遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
六角牛考
七つ森考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯信仰圏
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
JUNJUNのブログへよ...
外部リンク
最新のコメント
このガイドには、そんなに..
by dostoev at 10:35
良いなあ〜。 夜のガイ..
by soma0506-yca at 09:32
死んだら魂は山へ…という..
by dostoev at 05:03
そうなのですね。 確か..
by soma0506-yca at 22:03
あ…「6つ3合う」ですね..
by dostoev at 17:09
日本人は良くも悪くも言葉..
by dostoev at 17:03
凄く面白いですね。 6..
by soma0506-yca at 16:15
なるほど。ありがとうござ..
by 秩父まほろば at 09:49
西の真言、東の天台と云わ..
by dostoev at 06:12
こんにちは。 円仁の話..
by 秩父まほろば at 17:57
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:「白峰」( 5 )

「白峰」総括

「白峰」は、出だしの紀行文の美しい色とりどりの情景が浮かび上がる表現が際立っており、それに対比するかのように、山の深い闇と、崇徳上皇の怨念という暗く深い闇を覆わせていると思う。そして西行の歌と共に、白々と夜が明けて闇の黒色を吹き払うという、陰影に際立った構成となっている。文章には、いろいろなものを含んでいるのだが、それよりもまして、鮮やかな色が際立つ文章なのだと思う。

白色は神の色、もしくは浄化の色を示すという。寒い冬が訪れ、大地を白い雪が覆い隠して浄化し、その浄化された大地に再び、新たな生命が生まれるのだという、日本古来からの思想があった。その思想に合わせる為、敢えて「白峰」という題名に決めたのではないだろうか?

また黒不浄という言葉は、死を現す。まあ大抵の死霊は、夜の闇と共に訪れるのだが、主人公である神霊の崇徳上皇を現す場合、白と黒の対比は必然だったのだろう。死霊としての黒色に、自らは人間だと我に返り、夜が空ける様の対比。そして崇徳上皇の怨念という情熱を現したのが、崇徳上皇の
周りを囲んだ陰火だ。赤色は血を現し、そしてその者の情熱を現すのだという。

話は脱線するが、ボクシングなどでの青コーナーは王者の色で知性を現し、挑戦者はその情熱を現す為に赤コーナーなのだという。秋成の色鮮やかな文章の技法に、当時の人々は何を思い、何を感じたのだろうか?
by dostoev | 2010-11-13 21:07 | 「白峰」 | Comments(0)

「白峰」終焉

十日あまりの月は峯にかくれて、木のくれやみのあやなきに、
夢路にやすらふが如し。ほどなく、いなのめの明けゆく空に、
朝鳥の声おもしろく鳴きわたれば、かさねて金剛経一巻を供養
したてまつり…。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
深い山の闇が消え去り、明るくなっていく様をえがいている。まるで今までの情景が悪夢だったかのように。「いななめ」とは「寝の目」と表し、やはり夢の如くというという風に取れるのだろう。

またよくある昔話に、鳥の泣き声(大抵はニワトリ)に驚き鬼という魔が逃げるという話がある。ここでも、基本?を押さえ、鳥の鳴き声が朝の爽やかさを表し、今までの闇との対比を果たしている。

ところで崇徳上皇が書き綴った経は確かに京へと一度は送られたのだが、実は華厳経の巻の一だけが、何故か塩飽水軍に伝わっている。これはもしかして、崇徳上皇は京に送りつけた経が処分されるのを想定して、塩飽水軍に伝えたのかもしれない。そしてももしもだが、崇徳上皇の死後、もしくは経が処分された後に、水軍が蜂起する算段を施していたのだろうか?

