遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:三女神伝説考( 11 )

「三女神伝説(三山伝説その七)」

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「早池峰神社略縁起」に、下記のような記述がある。

>跡伏し拝み、悉く信心す時に姫神達東山に登給いれるに、童子一人顕れ、
>かれに山々を問わしめ給へば、童子指さし向に見ゆるは



三女神を各山々に導いた者として、童子の姿がある。伝説や伝承には、しばしば翁や童子が登場して、その者なりを導く話が多い。童・童子・小童・天童と、探せば細かな名称は登場するけれど、つまり全て子供であるという事だ。では何故に、子供なのか?

一番古い記述となれば「日本書紀」となり、その「日本書紀」ではワタツミの神「少童命」と記している。また、住吉の神を表して「底津少童命・中津少童命・表津少童命」とされている。その後に天照大神やら素戔嗚やらが生まれたのも、ある意味三貴子を導いた存在が、少童命でもある住吉三神であった。

永留久恵「海童と天童」では、安曇族が信仰する磯良についても言及していた。磯良は亀に乗って水中を往来し、ある時は童型で、ある時は老翁の姿で現れる所伝もあるという。その磯良は水底に棲んでいて顔にカキなどが生え醜いとされるのは、底津少童の本義であり、海中を自在に活動する姿を中津少童であり、舵取りとなって導く様を表津少童の意味を表していると述べている。

よくナゾナゾに「初めは四本足、次に二本足、最後に四本足はなぁ~に?」という問題の答えは人間であるが、別の答えとしては”同じ存在”という意味にもなる。また三面鏡という鏡がある。自分の姿が、三面に分かれて見る事ができる鏡だ。

数日前に第34回岩手県高等学校総合文祭・美術工芸部門 第49回県下高校美術展を見に、岩手県民会館へと行ってきた。作品の中に「三面、今日」という題名の作品があった。三面鏡の中に、自分に内包する三面の姿が表されていた。合せ鏡の禁忌の話は多いが「大船渡市史」には、いくつかの鏡を 使用して、未来を見るという呪法の事が記されている。実際に古代では、水鏡で神意を占う方法があった。また神話では天岩戸に隠れた天照大神を八咫鏡によって誘い出すのは、鏡にそれだけの霊力と神秘性があると信じられていた為だろう。古代の人々は、鏡に映った像を、その人物の分身として捉え、鏡に映る太陽は、太陽の御霊代とされた。それ故に八咫鏡は霊鏡とされたのはつまり、荒魂・和魂と霊力を分離させるモノとして着目されたのもあるのだろう。また名前においても、諱や字名と分けられるのも、一つの魂を保護する為でもあったのかもしれない。
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三面大黒が古くから伝わっているように、この三面という定義は、古代から続いているよう。例えば、日本と限らないが時間を表す場合「昨日・今日・明日」と分ける。例をいろいろ挙げればきりがないが、三と言う数字は霊数であって、甲賀三郎しかり、風の又三郎しかり、三の付く名前には超常的な力を持つ者がいる。つまり三つに分割するという考えは、力が三分割になるのでは無く、三と言う霊力を持つための意義でもある事に注意しなければいけない。そしてその思想の発祥は、海人族から発生したと考えて、まず間違いは無いと思われる。それ故に、住吉三神・宗像三女神など様々に分割した神が存在するが、それは三と言う霊力を帯びる為に造られた神であると考える。

この「早池峰神社略縁起」において、三女神を導いて分離させた少童そのものも、本来は一つの霊力を帯びた神であり、それは海人族の思想に基づいて造られた神であろう。つまり三山神話と呼ばれるものの殆どが、海人族の信仰する神が霊力を帯びたまま山に入って分離した形であろうと推測する。その本体は、三面鏡でもわかるように、中心に位地したものであろう。つまりここでは早池峰の女神が本体であり、それを三分割で表す事によって、霊力を増し、またその御霊を保護したものと捉える事ができる。
by dostoev | 2011-11-16 11:17 | 三女神伝説考 | Comments(0)

