遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:遠野不思議(寺院)( 7 )

遠野不思議 第八百四十五話「感応院」

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遠野駅周辺だが、まだ路線が通る前は、放光山感応院というお寺があった。宗派は日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派の黄檗宗であったという。
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駅前通りの一つの通りが感応院通りとなっているのは、この寺名から来ている。感応院は、寛永年間八戸から転封された二十二代藩主直栄が延宝三年正月晦日に甍去し、その火葬が感応院の地でなされたという。その後に、貞亨四年、その址に石雲和尚が観音堂を建て草庵を営んでいたが、二十七代南部信彦が深く石雲和尚に帰依し、、寛延年間に寺領十五石を寄附し、宇治黄檗山万福寺の末寺として寺院に改めたという。ところが明治四十年頃、火災の為に堂宇を焼失してしまい、そのまま再興を果たせず、明治四十三年に仙台の万寿寺に合併されて廃寺となってしまった。

昭和五十年、親不孝通りと呼ばれる一帯に、不審火が相次いだ。恐らく放火だろうとされていたが、一部では「祟りだ!」と言う声方もチラホラ聞こえた。その理由が、感応院が廃寺となり、墓地も供養せずに地主が建物を建てたから、その祟りであろうという事であった。確かに昔から幽霊話があったのは、以前が寺の敷地であった理由が大きかったのだろう。
by dostoev | 2016-06-06 17:02 | 遠野不思議(寺院) | Comments(0)

遠野不思議 第八百二十九話「天女の曼荼羅の正体)」

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前にも何度か紹介した事のある光明寺を、今回も取り上げる事とする。それは、光明寺が阿弥陀如来像を本尊としている事についてだ。光明寺は曹洞宗であるので、通常であれば釈迦牟尼仏を本尊とするのが正しいのだろう。だが曹洞宗の本山である永平寺では脇侍に阿弥陀如来像がある事から、曹洞宗の寺院に阿弥陀如来像があっても、何等不思議は無い。

岩手日報社「いわてのお寺を巡る」で光明寺の歴史を確認すると、寛文12年(1672年)、第3世の来国益和尚が本堂を再建し、釈迦三尊を安置。阿弥陀仏に変えて、曹洞宗の本尊である釈迦牟尼仏を祀ったとある。その後に第5世の密山達禅和尚が阿弥陀仏を修繕し、裏本尊と祀り現在に至るとしている。
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阿弥陀如来像は、普通であれば浄土真宗系の本尊であるか、もしくは天台宗系でも本尊としている場合がある。だが先に記したように、曹洞宗でもおかしくは無いのだが、その光明寺の歴史では寛文12年(1672年)に本尊のすり替えが行われた時代を読み取れば、徳川幕府は武士の築いた幕府である事から、その武士が禅を精神の支柱とした為、徳川幕府は曹洞宗に傾倒し、密教系を邪教扱いした事から、全国の密教系寺院は生き残る為に、曹洞宗に改宗したところが多い。曹洞宗である遠野の常堅寺も、元は天台宗であったようだ。そして恐らく、光明寺も元は天台宗、もしくは真言宗では無かったろうか。
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その光明寺には、天女の曼荼羅として伝わるペルシャ絨毯らしきが寺宝としてある。それがどういう経路で伝わったのかは謎となっている。しかし阿弥陀仏の教義を調べていくと、それはインドでは無く、ペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因するようであるが、いつしかそれは混沌として、仏教とも交わったようである。その仏教はヒンドゥー教から分離したようなものであるが、そのヒンドゥー教そのものはバラモン教からの発生であった。「ヒンドゥー」という言葉の語源もペルシャ語から来ており、つまり仏教とペルシャは繋がるのであった。
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光明寺の敷地内の壁にはインドの絵画か?と思わせる天女の絵が描かれている。その仏教の大元となるバラモン教を調べると「バラモン教のインドラ神は、竜蛇を調伏し、牛郡(光明)と水とを竜蛇から奪い人間界に与えた。」としている。
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光明寺の山号が「照牛山」となっているので当初、六角牛山との関連があるのかと考えたが、バラモン教によれば光明と牛が結び付けられるのがわかった。牛は水と繋がりの深い動物で、その牛の角は月の形と考えられた。神道的には月の変若水として、月と牛が結び付けられている。つまりバラモン教の教義に則れば「照牛山」=「光明寺」は同義語である。