この「白峰」での文では「金剛経一巻を供養したてまつり…。」とあるが、この金剛経は全ての煩悩を断って、無我の理を説いたものだという。

崇徳上皇に残った一巻のお経を、後世に残す為の呪いの欠片と捉えるか、または崇徳上皇を成仏させる為のお経と捉えるかだが…秋成は後者を選び、西行に対して、魔道に堕ちた崇徳上皇と共に、このお経を供養して、白峰を下っている。



其の後十三年を経て、治承三年の秋、平の重盛病に係りて世を
逝りぬれば、平相国入道、君をうらみて鳥羽の離宮に籠めたて
まつり、かさねて福原の茅の宮に困めたてまつる。…。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後の文章の流れは歴史の口上となり、いかに崇徳上皇の怨霊が恐ろしいものなのか伝え、その崇徳上皇を祀る御神として扱い終わっている。実際、崇徳上皇の怨霊は明治の世にも伝わり、明治天皇は孝明天皇の意思を汲み入れ、1868年に京都の飛鳥井町に「白峰宮」を建立し祀っている。またその同じ年に、勅使が讃岐へと向かい、崇徳上皇の御神霊の前で宣命を読んでおり、歴代天皇を震え上がらした天皇として近代まで伝わったというのは、それだけ崇徳上皇が悲劇的だったのだろう。

元々天皇は祟る神として知られ、武家社会となっても、その祟りを恐れるあまり、余分な存在と感じつつも、天皇を殺すまでは至らなかった歴史がある。
by dostoev | 2010-11-13 21:03 | 「白峰」 | Comments(0)

「白峰」展開部

『若し咒詛の心にや』と奏しけるより、そがままにかへされしぞうらみ
なれ。いにしへより倭漢土ともに、国をあらそひて兄弟敵となりし例は
珍しからねど、罪深き事かなと思ふより、悪心懺悔の為とて写しぬる
御経なるを、いかにささふる者ありとも、親しきを議るべき令にもたがひ
て、筆の跡だも納れ給はぬ叡慮こそ、今は旧しき讐なるかな。所詮此
の経を魔道に回向して、恨をはるかさんと、一すぢにおもひ定めて、指
を破り血をもて願文をうつし、経とともに志戸の海に沈めてし後は、人に
も見えず深く閉ぢこもりて、ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが、
はた平治の乱ぞ出できぬる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
延々と崇徳上皇の恨み節が連なる箇所だが、ここで魔道と魔王という言葉が出てくる。江戸時代の”魔”といえば、多くは天狗を現したそうだが、他の書物で”魔王”という語が登場するのは「稲生物の怪録」という怪談話だ。田中貢太郎の「日本怪談全集」では「稲生物の怪録」ではなく「魔王物語」と紹介している。「今こそ我が名を名乗らんが、我は狐狸などの類にあらず、日本国中に在る高山を往来する山本五郎左衛門と云う魔王なるぞよ…。」と、やはり天狗に近いものを魔王と称している。

魔とは、人に害悪をもたらす神であり、その不気味な力の働いている事であるという、当時の概念から人間世界を超越した力は魔であったので、その力を齎す高山に関わった修験者などが、天狗という存在となり魔となったのだろう。

「今昔物語」の巻二十の七にやはり、ある屋敷の妻が物の怪に取り憑かれ、それを祓う為に葛城山で修行し法力を得た聖人が、その妻の魅力に取り憑かれて魔道に堕ち天狗となってしまうエロチックな話がある。他にも震旦の部の巻十の「聖人、后を犯して国王の咎を蒙り、天狗となる語」という話も殆ど似ている。

つまり聖人であればあるほど、色欲や怨みによって人の道を外れた場合に天狗となっている。つまり逆の取り方をすれば、それだけ純粋であり、正しい道を歩んでいた人物が陥りやすい落とし穴に落ちて魔道へ向かってしまった崇徳上皇は、やはり無実だったという事だろう…。

西行いふ、「君かくまで魔界の悪業につながれて、仏土に奥万里を
隔て給へば、ふたたびいはじ」とて、黙してむかひ居たりける。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仏土を光とすれば、魔界は闇である。崇徳上皇の登場する時の情景に…。

