある。この種山の立石には、一つの石が屹立している。宮沢賢治は、この立石から満天の夜空の星々を眺め、またこの石を見つめたという。つまり宮沢賢治も、この立石の地に屹立している石が、星の屑だと知っていて見つめていたのかもしれない。

空に輝く星は、キラキラ輝いて美しく感じるものだが、その星が地球に落ちてきて、その星屑である巨石を見ると、その輝きは感じないもの。しかし、宮沢賢治の心の中には、この巨石もまた星々の如く、美しく輝いて見えた事だろう。つまり、こうして考えると、コノハナサクヤヒメという天孫族が美しいと娶った花の象徴の女性よりも、醜いとされるイワナガヒメの方が、実は本当の意味において美しいのかもしれない。
by dostoev | 2011-01-27 18:59 | 「トイウモノ」考 | Comments(6)

音トイウモノ


幽霊などの「霊」という漢字の古体は「靈」という漢字で、「雨」に「□」という器が三つ付いて「巫」という漢字が組み合わさったもの。つまり本来、雨乞いに関するものに加え、そこには必ず巫女という存在がいるという事から発生したのがわかる。そして雨乞いとして雨という霊を呼び出す為に、いろいろな事が考案されたのだろう。

「琴」という楽器がある。香椎宮で仲哀天皇が琴を奏で、神功皇后に神が降りた話がある。「こと」は「琴」「事」「宣」などと、本来は神の御告げの意味がある。縄文後期に二弦のや四弦の琴が発掘されている事から、琴の歴史もかなり古い。そして「琴」は「koto」と言い表すのだが本来は「音」「oto」から発生した言葉であった。「音」は人の注意を引きつけるもので、それが神を呼ぶにもなったのだろう。しかし、もっと古い楽器は縄文時代から延々と続いている石笛だ。石笛は古神道で神霊を招き寄せるのに使用されている呪具だ。そして石笛の音は、日本の音、メロディーの原点となる音だ。

「息」とは「生き」でもあるので、人間の生命力が石笛に「息吹」が吹き込まれ、神を呼ぶ。その音は、かなり甲高い音となるのは、それが神霊を呼ぶ音として適しているのだろう。例えば、拍手を打つ場合、手の平に空間を作れば空気が入り音はこもってしまう。本来の柏での打ち方は、その空間を作らずにパンッ!という乾いた高い音を作る叩き方なのだと。やはり神霊を呼び出すには、高い音となるのは、賽銭を投げいれる際に「チャリーン!」という高い音が必要なのからわかる。賽銭が、札では無く硬貨でなくてはならない理由がここにある。

ところで、最も古い音を発するものとは、人間の「声」となる。これを男女にわけてしまうと、男の声は野太い音。そして女の声は、比較的高い音。太いといえば、太鼓の音は太く重い。楽器の中で、太鼓の歴史も古く、弥生時代の遺跡からは太鼓を打つ男の埴輪も出土しているが、石笛よりは比較的新しい。万葉集には、柿本人麻呂の長歌の挽歌があり、戦闘の描写として、下記の歌がある…。


「斎ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる… 」


中国の戦においても、日本の戦国時代における戦闘においても陣太鼓は使用された事から、なんとなくだか、男性的な太い音というものは戦闘意識を鼓舞するもので、逆に女性的な甲高い音は、神霊を呼ぶという使い分けがあったのかもしれない。例えば、夜の巷に「キャ~!」という女性の甲高い叫び声が聞こえると何事だ!と人々は、その叫び声の女性の下へと集まってしまう。半分スケベ根性も入ってはいるが…。しかし「ワァ~!」という男の野太い叫び声が夜の巷に響くと、逆に何か争い事では?と警戒して避けてしまうような気がするのだが。。。

つまり…なんとなくだが、音を考えてみると、卑弥呼から始まった?と思われる巫女という存在は、その声という「音」から、神を呼ぶのに適している為、その女性の声に近い高い音を出す石笛が、今でも神具として使われているのかもしれない。というか、石笛の奏でる音とは、女性の声を自然と意識したもの、もしくは女性の声そのものと認識されたものなのかもしれない。

アップした動画は、深夜の山奥で実験的に石笛の音を鳴らしてみたのだが…その場にいると全体の雰囲気が怪しくなるだけではなく、確かに何かが寄って来たような気配を感じてしまった。是非とも皆様…試しにやってみてくだされ(^^;
by dostoev | 2011-01-27 02:44 | 「トイウモノ」考 | Comments(6)

