遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:動物考( 18 )

白い犬

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昔話に登場する犬は、白い犬が多いと感じるのは気のせいだろうか。生類憐みの法を発布した五代将軍・徳川綱吉の時代に「犬毛付帳」という犬の戸籍を記すものがあり、それには「黒虎男犬・赤斑男犬・白男犬・赤女犬…」など、様々な犬の毛色が記されている。ところでその徳川幕府は、鷹犬に関しては白い犬ばかり使っていたようだ。ただしその理由は、山で迷彩色にならない白犬は見付けられ易いという理由が大きかったようだ。しかし古くは「日本書紀(景行天皇記)」に、信濃の山で迷ったヤマトタケルを助ける様、道案内する不思議な白い犬が登場している。初代神武天皇の時には、黒い八咫烏が道案内で登場しているが、ヤマトタケルの時には、伊吹山の白蛇&白猪も含め、白い動物が登場するようになっている。元号でも、白い雉が献上されめでたい事から元号が「白雉」に改元され、または白い亀が献上されたからと「神亀」「宝亀」に元号が変更されているのは、やはり白い動物は吉兆であり、神の使いと認識されていたのだろう。ちなみに遠野では、旗屋の縫の伝説の中に、やはり山中で迷った旗屋の縫を、どこからともなく現れた白い馬が旗屋の縫を導いた話があるが、これはヤマトタケルの話を下敷きにして作られた話であろう。

以前、遠野の伝説の地を探している最中に、とある一軒家を訪れた。そこには、昔話風に言えば翁と媼だけが住んでおり、稀人である自分は、たいそう歓迎された。普段は殆ど人が訪れないのだろう。お茶を出され、団子を出され、手厚く歓迎された。その家の裏には、一匹の白い犬が繋がれていたが、近付いて行くと自分に飛びかかる様に喜んでいた。恐らく、飼い主が歳を取った為に散歩に行く機会が減り、自分に対して「散歩に連れてって♪」みたいな期待の感情を表したのだろうと思った。ところで、その家を後にして自宅に帰ったところ、いろいろな良い事が起きたのを覚えている。もしかして、白い犬に接したのが吉兆になったのかな?などと思ったものだ。または山沿いの一軒家に、翁と媼と白い犬との出会いは、昔話の様でもあり、「遠野物語的」には"マヨヒガ"との遭遇に近いのかなとも思った。
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民話「花咲か爺」では、白い犬が幸せを運んでくれた。「今昔物語」には、白い犬から雪の如く白く輝く白糸出たが、糸が尽きると、その犬は死んでしまう。しかし、桑の木の下にその白い犬を埋葬すると、その桑の木には蚕が隙間なく繭を作り、極上の糸が取れるようになった。これもやはり白い犬が幸せを運び、また「花咲か爺」の民話との関連も見受けられる。遠野での蚕の話は、白い馬となるのだが、旗屋の縫の伝説と同じく、元は白い犬の話が遠野では白い馬に変化しているようでもある。この動物の変化は、例えば妙見信仰において、九州は八代での大亀に乗った女神が東国に伝わると狼に変化し、それが東北になると白馬に変化している場合が多い。例えば山の神の使いが西国では猪の場合が多いのだが東国以北は狼に変化しているのは、動物分布の地域性の問題であろうと「オオカミはなぜ消えたか」などの著者千葉徳爾氏は指摘している。これはカレーやラーメンと同じく、その味をそのまま伝えるのではなく、その地域に好まれるよう味を調整して伝え広まったものに近いのだと感じる。

例えば岩手県の東和町に早池峯の神である瀬織津比咩が祀られていた神社があったが、それを祀る別当がいなくなり、その地域で管理する事になった時、瀬織津姫の本地である十一面観音として祀ったという事がある。観音信仰が普及した場合、神名よりも観音様の方が、その地域にとって親しみ易いというのが、その理由であった。または、祭神の変更に関しても、その時代にいかに寄進を貰えるかという判断から、古くから祀っていた祭神を棄て、新たな祭神を祀る場合も多々あったようだ。つまり地域性や時代の流行などを加味して、伝説や民話が作られていったのだろう。
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土淵村の大樽という処に、昔は林吉という金持ちが栄えていたそうなが、
今はその家の跡も無い。この家には一疋の白い犬を飼っていたのを、何
か仔細があってその犬を殺し、皮を剥いで骸を野原に棄てさせた。

すると翌日家の者が起きて土間の地火炉に火を焚こうとして見ると、昨日
の犬が赤くなって来てあたたまっていた。驚いて再び殺して棄てたが、そ
の事があって間も無く、続けさまに馬が七頭も死んだり、大水が出て流さ
れたりして、家が衰えて終に滅びてしまった。

豪家の没落には何かしら前兆のあるもののように考えられる。

                      「遠野物語拾遺134」

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「遠野物語拾遺134」の話は、その白い犬を殺した為に、幸福では無く不幸に見舞われる話になっている。この話もまた、白い犬は幸せを運ぶという伝承を違った形で伝えているものだ。ところが、そういう犬を食べる文化が日本にはあった。「日本書紀(天武天皇記)」にも、犬などを食べないよう禁止令が発布されているが、その犬を食べたであろう遺跡の殆どが西日本であり、縄文遺跡には犬を埋葬していたが弥生遺跡には、そういう例がない事から、縄文文化と弥生文化の犬に対する差異を感じぜずにはおれない。

