遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2009年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧

五百羅漢で、ちょっと気になる発光物体。。。

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昨日の夜、バタバタしながら夜の五百羅漢の画像をアップした。そして後に、ちよっと気になる箇所があった。。。

画像は、五百羅漢にある新滝をバルブ撮影したもの。発電機のケーブルが新滝まで届かなかった為、僅かな光源を照射して、露出時間を長めに撮影したものだった。当然、これより上には光源は無く闇の世界が広がるのだけれど、こうして見てみると発光している物体が尾を引いているので、動いているのが、なんとなくわかる。ただしホタルか?とも思うが、昨夜はホタルなんて1匹も見なかったが。。。というか、ホタルの光より大きいし。。。

下記の画像は、その発光している物体?の個所をトリミングして明るさを強調したもの。やはり光が動いているのだよなぁ。。。
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by dostoev | 2009-07-31 10:31 | 遠野怪奇場所 | Comments(18)

夜の五百羅漢

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by dostoev | 2009-07-30 21:57 | 遠野不思議(自然) | Comments(2)

「ヤカン転がし」

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実は、九州の伝承に「やかんこかし」もしくは「やかん転がし」というものがあり、それがどうも遠野に通じるらしいという情報を得た。その「やかん転がし」とは、どうも恐ろしいものであるらしい。

しかし「ヤカン」転がるとなると、タヌキが化けた分福茶釜のイメージが重なり、どうも怖いという意識から外れてしまう。また、山作業している最中に、水が入ったヤカンを木の枝と勘違いし、シャクトリムシにかけてしまい、ヤカンが落ちて転がったという話は聞いた事がある。とにかく、どう考えても「ヤカン」が転がる事から恐怖を導き出すには、変な先入観が邪魔をしてしまう。

妖怪系でも、俗に「転がり系妖怪」というものは存在し、例えば遠野であれば、綾織地域に伝わる「ブチブクレ」という妖怪が存在するが、それは「ヤカン」ではない。また臼館に関する伝承の中には、戦の最中に樽のような妖怪が現れたというものもあるが、それは転がり系妖怪というより、分離再生する妖怪であり、「ヤカン転がし」とは違うようだ。とにかく全国の中から「ヤカン」の転げる話を調べてみたら、それなりにあった。




【宮城県】

夜分坂道で、薬缶が現れて坂をころがっていくといわれた。
ヤカンに野干、野狐をあてたものもある。

【東京都(杉並区)】


薬缶坂という斜め道があり、昔雨の夜に薬缶が転がりだす
ことがあったという。今もたまにあるという。

【東京都(杉並区)】

薬缶坂には昔ヤカンの化け物が出て通行人のいくてをさえぎった。
立ち止まるとヤカンもじっと動かないが、ついにはヤカンに毛むく
じゃらの手足を出して立ち上がって踊ったという。

【東京都(三宅島)】

ナカ道の水の出る穴から薬缶がコロケンと鳴りながら転がってくる
と言い、子供の頃は怖くて通れなかった。

【新潟県】

夜歩いていると木の上にヤカンがぶら下がる、田圃の上に裸婦が立つ。
見上げるほど大きくなる婦人の姿があったりなどの現象がよく見られ
るという。

【長野県】

夜遅くに森を通ると木の上から薬缶が落ちてくる。

【山口県】

狸は人を化かす。大島郡では夕方薬缶になって道にいるという。
近くに行くと転がり始め、それを追いかけるとしまいには狸に
なって逃げるという。

【長野県(生坂村)】

上生坂の宮坂には、月夜の晩になるとやかんころがしが出て
やかんをころがして行ったという。古ダヌキのしわざだ。

【長野県(伊那市)】

「そのすぐ向こうに坂があるんだけどね。その横堀っていうの、
 やっぱむじなだなあ。毎晩そのヤカンコロガシっていってね、
 やかんが転がっていくような音出しちゃ、ころころっと転が
 っていくって、その坂をね。それはいつも冬だわね。夏の話
 じゃないんだよ。そんなことがあるんだよ。」

