遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:六角牛考( 7 )

新釈・六角牛の語源(六角氏と六角牛)

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たまたま佐賀県を調べていたら、六角川というのがあった。その六角川に牛津川が合流して、有明海に注ぐという。六角と牛を重ねれば、"六角牛"になる?と妙に気になり、その水源を調べてみると神六山が水源であった。なんかそのまま"六角牛"という名前が出来そうな組み合わせと思った。そこで佐賀県のその地域を調べてみると、やはりというか佐々木系六角氏が移り住んでおり、その六角氏の名前が河川名になったようだ。

遠野市には、菊池氏についで佐々木氏が多い。阿蘇地域の菊池郡を調べると、琵琶湖周辺の神社と同じ名前の神社がいくつかあったら、やはり佐々木氏が菊池郡に移り住み、菊池氏の家来として共存していた。菊池という姓は、西高東低で、西日本には"菊池氏"が多く、東日本には"菊地氏"が多い。しかし局地的に菊池氏が多いのは、遠野市でもある。更に、全国ベスト10に入るほどの佐々木という苗字も、何故か半分以上は秋田県と岩手県に分布している理由が未だにわかっていないようだ。しかし、菊池氏がいるところに佐々木氏も多いとなれば、菊池氏と佐々木氏との関係に、何かしらの縁があってのものじゃないだろうか。

遠野で一番古い神社は早池峯神社であるが、その次の神社は六神石(六角牛)神社となる。早池峯という名前には、いろいろな説があるが、早池峯の水神は菊池氏が奉斎する神と同一であるのはわかった。奥州市の菊池神社には、そのまま水神姫大神が分霊されている事からもあきらかだろう。そして早池峯に次ぐ六角牛がもしも佐々木氏系六角氏の名前を重ねているのならば、菊池氏に次いで六角氏がその山名の由来になった可能性もあるのではなかろうか。

今までいろいろ考えてみたが、また六神石神社の元宮司である千葉氏もあれこれ考えたようだが、六角氏(ろっかくし)が、そのまま転訛して六角牛(ろっこうし)と呼ばれる様になったというのが、一番すっきりする。
by dostoev | 2016-11-19 20:23 | 六角牛考 | Comments(0)

六角牛の語源

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六角牛(ろっこうし)の名の発祥は定かでは無いけれど、少し気になる事がある。例えば秋田県の鳥海山はトリノウミに漢字を充てて音読したという説がある。和名には以前音読みというものが無く、後に漢音表記が全国に広まり使用されるようになったのは、比較的新しいようだ。

とにかく遠野の六角牛の一般的には、アイヌ語説を観光用に取り入れているのだが、他にもいろいろ説がある。そこでフト思ったのが、似ている六甲山との関連はどうだろう?と考えた。

六甲山を調べると六甲は以前「むこ」と読んだとされる。それは古代、神功皇后の武器庫からの武庫を「むこ」と読んだらしい。また別に「六かしらの甲首(かぶとくび)を埋めたので六甲。「日本書紀」にも務古、武庫を「むこ」と読んている。

また万葉集には「六児」「牟故」を海や港の事としている。つまり六甲の語源には「むこ」から発生し、後に「ろっこう」としたのが一般的のようだ。その「むこ」には武器であったり海であったり。ちなみに六甲が「ロッコウ」になったのは、応永29年(1422年)刊の「早霖集」から、だという。

しかし、ここでフト思う。遠野の六角牛山には住吉神が祀られており、神功皇后とも縁が深いのでは無いのか?とも考えてしまう。ただ兵庫の「六甲山」は「ロッコウサン」であって、遠野の六角牛山「ロッコウシサン」とは少し違うだろうという意見が出てきそうだが、自分はこの「ロッコウシの」の「シ」に着目したい。


倭は国のまほろば たたなずく青垣

山隠れる 倭しうるわし




出だしに「倭(ヤマト)」と読み、後に「倭し(ヤマトシ)」と記すこの歌はヤマトタケルの有名な「国しぬび歌」の一節。この倭に続く「し」とは強調を意味する語だという。またアイヌ語でも「し」とは「自分」であるという主張の意味を持つので、奇しくも「倭し」も、「倭」自らであると強調していたのかもしれない。

となればだ六角牛も本来は「むこ山」であり「武庫(むこ)」もしくは「六児(むこ)」という「武器」であるか「海」というものに「し」を加える事により強調したものと捉える事ができる。とにかく漢字は後で充てられたものであるから、自説ではあるが、今回の六角牛山由来として考慮して欲しいものだ。

ただ最近、元・六神石神社の神官であった千葉氏は、六角牛の「六角」を「ムツノ」と読むと述べた。この「ムツノ」は「陸奥の」ではないか?の見解を示している。とにかく今後も、六角牛の語源に注目していきたい。
by dostoev | 2010-11-20 11:28 | 六角牛考 | Comments(0)