「今昔物語」「陸奥国の犬山の犬、大蛇を食ひ殺しゝ語」では、犬を使って狩をする者を賤しいという表現で紹介しているが、柳田國男が明治時代にまだ遠野に山人がいるのではという期待を込めた様に、陸奥国の奥地では、こういう狩猟文化を持った人々がまだまだいると信じられていたし、そういう殺生による生業を賤しいものとする感覚が都の中にはあったという事だろう。それは確かに、狩猟という殺生が伴う生業よりも、畑を耕しその恵みで暮らす方が、より尊いとされた宗教的観念もあったのだろう。その為なのか、そういう狩猟の民の立場の零落と共に、犬の立場も零落したのではなかろうか。だからこそ、「延喜式」での"祥端の項"には、白狼・白狐・白鹿など様々な白い獣は記されているが、白犬だけは省かれていた。また仏教が普及すると共に"犬畜生"という言葉が普及し定着したのも、その根底に陸奥国の犬を使って狩猟をする民を蔑んだ視点があったのではなかろうか。どうしても「日本書紀」における、武内宿禰による蝦夷国に対する報告が頭を過ってしまう。その蝦夷国にも戦の度に、移り住む弥生文化・弥生思想の者が゛住み始め、時代が進むにつれ思想と文化と血が渾然一体になっていく。そんな中にも「遠野物語」「遠野物語拾遺」には、未だに縄文の血、蝦夷の血を引きずるような話が紹介されているのは、その血が遺伝子の中に組み込まれ、いつ発現するかわからないからであろう。ある心理学の本によれば、子供が小動物を見て追いかけてしまうのは、狩猟民族時代の名残りであろうとしているのも、一つの家系の中に縄文と弥生が渾然一体となっているからではないか。よく同じ家系の中に、犬嫌い、犬好きがいるというのも、そういう血が疎らに流れ込んでいるからなのかもしれない。狩猟民族は、獲物と成る動物をリスペクトすると云われる。つまり、狩猟民族の血が濃い場合は、動物好きが多いと云う事であろうか?

世界的に一番古い犬の骨は、アラスカから発掘された2万年前の骨の様だが、日本では神奈川県から発掘された約9500年前の骨が最古であるという。発掘されたのは、あくまで家犬であり、狼では無い。つまり、人間との共存がそれだけ長い間続いていたのが犬であった。しかしいつしか犬畜生となり、犬という尊厳は失せつつあったが、それでも民話の中に白い犬を中心に、伝えられてきた。幸せを運び、魔物を退治し、主人忠義を尽くす犬。明治時代になり、西洋文化の流入と共に洋犬が増え、逆に古くからの和犬がなおざりにされ、殺された歴史があるが、それでもその和犬を護ろうとした人々が立ち上がり、和犬を護って来た。民話や伝説も含め、その和犬の代表と成ったのは、犬種というよりも毛色の白い犬であった。白い犬はCMなどにも話す犬というキャラで採用される様に、今でも神秘性を携える犬の代表として、現代の日本にも定着しているのだと思える。
by dostoev | 2016-04-17 14:39 | 動物考 | Comments(2)

月と兎と亀

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この前の月を見て、思い出した。もう今は亡き、とある翁の事だった。もう10年以上、前の事になるか。ある翁が、ドヤ顔で何かを教えようとした。

「おい、いい事を教えてやる。兎は二種類いて、一つは白兎で、もう一つは茶色の兎で、大山兎というんだぞ。」

この翁は、自分の体験だけで生きてきた翁であった。
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画像は、宮守の山中で出逢った兎。毛の生え変わりの時期になるようで、首回りを中心に斑状に白毛に生え変わりつつあるようだ。日本国内では、北海道と奄美諸島を別にして、本州・四国・九州に、通常目にする野兎が生息している。ただし、白毛となる野兎は東日本だけで、西日本では茶色というか、黄褐色のままである。ここで一つの疑問が頭を過る。それは「因幡の白兎」だ。西日本に白兎がいない筈なのに、「因幡の白兎(素兎)」に登場する兎は白毛となっている。ただ、「古事記」の訳注に白兎と書くと月の異名になるので、動物である事を示す為に"素兎"書いたとある。また気になったのは、ワニに毛をむしられてしまったその治療方法に蒲の穂黄を身体に付着させて治療したのだが、その後の記述には「これ稲羽の素莵ぞ。今者に、莵神といふ。」この記述は、元の姿に戻った莵の姿が称えられている。しかし、たまに西日本にもアルビノ種の様な白兎が現れたという事実がある事から、「稲葉の白兎」に登場した白兎も、特異なアルビノ種であったのかもしれない。
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画像は、亡き翁が木の根の穴に隠れていた野兎を素手で捕まえたものを撮影させてもらったもの。翁曰く、大山兎である。ところで、赤田光男「ウサギの日本文化史」に面白い記述があった。それは中国明代の李時珍「本草綱目」の「兎」の箇所である。

「兎は明月の精。兎は潦を以って鼈と為り、鼈旱を以って兎と為る。」

これは、大雨で兎が「鼈(スッポン)」と為り、旱で鼈が「兎」と為るという、兎と鼈が互いに変身するという事である。これは「魚三千六百に満つるときは、即ち蛟竜之れを引きて飛ぶ。納鼈之れを守れば即ち免る。故に神守と名付く。」に関連付けられて認識されたようだ。竜は蛇でもあった。しかしその蛇は、古代中国では、悪しき存在となっていた。疾病の「疾」の漢字の中に在る「矢」は、蛇を意味する漢字で、広く虫を意味している。つまり人間の体が病んでいる時は、体内に蛇が潜んでいると考えられた。庚申講の夜、人間の体内から抜け出て天帝に、その人間の悪事を報告するのも、三尸という虫であり、蛇でもあった。その蛇が苦手とするのが、亀であった。

