遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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寺沢高原の様子…。


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by dostoev | 2010-11-30 20:01 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(2)

雪の降りた日

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予報通り、雪が降った。遠野周辺の山々は、白く彩られた。朝の高清水を見ると、雲で被われている…。
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by dostoev | 2010-11-29 11:08 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

遠野小学校発祥「トイレの花子さん」

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昭和12年に、遠野で起きた事件の話である。遠野に、警官が家族五人で住んでいた。妻と息子、二人の娘の五人家族あったそうな。家は遠野小学校の真裏にあった、警察の官舎で暮らしていたという。当時の遠野警察署は、今で言うカギ町にあったので学校裏は近い為だったろう。

警官である夫は女癖が悪く遊女と親しくなり、ある時二人で温泉に出かけたのだと。それを知った妻は嫉妬のあまり、恐ろしい行動に出た。一家心中である。

妻はまず、息子と次女を絞殺した。当時、小学五年生だった長女の「いく子」は、恐ろしさのあまり官舎から学校へ逃げ、体育館裏にあった共同トイレに身を隠したのを、用務員のおじさんがトイレに隠れるのを目撃していた。

やがて母親が恐ろしい形相で探しに訪れ、娘の居場所を尋ねられた用務員のおじさんはトイレの個室、奥から三番目にいますよと教えてしまった。異常に怖がりながら連れて行かれた「いく子」ちゃんを見て、用務員のおじさんは、奇妙に思ったという。そして翌朝、一家は変わり果てた姿で発見される事になる。「いく子」ちゃんは細面の、切れ長の目をしたオカッパ頭で、よく質素なスカートをはいていたという。

この事件の後、遠野小学校体育館裏の共同トイレの奥から三番目に入ろうとノックすると、誰もいないのにノックが三回返ってきたり、いる筈の無い女の子を目撃する生徒が現れるようになったのだと…。

昭和23年に赤線廃止となるまで遠野には、仲町に紫明館という大きな遊郭があった。仲町には父親の友人である、故館林さんがおり、大正13年生まれの館林さん曰く、小さい頃は紫明館の遊女によく遊んでもらったという。事件の起きた昭和12年には、未だ遊郭が健在だったという事が理解できる。事件のあったのが、昭和12年の夏頃。この時、新校舎は昭和12年の2月23日に落成されて、卒業式が行われているので花子さんの原型?である「いく子」は、この新校舎のトイレに逃げ込んでいるようだ。

肝心の「いく子」が逃げたトイレとは…だが、一つは現遠野市民センターの川沿いの道路に面した、今は駐車場になっている辺り。一番上の写真を見ると、おほて橋寄りの校舎と繋がっている、一段低い建物が確かトイレだったと思われる。もう一つは、講堂の裏手に面した、昔で言えば館林歯科医院との境にあったトイレも、一つの候補となる。さらにもう一つは、西講堂の裏手にあったトイレだ。実は、「いく子」が逃げ込み隠れたトイレとは、この西講堂裏のトイレだったようだ。ここは現在、遠野市民センター裏であり、市民プールの裏手で、砂利を敷いている駐車場となっている。

この当時の学校のトイレの窓は曇りガラスで、日中でも薄暗く大便用のトイレの奥は、かなり暗かった為、小さい時は怖かったので用を足す時は、奥のトイレは使用せずに、手前の大便用を使っていたのを覚えてる。

「いく子」が何故トイレの奥へと逃げたのは、逃げたいという気持ちが奥へと導いたものと思われる。ただし普通であれば、奥は陽の光があまり差し込まない暗がりだったので、大抵の子供は怖くてあまり使用しなかったと記憶してる。
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昭和12年以前の遠野小学校は、上記の図が示す大正6年落成の校舎があった。この当時の校舎は、鍋倉山の麓にある石垣沿いに建てられているもので、昭和12年の新校舎は川沿いに向けられて建てられたのがわかる。
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なお、この遠野小学校にあった二宮金次郎像は現在、給食センターの手前に移転されて、未だに存在している。ところで「トイレの花子」さんの原型の話だが、全国にかなり原話だという話がいくつかあり、遠野においては「いく子」となっておるのは、ひとつの都市伝説化して、話が全国を駆け巡り変化した形なのかもしれない。

