遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:遠野不思議(その他)( 30 )

遠野不思議 第八百五十八話「猫の森」

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なんというか…遠目で見ると、猫に見えた。顔はアニメの「トトロ」に登場した”ネコバス”の様でもある。これからここを勝手に”猫の森”と呼ぶ事にしよう(^^;
by dostoev | 2017-06-26 18:29 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第八百二十八話「一枚の写真)」

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学生時代、日本史の教科書に掲載されていた一枚の写真。それが自分の住んでいる遠野の写真という事で、同級生の間で、なんとも言えぬ雰囲気が流れた。ただ、飢饉では食べるものが無く、餓死する人が多かったという話から、大根を食べれるだけましだろうとは思っていたが、時代は昭和9年。江戸の三大飢饉と呼ばれるが、それが東北に到っては四大飢饉とも云われる。いや、小規模の飢饉を入れれば、もっとあるだろう。その江戸時代よりも昭和の時代は、作物の品種改良なども含む農業技術も発達した事から、江戸時代の飢饉よりも酷いという事は無かったろう。

平成5年(1993年)にも岩手県内では、冷害の影響から人間様の食べれるような米はまったく出来なかった。米の自由化の前だった為、例えば「釜石に闇米が来るぞ!」という情報を聞いて、トラックを借りて買い出しに出たほどだった。その時に購入した米の産地は、長野米や茨城米だったと覚えている。遠野で農家をしている人に聞いても、初めて米を買って食べたと。それが外来米のせいもあってか「こんな不味い米は初めて食べた。やはり、自分の作る米が一番いい。」などと言っていた記憶がある。

ところで一枚の写真だが、この飢饉の起きた昭和9年時の遠野の現状を「遠野市史」で確認してみた。

まず、昭和9年は冬から災害に見舞われていたようだ。

3月、大降雪・暴風あり、県下の死者数百数十人・家屋倒壊損傷四百戸以上。

遠野は北国とは云われるが、日本海側の豪雪地帯に比べれば降雪量は少ない。それでも大雪による家屋の倒壊が多かったのは、建物の問題もあったのではなかろうか。この頃にはまだ多くの曲り家があり、メンテナンスもしていない茅葺屋根は雪で潰れた可能性はあっただろう。

7月~、低温冷雨続き下旬豪雨になり、河川大増水し被害甚大。天候不順で七月イネの病虫害発生。八月にかけて低温・長雨が続き、降雹などあって出穂せず。明治三十八年以来の大凶作になり、反当八斗五升三合・平年作の54%の減収になる。加えて伝染病流行。
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以前の猿ヶ石川は、画像のように水量も川幅も現在と比べても段違いの規模を誇っていた。当然長雨に豪雨が重なれば、かなりの被害が起きたのは想像できる。それは家屋だけでなく、田畑にもかなりの影響を及ぼした事だろう。それに加えての冷害だ。

自分が小学校の頃、光興寺という高台の地域によく縄文式土器や石器を探しに行ったものだった。縄文時代の住居の殆どが高台であったのも、洪水を避ける為に高台に住んでいたという事が理解できる。しかしそれ以降、縄文人の嫌った低地に住む人々がいて、遠野の伝説を探ってみても、洪水で被害に遭ったという話などを確認できる。これは現代でも同じ事であり、例えば釜石市は新日鉄釜石と鉱山で賑わい、多くの人が移り住んだ。その為住居が足りなくなり、山を切り崩して住むようになったのだが、やはり大雨による土砂災害などで、今まで人の住んでいなかった土地は被害を受けている。今回の広島県の土砂災害も似た様なものだろう。人が多く住み付けば、その安全な土地の許容量をオーバーし、今まで避けられた土地に人が住み付いて災害が繰り返される。

恐らく、画像の子供達が食べている大根とは、雨による洪水などの影響を受けなかった高台で採れた大根なのだろう。平年の半分の作物があれば、どうにか生きていけたのだろうと思う。また江戸時代と違って流通も良くなってきたであろうから、昭和9年での餓死者の話は聞いた事がない。ただそれでも、3月の豪雪と7月の洪水で、多くの人が亡くなったのであろう。

