遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:民俗学雑記( 228 )

荒御魂としての桜

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サクラの「サ」は、主に"田の神"を意味する"神霊の「サ」"と一般的に云われるが、あくまでも大和朝廷など主体の概念かとも思える。何故なら、遠野だけでなく岩手県全般に弥生遺跡は殆ど無く、縄文遺跡の上に奈良・平安の遺跡が重なっている。つまり、岩手県には弥生時代は殆ど無かったという事になろうか。温暖な秋田においては弥生遺跡はあるものの、縄文と混雑する斑状態であったという。例えば遠野周辺の地域を見てみても、山村の集落などでは昭和になってどうにか米が栽培されるようになったという地域もある。つまり岩手県の気候は米作りに適しておらず、現代となって米の品種改良により、寒冷地でもじゅうぶん育つ事の出来る米が開発された。それ故に今ではどこでも米作りが行われている。それでも米は貴重で重要な食料である為、大事な田植え時期と桜の開花が重なる事から、関連付けて考えられたのだろう。
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平安時代に花といえば桜を意味していたが、奈良時代の花といえば梅であったようだ。それでは奈良時代に桜は無かったのか?というと、そういうわけではないようだ。中国文化の影響により、梅の花を愛でる傾向があり、どうもそれに則って桜をさて置いて、梅の花を称賛したようだ。梅の花といえば、前九年の役の後に都へと連れられた安倍宗任に対して、都の人々は梅の花を見せ「奥州の蝦夷は花の名など知らぬだろう。」と侮蔑し嘲笑したところ、安倍宗任は「わが国の梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ」と答え、都の人々を驚かせたと云う。これが史実化どうかはわからぬが、とにかく東北には桜も梅も古くから咲いていたのだと思われる。

東北における神社などの建設は、坂上田村麻呂以降になる。それまでは、山なら山に対して、ただ手を合わせるだけであったと伝えられる。そして恐らく、桜に対しての信仰の概念が存在していたのではないかとも思われる。8世紀前半に成立した「古事記」には、アイヌ語も含まれ使用されている事がわかっている。

「シンポジウム東北文化と日本」において、それ以前に不明とされていた「吾君(アギ)」をアイヌ語で解釈できるとした。1980年代以前は「吾君」をそのまま「わがきみ」という解釈としていたが、意味を成さないとされていた。ところが「アギ」はアイヌ語の弟などを意味する「アキ」ではないかとした事により、忍熊王が神功皇后に琵琶湖に追い詰められ、入水する時、家来の伊佐比宿禰に対して「いざ吾君、振熊が、痛手負はずは鳰鳥の淡海の湖に潜きせなわ」と歌った歌があるのだが、今まで家来に対して「吾君(わがきみ)」と呼びかけるのは不可解とされてきたが、それをアイヌ語の「わが弟よ」と解釈すれば、意味が通りやすくなった。これは「応神紀」で天皇が大山守命と大雀命に対し「汝等は兄の子と、弟の子といづれか愛しき」と問うのだが、大雀命は、弟の子に譲りたい心情を察していたので「兄の子は既に人と成りて、是れ悒きこと無きを、弟の子は未だ人と成らねば、是ぞ愛しき」と答えたのに天皇は反応し「佐邪岐、阿芸(アギ)の言ぞ、我が思うが如くなる」の阿芸も以前は「わが君」と解釈されていたが、不可解だとされていたのを、アイヌ語の「アキ」と解釈すれば、先ほどの天皇の言葉は「佐邪岐、弟の言った事が、自分の思う言葉だ」と、すんなり理解できるようになったという。

また「万葉集」の人麿の歌に「跡位浪立(あといなみたち)」というのがあり「とゐ波立ち」「あとい波立ち」と読んできたが意味が通じなかったそうで、そこでアイヌ語の「アトイ(海)」を採用してみると「海波立ち」とスンナリ理解できるようになったという。

アイヌ=蝦夷=陸奥というわけではないが、言語も含め蝦夷の思想や信仰も組み入れられた時代が8世紀であったのかもしれない。そして坂上田村麻呂の蝦夷征伐の後、天台宗などが布教に勤めたのが8世紀後半から9世紀になってからとなる。
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サクラの「サ」には、「栄える」「盛ん」「幸」という正の力を表す言葉であるが、「クラ」はその神が斎く台座という一般的な解釈になっている。先の述べた様に「サ」は田の神を意味する神霊の「サ」である事になっている為、山の神は稲作を守護する為に桜の花びらに宿り、田に下ってきて田の神となると信じられ、これが一般的なサクラの認識となっている。ただ、これから桜とは山に咲く花であり、やはり日本の桜の始めは山桜から始まったと理解できる。そして、山神と密接な関係にあるのが桜であるという事。古代の山岳信仰の中心となっていたのは、山神である。人々はその山神の棲まう聖なる山に咲く桜を、神の依代として欲した。桜を庭先に植え始めたのは後年の事。つまり、田の神となる山神を里に導く為に行われたのは、信仰の深さからくる桜の植樹であったのだろう。
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画像は、6月11日に撮影した早池峯に咲く桜。既に葉桜になっているが、その年にもよるのだろうが恐らく満開は6月前後となるだろう。遠野の桜の開花は、やはり年によるが5月前後となる事から、早池峯の桜の開花とは1ヶ月違う。しかし早池峯は遠野で一番の高山であるから、山桜はもっと低い山にも咲くものである。それでも里より桜の開花時期は、遅いのである。これからもわかるように山桜から始まった日本の桜の本来は、田植えの時期とは結び付いていない。
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画像は、6月の早池峯に散っていた桜の花びら。

