遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
画像は、いいですよ。ちな..
by dostoev at 18:15
あぁ、行っていたのですね..
by グッドスノゥ at 10:49
グッドスノウ氏…勝手な思..
by dostoev at 06:44
 お久しぶりです。 ..
by グッドスノゥ at 13:50
さっと氏、思うのですが、..
by dostoev at 10:51
そもそも猫に限れば、猫ま..
by 鬼喜來のさっと at 21:13
関白豊臣秀次は気仙の館主..
by 鬼喜來のさっと at 20:36
丁度祇園祭の時期なんです..
by 鬼喜來のさっと at 20:13
そう言われてしまうと困る..
by 鬼喜來のさっと at 19:15
なんか、全て陰陽五行で説..
by dostoev at 05:20
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:「遠野物語拾遺考」280話~( 2 )

「遠野物語拾遺280(鴉呼ばり)」

f0075075_17223780.jpg

鴉呼ばりと言うことも、小正月の行事である。桝に餅を小さく切って入れ、まだ日のあるうちに、子供等がこれを手に持って鴉を呼ぶ。村のかなたこなたから、鴉来う、小豆餅呉るから来うこ。と歌う子供の声が聞こえると、鴉の方でもこの日を知っているのかと思われる程、不思議に沢山な鴉の群がどこからか飛んで来るのであった。

                                   「遠野物語拾遺280」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カラスに餅を投げる習俗は、例えば遠野市青笹町の郷土史である「ものがたり青笹」にも紹介されている。やはり小正月に「カラス、カラス、あんころ餅けっからこうこう。」と歌って、餅をカラスの方へ投げると、その年は良い事があるとされていたようだ。つまり、カラスに向って餅を投げるのが大事で、その餅をカラスがキャッチするかしないかは、重要ではないようだ。
f0075075_1982493.jpg

カラスを有名にしたのは、やはり熊野神社だろう。牛王宝印でもある起請文の文字は、カラスで描かれているのも、庶民受けする要因だったのではなかろうか。そのカラスは「古事記」において、神武天皇を導くよう天照大神が遣わした鳥でもある事から、太陽と結び付けられる。そして餅は正月に鏡餅として飾る事から、鏡の代わりともなる。その鏡の本来は、太陽では無く月を意味する事から、太陽の使いであるカラスに餅をあげるというのは、陰陽の和合を意味するのかもしれない。陰陽の和合とは、要は水と火の結び付きを意味する。「ものがたり青笹」でカラスに餅を投げる事によって良い事が起きるのは、農事についての事らしい。つまり、豊かな水と太陽の暖かさがあってこその、五穀豊穣となる。その民間の呪術が、太陽神の神使のカラスに餅を投げる事なのだろう。
f0075075_191146100.jpg

「カラスの行水」とは、入浴時間の短い事の例えになっている。それとは別に、カラスに代わって女性が水垢離する「カラス垢離」という習俗がある。東京の王子神社は、熊野権現を勧請した神社である。その神社に伝わる「若一王子縁起」には、「烏不浄の物を喰ふ時は王子川にて女水浴すこれを”からす垢離”といふ」とある。昔から熊野三山は浄、不浄を受け入れる地とされ、他の山々とは違い女人の参拝も許していた。だからなのか、その等価交換としてのカラス身代わりなのだろうか?

今は昔の話だが、遠野市小友町の五輪峠を越えると、奥州市に入る。そこに、遠野の人達から”鴉神社”と呼ばれる熊野神社がある。なんでも婦人病や安産に効くという事から、小友町の御婦人方は歩いて五輪峠を越え、わざわざ鴉神社まで参拝に行ったそうである。考えて見れば、五穀豊穣も安産も、豊かな実りを期待するものである。それらが広義的に捉えられ、広く熊野神社とカラスが親しまれて来た要因であろうか。また熊野権現そのものも、女性を受け入れる女神であったのも、大きな要因であるかもしれない。
by dostoev | 2015-10-18 19:56 | 「遠野物語拾遺考」280話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺289(よんどりほい)」

f0075075_82212.jpg

翌十六日は、ヨンドリまたはヨウドリと言って、鳥追いである。未明に起きて家の周囲を板を叩いて三度まわる。

よんどりほい。朝鳥ほい。よなかのよい時や、鳥こもないじゃ、ほういほい。

という歌を歌ったり、または

夜よ鳥ほい。朝鳥ほい。あんまり悪い鳥こば、頭あ割って塩つけて、籠さいれてからがいて、蝦夷が島さ追(ぼ)ってやれ。ほういほい。

と唄って、木で膳の裏などを叩いて廻るのである。

                                 「遠野物語拾遺289」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊丹政太郎「遠野のわらべ唄」に、「夜ん鳥ホーイ」という唄が紹介されている。ただし歌詞の内容は若干違っている。

