遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:「青頭巾」( 8 )

「青頭巾」終焉(其の二)

>私は琴を手にして柔らかい草花が

>波打つ道を彷徨する

>おお美よ!

この王維の詩の一遍にはゲーテの「ファウスト」での一言…。

「時よとまれ!おまえは美しい!」


この言葉に受け継がれているのだろう。奇しくもゲーテと上田秋成は、同じ時代を生きた人間だ。若干、上田秋成の方が15年ほど年上ではあるが、同じ中国の思想に触れ、それを自らの作品に反映させている点は同じなのだろう。

自然には、エロスとタナトスが渾然一体としている。常緑樹である松は、常に緑を保っていると思われているが、その命はいつか尽きる。また月は日々変化しながら天空を渡るが、それは永遠的だ。

「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の言葉に現される、永い清らかな宵は永続的であるが、そこには目に見えぬエロスとタナトスが渾然一体となっている。そこに気付けば、その美しさを理解できるのだと思う。ファウスト教授の夢のような旅も、「青頭巾」で示された「江月照松風吹 永夜清宵何所為」という言葉も、エロスとタナトスに満ち溢れている。

ファウスト教授「時よとまれ!おまえは美しい!」という言葉を発したら、悪魔であるメフィスト・フェレスに魂を奪われてしまう。また阿闍梨もまた「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の意味を悟り、魂は昇華された。つまりファウストも阿闍梨も、この世に渾然するエロスとタナトスの融和の美を知り、その美しさに魂を奪われ「お前は美しい!」と悟ったのだと考える。

禅とは、自らの仏体験だという。つまり水を説明しても濡れない。火を説明しても、熱くない。食べ物を説明しても、空腹は満たされない。端的に言えば百聞は一見に如かずだ。自ら禅という行為をする事によって、内部に存在する仏を探りだせるというもの。

例えば日蓮宗が"他力本願"と呼ばれるのに対し、曹洞宗は"自力本願"と呼ばれる。曹洞宗側に言わせれば、いくら題目を唱えようと、いくら書物を読み漁ろうと、自らの体験に基くものにはかなわないというもの。宇宙の真理を知りたいファウスト教授は、メフィスト・フェレスに連れられて、不思議な旅という実体験をし、魂は召された。また阿闍梨は、自らを見つめず愛欲に耽り、六道に堕ちた。しかし、快庵禅師によって自らの仏を見つめる体験を成し、導かれた。

「青頭巾」の最後の方に「初祖の肉いまだ乾かず」という快庵禅師を褒め称える言葉が紹介されているが、これは達磨大師が、まだ死なないでいる如く、その法は生々しく生きているという意味に快庵禅師もまた…という意味だ。つまりこれは、真理は巡り巡るものとされる意でもある。曹洞宗では、円を意識している。輪廻転生では無いが、この言葉は巡りめく真理は永遠に巡っているとの例えとも感じ取れる。


故の密宗をあらためて、曹洞の霊場をひらき給ふ。今なほ御寺は
たふとく栄えてありけるとなり。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
阿闍梨のいた寺は真言密教、いわゆる東密と呼ばれた密教寺だった。それがこの「青頭巾」では、曹洞宗に改宗となった話にもなっている。

江戸時代(元和元年 1615年)幕府に保護され永平寺が総本山となってから、曹洞宗がかなり普及した。白山信仰の元となっている白山を永平寺が鎮守神と守護神を、白山権現に定めたのも普及に
拍車をかけたのかもしれない。白山信仰の盛んな東北においては、それを崇める曹洞宗は、親しみやすく感じたのかもしれない。その為、東北には現在、沢山の曹洞宗が存在する。

ところで真言密教といえば空海。空海といえば即身仏が有名で、阿闍梨の最後の姿は、即身仏を思い起こさせるものであると思う。快庵禅師の「江月照松風吹 永夜清宵何所為」という問いに対し、阿闍梨は肉体が滅んでも尚、魂が「江月照松風吹 永夜清宵何所為」という言葉を唱えていたのは、即身仏になったという証なのだと思う。それを成仏させたのは、紛れも無い曹洞宗である快庵禅師の力。つまりこの「青頭巾」の話は、衰退し始めた真言宗に更に追い討ちをかけた話と考えるのは極端だろうか?

密教系…つまり天台宗でも真言宗でも、裏では酒を飲み、女を侍らせていたという。だから、織田信長が天台宗である延暦寺を焼き払い、豊臣秀吉までもが真言宗の総本山を焼き討ちしたのは、堕落にあった。「青頭巾」の阿闍梨もまた真言密教の坊主でありながら、美少年に愛欲という煩悩を持ち込んで鬼になったというのは、密教系の堕落を現す為の手段として上田秋成が、この物語に持ち込んだものと思われる。

ちなみに、真言立川流というのがある。醍醐天皇も信仰していた邪教で、歴史から抹消されたのは徳川時代になってからだ。その真言立川流の奥義は、男女の性交と肉食にあるという。そしてその発生は”仁寛阿闍梨”に行き着く。
by dostoev | 2010-11-14 08:24 | 「青頭巾」 | Comments(0)

「青頭巾」終焉(其の一)

「江月照松風吹 永夜清宵何所為」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
快庵禅師が阿闍梨に与えたこの言葉…。訳すれば「入り江には清らかな月の光が差し、松吹く風は爽やかな声を立てている。この永い夜の清らかな宵の景色は、何の為にあるのか。」 ところで全くの的外れかもしれないが、この「江月照松風吹永夜清宵何所為」を読んで思い出したのは、グスタフ・マーラー作曲「大地の歌(6楽章)」だ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Die Sonne scheidet hinter dem Gebirge,

In alle Taler steigt der Abend nieder
Mit seinen Schatten,die voll Kuhlung sind.

