遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:年越しの祓の女神( 6 )

年越しの祓の女神(其の六 結)

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「古事記」の成立は、和銅五年(712年)となるのだが、菊理媛神の登場するくだりは、取って付けた感がある。つまり、菊理媛神のシーンは無くとも話は繋がるのだ。死の穢れの黄泉の国で伊弉諾は、腐乱した伊邪那美を垣間見、穢れた黄泉津醜女に追いかけられ、命からがら逃げ出し、千曳岩で現世と黄泉の国を塞いだ後、中津瀬で穢祓をした。ある説では菊理媛神が穢祓を奨めたのだろうというのがあるが、恐らく既に伊弉諾は状況から、穢祓をしなければとわかっていた筈だ。恐らく菊理媛神の登場する、黄泉の国の黄泉平坂のシーンは、後世に追加されたシーンであったろうと思う。

何故なら白山の祭神が菊理媛神だと、何の脈絡も無く唱えたのは、室町期に成立した吉田神道であるが「古事記」そのものの写本も室町期からのものが伝わっているという。つまり、室町期に「古事記」の新たな編纂が成されたのでは無かろうか?

また「古事記」での穢祓のシーンで右目を洗い月夜見命が誕生し、左目を洗い天照大神が誕生するのだが、星の宗教と云われる天台宗にも、左目は太陽を意味し、右目は月を意味する教義が存在する。道教とも融合している天台宗であるから、この「古事記」にも天台宗であり道教にも通じる記述がいくつかあるのは、室町期に天台宗の教義に合わせて「古事記」が編纂された可能性も否定できないだろう。要は、菊理媛神の「くくり」とは「八十一の理」である天台宗の星の曼陀羅の真理を表す存在として作られた女神であり"真理へ導く者"としての女神であったのだろうと考える。
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菊理媛神が真理へ導く者であるならば、その真理とは何か。それは北斗七星と繋がる妙見信仰であったろう。そもそも本来は北辰である北極星が妙見信仰であったが、それがいつしか混同され北斗七星信仰が妙見信仰であるとなったのは、古代中国から伝わる北斗七星が、人の生死を司る存在であったからだろうと考える。

「遠野物語」において、山の神がやはり人の生死に関わる存在であるのは、天に近い山とは、その影響下にあると考えられたのだろう。早池峯信仰の構造そのものが天台宗の星の信仰に重なるのは、現世に星空を体現するのは山でしかなかったからだろう。いや天に聳える山は、そのまま天と思われていたのかもしれない。何故なら里山と違い早池峯などの高山は、まず人が登る事が無かったのは、登る事自体が天を汚すものと考えられていたようであった。その山の神の棲む早池峯に天台宗は、星の思想を散りばめた。実は、早池峯の女神である瀬織津比咩は、羽黒権現であるのだが、その羽黒の地に建立された五重塔の内部も北を重視し、妙見を祀っている。羽黒の信仰の根幹も妙見であるようだ。
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天台宗の星曼陀羅に描かれている北斗七星の女神一人は、地上に瀧と共に降りて、人と語らっている。瀧は、水の発生の根源であるとされ、水無くしては人は生きられぬ。その北斗七星の信仰が早池峯と瀧の女神である瀬織津比咩と結び付いたのは、必然であったのだろう。
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室町時代に成立した「日本書紀纂疏」に、星に関してこう記述されている。

然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と
為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と
曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、
春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為
す。日分かれて星となる。

故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること
明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。


金は、古代において金属の総称であった。黄金・白銀・黒金・青金・赤金と、様々な金属に色を付けて分類している。火之迦具土神を産んで、伊邪那美は死に黄泉の国と向かった。そして、伊弉諾は十拳剣で火之迦具土神を切った事により、金の気が散ったのだろう。黄泉の国は根の国・底の国と同じ、陽の当らない暗闇である。「大祓祝詞」においての「根の国・底の国」は、海の底の陽の当らない暗闇のイメージが浮かぶのだが、山には多くの竜宮信仰があるように、その海と山は繋がっていると考えて良いだろう。そして、それはあくまでも山の内部であり、洞窟などもその入り口となる。現実に、山は多くの鉱物を内包する。その鉱物とは金であり、それは「天(海)あま」から降ってきたものなのだ。

