不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-:遠野各地の八幡神社
2022-06-18T06:59:35+09:00
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遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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遠野不思議 第九百二十一話「小友町の八幡神社(巌龍神社境内社)」
http://dostoev.exblog.jp/32713008/
2022-06-18T06:59:00+09:00
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遠野各地の八幡神社
「遠野今昔 第二集」佐藤和蔵「巌龍神社と周辺の神々」には、不思議な事が書かれていた。巌流神社本殿上手には巨杉があったが、台風で倒れてしまったらしい。その巨杉の傍らに、元お伊勢様とも、駒形神社とも伝えられた祠があったらしい。それを大正時代の後期に忠魂碑の下手に移して、今は八幡神社として祀っていると。一般的な八幡神社に祀られる神とはまったく違う。それなのに何故に八幡神社としたのかは不明。社の内部を覗いてみた。棟札が見えたので、カメラで撮影して確認すると「罔象女神」と「五帝龍神」とあり、やはり一般的な八幡神社とは関係ない。
しかし社の表には、しっかりと「八幡神社」と記されている。この「遠野今昔 第二集」を読むまで、まったく気付かなかった。
八幡神社の社の背後を見ると「馬魂碑」と「早池峯大神」と刻まれた碑が並んでいる。この八幡神社を祀ったきっかけは、元伊勢の神か駒形神という事だが、この石碑が関係している可能性も考えた。元伊勢の神に関して書けば長くなるので今回は省くが、早池峯大神に関係するのが元伊勢の神である事から、この社はまた違う形で紹介したい。
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遠野不思議 第九百三話「柏崎八幡神社」
http://dostoev.exblog.jp/32281149/
2021-05-17T16:11:00+09:00
2021-05-17T16:11:44+09:00
2021-05-17T16:11:44+09:00
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遠野各地の八幡神社
八幡神社は全国で一番多い神社という事で、紹介するにも少し戸惑いを覚えてしまうほどである。ところで戦神としての八幡神の役割がある事から、戦時中に八・八幡がけが行われた。自分の住む地域の八幡神社の参詣から始まり、八つの八幡神社を参詣すれば、戦に勝つとか戦争から無事に返って来るなどの御利益を信じて八幡神社がけをしたと聞く。柏崎八幡神社の創建は不明。古峯山は、天狗信仰もそうだがメインは火除け信仰。遠野の石碑には、水難除けの金毘羅や庚申と馬頭観音、そして火除けの古峯山が多いと思う。
柏崎八幡神社も含め、遠野には多くの八幡神社がある。]]>
遠野不思議 第七百九十九話「八幡神社(海上)」
http://dostoev.exblog.jp/21187730/
2013-12-30T11:47:27+09:00
2013-12-30T11:47:18+09:00
2013-12-30T11:47:18+09:00
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遠野各地の八幡神社
海上の高台にある八幡神社。正確には前九年の役の頃に、源義家の家来である井出氏が建てた館跡に八幡太郎義家の名を取って八幡座館になったという説と、阿曽沼がこの地に八幡宮を建立したので八幡座館の名となった説があるようだ。並んでいる小さな社は稲荷社となる。
祭神は、応神天皇(誉田別命)。
社の中を覗いてギョッとしたのは、髪の毛の房がぶら下がっていた。恐らく、何かの祈願で、自分の髪の毛を神に捧げたのだろう。八幡神は武神でもあるので、大東亜戦争の時のものであろうか、その時の戦争に対する祈願であったのだろうと。]]>
遠野不思議 第七百五十九話「元八幡宮」
http://dostoev.exblog.jp/20109405/
2013-07-29T17:46:30+09:00
2013-07-29T17:46:20+09:00
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遠野各地の八幡神社
創建は建武年間(1334~1335)阿曽沼朝綱の時、城の鬼門に当たる宮代に城の鎮守として八幡宮を勧清し崇敬した。そして南部氏が寛文元年(1661)に八幡宮を現在の踊鹿山に遷宮した後、荒廃していたが明治以降に復興され現在に至る。
境内は、思ったより広く、例祭の際には地域の人々が大勢集まるようだ。
気になったのは社殿の脇に建っている金毘羅の石碑三塔。社殿に近すぎて、見る為には社殿に背中を付けないと見る事が出来ない。恐らく金毘羅の碑が先で、後から社殿を建てた時に、間隔を気にせずに立てたのだろうか?
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遠野不思議 第六百二十四話「西門舘の八幡宮」
http://dostoev.exblog.jp/10353686/
2009-02-14T10:53:00+09:00
2011-11-17T09:22:45+09:00
2009-02-14T10:54:20+09:00
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遠野各地の八幡神社
綾織の西門舘跡は、鏑木山の突き出た峰の上にあり、阿曽沼の家臣である鵢崎右京の舘と伝えられており、そこに鎮座するのが「遠野物語拾遺50」にも記載されている八幡の祠だ。
戦時中、遠野では八八幡掛けというものが流行り、武運長久を祈ったのだが、その八幡神社の一つが、この西門舘の八幡宮でもある。
山にある神社の大抵が、岩が乱立する地に建立されているというのは、元々磐には神が降りるという意識があった為なのだろう。この八幡宮の鎮座する地にも、岩がゴロゴロとしている。
戦神と、地元の古老は言う。天照を中心に、向かって左に春日大社。右に八幡神となる。春日大社の祭神には武甕槌命と経津主命がおり、八幡と並んでいるのも、戦神と言われる由縁だろう。八幡神の発生は違うものではあったが、様々な要素が結び付き、確かに戦神といわれても当然ではある。
御神体である、二神が踊っている?ようにも見える懸仏。]]>
遠野不思議 第四百八十四話「熊ノ林八幡神社」
http://dostoev.exblog.jp/7028806/
2007-12-10T06:45:59+09:00
2007-12-10T06:45:59+09:00
2007-12-10T06:45:59+09:00
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遠野各地の八幡神社
熊ノ林にあり、八幡堂とも呼ばれる。早池峰神社再建の時に、その残財を
もって建立されたのだと。祭神は八幡神で、早池峰神社の遥拝殿を兼ね
備えたものだと云う。
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遠野不思議 第三百三十八話「深山八幡神社」
http://dostoev.exblog.jp/4859106/
2007-03-15T11:09:23+09:00
2007-03-15T11:09:23+09:00
2007-03-15T11:09:23+09:00
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遠野各地の八幡神社
戦争中、兵隊に行った家族が、毎月の15日に八つの八幡神社を拝んで回る
というのが流行ったらしい。それを「八八幡かけ」といったらしい。地域によって
回る八幡神社は違うらしいが、最後は遠野の町へ来て、遠野八幡宮・多賀神社
そして神明神社で終わったそうである。
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遠野不思議 第百四十五話「下関の八幡神社」
http://dostoev.exblog.jp/1620135/
2006-04-05T09:00:00+09:00
2014-11-06T06:49:17+09:00
2006-04-05T09:00:58+09:00
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遠野各地の八幡神社
「起源詳らかならざるも里俗古より『大、若しくは基』八幡古戦場の跡、
石矢の基あり、今より明治十年神仏分離の際、二間四方のお堂で
古来大蛇が棲んでおりし、当時の別当は関田の丑館なる法印にして
常楽院と曰う。阿曽沼時代、菊池成景の居城なる臼館と丑館と大八幡
と関係あるに非ざるや。」『大八幡由来記』(略記にて)
昭和年に御神体が盗まれ、後に地元の方によって購入されたと云う。部落で買って祀っているものは、馬の御神体と小型の法螺貝に、大八幡様の由来が書いてある木の枝なそうだ。]]>
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