O sieh! Wie eine Silberbarke schwebt
Der Mond am blauen Himmelssee heraut.

Ich spure eines feinen Windes Wehn Hinter
den dunklen Fichten!

Der Bach singet voller Wohllaut durch
dass Dunkel.

Die Erde atmet voll von Ruh und Schlaf.

Alle Sehnsuchtwill nun traumen.

Die muden Menschen gehn heimwarts,Um im
Schlaf vergessnes Gluck Und Jugend neu
zu lernen!

Die Vogel hocken still in ihren Zweigen.

Die Welt schlaft ein!

Es wehet kuhl im Schatten meiner Fichten.

Ich stehe hier und harre meines Freundes.

Ich harre sein zum letztten Lebewohl.

Ich sehne mich, o Freund, an deiner Seite

Die Schonheit dieses Abends zu geniessen.

Wo bleibst du? Du lasst mich langallein!

Ich wandle auf und nieder mit meiner Laute

Auf Wegen, die von weichem Grase schwellen.

O Schonheit! O ewigen Liebns-Lebens-trunkne
Wwlt!

Er stieg vom Pferd und rechte ihm den Trunk

Des Abschieds dar. Er fragte ihn,wohin
Er fuher und auch warum es musste sein.

Er sprach, ud seine Stimme war umflort:Du,
mein Freund,

Mir war auf dieser Welt das Gluck nicht hold!

Wohin ich geh? Ich geh ich wandre in die Berge.

Ich suche Ruhe fur mein einsam Herz

Ich wandle nach der Heimat! Meiner Statte.

Ich werde niemals in die Ferne schweifen.

Still ist mein Herz und harret seiner Stunde!

Dieliebe Erde alluberall bluht auf im Lenz und grunt

Aufs neu! Alluberall und ewig blauen licht die Fernen!

Fwig ....fwig.....




夕陽は山並みに沈み 冷え冷えとした渓谷に

暗い闇が忍び降りてくる

見よ!月が蒼い天空に 銀の小船のように
昇っていく

そして私は松の暗い木陰に立って涼しい
夕風を一人身に受けている

小川のせせらぎが夕闇に響き渡り

花は夕映えの微光に色を失う

大地は安らぎと眠りの中に沈んでいき

その時から全ての憧れが夢見はじめる

生きることに疲れた人間は

過ぎ去った幸福と青春とを

眠りのうちに蘇らそうと家路につく

鳥は静かに木の枝に休んでいる

世界は眠りに落ちたのだ!

松の木陰に冷え冷えと風が吹き

私は最後の別れを告げる為に

木の下で友を待ちわびる

友よ、君が来れば

この美しい夕映えを共に愛でよう

君は何処にいるのか?

私は一人ここに佇んで君を待ちわびている

私は琴を手にして柔らかい草花が

波打つ道を彷徨する

おお美よ!

永遠の愛と生命とに酔いしれた世界よ!

友は馬を下りて別れの酒盃を差し出す

そして私は君に尋ねる

「君は何処に行くのか?また何処に?」と。

私は愁いを帯びて口を開く

「友よ、この世に私の幸福は無かった。
 私は一人寂しく山に彷徨い入る」

「疲れ果てた孤独な魂に永遠の救いを求めて
 今こそ故郷へ帰っていくのだ。私は心静か
 にその時を待ちうけている。」

しかし春になれば愛する大地は再びいたる
ところに花が咲き乱れ樹々は緑に覆われて

永遠に世界の遠き果てまでも青々と輝き渡る

永遠に.....永遠に.....

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちなみに…ウムラウト無しで書き記しました。とにかくこれがマーラーの「大地の歌(6楽章)」のドイツ語による詩と、日本語に訳した詩。元々は中国の王維などの詩をマーラーが切り貼り?したものです。

禅師の示した「江月照松風吹 永夜清宵何所為」とは「証道歌」という、唐の永嘉玄覚大師(665~713)が禅の要諦を一種の詩の形で端的に表現した古典であり、その内容は自然との対話みたいなものである。

ところでマーラー「大地の歌」に使用された詩は、王維、李白、孟浩然という、やはり自然との対話など、自然詩と呼ばれるものを作り上げてきた人物達で、とりわけ大地の歌の六楽章で使用された王維は、自然詩人の中でも際立った存在だ。

時代的にも7世紀後半から8世紀にかけて活躍してきた人物達であるから、証道歌の時代とも同じである。要は、中国の唐代にこういった自然との対話を詠うものが流行っていたのだろう。マーラーはこの唐代の詩人達の詩に感動し、感銘を受け、曲に現した。

マーラーの作曲の根底には”死への不安と生への渇望”が織り込まれている。そして「大地の歌」ではその帰結を、自然との同化として現している。悲しみが深ければ深いほど、白日の下に晒され、大自然に帰すものがマーラーの「大地の歌」である。
by dostoev | 2010-11-14 08:13 | 「青頭巾」 | Comments(0)

「青頭巾」展開部其の一

山院人とどまらねば、楼門は荊棘おひかかり、経閣もむなしく苔蒸しぬ。
蜘網をむすびて諸仏を繋ぎ、燕子の糞護摩の牀をうづみ、方丈廊房すべ
て物すざましく荒れはてぬ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここから快庵禅師は、阿闍梨のいる寺に辿り着いた。阿闍梨が鬼となって、寺の荒れようを表しているのだが「蜘網をむすびて諸仏を繋ぎ、」という表現に心を惹かれてしまった…。

いろいろな小説を読むと、蜘蛛の巣を張っている情景描写がよくあるが、大抵の場合、蜘蛛の巣が張られる事により、不気味さを醸し出す表現が殆どの気がする。しかし、この上田秋成の表現は、今までの蜘蛛の巣の表現を打ち払うかのように美しさを感じる。


