遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2009年 02月 ( 10 )   > この月の画像一覧

遠野観光、お勧めコース(綾織→鱒沢→小友)

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まずは綾織の語源となった、天女が織ったと云われる曼荼羅
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その天女が舞い降りたと云われる御前淵とその上に鎮座する御前淵神社
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「遠野物語拾遺22」記載の、お釜淵
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まるで森の中のマヨヒガのように佇む曲屋
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怖ろしい河童の話がある「穴あき淵」
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変わった名前?「オギャアダス石碑群」
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猿ヶ石川に通った河童の本拠地?「河童池」
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「遠野物語拾遺」に登場する蛇体となった”おせんヶ淵”
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小友の河童淵
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龍の地走り跡
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大蛇が棲んでいたという樹齢1200年の「千本桂」
by dostoev | 2009-02-22 15:06 | 観光案内(小友編) | Comments(0)

冬の荒川高原を歩く。。。

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朝起きて、今日は荒川高原まで足を伸ばしてみようと思った。普段着にジャンバー
を羽織って、お終い。取り敢えず耳切山の遠野盆地が見える場所から歩く事にした。
天候は、雲が多いも日差しは暖かい。
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六角牛山と片羽山を望む。
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やはり草原地帯は、風が雪を運び、日差しによって雪が溶けている。春は近いの
だと感じた。
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白望山が見える。
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ところどころ、吹き溜まりで雪がこんもりと積もっている場所と、全く雪が無い場所
が見受けらる。
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そしてやはりというか、スノーモービルの跡がある。これは荒川高原の道路の方
が多い。仕事で使用というより、誰かが遊びで乗り回しているのだろう。
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薬師&早池峰方面は、上部が雲で覆われて見る事ができなかった。
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この分岐点に差し掛かった頃、雲行きが怪しくなってきた。。。
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道には、スノーモービルが走った跡がある。これが、雪をある程度固めてくれてい
るので、かなり助かった。新雪状態の雪なら、もっと苦しんでいただろう…。
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平均して、雪の深さはガードレールの半分が埋まる程度だ。
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しかし吹きっ晒しの場所は、雪が飛ばされてまったく無い。
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いつもの馬が放牧されている場所に辿り着いた。ここも風によって雪が居つか無
いのだろう、草原の雪がまだら状態となっている。
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しかし風雲急を告げ、ここから嵐となってしまった。本当は、一ツ石山の展望台
まで行こうと思っていたが、この大荒れの天候では無理と判断…。

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帰り道は大変だった…休憩無しで登ってきせいもあり、体が疲れ、一歩一歩がとて
も重い。ましてや嵐の中の帰り道は、まるで「八甲田山」をイメージしてしまった。
とにかく気持ちが折れたらお終いと思い、帰り道を急いだ。。。。

歩き始めたのが午前8時半過ぎで、やっと車に到着したのが午後4時半頃。往復
8時間の行程たった。今度はスノーモービルで、是非来たいものだ。。。
by dostoev | 2009-02-16 03:28 | 遠野体験記 | Comments(0)

遠野不思議 第六百二十四話「西門舘の八幡宮」

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綾織の西門舘跡は、鏑木山の突き出た峰の上にあり、阿曽沼の家臣である鵢崎右京の舘と伝えられており、そこに鎮座するのが「遠野物語拾遺50」にも記載されている八幡の祠だ。

戦時中、遠野では八八幡掛けというものが流行り、武運長久を祈ったのだが、その八幡神社の一つが、この西門舘の八幡宮でもある。
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山にある神社の大抵が、岩が乱立する地に建立されているというのは、元々磐には神が降りるという意識があった為なのだろう。この八幡宮の鎮座する地にも、岩がゴロゴロとしている。
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戦神と、地元の古老は言う。天照を中心に、向かって左に春日大社。右に八幡神となる。春日大社の祭神には武甕槌命と経津主命がおり、八幡と並んでいるのも、戦神と言われる由縁だろう。八幡神の発生は違うものではあったが、様々な要素が結び付き、確かに戦神といわれても当然ではある。
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御神体である、二神が踊っている?ようにも見える懸仏。
by dostoev | 2009-02-14 10:53 | 遠野各地の八幡神社 | Comments(0)