玄武というのは北に鎮座する聖獣と云われるが、その姿は亀と蛇が合体したものと云われるが、正確には亀が蛇を噛んでいる姿である。つまり悪しきものから守るのが玄武であり、亀であった。その亀と鼈は同じ仲間であるが、漢字の観点からも、甕や竃の原型は、生物である亀からきている様である。確かに、人間が甕や竃を発明する以前に、似た様な形の亀がいた筈であるから、その亀に習って甕や竃という漢字が誕生しても納得してしまう。ただ、龍蛇も、兎亀も、どちらも水神系に属するのはどうなのかとも思える。しかし、天武天皇時代から行われた大嘗祭が卯の日とされているのは、卯の方位は東方で、時間でいえば朝の六時頃にあたる。つまり太陽の生まれる方位と時間帯である事から、五穀豊穣に最高だと考えられたようだ。しかし、東を護る聖獣は龍でもある。つまり、両水神が並ぶのが卯の日であるのが大きかったのか。
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兎は多産である事から、山神にも産神とも捉えられている。ただ「山神」「産神」のどちらも「サンジン」と読む事から、兎=山神=産神であろうとは思うが、ここに亀が加わる。宮城県の一之宮である塩竈神社は、安産祈願として小牛田の山の神神社とセットで参拝するらしい。正確には、小牛田の山の神神社に参拝し安産祈願をし、塩竈神社で護符を受けるのだという。兎は月と関わりの深い水神であり、多産な事から山神と産神と結び付いているが、ここでは鼈(スッポン)と同じ流れを汲む竃が、山神と結び付いて安産の助けをしている。ここで意識するのは、塩竈神社となる。塩竈神社には武甕雷男神と経津主神が祀られているが、これを意識した場合に思い出すのが、鹿島神宮である。「鉄の蛇」に詳しく書いたが、本来は竜蛇神を祀っていたのが鹿島神宮であったが、後から武甕雷男神が祀られた。しかし鹿島神宮の神は、海の底にある甕にいるという。そう、鹿島神宮にも甕=亀が登場している。竃神を調べると、竃とは悲運なものを囲う物とされている。となれば恐らく、塩竈神社は悲運な水神が祀られているのだろうか?「兎と亀」の話ではないが、兎と亀を調べると、また違ったものが見えてくるようである。
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by dostoev | 2015-10-29 21:24 | 動物考 | Comments(6)

熊の話

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最近の事であるが、ある翁が、こう言った。「今年になって、熊が500頭は駆除されたと聞いた。」と。500頭は有り得ない話だが、それが50頭にしても、かなり多いので、翁はガセネタを掴まされたか?と思ってしまった。

平成6年(1994年)9月3日に、遠野の水光園で「日本ツキノワグマ集会in遠野」というフォーラムが開催された。それは、ツキノワグマの個体数の減少から絶滅の危機を感じてのフォーラムであった。しかし、その後に保護されてきたのか、ツキノワグマの個体数は増加しているという情報を聞いたのは、もう10年くらい前になってしまうか。

最近になってから、絶滅したと発表された九州の熊の目撃情報が相次いでいるらしい。ただし、遠野と違うのは、山で目撃されている事だ。遠野の場合は、春から有線放送で、熊目撃情報が頻繁に流れるのだが、大抵は人の住む里で目撃される為に放送されてしまうのが現状だ。その九州の熊の目撃情報は、殆ど山中であるらしい。つまり、熊は山を下りなくても生活できる環境が、九州の山にはあるという事か。ただ遠野の熊は、いつしか山を下りて里で餌を漁るのが遺伝子に組み込まれたのでは?という話を聞いた事がある。遠野の道の駅である風の丘に、岩手県の航空写真が飾られている。遠野を確認すると、茶色か深緑の色合いが遠野の自然の色になっている。これが岩手県、宮城県、秋田県、山形県にまたがる国定公園となっている栗駒山系を見ると、綺麗な新緑の緑になっているのは、やはり自然が自然のままに生きているからなのだろう。遠野の深緑の色は、殆ど杉の色であろうし、茶色は伐採された禿山が航空写真に写り込んだものであろう。
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そういう自然が壊れつつある遠野であるから、熊は山から里に下りて、食べ物を探すのだろう。そうなれば、人との接点が過密になる。農地に侵入して荒らす熊がいる場合、地主は市役所に申請して、画像の様な熊用の罠を猟友会に設置してもらう。この罠に熊が入ったら、殆ど殺傷処分となってしまう。さて冒頭の500頭駆除したという情報は、この様な罠に、500頭もの熊が入った事を意味する。
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 ある年に、やはり多くの熊が駆除された時に、地元の肉屋に熊肉が入荷していた。つまり、ただ殺傷処分するだけでなく、肉は食用にまわるのであった。その為、駆除された熊は上の画像の様に、速攻で喉元に刃物を入れられ、血抜きされる。そして爪などは、キーホルダーなど、細工物に加工される。熊もまた、捨てるところが無い生き物でもある。だがしかし、今年はそれほど熊肉が出回っているとも、聞いた事が無い。恐らくだが、500頭も駆除されたのは熊では無く、日本鹿ではなかろうか。以前は群れ成していた無数の日本鹿が、最近は殆ど見る事が無くなってしまった。確かに、多くの鹿が駆除されているとは聞いている。実際に、春先にはテレビの岩手県ニュース(もしかして、去年?)で、遠野市長が農作物に被害を及ぼす日本鹿の撲滅運動の陣頭指揮に立っていた映像が流れていたのを思い出した。それ故、今回の500頭もの駆除は、熊では無く日本鹿の事であったのだろう。この前、早池峯神社に向った観光客が、途中の神遺神社に立ち寄った時に、何やら音がするので、神社の裏を見ると、熊がいたので驚いたそうだが、真っ先に熊が逃げて行き、自分も同時に車に逃げたそうな。そう、熊と遭遇した人はわかると思うが、遠野に生息する野生動物の中で、熊が一番臆病ではなかろうか。だからこそ、「遠野物語」や「遠野物語拾遺」には、猿や狼と比較して熊の話が少ないのは、人間を直接襲う事が少なかったせいでもあろう。そういう私も、熊と直接何度も遭遇しているが、とにかく人間の反応よりも早く、先に熊が逃げてしまうので、驚くという事がまったく無かった。いつも人を見て逃げる熊に、愛嬌さえ感じてしまう程だ。その熊と、その熊たちが住める様な遠野の自然を、これ以上壊してはならないのだろう。
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ある禿山を農地にしていた団体が、その農地を止めて、山主に返したところ「元に戻して返して欲しい。」と言われたらしい。元に戻すとは、木々に覆われた森にして返して欲しいとの意である。しかし、植林するには、多くのお金が必要になってしまう。そこで行ったのは、ドングリを撒く事であったそうな。ドングリから芽が出て森になるまで、かなりの時間が必要となるだろう。しかし、その森が出来上がれば、熊の餌場の完成でもある。宮沢賢治の作品に「なめとこ山の熊」というものがあるが、その物語の舞台は豊沢ダムの奥にある、ブナの森である。秋口に、そのブナの森へ行くと、よく熊が木登りしている姿を見る事が出来ると聞く。禿山の農地であった場所も、そういう熊の木登りを気軽に見る事の出来るブナの森に出来上がれば、熊の被害も少しは減るのではなかろうか。その時までに、熊を絶滅に追い込まないよう、上手に付き合っていきたいものだ。
by dostoev | 2015-10-20 21:44 | 動物考 | Comments(2)