「日は没りしほどに、山深き夜のさま常ならね…月は出でしかど、茂きが林はは影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて…。」とある。この後半の西行の言葉が、崇徳上皇の登場する情景に見事に重なった。「山深き夜のさま常ならね」という語と「茂きが林は影をもらさねば」 という語は、仏土に億万里届かぬ崇徳上皇の深い闇を現している。

月は出ていても、影をもらさぬという、つまり崇徳上皇を覆う茂みであり、闇の深さという事だろう。


沙石を空に巻上ぐる。見る見る、一段の陰火、君が膝の下より
燃上がりて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につら
つら御気色を見たてまつるに、朱をそそぎたる龍顔に、荊の髪
膝にかかるまで乱れ、白眼を吊りあげ、熱き嘘をくるしげにつ
がせ給ふ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この深い闇の黒の情景に、鮮やかな炎という赤が浮かびあがる。深い怨念の闇という黒色に浮かび上がる、復習という情熱の赤色を示す崇徳上皇の情景だ。こうして見ると、穏やかで美しい情景の色彩描写をして白峰へと辿り着いた西行を待っていたのは、月の明かりも届かない常ならぬ山の深さと、崇徳上皇の心の闇の黒色に加え、激しい怨念の赤色という色彩だった。

これが最後に西行の一言で我にかえる崇徳上皇に、白々明ける夜明けという白色に白峰の白がかぶるのかもしれない。そしてこれを舞台で上演すれば、見事な色彩の舞台になると思われる…。

魔道の浅ましきありさまを見て涙しのぶに堪へず、
復び一首の歌に随縁のこころをすすめたてまつる。


よしや君 昔の玉の床とても

      かからんのちは何にかはせん

(たとえ昔は立派な玉座に居られたにしても、君よ、このような
無常な死にお会いになってしまわれた現在は、いったい、それが
何になりましょうか。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
西行の心からの歌に我に返ったのか崇徳上皇は「御面(みおもて)」も和らぎ…とある。この文の以前、魔道に堕ちた崇徳上皇の顔を評して「龍顔(みおもて)」と表現していた。つまりここでは、高みである上皇という位置にいた崇徳であり、魔道という闇の奥深くに堕ちた崇徳上皇の顔を「龍顔」と表し、西行の歌によって我に返り、人間・崇徳に戻った顔を「御面」と表現したのではないだろうか?
by dostoev | 2010-11-13 20:58 | 「白峰」 | Comments(0)

「白峰」序文其の二

松山の浪にながれてこし船の

         やがてむなしくなりにけるかな(崇徳上皇)


(松山の津へ浪に流されてきた船は、ふたたび都に帰る事も無く、
 そのまま朽ち果ててしまったよ。そのように私も松山へ流され
 て、この地で生涯を終えてしまった事だ。)



松山の浪のけしきはかはらじを

    
      かたなく君はなりまさりけり(西行)

(ここの松山の岸に寄せる浪の景色は、絶対変わるまいと思われたのに、
 跡形も無く君はお亡くなりになられてしまったよ。)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーー
ついに現れた崇徳上皇は、西行の歌に返歌をしにきた。西行は、成仏するよう懇願するが、崇徳上皇は近来の世の乱れは朕が成している事を告げた…。

西行の歌と崇徳上皇の返歌を比較してみると、何も含みも変化も感じない平凡な歌のやりとりと、普通には見て取れる。ただ歌の後、崇徳上皇は朝廷に対する恨みを顕にする。

浪は神聖な言葉でもあるが、崇徳上皇の歌では「時代の浪」に押し流された無念をも表している。「時代の浪」という例えは良い意味にも取れるが、「時代の浪」に押し流される者も当然いる事を意識しなければならない。つまり、ここでの浪の表現は、朝廷の政の流れなのだと考える。その政の
流れに押し流されてしまい、その無念を積もらせ魔道に堕ちた崇徳上皇の恨みの魂が、わざわざ西行の歌へと返歌しにきたのだと思う。