「天狗・山神・山人・異人」

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【薬師岳山頂の大岩】


鶏頭山は早池峯の前面に立てる峻峯なり。麓の里にては又前薬師と
云ふ。天狗住めりとて、早池峯に登る者も決して此山は掛けず。山口
のハネトと云ふ家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友り。極めて無法
者にて、鉞にて草を苅l鎌にて土を掘るなど、若き時は乱暴の振舞の
み多かりし人なり。

或時人と賭をして一人にて前薬師に登りたり。帰りての物語曰く、頂上
に大なる岩あり、其岩の上に大男三人居たり。前にあまたの金銀を広
げたり。此男の近よるを見て、気色ばみて振り返る、その眼の光極め
て恐ろし。早池峯に登りたるが途に迷ひて来たるなりと言えば、然らば
送りて遺るべしとて先に立ち、麓近き処まで来り、眼を塞げと言ふまゝ
に、暫時そこに立ちて居る間に、忽ち異人は見えずなりたりと云ふ。

                                 「遠野物語29」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

山と言う異界に棲む者には、天狗・山人・異人と呼ばれる者がいる。「遠野物語29」では、天狗が棲むという薬師岳において、異人と遭遇したとの話となっている。この「遠野物語29」に登場している異人は、天狗でもあるのだろうか?天狗譚は全国に沢山あるか、果たしてそれが天狗であるのかどうかわからないものも、かなりある。
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写真の天狗の牙は、遠野の善明寺に伝わるものだが、この天狗の牙の由来は、水害で家族全員を失った男が、天に対し怒りをぶつけたところ、天狗となり、近隣の村々を荒らしまわっていたのだが、高僧のお経により、普通の人間に戻った時に抜け落ちた牙なのだという。この話はある意味、天狗でなく、鬼になっても良かった話である。

「今昔物語に」葛城山で修行を積んでいた僧が、ある屋敷の奥方に憑いた物の怪を祓う為に下山して、その物の怪を祓ったのだと。だが、長い修行の為か、下界の美しい女性に目がくらみ、手を出したところ、不貞の輩として、再び葛城山へと戻された。しかし女人への渇望が悪しき心へと高まり、鬼とも天狗とも判らぬ不気味な姿に変わり果て、その姿のまま下山し、切望していた屋敷の奥方と、肉欲の世界に浸るという生々しい話がある。

つまり、人間が変化した姿というのは、鬼でも天狗でも、異形のものなら、なんでも良かったのだと思う。つまり、天狗とも呼ばれるものでありながら、実際の天狗の姿とは違うものでも、天狗と呼ばれたのだという。これは、天狗に対する定義が、広く伝わって無かったものだと考える。
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山口より柏崎へ行くには愛宕山の裾を廻るなり。田圃に続ける松林にて、柏崎の人家見ゆる辺より雑木の林となる。

愛宕山の頂には小さき祠ありて、参詣の路は林の中に在り。登口に
鳥居立ち、二三十本の杉の木立あり。其傍には又一つのがらんとし
たる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。昔より山
の神出づと言伝ふる所なり。

和野の何某と云ふ若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りし
に、愛宕山の上より降り来る丈高き人あり。誰ならんと思ひ林の樹
木越しに其人の顔の所を目がけて歩み寄りしに、道の角にてはたと
行逢ひぬ。

先方は思ひ掛けざりしにや大に驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、
眼は輝きて且つ如何にも驚きたる顔なり。山の神なりと知りて後を
も見ずに柏崎の村に走り付きたり。

                                「遠野物語89」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここに登場するのは山の神となる。その容貌には「眼は輝きて」とある。薬師岳で遭遇した異人は「その眼の光極めて恐ろし。」と表現されている。
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これは和野の人菊池菊蔵と云ふ者、妻は笛吹き峠のあなた
なる橋野より来たる者なり。この妻親里へ行きたる間に、
糸蔵という五、六歳の男の児病気になりたれば、昼過ぎよ
り笛吹峠を越えて妻を連れに親里へ行きたり。

名に負う六角牛の峯続きなれば山路は樹深く、殊に遠野分
より栗橋分へ下らんとするあたりは、路はウドになりて両
方は岨なり。

日影は比崖に隠れてあたり梢薄暗くなりたる頃、後の方よ
り菊蔵と呼ぶ者あるに振り返りて見れば、崖の上より下を
覗くものあり。

顔は赤く眼の光輝けること前の話の如し。お前の子はもう
死んで居るぞと云ふ。この言葉を聞きて、怖ろしさよりも
先にはつと思ひたりしが、早其姿は見えず。急ぎ夜の中に
妻を伴ひて帰りたれば、果たして子は死してありき。四、
五年前のことなり。