海から発生した水蒸気が雲となり、山の上にかかって雨を降らせる。その雨を山は蓄えて、ゆっくりと人里へと流してやる。また天から降ってきた流れ星などもまた山に含まれて鉱物になると考えられたのは「日本書紀纂疏」で記した通り。その鉱物の発掘が修験と結び付き登場したのが、金剛蔵王権現とも云われる。修験の祖と呼ばれる役小角は、金剛蔵王権現象を桜の木に彫った。「サクラ」の「クラ」とは「陰」の意があるのは、地中に隠された存在である鉱物をも意味しているのだろう。それ故なのか、遠野の白望山裏にあるタタラ跡に鎮座する大山桜と、貞任山の入り口に鎮座する大洞大明神とも云われる山桜など、採掘・治金などに関係する場所に山桜が咲くのは、やはり修験の関係からだろう。
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そして、罪や穢れを祓う水は、また鉱物の泥を流し、小石と鉱物とを仕分けるものでもある。水と桜の関係は、そういうところにも見え隠れする。それ故に、水神でもある瀬織津比咩に黄泉の国の匂い、黄泉津大神となった伊邪那美の匂いがするのは、琵琶湖の桜谷が黄泉の国と繋がっているものと同じだろう。白山に伊邪那美が祀られているのは、白山という山の内部に潜む…つまり黄泉津大神としての存在からだ。その黄泉の国の穢れであり、汚れを祓う水の女神が瀬織津比咩であるのは、神仏分離の際に遺棄されそうになった「白山大鏡」から読み取れる。白山に祀られる菊理媛神が真理へ導く者であるなら、それは伊邪那美→菊理媛神→瀬織津比咩というラインが出来上がるのだが、何故か世の中からは瀬織津比咩の姿がが消えてしまっている。

岩手県に瀬織津比咩が運ばれてきたとわかっているのは、養老年間に紀国熊野からである。早池峯の神社は大同元年で、坂上田村麻呂による蝦夷征伐の後の建立である。その後に天台宗の管理下となり、恐らくそこで妙見信仰と結び付けられたのだろう。穢祓の神としての瀬織津比咩は、天智天皇時代に「大祓祝詞」の舞台として琵琶湖周辺が描かれてのものであろう。しかし、京都に広がる七瀬の祓所の信仰は、確かに宇治川の源流である琵琶湖と結び付くのだが、それよりも比叡山延暦寺の存在が大きかったのだと思う。「歓心寺縁起実録帳」によれば比叡山は本来"北斗七星降臨の霊山"として伝わり、それから北斗七星の北斗踏みの呪術と七瀬の祓所が結び付けられたのだろう。
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実は、天台宗の星曼陀羅は、仏教的には吉祥天と結び付くものだ。吉祥天は蓮華の精でもあり、だから早池峯の三女神信仰には蓮華の奪い合いの伝説が伝わっている。しかし、その吉祥天の色合いがより強く表されているのは、早池峯では無く姫神山であろう。北方鎮護として坂上田村麻呂と結び付けられた毘沙門天の妻は、蓮華の精である吉祥天である。岩手三山の伝説には、岩手山・姫神山・早池峯山の三つの山が様々に語られているが、男山である岩手山に、坂上田村麻呂と毘沙門天が結び付けられ、その妻として相対する姫神山に瀬織津比咩が祀られた。その瀬織津比咩が、早池峯と姫神山とは別の流れから各々の山に祀られた為に、岩手三山の伝説は、曖昧模糊と変化して伝わったのだろう。つまり、岩手山と姫神山での瀬織津比咩は、北方鎮護としての存在であったのだろう。平安時代作の、姫神山に祀られた姫神像には、瀬織津比咩の威光というより、吉祥天の慈愛の心が刻まれているようだ。
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しかし、北方鎮護であろうが妙見信仰であろうが、全ては北に鎮座する女神としての瀬織津比咩であった。大迫の早池峯神社からは北に位置しない為に、遠野早池峯神社を向け祈る様に建てられたのは、あくまで早池峯が北に鎮座しているという存在として祈る為であった。岩手県の瀬織津比咩を祀る殆どの神社が、早池峯より北に位置しないのは、早池峯に向かうという事は、北に輝く北辰であり北斗七星を拝むかのように瀬織津比咩を拝む為であった。それは早池峯という山そのものが天界であるという意識の元に開かれた信仰の為であったのだろう。そしてもう一つは、早池峯の位置と構造そのものが、天台宗の教義に適ったのが大きいのであったのだろう。それは岩手県で一番高い山は岩手山でありながら、その岩手山よりも低い早池峯の方が信仰圏が広いのは、天台宗最大の秘儀とされる尊星王に適応したからなのだと考えるのだ。早池峯神社は当初天台宗が支配したが、その後に真言宗と変わった。次の機会には真言宗と瀬織津比咩との関係を書き記そうと思う。
by dostoev | 2014-01-16 20:51 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