ところで「白峰」は「白河」にもかかるのでは?と書き記したがまた別に「白波」という言葉が気になる。有名な歌舞伎「白波五人男」での「白波」とは盗賊などを表す語だ。元々「白波」という語は万葉集にも詠われてきたのだが…。

葦原中国平定において大国主と共に国を譲った中に事代主という神がいた。「日本書紀」では、海の中に八重蒼柴籬を造り、船の縁を踏んで隠れたとあり、古事記では、船を踏み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して隠れたとなっている。

ところで事代主は、海の中に蒼柴籬を作ったとある。蒼柴籬の中に含まれる「柴」とは「兎」に通じるのだと。「兎」は「三角波・白波」を意味する。「古事記」では船を踏み傾けてとあるが、これは転覆にも通じるのだと。つまり蒼柴籬とは、船を転覆させるほどの荒々しい浪…「白波」に通じる。
そして「コトシロ」の語源は「異域(コトシロ)」のようだ。

時代に流されて国を譲った事代主と、やはり時代に流された崇徳上皇が「異域(コトシロ)」に流され、怨念を溜め込む。まるでその時代の幕府であり朝廷に反抗する「白波」という言葉に通じるように感じる…。

ところで話は飛んでしまうが…「兎」と「白波」が同義語ならば、因幡の白兎は、そのまま大陸を繋ぐ白い波という事にならないだろうか?

熊野の山ノ神として狼がいる。その狼の僕として兎がいるのだと。熊野といえば熊野水軍であり、元々は大陸から渡って来た海洋民族なのだという。高野山から熊野にかけて、隼人などの海洋民族
が流れ着いたのだというが…。

壬申の乱の天武天皇が何故一度、現在の奈良県の吉野に移動してから戦をしかけたのかという説に、吉野から背後に広がる海洋民族の協力を得る為だったという説がある。大陸から兎という白波を渡って来た民族(兎)は、やがて国譲りし、追われる事になる大国主に助けられる。

また東北に根付いていた蝦夷は俘囚として全国に連れて行かれるが、反対勢力と手を結ばないようにと、蝦夷という俘囚を送らなかった地域は出雲と熊野だった事を考え合わせると、熊野という地は、大陸から白波を渡って逃れ住み着いた「兎の地」だったのかもしれない…。

この後、西行と崇徳上皇の問答となるのだが「事を正して罪をとふ。ことわりなきにあらず。」と、西行の言い分を認め怒りが収まった崇徳上皇の言葉がもれる。そして…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
只、天とぶ雁の小夜の枕におとづれるを聞けば、都にや行くらんと
なつかしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる。烏
の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の
鬼とならんずらん…。


浜千鳥跡はみやこにかよへども

            身は松山に音をのみぞ鳴く

(わたしが書いた文字は都へ行くけれども、我が身はこの松山で

         千鳥の泣くように、むせび泣くばかりであるよ。)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【崇徳上皇怨霊伝説】

崇徳上皇は、後生菩提の為、指の先から血を流しつつ3年をかけて五部の大乗経全百九十巻を写経したと云う。しかし崇徳上皇は、この大乗経を京へ送ろうとするが、不浄のものとして、送り返される。


「後生の為とて書き奉る大乗経の敷地をだに許されねば

       今生の怨のみにあらず。後生までも敵ござんなれ。」



そのまま舌を噛み切り、その血をもって経文に誓約文を書き記した。



「この百九十巻の写経の功力を行業をそのまま三悪道に投げ込み、

           其の力をもって日本国の大魔縁とならむ。」



崇徳上皇は、瀬戸内海において写経沈めを行ったと云う。その時、経を納めた箱が解けて中から煙が立ち、童子が海に舞うなど奇怪な現象が現れたという伝説が残っている。


>只、天とぶ雁の小夜の枕におとづれるを聞けば、都にや行くらんと
>なつかしく、暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる。烏
>の頭は白くなるとも、都には還るべき期もあらねば、定めて海畔の
>鬼とならんずらん…。