                           「遠野物語93」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この「遠野物語93」に登場するのは何者かわからないが、顔は赤く眼の光輝ける…とあり、山の異形の者の大抵は、眼の輝きを強調している。。。
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天狗は全国に広がりはするけれど、どうも東北の天狗に関しては、定まった形が無いような気がする。

「天狗」という名が初めて登場するのは「日本書紀」の舒明天皇9年春で、流星を「天狗」と記しているが、これは「アマツキツネ」と読み、不吉な象徴としての表現のようだ。その為か、アマツキツネは、天狗だけではなく狐に対しても使われ、一般的には物の怪の類全般が不吉なものとしての「アマツキツネ」になっているようでもある。

ところが仏教が普及している地域の天狗は山伏姿であり、もしくはインドから伝わるガルダが仏教と結び付いて迦楼羅の姿が天狗の姿の原型になっているようだ。

「今昔物語」に登場する天狗の中で、讃岐の国の万能池の主である龍王が小蛇の姿で昼寝している最中に、空中から降下し、龍王を捕まえた天狗は、そのまま迦楼羅であり、インドのガルダを彷彿させるものだと思う。とにかく、仏教の普及している地域の天狗は飛行能力に優れているのだが、東北の天狗は飛ぶというより、駆ける能力が優れている?程度となっている。その姿も、天狗として確立しておらず、山神・山人・異人なども全て同じものとして混同されていたのだろう。

天狗であり、山神などの類の殆どは、目が輝いているようだ。これは「古事記」における、ヤマタノオロチや「日本書紀」の雄略天皇紀において、蛇の目を表現するのに赤く輝いているのと同じものだと考える。

中国の「捜神記」に登場する雷神を「唇は丹のようであり、眼は鏡のようである…。」という記述がある。また「神仙伝」に登場する、数十年も眼を開けた事の無かった仙人が弟子の懇願により眼を開いたところ、眼がイナズマのように光り輝き、弟子達が突っ伏したとある。他にも仙人の眼力がイナズマのようであったという話がいくつかある。

これは山のモノだけではなく、人間の能力を超えているモノ達の殆どが、目の輝きが物凄いものであるという流れが日本に行き着いたのかもしれない。
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土淵村字山口の石田某の家の男達は、いずれも髪の毛を掻き乱し、
目は光り、見るからに山男らしい感じがする。夏の禁猟期間は川漁を
しているが、それ以外は鳥獣を狩して日を送っている。この家は元は
相当の資産家で田畑もあったが、男達が農を好まぬ為に次第に畑が荒
れ、持て余しては売ってしまって、今は村一番の貧乏人になった。

家屋敷も人手に渡し、山手の方に小さい家を建ててそこに住んでいる。
自製の木弓で自由に小鳥の類まで射落とし、これを食料に足している
ようである。そこから分家した次男も農をせず、狩りに親しんでいる。

                   「遠野物語拾遺108」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この話に登場する男達も「目は光り」という記述がある。ただし、気になるのは、この文章全体が農民としてのものという事だ…。

資産家であった男達は農を嫌い、狩にあけくれ田畑を手放し貧乏になったとあるが、それでも男達は狩に親しんでいる。つまり、当人達は不幸であるという認識がないのではないか?現代の遠野でも言われる事なのだが、蛇を食べる人物は、目がギラギラと輝いているのだと。これは蛇を食らう者を蔑んでいる話でもある。

蛇は山から訪れて、田畑を荒らす雀や野鼠を捕獲し食べるという事から、農民の守り神という意識もある。しかし本来は、山に鎮座する神が蛇でもある。その山のモノである蛇を食べる者とは、やはり山のモノであるという事なのだと思う。農民の視点から、山の民や習俗は価値観が違う。つまり、水と油みたいな存在である事を、この「遠野物語拾遺108」は示しているのだと思う。

弥生時代となり、農耕生活となった為に、日本の物語の殆どは農民主体の視点で書かれているものが多いのだと思う。その為なのか、縄文時代の生活習慣を持つ者達を蔑んでいる感覚が物語りに潜んでいる。山という異界を生活の場とする者全ては、物の怪の類にされてしまっている感がある。