年越しの祓の女神(其の五)

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「サクラ」は「神の霊」の意の「サ」と、「蔵・倉・磐座」という居場所を意味する「クラ」から成り立っているというのが一般的解釈である。しかし、縄文語で「クラ」とは「陰・影」を意味している。例えば、貴船神社や丹生川上神社上社に祀られる「闇龗神」の「闇」は「クラ」と読み「谷合」を意味するが、それもまた「影」の意でもある。

役小角は、桜の木に金剛蔵王権現を彫り、それから金剛蔵王権現の象徴が桜の木となった。金剛蔵王権現は垂迹であり、本地は弥陀三尊と云われる。しかし密教系では弥陀三尊は日・月・星の三光信仰でもあるが、それは日と月を結びつける事により「明」となり「明けの明星」でもある金星であり、太白でもある。しかし、それとは別に北斗七星という別の摂理にも繋がる。そもそもこれは天台宗の表向きの摂理であるが、何故に金剛蔵王権現を桜の木に彫ったのかは、その桜に潜む影があったからに他ならない。桜の女神として木花開耶姫が祀られる場合があるが、本来は火中出産を果たした木花咲耶姫は「粉の花」であり「火の粉」を意味する女神であった。本来の桜の女神とは、陰の存在であり、死の匂いがするものでもある。
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美しい花が咲き誇る桜だが、桜は人の穢れを吸い取る存在でもあった。吸い取った穢れは、地中に張った根を通して川に流され海へと注ぎ、黄泉の国へと流される。「大祓祝詞」の舞台である琵琶湖の桜谷であり、佐久奈谷が何故、黄泉に繋がる伝承があるのかは、その為でもあった。桜は、修験のシンボルでありながら、黄泉の国へと繋がる一里塚でもあったのだ。黄泉の国と現世に繋がる黄泉平坂において、菊理媛神は伊弉諾を導く為に修験の理を告げた。その理とは、曼陀羅の真理であったろう。
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天台宗に伝わる尊星王供は、最高の秘法とされている。尊星王とは北極星の神でもある妙見菩薩でもあるが、通常での仏教が太陽を以て万物を摂する大日如来と呼ぶのに対して、ここでは太陽を北極星に置き換えて尊星王と呼ぶ。その姿は陰陽道と重なった時は太白である金星となったりと、千変万化となっている。画像は、その尊星王の曼陀羅となるが、青竜の上に立つ尊星王の姿だが、その青竜は北辰、北斗七星の姿であり、しばしば九頭龍となって降臨し水を守護する存在でもある。またその姿も下記の画像の様に、雨乞い観音としても表される。
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尊星王は龍に乗っているが、周囲には虎、象、白狐、豹が尊星王を護る形で廃されている。これは「熊野権現縁起」「熊野の本地」に繋がるものだ。
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「熊野権現絵巻」は近世にかなり制作されたが、その大元は民間宗教者によって唱導されていたものであったようだ。そしてその根幹は、山の神とその使いの介入であり、それが天台宗の秘法と結び付いてのものであるのは疑いの無いものだろう。そしてその「熊野の本地」と共に伝わっているものに「秀衡桜」なるものがある。秀衡とは奥州藤原氏の藤原秀衡であり、その秀衡が桜を命の指針として手にし、山の神の加護を手に入れると言うもの。桜を折って地面に差し、それが成長する話には弘法大師などの伝承もあるが、桜が修験の象徴であり、それに命をの重さが重なるのは、金剛蔵王権現の金剛が北斗七星であり、その北斗七星は人の生き死にに関わるものとの融合からであろう。
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以前、台湾旅行をした時に、ある川に「七曲りの橋」というものがあった。道教思想に則ったその橋は、七つの曲がり角で厄を祓うと説明していたが、それはそのまま北斗七星信仰と結び付くものだろう。そして京都に伝わる七瀬の祓所も同じ道教の影響を受けているものであるだろう。台湾の川にかかる七曲りとは、瀬を折ったもので一つの瀧であると聞いた。七つの段差は、七つの瀧であり、その滝が身を清め穢れを祓うのは、道教での北斗踏みの呪術と同じである。恐らく七観音信仰も、この道教の影響を受けて成立したものであるのだろう。遠野の七観音信仰にも、一つ一つ井戸があってその水で翰音を洗い清めた事からも確かであろう。ここで桜と北斗七星が重なって来るのを理解できる。西行の足取りと桜の歌を読み取っても、吉野の桜と奥州の桜が結び付き、それは熊野へと帰結している。西行は「サクラ」という陰に潜んだ神の霊に惚れていたと言っても過言は無いだろう。それは親鸞の夢告から始まった女犯偈の思想を受け継いだ天台宗などの密教世界に通じている西行と考えた場合は、当然の宿命であったろう。
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竹田和昭「曼陀羅の研究」によれば、紫微宮に六柱の女神がおり、それは北斗七星の七つ星の中の六星を意味し、残りの一星の女神は地上に降り、人との対話を果たしているという。これらの星の曼陀羅の中に、山王曼陀羅もあるのだが、星の輝く天界は山の頂で表され、その中枢に紫微宮があり、人間との結び付きは、その麓となる。此の形を見て思い出すのは、早池峯の姿と重なる。以前は女人禁制であり、修験の者以外はまず早池峯の山へと登る事は無かった。今でこそ、車である程度行ける又一の滝でさえ、人里離れた山奥の滝であった。その又一の滝は恐らく「太一の瀧」として名付けられたものが、その音だけが残り「またいちのたき」として語られ、後からその所以が作られたのだと考える。その又一の滝が太一の滝であるならば、そこは星曼陀羅の中枢である紫微宮に相当するのだろう。何故ならそこには人里との繋がりを果たす、水の発生源の滝があるからだ。

