遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:勾玉の女神( 7 )

勾玉の女神(其の七)

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遠野市小友町には、巌龍神社がある。創建は明らかではないのだが、常楽寺の開祖である無門和尚が不動明王を勧請して、巌龍山大聖寺と呼称したとあるが、それ以前から、この地は地域の人々から崇拝されていたのだろう。何故なら、水が湧き出る地であるからだ。

古代信仰には、樹木信仰と共に磐信仰がある。社を構えずに、そのままの姿を崇拝していたのだという。屹立した、俗に呼ばれる不動巌もまた、天にも昇るまでの景観を示しており、またその根元には、今でもこんこんと水を湧き出させている。つまり、巌龍神社の創建以前にも、この地は崇拝されていたという憶測が成り立つ。
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この巌龍神社に伝わるものに、蛟龍の昇降の跡と、神の水というのがある。水の湧き出る根源に、古代では神を、そして龍をイメージしたものだった。その龍が現れる水は清いものであり、そこには天眞渟名井の信仰が広がっているのだろう。この不動巌の根元には不動尊を祀る島があるというのだが、今では金毘羅の石碑と、一つの玉石が祀られているだけだ。この祀られている玉石そのものが龍の玉であり、天眞渟名井に伝わる聖なる玉。勾玉の女神が化生する玉の信仰となる。
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水の湧き出る傍には、早池峰大神の石碑が立ち、その背後には、またこれも龍が昇ったとされる岩の溝が上まで続いている。水の湧き出す神水から龍が岩肌を駆け昇るというのは、これもまた一つの滝の定義である。天眞渟名井の信仰と共に、この地にも滝神であり早池峰大神である瀬織津姫の信仰が伝わったものと思う。
by dostoev | 2010-11-18 12:22 | 勾玉の女神 | Comments(0)

勾玉の女神(其の六)

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【古事記】「ヤマトタケル記」


故ここに相模国に至りましし時、その国造詐りて白ししく
「この野の中に大沼あり。この沼の中に住める神、甚道速
振る(イトチハヤブル)神なり」ともおしき。

ここにその神を看行わしに、その野に入りましき。ここに
その国造、火をその野に著けき。故、欺かえぬと知らして、
その姨倭比売命の給いし嚢の口を解き開けて見たまえば、
火打その裏にありき。ここにまずその御刀もちて草を苅り
撥い、その火打もちて火を打ち出でて、向火を著けて焼き
退けて、還り出でて皆その国造等を切り滅して、すなわち
火を著けて焼きたまいき。故、今に焼遺と謂う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーー
この文中に登場する、大沼に住む「イトチハヤブル神」という存在は、何だったのか?ヤマトタケルは全国の悪神などを退治し、平定してまわったという伝説の人物である。

ところで古事記の編纂は、天武天皇の命であった。それを持統天皇が受け継いだという形となっている。その為に、半分は天武天皇。半分は持統天皇の意向が入り込んでいるのが「古事記」なのだろう。ところで「日本書紀」持統天皇5年に、初めて諏訪の名前が登場した…。


「使者を遣して竜田風神、信濃の須波、水内等の神を祭らしむ。」


これは、天武天皇の意向を汲んでのものだった、とも伝えられている。ところで壬申の乱において、大海人皇子てある後の天武天皇は、赤い旗を掲げて戦ったという。これは天武天皇が漢の高祖帝に自らを擬えていたのだと。

高祖となった劉邦は以前、道の真ん中でとぐろを巻いて居たという白蛇を斬ったという。その白蛇とは「白帝の子」の化身、つまり秦国の象徴であり、それを斬ったのは「赤帝の子」であるとの伝説を生む。五行説によれば、白 (金徳) の秦王朝は、赤 (火徳) を持つ新王朝に滅ぼされるという意識をもっての、壬申の乱であり赤旗だったようだ。中国の左伝には、昔、高辛氏に2人の子供がいて、ある時兄弟に争い事が起こり、ついに剣をとって戦い始めたという。そこで天子は、兄を商の国にうつして「辰の星(さそり座の三星)」を司らせ、弟を大夏の国へうつして「参の星(オリオンの三星)」を司らせることにしたとある。