仏教が普及し、修験道の権化のような天狗は、仏敵として扱われ「日本霊異記」「今昔物語」に登場する天狗の殆どは、仏の力に屈している。つまり「日本霊異記」も「今昔物語」もまた、仏教の力を誇示するプロパガンダとしての書物なのだと思う。つまり農耕民族の視点からも、仏教側からの視点でも、山の民は蔑むべき存在。また、山の民を魔物とする事で、差別化を図った為、魔物としての山の民の誕生では無かったのか?その魔物である山の民を見分ける方法が、赤い顔であり、眼の輝きなのだと考える。。。。
by dostoev | 2009-02-12 21:00 | 民俗学雑記 | Comments(9)

遠野イノシシ情報

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遠野市小友町で、イノシシの目撃が報告されている。しかし若干の報告である為、その信憑性に関してはなんとも…。

とにかく昭和時代から平成時代においては、遠野市にイノシシはいないという事だった。ただし吉田政吉著「新遠野物語」では、猪狩の話やら猪の土焼の話が掲載されており、どうも明治時代の頃まで猪は、遠野にいたようである。

イノシシが小友町で目撃されたのはどうも去年の秋以降のようだ。つまり収穫がほぼ終わった頃の目撃であった為、イノシシの作物被害の話がでていないという事も含め、イノシシの出没の信憑性に疑問符が付けられているようでもある。

ただし、昭和56年に大船渡市でイノシシが捕獲されている。だが、それ以降、大船渡市ではイノシシの報告がなされていない事から、流れイノシシであったのでは?との事。大船渡市にイノシシが出没するのであれば、当然近接する小友町にイノシシ情報が報告されてもおかしくないのだろう。

ところで「新遠野物語」には、天保年間に八戸領の北部で、猪の農作物の多大な被害により飢饉になったという話が伝えられている。ただし雪深い中でのイノシシの動きは鈍く、青森のマタギによって大量に狩られてしまったのだと。


日清戦争の頃、遠野ではイノシシの間で流行病があったらしく、方々の山々でイノシシの死体が転がっていたという事があったようだ。つまり、この頃を境に、遠野からイノシシの姿が消えてしまったようである。

今から20年前頃、イノシシの北限は福島県と宮城県の県境くらいだろうと云われていた。元々耐寒性も持ち合わせているイノシシであるし、以前は青森県にまで生息していたのだから、勢力拡大?と共に、縄張りを広げて現在は岩手県に入り込んだとしても、何等不思議では無い。ましてや雪が苦手なイノシシは、雪の少ない沿岸地域を拠点に遠野にも、その姿を現す可能性はあるのだろう。

ただ本当にイノシシが遠野にも定着しようものならば、今現在、熊に対する恐れから山へ足を向けない人々がいるのだが、イノシシも相まっては、山は遠くなるばかりとなってしまう。ただそれよりも、これから春が訪れて草木の芽生えと共に、農家の農作物の被害がイノシシによってもたらされるようならば、大変な事となってしまう。。。。
by dostoev | 2009-02-11 09:45 | 遠野で遭遇する生物 | Comments(0)

冬の五百羅漢

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今日は、女流漫画家S氏と共に、冬の五百羅漢を見に行ってきた。久しく、
五百羅漢へは足を伸ばしておらず、また林道を車が走れるのか?という
不安もあったが、かなり車が走っている跡があり、問題なく鍋倉山の後に
伸びる林道を走って、五百羅漢まで辿り着いた。


S氏は、五百羅漢の歴史をかなり調べたようで、今度独自の解釈を交え
て漫画にするのだという。実は、それたけの深みがあるのが、五百羅漢
でもある。
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by dostoev | 2009-02-10 17:03 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

慈覚大師(円仁)は、遠野に何をしにきたのか?

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遠野七観音と、呼ばれるものがある。この七観音にまつわる伝説は、慈覚大師
(円仁)が、仏教を東国に広める為の旅に出てから後に伝わる話となる。

「西の空海、東の円仁」と云われるほど、西と東を競うように仏教を広めた両雄
である。それほど東北の地には、慈覚大師の伝説が多く存在する。

東北の寺には、慈覚大師作とする仏像などを有している寺が169寺ある。それ
だけ熱心に、東北の隅々をまわったのだろう。そこには純粋な,地霊と犠牲にな
った人々の霊を祈り鎮める為意思があったのだろう。


円仁の属する天台宗は、格別に、桓武天皇に結び付いて、天下第一仏教となっ
た。その桓武天皇は、平安京を造る事に加え、東北の蝦夷を支配する事を意図
した天皇である。そこで天台宗は、鎮護国家を目指すと共、蝦夷の地を鎮め護る
事を、その至上の命題とし、選ばれたのが慈覚大師円仁であった。