インドの僧は、バラモン教から発生したヒンドゥー教が大乗仏教と交わり日本にも伝わった密教を8世紀の中頃から後半にかけて中国に伝えた。そして、それを学んで持ち帰ったのが空海(真言宗)や最澄(天台宗)であった。そして阿弥陀如来だが、その垂迹は熊野権現となる為、恐らく綾織二日町の光明寺の前身は、熊野修験が開山したものでは無かったろうか。光明と牛、そしてペルシャ絨毯がそれらを全て結び付けている。
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また光明寺に伝わるペルシャ絨毯だが、可能性として現在のベトナムにあったチャンパ王国から日本に持ち込まれた可能性があるだろう。ウィキペディアによれば、ヒンドゥー教徒であったチャンパ王国の古チャム人は優れた航海技術を持ち、様々な国と貿易をしていた。またチャンパ産の沈香は朱印船貿易においても重要な交易品目であり、正倉院に所蔵されている香木蘭奢待は、9世紀頃チャンパから日本に持ち込まれたと考えられている。また徳川家康が、チャンパ王に宛てた沈香を求める信書も残っており、14世紀から15世紀に掛けて交易国家として繁栄した琉球王国はチャンパと通好関係があった。そして17世紀前半に活躍した日本の朱印船は、しばしばチャンパを渡航先に選んでいるが、これはチャンパの物産が目的というより、明は日本船の来航を禁止していた為に、明国商船との出会い貿易の場として朱印船貿易に利用されていたようであるが、ペルシャ絨毯はこの頃に、チャンパ船経由でペルシャ絨毯が日本に持ち込まれ、どういう経由かわからぬが、光明寺に持ち込まれたのではなかろうか。恐らく、この光明寺に伝わるペルシャ絨毯は、仏教の発祥地から伝わった、徳の高い物として仏具としての敷物に使用されたのではなかろうか。見れば、その敷物に座った場合、丁度お尻の辺りが擦り切れているのは、その証であろう。そして、その当時の遠野では珍しい文様な敷物であった為に、天女伝説に重ねられて語られ、天女の曼荼羅として伝わったのだと思う。
by dostoev | 2014-09-11 17:17 | 遠野不思議(寺院) | Comments(0)

遠野不思議 第七百五十八話「西教寺」

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松崎町海上にある、浄土真宗大谷派の寺院。寺伝によれば、開山は天文二年(1533年)との事。当初は天台宗であったが、改宗して東本願寺末となり、開基は行正と云う和尚であったと。本尊は、阿弥陀如来となる。元禄年中(1688年~1703年)に本堂を焼失し、草庵を作って過ごしていたが、その後、五世智円代に再興したと伝えられる。
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宝永年間の事であると云う。土淵方面に知行地を有する沢里又右衛門と沢里五郎右衛門という南部家の金庫番であった家臣がいた。

或る日の事、沢里氏が知行地土淵の足洗川で釣りをしている最中、懐の財布が重くて邪魔なので、川辺の柳にかけておいたまま忘れて帰宅したのだと。その後に、その柳の側を通ったのが、西教寺の住職、智円であったと。この財布を持ち帰り見たところ沢里の証文が入っていた為、早速沢里家まで足を運び、返しにいったという。その感謝の気持ちとして、大工6人、木挽3人、屋根萱には気仙から3人、畳さし1人、左官2人を差し遣わせて本堂を再建したと云う。

尚、智円が財布を沢里家に届けた時、謝礼金を頂き、そのお金で田地を買い、毎年正月に御礼として米五升を届け続けたという。
by dostoev | 2013-07-28 20:07 | 遠野不思議(寺院) | Comments(0)

遠野不思議 第五百二十三話「光明寺(照牛山)」

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光明寺の始まりは、戦国時代の末期、織田と今川の桶狭間の戦いの頃であると。永禄3年(1560年)、和尚の師僧である石鳥谷の大興寺第13世の秦室文誉和尚を請して開山とある。

元々のきっかけは、ある坊さんがこの地を通り掛った時に土に埋まった阿弥陀如来と出会って、早速草庵を作り、その阿弥陀如来を祀った事からなのだという。

詳しくは、ここ↓に書き記している。

土の中から出てきた如来様
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それと何故か…光明寺と郵便局が一緒に。。。
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それと、この光明寺で避けて通れないのは天女の話だ。
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今では壁画として、この光明時境内の壁にに描かれている。
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問題の土から出てきた阿弥陀如来像。
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遠野市指定文化財になっている。
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それと気になるのは聖徳太子像。実は聖徳太子の息子と伝わっているらしいが…。
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この光明時は曹洞宗だ。しかし開山となって祀られたのは阿弥陀如来。曹洞宗は普通釈迦如来像を祀る筈で、阿弥陀如来像を祀る宗派は浄土真宗だ。開山の逸話はわかるが、何故に阿弥陀如来像を祀るのか?また聖徳太子の像と絵が飾られているが、これは「まいり仏」の一種で、やはり浄土真宗が行って来たこと。