アンタレスで有名なさそり座の星は、火の星とも言われる。その相対する星とは、からすき星であるオリオンとなる。つまり天武は、白竜を殺した劉邦に倣っているのだが、そのまま火の象徴である辰の星と呼ばれるアンタレスをも意識していたのではないだろうか?だからこそ、相対する龍であり、星を怖れた。

ちなみに陰陽五行による火の三合でいえば、最も盛んな時が午であり、色は赤となる。しかし、その火に相対する水の三合とは、申に生じ、子に盛んとなる。色で表せば、申は金気の白であり、子は水気の黒となる。五行相生では「金生水」という事から、金は水を産む。しかし水は五行相剋となれば「水剋火」となり、火の大敵となる。

その火の星であり、辰の星であるさそり座のアンタレスは、夏に盛期を迎え、オリオンが昇る冬には沈む。これはギリシア神話では、サソリによって死んだオリオンがサソリを避ける話となっているが、中国ではその逆となっている。

以前、荒ぶる女神の展開を書き記したが、竜には牡竜と牝竜がおり、角があるのが牡竜であり、角の無いのが牝竜となる。ある意味、相対する存在でもある。つまり、火の竜として君臨した天武天皇の恐れた存在は、やはり竜である牝竜であり、火に相対する水の竜ではなかったのかという事。だから天武天皇は、その水の竜を鎮める為に諏訪のある信濃に遷都を考えたのでは無かろうか?

安定した政治を司る為には、龍脈を抑える必要がある。その為には、龍穴を探さねばならない。龍穴には必ず、龍が水を飲む水源があるので、その水源を天武天皇は諏訪に求めたのかもしれない。「日本書紀」天武13年には…。


「是の夕に、鳴音有りて鼓のの如くありて、東方に聞ゆ。人有りて
 曰く、『伊豆嶋の西北、二面、自然に増益せること三百余丈、更
 一つの嶋となれり。則ち鼓の音の如くあるは、神の是の嶋を造る
 響きなり』といふ。」


天武天皇の元にも、遥か遠い東国の伊豆の噴火の話が伝えられているのは、それだけ龍脈の乱れを意識し恐れていたのではなかったのか?つまり天武自らが、天に認められていないのでは無いか?という懸念が、神経質までに全国の天変地異の情報の入手となってたいたのではと感じる。
by dostoev | 2010-11-18 12:14 | 勾玉の女神 | Comments(0)

勾玉の女神(其の五)

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ところで丹内山神社には「七不思議」というものが伝えられているようだ。「七不思議」という概念の古いものは、やはり諏訪のようである。ただ諏訪の場合、正確には上社と下社合わせて11となるようだが、取り敢えず「七不思議」の発祥は、諏訪と考えても良いと思う。


【諏訪の七不思議】

1.御神渡

2.元朝の蛙狩り

3.五穀の筒粥

4.高野の耳裂け鹿

5.葛井の清池

6.御作田の早稲

7.宝殿の天滴



その諏訪の流れが、どうも遠野周辺にも流れ着いているようだ。丹内山神社の創建は、早池峰神社の創建の時期にも近いようなので、その七不思議も歴史が古いのかもしれない。ところで、諏訪の七不思議の5に、葛井の清池は先に九頭龍と書き記したが、「遠野物語拾遺」に、ある話が紹介されている。
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荒屋の沼と隣村の松崎村との沼とは通じていて、沼の御前に籾殻を投げ入れると松崎村の沼に籾殻が浮かんだとも伝えられる。この沼には主がいると云って、昔から恐れられていた…とあるが、 また別に「遠野物語拾遺31」には蛇体となった松川姫の話が紹介されている。