鳥は昔、魂を運ぶものとして考えられていた。これには古来からゾロアスター教が日本に伝わった為だという説もある。そのゾロアスター教には鳥葬という儀式もあり、やはり死者の魂を運ぶ為の意識があったようだ。ここで鳥がしきりに使われているのも、崇徳上皇の魂の漂いを意識してのものだったのかもしれない。ただ、この文は「保元物語」に似たようなものが記されている。


「夜の雁の遥かに海を過ぐるも、故郷に言伝せま欲しく、

 暁の千鳥の洲崎にさわぐも御心を砕く種となる。」(保元物語 巻三)



実は上田秋成の文には、過去の作品の引用がかなりある。ただし盗作というものではなく、文章を書き記している時に思い浮かんで引用しているのかもしれない。それを意図的と考えると…読者に対し、どこまでわかるか?というあくまでも謎解きとしてのものなのか…。

過去に、ある映画があった。完全パロディ映画で、日本で上映されている時のキャッチフレーズは「あなたは、どこまでわかる?」だった。この映画は、過去の名作のパロディを随所に散りばめて、観客の映画の知識を試すものだった。もしかして上田秋成作品も、読者に対して「あなたは、どこまでわかる?」と、遊び心を発揮して、意図的に挿入されたのかも。。。


ところで崇徳上皇の歌に「浜千鳥跡…。」という歌が詠まれている。浜千鳥跡とは、文字または文章の事で、ここでは崇徳上皇の書き記した大乗経全百九十巻の事をいう。浜千鳥跡の本来は、古代中国の黄帝の時の故事で、ある人物が鳥の足跡から文字を創作した事によるらしい。
by dostoev | 2010-11-13 20:35 | 「白峰」 | Comments(0)

「白峰」序文

あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、浜千鳥
の跡ふみつくる鳴海がた、不尽の高嶺の煙、浮島がはら、清美が関、
大磯・小いその浦々、むらさき艶ふ武蔵野の原、塩竈の和たる朝げし
き、象潟の蜑や苫や、佐野の船梁、木曾の桟橋、心のとどまらぬかた
ぞなきに、猶、西の国の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる
難波を経て、須磨・明石の浦ふく風を身にしめつも、行く行く讃岐の真尾
坂の林といふにしばらく杖を植む。

草枕はるけき旅路の労にもあらで、観念修行の便せし庵なりけり。



西行の、旅の歩みを簡潔に美しく表現する秋成の文章。川端康成が評価されたのもまた、この余分な贅肉を排除したかのような簡潔な美しい文章でもあった。「白峰」においても、秋成はそれをさりげなく表現している。


「この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵ありと聞きて、
拝みたてまつらばやと、十月はじめつかた、かの山に登る。」



しかし…↑10月に白峰に登り、夜を明かすって…寒かっただろうなぁと、思うなぁ…。実際、自分も10月に山に登って一夜を過ごしたが…寒かった(^^;…あっ、これは旧暦か?

史実として1168年保元の乱で讃岐に配流され、4年前に無念を叫びながら死に、朝廷にとって菅原道真と並ぶ大怨霊となった崇徳上皇は、西行がフラレた妃の子という因縁もあってか、鎮魂と空海の聖地探訪の為に四国を巡礼をしている。崇徳上皇へ対する同情は中世から江戸の世まで庶民の中に巣食っていたようで、秋成の「白峰」は、庶民気質に則した物語であったのだろう。



宿世の業というもののおそろしくもそひたてまつりて、罪をの
がれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつづけて涙わき
出づるがごとし。

終夜供養したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に
座をしめて、経文徐に誦しつつも、かつ歌よみてたてまつる。


松山の浪のけしきはかはらじを

    
      かたなく君はなりまさりけり


宿世は過去の世の意と共に、前世の因縁の意があるという。では、その前世の因縁とは?崇徳上皇は、鳥羽天皇の第一皇子だが父には疎んぜられたという。しかし実は鳥羽天皇の皇子ではなく、白河天皇の子であるのだという説がある。

白河天皇は、絶大な権力を誇り、女性関係の派手さでも知られている為、崇徳天皇や平清盛が「白河法皇の御落胤」であるという噂が当時広ろまり信じられた要因にもなっているようだ。なので「白峰」とは「白河」にかけているのではないだろうか?