六角牛の異説

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昨日は、代々六神石神社の神官を務めてきた千葉正吾さんのお宅にお邪魔し、いろいろと話を、おうかがいしてきた。千葉さんは現在、神職を引退し研究に没頭されている生活のよう。千葉さんの祖は、桓武平氏良文流千葉氏の一族、千葉常胤であるという。その千葉氏が奥州平定の動乱の最中、藤原氏の一族の血を生かそうと遠野の地まで導いてきて姓を変えさせ、住まわせたのだという。それが六角牛の麓であり、もう一カ所は笠通山の麓であったようだ。その二カ所に分かれた一つが、千葉正吾さんの家系で、もう一つが現在観光地としてある千葉家の曲屋の家系であるそうな。つまり頼朝の考えは奥州藤原氏の滅亡ではなく、あくまで奥州という支配圏の奪取にあったというわけなのだろう。またこの事から遠野に義経北方伝説が生まれる要因にもなったのだと察する。

ところで六角牛の名を聞いたところ千葉さんは「六角牛(むつのうし)」であると。これはつまり「陸奥の大人」の意味だと説いた。考えてみると漢音表記は近世のもので、例えば秋田県の鳥海山(チョウカイサン)は本来「トミ・トノミ・トリノミ」などと呼ばれていたのが、江戸時代辺りから「チョウカイサン」となっている。となれば確かに六角牛も昔は「ムツノウシ」と読むのが正しいのだと思う。その「陸奥の大人」だが正確には「陸奥の鎮守」という意味となるのではという事だ。

ただ千葉さんは長慶天皇に凝っており、全ての信仰も長慶天皇に行き着く話となる為、簡単に全てを鵜呑みにもできない。この六角牛もまた長慶天皇を祀る山としての六角牛という意味となるからだ。ただし開山はやはり坂上田村麻呂の時代と言い、田村麻呂の言葉に従い、薬師如来と不動明王を祀ったとされる。肝心の姫神は、祀られていないのではないか?という見解を示している。ただ千葉さんに「それでは長慶天皇の信仰した神と仏は何ですか?」という問いをしたが、それには無言であった。長慶天皇が遠野の地においでになったにしろ、いきなり六角牛に祀られている神を外して長慶天皇を祀るわけにはいかないだろう。ただ単独で長慶天皇を祀った山はわかった。今度、その山の探索に行こうと思う。

現在六神石神社には応神天皇と神功皇后が祀られているが、これは以前、六神石神社より古い八幡神社があったそうだが、そこに祀られた祭神を後に六神石神社に合祀した為の、応神天皇と神功皇后であったようだ。

まあ他にもいろいろ話はあったのだが、実はこの千葉正吾さんの家系から出た古文書を紐解き、やや長慶天皇に重きを置いた本が来月、千葉正吾さんの手で自費出版される事になっている。自分も一冊譲り受ける約束を交わしたが、発行部数は然程多くない為、興味ある方は問い合わせて手に入れた方が良いでしょう。貴重な写真…例えば楠正成から伝えられたと云う太刀とか、その他いろいろの写真が掲載されている本であった。

補足となるが、千葉氏の流れの一つである、現・千葉家の曲屋の菩提寺は光明寺。その山号は"照牛山"であり、これについては千葉正吾さんはわからぬと答えたが、六角牛が「むつのうし」であるならば、光明寺の山号である"照牛山"は、六角牛を照らす…つまり「陸奥照山(むつをてらすやま)」もしくは「鎮守を照らす」と解釈できる。六角牛の天人児の織った曼陀羅が何故に綾織の光明寺に伝わっているのか?と考えた場合、この千葉氏同士の繋がりは、否定できないのだろう。
by dostoev | 2010-09-13 07:23 | 六角牛考 | Comments(0)

六角牛の可能性

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夕日が沈む六角牛山


六角牛に関係する話に「遠野物語拾遺97(荒滝)」の話がある。この話は「聴耳草紙」にも若干違う形で紹介されているが、基本的には六角牛の女神から大力を授かった話に変化は無い。ところで似たような話は、遠野以外にも広く伝わっており、取り立てて珍しい話では無い。だが、この話がどこから伝わってきたのか?と考えた場合、気になる地域がある。それは、秋田の太平山だ。太平山三吉神社には、大己貴神・少名彦神,三吉霊神(土地神)が祀られている。三吉霊神は大力の荒神で、人々に幸福をもたらすと言われている。ダイダラボッチという名前での怪力伝説も伝えられるようだ。干拓の時、湖の水を掬う時にダイダラボッチが現れ、それを手伝った後、太平山の森に消えていったところから、三吉神社の化身であろうといわれている。また、太平山のふもとの村に住んでいた三吉という怪力の男がいた。気は少々荒かったが曲った事が嫌いな人情家であり、百姓のために悪者を懲らしめ、のちに不動滝で修行して生き神になり弱い人々の味方となった。この三吉を神格化したのが三吉霊神であり、妖怪化して伝えられたのは三吉鬼(さんきちおに)と呼ばれた。単純に言ってしまえば、山の女神の化身、もしくは加護を得た者は形を変えても、大力であるという意味合いでもある。

