遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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猿の経立考(神とは「申(さる)」を「示(しめす)」もの。

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猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去る
こと多し。松脂を毛に塗り砂を其上に附けてをる故、毛皮
は鎧の如く鉄砲の弾も通らず。    「遠野物語45」


栃内村の林崎に住む何某と云ふ男、今は五十に近し。十年
あまり前の事なり。六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹
きたりしに、猿の経立あり、之を真の鹿なりと思ひしか、
地竹を手にて分けながら、大なる口をあけ嶺の方より下り
来れり。肝潰れて笛を吹止めたれば、やがて反れて谷の方
へ走り行きたり。          「遠野物語46」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経立には猿と犬がいる。しかし、ここで思う…なんで、犬と猿だけなのだろう?と。遠野では熊もいて人を化かす狐もいる。他に狸や狢もいて、蛇もいるが、経立と呼ばれるものには、犬と猿だけの限定だ。ここで思い出すのは「犬猿の仲」という言葉。この言葉の由来も含めて、経立を考えてみようと思う。

取り敢えず、猿の経立には長く生きたモノが物の怪に変化するという事。例えば猫ならば長生きした猫の尻尾が二股に分かれて”猫又”という怪猫になってしまう。

この猿の経立もまた、長生きした事による変化なのだが、松脂を毛に塗りたくりその上に砂を付けるというのは、まるで人間の知恵に近づいたものと考える。「遠野物語」にも紹介されているように、猿が娘を盗み去ると記されているが、日本には有名な狒々退治の話が伝わっている。狒々が神として祀られ、生贄を捧げる…。

実は”神”という漢字は、「申(さる)」を「示」して「神」 と書く。これは、古来”カミ”として伝わったものに、後に漢字があてられたものだけど、どうもこの漢字は13世紀頃のようである。つまり、天台宗の比叡山から日吉大社が発信されてからだろうと、推測する。

「桃太郎」では、犬・猿・雉が桃太郎の仲間となって鬼を退治する話であったけど、実はこの「桃太郎」の原型は、鬼が猿に変わり、鬼退治ならぬ猿退治の話であったようだ。陰陽五行で紐解くと、一般的な「桃太郎」は、金気に属する申・酉・戌三匹が仲間となるというのは、桃太郎に財を与えるという意味らしい。これは、後でこじつけて作られた話のようだ。猿を倒す話を、丑寅の方向に棲む絶大的な悪である鬼を倒す事に変更とした理由があったのかもしれない。

ところで「花咲か爺さん」の話がある…。

良いお爺さんが、白い犬に「ここ掘れワンワン」と告げられて掘ると、金銀財宝が出てきたが、それを見ていた悪い爺さんが「その犬を貸せぃ!」と同じ事をしたら、糞尿などが出てきた。それに腹をたてた悪い爺さんは、その犬を殺してしまう…。

実は弥生遺跡からは、犬を食べた骨が多数出てきたと。要は渡来系の人間は、今でもそうだけど犬を食べる文化がある。だから「花咲か爺さん」では、犬と仲の良い爺さんは縄文系で、平気で犬を殺す悪い爺さんは弥生系という意味を含んでいるのでは?という説もある。

ところが縄文系の遺跡からは、猿を食べた跡があるという。山を生活圏とする猿と縄文系の人間は、ことあるごとに争いがあったのではないか?という事らしい。ところが弥生系文化が広がって、山から里へと生活圏が移り、弥生系の人間と猿とは衝突する事が無かったのだという。

狩猟文化にとって必要な犬は、逆に畑などに穴を掘って荒らす存在でもあったようだ。ここで縄文系と弥生系の対立図式が成り立ってしまう。ただし、遠野には川の辺に棲んでいる猿を淵猿という呼び方をしたらしい。それが河童になったという説もあるが… つまり、里にも猿は出没したという事だ。当然、猿特有の悪戯もしただろうし、当然の事ながら作物も荒らしたのだと思う…。