「熊野権現絵巻」の熊野権現そのものは、抗議的に那智の瀧を意味する。熊野においての瀧が神の御神体であるのは、遥か遠い昔から伝わる揺るぎ無い事実である。「年越しの祓の女神(其の一)」で書き記したように、白山・早池峯・熊野は三位一体の関係である。そこには北斗七星の信仰が水の穢祓と結び付き、桜を媒介として秘せられた神の名がそこにある。一命"瀬織津比咩"、遠野の北に聳える早池峯の山の神であり瀧神であり、穢祓の女神、その一柱の神である。
by dostoev | 2014-01-15 18:03 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

年越しの祓の女神(其の四)

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桜咲く 四方の山辺を 兼ぬるまに のどかに花を 見ぬ心地す(西行法師)
「桜の咲いている四方の山をあちこち見ていると、のどかに花を見る気分だけではすまなくなるものだ」


桜を愛でた西行であるが、その桜をただただ愛でるのではなく、その桜を通しての信仰を意識している歌であろう。西行が初めて意識した桜は、吉野の桜であろう。その吉野の桜は、役小角が金剛蔵王権現像を桜の木に彫った事は、密教に携わる西行であろうから、じゅうぶん意識していた事だろう。
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能に「西行桜」という作品がある。作者は金春禅竹と云われるが、本当はどうも世阿弥ではないかとされている。その世阿弥「風姿花伝」の著作の中に於いて「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と言っているが、西行の歌とは仏師と同じだとされている。仏師が仏像に、理の魂を込めるのだが、西行もまた歌に理の魂を込めている。いや、秘していると云われる。世阿弥は西行の心に触れて「西行桜」を作ったのかもしれないが、その「西行桜」には桜の精が登場する。

