不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-:遠野各地の不地震地帯&要石
2023-11-18T21:11:16+09:00
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遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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遠野不思議 第九百二十五話「鍛冶ヶ沢時洞(ときんぼら)の行灯森」
http://dostoev.exblog.jp/32717217/
2022-06-23T06:10:00+09:00
2022-06-23T06:15:27+09:00
2022-06-23T06:10:27+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
伊能嘉矩「猿ヶ石川流域に於ける不地震地帯」に記される一つが、小友町の鍛冶ヶ沢 土名「時洞の行灯森」。恐らく平成初期の頃に小友町老連によって建てられた標柱は白地に黒文字で「鍛冶ヶ沢の不地震地帯」と記されてあった筈。それがすっかり風化し、文字が見えなくなった上から「あんど森」と書いたようである。その標柱の脇には、鍛冶ヶ澤と記されている。伊能嘉矩「猿ヶ石川流域に於ける不地震地帯」によれば、「丸森といへるの麓なる山林内に在りて、人工を加へられし不整楕円形の土塚をなし、南北の方向を取り周囲三百四十八尺高さ十七八尺頂部に高さ二尺余の自然石(石灰岩)を据え、根元の深く地下に入れる形迹がある共に、古来地震のせぬ所と伝へられる。」とある。鹿島神宮の要石は地中深く埋められており、掘り出すのは難儀であると共に、災害を恐れて掘り出すのを止めた筈。しかし、この鍛冶ヶ沢には現在、それらしき石は無い。「遠野今昔 第二集」佐藤和蔵「巌瀧神社と周辺の神々」には、こう書かれていた。「忠魂碑は大正六年秋、柴橋部落字鍛冶ヶ沢に産せる"神石"をしゅ羅状の橇にて各区の労力奉仕を以って、想像に絶する苦難の末、十数日の日時をかけて漸く神社境内に搬入す。遠野町新町、石工棟梁土沢新太郎氏の手によって碑文刻まれ、碑の一字完工をみる日…火を発して」と火災があったようだ。その後に焼けた碑面を二寸ばかり削って碑文を刻み直し、大正七年に完成したそうである。ところで、この石が鍛冶ヶ沢の神石であるというのは、どういう事だろうか。恐らく、鍛冶ヶ沢の行灯森の石を持ってきたと解釈した。伊能嘉矩の本には二尺余りの石灰岩、つまり大理石のようなものだろう。それが二尺余りを残して地中に埋まっていたものを掘り起こしたという事だろう。
この巌龍神社には、いろいろな神社が合祀されている。ならば鍛冶ヶ沢の神石を運んで祀ったという事もまた、一つの信仰の合祀であろう。]]>
遠野不思議 第七百三十八話「土渕の不地震地帯(シャウヅカ森)」
http://dostoev.exblog.jp/19692833/
2013-06-02T11:35:59+09:00
2013-06-02T11:36:33+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
伊能嘉矩「遠野史叢」によれば「南は明神澤北は寺澤の間に介在し人工を加へられし圓き土塚をなし周圍約百三十尺高さ約十尺更に外方に低き土壇を周らし且西部に細長き平壇を附属し頂部に高さ三尺余の自然石を据え古来地震のせぬ所と傳へてゐる。」とある。
伝えられる自然石は、画像の様に地面から生えているような感じだ。こうして不地震地帯を回って見ると、その殆どが神域・聖域のようで、それに絡んでくるのは天台宗のようである。実際に、このシャウヅカ森の一帯も、古来は天台宗の寺院があったと云われる。
このシャウヅカ森だが昭和54年発刊「土渕教育百年の流れ」によれば、「右手に三角の山を見る。それが無地震の山で…。」とあり、実はこの表現で当初は、見た目が尖った三角形の山の頂まで登ってしまった…。]]>
遠野不思議 第五百五十三話「大野の不地震地帯(糠森)」
http://dostoev.exblog.jp/8498563/
2008-06-29T08:04:00+09:00
2022-06-16T18:28:51+09:00
2008-06-29T08:04:46+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
四面畑をめぐらし、不整楕円形の塚形で、周囲672尺、西辺の頂部に古桜ありとあるが確認せず。また東側に自然石あり周辺に石塊を集積すとありも確認せず。この地域では神塚と呼ばれ、地震の来ぬ安全地帯と信じられている。詳しい調査確認は後ほど。]]>
遠野不思議 第五百五十二話「花輪の不地震地帯(陣ヶ森)」
http://dostoev.exblog.jp/8493789/
2008-06-28T17:17:00+09:00
2022-06-23T05:09:18+09:00
2008-06-28T17:18:07+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
この花輪という地名は現在明らかでないとされるが、多分その花輪とは写真の陣ヶ森を差すのだろうという見解になっている。この地は古くから避難所として周辺地域の人々が語り継がれた地であるようだ。
花輪の不地震地帯は、芦立南岸の台地続きで、岩石ところどころに露出し、古来より地震が来ぬ地と呼ばれているそうだが、この陣ヶ森の上部は整理され現在、共同墓地となっている為、古来からの面影は無くなったという事である。]]>
遠野不思議 第五百五十一話「駒木の不地震地帯」
http://dostoev.exblog.jp/8491850/
2008-06-28T10:43:00+09:00
2008-06-28T10:58:52+09:00
2008-06-28T10:43:51+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
駒木の不地震地帯の森には、人為的に作られた不整楕円形の土塚が築かれて
長四尺の石の自然石を埋め、古来地震が来ぬとされている。今では藪に覆われ
ているが、石だけは確認できる。また近くの海上地区にある、地の神を祀る地の
石も何か関連があるのでは?という事らしいが…。]]>
遠野不思議 第四百十六話「鍋石の安堵森」
http://dostoev.exblog.jp/5838027/