絶大な権力を誇った為に広く怨みを買った白河天皇という前世の因縁を引きずった崇徳上皇の悲劇は、この白河天皇から始まったと言いたいのではないのだろうか?


>御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて


磐の信仰は、元々神の降臨する座だ。西行が座をしめて読経するという事はひとえに、崇徳上皇を呼び出そうという意にもみてとれる。


松山の浪のけしきはかはらじを

    
      かたなく君はなりまさりけり



という歌の意は「ここの松山の岸に寄せる浪の景色は、絶対変わるま
いと思われたのに、跡形も無く君はお亡くなりになられてしまったよ。」
という事だが、解せないのは「松山の景色」では無く「松山の浪の景色」と詠っているところだ。

治水工事で苦労した昔、水とは人々に恵みを与えるものでありながら、災害をももたらすもの。なので水神として、全国各地に祀られていた。そう神とは、災いをもたらすものでもあったからだ。

海で生活するものにとって、浪とは畏怖する存在だった筈。「ナミ」の「ミ」は元々「ワダツミ」の「ミ」でもあり「ミ」は「ミヅチ」など「蛇」をも現し、そしてまた「神霊」そのものも現す。

浪とは、岩肌を削り取り、船を転覆させる恐ろしいものだった。なので「浪の景色はかわらじを…。」というのは、人間であった崇徳上皇が祟りをなす神霊であり魔王となってしまったという、本編のまさに含みを持たせた序文の歌だったのだと考える。



猶心怠らず供養す。露いかばかり袂にふかかりけん。日は没りしほどに、
山深き夜のさま常ならね、石の牀、木の葉の衾いと寒く、神清み骨冷え
て、物とはなしに凄じきここちせらる。

月は出でしかど、茂きが林は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、
眠るともなきに、まさしく「円位円位」とよぶ声す。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

>猶心怠らず供養す。露いかばかり袂にふかかりけん。


夜になり、西行が想いを込めて読経したので、袂を夜霧と涙でどれほど濡らしたのだろうか。…という訳になってしまうけど、露が「夜霧」と「涙」を現してしまうという訳は、ただ原文を読むだけでは、なかなか理解できないなぁ…と思う。

「猶心怠らず供養す。」で、心から崇徳上皇を哀れんだ為に、「露」に夜霧と共に涙も加わり、袖をこんなにも濡らしたのだだと理解するには全体文の流れを心に刻まないと、丁寧な現代言葉に慣れた自分達にはなかなか。。。

また「ふかかりけん」も「源氏物語」の「桐壺」にも下記のように「ふかかりけん」を使っている↓


先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる
               玉の男御子さへ生まれたまひぬ。



しかし、ここでの「ふかかりけん」は単に「深い」という意味を表しているだけだが、上田秋成の「ふかかりけん」は「袂をこれほど濡らしてしまった。」という意味になってしまう。この僅かな短い文だけで、上田秋成の「深さ」を感じてしまう。。。


また「神清み(しんすみ)」という語を、自分は知らなかった。ここでの訳は「心澄み渡り」となるのだという。考えてみると、人間の頭の語源とは、天の霊(あまのたま)からきている。つまり、頭には神が宿っているのだ。

心を指す時「胸」を押さえる場合もあるが、いろいろと物事を考え、見て感じるのは昔から「頭」だと理解されていたのだろう。なので「神清み」は「神が清らか」であり、つまり神が降臨した人間の「頭(天の霊)」であるから「心が澄み渡る」と訳すのだろう。。。
by dostoev | 2010-11-13 20:24 | 「白峰」 | Comments(0)