【長野県】「信濃昔話集」

「藥鑵ころばし、下伊那川路村ヤガタ洞の坂道を通ると坂の上より
 藥鑵が轉び落ちて來る樣なガランガランと音がして何か知れない?
 い物がころがり出す。 」

【東京府豊多摩郡】「東京府豊多摩郡誌」

「薬罐阪 大字上荻窪字本村に俗稱薬罐阪と呼べる傾斜路あり、
 昔あめの夜毎に阪の中程に薬罐の轉がり居れる奇怪事ありて、
 この名を得たるよし。雨の深夜など、今も時として薬罐出づる
 など云ふものあり。」




また先に紹介した東京の杉並区には教育委員会が発行した「杉並の通称地名」にこうある…。


【やかんざか 薬鑵坂】

* 八丁通中程から善福寺川に下る坂(一本松踏み切に行く道)

* 大正末年きで使用。

* この道はもと本村橋で善吉さんの坂と合し橋を渡っていなり坂に
  上る道であった。
 

「雨もよいの闇夜にこゝを通ると真っ赤に焼けたやかんが坂上から転がり
 落ちてくるという怪談が伝えられ、子供たちは恐ろしがった。」



また、長野県下伊那郡大鹿村教育委員会「鹿塩の民俗」には…。

 
【ヤカンマクリの話】


「それはまー結局、怪物だということなんですよ。私のうちの方に
 上の平という所があるんだが、あそこから鍛冶屋の所に出る所
 が、丸山という所なんだ。あそこは夜になると、ガランガラン、そ
 のやかんをまくる音がするっていうんだ。お化けが出てー実際
 行ってみると見えるわけじゃないんだ。夜中になると音がすると、 
 やかんが夜中になるとガラガラガラガラ音がすると、それで夜あ
 そこを通ると恐ろしいんだ。そういう話をおふくろから聞いてるんだ。」



また、ヤカンじゃないが、似たようなものなら…。


【九州】

臼杵には水甕を転がしてくる「ハンドコカシ」

【種子島】

坂道をころころと転がりあがる鉄瓶(これまた金属製の煮沸具)
の形をした「チョカメン」

タブの木のてっぺんで急須のような形の火のかたまりが燃える
「火グワンス(火鑵子)」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところが、よくよく遠野周辺を調べると、沿岸地区に聳える貞任山に「清ころばし」という地があるのを知った。この「清ころばし」というのは、昭和初期の殺人事件から、その地域の関係者が名付けたものであった。

某人物が清と呼ばれる人物と口論となり、斧で清氏の頭を叩き割り、そのまま夜の夜中に谷底に清氏の死体を投げ捨てたというものだった。それから、その清氏の死体を捨てられた地を「清ころばし」と呼ぶようになったのだと云う。

遠野の言葉を調べてみると「殺す」という言葉が無かった。方言辞典にも「殺す」という言葉は掲載されていない。敢えて省いた可能性もあるのだが「遠野物語」もしくは、遠野の各地域の伝説に紹介される「山伏殺し」「六部殺し」の話でも「入った筈のその家から山伏が出てきたのを見た者はいない。」という記述で終わっているものばかりだ。

つまり、遠野地域では世間が狭いせいもあり、ハッキリと「殺した」という表現を避ける風潮があるようだ。それはつまり、事件とは関係無い家族を「人殺しの家」という風評から守るという意味もあったのかもしれない。

ところが、知らない人にとって「清ころばし」とは?という妙な意識にかられてしまうもの。それはいつしか伝説や物語となって、その殺人事件そのものも怪異化し、その殺した人物も妖怪化して伝えられるという土壌が遠野にはあるのかもしれないと感じた。

時代を遡ると、例えば飢饉で死んでいった人々を、やはり谷底に投げ捨てたという事があったらしい。その場合もまた、「転ばす」という表現を使ったようだと聞いた…。

そこでピンと来たのが、遠野の来内地域に伝わる処刑の話であった。来内という地名はアイヌ語で「死の谷」を表すのだという。その来内の地に「ケッコロガシ沢」の伝承があったというのが、自分の記憶の片隅に残っていた。

それは処刑方法なのだが、谷底に落とすという処刑方法というのは知っていたが、本当の詳細はわからなかった…。

遠野地方を統治していた南部の歴史を調べてみても、殆どの処刑方法は斬首であった。ところで気になったのは、南部の城があった鍋倉山に中館屋敷成敗処跡というのがあった。遠野の公の処刑場は宮の目処刑場と言って、現在の「風の丘」のすぐ裏手の河川敷沿いにあった。

