遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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綾織の伝説再考

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機織の上手な娘がおり、今まで様々な織物を織ってきたが、天女の
羽衣のようなものを織ってみたいと、毎日朝と晩に、神様へ御灯明と
御神酒を供え願っていたという。

すると二十一日目の晩に牛を連れた貴人が機織娘の前に立ち

「お前の願いを叶えてやる。牛に乗れ。」

貴人は娘を牛に乗せ、高い山の上の大きな石のある処へ連れて行き、
そのまま何処かへと行ってしまったそうな。

山の上で見る星々はまこと綺麗なもので、手を伸ばせば取れそうだと
思わせる程の輝きを見せ、娘はその星々に見とれていたが、急に寂し
くなり涙が流れてきたのだと云う。

其の時、夜空に流れ星が沢山流れたと思ったら、下方から牛に機織
道具を積ませ、先程の貴人と美しい女性が娘に近付いて来たのだと。

そしてまた何処からともなく、まるで昼間の様に周囲を明るく照らす美
しい女性が現れた。そして三人で石の上に機織道具を組み立て機織
が始まったのだと云う。

周囲を明るく照らす女性が機を織り、他の二人はその手元となってい
てた。織物は東の山の上に太陽が昇ると同時に織り上げられ、その
見事な出来栄えに娘は驚きを隠せなかったという。


「この織物は、山桑の葉を食う蚕の糸で織った織物だ。
残った糸と共に、お前に全て与えるから持って行くが良い。」


娘はふと気付くと、石の上に綾綿と糸があり、先程の三人はどこかへ
消え失せてしまっていたそうな。しかし、何処からともなく声が響いて
きたのだという。


「わたしは六角牛山の住吉三神の穴の上筒男命で、機織の道具を持っ
て 来られたお方は石上山の神である伊邪那美命、光を出して機を織ら
れた方は、早池峰山の瀬織津姫である。」


この時から、この機を織った石上山が鎮座する地域を綾織と呼んだと言う
事である。

六角牛山の御祭神は牽牛星、早池峰山の御祭神は織女星、石上山の
御祭神は白鳥で、これから石上神社の御条は旧七月七日となったと云う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

少々胡散臭い伝説ではあるが、初めて絹を織った話しは「常陸の国風土記」
にもある。

「静織の里がある。ずっと昔、綾(しず)を織る機を知っている人はいなかった。
 そのとき、この村で初めて綾を織った。だから綾織と名づけたのである。」

                         「常陸の国風土記(久慈郡の条)」



水辺に住む機織女の話は日本だけでなく、世界中に広りをみせる。鳥の
系統トーテムを持つ産鉄騎馬民族が、蛇信仰を持つ農耕文化地域に侵
入するという事が歴史上で多々あった。

軍事的な征服者は、やがて征服した地の豊かな文化に魅了され、文化的
な被征服者となったパターンが、いつくか存在する。

鳥のトーテムが、いつしか蛇にとって代わっている。元々、白鳥であれ鶴で
あれ、首の長い箇所は蛇とも混同された。馬が水に入れば龍となり、白蛇が
自ら天空へと飛べば白鳥に変化するのは、古今東西の物語に記されている。

またヤマトタケルが白鳥になって飛ぶ、もしくはヤマタノオロチ退治の話が、
狩人や鍛冶屋、もしくは百姓が白鳥乙女、もしくは天女を捕まえた話との混同、
いや混沌というものに変化し伝わっている…。

また蛇神が白鳥を捕らえて竜宮へ連れて行く話となり、水辺の白鳥は機織姫
へと変化する。これらは蛇神信仰と産鉄・鍛冶民族との融合となって複雑に絡
み合っているようだ。
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砂子沢、奥蔵と称する地にある船型の石であり、三女神が伊豆権現の地から
降臨したという伝説がある。天の磐船は饒速日命の専売特許というわけでは
ないが、天の磐船に降臨したという地はいくつかある。東北で言えば、鳥海山
がそうであるが、蝦夷の地としては、やはり常陸の国となるのかもしれない。

ところで物部氏の祖と呼ばれる饒速日命は別に、天照国照彦天火明櫛甕玉神
饒速日命とも記す。また別に三輪山に祀られる大物主は大物主櫛甕玉命とも
呼び、饒速日命と大物主では「櫛甕玉」が共通しているのは偶然だろうか?