古代の日本では、風で桜の花びらが桜吹雪として舞い散る時期は、疫病が流行る時期と重なったと云う。そこで、疫神として恐れられた三輪山の麓の大神神社では「鎮花祭」がおこなわれたのだと。ただ「鎮花祭」は大神神社に限定されるものではなく、他の多くの神社でも行われている。

「季の春、花鎮めの祭り謂ふ。大神・狭井の二つの祭りなり。春の花の 飛散の時にありて。疫神分散して癘を行なふ。その鎮遏の為、必ず この祭りあり。故に鎮花といふ。」【養老律令】

桜の花が飛び散る事により、疫病もまた広がると考えられた為「鎮花祭」では、桜の花が散らないように願った。当時の人々にとって、桜の花の呪力は相当のようで、桜の花に疫病の退散を願ってきた。そしてその鎮花祭では、歌が添えられる。

幣として桜の花を枝ながら 山の主に今ぞ手向くる

この歌は、疫病を穢れとみなし、桜の小枝は神の依代となるので、それに神を宿し、疫病を山の主に託して祓ってもらうというもの。また時期的に、稲の花の落ちない為の願いも込められていた。山の神が春に里に降りてきて、田の神となる。その田の神に稲の花が落ちないようにも託したのであったようだ。 つまり、山神とは"穢祓の力"を有する神という事になる。そしてこれは、遠野に伝わるオシラサマに通じる観念でもある。遠野のオシラサマは、顔の彫られた桑の木に着衣を重ねていくものであるが、古着とは穢れたものであるから、オシラサマに着衣を重ねるとは、穢れを重ねる事でもある。そしてその穢れを、オシラサマが祓うという事。つまりオシラサマには山神と同じ霊力が備わっているという事になる。
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遠野の白望山の背後に、金糞平という蹈鞴場がある。そこには長い樹齢を誇る山桜が咲いているが、採掘・治金の場にも桜が何故か植えられているのは、やはり山神への感謝の意であるか、山神を憑依させる依代としての桜であったのか。こういう蹈鞴場から作られるものに、諏訪大社で有名になった佐奈伎(サナキ)鈴がある。これは二荒山にも奉納されているものだ。

この「佐奈伎(サナキ)」「サ」を蹈鞴界では「表面が何も吸着していない純粋無垢の素肌の形容」として伝えられる。そして「佐奈伎(サナキ)」「ナキ」「精錬されたばかりの眞金、即ち純粋成分の金属」を意味するのだという。

サクラの「サ」の意味も、サナキの「サ」の意味も、どちらも純粋で正の力を示すものであるようだ。しかし「クラ」には神の座という意味の他に、古代の縄文人は「影」という意味を込めて使っていたようだ。
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闇龗神(クラオカミ)、高龗神(タカオカミ)は、貴船神社の祭神にもなっているが、闇(クラ)は谷あいの意味であり、高は闇(谷)に対して山峰を指している。龗・淤加美は、古来より雨を司る龍神とされている。つまりこの高龗神と闇龗神を合せて、山に棲む龍神を意味している。陰陽五行においては、この世には陽と陰があり、男と女がいて、光と影がある。山にもまた、突き出した峰があって、窪んだ谷がある。「闇(ヤミ)」という、夜を意味する言葉を「クラ」と訓じるという事は、即ち「クラ」が影を意味するという事でもある。

日本の神は、和魂と荒魂の二つの魂を持つと考えられていた。儀礼的には、和魂をうまく導入し、荒魂を退けると言っては語弊となるか。一層の繁栄を求める場合は和魂を求め、災難除けには荒魂を願うというのが正解か。つまり米と桜の関係は、米が和魂であり、桜が荒魂という事になろう。天皇と米は新嘗祭などからみても結び付きが強い。天皇の家紋が菊の御紋であるのも、その形状が太陽を示しているかのようで、まさに和魂を意図しているのではと思える。
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梶井基次郎「桜の樹の下には」という作品で有名になった"桜の樹の下に死体が埋まっている"という都市伝説らしきは、間違ってはいない。梶井はインスピレーションで書いたかのようであるが、桜が人間などの死体から滲み出る液体を吸い取って、あの妖しくも美しい花を咲かしていると感じたようだ。実際、桜の樹齢(ソメイヨシノ)が人間の寿命と近いと思われた事から、子供が生まれると庭先に桜を植え、その生まれた子供の痛みや苦しみ、そして悲しみまでもを吸い取って貰えるよう願った"人間の依代"と認識された桜でもあった。