鍋倉山に中館屋敷成敗処跡というのは、地域地域に任せた成敗処…つまり処刑場があったようである。これは公の公開処刑場とは違い、小さな集落などではその地の名主などに任せて罪人?を処刑した地が実は、遠野のあちこちにある。その大抵は、南部時代であったならば、その家臣の関係者などであったようだが、場合によっては藩に飼い慣らされた、その地域の名主であったようだ。

どうも来内地域の「ケッコロガシ沢」とは、その地域で密かに行われてきた処刑場であったようだ…。
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「ケッコロガシ沢」とは、現在の遠野ダム(俗称来内ダム)を渡った正面の丘から、罪人を谷底へ落したと云われている。実際に、この遠野ダムの建設時に、沢山の人骨が発見されたのは、やはりこの地が処刑場であったのだろうという事であった。
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伊豆神社が祀られている来内地域は、蕨峠という沿岸地域を結ぶ峠を渡ると、この来内という地に辿り着く。実は、早池峰神社が建立され瀬織津比咩を祀る以前に建立されたのが、この伊豆神社であった。

早池峰神社の開祖である四角藤蔵は多分、蕨峠を渡って、この地に伊豆神社を建立したと思われるが、何故にこの地なのかは不明…。

奥州藤原氏が鎌倉幕府に滅ぼされて、この来内地域は阿曾沼の支配する地となった。蕨峠を渡ると、そこは伊達藩領内となる為に、この来内という地は関所こそは無かったようだが重要な地であっ
たようだ。

南部時代には、家臣である小笠原伴蔵の末家の者が、この来内の名主であった為、この来内地域を取り締まり、地域住民の恨みを買っていたのだという。その為か、一揆が起きた時には、真っ先に、名主であった小笠原家が襲われ、建物は取り壊されたという。
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また代々続いていた伊豆神社の別当の家は堤家といい、今でもこの来内の地に堤地区という地名が残っている事から、かなりの古い家柄であったのだろう。ただし堤家は何故か、一族全滅したのだという。その為今では伊豆神社には別当は存在せず、お祭り時には、外来の神官を呼び寄せ、神事などを執り行っているようである。

しかし何故、別当であった堤家が滅びたか?これはどうも「ケッコロガシ沢」の処刑に関わっているようだ。。。

ザシキワラシの伝説を調べている中にも、伝説で無く、実際の事件が紛れている場合があったようだ。つまり豪農であれ、長者であれ、小作人や地域の人々とうまく付き合っている場合は問題無いのだが、周囲に対して厳しい豪農や長者の場合は、恨みを買う場合が多く、それが仇となって家に火をつけられたり、物が盗まれたり。その原因を、妖怪であるザシキワラシのせいにすれば、何も問題は起きなかった。ただ「ザシキワラシが出て行った為に没落した。」だけで収まったのだ。

帝政ロシア時代の崩壊に伴い、農奴が解放された。その農奴達は、真っ先に何をしたのかというと、手に斧や鎌を持ち、憎い領主の屋敷に押し入ったという。つまり虐げられた人間が解放された場合、大抵の場合は権力者に、その憎しみの力が向けられるという群集心理がある。実際に、遠野の来内地域にいた南部家の家臣の末家の小笠原某家は百姓一揆の敵役として襲われた歴史がある。

つまり、伊豆神社の堤家もまた、小笠原某と結託していた為に襲われた可能性があったのかもしれない。だから伊豆神社の別当であった堤家の滅亡は、地域住民の恨みによるものの可能性も否定できな
いかも。証拠となる古文書さえも残っていない為の憶測ではあるが…。
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ところで「ケッコロガシ沢」の処刑方法について書き記そう。

あくまでも公的な処刑ではない為に、密かに行われた処刑であったが、実は完全な”処刑”では無かったらしい。それはどういう事かというと、丘の上から谷底に転がすわけだが、その場合は刀で切ってから、谷底に転落させたのだという。ただし、致命傷には至らない斬り方であった為か、どうにか這い上がって助かった人間もいたようだ。その生き残った者は、来内地域の奥にある蕨峠から他地域へと追放となったのだと。そして、その処刑は夜に行われたという…。