前にいう松崎沼の傍らには大きな石があった。その石の上へ
時々女が現れ、また沼の中では機を織る梭の音がしたという
話であるが、今はどうかしらぬ。

元禄頃のことらしくいうが、時の殿様に松川姫という美しい
姫君があった。年頃になってから軽い咳の出る病気で、とか
くふさいでばかりいられたが、ある時突然とこの沼を見に行
きたいと言われる。家来や侍女らが幾ら止めても聴入れずに、
駕籠に乗ってこの沼の岸に来て、笑みを含みつつ立って見て
おられたが、いきなり水の中に沈んでしまった。

そうして駕籠の中には蛇の鱗を残して行ったとも物語られる。
ただし同じ松川姫の入水したという沼は他にも二、三か所も
あるようである。


                    「遠野物語拾遺31話」

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水辺の伝承の中に、大石に乗る女性の話は、かなり伝わる。そしてその女性は、水神である竜であり蛇にも繋がる話にもなっているのは、丹内山神社の御神体である、俗に「アラハバキ神」として祀られる大岩にも繋がるのかもしれない。そしてそれは、無尽和尚が早池峰に祈願した来迎石に鎮座した、早池峰大神である瀬織津姫の話しに繋がるものであろう。とにかくこれらの話は、諏訪の葛井神社の伝承に似通っている話であり、つまり沼の御前とは誰なのか?に通じる話でもあると考える。

「遠野物語」の大抵は、オリジナルではなく他地域からの伝播された話が定着し、地域に即した物語に変換されたものが多いと感じる。つまり、遠野を知るという事は、他の地域の信仰や伝説を知るという事に繋がる。そこには物語の伝播だけでなく、信仰の伝播・流入があったものだと考えるのが普通だと思う。

諏訪の七不思議と「遠野物語拾遺」の関連を紹介したが、当然の事ながら、早池峰にも七不思議は存在する。その中で共通する不思議とは、やはり枯れる事の無い泉であり、手水はちである。
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この丹内山神社の近くに、瀬織津姫を祀ってある大沢滝神社というのがあり、やはり丹内山神社と同じ「七不思議」というのが存在する。その七不思議の一つに、こうある…。

「滝のそばの大石にくぼみがあり、その中の水が干上がることはない」

ただ丹内山神社の大本は、早池峰である。それは、丹内山神社の背後には、瀬織津姫が化生したという滝ノ沢神社と滝があり、更にその背後には、早池峰が聳えるからだ。だから丹内山神社には、早池峰遥拝石があるのだろう。その影響もあってか、大沢滝神社にも「七不思議」という概念が伝わってたのではないだろうか?つまり、この地域一帯が全て早池峰の信仰圏である事を伝承が伝えているのだと思う。

よって丹内山神社に形を変えられ「アラハバキ神」として祀られている神も、本来は荒ぶる女神である宗像の女神でもあった、瀬織津姫なのであると考える。だからこそ、早池峰の山頂にある開慶水の概念が普及し、丹内山神社、または近くにある瀬織津姫を祀る大沢滝神社に及んでいるのだろう。ただしこの経由は、宗像でも無く、出雲ても無く、恐らく白山の流れからだと思うのだが…。
by dostoev | 2010-11-18 12:08 | 勾玉の女神 | Comments(0)

勾玉の女神(其の四)

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ところで、岩手県の東和町に「丹内山神社」というのがある。「丹内」は、「胎内」に通じるというのだが、神社の背後に鎮座する御神体の大岩が、この神社の名称の由来となるようだ。考えてみても、まず大岩ありきだと思う。その岩に思って、何を信仰するかなのだろう。その大岩には「アラハバキ神」を祀るとあるが、以前、別記事で展開した流れでは「アラハバキ」は「アララキ」でもあり、それは所謂「荒神」であるとした。遠野の伊能嘉矩(1867~1925)は、丹内山神社の大神は、地祇なりと書き記している。そしてその神は、晴山の滝沢の滝に出現す…とある。
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丹内山神社の末社である滝ノ沢神社の祭神は瀬織津姫であり、単純に考えれば、丹内山神社には瀬織津姫が祀られていたとなる。先に書き記した、朝鮮の思想が日本に流入していれば、羊水を内包する女性器は、水の根源であると考えれば、当然そこに鎮座するのもまた水神なのだろう。実は、この丹内山神社には、瀬織津姫の本地垂迹となる十一面観音も祀られている。