遠野の歴史は、飢饉や水害などの歴史であると言って良い。それによって多くの人が亡くなっていったのだが、それでもその後、少しづつ人口を増やしていった遠野は、昭和29年に遠野市として成立したのだった。
by dostoev | 2014-09-07 13:33 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第八百二話「ほたるの家」

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「ほたるの家」なるものが出来ていた。まだ完成途上のようだが、これは果たしてホタルを鑑賞する為の建物なのだろうか?
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確かに裏手には川が流れており、ホタルがいてもおかしくはない。
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ただ何となく、普通の寄合所で名称が「ほたるの家」の様な気がする…。
by dostoev | 2014-04-14 06:24 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第七百四十六話「不気味な鏡場?」

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「貴女の笑顔見て下さいキレイですヨ…。」の貼り紙がある廃車の手前に、壊れた椅子に、やはり壊れた鏡が置かれている。なんとなく不気味な雰囲気が漂い、この鏡で自分の顔を見ちゃダメだ!と思ってしまった。あっ、自分は男だから大丈夫なのか。。。
by dostoev | 2013-06-22 17:48 | 遠野不思議(その他) | Comments(4)

遠野不思議 第六百十五話「馬の卵場」

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写真は、綾織の馬の卵場である。ちなみに馬の卵場とは、馬の墓地の意味である。綾織の古老に教わったこの卵場であった地は、既に馬の卵場としての形は無く、現在は畑となっている。また別の写真もまた同じ綾織の地にある、やはり馬の卵場だ。この写真での卵場跡には何も無いのだが、共同墓地に隣接しているというのは、人の墓地にも卵場という意識を持たせたのかもしれない。
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ところで墓場を、何故卵場として呼ばれたのだろう?卵といえば、死よりも生。生誕を意味しているものに対し、墓場である死あてるというのは、復活を意味しているのだろう。

復活で思い出すのが、キリスト教圏に広かる「イースターの卵」だ。諸説様々だが、卵が象徴するものは、墓であり、そこから抜け出すことによって復活する命であるという事は、馬の卵場と共通するものの考えなのだと思う。

古代、人は卵から生まれたという概念があったようだ。「日本霊異記」にも卵を産んだ女の話があり、また「竹取物語」の原型として伝わる話に、こういう箇所がある…。


「昔竹取の翁という者あり。女をかぐや姫という。翁が家の竹林に鶯の卵女
の形にかえりて巣の中にあり。翁養いて子とせり…。」



その卵とまた同じものとして「ひさご」があった。ひさひごとは、つまり瓢箪だ。その瓢箪と卵には、イースターの卵と共通する概念がある。朝鮮には卵から人間が生まれた話が多く、また瓢箪は魂を入れる器として伝わっているのだという。

日本の前方後円墳の正しい見方とは、横から見ることであるという。するとその形は、瓢箪を半分に切った形となる。つまり、死者を瓢箪(卵)に入れるという考えは、西洋のイースターの卵同様、復活を意識してのものであった。

ところで新羅本紀の中の脱解王の物語は「龍城国出身の王女が卵を産んで、その子を舟に乗せて流したのを、新羅国で老婆が拾って育て、その子が脱解王になったという。そして「日本書紀」での豊玉姫は、姫が龍の姿になって卵を産んだと記されている。つまり豊玉姫とは新羅から来た姫である可能性は強い。これはそのまま、朝鮮から海を渡って、卵と瓢箪の概念が日本に伝わってきたものと考えてもいいのだと思う。その概念が、馬の卵場として伝わっていたのだろう。
by dostoev | 2008-12-16 11:24 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第五百八十話「舟っこ流し」

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送り盆の日、灯篭流しと共に沢山の供物を載せ、豪華に飾り立てた舟を燃やす
「舟っこ流し」という風習がある。こうして死者の魂を送るのだ。。。
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by dostoev | 2008-08-17 02:56 | 遠野不思議(その他) | Comments(2)