桜は、人の穢れを地面の下へと水と共に吸い取り、黄泉国であり、根の国底の国へと流す役割を担う。祓戸四神の一柱である速佐須良姫は、本居宣長が須世理姫姫と比定している。同じく根の国に赴いた建速須佐之男命と「速」で重なるのが速佐須良姫である。その速佐須良姫に流し送る役割の初めが桜であり、桜の女神ともされる瀬織津比咩である。

佐久奈度神社に当初、一柱の神として祀られていた瀬織津比咩は、桜谷(佐久奈谷)において桜谷明神として存在していた。桜谷は、黄泉国に引き込まれるという死の匂いを伴った俗信を持つ谷であった。先に紹介したように、谷は闇であり、影でもある。その桜谷(佐久奈谷)は、桜の名所と言うわけでもなかったらしい。それはつまり、「サクラ」そのものが樹木としての桜だけではなく、闇でもあり影でもある荒御魂を意味する言葉であったからだ。正なる「サ」の影となるのが「サクラ」。神に例えればまさしく、和魂に対する荒御魂がサクラとなる。
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by dostoev | 2017-03-07 19:33 | 民俗学雑記 | Comments(2)

久慈星

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遠野生まれの遠野育ちでありながら、自分には遠野の血はまったく入っていない。両親がどちらも、久慈出身な為だ。久慈といえばもう数年前になるか、全く観てはいなかったがNHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台で有名になった、岩手県の北に位置する海の街でもある。

自分の知っている有名な久慈は、柔道の三船十段か琥珀くらいだった。その「ひさしくいつくしむ」「久慈」の語源はどこから来ているのか謎になっている。「久慈市史」を読んでも不明とされていた。もしかして、茨城県の久慈と関係があるのでは無いかとも考えたが、確証が無い。ところがある時、星に関する民俗の本を読んでいると「久慈星」というものを発見した。どうやら、天文暦象の諸事一般を載せた書を「日爾雅(くにが)」というらしいが、古事記編纂の時代に北辰が天上天下の根源を為す信仰が広がり、いつしか斗極(北辰)に久慈星という名が冠せられたのだと。つまり「日爾雅(くにが)」の「日爾」「くじ」とも読む。しかしこれでも、久慈市の久慈がここから来ているかといえば、少し弱い。ところが久慈という名称に、また別の説があった。

「儺の國の星」によれば筑紫では亀の呼称を「鼈龜(ぐず)」あるいは「渠師(ごうず)」と呼んでいたようだ。倭人はその音を「宮子(くうし)」と書き、陸奥九戸久慈などに伝わったとされている。ところが、古代中国では卜占の女人を宮子(ぐうず)と崇めたらしいが、それを宮姑(みやこ)とも呼び、陸中閉伊宮古に伝わったともされている。ただし根源が亀であるから、それが卜占としての「宮姑(みやこ)→宮古(みやこ)」と、北を玄武とする斗極の「鼈龜(ぐず)→宮子(くうし)→久慈(くじ)」の違いはある。つまり、岩手県の久慈市と宮古市は、どちらも北を意味する言葉であったという事。先の「日爾→久慈」も、北を玄武とする事で重なる。簡単に訳してしまえば「久慈」とは「北の亀」、つまり「玄武」という意味の地名となる。これは朝廷側の立ち位置により、岩手県の地名の多くは朝廷の北に位置する地域であるとして付けられたものであったか。
by dostoev | 2017-01-30 14:58 | 民俗学雑記 | Comments(0)

岩手山の噴火と芭蕉

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昨夜、秋田県を震源とする地震があり、位置を確認すると、岩手山に近いと事から一瞬火山性地震か?などと思ってしまったが、そうではなかったようだ。岩手山の噴火は、大正時代まで遡るが最近は噴火の気配を出した時もあったが、どうにか噴火までは至っていない。ところで火山の噴火は神の怒りとされ、古代の人々は、その神の怒りを鎮める為に苦労したようだ。その火山の噴火を別に"天泣"と呼ぶ。確かに火山の噴火は、天を覆うほどの激しさであるから、イメージが湧く。そしてその天泣の別名を"魚涙"と云うそうだ。火山の噴火で、川の中に棲む魚も被害に遭って泣くという意味だろうか?

行く春や 鳥啼魚の 目は泪

上の句は、松尾芭蕉が奥の細道への旅立ちの時に詠んだ句である。一般的なこの句の訳は「うららかで花咲きそろう春は格別である。その春が行ってしまうのだから、鳥までもわびしさで泣いているように聞こえ、魚も目に涙を光らせているように思われるものだ。」しかし、火山の噴火の別名を「魚涙」と知ってしまうと、別の考えが浮かんでくる。

芭蕉が奥の細道に旅立ったのが1689年(元禄二年)の桜が咲く頃であったと。しかしそれが新暦でいえば5月16日という事から、疑問が残る。桜前線は、南から北に移動するように、必ず時差が生ずる。現在の東京での桜は4月前後に咲くのであるが、岩手県の桜は5月前後が一般的だ。春の花といえば桜の事で、「花の色はうつりにけりないたずらにわがみ世にふるながめせしまに」という小野小町の歌に登場する花は桜を意味している。それ故、芭蕉の句の訳として「花咲き揃う別格の春」とは、桜満開の春を詠っているものと思われるが、5月の東京での桜は、既に散っている。つまりこの芭蕉の句とは、これから向かう先の春を詠んでいる句ではないだろうか?