「俺」の謎

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「ワンピース」全60巻(以降続刊)を一気読みして、頭モヤァとしてます…。ところで「ワンピース」に出て来る主人公のルフィのセリフ「海賊王に、俺はなる!」と、男が「俺」というのは、どこか男らしい言葉、勇ましい言葉に感じるし、感じていた。ところがだ…よく遠野の病院など、人だかりの中で耳を澄ますと女性の口から「俺よぉ。」という言葉が聞こえてくる。自分の同年代から、かなり下の年代…でも女性の口から「僕」とか「俺」という言葉を聞くのは意図的・意識的であって、自己表現かな?と思っていた。そんな中、樋口清之「日本風俗の謎」を読んでいて意外な事が書かれているのを発見した。

「俺」の語源を調べると「己(おのれ)」が略されたのか転訛したのか「おれ」になったという説があり、まあそうだろうとは感じる。ただそれが男が発する言葉なのか、女が発する言葉なのかは定かでは無い。ところが井原西鶴の文学に登場する女性は全て自分の事を「おれ」と言っているそうだ。これまた別説に一人称代名詞「あれ」が変音したもので、元々が女言葉であるという。この「日本風俗の謎」には詳細が記されていないのだが現在でも東北の方へ行くと、女性が自分の事を「おれ」といっており江戸時代の名残りであるそうだが、何故に東北に井原西鶴から広まった江戸言葉が伝わり定着したのか書かれていない。

現在の標準語も東京から広まりをみせ、東北は「ズーズー弁」であるといいながら、標準語に近い発音をする人達も増えているのは、テレビやラジオの影響があるのだろう。しかし江戸時代に井原西鶴から流行ったであろう言葉が、どのようにして東北に広まったのかは理解できないのだ。今でも東北に住む若い人たちは、東京に憧れを持つ。江戸時代も「花のお江戸」という言葉が伝わっているように、江戸には田舎に無い華やかな文化が広まっており、それに憧れる人達もいたのだろう。当然のことながら女性が「俺」という言葉を発していたならば、それが江戸の女性の流行だと認識すれば田舎も真似するようになるのは、現代でも同じだ。しかし現代ではメディアの発達によって、あっという間に広まるのだが、江戸時代であれば、せいぜい「風の噂」として広まる程度で、東北全体に広まるとしたら、100年はかかるのではなかろうか?

井原西鶴は17世紀の人間だが、女性に「俺」という言葉が時間をかけてゆっくり東北に定着したのが18世紀だとしても、何等不思議が無いのだろう。井原西鶴の残した軌跡は、文学という名の元に消える事無く語り継がれたのだろうと予測できる。しかしそれが現代でも井原西鶴が伝えた「俺」という女性言葉を遠野の女性が使っているというのは、あまりにも流行遅れでは無かろうか?いやそれが流行遅れと知るのにも、かなりの世紀が必要となるのだろう(^^;
by dostoev | 2011-01-26 13:22 | 民俗学雑記 | Comments(4)

「遠野物語拾遺54(太子信仰)」

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同じ町の上組町でも、太師様の像に縄を掛けて、引きずり回して
喜んでいる子供達があるのを、ある人が見咎めて止めると、その
晩枕神に太師様が立たれて、面白く遊んでいるのに邪魔をしたと
お叱りになった。これもお詫びして許されたそうな。

                              「遠野物語拾遺54」

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仏像と子供達が戯れて、それを咎めた大人が罰にあたる話は無数にある。ここでは大師様と書かれているので弘法大師と間違えそうだが、上組町にあるのは太子堂であり、祀られているのは太子様の像であって、聖徳太子であるようだ。この太子信仰は"まいりの仏"などとして、聖徳太子を信仰していた親鸞を開祖とする浄土真宗が東北地方に広がった事に繋がるとされているのが一般的だ。
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二日町の光明寺にも、太子信仰らしきが伝わる。しかし現在、この太子信仰が何故に光明寺に伝わっているのかは、定かでないようだ。この光明時は曹洞宗だ。しかし開山となって祀られたのは阿弥陀如来。曹洞宗は普通釈迦如来像を祀る筈で、阿弥陀如来像を祀る宗派は浄土真宗だ。開山の逸話はわかるが、何故に阿弥陀如来像を祀るのか?また聖徳太子の像と絵が飾られているが、これは「まいり仏」の一種で、やはり浄土真宗が行って来た事。