遠野不思議 第五百七十七話「三徳流」

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喜助沢に「銭座同心」「銭座隠密」の事を書き記したが、この左比内鉱山における
「銭座同心」と「銭座隠密」に配された者達は皆「三徳流」の卓越者であったという。

「三徳流」とは、南部藩の「お家流」の一派であり、剣術・柔術・棒術の三術を総合
し、駆使する武術で流祖は松橋無雲であり、仙台の人物であったと。

この「三徳流」は、一種の捕縛術でもあり、南部藩はその実用性かを高く評価し、
多くの関所・奉行所・銭座などに三徳流に卓越した術者を配していたのだという。

左比内銭座構内および、遠野郷の木戸を守る同心達は、この三徳流の術者で
占められ、それぞれ上同心、下同心と呼ばれ別れていた。

ただし三徳流の術者として左比内鉱山などに配された者達の身分は「足軽」で
あって「士分」では無かったのだと。その為左比内鉱山で起きた事件や紛争の
責任は全て、南部藩ではなく足軽同士の紛争として処理され、闇から闇へと葬
られたのだという。

実は「喜助沢」で死んだ、高橋喜助もまた三徳流の術者であり、山下多兵衛に
師事した手練者であったそうな。その為、喜助を斬るのに相当手こずり、最終的
に高橋喜助の討ち手には、柳剛流の千葉徳四郎と柳生心眼流の川守田泰作の
両名が当たったそうだが、喜助の棒術に阻まれ、千葉は左手に負傷したが、川
守田が喜助に組み付き、首をかき切ったのだと。

左手を負傷した千葉徳四郎と喜助を討ち取った川守田の二人は、晩年も喜助の
武術を讃えてやまなかったのは、それだけ喜助も優れた三徳流の術者だったの
だろう。

ところで「三徳流」は、南部藩が消滅してもなお、術者が継承し続けられ、現代で
も岩手県の各地に道場を持ち、存続しているのだという。
by dostoev | 2008-08-03 21:14 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第五百三十八話「石の沢の水」

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宝の水と称された水で、昔ある旅人がここの水を飲んであまりに美味しかった
ので、歌を作り傍の木に吊るしていったのだという。

いずこより流れ来れるこの水よ通りがよいの人を救わん
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by dostoev | 2008-06-06 07:39 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第五百二十七話小川新道」

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千晩ヶ嶽の入り口がある釜石は小川町に小川新道というものがある。開通したのは文政7年という事らしいが、細かいところは定かでは無いらしい。ただ文政7年に、大風雨洪水により、小川新道で遠野馬死と記されているように、文政7年には既に開通していたのだろう。

この小川新道は、釜石の小川町から遠野の佐比内へと抜ける峠で、釜石の佐野氏が開いたものなのだと。上郷町の蛇野の老婦人は、嫁いだ頃は、この新道を歩いて蟹岳の飯場まで歩いて、自家製の餅や団子を売っていたのだという。これは昭和初期の頃らしいので、この時代までは小川新道は利用されていたようだ。で…ふと思った、旗屋の縫は、この小川新道を通って千晩ヶ嶽へと登り、白鹿を撃ったのかもしれないと。。。
by dostoev | 2008-04-15 16:17 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)

遠野不思議 第五百十六話「遠野の馬と武豊」

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遠野は蝦夷の時代から馬産地で有名だった。それが昭和の戦時中、軍隊に軍馬としてタダ同然に馬を持っていかれて、遠野の馬は壊滅状態になった。もう馬の生産どころではないなと困っていた遠野に、現在の競馬界に天才ジョッキーとして名を馳せる北海道在住の武豊の祖父が、多くの馬を無償で遠野に寄付したのだという。それから遠野では、再び馬の生産に活気を取り戻し、現代に至る。この話を知るなら遠野の人々は、武家に足を向けて寝る事が出来ないのだろう。
by dostoev | 2008-02-22 19:26 | 遠野不思議(その他) | Comments(0)