遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:七夕と白鳥( 4 )

遠野三山の神と七夕と白鳥(その4)

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「青い月」という言葉があるが、本来「青」とは水を称える色でもある。しかし「青」の旧字体は「靑」であって、植物の下に井戸を兼ね備えた漢字であり、赤を意味する「丹」という文字も含まれていた。そこで本来の水を意味する為、水の精でもある月が組み込まれ「青」となった。

「淮南子」には月を称して「積陰の寒気は水となり、水気の精なるものは月となる。」また「方諸月を見れば、すなわち津して水となる。」とあり、月はやはり水を生み出す精でもあった。

露は、空気中の水蒸気が地面近くの冷たい物体の表面に凝結して水滴となったものとして現代では理解されている。しかし古代においては、露とは月が作るものであったようだ。雨も降っていないのに、知らない間に草木が露で濡れている。勾玉も時には自然に露で濡れたのだ。山幸彦が海神に授かった塩盈珠と塩幹珠とは勾玉のイメージを含み、月の象徴、水の象徴でもあった。

しかし、その露を太陽が高みに昇る昼間には、月が作り出した水の露を消してしまう。まさに、対極にあるのが太陽と月だ。だから、太陽の色には「白」が当てられ「白々しい」という白日の下に晒すという意味がある。しかし月の色は「青」であり、あくまでも「水」を発生させるという水を意識した色である。

話を七夕に戻すが、「大宝律令」の中に雑令というのがあり「およそ正月1日、7日、16日、3月3日、5月5日、7月7日、11月の大嘗日を節日とせよ。」とある。7月7日は7という陽の重なる日であるから、本朝五節句の一つとされている、祝いの日でもあった。

「日本書紀」持統5年7月7日の条に「公卿に宴し、よって朝衣を賜う」とありも「続日本記」天平6年7月7日の条では「天皇、相撲の戯を観る。この夕、南宛に徒御し、文人に命じて七夕の詩を賦さしむ。」とあり、現代で言えば楽しいイベントの日になる。

ただ「延喜式」には”織女祭り”とある。ただ足掛け2世紀で刊行された日本初の国語辞典と呼ばれる「和訓栞」には「たなばたつめ、倭名抄に織女を訓ぜり。万葉集も同じ。棚機姫神をして、神衣を織らしめたまうこと、古語拾遺に見えたり。よて織女を”たなばたつめ”」といいしより、織女星をも同じく名づくるなるべし。」とある。

では”たなばた”とは、正確には「棚機」であり、普段生活する場所よりも、一段高いなどという特別な空間となる。つまり非日常空間の祭祀的な場所だと思えばいいのかもしれない。

日本人は「昔の事は水に流しましょう!」などと言うけれど、七夕流しとか七夕送りというものは、本来棚機が水辺の祭祀でもあり穢祓い、禊祓いでもあったものが、7日の節句の夕べに祭るものと、やはり中国の説話が結び付いてのものだったと思う。
万葉集には…。

「伏して来書を辱くし、具さに芳旨を承りぬ。漢(あまのがわ)を

隔つる恋を成し、復梁を抱く意を傷ましむ…。」



ここまで七夕が普及したというのは、恋する男女が隔てられる悲恋という物語が人々の心を揺さぶったからなのだろう。七夕は「棚機」とは書き記したが、7月7日の夕の宴が結び付いての七夕なのだけど、棚機というものには「棚機津女信仰」というのがある。多分、神に仕える巫女だと思うが、水辺の棚に設けた機屋に一晩籠って神の降臨を迎える。そして、翌朝帰り去る神に穢れを持ち去ってもらうという信仰があり、これが先に記した「七夕送り」「七夕流し」というもので、ここでも気になるのが、鹿葦津姫、阿蘇津姫と同じに何故か「津」が付く…。


ところで気になるのは、七夕が普及したのはやはり悲恋である牽牛と織姫の話だとは思うのだが「竹取物語」では「在る人の「月の顔見るは、忌むこと」 と制しけれども…。」とあり、また「新・古今和歌集」には…。


袖ひちてわが手にむすぶ水の面にあまつ星あひの空をみるかな

「新・古今和歌集」に記されている時代は、盥に水を張って、そこに映る星影を見ていた風俗があったのがわかるが、もしかして直接、天空の星や月を見るのは忌み嫌われたのか?いや、銀閣寺の池は、その池に映る月を見るのが風流であった為に設計された池であるので、その時代の風雅な一面だったのだろうか?そういや、恋する相手をじろじろ見るのは趣悪ろしともいうので、その辺だろうか?(^^;
by dostoev | 2010-11-15 12:46 | 七夕と白鳥 | Comments(2)