岩手県の浄土真宗は親鸞の高弟である是信房と、その門下が伝えたのだという。是信房の死後もその後継人である和賀一族が伝え広めたのだが、殆どは紫波、稗貫、胆沢一円であるというが遠野にも「まいりの仏」は民間に入り込んでおり、当然の事ながら遠野地域も影響を受けているのだろう。
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井上鋭夫「山の民・川の民」では、この太子信仰に言及している。太子とは本来「王子」であり、後に聖徳太子に結び付けられてはいるが「金」との関係の深いものであるようだ。

採掘・産金は鉱山関係者でもある修験者が信仰する神や仏があり、それに使役する者達…ここでは「非人」が例えば熊野・八幡に対する若宮・山王に対する王子のようなもので、非人が信仰するものは修験者よりも一段低い信仰対象が与えられたようだ。その非人達は職人でもあり金堀り・鋳物師・木地師・杣人・塗師等々であったよう。「遠野物語拾遺275」の一部を抜粋すると「二十三日の聖徳太子(大工の神)」とある事から、やはり非人であった職人達に聖徳太子信仰が根付いていたのだろう。しかし太子信仰を伴う職人の大元は、採掘から広がったようでもある。
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「遠野物語拾遺54」の太子像の顔が異様に白いのは、顔に"お白い"を塗って願を掛けていた為だ。この顔に塗る"お白い"とは鉛白であり、その歴史は持統天皇時代に遡る古いものであったが、一般に広がったのはそれ以降の様だ。また水銀を原料とする"お白い"もあった事から、とにかく"お白い"には、何やら金属加工者の匂いが感じられる。何故なら、金属加工の工場があるから"お白い"は取れるからだ。
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信仰対象である聖山には、本地である仏菩薩などが宿ると信じられていた。仏菩薩はまた「黄金」と見立てられており、聖山は修験者から「金山」と称されていたようだ。羽黒山は岩山であるが、こういう岩山は山の精が凝縮していたと信じられていたようで、岩は星とも見立てられている為「星→岩→山の精→鉱物」であったのだろう。そういう山の岩窟には仏像を祀る信仰があったのも「黄金→仏菩薩」であった為に仏像を祀る事により、その山が「黄金を産む山」であると定められたようである。画像は、遠野の仙人峠にある観音窟であるが、伝承では坂上田村麻呂が蝦夷征伐をした後に観音像を祀ったとあるのはつまり、鉱山開発をするという証でもあったのでは無かろうか。この観音窟の伝承は上郷町の日出神社にも関係がある。日出神社にはやはり採掘・産金との関係が深く、早池峯山にも繋がる事から、この観音窟に祀られた仏像とは、おそらく十一面観音であったのだろう。

修験者にとって「金」とは財産価値よりも、聖なる価値を持つものとして崇められ、それを仏であり観音であり"光明"であると説いている。つまり太子信仰が伝わる二日町の"光明寺"という名の由来も本来、そこからきているのではないだろうか。
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もう一度、井上鋭夫「山の民・川の民」に戻れば、北陸においてタイシと呼ばれる者達がおり、それを別に「退士」とも称し、戦に敗れた落人でもあったとされる。遠野だけでは無いが、鉱山の労働者には、脛に傷を持つ者達の集まりであった。その中には隠れキリシタンもおり、また確かに"退士"でもある落人もいたようである。井上鋭夫によれば、タイシと呼ばれる者は山の民であり採掘をする者達。それが川の民と結び付いたのは、採掘した鉱物を川を利用して運ぶ為の結び付きであると説いている。

光明寺のある二日町は遠野の出口でもある綾織に属する。その綾織にあるいくつかの寺を見て回ると、周辺の人達から預った太子像や、隠れキリシタンであろう仏像がいくつも保管されているのは、鉱山開発に従事する人達がかって多くいたという証になるのではなかろうか。東和町の兜跋毘沙門天像は、猿ヶ石川を睨む形で祀られているのは、遠野に住む蝦夷が猿ヶ石川を利用していたからだという。その猿ヶ石川は、いろいろなものを運搬していたのだろうが当然、鉱物も運搬していたのであろう。