更に、早池峰山を遥拝する石があり、気になるのは「丹内山七不思議」の一つにある「どんな干天でも水のかれない手水鉢」というのは、早池峰の開慶水と同じ意義を持っている事だ。また伊能嘉矩は、丹内山神社の下記のような伝承も書き記している。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「当に今此石を以て礫に擲げ、其の落ち止まる地を以て我が宮地と為すべし」

則ち礫に擲ぐ其の石現地に落ち止まる。因りて万代の領地と定め、該石を以て神璽と為して後世に伝ふ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここに登場する言葉に「神璽」とあるのは玉の事だ。つまり古代にのっとって考えれば、勾玉の事になるのだろう。つまり宗像→出雲→越の国に伝わる玉の信仰が根付いての、丹内山神社であり、その玉に化生したのは荒ぶる神であった、瀬織津姫であったのだと考える。
by dostoev | 2010-11-17 14:29 | 勾玉の女神 | Comments(0)

勾玉の女神(其の三)

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天竜川は、長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋に流れる川。また「暴れ天竜」と呼ばれるように、洪水どの水害の歴史が多い川であった。そう、要は荒ぶる竜であった。その天竜川の一番古い呼び名は「麁玉川(あらたまがわ)」と呼ばれた。「麁」という漢字は「荒」と同義で、古来天竜川は別に「荒魂川」とも云われたようである。

諏訪上社の境内社である葛井神社の池に投げ入れた供物などは、遠州の鎌田の池に浮き出るという伝承がある。葛井とは、神社の由緒書によると、九頭龍の井の意味であるといい、要は諏訪には九頭龍が習合されていたという事だ。九頭龍は白山の翠池で化生して、諏訪の地にも定着したのだろう。
とにかく、この天竜川沿いの信仰を調べると、諏訪を源とする天竜川であるが、白山信仰の影響が、かなりあるようだ。

三河大神楽というのは、立願して白山という死の世界にへ赴き、再び復活するというものらしい。この三河太神楽で使用されるという竜頭十二個は、白山の御室神事にも同じという。また「麁玉川」と呼ばれた天竜川沿いには、やはり玉の信仰が根付いている。天竜川沿いに「竜の玉」と呼ばれる神宝が、いくつかの寺に伝わっているが、元は玉の信仰であり、これは安曇族の道筋を伝えているのだともいう。

また話は飛ぶのだが、朝鮮に伝わる話を紹介したい。朝鮮には、ミリネ(竜川)信仰というのがあるようで、夜空に広がる天の川をミリネと見立てているのは、天の川に竜が棲んでいるという古代人の発想によるものらしい。新羅の文武王の墓は「三国遺事」によれば、こう書かれている。

「私が死んだら、護国の大竜となって仏法を崇奉し、国を守護したい。」


この遺言によって、文武王稜は東海の大岩に作られたとあり、その形は女性器の形をしているのだと。これは再生と復活の意味するものであり、羊水を内包する女性器は水の根源であるという信仰に基づいているらしい。 また朝鮮でも竜宮思想があり、竜宮は母胎を意味し、竜宮へ行くというのは、母胎への回帰であると。

天竜川の古い呼び名の中に、「天中川」というものあるらしい。 また「更級日記」に”天ちふ川”とあるのは、実は天中川であり、別に”アメノナカガワ”とも呼ばれたのだという。

