遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:月の考( 14 )

欠けた月

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現代では、月の満ち欠けが一般常識となっているが、古代人が欠けた月を見てどう思うだろうか?例えば丸い餠を食べた様な形だと感じるかもしれない。つまり、何かが噛んで欠けたのだと想像した可能性もあるだろう。月に対し丸い餠を供えるのも、満月と餅を重複させたからだ。それでは、その餅を食べたのは誰か?
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古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは「博物誌」を著している。そこに「兎、月を望んで孕み、口中より子を吐く、故にこれを兎という」と記されている。日本の俗信にも、月を見ると妊娠するというものがある。これは満ちた月が、兎の多産さと結び付いたものに加え月の月齢は月経と結び付いているので、欠けている月がだんだんと満ちてくる姿を妊娠した女性の姿と重ねたのだろう。

この月の満ち欠けは、不老不死とも結びついている。月が欠け、新月となるのは月の死を意味し、次第に復活して満月となるのは、死んでも再び蘇るのが月であるという事。まあこれは太陽も毎日死んでは翌日には復活するので、太陽にも不老不死の伝承は存在する。
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「因幡の白兎」伝説がある。ワニを橋代わりにして海を渡っている最中に、騙されたと知ったワニが兎の毛を全て剥ぎ復讐するのだが、大穴牟遲神から蒲の穂で治して貰う。

蒲(ガマ)は蝦蟇(ガマ)と同音であり、その蝦蟇にもやはり、月との結び付きがある。中国の故事から、月の満ち欠けは、蝦蟇が月を食べるために起こるのだと云うが、その故事には不老不死の話が重なる。それは蝦蟇が西王母の不老不死の薬を持って月へ逃げた事からの物語であった。それから蝦蟇には不老不死が付き纏い、人の死にも関与する。当然の事ながら瀕死の兎が蒲によって助かったというのは偶然では無いだろう。不老不死の薬を持っている蝦蟇と蒲をかけての物語が「因幡の白兎」であったのだと思う。それ故「因幡の白兎」では月である兎を食べたのは蝦蟇では無く、ワニという事だろう。
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南方熊楠「宇治は兎路であろう。」と述べている。その宇治という名は宇治川が有名だが、何故か伊勢神宮の前に流れる川にかかる橋を宇治橋という。調べても、何故に宇治橋と呼ばれるのかは明確な答えが無いようだ。それでは琵琶湖を発祥とする宇治川と伊勢神宮の宇治橋は繋がるのだろうか?

先に記した様に月の精である兎の路が兎路であるのだが、その月の運行…つまり暦の話になるが、太陽暦が初めて導入されたのは持統天皇時代(690年~697年)になるが、庶民に広がったのはもっと後らしい。つまり持統天皇以前は太陰暦が主であった。伊勢神宮からまの太平洋からは太陽が昇るのだが、それと共に月も昇るのだ。太陽神である天照大神と意識している為、太平洋から昇る太陽に注意が向いてしまうのだが、本来は太平洋から昇った月が伊勢神宮から西へと向かう道、つまりそれを兎路と考えても良いのではなかろうか。
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「八上の白兎」の伝説は兎が天照大神を導いて西へと向かい伊勢が平に差し掛かった時に、その兎は消え失せてしまう。それは太陽である天照大神が高みに差し掛かる為、その強い光で月である兎の光が打ち消されたものと考えた。その代りとして、その伊勢が平の西方に白濁した霊泉が沸いたというのも、月の兎が泉に変わって残ったものと捉えた。それは白銅鏡が月の依代である事を踏まえてのものだ。原初の鏡とは水鏡であり、水は姿見でもあった。それが白銅によって加工されたものが白銅鏡であり、月を象ったものでもある。つまり、泉も月も同じものなのである。
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「八上の白兎」伝説も月と太陽の運行の物語であるなら「因幡の白兎」伝説もまた、月の運行を語っている伝説の可能性はあるだろう。その「因幡の白兎」を彷彿させる地域が、伊勢から琵琶湖にかけてではないかと考えてしまう。何故なら琵琶湖畔には渡来人であった和邇(ワニ)氏が多く住み付いだ地域だという。伊勢から始まる月の運行は兎路を通って西を目指す。宇治川を遡り、広い琵琶湖に到達すると、そこに待ち構えているのは和邇(ワニ)であった。そこを無事に通って西の彼方へと行くのが月の宿命でもある。恐らく琵琶湖畔で月である兎に噛み付いたのは和邇であろう。
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カエルを狛犬とする神社がある。その名を姥宮神社といい、祭神は石凝姥命であるが、この神は鏡作神とも云われ当然、割れた鏡であろうと直す神である。つまり月である兎が鏡でもあるのならば、それを直したのが蒲であり蝦蟇を眷属とする鏡作神である石凝姥命のなら、なんとなく辻褄が合ってしまう。