早池峯と鶏

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早池峯神楽に、鶏舞というものがある。頭に鳥兜を被って舞うのだが、その鳥兜に鶏の絵が施されている。調べると、山神に五穀豊穣、国家鎮護を願って舞う神事の一つであるようだ。修験が入り開発された早池峯であるが、その修験の祖である役小角から始まった修験道の本尊は、蔵王権現とされる。弥勒菩薩は釈迦の入滅後、五十六億七千万年経つと鶏頭山に出現して末世となった世を救って衆を導くという末法思想が平安中期より広がり、修験道の山伏が蔵王権現こそが、この世に現れた弥勒菩薩の化身であると煽った。その弥勒菩薩に法衣を渡す為、大迦葉が入定した地を鶏足山であるという。修験が末法思想を修験に取り込んで、弥勒と蔵王権現を結び付けたのだが、弥勒は巳六と暗に云われる様に、どことなく蛇の匂いがしないでもない。

早池峯の西側に鶏頭山があり、また前薬師と呼ばれる薬師岳もまた「遠野物語」では鶏頭山と呼ばれたとある。とにかく、この鶏頭山という山名は、日本の中で何故か早池峯連峰にしかない。鶏足山は日本国内にいくつかあるのだが、この弥勒に関わる鶏頭山という山名が早池峯周辺にあるというのは、どういう事だろう。そして鶏足山だが、気になるのは鈴鹿に三本足の鶏が現れたという鶏足山があり「平泉志」によれば、平泉には鶏足洞があるという。ここで思い出すのは、鈴鹿と平泉を繋ぐ洞窟の伝承だ。それはもしかして、鶏足山との関係があるのだろうか?これほどの意味を持つ鶏頭山という山が、何故に早池峯連峰にあるのか考えてみるべきであろう。
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古代中国の「五雑俎」には、竜の爪は鷹に似せて描くと記してある様にと記されているように、想像上の竜の絵とは、蛇と鷹が結び付いている。阿蘇山の山神をモチーフを意識して家紋にデザインされたのが菊池氏に伝わる鷹の羽である。しかし、阿蘇山に祀られる神とは竜蛇神である。それは恐らく、孔雀明王経を会得して山に入った役小角によって、龍蛇神を調伏する蛇を喰らう鳥が重視され、その影響を受けたのだろう。県内の菊池神社に祀られる神は、水神である蛇神の彦神と姫神であった。これはそのまま阿蘇の蛇神に繋がるものであろう。そしてその阿蘇山の水神である蛇神を調伏する為に、菊池氏は鷹の羽を家紋に取り入れたのではなかろうか。その蛇神を抑えて喰らう孔雀、鷹、その同列に鶏も加わるという。実際に分類上、孔雀は鶏の近類であり、鶏もまた蛇を喰らうようである。

今でこそよく見る白鶏は、古代では貴重だったらしく、その為に神の使いとされた。その鶏の鶏冠は焔の象徴ともされるのだが、水神の支配する山に焔の鶏を配するのは、陰陽の和合となる。神道世界で神の御前においては決して右を前に出さないという取り決めがある。神前に進む場合、常に左足を前に出して、右足はその左足より前へ出してはならないという。左は火であり、右は水を意味する。つまり左を前に出すという事は、左を捧げる。つまり、火を捧げるという意味になる。
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遠野で有名な縁結びで有名な卯子酉神社は、赤い布切れを奉納する。元々この卯子酉様は水神が祀っていたらしい。つまり、水神に対して、血の色でもあり火を意味する赤色を奉納するという事は、水と火の融合であり、陰陽の和合となる。だからこそ、縁が結ばれるのだろう。考えて見よう、修験道は弥勒の化身が蔵王権現であり、それが鶏頭山に出現するとした。それは修験道の観点からいけば水と火の融合を意味していると考えれば、早池峯連峰の鶏頭山もまた同じ事を意味して名付けられたのではなかろうか。更に加えれば、鶏は死体を発見するものとして使われたという。しかし死体は陰陽五行で"土"を意味する。土から発生するものは"金"である。鶏は夜明けを感知して鳴く鳥ではあるが、金を見付けて鳴く鳥でもある事を考慮に入れた方が良い。始閣藤蔵は、遠野から金が見つかったら社を建てると早池峯の神に誓い、それが成就した為に早池峯の山頂に奥宮を建てた。早池峯の七不思議に、鶏頭山から聞こえる鶏の鳴声というものがある。これは、早池峯に立ってこそ聞こえる鳴声であろうから、金を求めた始閣藤蔵の意識を伝説化したものであったろうか。そして、鶏頭山を連峰に持つ早池峯を信仰した奥州藤原氏の拠点に鶏足洞があり、鈴鹿山との繋がりを考えれば、いかに早池峯大神の神威を意識しているかわかるというもの。これらもまた、修験者が作り上げた図式の一つであろう。
by dostoev | 2015-02-08 14:39 | 動物考 | Comments(0)