早池峰神社に結び付いた初めての宗派が天台宗というのには、こういう背景もあ
った。その為に、早池峰縁起にも、多大な影響があったと思われる。現在伝わる
早池峰縁起にも、天台宗の意向が入り込み、それ以前の縁起をぼかしている可
能性はあるだろう。

この天台宗の支配は、過去に伝わる神々を封印する事でもあった。新しくも強い
い宗教とは、既存の信仰を根絶やしにするという意図をも含んでいる。その意図
を伝えるのは正史ではなく、伝説や説話の世界にあるのだろう。

「今昔物語」の話に、推古天皇が飛鳥の地に、後に元興寺を建立しようとしたが、
そこには樹齢もわかりかねぬ欅の大木があった。その大木を切り倒そうとする者
は、皆死んでしまうのだという。しかし、その大木を切り倒す方法は「大祓祝詞」を
読んでいる最中に切るというものだった…。

「続日本後紀」では、山城国葛野郡にあった、やはり欅の大木を切ってしまった為、
神の祟りがあり、長雨が続いたとの記述がある。

どうも樹木の歴史を調べると、仏教が導入されると共に、寺院建設や、仏像の彫像
が大々的に始まり、沢山の森林が伐採され無くなったようだ。その背景には、縄文
時代から続く樹木信仰を含む、古代信仰の廃絶の意図もあったようだ。

天台宗の「阿娑縛妙」には、近江の国の霊木の為に疫病が流行り、その霊木を切り
倒して琵琶湖に入れてしまったと。ところが、その霊木は流れ流れて、流れ着く先に
疫病を流行らせた為、その霊木から十一面観音を彫り上げたのが、長谷寺に伝わ
る十一面観音なのだという。

霊木の祟りとは、古来からの神の祟りであるといい、その祟りは琵琶湖の水と相まっ
て、その祟りが増幅されたのだという。それを鎮めたのは、仏教である…という、仏教
の力を誇示する内容の話が掲載されている。

ところが「長谷寺縁起」は、上記の伝説とはまた違ったものであるが、今現在の長谷
寺に伝わる縁起よりも古いであろうという縁起は「三宝絵詞)」永観三年(984)成立
の説話集だとも云われている。

この説話では、やはり近江の国の大木が祟りをなしている為、死ぬ者が相次いでい
たという。そこにたまたま大和国葛城下郡に住む”出雲の大みつ”という人物が、この
大木で十一面観音を彫ろうと思い、大和国当麻まで霊木を曳いてきたが、願い叶う前
に死んでしまったと。

しかし娑弥徳道という者が元正天皇と藤原房前の援助を得て、その霊木から神亀4年
(727)についに十一面観音を彫り上げたという。そして夢のお告げで、その十一面観
音を方八尺の巌の上に立てたという話がある。ところでその霊木とは、楠であったと。

とにかく伝説や説話を読んで感じるのは、仏教の力が増大し、更に布教をする為障害
となる、古来から続いていた古代信仰の廃絶が目的だったのだろう。巨木は、縄文時
代の信仰であったが、弥生時代以降田畑が広げる為の開墾には巨木が邪魔となった。
正義を新たな宗教と文化に結び付ける為の、説話集や伝説が作られたのは、あくまで
蝦夷の地を宗教的と文化的に征服する意味があったのだと思う。

ところで瀬織津姫の本地垂迹は十一面観音である為、先に述べた説話や伝説に瀬織
津姫と繋がる気がするが、それはさて置く事とする。ただ慈覚大師円仁が過去の神を
仏像で封印してきた歴史がある以上、瀬織津姫が古代から信仰されてきた女神である
のならば、当然の如く仏像を重ねる事によって、封印されたのだろうと考える。
by dostoev | 2009-02-06 19:09 | 民俗学雑記 | Comments(6)