花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける

この西行の歌に世阿弥が解釈を付けたのが「西行桜」であろうが、その「桜のとが」について桜の精はこう語る「桜を見るのは人の心次第であって"非情無心"の草木の花には関係のない事。」これはつまり、神と同じに桜には罪や穢れの無い存在である事を意味する。そして明け方近くになった時に「花の影より明け初めて…。」「白むは花の影なり…。」と、花の影を二度強調する。そう世の中は陰と陽の二つがあり、そこに五行が絡むと云う陰陽五行の哲学が入り込んでいる。これは神道と仏教の融合である、本地垂迹と同じでもある。花とは桜であったが、秘すれば桜でもある。桜は人の心を魅了する春を代表する花ではあるが、その桜花にも影がある。その影を秘して知るからこそ西行は、初めに紹介した歌の様に「のどかに花を 見ぬ心地す」と詠い、そこには桜花の咲く山に対する意識があったのだろう。
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役小角が、桜の木に金剛蔵王権現象を彫ったようにまた西行も、桜の理を歌に彫り刻んで行った人生であった。西行の歌は、ただ耽美的な歌では無く、信仰に裏打ちされた理が秘せられていた。その理を知っているからこそ、吉野の桜と奥州の桜を間に立って、結びつける事ができたのだろう。"あたら桜のとが"は、人を魅了する美しさではあるが、桜そのものにはその咎は無い。むしろ人の咎を吸い取り浄化するのが桜であった。古代には、子供が生まれれば、庭に桜を植える習慣があった。桜の寿命は人間の寿命に近く、その子供が成長するにあたって、病気や怪我をした場合、代わりにその病気や怪我を吸い取って、水と共に川に流す役割としての桜であった。琵琶湖の桜谷は、黄泉の国と通じているという伝承があるのは、桜が吸い取る罪や穢れ、そして病気や怪我をも吸い取って黄泉の国であり、根の国底の国へと流す役割があるからだ。その入り口が桜でもあった為だろうか、末法思想の蔓延した平安時代に極楽浄土を旅立とうとした人々と同じく、西行が桜の下で死にたいと願ったのは、桜そのものが黄泉の国という浄土の入り口でもあった為だろう。(続く)
by dostoev | 2014-01-11 15:11 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

年越しの祓の女神(其の三)

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岩戸あけし 天つ命の そのかみに 櫻を誰か うゑはじめけん(西行上人集604)

この歌の詞書には「みもすその川のほとりにて」と記されている。西行の時代は、本地垂迹の具体的な理論化が成されていた時代であった。それ故か「高野の山を住みうかれて後、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、大神宮の御山をば神路山と申す、大日如来の御垂迹を思ひて詠み侍りける。」という詞書によって詠われた歌は、下記の通りだ。

榊葉に 心をかけん 木綿垂でて 思へば神も 仏なりけり

大日如来と伊勢神宮に祀られる天照大神は、本地垂迹の関係となる。だから伊勢神宮で御垂迹を思って詠んだ歌は、天照大神に対してのものだ。そして大日如来は太陽であり真理であった。しかし、先に紹介した歌は「みもすもの川の畔」で詠んだ歌だ。「みもすもの川」とは五十鈴川であり、倭姫命が穢祓をした川でもある。その穢祓の川沿いに櫻を植えようとの歌であるが、岩戸神話から天照大神の事を詠っているのか?と思いつつ、陽気の天照大神に陰気を重ね合わせる歌に疑問を覚える。
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西行の歌で一番多いのは、桜の歌か?と思いつつ、実は恋の歌が多かった。次に来るのが桜の歌で、次が月の歌である。そしてその西行が、平泉の奥州藤原氏の元へ行った後に詠んだ桜の歌がある。

花見れば そのいわれては なけれども 心のうちぞ 苦しかりける
(花を見ると理由はわからないが、心が切なく苦しくなってしまう。)


恋の歌の次に多いのが桜の歌であるようだが、恋の歌と桜の歌は重複しているのが多いのだが、ある意味西行は恋多き歌人でもあった。その恋多き歌人の西行だが、この歌は桜の面影に誰かを想う歌なのだと誰しもが思うだろうが、それは果たして人間の女性であろうか?桜の下で死んだ西行は、その願いが成就したのだが、桜を女性に見立てての想いを貫いたのか、はたまた桜に重ねるべく神がいて、その身許に委ねる様に死にたいと想ったのかは謎である。ただ、大日如来と天照大神を重ねた歌には、榊を依代として登場させている。