日本に文明開化は、2度行われた。有名なのは明治維新での文明開化。そしてもう一つは、大化の改新による文明開化。

古き神々を祀っていた日本国に仏教が伝来され、また中国の良い文化も導入されて、国としての形が整ってきた時に中国へと行った…。しかし、中国側には国と否定され、その後聖徳太子は憲法を定めるなどし、更に国として認めて貰う為、山々へと侵攻し木々を伐採し、一挙に寺院建設を行ってしま
った。

明治は江戸の町が一気に西欧の町並みに変わったように、大化の改新後の日本では、古来の神々を祀る町から、一気に仏教の町に変貌してしまった。それだけ極端な町作りが、文明開化だった。ただしその弊害があり、山を侵攻し木々を切った為に、水害が多発したらしい。



森は大あらきの森。しのびの森。ここひの森。木枯しの森。
信太の森。生田の森。小幡の森。うつきの森。きく田の森。
岩瀬の森。立ち聞きの森。常磐の森。くつろぎの森。神南備
の森。うたたねの森。うきたの森。うへつきの森。いはたの
森。たれその森。かそたての森。

かうたての森というが耳にとまるこそ、まずあやしけれ。森
などいふべくもあらず、ただ一木あるを、何ごとにつけたる
ぞ。               清少納言の「枕草子」

        

鎮守の杜というように、木々が沢山生い茂っている森であったのが、平安当時に、木は一本しかない鎮守の杜もあったようだ。それを憂いて、清少納言は書き綴ったのかもしれない。それから平安の後期には、山の木の伐採禁止令が出たそうである。その伐採禁止令が解かれるのが、明治時代の天皇が詠んだ歌に起因する。


狼のすむてふ山の奥までもひらけるかぎりひらきてしがな


この歌により、平安後期に発布された山の木々の伐採禁止令が解かれ、日本人は再び山へと侵攻し始めた。現代、山の木々が伐採されて熊が里に下りてきている。山々は、伐採された禿山と植林された杉の木が多い為、ブナの実を食べる熊などの餌が無くなった為だ。つまり、弥生と呼ばれる時代に人間と猿の対立という図式は無かったのだが、この文明開化により人々が山へと侵攻し、猿の餌場を荒らした為に、猿はどうやら里へと降りてきたらしい。

陰陽五行で紐解くと、申ってのは複雑で「水の三合」に属して、水を発生させるものでもある。元々は金気に属し、木を切り倒す者でもあるけど、水気にも属するので木々に栄養分を与える役目も担っているのが、申。ただ金は水を発生させるので、理解は容易い。土生金と考えれば、山は猿を生み出した…。

土剋水と考えれば、猿は山に負けてしまうので棲めなくなるが、猿の生活圏はあくまで樹上。木は山の栄養分を吸い取る存在で、木剋土となり、山の支配者。その木を支配する猿は山の最もたる支配者の位置になってしまう。その山を支配する猿が里に降りてくるというのは、神の降臨を意識したのかもしれない。

山そのものは異界であり、死者の行き着くところという山岳信仰にも通じる。その山と里を行き来する猿に対して、人々は畏怖したのかもしれない。それに加え、前述した日吉大社の信仰が広がり、庚申信仰の普及と共に”猿神”という意識が確立されたのかも…。ロシアでは「熊のミーシャ」と、熊に対しての愛着の表現がある。ロシアで熊というのは、人間が魔法によって姿を変えられたものだという意識があるという。だからロシア人は「小熊のミーシャ」正式には「ミハイロ・ イワーヌイチ・トプトゥイギン」という長い名前が付いている。

これはキリスト教の影響を受けた民族の場合、人間と他の生物の間には交流が無く、人間以外の動物は格が下でという事らしい。だから、ロシアでは特別な目で見られている熊に対しては、元々人間が何等かの魔法にかかり、熊になってしまったものだとしている。