日の影申にたかぶく此、快庵禅師寺に入りて錫を鳴らし給ひ、
「遍参の僧、今夜ばかりの宿をかし給へ」と、あまたたび叫べ
どもさらに応えなし。眠蔵より痩せ槁れたる僧の漸々とあゆみ
出で、咳びたる声して、「御僧は何地へ通るとてここに来るや。
此の寺はさる由縁ありてかく荒れはて、人も住まぬ野らとなり
しかば、一粒の斎糧もなく、一宿をかすべきはかりごともなし。
はやく里へ出でよ」といふ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここの文章を読む限り、阿闍梨に人としての躊躇いがあるのがわかる。しかし人間らしさも、ここまでだ。 つまり阿闍梨は、半分人間であり、半分が鬼だという事がわかる。ここで先述した二十三夜という半分死に半分生きている月の存在が重要になるかもしれない。



看る看る日は入り果てて、宵闇の夜のいとくらきに、燈を
点けざればまのあたりさへわからぬに、只澗水の音ぞち
かく聞ゆ。あるじの僧も眠蔵に入りて音なし。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところが闇が周囲を覆いつくしても、阿闍梨の変化は無い。ただ水の音だけが響くという、ある意味不気味な間を作り上げている。


夜更けて月の夜にあらたまりぬ。影玲瓏としていたらぬ隈もなし。
子ひとつとおもふ此、あるじの僧眠蔵を出でて、あわただしく物
を討ぬ。たづね得ずして大いに叫び、「禿驢いづくに隠れけん。
ここもとにこそありつれ」と…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
月の出と共に、阿闍梨は鬼に変貌した。ここをどう捉えるかだ。月に関する伝承は、古今東西に広がりを見せる。


*月の軌道が狂ったのだ。いつもよりずっと地球に近づいたので、
 人間どもが狂いだしたのさ。   シェイクスピア「オセロー」

*魔物に憑かれて生じる精神錯乱。怏々として楽しまない鬱病。
 月にうたれて生ずる狂気…。      ミルトン「失楽園」




月が、人の狂気を導き出すものと信じられていた。「竹取物語」でも、「月の顔を見るのは忌むべきことだ。」とある。つまり、平安の世では、月を眺めるのは不吉だという意識があったのだろう。何故かと言うと、それは人間としての”死”をもたらすものという意識がある為
だったのだろう。

岩手の俗信に「月の光を浴びながら寝ると、寿命が縮まる。」というのがある。月の光が、なんらかの影響を人間に与えているものという意識はずっと伝えられてきたのかもしれない。

今では殆ど見られなくなったが、大正時代までは欧米のハロウィンのように子供らが近所の家々を回って供え物などを貰い歩くという風習もあったというのは、もしかしてキリスト文化が日本国に混入されていた為なのかもしれない。そして思う…もしかしてこれは日本版「禿山の一夜」だったのではないのか?

禅師が前を幾たび走り過ぐれども、更に禅師を見る事なし。堂の方に
駆りゆくかと見れば、庭をめぐりて躍りくるひ、遂に疲れふして起き
来らず。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「耳なし芳一」では、全身にお経を書き記して、亡者から発見されぬようにした。また「太平百物語」では、一晩中読経する事により化け物から逃れた。「怪談とのゐ袋」では、気配を絶って怪物から助かる話。いずれも背景には信仰の力というものがあるのだが、この「青頭巾」の場合は、気配を絶ち、自然に溶け込む事によって魔から逃れたとなるのだろうか。ただ後半に示される言葉「江月照松風吹 永夜清宵何所為」にかかってくるのだと思う。

ところで日本の曹洞宗開祖である道元は、ただひたすらに坐る事を重視した。何かの功徳や利益を得る為に坐るのではなく、ただ坐る事に打ち込む事であると。つまりこれは、ただそこに座すという事であり、そこには自我が消え去るという事ではないのだろうか?鬼となった阿闍梨という存在は、欲望の権化であり、動的存在だ。それと相対する快庵禅師は、ただひたすらに風景と化した。

鬼をもって鬼を制すという言葉があるが、これは鬼になるからこそ、そのものの邪心が目に付くからなのだと思う。ところが自らに纏うもの全てを脱ぎ捨てて自然に帰るというものは、その風景に溶け込むのであるから、阿闍梨には見えなかったのだろう。


禅師いふ、「里人のかたるを聞けば、
              汝一旦の愛欲に心神みだれしより…」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…とある。「心神」と書き記し「こころ」と読む。そういえば、人には神が宿っていたというのを思い出した。それとは別に、仏が宿るとはなかなか言わないものだ。よく坊主が本地垂迹を示す場合「樹木には神が宿る。その樹木から仏像を彫るのであるから、仏と神は同じである。」というような言い方で、布教に勤めた話がある。

ただ実際、神が宿るのは樹木だけではなく、人間にも宿る。例えば”頭”もそうだ。元々”頭””天の霊(あまのたま)”とも呼ばれ、人間の頭に天の霊が降りたものだ。それはつまり、神が頭に降臨したものに等しい。心とは何ぞや?と問えば、頭を差す場合と心臓を差す場合があるというが、ようは心の事を言っている為だ。つまり心は神が宿っているもの。正確に言えば、神が与えたものが宿っているものが心なのかと思ってしまう。ここでの快庵禅師の言葉として使われた「心神(こころ)」は、そのまま心というものを上田秋成の時代の人々が感じていた事なのだろう。
by dostoev | 2010-11-14 08:05 | 「青頭巾」 | Comments(0)

「青頭巾」序章其の五

さるにてもかの僧の鬼になりつるこそ、過去の因縁にてぞあらめ。
そも平生の行徳のかしこかりしは、仏につかふる事に志誠を尽せし
なれば、其の童児をやしなはざらましかば、あはれよき法師なるべ
きものを。