この中(ナカ)は、福岡県福岡市に流れる那珂川の意義が天竜川にも伝わっているのだと。福岡市の志賀島には安曇磯良を祀る地でもあるのだが、安曇族特有の蹴裂伝承は諏訪にも伝わる事から、やはり諏訪には安曇族の信仰の流れが入り込んでいるのだろう。これは、諏訪に流れたタケミナカタの存在もあるのだろう。タケミナカタは、大国主と越の国の沼河姫との子供であり、そして玉の信仰を持つ宗像とも繋がる。

ところで「蹴裂伝承」だが、この伝承は全国各地に広がるのだが「日本書紀」では、郡珂川の水を田に引こうとしたが、大岩が邪魔して溝を通すことができない。そこで神功皇后は武内宿弥を呼ぴつけ、剣と鏡を神前にささげて析らせたところ雷が激しく鳴り、その岩を踏み裂いて水が流れるようになった。そこで、その溝を裂田溝と称したとあるのが「蹴裂伝承」の古い話となる。
by dostoev | 2010-11-17 14:04 | 勾玉の女神 | Comments(0)

勾玉の女神(其の二)

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道路上にある信号の青信号を青とは言っているが、実は緑色であると皆認識している。古代の日本もまた同じで、青と緑とは同義であった。 緑とは翠とも書き表し、要は翡翠の色でもあった。その翡翠 そのものは、青玉とも呼ばれていた。つまり翠=青である。

「白山之記」というのがあり、こう書かれている。


「一つの少高き山は剣の御山と名づく。この麓に池水あり。
 翠の池と号す。たまたまその水を得てこれを嘗むれば、
 齢を延ぶる方なり。大山の玉殿あり。翠の池よ権現出生
 し給ふなり。」



この翠の池より現れたのは、お馴染み?の九頭龍であり、また「白山大鏡」に記載されている内容は…。

「深沙竜宮底の洞。伝く、白山娘の住まいにして九頭八龍が居る…。」

まずはじめに、白山を開山した泰澄自身が秦氏だったという事。また白山周辺には、どうも多くの秦氏が存在していたようだ。ちなみに、泰澄と役小角が開山した愛宕山も「白山」と言うそうである。
当然泰澄は秦氏であるから、思い出すのは八幡信仰。平安京遷都でも力を示した秦氏の本拠は葛野。実は「白山大鏡」で記載されている「九頭の八龍」とは「葛の八幡」にかかってくるらしい。八幡と宗像の結び付きを考えれば、当然白山の翠池とは天眞渟名井の信仰が入り込み、月の変若水信仰へと結び付く。
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橋野の沢の不動の祭りは、旧暦六月二十八日を中にして、年によって
二月祭と三月祭の、なかなか盛んなる祭であった。

この日には昔から、たとえ三粒でも必ず雨が降るといっていた。そのわ
けは昔この社の祭の前日に、海から橋野川を遡って、一尾の鮫が参詣
に来て不動が滝の滝壺に入ったところが、祭日に余りに天気がよくて川
水が乾いた為に、水不足して海に帰れなくなり、わざわざ天から雨を降
らせてもらって、水かさを増させて帰って往った。

その由来があるので、今なおいつの年の祭にも、必ず降ることになって
いるといい、この日には村人は畏れつつしんで、水浴は勿論、川の水さ
え汲まぬ習慣がある。

昔この禁を犯して水浴をした者があったところ、それまで連日の晴天で
あったのが、にわかに大雨となり、大洪水がして田畑はいうに及ばず人
家までも流された者が多かった。わけても禁を破った者は、家を流され、
人も皆溺れて死んだと伝えられている。