つまり「ヤカン」とは「夜間」を表す意味であったようだ。だから「やかん転ばし」とは「夜間転ばし」であり、夜の密かな時間帯に行われた処刑法であったろうという事だ。

この来内のケッコロガシ沢の場所は、丁度遠野側からも、来内の集落からも離れた場所。所謂町外れであり、霊界に繋がる場所でもあった。つまり、その処刑は一つの神事ともみなされ、処刑者も藩などの役人ではゆなく、地域の代表者。人の生死が関わっている為に、処刑の執行者は正装で行ったようであると。これはつまり、処刑と霊界との境目で行われる行為であった為に、一つの神事とみなされたのだろう。

昔は、夜というものは恐ろしい時間帯であった。街灯も何も無い時代の闇の深さとは、現代の生活に慣れ親しんでいる自分たちにとって想像し辛いものであったのだと思う。その闇に蠢く者は人間では無く、大抵の場合魑魅魍魎の類と信じられていた時代だ。つまり、昼間の処刑であれは、それは処刑であっても人間の為す所業であるのだが、夜の闇の中での処刑とは、人間でない者の所業であるという意識の逃避があったようだ。

能の舞台も夜に行われる。また宵宮などで執り行われる神楽もまた、夜という人間が寝静まる時間帯に行われるというのは、自らが人間という意識を捨て、魑魅魍魎か、もしくは神々に成り切る為でもあったようだ。そして、その人間という意識を断つモノとは面だ。認められた処刑ではあったようだが、やはり人を殺す、もしくは傷つけるという行為は、人の心からの離脱にもなる。その為に、面を被っての処刑であったようだ。その面とは何を被ったのかはわからない。ただ予想するに、やはり被ったのであれば、それは”鬼の面”であったのだと考える。それは人間でない者の所業であるという、人間からの離脱を意識したからだと思う…。

ところで、これまでの話が「ヤカン(夜間)転がし」であるならば、何故にそれが伝承として九州へと伝わったか謎が残る。ただ平安時代から南北朝時代にかけて、夷俘が行われていたのだが、逆に九州から蝦夷の地に送られてきた人々もいた。それから察すれば、このケッコロガシ沢で行われてきた処刑方法は、南部時代より以前に遡るのでは無いだろうか?つまり処刑というよりも、一つの集落で行われてきた自浄作用としての神事が「やかん転がし」というものだったのかもしれない。似たようなものとして、砂漠の民の間では砂漠のど真ん中に置き去りにして、助かれば神のご加護があったものとして許す。似たような感覚の処罰方法は、確か日本にもあった筈だ。
by dostoev | 2009-07-27 02:40 | 民俗学雑記 | Comments(4)

雷の夜


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落雷による停電前の遠野駅周辺。。。
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落雷による停電後の遠野駅周辺。。。
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by dostoev | 2009-07-26 05:33 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

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by dostoev | 2009-07-22 09:50 | Comments(0)

ゆかりの色(紫と椿)

紫や灰指すものそ海石榴市の八十の衡に逢へる児や誰(万葉集)


古代、紫色とは非常に染めにくい色であった為か、貴重な色として確立された。その紫色を染める場合、ムラサキの花の根を使用した。このムラサキの花の根は紫草の根、もしくは紫草根とも呼ばれた。染物以外にも解熱・解毒剤としても用いられ、乱獲された歴史があった。ただし、この乱獲には額田王と大海人皇子の有名な相聞歌が影響したのかもしれない…。



あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

                                「万葉集(額田王)」


紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

                                「万葉集(大海人皇子)」




ただし実際のムラサキ花は生命力が弱いらしく、他の草花と一緒にすると負けてしまい、いつしか消えてしまうという儚さを兼ね備えているらしい。だからこそ、貴重でもある。

染料の素材としての紫草だが、平安時代の事務提要「延喜式」には、武蔵、信濃、常陸などから紫根を朝廷に運ばせたようだ。平安時代には内染司なる専門職が置かれ、染料の採取量の安定策が図られており、額田王の歌にある「標野」とは注連縄を張って立ち入り禁止にした禁則地でもあったのは、保護しなければならないほどに弱い品種の花だったのだろう。


この紫の根を使用して紫色を染めるわけだが、その紫色を定着させる為に最も良い方法が椿の枝を燃やして出来る木灰を使用すると綺麗に定着し発色するのだという。冒頭の歌は「紫の灰指すものそ」は「椿」にかかる枕詞であると。