大物主の神性には、蛇神、雷神、太陽神、祟り神、酒造りの神と多岐にわたる
というつかみ所の無い神でもある。

大物主と饒速日命に共通文字「櫛甕玉」の「甕」が付く別の神が居る。それは、
天津甕星という神で別名を天香香背男とも言う。この天津甕星の「甕星」とは
金星示すという。そしてこの天津甕星は物部氏なのであるという…。
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遠野の石上山の山頂に「アンドロメダ砦」という巨石がある。最近になって名
付けられたものだとは思うが、何故星を現す名を付けていたのかわからなか
った。それが天津甕星が封印された地である常陸の国に大甕倭文神社という
のがある。ここで天津甕星は建御雷神と経津主神に加え、倭文神建葉槌命の
力を得てやっと天津甕星を封印する事ができたのだという。ところがこれら登場
する神々全てが、物部氏族なのである。鬼によって鬼を制すなのか、物部氏の
内紛を現しているのかは定かではないが、とにかく全て物部氏族なのだ。つまり
物部氏は、星神を信仰していたという証にもなる。
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遠野の綾織町に鎮座する石上山には、経津主神が祀られている。これだけでも
既に物部氏というのがわかる。そして古代軍事氏族でもある物部氏が祭祀し、
ヤマト政権の武器庫と呼ばれたのが石上神宮である。その武器庫と呼ばれた
影響なのか、石上山には武器に関する岩が存在する。「刃納めの岩」は、当初
神に対しての礼儀として、ここに刀を納める場所だと思っていたのだが、実は刀
を置く場所。つまり武器庫そのものの大岩であった。また「兜岩」は、その名の通
り戦に必要な武具である。まさに遠野の綾織に鎮座する石上山は、物部氏の影
響を受けている山である。…続く(^^;
by dostoev | 2008-11-27 21:45 | 民俗学雑記 | Comments(0)

東北最凶の心霊スポットについて。。。



http://npn.co.jp/article/detail/83321548/

内外タイムスなどで報じられた↑遠野の幽霊屋敷潜入について。。。

このニュースの影響からアクセスが極端に増えたのだと思うのだが、ちなみにアップした動画は、このニュースに載っているように、恩徳の幽霊屋敷において、山口敏太郎氏とファンキー中村氏が騒いでいる様子ですだ(^^;

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自分が、この恩徳の幽霊屋敷を知ったのは昭和56年だった…。

その当時、遠野市の観光開発という意志もあったようだ。何故なら「遠野エスコートブック」という観光本に「ある曲家の怪」という紹介が成されており、他に目玉となる観光スポットとして紹介したいが為、その信憑性の実態を知りたい故に、その当時の市会議員の思惑に乗って?自分達がその屋敷に泊りに行ったという経緯がある。

その頃の遠野は、今ほどに知名度が薄く、観光宣伝に躍起になっていた時期でもあった。。。
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この屋敷に人が住んでいたのは、昭和47年頃までだと思う。置いてあった漫画や雑誌の日付を見ると、新しいものでも昭和47年だったからだ。

【恩徳の幽霊屋敷】

この家に住んでいた人々は昭和50年近くに遠野の町へと引越し、それから空き家となった。

昭和54年に恩徳の林道工事に来ていた新里村の作業員14人、5人がその空き家を借りて仕事に通っていた事があった。ところが、夜な夜な怪奇現象が起きた為に、宮古市内の日蓮宗系寺院である本照寺から住職を呼び、その空き家でお祓いをしてもらったところ…。

「ここに、私と同じ職業の者が埋まっているようだ。」

という事を、その住職は語ったという。

この空き家は、恩徳という地の一番上にある家で、昔は立ち丸峠を越えようとする旅人は、よくこの家で宿をとったという。まだ山は霊界であり、闇には魑魅魍魎が跋扈していると思われている時代というのは、旅人は恐ろしさ故に、峠の途中で灯りを探し、一晩泊めてもらうという行動にでたのであろう。

実は恩徳では昔から有名な、八卦置きで有名な平助という人物がいた。その平助という人物は、自分の家に骨が埋まってあると占っていたという。その平助の長男は狐に憑かれたと評判になったが、なんでも「魔物だか、死んだ者とかがこの家から出るから清めねばならない…。」と暴れていたという。

そして「この家に祟りがある。」と、家に火を放ち家屋を焼いてしまったのは、昭和25年の5月であった。そして焼け跡を掘り起こしたらやはり人骨がでたのであると…。

平助の孫にあたる者が金塊を持っており、平助が屋敷の側を掘った時、矢立が出てきたという。金塊、矢立は六部が持っていたとされる物品なので、六部殺しの噂は絶えなかったという。その平助の本家がこの恩徳の幽霊屋敷と云われる廃屋なのであり、ここでも六部殺しの話しが伝わる…。
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上記に登場する平助は「遠野物語拾遺257」にも登場する。
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近年土淵村字恩徳に神憑きの者が現れて、この男の八卦はよく当たると評判であった。自分で経文を発明し、佐々木君にそれを筆写してくれといって来たこともあった。