一たび愛慾の迷路に入りて、無明の業火の熾なるより鬼と化したる
も、ひとへに直くたくましき性のなす所なるぞかし。

『心放せば妖魔となり、収むる則は仏果を得る』とは、此法師がた
めしなりける。老衲もしこの鬼を教化して本源の心にかへらしめな
ば、こよひの饗の報いともなりなんかし」と、たふときこころざし
を発し給ふ。

莊主頭を畳に摺りて、「御僧この事をなし給はば、此の國の人は淨
土にうまれ出でたるがごとし」と、涙を流してよろこびけり。山里
のやどり貝鐘も聞えず。廿日あまりの月も出でて、古戸の間に洩た
るに、夜の深きをもしりて、「いざ休ませ給へ」とて、おのれも臥
所に入りぬ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>無明の業火

永く身を苦しめる煩悩の炎であって、無明とは希望無き明りとでも訳するのだろうか。無明とか無常、無情など「無」が付く漢字は通常の意味に相反する場合が多い。ただ無心となると、心は邪なものを考える?ので、無の心は邪心の無いものと、やはり逆になってしまうのか。。。

つまり人間の常と相反してしまった為に、阿闍梨は鬼となった。そしてその鬼となった根底には阿闍梨の強い心があった。

>ひとへに直くたくましき性のなす所なるぞかし。

この訳には、自分が読んでいる「新潮日本古典集成」では…。

*「本気で強気な性質。「直く」は、古代人に憧れた秋成が、常に
  理想とした性格である。」とある。


古代人に憧れた秋成というものを、自分はわかっていない。それだけ全ての作品を読み切っていないという証拠だ。しかしこの「青頭巾」において、無明の業火に焼かれつつも、阿闍梨が強い心を持っ
て鬼となった事を、秋成は憧れていたのだろうか?ここが謎である。

>『心放せば妖魔となり、収むる則は仏果を得る』

心を欲望のまま開放すれば、妖魔となってしまう。人間であれば、その欲望を開放せずに、押さえ込もうという力が働くものだと言っているようなものだが、先程の”無明”では無いが、相反する事柄
の場合、その人なりの力を要するものだ。つまり”無明”とは、永く身を苦しめる煩悩の業火なのだが、その身を苦しめる場所に身を投げ出す行為そのものが秋成にとっての憧れた力だったのだろうか?

実は、たんたんと物語が進む中にちりばめられた、上田秋成の謎が潜んでいる。いったい上田秋成は、どういう心情でこの「青頭巾」を書き上げたのだろう?

>山里のやどり貝鐘も聞えず。廿日あまりの月も出でて、古戸の間に
>洩たるに、夜の深きをもしりて、「いざ休ませ給へ」とて、おのれ
>も臥所に入りぬ。


貝鐘も聞こえずというのは、鬼となった阿闍梨のいる寺で吹き鳴らす貝や鐘が聞こえぬというのは、仏のおらぬ闇の世界と訳してもいいのだろう。何故ならこの後に「廿日あまりの月も出でて」とあるからだ。

平安の世は、それこそ太陰暦を採用していたので、新月から始まり晦まで、事細かに月の形を示している。平安の世での月は重要なものであり、「十六夜月」「居待月」「寝待月」などの趣きある呼び名も使われた事から、月に対する想いを感じる。

ところで古代、太陽は東から昇り(生まれ)西へと沈む(死ぬ)という概念がある通り、月にもまた満ち欠けにより、命の推移があったようだ。廿日あまりの月とは、多分二十三夜月で、半月。半分満ち、半分き影にとなっている形。要は半分生きて、半分死んでいる状態が二十三夜月だ。ところで江戸時代には、盛んに二十三夜講という月待ち行事が行われた。

月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にした後、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事だ。

二十三夜月には広く伝わる俗信があり、その生きているか死んでいるか、どちらともとれない不安定な二十三夜月の明かりに映る影に、首が無いと死期が近いと云われている。その二十三夜月の明かりが古戸の間から漏れて、快庵禅師は夜の深さ闇の深さを知る。明日は快庵禅師自らが、阿闍梨の寺へと行く覚悟を感じる文章である。なので快庵禅師は「いざ休ませ給へ」口に出して述べて眠るというのは、この前の不安を醸し出す「廿日あまりの月」にかかっているのだと思う。
by dostoev | 2010-11-14 07:52 | 「青頭巾」 | Comments(0)

「青頭巾」序章其の四

世には不可思議な事もあるものかな。凡そ人とうまれて、仏菩薩の教えの
広大なるをもしらず、愚なるまま、慳しきままに世を終るものは、其愛慾
邪念の業障に攬れて、或は故の形をあらはして恚を報ひ、或は鬼となり蟒
となりて祟りをなすためし、往古より今にいたるまで算ふるに尽しがたし。
又人活ながらにして鬼に化するもあり。楚王の宮人は蛇となり。王含が母
は夜叉となり、呉生が妻は蛾となる。

又いにしへある僧卑しき家に旅寢せしに、其夜雨風はげしく、燈さへなき
わびしさにいも寢られぬを、夜ふけて羊の鳴こゑの聞えけるが、頃刻して
僧のねふりをうかがひてしきりに齅ものあり、僧異しと見て、枕におきた
る禪杖をもてつよく撃ければ、大きに叫んでそこにたふる。この音に主の
嫗なるもの燈を照し來るに見れば、若き女の打たふれてぞありける。

嫗泣くなく命を乞ふ。いかがせん。捨てて其家を出しが、其ののち又たよ
りにつきて其の里を過しに、田中に人多く集ひてものを見る。僧も立ちよ
りて『何なるぞ』と尋ねしに、里人いふ『鬼に化したる女を捉へて、今土
に瘞むなりとかたりしとなり。』とかたりしとなり。