古代から起きている戦いの殆どは「金」の争奪戦であったからだ。綾織を過ぎて次に重要な地点は鱒沢であったのだと考える。この鱒沢は、いくつもの金山を有する小友町の合流点でもあり、東北に経塚を初めて広めた奥州藤原氏の影響も受けているかのように、小友町の山谷観音堂には、遠野で一番古い経塚があった。遠野盆地の自慢は、遠野を囲む全ての山々が水源地であるという事だ。その遠野を囲む山々から鉱物が川を伝って集めまとめられ、その出口は綾織であり、また鱒沢であったかもしれない。太子信仰は、鉱山開発に従事した人々の名残であったのだろうと考える。
by dostoev | 2011-01-25 03:57 | 「遠野物語拾遺考」50話~ | Comments(2)

冬の渓流

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雪の渓流を見ようと、藤沢の滝群へと足を向けてみた。いつもなら入り口の公園まで車で行けるのだが、雪の為に車を乗り捨てて歩かなければならない。公園に建てられている建物屋根にかかる雪を見ると、5年前に訪れた時よりも少ない。また誰かが先に"かんじき"を使用して歩いた形跡があった。なれば、ある程度雪道は踏み固められており、今回は楽に歩いていけそうだ…。
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屋根の雪は、上が今回。下が5年前となる。
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水量の少ない渓流は、今にも全てが雪で被われそうになっている。
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ところで先行者の"かんじき"による道が、この明神の滝の手前で潰えていた。途中で諦めたのかどうかわからないけれど、せっかくなら一番最後の男滝・女滝まで行って欲しかったが仕方が無い…。
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渓流沿いにある橋は、こんな感じ。そんなにも深くは無い。歩くには然程苦労しないと思う。
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とにかく渓流の殆どは雪で覆われ、小さな滝は、ことごとく凍っていた。
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木々には雪がひっついており、重みに耐えられない木は、今にも折れそうにしていた…。
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扇が滝まで来て撮影していたか、この後吹雪いてきたので撤収。雪は思ったより少ないので、天気の良い日にでも、男滝・女滝まで行ってみよう。
by dostoev | 2011-01-24 13:41 | 遠野体験記 | Comments(2)

「遠野物語拾遺166(弥彦の風)」

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最近、宮守村の道者達が附馬牛口から、早池峯山をかけた時のことである。
頂上の竜ケ馬場で、風袋を背負った六、七人の男が、山頂を南から北の方
へ通り過ぎるのを見た。何でもむやみと大きな風袋と人の姿とであったそ
うな。同じ道者達がその戻りで日が暮れて、道に踏み迷って困っていると、
一つの光り物が一行の前方を飛んで道を照らし、その明りでカラノ坊とい
う辺まで降りることが出来た。そのうちに月が上がって路が明るくなると、
その光り物はいつの間にか消えてしまったということである。

                     「遠野物語拾遺166」

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あたかも実話のように語られている有り得ない不可思議な話ではあるが、これは多くの示唆に富んでいる物語ではなかろうか。この話の舞台となっている竜ヶ馬場は、岩山である早池峯の頂手前で、鮮やかな緑が映えている地でもある。その為に馬場という馬が駆ける意味合いの名前が付けられているのは、早池峯七不思議として安倍貞任の騎馬の軍勢の音が聞こえるなどの伝承からであろうか。しかし馬場というには傾斜はきつく、見た目は平坦に思わせるからこそ、登っていて『なんでこんなにきついんだ?』と傾斜の錯覚に陥る場所でもある。

ところで早池峯は、白山に擬えたものであるようだ。この竜ヶ馬場の入り口にある「御金蔵」もそうだが、早池峯の稜線沿いに聳える「剣ヶ峰」もまた白山に連なる山の名前である。しかしこの白山信仰だけでなく、早池峯の名前には「風」を意識してのものであり、早池峯に関する伝承から感じるのはどうも、弥彦の影響があるようだ。
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例えば「早池峯と火葬の話」で紹介したように、この話はまるで弥彦のヤサブロバサの伝説だ。早池峯がハヤチと風を意味する名を有しており、その他にも風に関する信仰や伝承があるのは、早池峯を中心とするタタラ文化があったせいでもある。とにかく風を伴う伝承の場合はタタラに結び付くのだが、弥彦神社を調べてみると気になる個所がある。