「トイレの花子さん」という都市伝説は1950年には広まっていたという。一つの説には学校のトイレにいる時、空襲に遭い死んだ子供の霊だというものがあるが、遠野の説を取り上げれば、戦前の話であるので、空襲説よりも古くなってしまう。ただ全国に広まったのが1950年以降だとすると、戦後の復旧で大勢の東北の人間が上京し、そこで「トイレの幽霊」の話が東京を起点として広まった可能性も考えられるのだろう。

ところで何故「花子」となったがだが、遠野での名前は「いく子」 だった。しかし昔は男女の名前を現す場合、男は「太郎」で女は「花子」が一般的だった。今でも銀行などへ行くと、見本の名前に「○○太郎」とあるのは、昔の名残だと思う。とにかく「花子」の名前は女の子の名としては通りが良く、一番覚えやすい名前でもあったので、いつしか単純にトイレに出る女の子の幽霊であるから「花子」と付けられて広まったのではないだろうか?


沿岸の大船渡にも、かなりの「トイレの花子さん」の話が伝わっており、どこが元の話なのか、もっと情報を集めてみない事にはなんともいえない。ただし、昭和12年の家族無理心中事件は実際に起こった実話であり、「いく子」ちゃんが学校のトイレに逃げ込んだ話もまた実話ではある。この遠野の事件が「トイレの花子さん」の原型では?という疑問には、一般的に伝わる花子さんの赤いスカートにオカッパ頭というのが「いく子」の姿と同じだ。

そして、話の出所として有名なのは、ある日発狂した母親に追いかけられて、学校内のトイレの奥から三番目の個室に隠れたが、結局少女は殺害されてしまった…という話が元になったとされているのは、全て遠野の話に当てはまってしまう。

また花子さんに「遊びましょ」と呼びかけると「何して遊ぶ?」と聞かれ「首絞めごっこ」と答えて本当に首を絞められたという話があるのも、絞殺されたいく子ちゃんとダブッてしまう。とにかく、限りなく遠野にその発生が近いように思われる。

何人かのご老人に当時の小学校の噂を聞いたところ、この遠野小学校で一番怖いトイレで、いつも幽霊の噂が絶えなかったのは「川岸校舎のトイレ」という事だった。川岸校舎のトイレ」とは、写真でいうと右下に向けて写っている校舎であり、その校舎に隣接する一段低い建物が、そのトイレだ。

また遠野市民センターが建った当時も、夜の見回りをする人物が幽霊を見たという噂が絶えなかったのを記憶している。それと旧図書館にも、やはり幽霊が出るという噂が絶えなかったのだが、この旧図書館の以前は警察の官舎が建っていた辺りなので、なんとなく気になる。学校の七不思議など、都市伝説と呼ばれるものは、何かの起因があって、代々語り継がれているものが大半かと思う。

今回の「トイレの花子さん」の話も、実在した事件を元に噂が広まった可能性は否定できないものと思っている。ただ、花子さんが母親に見つかり連れて行かれた体育館裏のトイレよりも、川岸校舎脇の、最も暗い不気味なトイレに幽霊の噂が絶えなかったのは、起因する話からかけ離れ、トイレと幽霊というものが、子供達の間で、それに相応しい場所…ここではトイレに根付いたものでは?と、考えてしまう。そして学校で、その事件を起因して発生した幽霊話が学校生活を送った子供たちが成長し大人となり町を出、当時の昔話、思い出話を全国のあちこちで話伝え広まったのでは?と感じる。

岩手県には、北上と大船渡にも「トイレの花子さん」の話はあるものの、起因となった事件の話ではなく、直接トイレで起きた出来事を伝えるものが多い。多分だが、やはり遠野の事件が起点となり伝え広まった過程での、岩手の北上や大船渡の伝説となったのでは?と考える。遠野の位置は、岩手県のヘソ辺りで、四方八方へと峠が広がり、内陸や沿岸への交通が容易にできる位置にあるもの。なので、遠野を拠点に「トイレの花子さん」の話は、岩手県へ広がり、それが戦後の集団就職で上京した人々の語りにより、今度は東京を拠点として全国に広がったものではなかろうか。
by dostoev | 2010-11-28 20:07 | 遠野小学校トイレの花子さん | Comments(14)

松川姫の怪

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前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ
時々女が現れ、また沼の中では機を織るひの音がしたという
話であるが、今はどうかしらぬ。

元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい
姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とか
くふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行
きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、
駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見て
おられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。

そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。
ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所も
あるようである。