その鏡で思い出すのだが、山形県の羽黒神社の前にある鏡池から発見された鏡の殆どは、平安時代頃に京都で製造されたものであるという。その鏡を運んだルートに琵琶湖が入るようだ。これは古代からこのルートを辿り蝦夷国へと進出していた道でもある。ただ何故に大量の鏡が羽黒に運ばれたのが謎であるようだが、邪馬台国の卑弥呼は鬼道に長けていたそうだが、その鬼道とは道教であったという。その道教においての鏡は重要な役目を果たす事から、卑弥呼は鏡マニアのように鏡を集めていた。つまり羽黒に大量の鏡が運ばれていたというのも、道教の影響があったのかもしれない。
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ただ鏡を水に沈めるとなると、それは雄略天皇記で五十鈴川で死んだ栲幡千千媛萬媛命の傍に水に沈んだ鏡があり、虹が発生していたとある。いわゆる月虹の話が紹介されているが、それは暗に栲幡千千媛萬媛命が水神、もしくは龍である事の逸話でもある。恐らく鏡とは月でもあるが、龍神に捧げる為の神器でもあるのだろう。その月の依代である鏡の略奪が和邇氏によって行われた可能性を「因幡の白兎」として紹介された可能性はどうであろうか?まあ、かなり端折って書いた妄想、妄文、お許し下されm(_ _)m
by dostoev | 2013-07-05 21:07 | 月の考 | Comments(0)

月の障り

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昨夜の月は、雲が多い為に、その合間合間に見る事が出来た。月を見るのに邪魔となるものを「月の障り」と言い「雲」や「山」の事を言ったようだが、現代では普通、女性の月経の事を言う。
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中世には「明るをうたふ月のさはり」と問うなぞなぞがあり、それに対する答えが「脚高蜘蛛」であったようだ。「明る」は「朝(あした)」を意味し「うたふ」は「歌(か)」。朝の歌を「あしたか」と読み「脚高蜘蛛」の「脚高(あしたか)」にかけた。そして月の障りは「雲」であるから「蜘蛛」にかけられ「脚高蜘蛛」が答えとなった。
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by dostoev | 2013-06-20 05:50 | 月の考 | Comments(0)

三日月(眉月)

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振り放けて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも by大伴家持

昨夜(4月13日)の月は三日月で、別称として眉月とも言う。この大伴家持の歌から解釈すれば、恋しい人の眉を思い出すからだという。となれば、この時代は、細い眉が一般的であったのだろう。
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ところで三日月に含まれる3という数字だが、日本だけでは無いが、この3という数字は聖数であり、その3を纏う三日月は神秘的なものにも感じられるのかもしれない。「竹取物語」にも、3という数字は多く出る。三寸程の愛らしい子が竹の中にいた。三ヶ月で成女となり裳着の式を行った。披露も三日に渡ったなど、3という数字を意識している。これはかぐや姫に対して神秘性を持たせる意図もあったのだと思う。

太陽の丸い形に相対するのは、月の三日月の形。この三日月が、ある意味月の代表的な姿となる。
by dostoev | 2013-04-14 07:39 | 月の考 | Comments(0)