六神石神社には、表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帯姫命 大己貴命が祀られている。この太平山と六角牛の共通点に大己貴命がいるが、別に少名彦神の伝説も付随しているのが六角牛という山だ。ところでこの大己貴神だが、松前健によれば、三河地方から関東にかけて大汝(オオナムチ)と呼ばれ、女神であるという。 とにかく六角牛山と太平山との、微妙な重複が気になるのだ…。
by dostoev | 2010-09-12 13:49 | 六角牛考 | Comments(2)

六角牛山に伝わる太陽の”御ご石”

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六角牛山に「御ご石」の話が、相撲取りである”荒瀧”の話と共に伝わっているのだが、その「御ご石」とはどういうものなのだろう?と調べてみると「御ご石」という似たようなものが伝わっているのは、因幡地域の霊山にやはり御ご石というものが伝わっていた。その話とは、天照大神がウサギに案内され伊勢の平という地まで辿り着き、その後は霊山の頂きまでは猿田彦の案内により到着したのだという。その霊山の磐の上に天照大神が冠を載せた事から「御子岩」もしくは「御冠岩」として伝わったのだと。

全国の霊山の頂きに磐があった場合、何故か太陽神の伝説が付随する、その一環の話だと思う。胡散臭い「竹内文書」というのがあるが、そこには五葉山ー六角牛山ー早池峯山のラインに大宮を建造し遷都したという記述がある。これは陸奥の国に太陽信仰が根付いたラインだとの解釈もあるようだ。確かに、五葉山の頂には「日の出岩」というものが屹立し、日枝神社が建立されているというのも太陽信仰の根付いていた証なのだろう。また早池峰山頂にも祠が二つ並んで祀られているが、その一つは天照大神であろう
という事だ。

六角牛には住吉三神が祀られているのだが、その住吉三神の荒魂は猿田彦であるという説に則れば、太陽神が降臨した五葉山から猿田彦が早池峯山まで案内したという話にも発展しそうな気もするが…。

ただ”御ご石”には霊的な井戸の伝説も付随しているのは、因幡地方と同じであり、太陽神に伴うように、湧き出る霊水の話もまたセットであるのは単に太陽と水の信仰からくるものなのだろう。御ご石を授かった力士の名前が荒瀧であるというのも、水神を意識して伝えられたものであるだろうし、どうも早池峰の信仰を細かに紐解く鍵は六角牛山が握っているような気がする。
by dostoev | 2009-11-21 09:32 | 六角牛考 | Comments(0)

六角牛山と猿の経立

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六角牛山には住吉三神が祀られている。その住吉三神を一神とした名前が「塩筒老翁」だと解されている。「住吉大社神代記」でも「塩筒老翁」は住吉大神の代わりに国見をしたとあり、塩筒老翁は住吉大社神の御使い、もしくは現人神ではとも云われている。

船の中央に立てる柱を「つつ」といい、その柱の下部の穴に船霊を納めるところから「船霊」を住吉大神であると理解されているようだ。ところで「住吉と申すは船路を護りの御神にて、船玉神とも申すなり。」とあるのだが、和歌山県に船玉神社というのがあり、船玉神社の祭神は住吉大神の荒御魂だとされ、船玉社の祭神が猿田彦であるのは、猿田彦も住吉大神も先導神だからだ。

猿田彦は荒ぶる神であるのだが、ここで気になるのは「遠野物語」に登場する”猿の経立”が全て六角牛山麓であるという事。「遠野物語」における猿の経立は、実際にあり得ない風貌を示すもの。これを伝承と捉えた場合、六角牛山に鎮座する神が伝承として伝えられた可能性はあるのではないだろうか?つまり、六角牛の祭神である住吉大神の荒魂である猿田彦のイメージがそのまま里人に伝えられ”猿の経立”として広まった可能性があるのかもしれない。そうでなければ、六角牛山にだけ猿の経立の話が
伝わるというのも妙な話ではある。
by dostoev | 2009-10-27 08:12 | 六角牛考 | Comments(13)

六角牛山に伝わる俗信

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六角牛山に雪が三度降る前に、里に雪が降ると、その年は寒い。


この俗信の通りだとすると…六角牛山に雪が降ったのは、確か一度あったような気がするが、三度までは確か降ってない筈。今回は二度目の雪で、里に雪が舞い降りた?つまり、俗信の通りであれば、今年の冬は寒いという事になる…。
by dostoev | 2007-11-23 17:03 | 六角牛考 | Comments(0)