遠野三山の神と七夕と白鳥(その3)

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【中国の牛郎織女説話】

織女は天帝の孫娘であり、王母娘々の外孫女である。織女は布を織る暇に、
いつも諸仙人と一緒に銀河で沐浴していた。牛郎は人間界に住む貧しい孤児
で、いつも兄と兄嫁に苛められていた。そして老牛を与えられ、独りで生活
させられていた。その時は、まだ天地の間の距離が近く、銀河と人間界は繋
がっていた。牛郎は老牛の話に従って、銀河で織女の天衣を盗んできた。織
女は帰る事ができず、牛郎の妻になった。

数年後、息子と娘がひとりづつ生まれた。牛郎は田を耕し、織女は布を織り、
幸せな生活をしていた。突然、天帝はこの事を知って非常に怒り、織女を捕
える為にすぐ天神を派遣した。王母娘々は天神がしくじるだろうと考え一緒
に行った。織女は捕えられて天に上がり、牛郎は上がる事が出来なかったの
で、息子と娘と共に天を仰いで泣き叫んだ。

しかし牛郎は死にかけている老牛話によって、死んだその老牛の皮を剥いで、
それを着れば天に昇る事が出来るのを知る。牛郎は老牛の言葉の如く、つい
に子供を連れて天に昇って行った。今にも織女に追い付きそうになったが、
王母娘々は突然頭から金簪を抜いて、空に大波がぐんぐん流れる天河を引き
出してしまった。牛郎と織女は川を隔てて、互いに望み合うも面会に行く方
法が無いので、ただ悲しく泣いているだけであった。その後、ついに天帝は
それに感じて、一年に一度だけの面会を許した。つまり7月7日鵲橋での面会
である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遠野に伝わる一般的なオシラサマの話は、馬と娘の恋物語の様相で語られている。しかし中国の「捜神記」での「馬の恋(350話)」での話では一方的に娘に恋した馬が殺され皮を剥がれた。その馬の皮に対し、娘は「畜生の分際で…。」と皮を踏みにじったところ、皮に包まれ天に昇って蚕が誕生した話になるのだが、今回紹介した「牛郎織女説話」では、死んだ牛の皮に包まれて天に昇る牛郎の
話が紹介されている。

ところで今回の中国の説話に「銀河」という言葉が登場しているのだが、この時代に銀河という概念があったかどうか定かでは無いが前漢(紀元前206年~8年)の時代の作である「淮南子」にも似たような話が伝わっている事から、星空に対する意識はかなりあったのだろう。

また牛の角は三日月を表わすという事から、牛もまた天空に存在するものなのだろう。中国では馬は辰神とも言い表し龍でもある為、天空を翔る存在として認識されている。つまり、馬の皮でも牛の皮でも身にまとえば、天空を翔る事は可能という意識が伝わっているのだろう。ただ今回、この中国の説話を知って感じたのは「オシラサマ」の話もまた、天の羽衣の話では無かったのか?という事だ…。

「七夕」の話には織姫が登場し「オシラサマ」の話には蚕が登場する。どちらも、絹に関する話である事が認識される。そして中国・日本の両国に似通った話が伝わっているのは、どちらの国も最も早い絹産国であったからだ。しかし中国の最も早い時代で絹が認識されているのは新石器時代の遺跡に絹片、絹帯、絹糸が出土した年代を測定すると、紀元前2800年頃。日本の場合は、福岡県の飯塚市の弥生時代の立岩遺跡から出土した鉄製品に絹らしき織物が付着しているのが一番古いという事。中国との年代の差はあるものの、それでも世界的には日本の絹織物の歴史は古いという。

中国の神仙思想は根強く、様々な影響を与えている。例えば日本に伝わる祖霊信仰もまた中国の神仙思想に基づくとも云われている。日本の祖霊信仰とは、人は死んだら、その魂は山へ行くものと伝えられている。

中国では、人が死んだら天帝は天界から使者を派遣する。そして崑崙山から死者を迎える神が降りてきて、死者は鳳凰や三首鳥、もしくは龍船に乗って、崑崙山に登るのだと。その根源は、中国に伝わる天地創世神話である伏羲と女媧に辿り着く。

伏羲と女媧は人頭蛇軀となるのだが、伏羲と女媧ともに羽衣を纏い、伏羲は太陽に飛翔し、女媧は月へと飛翔するものと伝えられている。日本では蛇は龍であると共に、雷神とも結び付く。中国神話においても、雷神は雷鳥であり、稲妻は雷蛇と称している。つまり先に記した死者が崑崙山に昇る時に鳥に乗るというのは、天地の間を往来する雷神との結び付きからなのだ。