されどこれらは皆女子にて、男たるもののかかるためしを聞かず。凡そ女
の性の慳しきには、さる淺ましき鬼にも化するなり。又男子にも隨の煬帝
の臣家に麻叔謀といふもの、小兒の肉を嗜好て、潛に民の小兒を偸み、こ
れを蒸て喫ひしもあなれど、是は淺ましき夷心にて、主のかたり給ふとは
異なり。

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>凡そ人とうまれて、仏菩薩の教えの広大なるをもしらず、
>愚なるまま、慳しきままに世を終るものは…。


これはある意味、宗教の宣伝のようでもある。宗教勧誘の常套句に「地獄に堕ちる」というものがある。信心深くなり、仏教に帰依しなさいという事。これは現代の信仰宗教の勧誘でもよく使われるパ
ターンだ。

日本の文化としての仏教…お盆や、彼岸。または1回忌~という先祖を供養する文化は誇るべき日本の文化だとは思うが、これには多大なお金もかかるのが事実。本来の精神性とはかけ離れている気が…。

またよく「先祖を供養しないでいたから罰が当たった。」という話。例えば、墓掃除をあまりしなかった為に、家で不幸な出来事が相次ぐというもの。個人的に言わせて貰えば、其の程度でこの世に生きている者達に祟りや罰を与える先祖など要らない!と思うのだが…(^^;

>されどこれらは皆女子にて、男たるもののかかるためしを聞かず。
>凡そ女の性の慳しきには、さる淺ましき鬼にも化するなり。



こういう話の殆どは女であって、男のこのような話を聞いた事が無い。女の性格の貪欲さは、浅ましい物の怪によく化けるものである…みたいな訳になるのかもしれない。

ところで「吉備津の釜」の初めにも「女の慳しき性を募らしめて…。」とあり、秋成は女の慳しさを書き記している。女性とは卑しいものだ?という観念は、秋成だけでなく、時代の観念として根付いていたのかもしれない。実は平安時代の「徒然草」107段でも吉田兼好は、痛烈な女性批判 を書き記している。

「女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知ら
 ず、ただ迷ひの方に心もはやく移り、詞も巧みに、苦しからぬ事を
 も問ふ時は言わず…。」



しかし平安時代である「徒然草」から、江戸時代の「雨月物語」の間、女性蔑視の観念は続いていたのだろう。これは一部の例ではあるけれど、文章の中で言い切ってしまうというのは、時代は変れど女性に対する意識は変らないままだったのだろう。江戸時代には「怪談」も盛んになり「四谷怪談」やら「累が淵」など男に裏切られ、幽霊となって復讐する話が全盛となる。これの元となるのは、昔から伝わる女性に対する意識だ。

例えば「夕鶴」で女が「決して機を織っている姿を見ないでください。」という言葉に反し覗いてしまう男というのは、男は約束を破る存在であり、女はいつも本性を隠している存在だという事。更に遡れば「古事記」に於いて、イザナミが「決して見ないでください。」という言葉に反して、イザナギは、まだ体が再生していないイザナミの 醜い姿を見てしまう。

とにかく古代から、女は恐ろしい本性を隠している存在であり、男はタブーを破る存在だと言われ続けたのだろう。

これほどまで女が恐ろしい本性を隠していると思われたのには、妊娠の問題があった。人間の男と結ばれれば、人間の子供を産み、その子を守り続けるのが女の性でもあった。しかし昔は、女とは何と交わるかわからない不安があった…。

妊娠のシステムが解明されていない昔、例えば犬と交われば犬の子を産み、蛇と交われば蛇の子を産むのが女だと思われた。昔の日本では、女人禁制の山が全国に沢山あった。その理由は様々あるが、その中には女を魔物から守るというのもあった。山は異界であり、何が棲むのかわからない恐ろしい空間が山であった。その山に女が迷い込めば、魔物に襲われ犯されてしまうという不安。人間でない子を産むという女は、その時点で人間では無くなってしまう。魔物の子であれ、女にとっては我が子。我が子を守る女は、人間では無くなってしまうのだった。

魔と交わる可能性のある女は、半分人間であり、半分魔物という意識もあったようだ。なので、吉田兼好も上田秋成も、女性に対して辛辣な言葉を投げかけているというのは、迷信がまだ蔓延っている時代という事を現している。
by dostoev | 2010-11-13 21:41 | 「青頭巾」 | Comments(0)

「青頭巾」序章其の三

国府の典薬のおもだたしきをまで迎へ給へども、其のしるしもなく、終に
むなしくなりぬ。ふところの壁をうばはれ、挿頭の花を嵐にさそわれしお
もひ、泣くに涙なく、叫ぶに声なく、あまりに、歎かせたまふままに、火
に焼き、土に葬る事をもせで、瞼に瞼をもたせ、手に手をとりくみて、日
を経給ふが、終に心神みだれ、生きてありし日に違はず戯れつつも、其の
肉の腐り爛るるを吝みて、肉を吸ひ骨を嘗めて、はた喫ひつくしぬ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>ふところの壁をうばはれ

ここは懐の玉壁と訳すとわかり易いのかもしれない。璧とは宝珠の事であり、宝珠は古来、中国人が愛好し珍重してきた宝石で、我が身に納める大事なものとしての壁だと。

また周の時代の詩歌を集め、戦国時代に編集された『詩経』に登場する有名な話に「他山の石」というのがあり「他山の石を以って玉を攻むべし。」とあるのは、取るに足らない他山の石であっても、我が玉(玉壁)を磨く石にもなるという意で、人というものは常に懐(心)に大事なものを潜ませているものだというもので、その懐の壁を奪われた阿闍梨は、その嘆きが極限に達しているのがわかる。