洞窟

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おお われ会いしは 姫ひとり

深野原のなかにして 妖しく

美しき 姫ひとり 髪の毛ながく

足かろく 眼ざし あつく輝きぬ

花環をあみて その額に

においも姸な 帯に 腕環を

捧げし われを ながめしに

未りて 甘く ささやきぬ

すすめる馬に 姫をのせ

ひねもす み惚れぬ あですがた

身を はすかいに 姫は ただ

仙女の歌を うたいたり

妙なる味の くさの根に

野の蜂蜜 あまきそらの露

賜びて あやしき 言葉に

棟のおもいを 姫つげぬ

妖魔のほこらに ともないて

哭きて はげしく 吐息しぬ

われ閉じ 四たび 口づけぬ

われ見しは 血の気なき 王に王子

いろ蒼ざめし もののふで

死色うかべて みな 喚びぬ

「情なき姫 なれを係蹄にとらえぬ」と。

                         キーツ「冷たい美女」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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この詩はキーツ詩集「冷たい女」からの抜粋。妖魔のほこらとは、正確に
妖魔(まじ)の洞穴であり、この後、この妖魔の洞で、めぐるめく快楽に溺
れるのだが、それからこの妖魔の洞に入った王子は悪夢を見続ける事に
なる。。。

この妖魔の洞で王子が見た悪夢は、以前にやはり同じように美しい女に
誘われ、殺された男達の霊の叫びだった。

このように美しい姿で妖しくも男を誘い殺すものの話はいくつかあるが、今
回誘われた王子を愛してしまった美しい女は最後に里に帰してしまう。

これは泉鏡花の「高野聖」に、よく似ているのがわかる。

キーツの「冷たい女」は、幻想的な詩でもある為、男を殺す舞台は山の妖
魔の洞。山の洞とは異界と繋がっているという意識が、古今東西存在する。
地面に穴が開いている場所の大抵は、異界の入り口だからだ。だから日本
においても、井戸であったり、トイレであったり、地面に穴が開いている場所
には、必ずと言ってよいほど、幽霊の話が付随する。
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また洞は子宮を現すともいい、狭い胎内を潜るように、狭い岩穴とか、こうい
う洞窟を潜り、新たな命、もしくは若返るなどという風習が各地に根付いてい
る。 遠野にも、山中の狭い岩穴に「胎内潜り」としての風習が各地にある。
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ホトを焼かれて死んだイザナミは、黄泉の国ら通じる穴を潜ったのだが、生き
ている時の美しい姿とは別の、死んで腐った醜い姿が、洞の中、闇の中にあ
った。つまり、これも一種の変身なのだろうと思う。もしかして、醜いのではなく、
女の本来の本章を垣間見るのが、暗い洞穴なのかもしれない。
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泉鏡花「高野聖」は、迷い込んだ旅人が美しい女に誘われ、谷川の水浴で女
の色香に狂った男どもを畜生に変える。

住んでいるのは洞穴ではなく、深山の小屋だが、これは安達が原の鬼女にも
通じるが、本来は洞穴だったのかもしれない。

山での怪異または、物の怪が棲んでいる場所は、本当のところ、洞穴なのだと
思う。「高野聖」または「安達ヶ原の鬼女」も物語として、洞穴よりも山中の小屋
という設定の方がリアリティがある為なのだろう。


山そのものは異界ではあるけれど、其の中でも山にある洞窟は、異界へ迷い
込む入り口でもある。

「遠野物語」に登場するサムトの婆は、六角牛山の洞窟に棲んでいた。またや
はり「遠野物語」に登場する、鉄砲に撃たれたトヨは、笛吹峠にあるオガセの滝
近くの洞窟に棲んでいたのだという。

こうして人里から離れ、山に住むようになった女は、山という異界の、その異界
の入り口である洞窟に棲むようになって、人では無くなり魔物となる。

海の漁師は、洞窟を信仰しているのだという。それは、洞窟に女陰を見るからな
のだと。。。

遠野にある程洞神社の名前は、程洞(ホトホラ)であり、「程」も「洞」も、両方とも
女陰を現す。この程洞神社は、入り口が狭く、狭い鳥居を潜って、境内へと進む
事になる。そこには、コンセイ様・ヤタノカラス・水神・稲荷・金華山信仰など、様々
な信仰の場ともなっている。

この程洞神社は、没落した阿曽沼の生き残りが建てた神社だという。つまり一族
の復活を願っての神社なのかもしれない。山中に建立した神社に「程洞」という
「女陰」を意味した神社というものは、そのまま洞窟を作ったのと同じであろう。
そこは異界の入り口であり、新たな命を得る為の場所としての神社なのだと考え
る。

家の中での異界の入り口は、井戸とトイレだ。しかし水道の普及によって、井戸
は殆ど無くなってしまった。またトイレも水洗が普及した為、昔ほどの暗い穴の
イメージは無くなってきたが、まだ田舎では、俗に言うボットントイレが存在する。