「三女神伝説(三山伝説その六)」

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そもそも新山大権現之本地を尋ね奉るに、人王五十代桓武天皇延暦十四年乙亥三月十七日當山江、三柱姫神達、天降満します也。新山と申すは古起松杉苔むし老いた流枝に蔦蔓生え登り、山葉に曳月はかすかに見ゆ木魂ひびき鳥の聲あたかも、深山幽谷の如し。南に北上川底清く、水音高く御手洗也。雲井に栄え登る月影浪に光を浮かしめ、北は千尋に余る、廣野と萩薄生え繁。是を名付けて、新山野と申す也。

四方青垣山にして宝殿棟高く、御床津比の動き鳴る事なく豊明に明るい座満たして宣祢禰宜の振鈴、いや高く響、茂あらたなり今茂かわらぬ。三つの石あり、三柱姫神鎮座満します。故是を影向三神石と申す也。

然に氏御神天降給故を尋ね奉るに、東国魔生変化の鬼神充満し、多くの人民をなやまし、国土を魔界に成さんとせしを、天帝聞し召せ給、田村大明神を天降し、悪魔化道退散なさしめ、国土を治め給いしとかや、弘仁二年巌鷲山田村大権現と顕れ給い妃神を王東山大権現と顕し給いしとかや、其の御子三柱の姫神當山鎮座満しまし給、姫神達折々四方を御詠有りし遥か東方に雲を貫く高山あり。旭の光々たり、月の満々たるも、峰の高きを貴み給いて曰く我等山川の清を求め峯の高きに登り末を守らん。爰に我等の三躰を残し置くと宣いて、東方へ行幸ありしとなん。

人民肝留以催し、跡伏し拝み、悉く信心す時に姫神達東山に登給いれるに、童子一人顕れ、かれに山々を問わしめ給へば、童子指さし向に見ゆるは、於呂古志山、何方は大石神山此方は早池峯山と申す三つの山也。中にも峯高く絶頂盤石四方巌々として空にそびい鳥類翼を休めがたし。閼伽井より冷泉湧き出る是を名付けて早池峯と申す也。常に紫雲靄起こし、音楽の音止まず。折々天人舞い下り、不測之霊山也と言うを終わらず、虚空に上り雲中に声有。我は、是一の路権現なりと失せ給ふ御跡拝み伏す。

天に向かい此の三つ山、授け霊験を下し給いと祈り給へば、不測屋奈末の妹神の御胸に八葉の蓮華光曜として、天降蓮華の?に舞光を放ちて飛び、早池峯山大権現と顕れ給い、姉神は大石神山大権現と顕れ、第二姫神於呂古志山大権現と顕れ、国土を守り給いとかや況や御神徳著しき事、當社に先魂坐す故當社を早池峯新山大権現と齋奉流也。又神道には、瀬織津姫也大権現と書て大権現と讀み奉る也。古今の霊場にて弥陀薬師観音の三像相殿に敬い奉る事、其の徳社に満りと云々。

                              【早池峰神社略縁起】
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この「早池峯神社縁起」は、岩手県神社庁に伝わり、一般的には出回っていない縁起となる。時代が弘仁二年(811年)とあるので、遠野早池峰神社の建立された大同元年(806年)の後という事になる。また、簡単に読みやすいようにと若干書き換えた。