虹色の月

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夜空を見上げて、今までにいろいろな月を見てきたような気がする。その中で初めてだったのが、画像の暈を被った虹色に輝く三日月。大気の湿度が高いと朧月などや暈を被る場合が多い。そしてその大抵の俗信は、翌日雨が降る…のだが、これはかなりの確率であると思う。
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ところで「月に恋」という本がある。内容は様々な綺麗な月の写真に、適切な和歌から古今東西の逸話や神話などを紹介する、とても素敵な本だ。そこで、この虹色の月を探してみると「月虹(げっこう)」というのがあった。「光が空気中の水滴に反射、屈折して生まれます。昼間の虹は太陽の光でできますが、月光でできることもあるのです。「月虹」「夜の虹」といいます。弱い月の光で生まれる虹なので、とても淡い虹です。英語でmoonbowとよびます。」と記されていた。
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「月に恋」で紹介されていたように「月虹」が夜に出来るのはわかったが、やはり月の暈が虹色に輝くというのは、ここでは紹介されてはいなかった。
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また違う機会に、まるで後光が差しているような月に遭遇した時がある。これもやはり、空気中の水蒸気に月光が乱反射してできたものだとは理解できるが、こういう月は滅多に見る事ができない。現代ではただ「綺麗だ…。」で済みそうだが、これが古代になると月食、日蝕で大騒ぎするくらいだから、こんな月夜には世の中が大騒動になるのだろう。何故かといえば、古代は月読みが普通であったからだ。太陽暦は持統天皇時代に開始されたので、それ以前は常に月を読んでいた。女性が月を直接見ると孕むなどの俗信は、月の兎が多産の象徴でもあった為だろうか?とにかく、様々な月の俗信は存在するが、こういう滅多に見れない月には、どんな俗信が付いたのだろうか?
by dostoev | 2012-12-25 20:28 | 月の考 | Comments(0)

春日と月

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たまたま、春日明神と一緒に二十三夜と刻まれた石碑を見つけた。刻まれている二十三夜とは、二十三夜に昇る月の出を待って、それを楽しむ信仰的な民俗である。また春日とは春日大社を総本山とし、全国に1000社を超える春日神社がある、その春日となる。その春日大社の祭神は、和銅3年(710年)藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の三笠山(御蓋山、御笠山)に遷して祀り、春日神と称したのに始まると云う。

文暦年間に成立した「古社記」には「春日山を以て三笠山と号す」という事から、三笠山は春日山と同じだという事なのだろう。


春日(ハルヒ)を春日(カスガ)の山の高座の三笠の山に朝去らず雲居たなびき

上の歌は、山部赤人が詠った歌である。春日山は三笠山であるとされながら、この歌では、同時に二つの山が登場している。ただし、良く読むと、高座があるのは三笠山であり、春日の山は三笠山の形容になっているようである。つまり山部赤人の歌は、春日の山は三笠山にかかる意味と捉えても良いのかもしれない。
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「新撰姓氏録」には大春日朝臣が糟を積んで堵となさしめた事により、後に「糟垣(カスガキ)」をカスガに改めたとある。「糟」を調べると、「糟尾」「糟毛」など、どうも白いものが混じってはっきりしない様を意味しているようだ。更に調べると「大言海」には「春日の霞む」が言い慣れて「春日」を「カスガ」と訓むようになったとしている。となれば「糟」と「霞む」が結びつくようだ。
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うぐいすの春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども  「万葉集1845」


ある説に「カサ+ウカ」が縮まってカスガとなったというものがある。「カサ」は「笠・傘・暈」であり、「ウカ」は「食物」の意味もあるが「三日(ミッカ)」など「日」を意味するが、それ以前は「月」を意味していた。「万葉集1845」の歌は、解説によれば「夜の霧を詠んだ歌」であるというが、「カサ+ウカ」が「暈+月」であるのならば、それは暈を被った月となる。


春日なる御笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく

となれば、この「万葉集1887」の歌は春の霞を春日と御笠で強調している事になる。つまり春のおぼろの暈を被った月によって、夜桜を楽しみたいものだという意味になるのかもしれない。
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つまりだ、このたまたま見つけた春日明神と二十三夜の石碑は、春日が月と同じ意味を持つ有力な手がかりの石碑であるのかもしれない。
by dostoev | 2012-08-28 23:00 | 月の考 | Comments(0)