岩手山は1686年に噴火して、更に1687年に噴火している。恐らく岩手山が噴火したという情報は、芭蕉の耳にも入っていた事だろう。しかし、現在の情報伝達時代とは違い、冬をまたいだ1689年の春において芭蕉は未だ岩手山が噴火しているものと思っていたのではないか。それ故の俳句が「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」とは、これから自分が向かう先の春は、岩手山の噴火で鳥啼き魚も泪しているに違いないという意味の句では無かっただろうか。
by dostoev | 2017-01-29 11:08 | 民俗学雑記 | Comments(0)

馬に関する早池峯七不思議

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早池峯七不思議の中に「龍ヶ馬場の駒の声」「安倍貞任の軍勢の音」というものがある。安倍貞任の軍勢の音は、騎馬の音であるようだ。どちらも馬に関するものだが、現実には有り得ないもの。では何故、早池峯に馬に関係する話があるのか。

「遠野物語」に馬の登場する話は少なくないが、怪異譚となると「オシラサマ」の話か、もしくは「遠野物語拾遺264」になるのではなかろうか。「オシラサマ」は有名過ぎて、今更紹介する話でもないかもしれない。「遠野物語拾遺264」は、出棺時の話になる。
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出棺の時に厩で馬が嘶くと、それに押し続いて家人が死ぬといわれ、この実例もすくなくない。必ず厩の木戸口を堅く締め、馬には風呂敷を頭から冠ぶせておくようにするのだが、それでも嘶くことがあって、そうするとやはりその家で人が死ぬ。また葬送の途中に路傍の家で馬が嘶くような場合もある。やはり同じ結果になる。こういう際の異様な馬の嘶きを聞くと、死人の匂いが馬にも通うものであるかとさえ思わせられるという。

                     「遠野物語拾遺264」

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柳田國男「山島民譚集」によれば、葦毛は最も霊異なるものなると同時に、又最も厄災に罹り易いと述べており、その葦毛馬には、神も妖怪も乗るとされる。これには昼と夜との関係が深いようだ。人間の活動する昼は、太陽光の下であるが、神や妖怪の活動する夜は、月光の下となる為、馬は太陽光と月光の影響によって特性が変わる様である。夜の闇であり月光は、冥界であり黄泉国との繋がりが深いと信じられている。テオドール・シュトルム「白馬の騎士」に出現する月光を浴びて疾走する白馬の騎士は、水害を象徴するかのような存在だった。また、コシュタ・バワーという首無し馬の引く馬車に乗るデュラハンは、死を予言する存在。馬というものは人間が制御する乗り物でもあるが、その馬は夜になると、逆に人間を意図的に誘導する存在に変化する伝承が多い。「遠野物語拾遺264」においても、馬に風呂敷を被せるのは、死へ導く馬の鳴声を阻止する為。つまり馬は、黄泉国にも近い事が「遠野物語拾遺264」によっても証明される。
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古代には、方位が逆転して示される方位観があったそうだ。それ故に、北辰を"馬脛"とも呼んだ時代があったという。"馬の足"という夜道に出現する妖怪がいる。福岡県の那珂川沿いには、遅くまで遊んでいる子供に対し「馬の足の化物が来るぞ!」と言ったらしい。昼間は大人しい馬も、夜になると恐怖の存在に移り変わったようだ。先に紹介したテオドール・シュトルム「白馬の騎士」の物語では無いが、夜の馬を怖がるのは単に怪奇譚というだけでは無い。水辺に馬の怪奇譚があるのは、水害との関連があるようだ。「白馬の騎士」は津波との関係があったが、福岡県の那珂川でも川の氾濫と馬の関係が結び付いての怪奇譚であったよう。それは九州では、夏の大風は南方、方角でいえば午から襲来すると伝えられている。自然災害が、方位と結び付いて考えられた怪奇譚なのだろう。世界的にも「闇夜に聞こえる馬蹄は、洪水の前兆である。」とされている事から、北に聳える早池峯は、方角として子となるが、方位逆転の時代もあった事から午にもなる。更に白髭の洪水伝説が伝わるのも、早池峯に祀られる神が龍神であり水神の為であろう。早池峯神社の大祭では、神を乗せた神輿は真っ先に、早池峯神社境内にある駒形社へと行くのは、早池峯大神を乗せる為でもある。神というものは、自然災害を引き起こす存在でもある。それを乗せるのが馬でもある事から、早池峯に伝わる七不思議での馬の話は、水害に関係するものではなかろうか。つまり「龍ヶ馬場での駒の声」や「安倍貞任の騎馬軍勢の音」がもしも聞こえた時は、水害が起きるのだと伝える為の七不思議ではなかっただろうか。
by dostoev | 2017-01-24 20:43 | 民俗学雑記 | Comments(0)