                 「遠野物語拾遺31話(松川姫)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
松川姫を調べてみると、遠野を統治した南部氏26代目の殿様の娘に”トリ”という姫がおり、どうもこの姫が松川姫らしい。このトリという姫は松川という地で川に飛び込んで死んだのだそうだ。それから松川姫と呼ばれるようになったのだと。

しかし、その松川姫の死後、城中で怪事が頻繁に起こる為、東禅寺後の庭池の中島に、祀ってある弁才天と松川姫を合祀し、松川神社として祀ったところ、怪時はピタリとやんだそうな。
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しかし時代が流れ、大正11年に庭の池があった場所は埋め立てられ、高等女学院の敷地となって工事が進められていた。その工事中にまるで平将門の怨霊伝説のように頻繁に不可解な事故が相次いだ為、古い伝説にのっとり池を作りその傍に松川姫の祠を作り祀ったところ、やはり南部時代の怪時と同じように事故はピタリと止まったそうである。

写真は遠野実科高等女学院の上棟式(大正11年9月5日)敷地は旧遠野南部家祈願所のあった三ヶ寺(東禅寺・妙泉寺・善応寺)昭和42年前後までは、現遠野東小学校の建物は木造校舎であった。当時、中庭に池があり、そこに封印?された石があったという。 その石は、その松川姫の霊を慰める為にか、そこに置かれたものであった。

その木造校舎時代、当時の小学校の校長は宿直で校内を見回りしている最中、何度となく煌びやかな衣装を纏ったお姫様の姿を目撃したものだと伝える。それは多分、池で死んでしまった松川姫が、この世を名残んで現れたものだと。しかし、2度にわたる不審火により、小学校は燃えてしまい新たに鉄筋コンクリートの校舎に変わり、池も埋め立てられ、封印されていた石の所在もわからなくなったと伝えられる。それが、現在の遠野小学校である…。
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【大正時代の新聞切り抜き(遠野特信)】


嘗て本紙上に於松川姫と題し遠野高等女學校の建築敷地たる遠野字東郊欠の下なる東善寺址には往時の領主南部彌六郎家の息女を弁財天に配して崇祀せし叢祠を存し五月十五日の例祭には厳粛なる儀式を行ひ来り以って士民迎福避〇の信仰の對象に取られ維新の際にまで及びし由来を記したりき爾来東善寺の廃絶と共に松川姫の叢祠も所在を失し由緒ある儀式も聞くなきに至りしこと五十余年に及びしが元同祠の創始は正徳三年時の名僧宥眞法印の代にありて宛かも本年滿二百十年にあたれるにぞ遠野女學校建築工事請負人西〇伊之助氏は将来此地が女子教育の淵源となりて幾多の良妻賢母を生み出さんとする矢先、而も其位置が女性の佛化せられし松川姫叢祠の所在遺址に係れること必ず深き幽契的
の因縁あるべく且叉近年唱道せらるる史蹟保存の意義よりすらも此際奮時行はれたる松川姫の由緒を忘れざらむしること尤も必要なりとて目下の多〇中に拘らず殊に部下に命じてそれぞれ専門の人々に就きて奮史故実を取り調べ去る五日同校舎上棟式學行の期を卜し學式に先立ちて該敷地内の一方に斎場を設け荘厳なる松川姫の追善祭を執行せり及ち同日午前九時神職出口小作菊池萬睦二氏を請ひ神式を以って修祭せしが其部下の職工人夫は勿論町内の官民有志をも招待し参列者百余名に上り皆々既往を追譲して今昔の感を深くせりといふ近来史跡保存の流行に伴ひ而も立標記識の方法に重きを置かるゝのみにて此種形而上的の徹底には兎角の陥決あり、加之其多くの工事請負者は殆と利己の一点に囚はれてあらゆる史跡を破壊し去りて省みず甚だしきは土木の官吏すら往々此幣に陥るを免れざる今日、西村氏の此の一挙其篤志の程以て他の後範例として大に多〇すべきなり。



*(注) 〇文字は判読不能
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阿弥陀ヲ祀っているこのお堂は、棟札も無いので本当の由来は不明だが、古老の口伝によれば、南部のお姫様を祀ったお堂であると。そしてその奥には墓石があるが、昔一旦ここに埋葬された後に、掘り返されて移転したのだとされる。そのお姫様とはトリ姫と言い、松川に身を投げて死んだ事から松川姫と呼ばれている…。

遠野藩主でもあった南部弥六郎の上屋敷は、盛岡にあった。ある時、奥方
同伴で平舘に遊び、土地の者の勧めで赤川の替鞍淵でヤス使いの名手を
呼んで川狩りを楽しんでいたのだと云う。