またここでも三人の姫神が各々三山に分かれたという話が紹介されているが、早池峰山以外の「於呂古志山(おろこしやま)」「大石神山(おおいしがみやま)」は現在も不明となる。ただ「おろこし山」は尊称の「御」を頭に付けると「御ろこし山」となり「御六角牛山(おろっこうしやま)」とすれば、余りにも似ている。また遠野三山の一つである「石上山」も以前は「石神山」であってそれに「御」を付け加えれば「御石神山(おいしがみやま)」となって、やはり似ている。三女神を各々「おはや」「おろく」「おいし」と称する事から察してみても、尊称の「御」を付け加えたのが弘仁二年の縁起に登場する「於呂古志山」と「大石神山」ではと考えてしまう。
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この【早池峰神社略縁起】は弘仁二年という事だが、遠野の来内に伝わる三女神伝承でさえ、本当に大同元年なのかさえ定かではない。ここでは三女神が別れたのが一の路権現となっているが、遠野においては伊豆権現となる。ただ考えられるのは、遠野に伝えたという始閣藤蔵がこの縁起を知って遠野に赴き、遠野側から早池峰信仰を説いたのか、またはその逆もあるのかという事だろう。ただしあくまで早池峰に伝わる三女神の伝承は、坂上田村麻呂をきっかけとして、それ以降になるという事は伝わる。そしてそれがあくまで蝦夷側では無く、朝廷側の立場によって作られた縁起という事が理解できる。
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また「早池峯神社縁起」に出てくる「一の路権現」は、大迫町から紫波町の山屋に通じる旧峠の手前にあって、今では人も通らぬ為、なかなか見つけられぬ難儀な場所に存在している。

この一の路権現は虚空から声がして三姫神を導いた存在であるが、つまりこの地から三姫神は、各々三山に散ったものと捉えられる。つまり遠野側から言えば、伊豆権現の地である来内であり、また神遺神社のある附馬牛町小出の地と同じであろう。
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by dostoev | 2011-11-04 06:23 | 三女神伝説考 | Comments(0)

「三女神伝説(三山伝説その五)」

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呼石の三女神伝承を先に記したが、同じ様な話して、呼石ではなく岩手県花巻市の
三岳地区に鎮座している三嶽神社から、早池峰・羽山・胡四王山へと三女神が飛び
立ったという伝説もまたある。
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三嶽神社の鳥居の手前には、早池峰・羽山・胡四王山へ飛んで行った三女神の口碑が建てられている。
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この御嶽神社の奥宮には三つの石の祠があり、当然の事ながら伝説の三山を祀っているものと思いきや。。。
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何故か天照太神・春日大明神・八幡大神になっているのは、時代の推移のせいだろう…。
by dostoev | 2010-12-10 10:58 | 三女神伝説考 | Comments(0)

「三女神伝説(三山伝説その四)」

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【胡四王の三女神伝説】

太古、この盆地に薬の神様がおられ、秋晴れの日、三人の娘達と野外を
歩き回った。娘達は年頃であったから、どこからでも仰ぎ見られる高い
山の神になりたいと思い、四方の山の品定めを密かにしていた。そして、
奥山の早い雪に包まれ、神秘の山になりきっている早池峰山へ行きたい
と、それぞれぞれの心に決めた。

秋日和のぽかぽかした花園につくと、三人ともつい気持ちが良くなって
眠ってしまった。この時、天から蓮華の花がひらりひらりと落ちてきて、
一番上の姉の胸にとまった。最初に目を覚ましたのは妹だった。妹は、
そっと姉の胸の上の花を取り上げ、早池峰にいち早く飛び去った。次に
目を覚ました二番目の姉は、南昌山へと。最後に目を覚ました姉は一番
低い胡四王山の女神になった。この為に姉神は、目を覚まさずに遅れを
取った悔恨を、盲目の人達に味方する事で晴らそうとしたという。

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胡四王山は標高たかだか183mの低い山だ。しかし山の上に鎮座する胡四王神社の創建は古く、坂上田村麻呂が大同二年(807)この地に下向した際に、自らの兜に奉じていた薬師如来像をこの神社に安置し、武運を念じると共に四民の息災安穏を祈願した事か起源とされているそうな。しかし、花巻・北上・江刺などの神社の起源を見ると、何かに取り憑かれたようにどこもかしこも大同二年というのが余りにも多い。その中で、遠野の早池峰神社の大同元年というのは注目に値するのかもしれない。
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小高い丘として考えれば胡四王は四方八方を展望できる立地から、戦や信仰の拠点になるのも理解できる。そとまた考えられるのは、姫神伝承の伝えるものは、早池峰山の遥拝所てあるという事でないだろうか。早池峰を本薬師とし、前薬師としての胡四王は、遠野における薬師岳と同じ位置なのだと考える。何故に遠野の早池峰神社の建立が大同元年で、他の神社等が大同二年にずらりと並ぶのは、極端に言ってしまえば早池峰山の崇敬の元に早池峰神社が初めに建立され、その早池峰を中心とする信仰(薬師信仰)に従い並ぶように他の神社が建立されていったような気がする。
by dostoev | 2010-12-10 10:49 | 三女神伝説考 | Comments(0)