この椿という樹木は、春先に赤い花を咲かせて、それを古代の人々はそれを見る事により鎮魂を行ってきた、聖なる樹木であった。この椿が海石榴市のシンボルとして植えられていたようで、その椿が紫を生みだすという呪術的な要素で結びつけられたようだ。ところで日本での唾はツバキとも云い、花の椿もツバキと呼ばれる。ツバキは海石榴とも書き記され、元々は大陸から渡ってきたものとされているらしい。

神話を調べると、イザナギがツバキを吐いて化生したのが熊野玉速。そしてスサノオが唾を吐いて化生したのが、宗像三女神、その他の神々だ。古来の染物の中で、一番染めにくいものは、一番高貴な色と云われる”紫色”だったらしい。その紫色を定着させ、尚且つ発色も良くするのには椿の枝を燃やし、その灰を混ぜれば良いのだと。これからどうも、日本ではツバキを吐くと、モノが誕生する。もしくは、モノが定着するような考えがあったようだ。

ツバキは海石榴とも書き記すのだけれど、どうも海燕の巣とのからみがあるようだ。ご存知の通り、海燕の巣は、中華料理の高級食材。ところでその海燕は、どうやって巣を作るかと言うと唾液を固めて巣を作る。いはば”唾女”と言っても良いのだろう。

ツバキによって化生、定着させるという行為をしている鳥だ。つまりツバキとは、ものを化生、定着させるものという意味が伝わったのだろうか?ただし椿の花は、漢字で表すとおり、春を彩る花が咲く木という意味でもある。ただし春は万物の始まりを現す季節でもあるので、椿には始まりという意味もあるのだろう。なのでツバキ(椿・唾)には、物事が化生、定着させる意味を含んでいるのだろう。確か、雨は天の唾という意味もあった筈だから「雨降って地固まる」という諺があるように、ツバキには固める意味もあるのたと思う。


花も糸も紙もすべて、なにもなにも、むらさきなるものはめでたくこそあれ
                                         
                                     「枕草子」




推古11年(603年)冠位十二階にによって紫色は最高位の色とされたのも、その貴重性からであったのだろう。この現代において、紫の色の服を着こなしたいという欲求は、都会であればある程に顕著とされ、田舎であればある程に敬遠されるというデータがある。これは”紫の君”という響きが高貴な存在として捉えられている意識からなのだと。

ところで紫で有名な花としては藤の花がある。平安時代に、花見以外にも藤見の宴が盛んに催されたという。その当時、藤の花の満開のさまは極楽浄土へとたなびくという紫雲を連想され、平安当時に並々ならぬ憧れの対象となったそうな。

その一方、藤のツルは繊維としても強く、この藤のツルから布も織られたのだというが、かなり粗末なものだったのか、杣人…つまり山で生活する人々が着たものだという。そして”藤衣”とは喪服をさしたのだという。しかしそれでも、紫色は平安時代において美の象徴とされ「むらさきの」は、「匂う」「美しく輝く」にかかる枕詞として使用され「源氏物語」では「紫のゆかり」とは、ある関係から情愛が及ぶ事とされ、紫色は「ゆかりの色」とされた。

現在宮城県の松島に、松島大明神というのがあったそうだが、古来は海岸部の蛇ヶ崎梨木平に祀られていたものを治承の初めに遷祀し、社名を村崎大明神としたという。しかし治承4年、源義経が「武運」を祈る為、村崎大明神を訪れたのだが、その時に源義経は藤花の満開になった紫雲山にちなんで、社名を紫神社と改めたの事。この伝承もまた、源義経と紫色との”ゆかり”を表している。これは紫色がそれだけ高貴な色であり、憧れの色でもあったのに加え、紫雲が仏教での極楽浄土に結びつく境界の色ともされたのが大きいのだろう。

それ故に紫色は、その様々な事象や歴史から、紫色の貴重性や儚さ、そして神秘性が凝固されて現代に息づいている。だからこそ高嶺の色として敬遠もされるのだが、逆にその紫の色の神秘性に魅入り求める者もまたいるのだろう。ある意味紫色が「ゆかりの色」とも云われる由縁は、人を魅了する魔性の色でもあるのかも。。。

動画はRin'「紫のゆかり、ふたたび」
by dostoev | 2009-07-21 09:02 | 民俗学雑記 | Comments(6)

五葉山を行く!