日本武尊は死んだ後白鳥となって、大和を指して飛んだ。後には衣だけが残されていたというのだが、この話もまた壮大な羽衣伝説と捉えて良いのかもしれない。古来、水辺の竜の話は中国にも多くあった。それが水辺の蛇であったも、蛇は水の上を泳ぐものであったから、やはり水辺の竜と蛇は同じものであるとされた。その水を潜って飛翔する首の長い白鳥や鵲や鷺などもまた、蛇と同類と思われていた。つまり白鳥になった日本武尊は雷神の性質を有している為に、天地の間を往来したのだ。

つまり神仙思想に則れば、天帝の意思を人間に伝えるものとは、中国であれば崑崙山の神であり、日本国においては山の神であるという事だろう。その山の領域に生息する生き物全てが、山の神の意思を伝える存在であり、雷神の性質を有しているものとして捉える事ができる。だからこそ、羽衣伝説の多くは、聖なる山の麓の沼であったり池であったりする場所で水浴びする天女であり白鳥は、天帝の意思を伝える山の神の申し子みたいな存在なのだろう。

大嘗祭や神今食の大祭に、天子である天皇が湯殿で禊に用いる浴衣を天の羽衣と呼ぶのは、神の意思を伝える存在が天皇であったからだ。これが民間に落ちた場合は、全ては祭祀を取り仕切る中の巫女となる。

伏羲と女媧ともに羽衣を纏い、女媧は月へと飛翔するものと伝えられているとは書き記した。陰陽五行においての女性は太陰であるからだ。太陰は月を表わす。

ここで妄想が…七夕は織姫と彦星と相場が決まっており、一年に一度出会う話になっている。男である太陽と女である月は、まさに陰陽の極めで古代の人にも分かり易い存在であると思う。肉眼でも見えるかどうかわからない、小さな織姫星や彦星よりも、もっとハッキリ分かるのが、太陽と月だ。大抵の場合、朝に太陽が昇って、日が暮れてから月が昇るイメージがあるのだが、たまに太陽と月は同じ天空に同時に昇る。これも一つの陰陽の出会いなのではないだろうか?
by dostoev | 2010-11-15 11:47 | 七夕と白鳥 | Comments(0)

遠野三山の神と七夕と白鳥(其の二)

【古事記(簡略説明)】


アメノホヒ、アメノワカヒコと、二度に渡って地上に使者を送って失敗したタカミムスビの神とアマテラスは、三度目の使者を選ぶに当って、他の神々に尋ねた。

「このたびは、いずれの神を遣わせばよかろうぞ。」

オモヒカネの神と他の諸神が申し上げるには…。

天の安の河の上流の天の岩屋にいるアメノヲハバリ神が良いと言った。またヲハバリの神でなければ、彼の子であるタケミカツチが良いだろうと。このヲハバリは、天の安の河の水を逆さに塞きあげて道を塞いでいるから、他の神はそこへ行けない。アメノカクの神を使いにやってヲハバリの意思を尋ねて来るが良い、となった…。


この「古事記」の話に登場する神にアメノヲハバリというのがいるが、これは天尾羽張と書き記し、これは伊邪那岐命が迦具土神を斬った時に使った十拳剣であり、その別名が天尾羽張であると記す。その剣の形状は、柄に十字の張り出しを持つイザナギの剣とする。

そしてこのヲハバリは、天の安河を塞き止めているという事から白鳥座とされているようだ。中国では、この白鳥座の形に尾と羽をまとわせ、尾羽張(ヲハバリ)と言い、カササギと見立て、織女と牽牛を仲だちする橋と考えているのだと。

ヲハバリに使いへ行った神はアメノカク(天迦久神)で、カクとはカグツチと同じ「カグ」→「輝く」と同じだとされる説もあるのだけど、別に「カク」は「鹿」である説もある。「カグ」が「輝く」なら、天具山(アメノカグヤマ)は火山でもない、ちっぽけな山なのに「カグ」という名前はおかしい。「古事記」の本来の漢字表記は「天迦久山」であった事から「カク」は「輝く」ではなく「鹿」を意識したものだと。。。

何故に他の神々がヲハバリ神へ行く事が出来ないのに、アメノカク神だけが行く事ができたのか?それは「鹿」であった為に泳いで行けたという説も、またある。


【播磨国風土記】

香山(カグヤマ)の里は、元の名前をカクハカと言った。昔、イワの大神がここを
領国とした時、鹿がやってきて峯に立った。峯の形が墓に似ていたので、カクハ
カと名付けた。後に、カクヤマとあらためられた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
播磨国風土記】