月の船(上弦の月)

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空を渡る月を、古代人は船に見立てていたようだ。月の様々な形の中、船に見立てられたのは上弦の月。画像の月は、空を渡り沈む間近になると、弓の弦の位置が丁度上になる。これが船にも見立てられた形となった。

天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に こぎかくる見ゆる (柿本朝臣人麻呂)

柿本人麻呂の月の歌は、夜空の天体を美しく表現しているが、この感覚は古代も現代でも、同じでは無いだろうか?ただ現代と違い、街灯やネオンの無い真っ暗闇の古代において、天体の美しさは今よりも際立っていたと思う。そしてそれよりも、空がまるで海の様に表現されているのは、古代が海と空を同一視していた証の歌になるのではなかろうか。

ところで新月から7日の日が七夕であるとも云う。その時に織姫が月の船に乗って彦星に逢いに行くというが、松本信広「日本の神話」によれば万葉人は月神の運行は船によるが、それは岩船として形容されているという。こうして考えてみると磐座信仰の一つに、質感から月も天空の磐座に見立てられたのではなかろうか?遠野の石上神社には天の岩船の伝承があり、その岩船に乗って来たのは遠野三山の三女神である。石上神社の鎮座する綾織には機織り伝承があり、石上神社の祭日が七月七日になっているのも、全て関係あるのではないかと考えている。どうしても遠野三山の神と七夕と白鳥其の一の伝承が気になってしまう。石上神社の祭日が七月七日で、伊邪那美を祀る遠野の多賀神社の祭日もまた七月七日であるのも、もしかして繋がりがあるのではなかろうか?これも、いずれは詳しく展開しようと思う。
by dostoev | 2012-06-27 20:14 | 月の考 | Comments(0)

三日月

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宵のまに ほのかに人を 三日月の  飽かで入りにし 影ぞ恋しき by藤原為忠

短時間で宵のうちに沈んでしまう三日月に、ちらりと姿を見せただけで、すぐに帰ってしまう恋人の面影を重ね、物足りない逢瀬による恋心を詠んだ歌とされる。三日月の「三」に「見」がかけられているのだと。

実際、今日の遠野の夕暮れは雲が多く、なかなか三日月を発見できなかった。しかし、ほんの雲が流れた隙間に三日月を発見したが、一瞬で厚い雲の中に消えて行ってしまった。
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最近は、月シリーズを暫くやっていたが、こうして月を調べると、古代の人々は日ごと変わる月の形に、いろいろな名称を付けて楽しんでいたのがよく理解できる。月に恋の歌を絡めて詠んでいるのが多いが、更に遡れば、月に神を見ていたのかもしれない。そろそろ神にでも、月の御神酒でも贈らねばなるまいて。。。
by dostoev | 2012-06-22 20:44 | 月の考 | Comments(0)

日下は月坂

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この前の十三夜月(朧月)の夜に、愛宕神社の月見坂へ行った時に、ふと思った。愛宕神社は、火伏せの神だ。つまり日伏せの神でもある。一般的に祀られる神とは、火之迦具土神であり、伊邪那美を黄泉の国へと追いやった神である。つまり火(日)とは対極にある神だと考えても良いのかもしれない。

月を見、楽しむ場所はあるが、太陽を楽しむ場所とは無いもの。どちらかというと太陽は、見るというより全身で、その暖かさを体感するものであるから。ところで古来、暦は太陽暦の以前は太陰暦で、月の変化を日々の移り変わりの目安としてきた歴史があった。その点太陽は、毎日東から昇り、西に沈む繰り返しで、一日の終わりは理解できるが、日々の進み具合を"読む"には、適していない事に気付く。日本の神々にも月読神という神は存在するが、日読神は存在しない事から、古来は月によって1年の流れを読んでいた。
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遠野の愛宕神社に通じる月見坂は、登って神社方面へと進む坂である。ここで「雄略記」に気になる記述がある。