兎亀(とき)のかけっこ

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足の速いウサギと、足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する「ウサギとカメ(兎と亀)」の物語がある。

ウィキペディアによれば「イソップ寓話やラ・フォンテーヌが書いた寓話詩にも所収されている。 同じ素材の話がジョーエル・チャンドラー・ハリスの「リーマスじいやの話」にもあるが、内容は大きく異なる。日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。明治時代の初等科の国語の教科書には「油断大敵」というタイトルで掲載されていた。」

とにかく「油断大敵」という寓話で有名となった「ウサギとカメ」だが、俊足の象徴としてのウサギと、鈍足としての象徴のカメに、誰も違和感を抱いていなかった。しかし、俊足はオオカミでもシカでも良かったのではなかろうか。「ウサギとカメ」はイソップ寓話にも載っているものの、その話の原型がどこまで遡れるかわからないのではなかろうか。

実は「ウサギとカメ」の組み合わせで、気になるものがある。それは、亀占だ。亀占の歴史は紀元前の最古の王朝と云われる殷代後期が際立った時代だと云われる。その殷代では、亀占によって天道を占っていたというが、その時代の概念に「月に莵在り、日に亀在り」と信じられていた。毎日昇っては沈む月と太陽は、時間の運行に関与していた。その月と太陽を間接的に表現した生物が、兎であり、亀であった。それ故に、時間を示す「"時(とき)"」とは、「兎亀(とき)」から始まった言葉でもある。

そこでもう一度イソップ寓話の「ウサギとカメ」を思い起こして見る。ウサギとカメの到達点は同じなのだが、辿り着くまでの速度が違う。しかし、太陽は安定した速度と形で進むのだが、月は不安定な形に変化して、一旦消えてしまう(新月)存在でもある。その月の不安定さは、まさしく寓話のウサギの行動にも重なる。また時計の長針は、短針よりも見た目が派手に速く動いている様だが、到達する時間は同じとなる。つまり長針はウサギと同じ様に、いくら速く動いても、短針でありカメに勝てない存在でもある。この月日の兎亀の関係と、時計の長針と短針の関係が、何故か寓話「ウサギとカメ」に重ねてしまうのは、自分だけだろうか?
by dostoev | 2017-01-20 19:43 | 民俗学雑記 | Comments(0)

鳥の雑文

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酉年という事で、鶏などについて雑文をば少々。ニワトリというと、夜明けを知らせる鳥として有名となっている。昔話で、鬼などの魔物に襲われていても、ニワトリの鳴声によって夜明けが近い事を知ると、魔物たちは慌てて逃げていく様が、よく描写されている。夜明けを嫌う者は西洋になると、吸血鬼になるのだろうか。太陽光線を浴びると、身体が崩壊するのだと、子供の頃によく見た吸血鬼の映画で認識している。しかし、西洋の吸血鬼映画にはニワトリは登場しない。考えてみれば吸血鬼映画とは、基本的に吸血鬼退治映画であるから、前もって日の出を知らせるニワトリは邪魔な存在になってしまうのかも。
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とにかくニワトリの鳴声は、朝を知らせる。それを利用して魔物を撃退する物語は、どこかでホッとするものだが「伊勢物語」では、そのニワトリの鳴声を口実に、まるで魔物から逃げるかのように女から逃げる男を表現している。しかし、女の歌を知ると、その女は確かに魔物であったかのよう。

夜も明けば水桶にはめなで腐鶏の まだきに鳴きてせなをやりつる

(夜が明けたらこの腐れ鶏を水桶にぶちこんでやろう! この鶏が夜も明けないのに、あんなに鳴いてあの人を帰してしまったから。)

逃げた男とは、色男で有名な在原業平であった。どうやら、田舎女に興味を示したものの、"用を済ませた"ので早く立ち去りたい在原業平が意図的にニワトリを鳴かせたようにも思える話である。上の歌は、女の気性の激しさは、まるで正体を隠す魔物の様。話を変換すれば、在原業平が知恵によって、魔物から逃げた話にもなり得る。ところで田舎とは陸奥国なのだが、この田舎の女が在原業平に恋い焦がれ詠んだ歌が、下記の歌。

なかなかに恋に死なずは桑子にぞ なるべかりける玉の緒ばかり

(なまじ恋焦がれて死ぬよりも、いっそ夫婦仲の良い蚕になった方がまし。蚕の命は短いけれど…。)


蚕は虫であるから人間より寿命は短いもの。ここで気になったのは、"夫婦仲の良い"と詠っている事だ。もしかしてだが、オシラサマの話が伝わってのものではないかと勘繰ってしまう。オシラサマの話は、若い娘が許されない恋心から白馬と共に、天に昇る(死んでしまう)という話だが、生前は確かに若くしての死であるから寿命は短いと思われている。もしかしてこの時代にオシラサマの話は、陸奥国に留まらない形で広まっていたのだろうか。
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再び「伊勢物語」になるが、雁の鳴声を娘の心情(実は母親の心情)に重ねている歌がある。

みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞよると鳴くなる

(三吉野の田の面に降りている雁でさえも、ひたすらあなたに慕い寄るという気持ちで鳴いております。娘も同じ心であなたを頼りにしておりますよ。)


雁の鳴声さえも総動員して、身分の高い在原業平を引き留めようとする歌だが、生粋の女好きの在原業平は、一人の女に留まる事が出来る筈も無く、ただ渡り鳥の雁の様に去って行く。ここでは鳥の鳴き声を、どう捉えるかだが「伊勢物語」は在原業平の女性遍歴の作品みたいなものだから、鳥の鳴声=女の泣声にも感じてしまう。その前に、泣くという行為そのものが、男よりも女に与えられた行為の様で、男も泣くは泣くのだが「男なら泣くな」という言葉が、かなり昔から伝わっている様に、逆に「女なら泣いても良い」という認識があったのだろうと思える。だからこそ、鳥の鳴き声は女の泣き声に重ねて表現しているのだろう。
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角田川(隅田川)で船に乗った在原業平は、白い鳥を見て船頭になんという鳥なのか聞く。「これなむ都鳥」と聞いて、なんと京の都にいる二条の后を思い出す。都鳥とはユリカモメの事だが、その都鳥の白い肢体から妻を連想する在原業平は、さすがとしか言いようがない。また、鶉(ウズラ)も登場する。それは別れ際に女が鶉になるという歌を詠んだ。

野とならば鶉となりてなきをらむ 狩にだにやは君来ざらむ

簡単に言えば、別れたとしても鶉になれば、今度は狩としてあなたが来てくれるかという切ない望みの歌で、まあ作者が在原業平であるから、脳内が鳥だろうが花だろうが、「伊勢物語」は、全て女に結び付けて作られている作品である。まあ鳥と言っても、ここで鷲とか鷹が出て来たなら、それは女より男を連想すると思うので、作品上猛々しい鳥を登場させないようにしている。少し気になったのは、鶯の花の歌のくだりだった。

鶯の花を縫ふてふ笠もがな ぬるめる人に着せてかへさむ

鶯の花を縫ふてふ笠はいな おもひをつけよ乾してかえさむ(返歌)

濡れる人を"思ひ(思火)"という炎で乾かそうというやり取りだが、月形半平太の有名なワンシーンを思い出した。思い出したと言っても、小学校の時に買ったかくし芸関係の本に、有名なセリフのくだりがいくつかあった中の一つが、この月形半平太のワンシーンのセリフを未だに何となく覚えているので、ちょっと書いてみよう。

雛菊「月様、雨が…。」

半平太「雛菊か。花を散らす心無い雨よのぉ…。」

雛菊「鶯の羽が濡れましょう。」

半平太「雛鶯か」

雛菊「帰りましょうか、もし。」

半平太「春雨じゃ、濡れて行こう。」


このワンシーンで、恐らく雛菊と雛鶯をかけているのは、最後に"思火"で乾かすという意味を含んでいるのではととっさに思ってしまった。もしかして月形半平太のこのシーンは「伊勢物語」から来ているのかなぁと。とにかく、鳥と女性が、よく結び付けられているのが「伊勢物語」であった。そういや、家の婆様も酉年だったなぁと、何となく思ったりもする。
by dostoev | 2017-01-04 22:41 | 民俗学雑記 | Comments(0)

わが爪に魔が入りて

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わが爪に魔が入りてふりそそぎたる月光むらさきにかゞやき出でぬ

きら星のまたゝきに降る霜のかけら墓の石石は月光に照り

本堂の高座に説ける大等のひとみに映る黄なる薄明

                        宮沢賢治

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宮沢賢治が14歳の頃、旧制中学の先輩だった石川啄木「一握の砂」に触れ、文学に目覚めて歌を詠み始めた頃の歌だという。宮沢賢治は学生時代、寺に下宿して文学書や宗教書を読み漁り、夜には寺の本堂の縁側で月を観ながら物想いに耽っていたというが、学生時代は特に幻想的な面に魅かれる為、こういう歌を詠んだのかと思った。

ところで気になったのは「爪に魔が入りて」という表現だが、爪には"爪半月"という箇所がある。その爪半月が無いと不健康などという迷信の他に、その部分が黒ずむと、いつか死ぬという迷信を子供の頃に聞いた事がある。実際に子供の頃、爪に棘を刺した事があり、その部分が黒ずみ紫がかった見えた。もしかしてだが、"月の紫に輝く""爪(爪半月)の魔"をかけてに結び付け、神秘的な表現にして遊んでいたのじゃなかろうか?表現的には、上田秋成「青頭巾」の最後の場面を彷彿させる。
by dostoev | 2016-12-03 15:54 | 民俗学雑記 | Comments(2)