山口の某という男がこの神憑きの男に八卦を見て貰いに行って帰っての話に、自分は不思議なことを見て来た。あの八卦者の家は常居の向こうが一本の木を境にして、三間ばかり続いて藁敷の寝床になっていたが、そこには長い角材を置いて枕にし、人が抜け出したままの汚れた布団が幾つも並んでいた。

家族は祖父母、トト、ガガ、アネコド夫婦に孫子等十人以上であるが、皆そこに共同に寝るらしかったと語ると、傍でこの話を聞いていた村の者が、何だお前はそんなことを今始めて見たのか。あの辺から下閉伊地方ではどこでもそうしているのだと言った。

佐々木君が幼時祖父母から聴いた胆沢郡の掃部長者の譚には、三百六十五人の下女下男を一本の角材を枕に寝かして、朝になるとその木の端を大槌で打叩いて起したという一節があって、よほどこれを珍らしいことの様に感じており、ことさら長木の枕という店に力を入れて話されたものだという。

                               「遠野物語拾遺257」



附馬牛村のある部落の某という家では、先代に一人の六部が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者が無かったなどという話しがある。

近頃なってからこの家に、十になるかならぬ位の女の児が、紅い振袖を着て紅い扇子を持って現われ、踊を踊りながら出て行って、下窪という家に入ったと噂がたち、それからこの両家の貧富の差がケェッチャ(裏と表)になったといっている。

その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシが蹲まっていて、びっくりして戻って来たという話しがある。

                                「遠野物語拾遺91」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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この「遠野物語拾遺91」の冒頭に語られる「六部が泊ったが、出て行くところは見た事が無い…。」という話しは、遠野を調べると、いくつか存在する。後半に座敷ワラシとの関わりが記されているが、要は六部を殺して、その六部の所持金から財を成した祟りであろうという意味合いが、この話しでは伝わる。

小松和彦の「異人論」を読んでも、全国に異人(六部)殺しは全国に広がりをみせる。

ただ逆説的に言うならば、周囲の妬みが幻想として六部殺しを伝えた可能性はまたある。「平家物語」の冒頭や「方丈記」の伝えるものは、世の流れの必然ではあったので、その必然に対し、六部殺しと座敷ワラシの話しを組み込んだ可能性もあるからだ。

それと他に「遠野物語拾遺53」「遠野物語拾遺68」に登場する会下家にもまた六部殺しの話しは伝わる。

明治の末、会下家の息子達が狂い死にするという事件が相次いだ。イタコに観て貰ったところ、昔この地で三人の山伏が殺され、家の下に埋められているというお告げが下された。その死体を掘り起こし、供養すればよくなると言われたが、息子の狂い死には3人で止まり、その後何も無かった為、時が過ぎると共に忘れ去られたのだという。

ところが昭和時代となり、古くなった家を解体し、新築工事に取り掛かろうと、基礎工事の為、床下を掘り起こしたら、三対の白骨死体が発見されたという。その三体の白骨死体の頭蓋骨には全て、穴が開いていたのだと。これにより明治時代にイタコによって告げられた話しは現実であったと認識したのだという。

とにかく六部殺しの話しは、恩徳の幽霊屋敷だけに存在した話しではない。遠野中に、そのような話しは伝わっているのだが、何故かこの恩徳の幽霊屋敷が有名になったのは、既に家の人達は引越し廃屋となった為、外部の者達も泊り、その霊威?を体験し宣伝した為なのだろう。

実際、自分が泊る少し前に、この家の場所を確認に行った晩、廃屋の前で友達と記念写真を撮っている最中に、この恩徳という集落の下方に住む人達が挙って訪れた。集落の人々の話では、記念写真のストロボの発光が、また何かの怪異なのだろうと恐る恐る近付いて来たのだった。集落の人達は当時、昼間でもこの屋敷の傍には近付かないと言っていた程に、屋敷内部だけではなく、集落全てを恐怖に落とし込んでいたらしい。

自分達が泊った時には、確かに誰も居ないのに窓や扉がガンガンと叩かれ、立てないくらいの直下型の地震も発生したのだが、翌朝下方の住民に聞いても、立てないくらいの地震が来たとは誰も知らなかった。。。。