その時、遠野では見た事も無い大きな鰻が捕れたので、殿様は大喜びで
「直ぐ料理して食膳に上げよ。」と命令し、奥方と二人で賞味したのだと。
実はこの鰻は女護沼の主であったそうな…。

丁度その折、奥方は身篭っておられたが、やがて月満ちて一人の姫を産
んだのだと。しかしその生まれた姫の顔には、ヤスで突いた様な痕跡と顔
一面に斑なソバカスが広がっており、見るも憐れな顔であったのだという。
しかし、夫婦は沼の主の祟りとはつゆ知らず、不憫な姫と思いながら慈しみ
育てたのだという。

そのうちに姫も17歳になった。花も恥らう頃とは言え、顔の傷は消える事も
無く、いろいろ手を尽くしても、その効果は無かったという。そんな時、松川
温泉の湯が効くと勧める者がいたので、藁をもすがる思いで、殿様夫婦は
姫を湯治に赴かせたのだと。

姫の籠が松川の女護沼側に差し掛かった時…。

「ああ、良い気分じゃ。暫く景色を眺める故、籠を止めよ。」

付き人が籠の戸を開けると、姫は忽ち蛇体となったと。

「我が母の胎内に在りし時、替鞍淵の主である斑鰻を父母が捕らえて食し
たる 因果により、世にもあるまじき面貌となる。我は今より、この主無き沼
の主と なろう。」

と言い残し、姫は忽ち沼の水中に消えていったのだという…。

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この物語は以上だが、このトリ姫は実際に身を投げて死んだが、遺骸は遠野に移され、最終的に領主の帰依していた大日下の東善寺に葬られたのだと云う。この物語が正しければ「遠野物語拾遺31話」で語られる松崎沼での話は、混同から生まれたものであろうか?jまた、ある意味どちらにも物語が広まっているというのは、沼に身投げという事件は事実であった可能性はある。平安末期の末法思想から、水中入定が広まった。我が身の不幸を嘆き呪う者は、生まれ変わりを期待し、入水した者の数は計り知れないという。松川姫もまた、その中の一人であったのかもしれない。
by dostoev | 2010-11-28 19:53 | 遠野小学校松川姫の怪 | Comments(0)

七つ森(其の四)

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狐森は、見かけは円錐形の山に見えるが、実は偽の頂があり、 稜線沿いに登って行くと、かなりの標高となる。日出神社見えない朝日が昇る様が、この山からは見える。頂は、若干の広さを持っており、木々が邪魔しなかったら、東西南北を綺麗に見渡せる山でもある。また麓には、今では廃れたがやはり、霊地としての信仰があったようで、沼の御前が祀られていたようだ。今まで調べたのを確認すると下記の様になる。


【傘森山】     月山神社 、沼の御前

【トンノミの森】  白山神社、 沼の御前

【狐森】            沼の御前

【瓜ヶ森】      白山神社

【鋭ヶ森】     早池峰遥拝所

【大森】          ?

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畑屋の縫には、地元に伝わる文献にこうある…。

「大字細越織屋の縫と言う猟の上手な人あり、仙台の七つ森の
 山男より教われてより非常に獲物ありしと…。」



つまり、畑屋の縫と、仙台の七つ森の伝説は繋がっていたのだろうという事。そして、この宮城県の七つ森には薬師如来への信仰が残っているのは…実は安倍宗任との関係がでてくる。安倍宗任が九州の大島に流された時、奉持してきた持尊仏が薬師如来像であったという伝承がある。現在、大島の安昌院に伝わる薬師如来像は鑑定の結果、安倍宗任が大島に流された時代まで遡らないそうではあるが、実際に安倍宗任は薬師如来を信仰していたという事実がある為、大島に伝わる伝承もまた真実であった可能性は高いであろう。

薬師如来の信仰の本義は、東方守護の仏像であり、森林などの自然と結びつき、その威光が発せられるものであった。薬師如来の伝承を探してみても、樹木から仏像が発見されたなどとあるのも、七つ森との関連があるものだろう。

ところで薬師は、インド密教からきている。薬師仏出自は「リグ・ヴェーダ」のヴァルナ神からきており、実はヴァルナ神=ヤクシャでもあった。ヤクシャは仏教で夜叉と捉えられたが、日本に伝わった夜叉の本来の性格は羅刹の性格からきており、ここに夜叉と羅刹の混同がみられる。