だから「美女と野獣」という物語が生まれてしまう。魔法が解けると、どんな獣でも人間に変わってしまう。逆に言えば、元々動物などは言葉などは話さず、単なる獲物及び人の生活を脅かす厄介な存在として意識されているだけだ。ところが仏教圏では、人と獣は等しく生命を持ち、輪廻転生があり得るのだと説かれている。つまり、前世は獣だった、もしくは来世は獣になってしまうという意識が仏教圏には存在し、当然人間と獣の間には交流もあるのだという意識は根強く残っていたみたいだ。

それ故に「異類婚」と呼ばれる、人間と動物との婚姻の話は日本で多くの話を残している。要は妊娠のシステムが解明されていない時代、人間以外の獣と交わっても子供は生まれるものだという意識から「異類婚」が生まれたものだろう。

これは古代人の恐怖によるもので、女性が異界である山に棲む何者かに犯されてしまうのでは?という事から、どうも姿形が人間に似通っている”猿”が、その代表だったようだ。これは中国でも、美しい女性をさらい交わってしまう妖猿の話がある事から、もしかしてやはりこの意識も中国から渡っ
てきたものかもしれない。

日本の古来から女人禁制の山は、かなり数を示してきた。これはこういう女性の妊娠を不可解なものから防ぐという意味からどうも女人禁制とした山々が増えたらしい。猿は申。神という漢字は申を示すというのは前述したのだけど、やはり猿田彦に通じるようだ。猿は、戯るが語源だとも聞いた事があるけれど、これは人間の動作を模倣し、人をからかう存在としての戯る(猿)。

猿田彦は道案内の神でもあるが、これは山という異界へと導く存在が猿だと考えると、天宇受売神の色気に負けてしまい、その後、婚姻を果たしてしまうというののはやはり、猿に対する人身御供としての若い女というのは単なる生贄ではなく、猿を押さえるという呪法ではなかったのか?

ところで、女性と交わるというと古来から蛇がいる。蛇の姿が男根の象徴となっており、昔話でも厠に潜んでいて、女陰に侵入するという話や、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)と交わった大物主神…実は蛇との話などなど…。

妊娠のシステムがわからない時代の女性というものは、魔性と交わる存在。だからこそ、女性はシャーマンなどの交信するという、神秘性を伴う立場に祭り上げられたのかもしれないなぁ。
by dostoev | 2007-03-30 08:37 | 民俗学雑記 | Comments(2)

さくら…もうすぐ。

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最近、お気に入りの演奏「さくら さくら」

この演奏を聴いていると切なくなるというか、もう喉まで出か
かった桜がもうすぐだからこそ、今まさに春を切望する気持
ちが強くなってしまう。

http://www.gos1dos1.jp/otogiyahp/kaikijoho/music/sakurasakura.html

伊豆では冬桜が咲くという。東北の地ではこの時期、桜の花
はまだで、もしかして再び雪がちらつく事だってある。そう、
春の兆しは感じるものの、東北はまだ冬なのだ。

ところで冬の桜の花には、ひとつの伝説があり、その話を紹
介したい…。

f0075075_2128154.jpg
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桜と共に散りぬる(冬桜)

伊予の国には、一人の男が命を捧げてまで桜の花を咲かせよ
うとした。男は武士であり、子供時代にその桜の木の下でよ
く遊んだものだという。

大人になってからも、毎年4月には任務の無いときには桜吹
雪の中に腰を下ろしていたものであったそうだ。

月日がたち、長寿を得たその男は高齢に達したが、妻も子達
も、親類縁者も、ことごとく死んでしまい独りになっていた
という。

男と過去を結んでいたものはただ、その桜の木ばかりであっ
た。

ある年の夏、その桜の木が枯れてしまった。この出来事の中
に、男は自然が何を自分に欲求しているか悟ったという。他
の人々は、姿の良い若木を枯れた桜の木の傍に植えたので、
喜んでいたが、男は辛い思いをしていた。