自分が子供の頃もやはり、トイレの俗信はあり、夜にトイレへ行くというのは、そ
れこそ怖かったという思い出がある。何故かと言うと、昔のトイレは外にあって、
トイレの床も古く湿っており、いつ抜け落ちてしまうのでは?という怖さもあった。

それとは別に、真っ暗になった夜に、家の外に出てトイレへ行くというのは、子供
にとって凄く怖い体験でもあった。

また家の中でもトイレというのは、一つの異空間であり、逆に落ち着くという場合
もあるが、どちらにしろ家の他の部屋と比較すると独立した異空間がトイレである。
それは、家族の誰もが勝手に入る事の出来ない空間であるからだろう。

トイレの俗信に、咳払いをるか、必ずノックをして入れというのがある。これはトイ
レに潜む物に対しての儀礼行為だ。何もしないで突然トイレの扉を開けると、何か
が起こるとも言われる。

またトイレで、用をたしている最中の者に声をかけてはいけないという禁忌がある。
これは「今昔物語」で厠に入っている女性に声をかけたところ、鬼婆となって出て
きたという話に基づいているらしい。



そう、こういうトイレみたいな狭い異空間は変身する空間でもあった…。



食べ物を食べると、消化されて肛門から排泄される。これは食べ物(生)と糞尿(死)
が生死の世界観を現しているのだという。つまりトイレは、生死の狭間に立つ空間
でもある。

これは生者と死者が交わる空間が、トイレという事だ。トイレは厠とも言うが、元々
の語源は交屋(かわや)からきているのだと。となれは、やはりトイレには、生者と
死者が交わる空間であるから、トイレを使用している者に対し声をかけて、鬼婆に
変身したという話は、禁忌を犯した為に、立場が入れ替わった…つまり変身したと
いう事になったのだろう。

またトイレを別に化粧室というのも、同じ事からきている。「化粧」は「化生」であり、
化けて生まれ変わるだ。化粧を施していない顔は素顔であり、これは陽を示す。
逆に、素顔に化粧を施すという行為は、陰を示す。明と暗、光と闇の世界と同じだ。

つまり化粧をする行為というのは、この世とは違う異界、所謂死者の世界に身を
置く行為であり、それを果たす場所が、他人が入り込まない密室であり、それは
厠でもあった。そこで化粧を施して、闇の住人となる。。。

トイレとはつまり、死の匂いが立ち込める空間だ。トイレの後に「手を洗いなさい!」
と言われるのは、何も手を清潔にする為だけではない。イザナギが黄泉の国の
洞窟から抜け出し、禊ぎをしたのと同じ行為でもある。手を水で、洗い清めるのな
のだと。つまり、洞窟とトイレとは、同じ空間であるという事だ。。。
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山の洞窟はキーツの詩にある通り「妖魔の洞」である。そこには、古今東西、男を
惑わし誘い込む妖魔が棲んでいる。それと同じく、厠(交屋)で化粧を施すものも、
また妖魔…いや、日本的に言えば”物の怪”てあり”妖怪”となる。しかし、魔界の
者であるほど、何故か美しいのであると。。。
by dostoev | 2009-02-04 21:23 | 民俗学雑記 | Comments(6)

火山

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浅間山が噴火した。なんとなく対岸の火事のような気もするが、古代から火山に対する意識は、かなりあったと思う。ただ現代となり、火山が調べられ、どの山が噴火する山で、どの山が噴火しない山なのかわかっている時代となった。

遠野には、火山が無い。しかし以前雨が降らずに困っている時、六角牛山の頂で千駄木を焚いたところ、モクモクと煙が上ったそうな。それを見た、何も知らない麓の子供達は「お山が火を吹いた!」と大騒ぎしたそうである。

この話もまた、山というものは、いつ火を吹くかわからない怖ろしいものという意識があるのだろう。つまり火山が無い地域は無いという意識があったのかもしれない。いつ噴火するお山に対する畏怖が、山の信仰を根強くさせたのかも。

ところで今回の浅間山の噴火だが、元南部領であった、現秋田県鹿角の大湯に浅間神社が祀られてある。位置的には、かなり遠い存在の山でもあるが意識は繋がっているのかもしれない。

「日本書紀」天武13年には、こう書かれている…。

「是の夕に、鳴音有りて鼓のの如くありて、東方に聞ゆ。人有りて曰く、
『伊豆嶋の西北、二面、自然に増益せること三百余丈、更一つの嶋とな
れり。則ち鼓の音の如くあるは、神の是の嶋を造る響きなり』といふ。」