言葉を理解する猫

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江戸の幕臣朽木徳綱の御先手与力矢野市左衛門の祖父は、隠居して三無といい、牛込榎町に住んでいた。その三無のところへ、いつのころからか一匹の野良犬が通ってくるようになり、食事どきにきては、三無の食事の分け前にあずかる日々が続いた。文化十年(1813年)、三無が八十九歳になったある日、病で二。三日伏せったことがあった。それで三無もおもうところがあり、その犬に向って、「お前はいつもやってくるから食事を分け与えてきたが、わしももう年でいつ死ぬかもわからない。そうなれば、食事を分け与える事も出来なくなる。だから、お前もそろそろ別の心ある家をさがし、そこへ通うようにするがいい。」と諭した。すると不思議な事に、その犬は翌日から現れなくなった。
                                                                           「耳嚢」

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江戸時代中期から後期にかけて南町奉行の根岸鎮衛が、天明から文化にかけて同僚や古老から聞き取った珍談、奇談などが記録された随筆「耳嚢」の中に、上記の犬の話が収められている。実は、この話に似た様な事を、犬では無く猫として体験している。
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上の画像は以前から見かけていた野良猫だが、寒くなった2014年の9月頃から店の前に顔を出すようになった。家の猫共も贅沢になったか、せっかく与えた餌を食べ残す事がよくあったので、その残りの餌を店の前に置いて、与えていた。ただその時「ここから中には入るなよ。」と云い聞かせたら、それから境界線をずっと守り続けた野良猫だった。

ところが寒くなった12月の初め頃に、私自身が倒れて入院する事になった。私と入れ替えになる様にその日の夕方頃、やはり店の前にその野良猫が来たらしいが、怪我をしたようで足を引きずりながら店の前に来たと言う。家のかみさんが可愛そうだからと、店の中に入れてやったそうだ。

私が退院して戻ると、ある場所にじっとしている野良猫だった。猫は怪我をすると身動きせずに、じっとして治すのがよく知られる。自然治癒力が強いのだろう。店も、食堂はまだ営業しておらず、泊り客も素泊まりが殆どだったので、野良猫一匹がいても大丈夫かと思っていた。

しかし、いつまでも食堂を休業するわけにもいかないので、12月の半ば過ぎには営業を開始しようと思っていた。野良猫も、傷が癒えたようで、どうにか普通に歩けるようになっていた。食堂を営業するにあたって、この野良猫の問題があった。体が臭過ぎたのだ。洗ってあげればいいのだろうが、野良猫を洗うというリスクは、かなりある。ましてや冬の寒い時期でもある為、洗うわけにもいかないだろう。そんなある日、餌を与えた後に野良猫を抱き上げて玄関の外へと置いた。

「もう、ここに置くわけにはいかないから、どこかへ行きなさい。」

すると、悲しい表情をしながらも理解したようで、店から去って行った。聞き分けの良い猫というより、人の言葉を理解する、頭の良い猫であった。まるで「耳嚢」の話と同じだなぁと感じたものだった。

数日後、かみさんが蔵の町通りの「タントタント」という店の付近を、この野良猫が歩いているのを見かけたという。あれから1ヶ月は過ぎたが、元気でいるだろうか?
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by dostoev | 2015-01-19 20:19 | 動物考 | Comments(0)

五位の光

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以前、ある本を読んでいたら「夜のゴイサギは恐ろしい」と書かれていた。しかし、その恐ろしい理由は書かれていなかった。鳥類系の本やネットで調べると、夜のゴイサギの鳴き声は不気味ともあったが決定打にならなかった。
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そんな中、竹原春泉「絵本百物語」を読むと「五位の光」という題名と共に、ゴイサギの恐ろしい理由が記されていた。

「五位鷺が息をつくのを闇夜に見れば、火が青く光るようである。すべて鳥けだものの息は夜中に光る。」

古代から、夜は神であり物の怪の時間帯であって、太陽が昇ってから沈むまでが人間の時間帯となっていた。今でも衛星画像を見ると、アフリカ大陸の夜は真っ暗闇となっており、また北朝鮮も夜は街灯を消しているのか真っ暗闇になっている。日本もまた、近代化が進む以前の夜は真っ暗闇であり、満月の明りの時などは、その明るさから外で逢引きをしたのだという。

遠野でも昔は恐れられていた「光物」がある。それは人魂であり狐火であり、要は昔の人間の夜の佇まいは闇に包まれていた為、外で光る物とは物の怪の類と感じていたようだ。蛍の光も、人の魂の代わりに漂うものと感じるのも、その発光理由が解明されていなかった事が大きかった。また昼間を静かに寝ている猫も、夜は爛々と眼を輝かせて闇を闊歩する姿を見れば、化け猫という妖怪の想像が成されるのは当然の事であったろう。五位鷺(ゴイサギ)の名は「平家物語」において、醍醐天皇の宣旨に従い捕らえられた為、正五位を与えられた故事が和名の由来になっている。