冬が訪れた時であった。枯れた枝の下で男は、頭を下げて桜
に言った。


「敬愛すべき桜の木よ、もう一度花を咲かせてくだされ。た
だ今より、拙者の命を差し上げ申す故・・・。」


それから男は、地面に白地の布を敷き詰め切腹したという…。

流れ出た血は桜の根に染み込み、男の命が桜に乗り移り、冬
ではあるが桜の花が咲いた。そしてその桜の木は、毎年地面
で雪が白くなっても、男の命日の為に咲いていると云う…。


とにかく桜の時期はまだなのだが、桜の花はいつでも日本人
の心の中に強く根付いているというのは感じる。


f0075075_21293113.jpg


ところで桜の寿命は人間の寿命に近くて、桜は人の移し身と
しても存在したようだ。例えば、自分自身の穢れや罪を桜に
移したり、自分自身の生命を桜に託したりと、桜そのものは
日本人にとっての心の依り代に近いものがあったのだろう。

そうでなければ、それ程までに桜を愛でる感覚に日本人は陥
りはしなかったのかもしれない。
by dostoev | 2007-03-28 21:31 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(1)

言霊使い

暗闇というのは、集中力を増す空間だと思う。それが"寝る"
という意識に働きかければ、すぐにでも寝るのだろうけど、
目を瞑っても、どうも違う方に意識が働いてしまう時がある。

暗闇というものは、幽かな音にも敏感に反応する。なんと
いうか、自分の神経が研ぎ澄まされている感覚に陥るのが
暗闇かなぁと。


某所で、言=琴と書き込んだ。そう、元々同じところから
発生した漢字だからなぁ。ただ違うのは、言葉は口から発
して神霊に訴えかけるもの。琴は、演奏して神霊に呼びか
けるもの。

どちらも切々と続けていくと、神霊が宿る空間を作る事が
できる。

西洋には、アポロン型とデュオニュソス型というのがあり、
これは造形型と非造形型と云われ相対するものだと云わ
れてきたが、いつの間にか融合し更なる高みを生み出すも
のとなった。

確かアポロンは夢状態で、デュオニュソスは酩酊状態だと
思った。この二つが融合するというのは、それこそどんな
ものでも受け入れる状態になるという事…か?

これは、言葉と琴の演奏が融合した場合でも、同じように
高みに登りつめる事が出来る。要は、人間が発する音声と、
楽器が奏でる演奏の融合が、更なる神霊の領域に入るも
のだという事。古来からの神降ろしは、アポロンの夢とデ
ュオニュソスの酩酊の融合みたいで、ある意味無防備状態…。



琴だけではなく、昔から笛に対しても人々は神秘を感じて
いた。息=生きであり、息を吹き奏でる笛というのは、自
らの息吹を託して発し、神霊に呼びかけるもの。

つまり、人間の発する言葉と楽器の融合というものは、何
かしらの神秘性を帯び、神託などを授かる場面などに利用
されてきた。

更にそれを増幅するものに、光と闇が必要となる。闇は不
安を与えるものであるけれど、逆に集中力を増し、熱狂を
誘発する。更にかがり火やライトなどの光が灯れば、明と
暗の狭間で、人々は更なる熱狂に陥り易いという。

現代で現せば、舞台劇やコンサートなどが最もたるもの。
そして宗教の勧誘などにも、こういう状況は作り出される。
こういう時に効果的な言葉であったり演奏をすると、熱狂
に導かれて、その"コト"を発する人物に対してのシンパが
誕生する。

過去に於いて有名なのは、ヒトラーなどがそうか。大抵は
発する言葉が、自分なりの現状や過去の琴線に触れた
場合に、それが起きるのかもしれない。

そういえば、大国主命が須勢理比売をおんぶして、間違
って琴に木が触れてしまい、須佐之男命を呼び起こして
しまったのは、須佐之男命の琴線が須勢理比売だったか
らか?