岩手県の浄土真宗は親鸞の高弟である是信房と、その門下が伝えたのだという。是信房の死後もその後継人である和賀一族が伝え広めたのだが、殆どは紫波、稗貫、胆沢一円であるという。ある意味、遠野での浄土真宗は珍しいとなる。

とにかく何故に、曹洞宗でありながら阿弥陀如来像とまいり仏を祀ってきたのだろうか?縁起の話には、この光明時が開山される以前に寺があったのだという。そうであれば、近隣の家には、その証拠となる信仰の証があると思われる。

太子の仏像なども、後に光明寺に渡ったものらしいので、曹洞宗以外の信仰物が光明寺にあつたとしても、なんら問題はないのだろう。ただ奥に高市皇子像もあるので月氏関係に繋がるのかもしれない。そうなれば、何故光明寺に曼荼羅として伝わるペルシャ系の絨毯があるのか理解できると思う。
by dostoev | 2008-03-15 17:11 | 遠野不思議(寺院) | Comments(0)

遠野不思議 第百二十六話「常堅寺」

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遠野郷十二ヶ寺の触頭、曹洞宗常堅寺。現在、遠野にある寺の中で
一番歴史が古いのが常堅寺である。この寺は安陪氏の菩提寺で、以前
は天台宗の寺院であったといわれ、当時の杉の大木が裏手にあり、
800年ぐらいの樹齢で、地名の由来となっている。また寺宝として
古い形式のオシラサマと、キリシタン信仰の隠し仏像があるそうだ
が…見た事は無い。
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848年作の仁王像で、慈覚大師作と伝えられている。早池峰妙泉寺の山門
にあったのを、明治十年神仏分離の為、ここに移したものである。
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門を潜ると、二対の狛犬が迎えてくれる。そして左脇には、名物河童狛犬がある。
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寺の火事の火消しを手伝った河童が、その後に狛犬になったという伝説がある。
頭がくぼんでいる珍しい狛犬だが、いまでは賽銭受けになっている?(^^
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寺の脇に水子供養の碑があり、童子童女の墓石が密集して並べてある。
遠野の赤い河童の正体は間引きされ、川に流された赤子という説もあり、
昔裏手の河童淵に流れ着いた赤子を住職が供養したとも云われている。
by dostoev | 2006-03-22 08:18 | 遠野不思議(寺院) | Comments(4)

遠野不思議 第八十一話「十王堂(常堅寺境内)」

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十王堂とは地蔵の化身で、閻魔大王をはじめとする閻魔面した十仏である。
それぞれ生前の善悪を判別し、邪悪を怒るという。天秤があるが、これは善悪
の重さを量るものだろう。
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草履を脱ぐというのは、現世からの離脱。サムトの婆も梨の木の側に草履を
脱ぎ捨ててあった。つまり、死をも暗示するものである。

また積んだ石があり、鬼もいるというのは、まるで賽の河原を彷彿させる。
死んだ子供が泣くと、鬼が怒る。それは死んでも尚嘆き悲しむのは、生き
ている子供を思う親に悲しみを与えるものとして、重い罪にあたるというのだ。

地蔵の姿も見える事から、ここは子供達の罪を裁く場所でもあったのかもしれない。
by dostoev | 2006-03-07 21:20 | 遠野不思議(寺院) | Comments(1)

遠野不思議 第三十一話「伽藍堂(無尽和尚を祀る)」

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東禅寺は建武年間(1334~45)に無尽妙汁大師(俗に無尽和尚)が創建
した臨済宗のお寺である。全盛時代には、七堂伽藍を連ね、無尽の高徳
を慕って、各地から二百人を超える修行僧が集まったと伝えられている。

文献・礎石からみて、東北でも有数の大寺院であったと思われる。仏身に
形どった建物の配置は珍しく、寺は江戸幕府の初め、盛岡市に移ったが
末寺は附馬牛常福院の七寺がある。
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無尽堂には、畳を敷いてあるので寝泊りも可能。一度ここで野宿を経験して
も面白いかもだ。

平成の世になってから、どこからきたのか判らない尼さんが冬季に修行を
積む為に住んでいた事もあった・・・。
by dostoev | 2006-02-26 19:48 | 遠野不思議(寺院) | Comments(0)