天武天皇の元にも、遥か遠い東国の伊豆の噴火の話が伝えられ、それを国造りと述べているというのは、火山が新たな嶋…もしくは、神々を造るものと認識されていたのではないか?それだけ火山の噴火は脅威にも感じると共、神々の仕業と考えられていたのかもしれない。その為、火山活動に関するアンテナを、全国に広げていたのだろう。

富士山ほど巨大な山であれば、その脅威を知る地域はかなり広がっていたのだろう。ところで富士山という呼称の以前は浅間山と呼ばれていたようだ。古代、浅間山、阿蘇山など「あさ」とか「あそ」は火山を示す言葉だったようだ。つまり阿蘇山という火山の意識が、全国に広まった伝わったのだろう。富士山と浅間山が同一であるという信仰は、阿蘇山から始まった火山という驚天動地の神々の仕業が伝わり、富士山と浅間山に飛び火したものなのかもしれない。

古代の山は、風を起こし、水を湧き出させ、火を吹く存在と信じられてきた。遠野のハヤチネ(早池峰)の「ハヤチ」は「疾風」でもあるが、「チ」に対し「池」をあてたというのは、風を祀る信仰と、水を祀る信仰の結びつきであると思う。風を祀るというのはタタラ系と、帆船によって航海をする、海洋民族に信仰されていた。また水神を祀るにも、同じ民族も祀っていたというものは、古代から火と水の結び付きの深さを示すものだろう。もしかして、火山でない早池峰ではあるが、古代はいつ火を吹くか怖れられてきたのかもしれない。家庭の山の神は、いつも火を吹く怖い存在であるような…(^^;

ちなみに富士山の写真提供は、kanaka氏からです。
by dostoev | 2009-02-03 12:19 | 民俗学雑記 | Comments(0)

桂の木

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遠野七観音の伝説には、慈覚大師が1本の桂の木から七体の観音を彫り上げ、
七箇所に祀ったというものがある。またこの説には、松の木で彫ったというものも
あり定かではない。ただ…。

「遠野物語拾遺20&21(復活する樹木)」では載せなかった話がある。

中国の「酉陽雑俎」に、月の中に桂の木とガマガエルがいるとあり、また五百丈
もの桂の木を、仙人の呉剛という男が、いつも伐るが、伐っても伐っても直ちに
樹の切り口が塞がるという、永遠の呵責が課せられている説話があり、桂の木
に不死が結び付いている。

また「山城国風土記」には、月読尊、天照の勅を受けて、豊葦原の中国に降り
て、保食の神の許に至りましき。時に、一つの湯津桂の樹あり。月読尊、乃ち
其の樹に倚りて立たしましき。其の樹の有る所、今、桂の里と号く。

これらの話は、桂の木に月読尊の霊力が依ったものと解釈でき、桂の木と月と
不死の話が結び付く。つまり、桂の木には月神が憑き、月に伴う変若水という
不死(ここでは魂の不死を現すのかもしれない。)の水。つまり月神と水神信仰
の踏襲でもあるかもしれない。

「古事記」において、山幸彦は海神の宮殿へ行き、井戸の側の桂の木に登って
いて、海神の娘に発見する話があるが、これは桂が神の依代であると共に、井
戸は異界への入り口と繋がっているという話でもある。

遠野七観音の伝説に付随するものに、七つの井戸の話があるが、これは同じく
神が憑いた桂の木から仏像を彫り上げ、その仏像を井戸で洗うというものは、
竜宮思想との結び付きをも示す。

ところが「金屋子祭文」には、播磨の国の岩鍋というところから金屋子神が白鷺
に乗って出雲の国の能義郡の黒田の奥の非田について桂の樹の梢に羽を休め
そこでタタラ製鉄を教えたとある。この祭文は、多くのものを含んでいる。ちなみ
に今で言う白鳥は、古代において白鷺でも白鳥であったようた。

死を現す金屋子神でもあるが、この「金屋子神祭文」では月と結び付き死と再生
の概念が盛り込まれている。金屋子神を祀るタタラ場に死体を置くというのは、そ
れは新たな命を生み出す行為であり、魂の復活の神事でもあったのだろう。

遠野の鉱山などの入り口に、桂の木や桜の木が植えられているのは、死と再生
の概念が入り込んでいる証拠となるのだろう。
by dostoev | 2009-02-02 19:00 | 民俗学雑記 | Comments(0)