とにかく現代の言霊使いは、音と場所を操り神霊の降りて
来る空間を作り上げる。そして、言の葉により、見ず知ら
ずの他人の琴線に触れ刺激し、シンパという同調者を目覚
めさせ、ある意味一つの宗教を作りあげるものなのかなぁ
と、フト思った…。
by dostoev | 2007-03-28 06:51 | 民俗学雑記 | Comments(0)

遠野不思議 第三百三十九話「土淵の羅咩美津篝神社(らびみづかがり)」

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羅咩とは、三次元の世界に現れ、万象が美しく輝き、その波動が滞りなく
満ち運行されている様。

美津篝は、宇宙の水波動と火波動が結び、そこから神意万象が神の子と
して、地上に産まれている様。
by dostoev | 2007-03-19 14:06 | 遠野各地の神社(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第三百三十八話「深山八幡神社」

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戦争中、兵隊に行った家族が、毎月の15日に八つの八幡神社を拝んで回る
というのが流行ったらしい。それを「八八幡かけ」といったらしい。地域によって
回る八幡神社は違うらしいが、最後は遠野の町へ来て、遠野八幡宮・多賀神社
そして神明神社で終わったそうである。
by dostoev | 2007-03-15 11:09 | 遠野各地の八幡神社 | Comments(2)

甦りの桜…。

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「さくらさくら」

今年は雪が無く、春間近!桜の咲くのももう直ぐ!と思っていた矢先に大雪に
見舞われた。逆にますます桜に対する切望が強くなる一方。写真の桜の木
は土淵町大洞にある山桜。昔、この木で映画「遠野物語」での男女の出会い
と別れが撮影された場所だ。

1年に一度咲いて、見事に綺麗に散っていく桜。しかし再び復活するように咲く
桜を知っている人々は、毎年桜の咲く時期を楽しみにしている。別れても再び
結びつく。死に至っても、再び甦る。黄泉返り=甦る桜の咲く頃は、あらゆるも
のの復活の時。まるで西洋に伝わるイースター(復活祭)の如く、力を失い死ん
だ太陽が復活し、枯れ切った大地が雪に覆われ死に至ったのが甦り…と、桜の
咲く時期は人の心に新たな生命力を与える。

暫くすると、この大洞の枯れた桜に新しい生命力の花が咲く。それが待ち遠しい…。
by dostoev | 2007-03-14 07:46 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)

オシラ神考

遠野の昔、オシラサマがあった。今でもあるにはあるが、その精神は失せつつあるの
かもしれない。何故かというと、明治時代にロシアの民俗学者ネフスキーが遠野を訪
れた時に、お土産として某家のオシラサマを貰ったとされる。更に大阪の博物館にも、
やはり遠野の某家のオシラサマが展示されているというからだ。祟り神とも云われる
オシラサマを、簡単に手放す事こそ、オシラサマへの信仰心が薄れた証明になると思
うからだ。

桑の木

ところで、オシラサマの殆んどが桑の木でできている。それと「オシラサマ」の昔話
では馬を殺し桑の木に吊るしたとされている事から、何か桑の木に特別なものがあ
るのでは?と考えてしまうものだ。

「くわばら、くわばら」というマジナイがある。これは雷よけのマジナイではあるが、諸
説様々なので、敢えて諸説の説明は省く。ただ、桑の木が雷=雷神よけによいという
意味は、神の怒りからのがれる術。それから考えると桑の木には、何か神的な要素が
加わっているのではと思ってしまう。

雄略天皇6年「天皇は后・妃に桑の葉を摘み取らせて、養蚕を勧めようと思われた。」という記述がある。また継体天皇は「男が耕作しないと、天下はその為に飢える
事があり、女が紡がないと天下は凍える事がある。だから帝王は、自ら耕作して農業
を勧め、皇妃は自ら養蚕をして、桑を与える時期を誤らないようにする。まして百官か
ら万人に至るまで、農桑を怠っては、富み栄える事はでき無い。