自分達が泊ったのが有名となり、いつしかIBCラジオ番組が取材に訪れ、その時の模様をラジオで語ってくれと頼まれ語ったのは、自分が成人式の日を迎えた時だった。

電波に乗って恩徳の幽霊屋敷の噂は益々広がり、何度かテレビ局も訪れたのだが、それまでは地方局ばかりであったが、時が過ぎ平成の世となってからの番組「ギミアブレイク」で、恩徳の幽霊屋敷の取材の話しが持ち上がった。

当時、霊能力者として評判の宜保愛子と竹中直人が遠野を訪れ、初めは恩徳の幽霊屋敷で宿泊体験する予定だったそうただが、 宜保愛子の猛烈な反対に遭い、それは無くなった。その代わりに、座敷ワラシが出るという綾織は千葉家の曲り家に竹中直人が泊り、竹中直人が寝ている部屋を赤外線カメラで一晩撮影する事に変更となった。
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ただし「ギミアブレイク」が来たその時代には既に、写真のように、恩徳の幽霊屋敷は荒果てて、とても寝泊りできる状況では無かった。

自分が泊った昭和56年&57年での恩徳の幽霊屋敷でも、若干の雨漏りはあったのだが、「ギミアブレイク」が撮影しようとした平成の世は、既に10年弱の月日が過ぎ去っていた為、屋根は落ち、屋敷中央の床も落ち、もう泊る事はできない程の状況でもあった為、撮影は取り止めになったのでは?と思っている。。。。
by dostoev | 2008-11-26 16:09 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(2)

遠野不思議 第六百二話「小枕暮雪」

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天保年間に定められた、遠野八景の一つ「小枕暮雪」。小枕は昭和時代まで草刈場だったが、今では、利用する事もなくなったようだ。年の暮れに、雪で白くなる小枕は美しいと言われ遠野八景に定められたのだが、明治時代に定められた遠野八景からは、その姿を消している。
by dostoev | 2008-11-22 10:06 | 遠野八景&十景 | Comments(0)

遠野不思議 第六百一話「六角牛の賽の河原」

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天保六年、善応院愛染院宥庸(本教坊末崎三百太)は飢饉で餓死した人々の霊の供養の為、六角牛山頂に地蔵尊を奉建した。魂は山に登るという山岳信仰に基いているのだろう。
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早池峰山の賽の河原は東向きで朝日が当たるようになっているが、この六角牛山の賽の河原は西向きとなり、西日が当たるようになっているのは、補陀落山信仰を意識してのものだろう。
by dostoev | 2008-11-14 10:24 | 遠野各地の賽の河原 | Comments(3)

心霊情報…募集!

一つは、赤羽根トンネルにある退避場の朱色の鳥居。。。

昭和40年代に、リンゴの木箱に詰められ、そのまま燃やされて
殺された事件があるそうなのだが、その霊が未だ赤羽根トンネル
付近に出るという噂。。。

以前、トンネル工事に携わっている関係者が泊っていた時、忘れ
物をしたとかで夕食食べ終わった後に、工事中の赤羽根トンネル
へ行った時、霊らしきに遭遇した話しを直接聞いた事がある。。。

誰か、昭和40年代の事件と、今でも赤羽根トンネルで霊を目撃
した人っていません?

それと昨日、アメリカのテレビ局から電話が入り、今度遠野の心霊
スポットを取材しに来たいとの事。これは屋外ではなく、屋内での
検証撮影としたいとの事なので、幽霊屋敷と呼ばれる家の情報って
誰か他に知りません?

良かったら、直接ここに書き込んでもいいし、それか下記のメール
アドレスまでメールくださいませm(_ _)m

gos1@rose.ocn.ne.jp
by dostoev | 2008-11-12 07:57 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(2)

遠野不思議 第六百話「貞任山(884.2m)」

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住田町と遠野の境にある貞任山は、遠野市上郷来内、遠野市小友町平笹、
遠野市小友町山谷、荷沢峠、そして住田町から登る事ができる。住田側か
ら登れば、殆ど牧草地帯を歩くので楽なのだが、ここは敢えて遠野の平笹
から登る事にした。
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平笹からは登山道は存在せず、とにかく頂を目指して登るだけ。頂近辺の
笹薮はかなり険しい。しかし、それを過ぎると住田牧場となっている貞任山
の頂に到着する。

この頂の上に、こんもりとした土を持ったような頂に三角点はあるのだが、
道というものは無く、藪こぎが必要となる。ただし向かって左側から登ると
比較的楽に登れる。
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この林の奥に、鬱蒼とした笹薮がある。そして、それを越えると頂がある。
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南へ目を向けると、正面に男火山&女火山が見える。
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白望山と風車
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六角牛山&片羽山
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早池峰&薬師
by dostoev | 2008-11-11 19:33 | 遠野不思議(山) | Comments(0)