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夜中の2時頃に到着した、五葉山登山口。今回は、比較的簡単で一般的な赤坂峠
からの登山だった。。。
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この時は、かなりの強風が吹き荒れて山は逆に、その音を隠していた。遠くで
かすかに鹿の鳴き声が確認できた程度。夜に啼く、鳥の声は聞こえない。。。
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程無く、3合目の賽の河原に到着。賽の河原は広く、薄らと月明かりで照らし出され
ている。さすがにこの時間帯は、誰もいない。。。
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4合目に鳥居があった。実は、ここまで来る時の斜面は大した事もなくサクサク進め
たが、この4合目の鳥居から傾斜が少々きつくなった。ただし、早池峰のそれとは違
い、雰囲気的な事も含め、この4合目からは遠野の六角牛山を登っている感覚に陥
った。
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若干の急な傾斜も8合目まで。ここからは頂まで、比較的楽に進める。ところが、
ここで問題発生・・・懐中電灯の電池が切れてしまった。真っ暗な中を進まなけれ
ばならないが、助かったのは月明かりで、どうにか道がわかった事だった。。。
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途中、五葉山の山小屋があった。誰もいないようであった。そして、この頃には空も
明け始めてきたのがわかる。
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山頂手前に、日枝神社があった。空は晴れ渡っている感じだが、かなり霧が濃い。
ストロボを焚いて撮影すると一目瞭然だ。。。
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標識が登場。山頂は、あと僅か。しかし、この山頂とは本当の山頂では無く、一番
この五葉山での高みは、日の出岩となる。なので、山頂をスルーして真っ直ぐ日の
出岩へと向かう事にした。
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程無く、日の出岩に到着。空はすでに明るく、日の出寸前だ。取り敢えず、一番の
高みである日の出岩に登る事にした。
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霧が濃かったが、どうにか海から太陽の昇りを確認した。本州で一番最初に見る事が
できる高山は早池峰とも云われるが、この五葉山は水神を祀る早池峰に対比される
太陽を祀る山として名高い。この五葉山の北西には早池峰が聳えている。多分、この
五葉山で受けた太陽を早池峰へと伝えているのかもしれない。太陽は、昇ると共に赤
色から白色へと発光してきた。。。。
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五葉山山頂は広々としており、まるで公園のようだ。その頂には、周囲の山を示すオ
ブジェがあった。
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そこに早池峰を示すプレートがあった。
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奥に聳えるのが早池峰だ。。。。

by dostoev | 2009-07-16 10:46 | 遠野体験記 | Comments(0)

太陽と月と蛇と鏡と水神

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太陽神が祀られていると云われる、五葉山の頂には”日の出岩”というものが屹立している。祠が置かれている場所から、その日の出岩を見ると、まるで天に向かって突きつけている剣のようでもある。

古来から、剣は神の依代でもある為、この岩に神が降り立ったという認識の下に祀られたのだろう。また巨石には、何故か太陽神が降臨している事例がある事から、この日の出岩には太陽神が降臨したものとして、伝わっているのだろう。
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五葉山頂には日枝神社が鎮座しているが、その本社は日吉大社となる。日吉大社の根源は円錐形をした八王子山であり、比叡山の神である大山咋神の神が降りたった山だとされる。また別に日吉大社の御祭神には、天智天皇七年(668年)大津京遷都にあたって、三輪山より御神霊を大津京を始め国家鎮護の神として、大己貴神が祀られている。

本来は、大物主が祀られている三輪山に、後に中津宮に祀られた大己貴神が八王子山に分霊されたといういのは本来、三輪山に似通った蛇を意識した円錐形の八王子山に祀られていた神とは、大物主では無かったのか?
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ところで五葉山から太陽が昇ると共に、海は照らされていった。ここで思い出したのが、国造りの途中少彦名神に去られて落胆していた大己貴神のところに海を光照らして依り来る神が、大物主神であった。五葉山から海を見た光景は、まさに太陽によって天が照り、また海を照らすという「天照国照」の情景。