この「五位の光」に書かれている逸話がある。「遠江に西島という所がある。山の裾に夕暮れから二つの火が出現して狂い、夜中にはその火が合体して一つとなり消え失せた。里人も何の火ということを知らなかったが、往来の旅僧がこれを見て「鼬だ」と言った。鼬鼠の毛は夜になると光るものだという。鷺もこれと同じことである。」

これはつまり、夜は人間の時間帯では無いと言う事を言っている。いや夜と云うよりも月なのか。陽気は太陽であり、太陽が昇って働く人間は、陽気の影響を受ける生き物だ。しかし、太陽が沈んでの夜は、幽かな月明かりでも、なかなかハッキリと物を見極める事は出来ない。月は陰気でもある為、陰気の影響を受ける生き物に対応しているという事だろう。この光物の考えは、やはり陰陽五行から来ているのだろう。実際にゴイサギは夜行性であり、英名を(night=夜)と言うのは、夜の闇に生息する鳥の意が強いのだろう。遠野の旧仙人峠手前の砂防ダムへ夜に行くと、ダム湖上をたまに「クワッ!」とカラスのように鳴いて飛んでいる鳥がいるが、五位鷺は夜烏とも云うので、恐らくあれがゴイサギなのだろう。
by dostoev | 2014-04-03 17:13 | 動物考 | Comments(0)

貉と星

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化け貉が登場する話が、遠野にはいくつかある。大抵の話は、暗くなると行灯の灯りが点いて、その傍に女がいる。物の怪だと噂が立ち、鉄砲で退治しようとするが、女を狙って撃っても効き目が無く、本体である行燈を狙って撃って、どうにか退治するという話だ。この話は現在、鍋倉山の裏にある行灯堀と、綾織の笠通山、小友町の外山、そして寺沢高原の四つがわかっている限りだ。こうも似た様な話が遠野にあるという事は、何処からか伝えられた話が、遠野に広まったのだと思う。貉と行灯の話は、全国を探してもなかなか見つけられないが、貉と提灯の話が、何故か茨城県に多数見つける事が出来る。

1.夜歩いていると、木がたくさんある所でむじなの提灯をよく見た。木と木の間を横に動き、一本杉のような場所では、上下に動く。ぼんやりした光なのですぐにわかる。

2.むじなの提灯は、赤くて春先によく見られた。お諏訪様の上には、毎晩出ることもあった。日暮れから8時から9時までが多かった。

3.お諏訪様の欅の上辺りに、大きな提灯が下がっていて、これは、むじなのいたずらだと言われた。春先のことだった。

4.芋穴にサツマイモを埋めていると、杉山のほうにぼうっと光るものがあって動かない。それはむじなの提灯と思われる。作業を途中で止めて帰っても、まだついていた。

5. 日が暮れた頃、大きな杉の木の下の辺りに、むじなが大きな提灯を下げた。気味悪いので、家の中に入ったが、光はぼやっとしていた。

6.大きな杉の木があり、暗くなった頃にその上に赤い提灯のような火がついた。それは見ているとすぐに消えてしまったが、これを人はむじなの提灯と呼んでいた。


とにかく、貉と提灯の話は、全国でも茨城県だけに集中し無数にある。単純に考えれば、これらの話が伝えられ、遠野流にアレンジされた広まった可能性もあるのだろう。茨城県の話を読んでいると、提灯の灯りは「ぼやっと」「ぼうっと」という表現から、然程明るくないようである。野生の獣と灯りの話になれば、真っ先に思い浮かべるのは狐火となる。狐と人間の関わりの深さを考えても、狐火の話は全国津々浦々まで広がる。それに比べれば、貉と行灯&提灯の話は、局地的だ。その大元が茨城県にあるのなら、何かの習俗との関連も考えられるだろう。
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ところが、たまたま野尻抱影「続・星と伝説」を読んでいたら「むじなと星」の項に「カワハリ星」が紹介されていた。何故にカワハリ星かというと、鍛冶屋のフイゴに貉の皮は無くてはならないものらしい。貉の皮はごわごわしていて丈夫であるし、足が短いからピストンの板に四角に張るのに丁度良いらしい。それを図に表せば、上記の画像となる。台形の様ないびつな四角形の星は時刻を知る星であり、ある地域ではホカケ星とも呼ばれ、確かに帆船の帆にも見える。ここでフト思ったのだが、遠野でのこの貉の話は、暗くなってから登場する行灯の妖しい明りなのだが、それは茨城県でも同じだ。昼行燈では役に立たないものであるが、行燈や提灯は夜を告げる灯りの代表でもあった。そういう意味から、カワハリ星が鍛冶屋で使うフイゴが貉の皮から出来ているのを考え併せても、烏座であるカワハリ星が貉の本体であり、それがカワハリ星という"ぼやっ"とした明りを放つ存在でもあるのだ。

遠野の四つの貉の話だが、その一つである寺沢高原には恐らく星の宗教であった天台宗の僧である無尽和尚の庵があった地である。その寺沢高原には二つ程、貉に関連する話が伝わっている。これらから考えて見ても、恐らく貉の話は寺沢高原を拠点として遠野に伝わったのではないかと思えるのだ。怖い話は、子供を諌める話にもなる。暗くなる前に帰った来いという子供に言い聞かせる話の殆どは怖い話である。行灯がカワハリ星と同じく時刻を伝えるものであるならば、貉の皮を使用したフイゴであるカワハリとカワハリ星のぼやっとした明りを表現して伝えたものとも考えられるのではなかろうか?