>挿頭の花を嵐にさそわれしおもひ、

更に日本の古来、花見の席に於いて、女性が男の前で挿頭として桜の花を飾るという事は、男女の交わりの合意を現すものだった。花とは大抵の場合”桜”を現し、その挿頭の花とは男女の仲の比喩的表現でもあるので、ここで阿闍梨の歎きは、やはり性的な相手を失った悲しみを表すものとして強調する文章だったのだろう。

>其の肉の腐り爛るるを吝みて、肉を吸ひ骨を嘗めて、はた喫ひつくしぬ。

これは単純に、愛したものの死肉を食ってしまった事から、残虐な鬼に変ってしまったと解釈していいのだろうか?文化的食人と、言ってよいものかどうか…。ただ「食人」の持つ思想的な意味は二つあるという。一つは、故人の持つ魂や能力を身に付ける為に、自分の持ち得ない能力、もしくは自分より優れた人物を食らう事により、その人物の知識や経験を受け継ごうとする思想。

もう一つは、敵を殺した場合は、その脳味噌を食べるというもの。これは、古代の中国では、魂は脳に宿るものとしたので、その死者が復活しないように、脳味噌を食らったのだそうな。北京原人にも、ネアンデルタール人にも、頭蓋骨に穴が開けられた痕があり、どうも原始的な文化には脳味噌を食らう風習があったのだと伝えられる。

ところで日本語で言うところの「頭」とは、元々天の霊(あまのたま)という意味から、神が降臨した場所を現す。故に人間とは、神の意思に委ねられているのだという考えが、かってあった。つまり頭であり、脳を食らうという事は、故人の魂を食らう事だ。

「魂」という漢字には「二」に「厶」を足し「鬼」が加わって「魂」となる。「二」は「二つ」を現し、「厶」は「私的」であり「わからない様」でもあり、そして「よこしま」という意もある。その曖昧な私的な存在に鬼が加わって「魂」となるというものは、元々魂とは、何にでも変化する人の存在の恐ろしさを現しているのかもしれない。

また「二」と「厶」の左に「人」を足すと「伝」という漢字になる。解釈をすれば「自ら広める」という意味になるのだろうか?どちらかというと、能動的で「陽」の雰囲気が漂い、逆に「魂」はいろいろ影響を受けそうな 受動的で「陰」の雰囲気だ。

梅図かずおの漫画に「神の左手悪魔の右手」というものがあるが、まさに「二」+「厶」 という漢字の右に「鬼」という漢字が付くか、左に「人」という漢字が付くかで、その訴える雰囲気は、まったく変わってしまう。もしかして阿闍梨は、愛する者を食らう事により、魂の昇華を求めたのだ
が、バランスが偏り狂った為に自己のアイデンティティーが崩壊し「鬼」となったのかもしれない。それだけ人を食らうという行為は恐ろしいものだ。

菅江真澄が天明の大飢饉に喘ぐ陸奥の国を歩く中で出会った乞食の言葉には、東北の殺生罪業観が浸透していた事が伺える。真澄の前にいた乞食は、飢饉で死んだ人々の前で涙を流しながら、自分
は人や馬を食って、辛うじて生き永らえていると言った。真澄は乞食に人や馬を食べたのは本当かと問う。すると乞食は、こう答えた。

「人も食べ侍りしが、耳鼻は、いとよく侍りき。馬を搗て餅としてけるは、
たぐひなう、美味く侍る。しかはあれど、あらぬくひものなれば、ふかく
ひめて露、人に語らず侍るは、今に至りても、あな来たなとて、つふね
(下男)、やたこ(奴)にもめし給ふ人なれば、男女なべて、隠し侍る。
たうときかたにまうで侍る旅人、出家は、改悔懺悔して、罪も滅びなん
と思ひ、ありしままにもらし侍る。」


上田秋成の時代、平和な世のイメージもあるのだが、江戸には四大飢饉というものがあり、上田秋成の耳にも、その人を食らうまでなった悲惨な飢饉の話が届いていたのだと思う。宗教さえも届かない、人を食らうまでなる飢饉の悲惨さの意識が、もしかしてこの「青頭巾」の中にも盛り込まれ
ていのかもしれない。
by dostoev | 2010-11-13 21:33 | 「青頭巾」 | Comments(0)

「青頭巾」序章其の二

また「身に墨衣の破たるを穿て…。」とある。この姿をイメージすれば、大抵の場合”乞食坊主”?というイメージを、大抵の人が思い浮かべるのかもしれない。かろうじて坊さんの姿をしてはいるが、その身なりから、どれだけの人が、徳の高い坊さんという意識を持つだろう。

死者の供養は、平安末期に浄土宗の坊さんが死体を前に手を合わせた事から始まったのだという。それまでは、死体は穢れの元でもあったので、誰も供養するという意識は無かったようだ。

時代が進み、いつの間にか葬式という概念が庶民に広がり、葬式をする事によって寺へ収入が広く入るようになったのだった。しかし天下が統一され太平の世が訪れて豊かになったのか、坊主どもは
更なる豊かさを求め、葬式の後の忌明け四十九日の他に、初七日や一周忌、お盆の法要などなど、沢山の法要をくみ入れ、寺の収入の安定期に入ったのが江戸時代だ。

豊かになれば、坊主であろうが慢心はするようで、この頃になり遊郭の他に高価な男娼というのも現れ、一般の庶民は遊郭で遊び、お金がある坊さんなどは、その高価な男娼を買うという時代でもあった。お釈迦様は、それこそボロボロの雑巾のような衣を纏っていたという。そして食べ物を恵んでもらえる鉢を手にしていた。根源的な坊さんの姿とは、衣と鉢だけの姿だった…。