天香語山命が弥彦神とされているようだが、神武4年大和から越路平定にやってきた天香語山命は、この地域を支配していた安麻背に対し姦計を用いて支配したという。その天香語山命の越路において残した功績とは「操船・製塩・稲作・畑作・果樹栽培・酒造り」などであるという。ここで気付くのは採掘、製鉄などが含まれていない事だ。畑井弘「物部氏の伝承」では、天香語山命の「香」とは「銅」を意味するという。つまり大和三山の天香具山でも銅が産出し、有名な九州の香春山も銅の採掘で有名であった。つまり「香」を名に付けるというものは「金」に関係する名前であるというのがわかるのだが、何故か越路において天香語山命の功績には「金」に関するものが無い。つまり越路には天香語山命が来る以前には既に金属に関する文化が根付いていたのではないかという憶測が成り立つ。となれば、弥彦に結び付くであろう風の属性は、「天香語山命=弥彦大神」には無いということだろう。また弥彦大神の霊験としての目玉は「雨乞い」と「疫病を祓う」ものであり、弥彦山は「雨呼ばり山」とも呼ばれていたのは、山そのものが水神の御神体であると云われているようだ。

天香語山命は、崇神朝の四道将軍の大彦命の投影だとされる説もあり、また熊野における高倉下と天香語山命は別説もあり、天香語山命自体が不安定な存在であるようだが、ここで言及するつもりは無い。ただ天香語山命が支配下に置いた安麻背は「海背」でもあり「山背」と対を成す風の属性がある。となれば本来の風の属性は安麻背がもたらしたものだろうか?

こうしてみると弥彦大神が現在、天香語山命であると伝わっているにしろ、天香語山命の属性が弥彦大神のそれとは違い、何故か鬼婆である筈のヤサブロバサの方に弥彦大神の属性が宿っているようである。つまりこれらから言える事は、本来の弥彦大神とは天香語山命では無いという事だろう。
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鬼婆で有名なヤサブロバサの伝説は様々あるが、桜の古木の下の岩窟で住んでおり、夜な夜な麓の村から子供をさらって食っていたが、いつしか神通力が衰え伊夜日子の妻となったというものがあるが、これは遠野の「サムトの婆」に重なる伝承でもある。「サムトの婆」の後日譚は、六角牛の山神にさらわれ、不動明王と住吉神を祀る沢の岩窟に住んでおり、風の強い日に里へと降りて来た。桜は山の神とも結び付き、神の座す樹木である。神を祀る滝の傍に住むサムトの婆とヤサブロバサとは、殆ど同じ存在でもある。そして、そのヤサブロバサと弥彦大神である伊夜日子と結び付くのは、先に記した越路に赴いた天香語山命と先住の神結び付きを暗示するような伝承である。

「寒戸(サムト)の婆」の「寒戸」の地名の本当は「登戸」であった。これは柳田國男が書き間違えたか、聞き間違えたか、いろいろ説はあるが「サムト」の「サ」は「サクラ」と同じように、神が齋聖なる言葉であった。そう考えると、柳田國男は意図的に神と結び付いた婆として「サムト」とした可能性もあったのではないか?

ところで「遠野物語拾遺166」の記述に「風袋」が登場するが、解説には「吹流しの先を裂け目無く閉じて袋にしたもの」とはある。ヤサブロバサの伝説の一つに、赤子を風袋に入れて食べていたヤサブロバサは、その後弥三郎神社に祀られたが、その神社には、ヤサブロバサが伝えた"いつまでも栄える"という「開けずの俵」が今でもあるという。

また弥彦大神はウサギに案内され、弥彦の十宝山山頂に立ち、沼地であった蒲原平野を開拓したというのは、ウサギ=月の結び付きが見える。「遠野物語拾遺166」には光り物が登場し、月とのバトンタッチを果たしているのは、光り物が月の化身であるとも考えてよかろう。

風の属性を示す早池峯を中心として、遠野には「サムトの婆」の話であるとか「キャシャ」の話であるとか、ヤサブロバサの伝承に繋がるものがあるのは、本来の弥彦の神と近似したものが、早池峯の神に被せられたのか、もしくは本来同一であった可能性があるかもしれない。
by dostoev | 2011-01-22 08:26 | 「遠野物語拾遺考」160話~ | Comments(5)