役人達は天下に告げて私の思うところを人々に識らせるように。」という言葉を残して
いる。つまり、21代天皇の時代から、桑の木の重要性は認識されていたのである。

扶桑国

「扶桑」の語は、紀元前数百年の中国にあらわれ詩文に登場した。東方神仙の地の
別名としての扶桑は神話を織り込んだ「山海経」に描かれている。それによると、古代
の中国では太陽が十個あって毎日一個ずつ、順番に天空を巡っていたって云う。その
太陽にはそれぞれ1羽ずつ烏が住んでいて、それが東方にある、根が四本で九つの枝
を持つ扶桑木から登っているのだという。要はその烏は、その扶桑木の頂に止まってい
るのだと。

扶桑とは、中国側から見て、東方の地。つまり日本では?という説はあるが、倭の国と
扶桑国は分けられて存在している為、やはり空想上の地ではないかとも云われている。
ただ扶桑で言えるのは、太陽信仰の根源であるという事。雄略天皇や継体天皇が桑の
木を重要視していると共に、既に存在する太陽神、天照大神が桑の木と結びついてくる。
基本的に昔は、農業振興を前面に推し進めている為、豊かな国を作るには当然、太陽
と桑の木は必要であった筈。ただここで気になるのは、やはのオシラサマの存在だ。

北関東から青森という東日本に分布する桑の木でできた木彫りの御神体が、扶桑国の
伝説と結びつかないだろうか?

ひとつの文化として、桑の木から発生する養蚕は倭の国には既に普及していた。ただ
桑の木が多く発生していながら、文化の芽が育まれていない東の地を押さえる事は、
倭の国を豊かにする為に必要不可欠であったのかもしれない。だからこそ、倭の国は
征夷に対し力を入れ、坂上田村麻呂を征夷大将軍として、目的は達成されたのだろう。

そして遠野に養蚕の文化が普及され、それと共に中国の「挿神記」の中で紹介されてい
る、馬と娘の異類婚の話しと合わせて、信仰心を持たせた可能性はあると思う。

馬と桑の木の結びつき

キリスト教でもそうだが、異教は奇蹟をもって布教する。偶像は基本的にキリスト教で
は禁止なのだが、異教徒に分かり易く布教する為は、形あるものの方が効果があり、
更に一つのスパイスとして、奇蹟を処方すれば完璧なのである。日本の宗教の歴史を
紐解いてみても、必ず神秘的で有り得ない話が付随して、民衆に信仰心を根付かせて
いる。征夷を以って、蝦夷の地に養蚕を普及させる為にも当然、豊かになる為の知識と
神秘というスパイスを加え懐柔させたものだと推測する。元々蝦夷の地には、馬が豊富
で良い馬も多かったという。当然の事ながら、馬に対する信仰も盛んで、馬の最高位は
龍となる事から、馬を持つことつまり、龍をも動かすに通ずるという事らしい。そこで一役
買ったのが「捜神記」の中にある馬と娘の恋物語?天の虫である蚕と、竜神の化身であ
ろう馬との結び付きが必要だったのかもしれない。


遠野での桑の木

一昔前まで遠野では、桑の木は敷地の周辺を巡らせていたという。桑の木は雷除けと
いう昔からの迷信として存在したのだが、元々は厄除けというよりも神の加護を受ける
樹木として桑の木が信仰されたのかもしれない。だからこそ、桑の木を敷地の周囲に
植え込んで我が家を守る意識が伝わっていたのだろう。遠野の新田遺跡の手前にも、
無数の桑の木畑があったという。それは最近植えられたものでは無く、信仰の伝承とし
て古代から伝えられ桑畑を守り、永続されてきたのかもしれないなぁ。

って…まだ途中だ(^^;;;;
by dostoev | 2007-03-14 07:15 | 民俗学雑記 | Comments(0)