「衣鉢を継ぐ」とは、お釈迦様のその持ち物を、死んだらその弟子が受け継ぐものとしてあり、本来の意味はこういうものだった。ボロボロの衣の汚い褐色の事をインドの言葉で「カシャーシャ」。これが漢訳されて「袈裟」となったのだという。ところが時代が進み、坊さんが経済的に豊かになった為か、本来は汚いものであった「袈裟」が、いつの間にか豪華絢爛たる衣に移り変わっていった。

「青頭巾」の最後の方に、鬼となった阿闍梨に青頭巾を被せるシーンがある。これは快庵禅師の破れたボロボロの墨のような衣の姿を、根源的仏教本来の姿とし、身に着けていた青頭巾を阿闍梨に預けた事により、”衣鉢を継ぐ”という意味へと通じさせたのではないだろうか?
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莊主かたりていふ。「さきに下等が御僧を見て、『鬼來りし』とおそれ
しも、さるいはれの侍るなり。ここに希有の物がたりの侍る。妖言な
がら人にもつたへ給へかし。此の里の上の山に一宇の蘭若の侍る。
故は小山氏の菩提院にて、代々大徳の住み給ふなり。今の阿闍梨
は何某殿の猶子にて、ことに篤学修行の聞えめでたく、此の國の人
は香燭をはこびて歸依したてまつる。

我莊にもしばしば詣で給うて、いともうらなく仕へしが、去年の春にて
ありける。越の国へ水丁の戒師にむかへられ給ひて、百日あまり逗
まり給ふが、他国より十二三歳なる童児を倶してかへり給ひ、起臥の
扶とせらる。かの童児が容の秀麗なるをふかく愛させたまうて、年来の
事どももいつとなく怠りがちに見え給ふ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここでは阿闍梨がいかに、優秀な僧であったかを説明している。しかし聖人はあまりにも潔白すぎて、欲に陥りやすくもある典型の話しとなる。

「今昔物語」の巻二十の七にやはり、ある屋敷の妻が物の怪に取り憑かれ、それを祓う為に葛城山で修行し法力を得た聖人が、その妻の魅力に取り憑かれて魔道に堕ち天狗となってしまうエロチックな話もまた、聖人が色欲に堕ちてしまった話がある。

キリスト圏でも、色欲は七つの大罪に属するほどの罪だ。戒律の厳しいロシア正教では、僧は色欲を起こさぬようにと性器を切り取っていたほどだ。色欲の虜になってしまうのは、キリスト圏では悪魔に魅入られた事となる。仏教世界では、これは魔道に堕ちると同じだ。

江戸時代は、過去までの法要が、人の魂は49日間漂うとされ、その間の49日で全て終了していたのに対し、このままでは寺の収入もはばからぬと、百ヶ日、一周忌、三回忌…と延々とこじ付け法要を作り上げて、寺の収入をアップさせた時代でもある。江戸時代当時、収入がアップした寺ではお金が有り余ったのか、生臭坊主が美少年を愛でている事が頻繁にあったらしい。お金があって身分の高い者は男を買い、普通の男は女を買ったという。当時の男娼を買う人物とは、身分があり、お金を持っている者に限られていたという。ここでは自堕落した坊主を揶揄する心から、秋成が「青頭巾」を書き記した気もする。

また気になるのは、越の国から連れて来たという童児だ。


>起臥の扶とせらる。

起臥の際の手伝いとは、身の回りの世話をさせる意であるが、別に同性愛の相手としての役割もあったようだ。この時代、僧の常として美少年を囲っていたようである。

ところで上田秋成の宗派はなんだったのだろう?色欲によって鬼となった阿闍梨を否定し、それを救うというのは過去に親鸞が女犯の戒律を否定した”他力本願”の浄土真宗を含む全ての否定と捉えてもいいのかもしれない。ここでの主人公は、青頭巾である快庵禅師であり、”自力本願”を教義とする曹洞宗だからだ。

もしかして、曹洞宗以外の”他力本願”を謳う他の宗派の否定とも捉えかねない。最後の方にある禅問答は、まさしく曹洞宗の美化と捉えてもいいような気がするが。

聖人であった阿闍梨が鬼となったのは、色欲とは書いたが、元々は越の国から連れて来た十二三歳の容の秀麗な童児に魅せられたからである。越の国で有名な”鬼”の代表は、弥彦山の「ヤサブロウバサ」だ。ヤサブロウバサとは弥三郎の婆の意味であり、弥三郎とは元々近江の国の伊吹山に住むもので、その子供は伊吹童子。実は、大江山の酒呑童子は、伊吹童子が伊吹山から大江山へ移り住んだものとされる。

江戸時代に大風が吹く事を「弥三郎風」が吹いたとされるのは、風は古来からヤマセなど、作物を枯らす冷害などの悪を運ぶものであり、九州から北陸にかけては、風とは妖怪(鬼)そのものであると思われていたようだ。

ところで越の国とは、北陸だけでなく、現在の山形は羽黒へも広がる地域として知られている。古代の朝廷にとって、東北は鬼門とされた。ただし鬼門には、表と裏があり、同じ東北でも青森・岩手は表鬼門とされ、裏鬼門は羽黒のある現在の山形を含む越の国であった。その為なのか、江戸時代に入っても陰陽道に長けていた天海は、江戸を呪術的支配とするよう、羽黒や湯殿山のある出羽の国へ手を施した形跡がある。

弥三郎のいた伊吹山は、ヤマトタケルの死んだ魔の地でもあり、その伊吹山の弥三郎という存在がいつしか越の国へと伝えられ定着し、弥三郎よりも更に恐ろしい弥三郎の婆「ヤサブロウバサ」誕生である。江戸時代には、鬼の総本山として越の国が存在した。