イト島は、この辺りの島の総称である。ホムタ(応神)の天皇が、弓人をシカマの
射目崎にたてて狩をした。その時アガマ野から出てきた牝鹿が、岬の丘をよぎっ
て海に入り、イト島に泳ぎ渡った。

その時、弓人達がそれを見て語り合って曰く、鹿は速くその島に至りついた、と。
それでイト島という。

(注)愛しい牝鹿がいるのでイト島とも云う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【摂津国風土記】

ヲモトの郡に夢野というところがある。古老によれば、昔ここをトガ野といい、牡鹿
が棲んでいた。その正妻の牝鹿もこの野にいた。

海を隔てた淡路島の野島に、その牡鹿の妾妻の牝鹿が棲んでいた。牡鹿はしば
しば野島に泳いでいって、妾妻と愛し合っていた。牡鹿が正妻のところで一晩過
ごした翌朝、彼は正妻に語った。

夕べ、夢を見た。自分の背に雪が積もり、ススキという草が生えた、この夢はなん
の前兆だろう、と。

正妻は、夫がまた妾妻のところへ行こうとしているのを憎んで、いつわりの夢判断
をして告げた。背に草が生えるのは、矢が背に突き立つ前兆です。また背に雪が
降るのは、白塩を肉に塗るしるしです。あなたが野島に泳ぎわたろうとすれば、必
ず船人に出会い、海の中で射殺されるでしょう、決して行ってはなりません、と。

しかし牡鹿は恋心に耐えられず、また野島に泳ぎ渡って行く時、途中で船に出会
い、射殺されてしまった。それでこの地を夢野と云う。土地の人の諺に、トガ野に
立てる真牡鹿も、夢相のまにまに、と云う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この話しから、天香具山・耳成山・畝傍山の大和三山が構成されたとも云う。


【万葉集】

香具山は畝火ををしと耳梨と相あらそひき神代よりかくに
あるらし古昔も然にあれこそうつせみも嬬をあらそふらしき
(中大兄皇子)



これは岩手県においては、岩手山・姫神山・早池峰山と、男山である岩手山を争って、女山である姫神山と早池峰山が争うという話にもなり、似たような三山伝説は全国に広がる。
by dostoev | 2010-11-15 10:51 | 七夕と白鳥 | Comments(0)

遠野三山の神と七夕と白鳥其の一

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機織の上手な娘がおり、今まで様々な織物を織ってきたが、天女の羽衣のようなものを織ってみたいと、毎日朝と晩に、神様へ御灯明と御神酒を供え願っていたという。すると二十一日目の晩に牛を連れた貴人が機織娘の前に立ち、こう言った。


「お前の願いを叶えてやる。牛に乗れ。」


貴人は娘を牛に乗せ、高い山の上の大きな石のある処へ連れて行き、そのまま何処かへと行ってしまったそうな。山の上で見る星々はまこと綺麗なもので、手を伸ばせば取れそうだと思わせる程の輝きを見せ、娘はその星々に見とれていたが、急に寂しくなり涙が流れてきたのだと云う。

其の時、夜空に流れ星が沢山流れたと思ったら、下方から牛に機織道具を積ませ、先程の貴人と美しい女性が娘に近付いて来たのだと。そしてまた何処からともなく、まるで昼間の様に周囲を明るく照らす美しい女性が現れた。そして三人で石の上に機織道具を組み立て、機織が始まったのだと云う。

周囲を明るく照らす女性が機を織り、他の二人はその手元となっていてた。織物は東の山の上に太陽が昇ると同時に織り上げられ、その見事な出来栄えに娘は驚きを隠せなかったという。



「この織物は、山桑の葉を食う蚕の糸で織った織物だ。残った糸と共に、

                  お前に全てやるから持って行くが良い。」



娘はふと気付くと、石の上に綾綿と糸があり、先程の三人はどこかへ消え失せてしまっていたそうな。しかし、何処からともなく声が響いてきたのだという。


「わたしは六角牛山の住吉三神の穴の上筒男命で、機織の道具を持って
 来られたお方は石上山の神である伊邪那美命、光を出して機を織られた
 方は、早池峰山の瀬織津比咩である。」



この時から、この機を織った石上山が鎮座する地域を綾織と呼んだと言うことである。そして、六角牛山の御祭神は牽牛星、早池峰山の御祭神は織女星、石上山の御祭神は白鳥で、これから石上神社の御条は旧七月七日となったと云う。
by dostoev | 2010-11-15 10:40 | 七夕と白鳥 | Comments(0)