ヤクシャは薬叉→薬師と音韻転訛され、今に伝わるのだが、本来は魔族であった。ヤクシャは樹木の神霊てあり、森林に棲むという。その為なのか水神とも繋がっている。京都の鞍馬寺は毘沙門を祀
る寺なのだが、毘沙門はヤクシャの王であり、つまり魔王だ。鞍馬寺の奥の院は魔王殿である。この魔王殿を含む一帯の地主神は本来貴船神社の祀る水神であったようだ。鞍馬寺には「鞍馬の火祭り」というのがあり、それは本来毘沙門天の火の本義に結び付くようだ。つまりここに、インドのヤクシャに、火と水の結び付きがみられる。

ところで樹と水の関係は深いので、遠野の早池峰の手前にある前薬師と呼ばれる薬師岳は、岩山である早池峰に対比するかのように樹木に覆われている山である。その為なのか、鶏頭山と呼ばれた後に薬師岳と呼ばれるようになったのは、ヤクシャの本義も重なったものなのかもしれない。そして本薬師は早池峰となる。

宮城の七つ森に薬師如来が結び付いているのは、薬師の本義である水の信仰。そして安倍宗任ら安倍が本来アイヌ語から来ると云われるアビという火の意味を成す意味から安倍と名乗り、薬如来を信仰したのも、根底には火と水を結び付けるという意義があっての事かもしれない。その宮城の七つ森の意義は、遠野の七つ森に伝えられた。遠野の七つ森には、当然の如く樹木の信仰に伴う水の信仰が根付くと共に、タタラという火の信仰をも結び付けられている。そして今、自分の中に火と水の組み合わせによって生じる剣に、その意味を成しているのでは?と考え始めている。それは、剣によって
化生した神への信仰なのだと思う…。
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鋭ヶ森の裏側に、縄文人が住んでいたであろう地がある。古老曰く「つぼけ畑」という名称から「東日流外三郡誌」に登場する”つぼけ族”の住居跡では?という事だった。

尖った山々に囲まれた中に、このつぼけ畑はあり、別名ざる窪ともよばれ、ざるを伏せたような盛り土があるのだと。傍らには沢が流れており、今でこそ水量は少ないが、以前はもっと豊かな水が流れていたのだそうな。そしてそこに一本の老桂の木があって、昔はそこに何やら水神?を祀っていた形跡があったというが、今ではそれもなくなってしまったのだと。

七つ森の伝説には「森に囲まれて暮せ。」というものなのたが、このつぼけ畑の場所はまさに森に囲まれた地でもあった。この地域で伝説が付随しているのが、この”つぼけ畑”でもあるので、何か七つ森に関係するかもしれないとの事だが…。
by dostoev | 2010-11-28 19:39 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(其の三)

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鋭ヶ森は、日出神社の右脇に尖がって聳える山だ。七つ森の一つの森とも云われている。この鋭ヶ森は別名「天香山(てんこうざん)」とも呼ばれ、昔女人禁制だった時代、この山に登り早池峰を遥拝したのだという。また、この地域で雨乞いをする場合、この山に登り、頂で千駄木を焚いたとも云う。この頂に登り目に付くのが、1本の松の木だった。松の木は天女の羽衣などでも、神や女神が降りてくる依代でもある。やはり信仰の山であるというのが理解できる。
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写真のように、天気の良い日には早池峰が見える。なるほど、遥拝所と言われるのも納得の景色である。ところでこの地域では、日出神社と鋭ヶ森を分けて考えているらしいが、これはセットで考えるべきであろう。「上郷聞書」の当事者に聞くと「七つ森」は、あくまでも「こうではないか?」という憶測であり、本当の七つ森の場所は不明となっているが、この鋭ヶ森(天香山)は信仰的にも、七つ森の一つであると思われる。
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七つ森の一つではないかといわれる「瓜ヶ森」が ある。この瓜ヶ森は阿曽沼時代に舘が築かれており、別名駒込舘とも呼ばれる。現在は共同墓地になっているのも、死者の霊を弔うにはうってつけの場所が、この瓜ヶ森なのだと考える。

平清水某という人物が、この瓜ヶ森に舘を築いていたというのだが、平清水というのは現在この辺の地名にもなっており、この瓜ヶ森の脇には白山神社が存在する。ここで再び白山の登場となる。 とにかく本来は森があり、後で開発され舘が築かれたのであろう。何故瓜ヶ森に舘を築いたのかといえば、立地もあるだろうが、やはり信仰上の意味があったのだろう。
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とにかく日出神社の建立以降に舘は築かれたようであるので、元々あった聖地に舘が築かれたのだと考えてよいのだろう。何故に白山神社を祀ったのかも、早池峰信仰の流れから来ているのがわかる。