妖怪キャシャと続き石考

笠通山(869m)の妖怪キャシャ
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「綾織村から宮守村に越える路に小峠という処がある。その傍の笠の通
という山にキャシャというものがいて、死人を掘り起こしてはどこかへ運んで
行って喰うと伝えている。また、葬式の際に棺を襲うともいい、その記事が
遠野古事記にも出ている。その恠物であろう。笠の通の付近で怪しい女の出て
歩くのを見た人が、幾人もある。その女は前帯に赤い巾着を結び下げていると
いうことである。宮守村の某という老人、若い時にこの女と行き逢ったことが
ある。かねてから聞いていたように、巾着をつけた女であったから、生け捕っ
て手柄にしようと思い、組打ちをして揉み合っているうちに手足が痺れて出し
て動かなくなり、ついに取り逃がしてしまったそうな。」


                              『遠野物語拾遺 113』


キャシャとは葬式の際に棺を襲う妖怪で、猫が化けたものと伝えられているようだ。棺の上に刃物を置く風習は、この猫の化け物から死体を守るためだといわれている。会津の志津倉山に棲んだというカシャも、同じく猫の化け物であるそうな。同類の妖怪「火車」の話は西日本に多いとされる…。

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遠野の観光パンフレットには、続き石というのは九州に多く見受けられるドルメンというものに似ている・・・とある。以前、ドルメンとは?という事で本で見つけた写真が上記のものだった。大きな穴を塞ぐ感じの巨石は確かに、続き石に雰囲気は似ているものの、少し違うと感じていた。
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ところが…日本語の源流ではないか?という南インドにある写真のドルメンを見ると、続き石そっくり!これは、やはり何か関連があるかと考えてしまった。

ちなみにドルメン(Dolmen)は、支石墓というのが日本語表記。とにかく紀元前1000年から栄えたタミル文化にこういった支石墓の文化があるというのは驚き。この支石墓は名前から、墓石なのだけど、石の下には棺があり、人を埋葬していたようだ。

ただ、遠野の続き石の下は成人男子が横になった場合、足を折り曲げないと無理な感じである。しかし石の下の幅が狭い場合、死体を野晒しにして白骨化させ、それから埋葬した文化があったようなので、もしかして遠野の続き石も同じ可能性はあると思う。
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フト思った事がある。この続き石がある綾織の小峠には、妖怪キャシャというのが存在し、死体を盗んで食らうという。このキャシャと、もしかして続き石という支石墓が重なるのじゃないか?と。キャシャの語源は何とも言えないが、カシャ(火車)という妖怪と同じ物ではないか?という事だが、長野では火車(カシャ)をキャシャと表記するみたいだ。

死体は火により浄化させるという宗教上の概念から登場した妖怪のようでもあるが、それよりも死体を野晒しにして白骨化させる文化にキャシャという文字を充てたと考えるのはどうだろう?

綾織地区には、巨石がゴロゴロしており、千葉家の曲がり屋でさえ、石垣を築くのに側にあった石を組んだだけだという。その千葉家の曲がり屋の斜め前方に聳える山を笠通山というのがある。笠は、キャシャに通じる音を持っている。死に関する何らかが、笠=キャシャに含まれているとしたら、続き石と妖怪キャシャが合い通じるものがあるのでは?と考えてしまうからだ。

綾織地区では、子供というものは狭い所を潜って生まれるものだから、続き石の狭い間をくぐって拝めば子供を授かるという言伝えがある。

ここで生と死の概念を考えてみれば、生は生きて流れるもので、死はその場所に淀んで留まるものという答えが導き出される。つまり支石墓としての続き石ならば、その下に埋まるというのは死を現し、そこを潜り抜ける事ができれば生であるという意味に通じるという考えだ。
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遠野の遺跡や祠を見ると、たまに擬似続き石を発見できる。つまり続き石という形状は遠野において信仰の対象となり、その形状に遠野の人々は何を見いだしたかという事が重要になると思う。

石を積むで思い出すのは、賽の河原で、子供たちが石を積む行為だ。そこに鬼が登場し、その積んだ石を崩してしまう。泣き出す子供たちに対し鬼が言う「泣くんじゃない!泣けばお前たちを思ってまだ生きている親が悲しむ。それは、お前達を思っている親に対する重い罪になるのだ。」と…。そう、石を積むという行為は、想いを重ね生死の狭間を漂う行為なのである。

キャシャ=笠ならば、笠というものは見た目から続き石の上に乗っている笠岩に通じないだろうか?死を示す石を、後から笠岩と見立てキャシャという言葉が発生したものだと。そしてこのキャシャという妖怪は、何故か綾織地区にだけ存在するというのも、続き石という存在があったからではなかろうか?