日に背きて幸行でましし事、甚怖し。故、己れ直に参上りて仕え奉らむ。


これは雄略天皇が、日下にいた若日下部王を妻訪いした時の記述となる。日に背いて行ったのが日下である。単純に後ろめたい為に「日に背いた」のであるかもしれないが、日下が太陽を意味するのであるのなら、日に背いて太陽に向かうという意味には違和感を覚える。

谷川健一は「日下の草香」は「ヒノモトクサカ」と訓むべきで「クサカ」は太陽の昇る所であると述べている。しかし、それとは別に「クサカ」の「ク」は「カ・ウカ」の転訛であり月・月夜を意味し「サカ」は「下る」という語幹から利用されたものだという。つまり「日下(クサカ)」は「月坂」の意であり、それは下り坂であろう。となれば雄略天皇での記述は「日に背いて月に向かう。」と解釈すれば納得するのだ。
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とにかく、現在の暦は「日読み」であるが、古来は「月読み」であったのだが、それはつまり一日とは月の運行によって過ぎて行くもの。日読みであれば、太陽が昇って沈み、再び昇るまでが一日と考える。しかしそれが月読みとなれば、月が昇って沈むまでとなるのだが、月は日中にも昇るものだが、どちらかというと夜に、その存在を際立たせている。「読み」とは「夜見」との説もあり、それは月と夜が一体化して考えられた「月読み」であったのだろうと想像できる。タキトゥス「ゲルマニア」によれば、ゲルマン民族は日没をもって1日の始まりとしていた。西洋においても、当初は太陰暦が採用されていた証だろう。となれば当然、日本においても1日の始まりは、日没から始まったのかもしれない。
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熊本県に日下部吉見神社がある。そこは下り宮であり、神社へ進むには下って進む事になる。この下り宮は別に「忌み宮」ともされているのだが、ここで先程の「雄略記」の「日に背いて月に向かう」を思い出す。つまり太陽と月とは、正反対の存在であるという事。太陽が明るい陽の光の元にあるのに対し、月の光は真っ暗闇の中に差し込む、幽かな光であり、今にも夜の闇に飲み込まれそうな光である。月光は闇を照らすから眩い印象もあるが、本来は闇が主体の中の幽かな光が月光の筈である。つまり、闇の中に人々を導く灯台の役割みたいなものが月光であろう。
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その日下部吉見神社が下り坂で忌み宮であるのに加え「日下」そのものが下りの月坂であるのならば、日下部吉見神社は太陽に背く神が祀られると考えてもいいのだろう。正しくは、太陽に相対する月の神だろう。下るとは、昇ると対義を成す。トイレや井戸、または山の洞窟など、地中に穴が開いている場所は、霊界の入り口。黄泉の入り口とされてきた。そこは太陽の光が届かない、闇の世界である。つまり黄泉の国と夜の世界は同義と考えても良いだろう。月読みは闇の世界に輝く仄かな月を読む行為であるなら、黄泉の国もまた闇の世界であり、そこに住む神とは、やはり一筋の仄かな明りを放つ月神なのだと思う。そう下るとは、太陽に背き月であり黄泉の国との繋がりを持つ神へと向かう意であるかもしれない。黄泉には死者が溢れるというが、人間界にとっての最大の穢れであり忌むモノは死であった。
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奇しくも「日本書紀」では、月夜見尊が「汚らわしい」と怒り、保食神を剣で殺してしまったという神話がある。保食神の死体からは牛馬や蚕、稲などが生れ、これが穀物の起源となった。ここに月の満ち欠けと同じ、死と再生の思想が垣間見れる。つまり黄泉の国は死の国でありながら再生を意味している。月は、満月から再び欠けて行き、新月で消失したと思わせ、再び復活する。または画像の様に、夜の闇に拡がる黒雲に覆われて月は光を失ったとしても、黒雲が切れると、月はその光を再び放つ。まさに、死と再生が夜の闇には広がっているものだと感じる。
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日下部吉見神社の神は水神であるという。しかし日下が月坂であるなら、単なる水神では無かろう。恐らく、飲めば若返るとされた変若水という月の不死信仰に関わった水神であったろう。その日下部吉見神社の水神は阿蘇神社に嫁いで、阿蘇津姫となったが、その本名は瀬織津比咩であり、早池峰大神でもある。その瀬織津比咩は「大祓祝詞」でもわかるように、根の國・底の国、つまり黄泉の国と関係の深い神でもあろう。
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古代の人は、暗闇に穴が開いているものを星として認識していたようだ。天の八衢は天空に輝く昴であるという説がある。その天空に沢山の穴が付いている天の八衢に鎮座する存在は猿田彦であり、岐の神とも呼ばれる。しかし夜空に更なる大きな穴とは、満月である。俗説に、満月は霊界の入り口であるというが、まさに満月は、夜空にぽっかり空いた穴であり、古来の信仰から黄泉の国と繋がっているものと考えられたのかもしれない。そして、そこに鎮座するのは月の水神であり、死との繋がりも深い。それ故に"忌む"のであって、日下部吉見神社への下り宮を別名忌み宮とされるのは、太陽に背く黄泉との繋がり故では無かろうか。
by dostoev | 2012-06-06 08:03 | 月の考 | Comments(0)