早池峰と白山を比較すればわかるが、山々のところどころに付けられている名称は、白山のそれと同じだ。その事からも、根本は白山信仰の延長上に早池峰があったのだろう。水に関わる白山であるから舘主の平清水某という人物の名もまた、白山の影響を受けて付けられたのかもしれない。トンノミの白山神社。瓜ヶ森の白山神社。傘森山の沼の御前。そして早池峰遥拝処でもあった鋭ヶ森。日出神社を中心として今のところ、この四つが伝説の七つの森と思われるが、全て早池峰(瀬織津姫)→白山と繋がっているようだ。
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瓜ヶ森は、共同墓地となっている小高い丘の地続きで山まで含まれている。実は、この瓜ヶ森には風穴が存在しているのを、今では知る人が少なくなっている。写真の風穴は、今でも穴の前に立つと冷気が来るのがわかる。人が一人這って進む程度の穴だが、実は伝説として佐生田の奥、畑屋と繋がっていたと云われる風穴であり、鍾乳洞だ。

畑屋といえば伝説の猟師である”畑屋の縫”が有名だが、この畑屋の縫もまた、この鍾乳洞を通って、神出鬼没の存在であったという。ただし今では内部が崩落してしまい、畑屋とは繋がらなくなったというが、取り敢えず内部確認はしていないので、次の機会にでも確認しようと思っている。
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畑屋の縫といえば、白馬を愛馬としていた。その愛馬を祀った駒形神社が畑屋にはあるのだが、この風穴の側には白山神社があり、鍾乳洞を通して畑屋と繋がっている。もしかしてだが、白馬に乗った貴人と畑屋の縫の愛馬である白馬と、伝説の重複もあるのでは?などと妄想が膨らんでしまう。
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日出神社の後ろに聳える山を稜線伝いに延々と登っていくと、大森の頂に着く。そして日出神社の方向は、確かに早池峰の方向を向いている。ただ大森を登り切って振り返ると、六角牛山が頭を出しているが、その左斜めの方向には早池峰が聳えるのだろうが、見えなかった。

大迫の早池峰神社は、早池峰山を北とすると、社の後方が東南を示すという。実は明治時代の神社庁の記録には、大迫の岳の早池峰神社とは「早池峰神社遥拝所」と記録されていたという。こう考えてみると、遠野の早池峰神社は、社・薬師岳・早池峰山の一直線のラインが崇拝されていたのだと考える。その為に、岳の早池峰神社はそれを尊ぶべく建立された神社となったのであろう。そして、この日出神社を中心とする七つの森の伝説もまた早池峰を尊び建立されたのではないだろうか?
by dostoev | 2010-11-28 12:47 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(其の二)

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宮沢賢治の「屈折率」という詩があり、この詩に七つ森という 名称が登場する。宮沢賢治のいう七つ森とは下記の七つとなる。

「大森」「石倉森」「鉢森」「稗糠森」「小鉢森」「三角森」「見立森」


この宮沢賢治の言う七つ森の実際の写真を掲載できないのだが、名前も含め、形も日出神社の周辺を取り囲む山々の形に似ているのは気のせいだろうか?日出神社周辺の七つ森と呼ばれるものは、下記の通りとなる。

「あつさ森」「とが森」「うりが森」「からかさ森」「きつね森」「やつ森」「おお森」
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【屈折率】


七つ森のこつちのひとつが

水の中よりもつと明るく

そしてたいへん巨きいのに

わたくしはでこぼこの

凍つたみちをふみ

このでこぼこの雪をふみ

向ふの縮れた亜鉛の雲へ

陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツディン、洋燈とり)

急がなければならないのか

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昔、遠野駅から観音窟のあたりまで、軽便鉄道が通っており、宮沢賢治は何度かこの軽便鉄道に乗って、この日出神社と観音窟ラインを通っていたようだ。それは賢治の詩である「シグナルとシグナレス」からもわかる。もしかして、宮沢賢治は日出神社に伝わる七つ森の伝説を知り影響され、「屈折率」という詩に、別の七つ森を表したのだろうか?