夜ん鳥ホーイ 朝鳥ホーイ

世中のわるいときゃ鳥も無えじゃ

ホーイホイ

あんまり悪り鳥ば

頭わって塩つけで

遠だ島さ ぼってやれじゃ

ホーイホイ

遠だ島に席ぁ無がら

罪獄島さ ぼってやれじゃ

ホーイホイ


ハッキリわかる違いは、世の中が良い時と悪い時の違いと、罪獄島が蝦夷が島となっているのがあからさまに違うという事だろう。どうやら為政者を批判する唄であるようなので「世の中」を「世中」→「夜中」として、為政者に知られないような工夫が施されているようだ。しかし表面的には”害鳥”を追い払う唄として広まったという。これを語っているのは光興寺という地に住んでいる、現在遠野のわらべ唄の第一人者となっているアベエさんが近所の菊池カメさんから伝え聞いた話である。この光興寺は以前、阿曽沼氏が城を築いて支配した為なのか、それを裏切った南部氏を憎む者と、阿曽沼氏そのものを憎む者とが混同する土地でもある。

ところで、罪獄島とはどこかわからないが、これが蝦夷島となれば、北海道であろうというのが理解できる。ところで北海道は鎌倉時代まで、日本の地図には認識されていなかった。義経の北方伝説では、義経は死なずに逃げ延び、まず遠野へと立ち寄った後に沿岸地を北上し北海道へと渡ったというもの。実際に義経が生きていたとしても、後ろ盾となっていた奥州藤原氏が滅亡となっては、もう義経は頼朝の脅威にはならず、例え生きていたとしても何もできない存在であろうと、義経を追う事をしなかったという説もある。ましてや本当の頼朝の狙いは義経では無く、奥州藤原氏の黄金文化であったという説もある事から、どちらにしろ義経が北海道である蝦夷島へ逃げ延びようと、もうどうでも良かったのであろう。
f0075075_16151199.jpg

「遠野のわらべ唄」によれば、遠野に伝わる子守唄とは、歴史を語り伝える唄でもあるという。この「夜ん鳥ホーイ」も含め、「鎌倉のねんずみ」などは、その為政者を揶揄する唄であり、それらは源頼朝の奥州侵略の後に出来たのだとも言われる。

蝦夷島という名称だが、蝦夷地となれば、江戸時代に使用された言葉で、かなり新しい。それ以前は「日本書紀」に渡島という名称で登場している。ところで「夜ん鳥ホーイ」に、気になる箇所がある。「蝦夷が島さ追(ぼ)ってやれ。」というものだが、蝦夷が島が北海道であるなら、唯一思い出すのが、南部氏と安東氏の戦いに於いて、南部氏が安東氏を北海道へと追いやった歴史がある。安東氏とは、安倍一族を祖とする安倍貞任の息子である高星丸を陸奥へと逃がしてから後に改姓して安東氏を名乗ったとある。偽書としても有名な「東日流外三郡誌」には、安倍貞任はひと時の間、息子の高星丸を遠野に囲まったが、その遠野に戦火が近付いて来た為に急遽、津軽へ逃がしたという事らしい。

渋谷鉄五郎「秋田「安東氏」研究ノート」によれば、その南部氏と安東氏の争いは応永(1394年~1427年)の中頃から始まったとされる。南部守行は応永十八年(1411年)に陸奥守に任ぜられ、津軽統一を推し進めたという。そこで邪魔だったのが安東氏であった。その安東氏が十三湊を放棄して北海道へ逃げ延びるまで約三十年の争いが続いたという。「東日流外三郡誌」の秋田氏によれば、無益に血を流すのを好まない安東氏が領土であった十三湊を放棄したのは、その南部氏の執拗なまでの好戦性にあったと伝えている様。その安東氏と南部氏だが、どちらも遠野に縁の深い氏族である。

蝦夷国の代表的な氏族が安倍氏であり、その安倍氏は遠野の土渕を中心に住んでいたと云われる。その後、奥州藤原氏の統治時代があったが、安倍氏と同族の藤原氏であった為に、遠野の民も領主に対して、それ程の不満が無かったというが、その奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされてから、栃木県から阿曽沼氏が代わりに遠野を統治した。しかしその阿曽沼氏も、秀吉の小田原征伐のの後に失墜し、代わりに南部氏が遠野を支配する事になった。その阿曽沼氏と南部氏に対する不満が、わらべ歌に伝わっているという。
f0075075_16583451.jpg

伊丹政太郎「遠野のわらべ唄」は、明治時代を生きてきた爺様の伝えが記されている。そこでは「罪獄島」と伝えられる一方、「遠野物語拾遺289」では「蝦夷が島」となっている。どちらが古いのか、それとも別バージョンとして両方のわらべ唄が伝わっていたのか定かでは無いが、もしも「蝦夷が島」に”ぼったくられたの”が安東氏であるならば、正義は南部氏となり、罪人の一族である安東氏は罪を背負って蝦夷が島である罪獄島へと追われたという想像もつくのかと思える。つまり、わらべ唄の歌詞を「罪獄島」へと変えたのは、南部氏によるものだという可能性もあるのではないかと思えるのだ。実は、平成三年に遠野の古文書などから遠野の歴史を紐解いた大川氏によれば、南部氏はかなり他藩の言い伝えなどを取り込んで、南部藩の権威を強化したようだ。それは、阿曽沼氏が建立した諏訪神社にも垣間見られ、たかが民衆に広まっているわらべ唄であろうが、それを利用しない南部氏では無いのだと思えるからだ。坂上田村麻呂による蝦夷征伐が蝦夷の英雄を鬼退治に変えたという手法を継承したのが、南部氏であったのではなかろうか。
by dostoev | 2013-12-27 17:23 | 「遠野物語拾遺考」280話~ | Comments(12)