                       「遠野物語拾遺33」

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この「遠野物語拾遺33」には、やはり水に関する禁忌がある。その祭りの日には、必ず”3粒”でも雨が降り、その祭りの日に、その淵で水浴びや水浴びをすると、祟りを受けるというもの。写真は、この「遠野物語拾遺33」の舞台である滝沢神社となる。淵の上に建立された本殿と、その下に広がる淵。その淵に水を注ぎ込む滝がある美しい景観の神社だ。確か…岩手県の景観賞も受賞していたと思ったが、それだけの景観を魅せてくれる神社だ。この神社を舞台とした「遠野物語拾遺33」に登場するキーワードは「3粒の雨」と「鮫」と「水の禁忌」だろう。また、この神社の脇には、注連縄を張った女神が降り立ったとも聞く石が存在するというのも、遠野の東禅寺の来迎石を髣髴させる。

ところで話は変わるが、諏訪の七不思議の中に、こういうものがある…。

「宝殿の天滴」

「どんなに晴天が続いても上社宝殿の屋根の穴からは1日3粒の水滴が
 落ちてくる。日照りの際には、この水滴を青竹に入れて雨乞いすると
 必ず雨が降ったと言われる。」


また、この「宝殿の天滴」が、天竜川の水源だともいわれている…。
by dostoev | 2010-11-17 13:51 | 勾玉の女神 | Comments(0)

勾玉の女神(其の一)

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早池峰山頂には、開慶水(開基水)と呼ばれる霊泉がある。この霊泉は、常に清水を湛え、霖雨に溢れず、旱天にも涸れぬという。そして不浄を加えれば忽ちに涸れ、祈れば即ち湧くというものである。

この伝説を帯びた開基水の伝説の根源は、高千穂の天の真名井から発せられ、どうやらこの早池峰の山頂へも届いていたようだ。天の真名井は、アマテラスがスサノオの剣を取り宗像三女神を化生させた誓約のシーンに登場する、聖なる泉だ。その原義は別に、遠野に広がる沼の御前伝説にも繋がっていくようである。
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昔、無尽和尚が東禅寺の伽藍を建立しようとした時、境内に清い泉を欲しいと
思い、大きな丸型の石の上に登ってはるかに早池峰山の女神に祈願した。

ある夜に美しい女神が白馬に乗って、この石の上に現れ、無尽に霊水を与え
る事を諾して消え失せたと云う。

一説には、無尽和尚がその女神の美しい姿を描いておこうと思い、馬の耳を
描き始めた時には既にその姿は消えてなかったという。

また、別にこの来迎石は早池峰の女神が無尽和尚の高徳に感じ、この石の
上に立たれて和尚の読経に聞き入った処だとも伝えられている。

女神から授けられた泉は、奴の井とも開慶水とも言い、今に湧き澄んでおり、
この泉に人影がさせば大雨があると伝えられ、井戸のかたわらに長柄の杓を
立てておくのはその為だという。

                            「遠野物語拾遺40」

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「古事記」では剣によって化生した宗像三女神だが「日本書紀」では、八尺瓊の勾玉によって化生した。「釈日本紀」では「先師説伝。胸肩神体。為玉之由。見風土記。」とあり、宗像のご神体が玉である事を明記している。よって剣とも縁は深い宗像だが、それよりも繋がりの深さは玉にある。これは、宗像の女神が出雲に迎え入れられ、八千矛の神と結ばれた為の剣の結び付きで、本来は玉の女神なのだろう。

トンデモ本では、出雲大社の神々が本殿の向きに逆らって西を向いているのは、太陽の沈む死の方向を見据えているとも書き記されているが、もしかしてこれは宗像の方向を見つめているのではないだろうか?

出雲大社を調べると、左右の位置の上下関係は常に左を上位としているようだ。本殿の左に位置するタゴリ姫を祀っている筑紫社は、当然出雲大社としての位置付けでは上位として捉えていいのだろう。それだけ大切な関係なのだと考える。ところで大国主であり八千矛の神は、宗像の女神だけでなく、越の国の 沼河姫をも迎え入れている。

沼河姫の名は、越後の沼川郷の地名の由来ともなっているようだが、 「日本書紀」には「天渟名井」またの名を「去來之眞名井」とあり、これは高天原の「天眞名井」の事となる。 「真名井」などといろいろ記されるが本来は「マヌナヰ」の略で、「天眞渟名井」がどうも正確な呼び名のようだ。