【シグナルとシグナレス(宮沢賢治)】

   ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   さそりの赤眼が 見えたころ、
   四時から今朝も やって来た。
   遠野の盆地は まっくらで、   
   つめたい水の 声ばかり。

   ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   凍えた砂利に 湯気を吐き、
   火花を闇に まきながら、
   蛇紋岩の 崖に来て、
   やっと東が 燃え出した。

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七つ森の中の「からかさ森」とは当然「傘森山(からかさもりやま)」なのだと思う。先に述べたように、立ち入ってはならぬ霊域はトンノミと同じで、同じく沼の御前を祀っている。また日出神社には、早池峰の遥拝所がある事から、日出神社の七つ森は早池峰山との大きな関連を示すものだろう。また”御前”とは女性を示すもの。つまり、トンノミと傘森山の麓に祀られている沼の御前とは、早池峰大神である瀬織津姫であるのだと考える。
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また現在、傘森山の麓に鎮座する月山神社は、以前この地域に舘を築いた太田氏が、傘森山の頂に月山神社を建立したのだという。この太田氏は、阿曽沼がタタラ製法の技術を学ぶ為に、わざわざ出雲から呼び寄せた人物であると云う。日出神社を含むこの地域のタタラ術は、この太田氏が普及させたものであると思う。日出神社がタタラに関連あるのはわかっており、祭神が少名彦那命と大己貴命に
なっているのは、出雲の流れを汲むものではないのか?
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日出神社を東へ通り過ぎると、観音窟という洞窟が遠野にはある。この洞窟はやはり、坂上田村麻呂が蝦夷の豪族である秋丸との戦いに勝利した後、観音を祀った洞窟という伝説が付随する。

日出神社→観音窟は立地的にも、伝説的にも関連があるのだと思う。日出神社の由来は幾つかあるが坂上田村麻呂の由来話を適用すれば、この日出神社→観音窟のラインはしっくりとくる。となれば日出神社の建立以前に、この地は霊地であったという仮説は成り立つものだと思う。

いや日出神社の存在そのものは、北向きの社殿を考えても早池峰を意識しており、産金・採掘の願をかけられたであろう早池峰神社に対を成すものだと考える。早池峰山に伝わる伝承には、白山と同じ構造が重ねられており、日出神社の建立時期に同時に建立された白山妙理権現を祀るトンノミを考えても、早池峰の開山時期である大同元年(806年)まで日出神社の存在は遡るのかもしれない。そして、この早池峰との関連を深くするであろうものとして考えるのは、多分未だ理解不能となっている「七つ森」の伝説になるのだと思う…。
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ところでこの観音窟に祀られていた観音像は写真のようであるが、嘉永7年(1854)に著者不明の「三陸伊路程記」というものがある。


沓掛 家一軒

此の処岩屋沢、若木の沢、日がらの沢落合、道伝えに遠野の方に流れる也、
岩屋の沢を少し登りて岩屋の不動あり、四丁程行き川の向いに片岩とてすさ
まじき大岩有り、夫より十丁ほどゆきて…。



ここに登場する、沓掛にある岩屋の不動とは多分、観音窟の事だとは思う。しかし、不動と表しているのは、果たしてどういう事だろう?観音窟は外気が遮断されているわけでなく、殆ど野晒し状態である。その為、祀った観音像の風化が早いものと推測される。写真の観音像も江戸時代の作らしいが、もしかしてそれ以前は、不動明王を祀っていたのではないだろうか?

慈覚大師円仁が東北へと赴いた時、天台宗の布教の為、各地の水神に不動明王を重ねていったという事実がある。事実、遠野の早池峰神社の奥に流れる又一の滝には、瀬織津姫の上から不動明王を重ね、瀬織津姫の存在をぼかしてしまっている。

実は、この日出神社にも慈覚大師の痕跡はあり、慈覚大師円仁がこの地に赴いた時、田村麻呂が戦の祈願をした大石を探させ、その大石の上に座して仏像を刻み、これを御神体として崇拝するよう残したのが、日出大明神の御神体であるとも云われている。つまり嘉永7年の「三陸伊路程記」までは、観音窟の中に不動明王が鎮座していたのかもしれない。そしてそれ以前は…。
by dostoev | 2010-11-28 12:22 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(其の一)

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鎌倉幕府の奥州藤原氏が攻め滅ぼされた時、源義経が共の一行と遠野へと逃げ延びて来たという説がある。その時、日出姫という幼い義経の娘がおり、これからの道中の困難を考え、致し方なく日出姫を遠野に置いて行ったのだとの伝説が、この日出神社に伝わっている。昔からこの日出神社の別当では、日出姫が持参したと云われる金の仏像があると云われるが、その仏像を見た事は無い。