月の持統天皇(今日は、九日月)

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新月から始まり、今日で九日月となった。古代は太陰暦であり、こうして毎日、月を確認して時の移り変わりを感じていたのかもしれない。変わらぬ太陽より毎日、少しづつ変化していく月の形が、古代の人達にとって現実的であったのだろう。
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北山にたなびく雲の青雲の 星離れ行き月を離れて(持統天皇)

この持統天皇の歌は、天武天皇を雲に例えて、月を持統天皇、皇子らを星に例え、離れていく様を詠んだ歌と考えられている。ここで疑問が起るが、本来男神であった天照大神を持統天皇擁立の為に女神としたという説があるが、持統天皇は自らを月に例えて歌っている。それでは、太陽かと思われる天武天皇を、雲に例えているのだ。とにかく持統天皇には太陽神の自覚が無いのか、その意思が無いのか、自分は太陽の対となる月であると、心情を歌に込めているのだ。

月は東から昇り、西へと沈んでいく。太陽神である天照大神の荒御霊は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と云われる。以前、書き記したように「天疎(あまさかる)」とは「月が西に去って行く事」である。また「倭姫命世記」では、荒祭一座を「一名瀬織津比咩是也。」 とある。しかし最近、多賀を調べているが、伊勢神宮にも多賀宮があり、そこには月神が祀られているという。
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また「倭姫命世記」垂仁26年の条に「伊弉諾尊捧げ持ちし所の白銅鏡二面是れ也。是れ則ち日神月神所化の鏡也。水火二神の霊物たり。」これを読むと、元々は伊弉諾と伊弉弥が日神と月神を司っていたのが、伊邪那美が闇である黄泉の国へと堕ちた為、代わりの日神と月神を新たに化成させようとしたのではなかろうか?
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ところで…内宮所伝本「倭姫命世記」「天照皇太神和魂」の項には「亦右目を洗ひて、月天子を生みます。亦天下生ますみ名は、天照皇太神の和魂也。祓戸神、伊吹戸主神は、是天照皇太神の第一の攝神荒祭宮の多賀宮是也。」つまり、天照大神の和魂も荒魂も月神であったという事になる。ならば天照大神として擁立された持統天皇もまた、月の神であったというのが正しいのだろうか…。
by dostoev | 2012-05-30 22:35 | 月の考 | Comments(0)

月が昇って、日が暮れる。。。

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まだ3時台だというのに、この時期は日が暮れるのが早い。夏の3時台なら、まだ太陽の明るさで月はよく見えない筈なのに、11月の20日過ぎともなると、辺りは暗くなり、月はその顔をハッキリと見せてくれる。反対側では夕焼けに染まった西の空だが、東である太平洋側は、まだ青みがかった空を、今まさに沈もうとする太陽が、ほんのりと茜色に染まった中、月が昇ってくる。
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by dostoev | 2010-11-21 22:40 | 月の考 | Comments(2)