越後の弥彦神社に祀られている「ヤサブロウバサ」でもある「妙多羅天女像」は、まさしく鬼婆の様相をしている。妙多羅の多羅は「多々羅」に通じ、やはり近江の国の弥彦山にも「多々羅」が存在し、その繋がりが際立つ。そして鉄と鬼の関係よろしく、まさしく越の国の「ヤサブロウバサ」は、江戸当時の鬼の代表格となっている。

その越の国から連れて来た童児に心を奪われ、その死肉を食らって鬼となった阿闍梨は、まさに越の国の「ヤサブロウバサ」が葬儀の参列を襲い、死体を奪って食らう鬼という存在と同じだ。

もしかして越の国から来た童児そのものが、実は人の心をたぶらかす鬼であり、その自らの死肉を食らわし、阿闍梨を鬼としてしまったのは、快庵禅師が阿闍梨に対し青頭巾を被せ衣鉢を継がせたのと同じようにまた、死肉を食らわせるよう仕向けたのは、鬼の”衣鉢を継ぐ”という行為ではなかったのだろうか?

蛇足ではあるが、近江の国から越の国へ行き、中央に赴いたという人物は、歴史上の中では未だ謎の人物とされる継体天皇である。もしかして、鬼の伝説と何か関連があるのだろうか?
by dostoev | 2010-11-13 21:26 | 「青頭巾」 | Comments(0)

青頭巾(序章)

むかし快庵禅師といふ大徳の聖おはしましけり。総角より教外の旨を
あきらめ給ひて、常に身を雲水にまかせたまふ。

美濃の国の龍泰寺に一夏を満たしめ、此の秋は奥羽のかたに住むと
て、旅立ち給ふ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
序文は、快庵禅師のプロフィールから始まっている。快庵禅師は禅師であり曹洞宗であった。「雲水にまかせる。」というのは、諸国を修行する托鉢僧の意に加え、行脚・遍歴そのものの意に用いるのだと。とにかく奥羽行く途中、下野の国に立ち寄って、ひとつの事件にでくわす快庵禅師だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

富田といふ里にて日入りはてぬれば、大きなる家の賑は
はしげなるに立ち寄りて一宿をもとめ給ふに…。

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日本において、仏教は守護されていた。なので快庵禅師のような修行僧を向かいいれる家はあったようで、文中に登場する大きな屋敷は裕福なので、その役割を担っていたようである。ところでこの後、快庵禅師はこの家の主人を「檀越」と呼んでいるが、この「檀越」は「檀家」と同じ。

「ダン」をサンスクリッド語に訳すと「Dana」と読み「布施」という意味になる。この「Dana」に漢字をあてると「陀那」と書くのだと。それがいつしか漢字の「檀」があてられ、「檀」は「布施」という意味であり、布施をする者の名義となって「旦那・檀那」の名が起こったのだという。つまり…僧が「旦那」や「檀家」「檀越」と呼ぶのは、この時既に「お布施」をくれと言っているようなもの?実際、快庵禅師はこの屋敷に無料でお世話になる事になるので「お布施」を頂いたという事になるのだろう。

田畑よりかへる男等、黄昏にこの僧の立てるを見て、大きに怕れ
るさまして、「山の鬼こそ来りたれ。人みな出でよ。」と呼びの
のしる。家の内にも騒ぎたち、女童は泣きさけび展転びて住隈ぐ
まに竄る。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
黄昏時は「誰ぞ彼」時でもあり、薄暗くなり相手の顔がよくわからない時間帯だ。別名「逢魔時」とも云う。要は、魔と遭遇する時間帯だ。ところで黄昏時は薄暗く、相手の顔が分からない。なので昔は、よそ者に対する警戒心などもかなりあった為だろうか、その不審と思われる人間に声をかけたのだという。


「おばんでがんす(こんばんわ)」


と声をかけたら、その声を返して


「おばんでがんす。」


と返す。

この言葉が返ってくるから、言葉をかけた方も安心したのだという。この同じ言葉が返ってくるから、同じ仲間だと思うのだろう。ただ…。

「もしもし」


と「もし」という言葉を2つかけても…。


「もし…。」

と、一つだけ返ってくる場合は、妖怪であるという疑いをかけられたのだと。


時代が時代な為、挨拶という言葉を返さないという事は、単なるよそ者というだけでなく、妖怪では?という不信感と恐怖感を与えるという事にもなってしまう。つまり黄昏時の挨拶とは、相手を見分ける手段であり、挨拶を返すとは、その相手に安心感を与える自己主張でもあったようだ。

とにかく快庵禅師が里に現れたのが黄昏時であり、ましてや里の上にある山の住職が鬼となった状況下、快庵禅師が鬼と間違えられたのは仕方ない事だった。
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あるじ山枴をとりて走り出で、外の方を見るに、年紀五旬にちかき老僧の、
頭に紺染の巾を帔き、身に墨衣の破たるを穿て、裹たる物を背におひたる
が、杖をもてさしまねき、「檀越なに事にてかばかり備へ給ふや…。」

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快庵禅師が被っていた紺染めの頭巾が、題名の「青頭巾」となっている。染物といえば、日本の殆どが藍染めだった…。

小泉八雲が日本に訪れた時、この藍染めの多さに気付き、一旦母国へ帰った時に日本の訪問日記を公開し藍染を「ジャパニーズブルー」と紹介し、現在でも「ジャパニーズブルー」と世界に認知されているのが藍染の青となっている。この上田秋成の「青頭巾」という題名は、果たしてどういう意図を持っての「青頭巾」なのか?と考える必要がある気がする。
by dostoev | 2010-11-13 21:17 | 「青頭巾」 | Comments(0)