遠野物語の発生

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最近、空き家・廃屋調査が行われていた遠野市であったが、少し山に入ったところにも、画像の様な廃屋を見かける事がある。画像の建物内部に入ってみると、アナグマが巣食っていた。今はどうかわからぬが、遠野小学校へ行く途中の歯科医院の空き家にも、アナグマは巣食っていた。こうして人の住まなくなった家には、野生の獣が住みつく場合が多いのだが、特にそれはアナグマの場合が多い気がする。知人の家の小屋にも、知らない間にアナグマが巣食っていたと聞く。
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山中で遭遇するアナグマは、画像のように寄って撮影しても、慌てて逃げようとはしない。ある時は、平気で自分の脇をすり抜けて行った時もあるほど、遠野ではアナグマほど人間を恐れない獣はいないのではなかろうか。気性もイタチ系らしく激しく、熊と遭遇しても熊を追い払う程の気性の持ち主がアナグマである。人間が寄って来た程度では、気にもかけないのかもしれない。
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上郷町の曹源寺は、「遠野物語拾遺187」の舞台でもある。ここでは化物貉として登場しているが、そもそも貉は狸似ているが、狸では無い獣として認識されていた。「ムジナかタヌキか、タヌキかムジナ」と、動物の体系が定められていない時代のアナグマは、タヌキと同一のものか、その変化した存在という見方もあった。曹源寺には今でも貉堂があり、貉大権現として、アナグマは神に昇格していた。
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先に書いた様に、何故か空き家・廃屋にアナグマが棲みつく場合がある。恐らくそれは廃寺となった寺院でも同じなのだろう。遠野の寺院の歴史を見ても、一旦は廃れてしまった後に、ある和尚によって再興されたという寺は意外に多い。その廃れた時期に、こうしてアナグマが貉として棲み付き、遠野物語に登場するような、不気味な話として作られ語られる場合が多かったものと思える。人を恐れぬ貉(アナグマ)は、格好の不気味な妖怪モデルとなったのだろう。「遠野物語」には掲載されていない話の中にも、貉の登場する話は多くある。また、東禅寺の和尚であった無尽和尚の母親は貉であったとの伝説も伝わる事から、古くから廃寺などに棲み付いたアナグマの姿が目撃され、こうした話が創作されたのだと思う。
by dostoev | 2016-12-02 16:28 | 民俗学雑記 | Comments(2)

盗まれる家紋と名前

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「徳川家当主が、徳川家家紋の商標登録に異議」 ←このような事件が起きた。この徳川家の家紋を登録したのは、水戸市のイベント会社。「お守り・お札」「日本酒」などに使用するとして、水戸徳川家の「葵(あおい)紋」に似たマークを商標として出願し、昨年12月に登録されたという。実は微妙に違うらしいが、パッと見た眼で、その違いが分かる人がどれだけいるだろう?家紋は武家社会で特に広まったが、家紋は単なる記号では無く、その一族の象徴であり、意識そのものでもある。よく「一族の名を汚さぬように」とか「家紋を傷つけないように」という言葉を、ドラマや映画で聞いた事があるが、実際にこの言葉を子孫に対して伝える家系も日本の社会には存在する。今回、家紋を商標登録された徳川家もそうだろう。つまり今回のこの事件は、徳川家にとって知らぬ間に魂を盗まれた事に等しいのだと思う。

また、少し前に、岩手県の久慈市を舞台にした「あまちゃん」というドラマの主演をした能年玲奈という女の子が、独立のドタバタの末、本名である"能年玲奈"という名前を使えなくなったそうである。子供が生まれて、その子供の名前を親が名付ければ、命名権は親にあるという事になる。しかし、能年玲奈の失敗は、親に命名権の有る筈の本名を、直接芸名として使用した事になる。芸名になるという事は、その名前が商品となるという事。所属したプロダクションに、本名を抑えられたからだ。例えば、紫式部も清少納言も本名では無いように、昔は本名を名乗る事は無かった。本名を明かす場合は、その明かす相手が、生涯の伴侶となる時だった。何故ならば、本名を明かせば呪いをかけられてしまう可能性があるからだ。さすがに、この現代となって呪いなどある筈も無いとは思うが、まさに能年玲奈は、本名を明かした為に、本名を盗まれるという呪いにかかってしまったという事だろう。以前にも書いた、瀬織津姫の商標登録の件も、神名を奪ったと云う行為は魂を奪うものであるから、神そのものを呪う行為に他ならないだろう。

ただ今回の一番の問題は、特許庁にあるだろう。なんでも政治家の名前は保護されているから、商標登録の対照にはならないと聞いた。しかしその代わり、それ以外の名前や家紋までもが商標登録の対照にしてしまうのは、いかがなものか。審査はあるみたいだが、今回の徳川家の家紋のように、日本全国に認知されている家紋そのものを、個人の商標登録に認可してしまうとは、特許庁の職員そのものの精神が、日本人の心と、かけ離れているのではないか?神名の商標登録も含め、今回の徳川の家紋も商標登録されたという前例を作れば、今後どういう者達が、何を商標登録するか心配になってしまう。何故ならば、日本国民以外に、日本に住んでいる住民と呼ばれる者には、外国人も含まれるからだ。日本人に親しまれたものでも"金の成る木になる"と判断すれば、どんなものでも商標登録する外国人が出て来てもおかしくはないだろう。