遠野不思議 第五百九十九話「貞任砦跡)」

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遠野には貞任山と呼ばれるものが二つあり、この小友町と住田町の間に位置するのが「遠野物語拾遺96」の話しで一つ目一本足の怪物が登場する貞任山だ。

貞任山の頂は平坦だが、そこにこんもりと盛り上がった小高い山が、貞任の砦跡と呼ばれる。展望はかなりよい。ただ馬冷やし場、防戦の為に築いた石や、砦の門柱用の「狼石」と呼ばれる巨石は発見できなかった。
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貞任砦跡とされるが「日高見国閉伊郡貞任山」によると、安倍一族は、この地に住み、製鉄に関わったと記されているという。
by dostoev | 2008-11-11 17:45 | 遠野の安部貞任伝説 | Comments(0)

片岩を登れ!

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南部八景にも数えられた、仙人峠の手前の片岩。

また、宮沢賢治の詩にも登場する…。

「シグナルとシグナレス」

   ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   さそりの赤眼が 見えたころ、
   四時から今朝も やって来た。
   遠野の盆地は まっくらで、   
   つめたい水の 声ばかり。

   ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   凍えた砂利に 湯気を吐き、
   火花を闇に まきながら、
   蛇紋岩の 崖に来て、
   やっと東が 燃え出した。
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とにかく、この片岩に登ることにした。片岩に向かって右側から岩に回り込む
ように登り始めた。。。
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だんだんと、道路は視界の下に見えるようになってきた。。。
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紅葉て一息も、枯葉が堆積し、とにかく滑る滑る…。気を許すと下まで一気に
滑り落ちそうで、写真の撮影にも気を使う。。。。
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側面から見た、片岩方面。
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さて、どうにかこうにか片岩の上に辿り着いた。。。。
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片岩のギリギリまで体を運んで撮影を試みたが、足元が滑るのもあり、さすが
に怖い。。。

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片岩からの景色は仙人峠の道路が気持ち良く俯瞰の視点で見る事ができる。
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片岩の上にはこんもりとした頂らしきがある。行って見る事にした。ところが、
その頂に熊が居たが、自分に気付いたのか斜面を下っていった。。。
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片岩の頂は、石がゴロゴロしていた。もしかして祠でもあるか?と探したが見
つからなかった。
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ところがこの頂の更なる頂が見えた。こうなれば行くしかないだろう。。。
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先人が歩いたらしき道はあった。しかし頂へは再び道が途切れる。そこで休
憩がてら、景色もいいので写真をパチリ。。。
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道なき道をある程度進むと、再び先人が作ったであろう道に遭遇。しかし背丈
を超す笹薮が酷い。場所によっては這って進まないと行けない道だ。。。
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やっと頂に着いたと思ったら、奥に更なる頂があった…。
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しかし陽も暮れてきたので、これ以上は断念する事にした。。。
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ところでちょっとした岩穴を発見。今回は時間が無いので今度、内部探検をし
てみようと思う。。。
by dostoev | 2008-11-09 18:12 | 遠野体験記 | Comments(0)

九曜紋

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写真は全て、常堅寺の九曜紋だが、この九曜紋は早池峰にも伝わるものだ。常堅寺は、足利時代の末期に大原弾正勝行が当地に来て、土淵村を領有した時に、太聞禅師を開山として創建されたのだという。

大原弾正は、本姓千葉氏であり、千葉氏は元々下総の人間で、東北に九曜紋を広げたのも千葉氏であった。また大原城主とは葛西家の旗頭であり、そして千葉氏も葛西氏も元々は下総の人間である。

阿曽沼時代と思われていたのだが、この頃この常堅寺を含む地域を押さえていたのは大川氏の説の通り、葛西氏だったのだろう。葛西氏は北朝であったという。その当時、鱒沢館を拠点として、土淵までも領地であったようだ。千葉氏との関係は、採掘にも関わっていたようで、九曜紋が走湯にも影響があるというのは、当然伊豆神社~早池峰神社のラインにも関係する筈だ。

となれば、石上神社に伝わっていた日寶寿の剣は葛西の末裔が所持していたもので、北朝の年号が刻まれているのも納得する。また、鱒沢を中心に小友町も当然葛西領であった為に、山谷観音の鰐口に、やはり北朝の年号が刻まれていても、至極当然だ。

また九曜紋は妙見信仰とも繋がるので、何故早池峰に伝わったのかも信仰的には納得できるものがある。事細かに書けば長くなるので、ここは簡単に済ませておこう。。。
by dostoev | 2008-11-02 17:42 | 民俗学雑記 | Comments(4)