全国を見てみても、巨石の上に死体を乗せる風習はある。巨石の上の死体を鳥が啄ばみ、もしくは雨露などの自然現象などが白骨化させる…。つまり続き石の笠岩は、死体を乗せる岩として存在し、それを神が支配する自然によって白骨化させ、魂が成仏するという概念ではないのであろうか?続き石は死を示す支石墓から発展し、死を暗示する妖怪を登場させ、更には生を産みだすという発展は、人に存在する大きな想像力の成せる技と考えてしまう。

支石墓としての続き石のという名称は、まず形ありきであったと思う。日本に言葉と共に文化が輸入されたとして、それがいつの間にか日本独特の感性から言葉と文化が変化していったというのが、正しい見方ではないだろうか。だから続き石の上に乗っかっている岩の形を何に見立てたか?が初めで、それがもしかして笠と見立てた場合、その笠が変化してカシャ→キャシャという変化をもたらした可能性は強いと思う。

もしくは火車(カシャ)=笠(カシャ)は死を浄化させるという意味から同一語であるという考え方。そして続き石という名称もまた、後から日本人が発想して付けた名称だと思うなぁ。つまり宗教観・仏教観から考えれば、巨石は神の台座。神が降臨する巨石に人間の生と死を委ねるという思想から”生もしくは死へと続く石”という意味とも考えられる筈だと思う。

ドルメンは確かにイギリスが本場だと思うけど、安易に南インドや日本の巨石文明をもドルメンと言っているだけで、正確にはイギリスと南インドや日本との文化関連は希薄なので、決してドルメンとは言えない筈。Dol(テーブル)Men(石)という発想は、元々ヨーロッパ系のものなので、ここに南インドもしくは日本の宗教観を照らし合わせた場合には、ドルメンとは成り立たなくなってしまう。

続き石の上に乗ってある巨石を見た場合、大抵は”蓋”とか”笠”という発想になってしまうのが日本人だと思う。では日本人の言葉と発想を導く文化はどこから流れて来たか?となると、それが南インドのタミル地域ならは、そのまた源流に流れるシュメール文明まで辿りついてしまう。とにかく続き石は、どれだけの昔に出来たのか、未だ分からないので、それを考えるというのもまた楽しみではあるなぁ(^^;
by dostoev | 2007-03-13 20:54 | 続石考 | Comments(2)

遠野不思議 第三百三十八話「中妻の沼の御前の地」

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六角牛が眼前に迫るこの地では天人児の伝説が伝わり、それと共に沼の御前
という湧き水があったという。こには七つの池があったと云われ、白い湧き水が
出ていたのは一箇所だけで、これは山から流れてきた雨水が染み出たものだ
ったらしい。
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ちなみに中妻という地名は、以前この一帯に洪水があって水浸しとなり、中央
だけが島のように取り残されたそうである。それから中島という地名が付けられ
たが、暫くするとどういう訳か役場の人達が中島を中妻と変えてしまったそうな…。

思うに…当時「中島」であっても「ナカヅマ」と訛った音で呼ばれていた為に、そ
れに後から漢字をあてて「中妻」となったのではないのだろうか?
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by dostoev | 2007-03-13 04:52 | 遠野各地の沼の御前 | Comments(0)

遠野不思議 第三百三十七話「天王杉」

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樹齢400年弱の杉の大木で、八坂神社の社前に屹立している。市指定の天然記
念物にはならぬものの、この地では尊敬し親しまれている大木である。
by dostoev | 2007-03-12 11:22 | 遠野不思議(樹木) | Comments(0)