現実として、中国ではあからさまに、全世界のキャラクターを盗んで、国内で商品化している。韓国では、日本古来の文化や、商品やキャラクターまで堂々と盗んで起源を主張している。有名なのは、青森県のねぶた祭りに韓国人を参加させ続けたら、いつの間にか韓国内で似た様な祭が始まり、いつの間にか青森県のねぶた祭りは、韓国が起源であり、それを日本人が盗んだという事になりつつあるようだ。だから今回の徳川家の家紋の商標登録や、瀬織津姫の商標登録も含めて、これらを黙認していると、いつの間にか様々なものが知らない間に商標登録され、勝手に使用できなくなる可能性もあるだろう。実際に、瀬織津姫の名前が入った神社などの御札も、商標登録違反であるようなので、各家々の家紋も商標登録されれば、紋付き袴そのものが使用できなくなるという事になる。まずは法律を正すべきで、現在の特許庁をどうにかしないと大変な事になるだろう。
by dostoev | 2016-11-05 21:32 | 民俗学雑記 | Comments(0)

黄葉

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紅葉という漢字は、「くれないのは」と書いて「こうよう」とも「もみじ」とも読む。しかし「万葉集」には「紅葉」よりも「黄葉」と記されている場合が多い。つまり「紅葉」よりも「黄葉」の方が古い表記であったようだ。調べると一番古くは古代中国の「礼記」の月令に「是の月や、草木黄落す。」というのが初見らしい。その後に前漢の武帝「秋風辞」にて「秋風起り白雲飛ぶ、草木黄落雁南に帰る」と詠んだ事が、それ以降秋の色付きを「黄葉」と表記するようになり、それを日本が導入したらしい。

その後唐代となり、自然と紅葉の表記が見られ始め、白居易が、その紅葉を多用するようになり、白居易「白氏文集」が日本に伝わると、日本の平安漢詩人も注目し、その紅葉を積極的に取り入れたのが"菅原道真"であった。やはり、かなり進歩的な人物だったのだろう。そして「古今和歌集」から「紅葉」が一般的になり、現代まで続く。つまり、菅原道真がいたからこその「紅葉」であったのだろう。
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ただ、紅葉と黄葉だが、前漢時代に黄葉となった背景には、黄土平原の広葉樹の色付きが、まさに"黄落"という表現が当てはまる景色であったようだ。つまり黄葉から紅葉に変化したのも、目に入る景色が黄色よりも紅色が多かったという事もあったのか。
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例えば遠野でも、赤色が目立って染まっている場所があり、また別に黄色に染まっている場所がある。場所ごとに、紅葉と黄葉を使い分けても良いのかもしれないが、この時代「黄葉(もみじ)」表記に、なんとなく違和感を覚えるのは、既に「もみじ」とは「紅葉」と書き記すものだと定着してしまった感はある。
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又一の滝までの遊歩道は、紅葉ではなく黄葉の小道となる。黄色に染まる遊歩道を楽しみながら、又一の滝に到着するのが一興。
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まあ紅葉が、古代は黄葉だとしても、どちらでも良いのかもしれない。紫式部は、こう述べている。「春秋のあらそひに、むかしより秋に心寄する人は数まさりける」と。歌に詠われる季節は春よりも圧倒的に秋が多い。つまり、桜よりも黄葉に平安人は、心奪われたようだ。「拾遺和歌集」に、「春はただ花のひとえに咲くばかり 物のあはれは秋ぞまされり」と詠まれているのは、当時の流行は"もののあわれ"であったのだろう。だからこそ、桜の咲くや咲き乱れるという生命の息吹を感じる事象よりも、山の奥から色染まって行く、生を振り絞って枯れ果てる際の鮮やかな一瞬に、もののあわれを感じ称賛したのかもしれない。平安時代末期には末法思想が広がるなどした事からも、平安人は死を常に意識し、日常に組み入れていたのだろうか?だからこそ、もののあわれを感じる紅葉に、心寄せたのかもしれない。
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ところで菅原道真は、何故に黄葉から紅葉に積極的に変えようとしたのだろうか?眼前に広がる光景が、黄色が主体では無く紅であるなら、それは当然の流れであったと思う。しかしそれとは別に、黄色は死を意図するものであるからかとも考える。黄泉の語源は、黄色が陰陽五行で土を意味し、それが地下世界を暗示するものであるという事。「古事記」に登場する黄泉国は闇の世界でもあるが、黄泉(よみ)は闇(やみ)からきているとも云われる。葉は生じると同義である事から、黄葉は"闇が生じる"と捉える事が出来る。ただでさえ黄葉は、万物の枯れる様であり、死をイメージするのに対して、紅は血潮という生を彷彿させる色合いだ。紅葉とした場合、「血が生じる」「血色が良くなる」など、あきらかに生を意図する言葉が出て来る。そういう意味合いを考えた場合に菅原道真は縁起の良さを意図して、不吉な黄葉を捨て、積極的に紅葉を用いたのではあるまいか。
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by dostoev | 2016-10-26 19:24 | 民俗学雑記 | Comments(0)