ただ付け加えれば、行燈の側に居る女は、笠通山にも登場するキャシャと女との共通も考えられる。寺沢高原と笠通山とは近接している為に、山に登場する不気味な女の話が、貉とも結びつけられてた作り話であると思うのだ。ところで寺沢高原からは、遠野三山がだけでなく、様々な山々と共に、空いっぱいに広がる星空を見る事が出来る。野尻抱影「続・星と伝説」にも紹介されているのだが、川の鮭の獲る為の罠に、たまに貉である穴熊の死体がかかるらしい。それは貉が星の美しさに見とれて足を滑らせ、川に落ちたものとされ、それを「貉の星見」と称するらしい。多くの獣がいながら、何故に貉だけが星に見惚れて足を滑らせ川に落ちるのか解せないが、どこか昔から、貉と星が結び付けられて来たのかもしれない。だからこそ、カワハリ星という呼称も作られたのだろう。星と貉を遠野で考えた場合、いきつくのはやはり寺沢高原となり、そこから烏座であるカワハリ星を見て、この話が作られたものと考えて見たい。
by dostoev | 2014-03-02 22:40 | 動物考 | Comments(0)

飼い犬禁止令

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江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令「生類憐みの令」を制定した。この「生類憐みの令」は「天下の悪法」として世に広まったが、その84年後の明和八年(1771年)六月二三日に南部藩から飼い犬禁止令が発布されたという。それも当時の藩主の妾が犬を嫌いだという理由でだ…。この禁止令から酷い事に、隣である伊達藩に、飼われていた飼い犬をまとめて、数百匹を放したという。現代で言えば、不法投棄?しかしそこは犬…半分以上、自力で我が家に帰って来たそうな(^^;

昭和62年(1987年)に連載された漫画「動物のお医者さん」が流行ってからというものシベリアンハスキーが全国に流行し、当然の事ながら遠野でもシベリアンハスキーを飼う人が増えたという。しかし飼ってみると”思っていたより頭が悪い”という事もあった為か、シベリアンハスキーを捨てる人間が、全国でもかなりいたという。その為か、遠野の赤羽峠という遠野の市民スキー場のある地に、シベリアンハスキーが群れを成していたというのは、平成初期の頃だった。

明和八年に「飼い犬禁止令」が発布されて、伊達藩に捨てられた犬たちは、自力で我が家に帰ったのだが、何故かこのシベリアンハスキーは、我が家に帰らずに群れを成していたというのは…頭が悪いのか、それとも飼い主の愛情を感じないまま捨てられた為なのか?

しかし調べてみるとシベリアンハスキーの性質は、その社会性のある特性から孤立した状態に長時間置かれると、狼などと同様に仲間に呼びかけようと遠吠えする傾向がある。つまり、明和八年に伊達藩に放された犬達はどちらかといえば、飼い犬らしく主人と、その家を慕って遠路はるばる戻ったのであろうが、シベリアンハスキーは人に頼らない自立心があり、同族で集まるという狼に似た傾向の犬種であったのだろう。

画像は犬とは正反対の、猫画像で申し訳ない(^^;
by dostoev | 2011-11-14 05:49 | 動物考 | Comments(4)

竜馬の伝説

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【早池峰・竜ヶ馬場】

上閉伊・下閉伊・稗貫にまたがる早池峰山には、竜馬の伝説がある。遠野早池峰神社の前身である妙泉寺の由緒には、明徳三年(1392年)、東禅寺の開山無尽和尚が早池峰に参詣した際、早池峰山の頂で竜馬の霊端を見たとある。それから妙泉寺三十三世である祐円に勧めて駒形の神像を彫刻させたそうである。
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駒形といえば「南部馬史資料馬匹菅見」「往古は、神社に馬を献る。是を神馬と云ふ。神馬を献ること及ばざる人は、木にて馬を造りて献る。木にて馬を造ることの及ばざる人は、之を絵に書て馬を献る。之を駒形と呼ぶ。」とある。確かに駒形神社などには馬の神像が祀ってあるが、確かに”駒形”ではある。

しかし司東真雄「東北の古代探訪」を読むと、崇神天皇の四代目彦狭嶋王が景行天王の命で十五ヶ国の都督に任命させられ、東国に向かう途中病死した為に毛野国に葬られたが、彦狭嶋王の子が居を定めた後に「国造」となり、上毛野君となり国名も上野国となった。その上毛野君の祖神が駒形神であり、その部族である君子部族が集団で入植した地には、必ず駒形神が祀られていたという。司東真雄は説く「原住民が神としていた山を、新たに入植した人々の氏神鎮座の山としたから、原住民が起こったのだろう。」と。実際に上毛野朝臣広人が養老四年(720年)に陸奥出羽按察使になった後、蝦夷の反乱で殺されている。それは上毛野が原住民である蝦夷の怒りをかった為と解釈できるものだ。
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しかし駒形神は本来、水源の神であったようだ。春の山に浮き上がる残雪を駒形(白馬)と見立てるのは、その馬の形をした白い雪が溶け出して、里に流れ出す水と考えられていたのだろう。その水をもたらすものが山の神の使いとしての駒形であると考えられたのかもしれない。つまり既に白馬とは、山の神の使いとして、かなり古くから認識されていたという事になる。それは上毛野一族が上野国に住み着く以前で、蝦夷の文化に触れてからと考えられないだろうか。ただ上毛野朝臣広人が蝦夷の反乱によって殺されたのは、同じ蝦夷の信仰の思想としてであっても「駒形」という意味が伝わっていなかったのかもしれない。実際に、駒形大神が今の世に定着しているという事は、蝦夷の氾濫の後に駒形大神が蝦夷の地で認められ同化したという事ではなかったのか。
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そしてだ妄想とはなるが、上毛野が影響を受けた駒形とは羊太夫によってのものではないだろうか?