ある時、日出姫の夢枕に御告げがあり「七つの森に囲まれて暮せ。」という事から、この地に神社を建立したのだという伝説もある。神社の向きが北向きなのも、自分を捨てた父である義経を怨む為、もしくは北へ逃げていった父恋しさに、北向きになっているという伝説だ。「七つ森」とは、未だ定かでは無いが、古老の話では「あつさ森」「とが森」「うりが森」「からかさ森」「きつね森」「やつ森」「おお森」の七つであると。
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遠野の地域誌である「上郷聞書」には、独自に七つ森の解釈を書き記しているが、その憶測の可能性はなんともいえない。ただ唯一抜けているものがあり、それは「遠野物語拾遺36」のトンノミだ。
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上郷村字細越のあたりと思うが、トンノミという森の中に
古池がある。故伊能先生は、鳥海とあてるのだと言われ、
よくの池の話をした。

ここも昔から人の行くことを禁ぜられた場所で、ことに池
の傍らに行ってはならなかった。これを信ぜぬ者が森の中
に入って行ったところが、葦毛の駒に跨り衣冠を著けた貴
人が奥から現れて、その男はたちまち森の外に投出された。

気がついて見れば、ずっと離れた田の中に打伏せになって
いたという。もう今ではそんなことも無くなったようである。 

                        「遠野物語拾遺36」

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物語ではトンノミの森と記されており、立ち入ってはなせらない聖域であった。今はもう、森の名残は古い樹の切り株くらいしかなくなってしまっている。しかしかっては、深い森であったらしく、この日出神社を囲む七つの森に符合する地であったのだと思う。

このトンノミと同じく人の行く事を禁じた霊域には、日出神社の向かいに聳える傘森山(からかさもりやま)というのがある。その麓に沼の御前を祀っている霊地があり、そこの霊域からイワナを獲って食べ、神罰が下った話がある。またこの傘森山は、日出神社に伝わる七つ森の一つ「からかさ森」と符合する。これから考えてもトンノミの森がかって、日出神社を囲む七つ森の一つであったのだと考える。
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葦毛の駒に乗った貴人が登場する話「遠野物語拾遺36」は、立ち入る事を禁じた聖域に棲む貴人であり、その森を守る存在でもある。このトンノミの神社に飾られている絵を見ると、別の一枚の絵を思い出す。それは曹洞宗の本山の一つである正法寺に飾られている、熊野から伝わる飛龍権現の絵だ。
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色使いは違うものの、どちらも女神と龍が登場している。これは単に同じモチーフから画かれた絵なのだと想像できる。以前にも書き記したが、これは早池峰大神の姿を模した絵なのだと考える。
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トンノミの森は以前、深い森であったようだが、現在は木々は伐採され、その森の名残は古い朽ちた切り株でイメージできる。そのイメージから、トンノミの森は聖なる森であったのだろう。森というものは、神々が愛する存在でもある。その森にいるからこそ、神々は鎮まっていられるのだ。そこには豊かな緑に包まれた木々が生い茂り、清い水が流れていたのだと思われる。

本来の神というものは、一方的に祟りを成す存在でもあった。後付でご利益を与えるものと伝わったのは、平安時代になってからだろう。つまりトンノミも聖なる森を伐採され破壊され、そこに鎮座していた神はどうなったのであろうか?ただ日出神社に伝わる七つの森の伝説の一つがこのトンノミであるならば、この神は場所を日出神社に移している事だろう。何故なら日出神社は、早池峰に繋がる神社であるからだ…。
by dostoev | 2010-11-28 11:52 | 七つ森考 | Comments(0)

恥ずかしい日本、世界の笑いもの。。。


世界が見る、お笑い日本。知らないのは、新聞とテレビしか見ない日本人と、民主党に投票した日本人だけ。こうして世界は、日本を馬鹿にしている。情けない。。。
by dostoev | 2010-11-27 19:57 | Comments(0)

刹那的な午後

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午後の僅かなひと時、秋の名残を求めて撮影に出かけたけれど、追えば追うほど逃げる日差しを実感。とにかく、ファインダーを覗いていても、あっという間に光が陰ってしまい、ゆっくり撮影できない。結局、数枚写しただけで終了。しかし見た目の景色は冬でも、気温は暖かい日だった。
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by dostoev | 2010-11-27 18:51 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)