「三女神伝説(三山伝説その三)」

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【呼石の三女神伝説】

昔、八重畑村の呼石いうところに三人の女神が来て、日暮れになったので
泊る事にした。そして明朝最も早く目覚めた者が、秀麗な早池峰山に飛ん
でいき主神になろうと約束し合って眠りについた。

一番末の妹は、ずる賢くて機転がきいた。宵のうちから眠らずに、夜明け
に鶏が鳴くと、いち早く早池峰山に飛んで行ってしまった。次に目を覚ま
したのは二番目の姉だった。すでに妹はいないので、早池峰の次に高い花
巻湯本の麓山権現に飛んでその神となった。最も遅く目が覚めた上の姉は、
二人の妹達の姿が見えないので、大声を出して呼んだが、声は石に反響し
て、反ってくるばかりであった。

姉は早池峰山と麓山をあきらめ、近くの大森山と小森山を重ね合わせ、早
池峰より高くして住もうとしたが、重ね終わらないうちに夜が明けてきて
しまった。仕方なく低くて不満であったが、胡四王山を目指して飛んだと
ころ御鉢箱が重いので、途中の大きな枝に休もうと降りて行ったが、あま
りの重さに下の田に落としてしまった。今ではこの田を御鉢田といい肥料
を与えずに稲を育て、胡四王社に初穂を納めている。こなんつまづきの連
続だったが、姉は胡四王山の女神に納まった。この胡四王社だけは、他の
神社が南面しているのに対して北面している。それは、この山から北方に
ある早池峰山を見る為と、呼石の地が恋しく恨めしい為であったろうと云
われている。

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呼石の地には「呼石大明神」が鎮座しており、祠の後ろにあるのが、上記の伝説に登場する女神の声を反響させた岩となる。つまり岩そのものか御神体であり、その岩が「呼石大明神」となる。
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この呼石大明神の鎮座する地は小さな丘のような場所で、登ってみると四方が見渡せる。そして呼石大明神の祠はやはり、早池峰を向いているのがわかった。地図で確認すると、花巻の胡四王→呼石→早池峰は一直線上に並ぶ。
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胡四王神社の脇に据え置かれている小さな石の祠は、三女神であるとする説もあるように、胡四王・呼石、そして麓山もすべて早池峰信仰のパーツとなるのだろう。
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またこの呼石の地と対になっている、やはり小高い丘があるのだが、そこは三柱の神が祀られる神社があった。一つは天照大神、一つは駒形神、そしてもう一つは水白神とあった。地元の古老に水白神について尋ねると「ハヤチネ、ハヤチネ」と、ただ答えるだけだった。この水白は、例えば鳥取に伝わる白い水の伝承があ、天照と瀬織津姫に関わる水白の伝承か。もしくは全国に分布する白鬚神社に絡む伝承のような気がするが、ここでは紹介だけに留めておこう。
by dostoev | 2010-12-10 10:45 | 三女神伝説考 | Comments(0)

「三女神伝説(三山伝説その二)」

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【江刺、大迫の女神伝承】

大迫の亀ヶ森という丘陵に、二人の女神が宿を取った。妹は、早池峰の女神
ににりたいと願ったが、姉はただ天の意志にまかせるのだとし、妹を諌めた。
ところが妹は、蓮の蕾を取って早く花を咲かせる事が出来たものが、早池峰
の女神となる事を提案したのだと。