神路山 月さやかなるかひありて 天下をはてらすなりけり(西行上人集601)

太陽神である天照大神の祀られる伊勢神宮において、太陽では無く月が世を照らすという歌とは、どういう意図からのものであろうか。実は、桜と月に重なる神がいる。月は月の変若水信仰から、天の眞名井の清い水と重なり、穢祓の川と繋がる。その月の使いである兎は、その水の路を繋いで伊勢へと流れる。その川は宇治川であり、兎路川でもあり、それは五十鈴川と繋がる。伊勢神宮の前に渡る橋を宇治橋というのは、その流れが繋がっている為だ。その兎路の源流は琵琶湖の桜谷であり、佐久奈谷の桜明神からのものであった。その流れから「大祓祝詞」が誕生し、その桜明神は佐久奈度神社に祀られ、宇治の橋姫神社にも分霊された。
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西行が平泉にいた期間は、3か月とも1年とも伝えられるが最低でも冬には到着して、桜の咲く頃まではいた筈であろうから半年は滞在したのだろう。2度目の平泉は、燃え落ちた奈良の大仏の寄進の願いで行ったのだが、そこまでの頼みを聞いて貰える間柄となったものには、奥州藤原氏と何等かの共通した意識があった筈と考えるのは無粋であろうか?京都に生まれ、大和の吉野の桜に魅せられた西行であったが、更に心惹かれたのは束稲山の桜に出逢ってからであった。奥州藤原氏の崇敬した神は元々、京都から渡った神であった。その深い縁を感じた西行は、益々桜に惹かれて行ったのだろうと思えるのだ。その為に、この「花見れば そのいわれては なけれども 心のうちぞ 苦しかりける」という歌は、桜の影に隠れる神に恋してのものであったのだろうと考える。
by dostoev | 2014-01-08 15:26 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)

年越しの祓の女神(其の二)

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「古事記」の神話には、唐突に現れて道を示す者がしばしば登場する。それが塩椎神であったり、多邇具久であったり、菊理媛神であったりする。塩椎神は「潮つ霊」「潮つ路」であり、潮流を司る神、航海の神であると云われるが、別に「椎」という文字から「手名椎命・足名椎命」など、蛇との関連を伺わせ、海蛇との説もある。また、多邇具久はヒキガエルの事で、知らない事は久延毘古が知っていると教えるのだが、その久延毘古は案山子であり、蛇でもある。山田の中の一本足の案山子とは、田んぼの守り神であり、田や畑を荒す雀や野鼠を捕食する蛇で、一本足だ。諏訪神は蛇神だが、諏訪の地において争った洩矢氏のシンボルが、カエルになっている。カエルにとってのヘビは天敵であるので、多邇具久と久延毘古の関係もまた面白いものだ。
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ところで、菊理媛神だが、菅江真澄「月の旅路」において「八十一隣姫(くくりひめ)」と記されてた。九九は小学校で習うのだが、その九九の歴史は紀元前8世紀頃の古代中国の春秋時代にまで遡る。菊理媛神の「くく」を「九九」→「八十一」で表現しているのは、語呂合わせの好きな日本の文化だろうと簡単に考えていたが、天台宗にも、その九九→八十一の概念が伝わっていた。
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天台宗の金剛界曼陀羅は、別に八十一尊曼陀羅ともいう。これは、天台宗の慈覚大師円仁が唐から持ち込んだ、八十一の諸尊で構成する曼荼羅だ。小峰彌彦「曼陀羅の見方」によれば、九尊×九尊で八十一になっているのだが、9という数字は奇数であり陽数と云われるもので、表されるものは「天・太陽・男etc」であるが、別に偶数である陰数は「地上・月・女etc」となる。ところが八十一は8+1であり、陽数+陰数であり、陰陽の和合を意味する。胎蔵界曼陀羅を事象的真理とすれば、この金剛界曼荼羅は精神的真理とされている。