2007-07-09T09:21:00+09:00
2023-11-18T21:11:16+09:00
2007-07-09T09:21:04+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
この集落では、昔から地震の来ぬ処として、安堵森と呼ばれ伝えられている。畑の中にあり、土盛られた小さな丘陵で、頂部には自然石がゴロゴロある。ただし、雑木お雑草が生い茂りその石を隠している状態だ。]]>
遠野不思議 第三百六十四話「大出の不地震地帯」
http://dostoev.exblog.jp/5360293/
2007-05-12T10:25:44+09:00
2007-05-12T10:25:44+09:00
2007-05-12T10:25:44+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
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遠野不思議 第三百十九話「岩崎の不地震地帯」
http://dostoev.exblog.jp/4720702/
2007-03-01T11:38:00+09:00
2007-03-02T11:53:44+09:00
2007-03-01T11:38:04+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
早瀬川の畑の中に大小二基の円形の積石の塚があったといい、古来からここは
地震の来ぬ処と伝えられていた。
塚の構造は、早瀬川の川石で地面に丸く基礎を造り、その上に川石を積んだも
ので、その上に登ったり腰をかけたり、汚したりすると事は禁じられていた。
伊能の「遠野史叢」では上郷に二箇所、不地震地帯を紹介しているが、実のとこ
ろ不地震地帯と呼ばれる場所は上郷に5箇所もある。避難の森が雛の森、安堵
の森が安堵森という転訛&転化はあれど、昔は火事と地震に対する恐怖は当然
あったわけで、各部落単位にそういう不地震信仰が創られたのかもしれない。
そしてもう一つ考えられるのは、中世に築かれた”館”。最近、後の日本における
様々なオカルティックな思想というものの下地が、中世に確立したようであり、感
覚的に近世と中世は陸続きのように皆、思いがちだけど、実は中世という時代は、
今の自分達の感覚とはまったく異なった世界が展開されていたようなので、まさに
中世は、まだまだよくわからない“暗黒時代”みたいなもの。古代史の延長上にある
中世は、簡単には紐解けないが、古代よりも文献が手に入るので、まだ引き寄せら
れるものがある。
だから”館”そのものの成立思想をもっと掘り下げて検証すべきなのだろうと思う…。
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遠野不思議 第三百十二話「時洞の安堵森」
http://dostoev.exblog.jp/4698109/
2007-02-26T16:17:04+09:00
2007-02-26T16:17:04+09:00
2007-02-26T16:17:04+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
昔から地震の来ぬ処と伝えられているが、由来を知るものは誰もいない…。]]>
遠野不思議 第三百六話「清水川稲荷不地震地帯」
http://dostoev.exblog.jp/4676626/
2007-02-23T20:13:54+09:00
2007-02-23T20:13:54+09:00
2007-02-23T20:13:54+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
其の位置四方に田畑を周らせる丘陵で全部巨大な花崗岩より成り、
原と此岩石を認て信仰上の対象となせしより石神の名称が起こった
らしくおもわれる。
此処に稲荷を勧請した理由は詳かならぬが、遠野郷前領主阿曽沼
時代、天正年間(1572~1592)に其の家家臣板沢平蔵の知行で
あるから之が勧請だろうという事で、しかも此の境内の神域は古来
地震のせぬ所と傳えられる。 「遠野史叢」
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遠野不思議 第三百四話「ひな森の不地震地帯」
http://dostoev.exblog.jp/4672546/
2007-02-23T05:18:02+09:00
2007-02-23T05:18:02+09:00
2007-02-23T05:18:02+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
昔、あるお姫様が3月3日に雛遊びやカマッコタキをした場所で、この地は
古来から地震で揺れないと伝えられている。また朝日巫女が常に所持して
いたオシラ様も、巫女の死後ここに一緒に葬ったとも伝えられる。]]>
遠野不思議 第百二十四話「遠野不地震の森の説(遠野要石)」
http://dostoev.exblog.jp/1338569/
2006-03-20T17:31:00+09:00
2019-07-13T19:36:23+09:00
2006-03-20T17:31:48+09:00
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遠野各地の不地震地帯&要石
鎌倉時代の伊勢暦に地震蟲の想像図が掲載されている。頭を東にして尾を西に向けている10本足の姿。両目には日と月を備えており、5畿7道を背の上に乗せ、鹿島大明神(タケミカツチノミコト)の威霊を表す要石で頭部を抑える様である。要石は土中に大鯰がいて地面を揺らすのだが、これを力自慢のタケミカツチノミコトが要石を釘の如く打ち付けたものとしての信仰に由来するものみたいだ。
昔は火山の噴火に伴い、火山性地震も多発したらしく、地震を抑える為としての発想から誕生したのが要石というのは納得できるものではある。地震列島日本としては、地震を抑える信仰はどうしても必要なものだったのだろう。ところで遠野には不地震の森の伝説があり、各13箇所定まっていたらしい。ただ、現在では、それらの場所を確定するのは難儀の一言となっている。そう、誰に聞いても殆ど知らないのだ。つまり、自分で探さないといけ。これは、一生の作業になってしまうかもしれない。]]>
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