「ヌナヰ」の「ヌ」とは瓊であって赤玉の義であり「ナ」は助詞で「ノ」と同じ。つまり「ヌナヰ」とは「玉の井」という意味となる。つまり「ヌナ井」とは、清浄な水を湛える聖なる井の意味であり、これが「マヌナ井」となれば、その底に玉を沈めた井という意味になる。


沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 

得し玉かも あたらしき君が 老ゆらく惜しも
 
 

万葉集に載っている歌だが、この歌から、聖なる水の底に沈んだ玉には、生命の根源が宿っている感がある。つまりこれは月の変若水を詠っているものだろう。天武天皇の和風諡号を「天渟中原瀛眞人天皇」と書き記した事から、天武天皇もまた「天眞渟名井」を求めた…つまり不老不死ともなる月の変若水を求めた一人だったのかもしれない。


万葉集には、先程の歌の前に二首の歌を載せている。


天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水

い取り来て 君に奉りて をち得てしかも

【返歌】

天なるや 日月のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも


古代、玉とは勾玉の事を云った。玉の沈んだ沼や井には、その月の代用品?でもある勾玉が沈んでいるものと思われたのではないだろうか?月は、満ちては欠けるを繰り返す姿から、復活とか若返りを持つ力を持った存在と思われたようだ。その月の力が勾玉に宿り、その勾玉が沈んでいる水を聖水・聖泉として信仰されてきたのだろう。

これらによって越の国の沼河姫も、名前を紐解くと「瓊の川の聖なる女神」という意味となり、古代翡翠の産地だった越の国と出雲が結び付いたのは、宗像と出雲の結び付きに近いものであったのだろう。

三種の神器というものがあり、鏡・勾玉・剣というのが一般的だ。ただし、その文化には、時代の流れがあるようだ。

鏡は太陽を現すもので、農耕文化の発達と共に太陽信仰が成されて鏡に対する信仰が根付いたものだと考えれば、それを持ち込んだ者は、天孫族であり天津神系となる。出雲は国津神と呼ばれ、古来から勾玉を信仰してたのはわかる。つまりその根底は、狩猟民族でもあり、漁を獲ってきて生計を結んでいた海洋民族でもあった。そしてその信仰は月であり、勾玉であった。

丸い鏡が太陽であるならば、その対で現される月は三日月形であり、勾玉の形となっているのだろう。天津神々が、日本の国津神を滅ぼして大和朝廷を作った歴史から考えると、古代日本の信仰は月信仰が太陽信仰よりも古いという事になる。

実際、勾玉が発掘される年代を考えても、古代から勾玉=月という信仰が、この日本に根付いていたのだと思う。それを太陽信仰と組み合わされて作られたのが「古事記」などであり、太陽信仰を中心とするよう、作為的に編纂されたのだろうというのはわかる。「古事記」での、所謂天岩戸神話の中で、天照大神の再出現を希望する祭祀儀礼がある。

「天香山に生う、青々と葉の茂った榊を、根こそぎ掘り起こし、上枝には八尺瓊勾玉を五百個連ねた頸飾りをとりつけ、中枝には八咫鏡をかけ、下枝には、白い木綿の和幣と、青い麻の和幣を取って垂らした、これらの種々の品は、布刀玉命が神前に献る御幣として、両手に捧げ持った…。」

ここには、剣が登場していない。剣の導入時は、本来武器であったが、後に神の降臨する依代としてその形ができあがったようだ。つまりそれ以前、剣の代わりとなっていたのは榊=賢木であったのだろう。また、白い和幣と青い和幣てが登場しているが、白は太陽を表す色であり、青は月を現す色だ。ここには鏡と勾玉が登場している事から、太陽神と月神の二神を祀るのが本来の形だったのかもしれない。
by dostoev | 2010-11-17 12:19 | 勾玉の女神 | Comments(0)