八十一隣(くくり)は八十一理(くくり)とする場合もあり、つまり菊理媛神の「理」とは、金剛界曼荼羅と同じく「真理」を意味するもの。つまり、「古事記」の黄泉平坂において突然現れ、伊弉諾に謎の言葉を告げた菊理媛神とは本来"真理"を告げたのだろう。それ故に伊弉諾は、納得した。その菊理媛神は白山に祀られているのだが、遠野のオシラサマは、その白山信仰の影響があると云われている。オシラサマの俗信に「幸せをお知らせする」から「お知らさま」だと云われるのは、桑の木の蚕を教えたからだというが、それは菊理媛神のお告げの影響があってのものだろう。「くくり」は「八十一理」であり、真理であり陰陽の和合を意味する、新たな生命の誕生をも意味する。オシラサマは新たな養蚕文化の誕生をお知らせした。「日本書紀 継体天皇元年三月庚申の朔」「女年に當りて績まざること有るときには、天下其の寒を受くること或り。」と、まさに世の真理、養蚕の重要性を説いている。まさに現人神である古代の天皇と同じお告げを、オシラサマはしたわけだ。(続く)
by dostoev | 2014-01-07 16:32 | 年越しの祓の女神 | Comments(6)

年越しの祓の女神(其の一)

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何ごとの おはしますをば 知らねども かたじけなさの 涙こぼるる(西行法師)

伊勢神宮で、目に見えぬ神に対し、西行が畏れ多さと感動を覚えて涙したという。しかし、皇祖神でもある天照大神は、あからさまな神として存在する。それでは、西行は目に見えぬ何の神に涙を流したのか?その西行の最後の歌がある。

願はくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃

桜を愛した西行は、この歌の通り文治六年(1190年)2月16日に没した。その西行は、何故か二度も平泉を訪れている。その影響からか、平泉では「西行桜の森」として、大山桜をはじめ100種3000本余りの桜を植え、その当時の桜森を復活させている。それだけ西行と桜の縁が強いものと万民が認めている事からのものであった。西行がみちのくへの旅を思い立ったのは、歌僧能因の跡を辿る事に加え、同族である奥州藤原氏を慕っての事であったという。初めての平泉は厳冬であり、一冬を過ごして桜の咲く頃まで過ごしていた。西行の歌は、耽美的な歌が全編を占めているのだが、先に紹介した伊勢神宮を目の当たりにしての歌が、異色である。桜を愛でた西行が、伊勢神宮の神に対して何を感じたのか。実は、ある一柱の桜の神が伊勢神宮にはいた。その神は、奥州藤原氏も信仰していた神であった。
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平泉を訪れた人はわかるだろうが、有名な国宝でもある金色堂とは別に、入り口に大きな茅の輪が飾られ、そこを潜ると穢祓となるという存在感を示す神社は、白山神社である。穢祓の能力から、白山神社の本地仏は十一面観音となる。平泉では古来から「白山權現ハ中尊寺一山ノ鎮守也」と伝わる。その平泉の白山神社は、福井県に鎮座する平泉寺白山神社からの影響により命名されたようだ。実際に奥州藤原氏は平泉寺白山神社に対して、かなりの寄進をしている。また曹洞宗大本山である永平寺は、白山権現を永平寺の守護神・鎮守神としており、毎年夏には永平寺の僧侶が白山に参詣して奥宮の前で般若心経を読誦するのは、神道における夏越の祓と同じである。
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その白山を鎮守神とする曹洞宗の本山で祀られる権現があるのだが、三位一体を成しているのは、白山妙理大権現・早池峯大権現・熊野大権現である。ところで白山に関しては吉田神道が白山比咩は菊理媛神であると神祇官を通じて広められ現在に至っているが、何故に菊理媛神となったのかはわかっていない。その菊理媛神は黄泉平坂において唐突に現れた女神であり、伊弉諾に対して何かを告げた。それに対して伊弉諾は、それは良い考えだと頷いた事から、一つの道を説いたのだろう。似た様な話に、山幸彦に道を説いた塩椎神が居り、また大国主に進言した多邇具久がいる。これら塩椎神や多邇具久も菊理媛神も唐突に登場するという共通点がある。これらをもう少し詳しく展開してみようと思う。(続く)
by dostoev | 2013-12-31 22:32 | 年越しの祓の女神 | Comments(0)