気立てが優しい、のんびりした姉は一日中、花の咲くのを岸から待ち続けた。
機転のきく妹は、蓮の花が朝方にしか咲かないのを知っているので、日中は
遊んで、早朝に起きて蓮を見ていたそうな。その三日後、姉がまだ寝ている
間に、蓮の花が咲いた。妹は素早く蓮の花を取って早池峰へと飛んだという
事だ。姉は泣く泣く、麓山の姫神になったそうである。

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この大迫とは、稗貫郡(現在は花巻市)の大迫では無く、江刺に属する大迫である。大迫という地名は”山間の地”という意味らしい。実際にこの大迫は、まさに山間の僅かな場所に人々が暮らしているような土地である。

実は、この江刺の大迫の姫神伝承はかなり古いらしく。この江刺の大迫に流れ着いて定着した菊池という人物が伝えた伝説であるらしい。この大迫の部落では七月の早池峰の御山開きには、早池峰講を組織して、この伝承を運んだ菊池一族の総本家の当主を先頭に、早池峰登拝へ行っていたのだという。

この江刺大迫の菊池一族は、稗貫郡大迫の岳部落を訪れて、早池峰の新山宮に一番近い宿坊に泊ったという。岳部落では、江刺大迫の菊池一族には昔から、一番近い宿坊を与えるのが取り決めであったらしい。また早池峰の祭の日には菊池一族の当主が内陣まで土足で入る事が出来、祈祷を特別に受ける慣例を持っていたという。この菊池一族は、伝え聞くところによると九州から渡って来た一族で、この早池峰と姫神を、こよなく愛していたという。

実は、この江刺大迫に伝わる伝承として、この姫神伝説が現在の稗貫郡大迫町に伝わり、それから”大迫”という地名が付いたという事である。また姫神が宿にしたという亀ヶ森もまた、そのまま現在の大迫に伝えられ地名として存在している。大迫町役場に問い合わせても、いつから大迫という地名になったかは、誰も知らないという事であった。唯一「地名辞典」から、早池峰山の山間の地形から”大迫”であろうという判断しか出来ないそうである。
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この大迫に伝わる亀ヶ森であり、以前は聖地であり鬱蒼とした木々に覆われていたという。しかし平成の世に入り、伝承も薄れた為なのか、殆どの木を伐採したのだと。実は亀ヶ森の木々により、周囲の田んぼが日陰になる為に、仕方なく伐採したとの事。高台から望む亀ヶ森は確かに亀のようにも見え、木々に覆われていた時代は、周囲の田んぼに水が引かれた時には、水に泳ぐ亀のようであったそうな。この亀ヶ森は、いつの頃か三件の菊池家の共同墓地となったようだ。また、この江刺大迫の部落に住む人々の姓は、何故か”菊池”と”安部”だけであるそうだ…。
by dostoev | 2010-12-10 10:06 | 三女神伝説考 | Comments(0)

「三女神伝説(三山伝説その一)」

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遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、
七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の
日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。

四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯と云ふ。北の附
馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云
ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二
つよりも劣れり。

大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の
来内村の伊豆権現の社にある処に宿りし夜、今夜よき夢
を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝た
りしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止ま
りしを、末の姫目覚めて窃かに之を取り、我胸の上に載
せたりしかば、終に最も美しき早池峯の山を得、姉たち
は六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に
住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏
れて今も此山には遊ばずと云へり。

                        「遠野物語2話(抜粋)」

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こうして「遠野物語2話」には、大昔に女神あり…と伝えられているが、その遠野三山に祀られている女神の伝説は、他にもいくつかある。
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【伝説その1】


安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘
を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。

其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を
助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。

三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く
仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は
一切見えずになりたり。

それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。

此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せし
ものなり。

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【伝説その2】


坂上田村麻呂、東夷征伐の時、奥州の国津神の後胤なる玉山立烏帽子姫
という者あり。田村麻呂は東奥を守護せり後、立烏帽子姫と夫婦になり
て、一男一女を産めり。其の名を「田村義道」「松林姫」と言へり。