考えてみると、三輪山には大物主が祀られているのだが、本来は太陽神とも呼ばれたニギハヤヒがその正体であるという。辺津宮には少彦名神が祀られ、中津宮には大己貴神が祀られ、一番の高みである奥津宮には大物主神が祀られている。合成された名前だと云われるが正式なニギハヤヒの名前は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊となる。大物主がニギハヤヒなら、まさに海上から天を照らして、国土や海を照らしながら近付いて来た崇高な太陽神のイメージ通りの名前だ。しかし、その大物主は蛇でもあるという。それは太陽の変化を見れば、明らかなのだと想像する。
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朝日でも、夕日でも地平線に接する太陽は、大気の埃などを纏い赤く輝く。その赤い太陽は、まさに「赤かがち」のようだ。ヤマタノオロチの目の表現も「赤かがち」のようであり、東から昇る太陽と西へと沈む太陽、まさに毎日生れては死ぬという生死の様を、やはり脱皮による新たな生命を生み出す蛇と重なったのではないかと考える。

赤色を帯びた太陽は、天空へ登るにしたがい白く発光する。まさに”赤かがち”である蛇から”崇高なる太陽神”への移行だ。

ところで太陽の依代でもある、鏡というものがある。太陽光を反射する鏡はまさに太陽の依代であり、太陽神を奉納するに相応しいものであると思う。しかし鏡そのものの語源もまた「カガミ」である事から、蛇の古語である「カカ・カガ」が付随する。「カガの目」とは「蛇の目」であり、それが「鏡」となっている。しかし古来、金属器が導入する以前の鏡とは「水」であった。水鏡には、自分の姿や顔が映し出されるが、それとは別に太陽や月を映し出すものでもあった。
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つまり古来、太陽と月を映し出すものは、水であったのだと思う。水は太陽と月を映し出す鏡であった。神社などには太陽神や月神などの依代と鏡が祀られているが、平安時代から中世にかけての建築様式には…例えば金閣の鏡湖池などは、月を映し出しその月を眺める為に設計されたものだった。原初的に、水には太陽や月が宿るものとして認識されていたのだと思う。


手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ(紀貫之)


この紀貫之の歌を訳すると「手にすくった水に映っている月影のように,あるのかないのか定めのつかないわが世であることだなあ。」となる。水に映る月であれ、太陽であれ、それは実態のない影のようなものであるが、天空に浮かぶ聖なる太陽と月を取り込み、身近に置く方法は水であり、水こそが太陽と月の力を、人々の大地に繋げる媒体であったのだろう。

生命の根源である水を重要視した歴史が、人間にはある。太陽や月は手に取る事ができない遠いものであるが、水とは手に取れるもの、リアルに触れて実感できるものである。ヘレンケラーは、水に触れて生命という電流が流れた。初めて発した言葉が「ウォーター」であったのは、水が人間にとっての身近な神秘体験であったのだろう。

様々な神々がいる中、その水に鎮座する水神こそ、人々にとって身近なものであり、天空に浮かぶ太陽や月を手元に置き、身近に感じさせるものであったのだろう。だから水神には、太陽と月の影が纏いついている。その太陽と月を結ぶ存在が水であり、また不老不死に結びつく変若水信仰もまた、月と水がその主役となっている。そう、全ては水によって繋がっているのだと考える。
by dostoev | 2009-07-12 09:15 | 月の考 | Comments(8)

「マヨヒガ」の地への案内

また、常に希望があれば、「マヨヒガ」で有名な
白望山の夜をご案内します。貞任高原から白
望山にかけての夜は、雰囲気だけではなく、野
生の動物もかなり現れるので、自然のサファリ
パークみたいなものです。
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動画は過去の貞任高原から白望山への途中に
遭遇した鹿の動画です。







by dostoev | 2009-07-03 21:32 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(4)

遠野のホタル&星の鑑賞

民宿御伽屋では、7月の半ば頃から発生する
ホタルの鑑賞と星の鑑賞を合わせて、その時
期に泊ったお客様をご案内いたします。

ただし、天候に左右される為、もしも泊ったその
晩が雨天時であれば、まことに申し訳ありませ
んが、別にご希望があれば、違う遠野の夜をご
案内さしあげますm(_ _)m

また去年のホタルは、7月の10日頃から発生し
た為、受付は7月10日~20日の間とさせてい
ただきます。


連絡先は。。。


電話番号  0198-62-3862

メール   gos1@rose.ocn.ne.jp

上記まで「ホタル及び星の鑑賞希望」として、
ご連絡くださいませm(_ _)m

by dostoev | 2009-07-02 09:58 | 民宿御伽屋情報 | Comments(0)