ウィキペディアによれば多胡羊太夫(たご ひつじだゆう)は、奈良時代天武天皇の時代(672年~686年)に活躍したとされる上野国(群馬県)の伝説上の人物(豪族)。伝承では多胡郡の郡司だったとされる。その羊太夫の乗った馬とされる八束小脛の伝承では、羊太夫の従者である八束小脛は神通力を持ち、大いに太夫を助けたとされる。また一部の伝承によっては、山の知識に優れていたとも、馬術にすぐれていたともされる。このことから小脛は、羊太夫に協力した渡来人や蝦夷等の人格化ではないかとする説がある。また銅塊を発見し朝廷に献上した功績で、多胡郡の郡司とともに藤原氏の姓も下賜されたと伝承される事から、羊太夫とされる人物は”胡(ペルシア)”方面からきた金属集団及び放牧に長けた集団であったとされる。

早池峰周辺の民俗を考えた場合、どうしても遊牧民族の信仰が入り込んでいるようだ。それは国史には無いものであるが、それを誰が伝えたのか理解できないでいた。しかし上毛野一族が羊太夫の信仰及び技術を持ち込んだ後に実を結んだとなると、考えがすっきりする。「奥州風土記」に記されている安倍一族の箇所がある。「能く曰ふ、奥州の産金貢馬とは、古来、安倍一族になせる遺技なり。(途中略)倭人、奥州を犯す故因に於て、かくある因縁ぞありけるも、閉伊を知らざる故に、種馬失ふなし。古来、奥州馬喰は雌馬を売らず、雄馬を脱睾丸して売却せるに、諸国に馬孫なかりける。雄馬より脱睾丸せる手法術、二才馬にしてなせるの法ぞ、蒙古なる授伝なりと曰ふ。」とある。金鉱を他民族に隠して産金し、他地域に馬を売却する場合、睾丸を抜いて売るという習俗は、蒙古方面から伝わるものであるとされる。つまり古来から蝦夷国には、遊牧民族の習俗が定着していたという事だろう。その接点を羊太夫とするのは考え過ぎだろうか?
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早池峰周辺地域が古代からの馬産地であった事実から、早池峰を中心に竜馬という神馬の伝説の発生があったのは、何も不思議ではない。冒頭の画像「早池峰山の竜ヶ馬場」は早池峰七不思議の一つの「駒の嘶き」が聞こえる地であり、その駒は安倍一族の馬の軍勢であるとされるのも、安倍一族が早池峰山を中心とし、古代からの信仰と習俗を引き継いできた一族であったからであろう。
by dostoev | 2011-11-06 17:50 | 動物考 | Comments(0)

狸(ねこ)

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中村禎里「狸とその世界」を読んでいて、意外な事が書いてあった。「狸」と書いて「ねこ」と読むのだという…。

日野巌「動物妖怪譚」には「たぬき」の語源を「手貫」、もしくは「田の君」の転訛であると書かれている。また別に、西日本では「谷の気」からきているものという説もあるようだ。ただ「タヌキ」という動物そのものに対する呼び名はまた多数で「たたけ」「たまき」「くさいなぎ」「みそねぶり」「あなつぼ」「じゅうもんじ」「しばたり」などと、発生が何から由来しているかわからないものが多い。

日本最古の説話集「日本霊異記」には「狸」と書いて「ねこ」と読むというのも、本来は中国に由来するらしい。どうも中国では「狸」を「山猫」「野生猫」としていたらしい。
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上の画像は「経史証類大観本草」という書物に掲載されている「狸」の絵らしいが、どうみても猫である。「本草衍義(1116年)」には「狸の形は猫に類し、その文様は二種類ある。一つは連銭のごときのもの。あと一つは虎紋のごときのもの。」とあるが、これを読むと…どう理解しようが、一般的に知っている「タヌキ」では無く「ネコ」だという事がわかる。
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タヌキかムジナかムジナかタヌキ」という言葉がある。ここでのムジナとはアナグマの事を言うのだが、アナグマを上の画像を見ても、確かに目の周りが黒い事や、色合い、毛並みがタヌキに似ているのがわかる。昔は、タヌキとアナグマを分類せずに、どっちつかず…というか、この辺ではムジナと読んでいたようだ。ただし中村禎里「狸とその世界」によれば、タヌキをムジナと称しているのは殆ど東北から北陸にかけの東日本であるようだが、何故か西日本をすっ飛ばして、南九州(薩摩・大隅・日向)が東北と同じであるというのは面白いと思う。

また別に、遠野だけではないが「アナグマ」の事を「マミ」と読んでいるが、こうして地域事に様々な呼び名があれば、頭が混乱したのではなかろうか?確かに夜に遭遇するタヌキであれアナグマであれ、遠目で一瞬では判断が来にくい場合がままある。そうなれば全て「似たような獣」として漠然とした分類に当て嵌められた可能性はあるだろうが…しかし「狸」が「ネコ」になれば、話は別だ。どうみても、その違いは明らかだからだ。そうなれば昔話などにおける「化け猫」は「狸」の仕業にもなってしまうし、例えば「遠野物語拾遺113」のキャシャが化け猫であるというのも、もしかして狸の仕業にもなってしまう可能性がある。そういえばキャシャの登場する笠通山には化けムジナの話もある事から、本来はタヌキの話であった可能性もある。何故ならば「遠野物語拾遺113」に続く話には、キャシャとは女では無いか?との関連を示す物語が続く。猫が人に化ける話よりも、狸が人に化ける話の方が一般的となってしまうからだ。つまり「遠野物語拾遺113」に登場するキャシャを猫では無く、タヌキ=ムジナであるとした方が、話としては納得してしまう。しかしそうなると、いろいろ混同してしまい、チンプンカンプンになりそうだ…(^^;
by dostoev | 2011-01-19 14:10 | 動物考 | Comments(8)