其の後「松林姫」は三女を産む。「お石」「お六」「お初」と言った。
三人は各所にありしが牛や鳥に乗りて集まりし所を附馬牛という附馬牛
にて、到着の儀なり。

天長年間、「お石」は我が守護神として崇敬せし速佐須良姫の御霊代を
奉じて石上山に登り、「お六」は、守護神の速秋津姫の御霊代を奉じて
六角牛山に登り、「お初」は瀬織津姫の御霊代を奉じて早池峰へと登った。

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【伝説その3】


来内に六陸田という地があり、ここは太古は池であった。

この池に、お早、お六、お石という三匹の蛇がいた。この蛇たちは水神でも
あったから、遠野三山の水源で神になろうと、この六陸田の地から一直線に
天ヶ森へ経て、長峰七日路に水無しという水の無い峰を越え、現在の神遺峠
の神分の社に来て泊まった。

蛇たちは、天から蓮華の花が降ってきた者が、早池峰の主になる事にしよう
と話し合って、眠りに就いた。明け方近く、それは姉の胸に降ってきた。と
ころが、末の妹の蛇は、寝ずに待ちうけていてすぐに起き上がり、それをそっ
と自分の胸に置いて、寝たふりをした。

みんなが目を覚ました時、末の娘の蛇は、約束通り、天の神が私を早池峰の
女神に選びましたと言って、早池峰に飛び去った。姉は怒って早池峰と背中
合わせの、一番低い石上山の、中の姉は六角牛の女神になった。この為、遠
野三山は、女が登れば妬み、男の登るのを喜んだので、女人禁制の山になっ
たという。

by dostoev | 2010-12-10 09:50 | 三女神伝説考 | Comments(0)

三女神伝承地と姫神の姿

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岩手県における早池峰の姫神伝説は画像の地図のように、早池峰より上へは伸びていない。また沿岸地区には、姫神伝説が存在しない。ただし、早池峰の姫神である瀬織津比咩の伝播経路は、二系統だと考えている。それはやはり、内陸と沿岸の2系統になるのだろう。沿岸地域に三女神伝説が無いのは、瀬織津比咩が鎮座する山が早池峰に固定され信仰か定着したのであり、敢えて姫神が”ある地”から早池峰へと飛んだという伝説を作る必要が無かったからだと思う。つまり遠野と沿岸地域の流れが円滑であり、早池峰を頂点とする信仰が素直に受け入れられたのだと考えるからだ。

ただし内陸である花巻や稗貫郡の大迫は、遠野早池峰に対する対抗意識が歴史上からも顕著であった。つまり遠野の早池峰の信仰をぼかして正当な早池峰の信仰地は”こちら”であるという意識からの作られた女神伝説の気がする。何故なら岩手三山と呼ばれるものに、岩手山・姫神山・早池峰山があるが、岩手県で一番標高が高い山に岩手山がある。その岩手山は、北上・花巻地区からも見える山であるその岩手山には、坂上田村麻呂伝説も付随する歴史的に由緒ある山でありながら、何故に花巻を中心とする地域には早池峰に関する伝説ばかりあるのか?それはつまり、それだけ早池峰山の霊威が高いと思って良いのだろう。そうであるからこそ、遠野に根付いた早池峰の信仰を奪う形で女神伝説が作られたものだと考える。


遠野三山とは、過去において2つあった。


天ヶ森(756m)→薬師岳(1645m)→早池峰山(1917m)

石上山(1038m)→六角牛山(1294m)→早池峰山(1917m)



何故この2系統があるのかは、以前別の記事で書き記したので省く事にする。


そして、花巻の三女神伝説の三山とは…。


胡四王山(183m)→羽山(355m)→早池峰山(1917m)

胡四王山(183m)→南昌山(848m)→早池峰山(1917m)



単に山の高さを比較しても、花巻の三山を形成する山は、早池峰に比較にならない程に低すぎる。遠野三山が全て1000mを超えるというのに対し、とても話にならない程の低さだ。これら花巻の胡四王山と羽山、そして南昌山は多分、その地域の神奈備として崇められた山であったと思われる。それを強引に早池峰を交えて三山に組み込んだのかもしれない。
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また曹洞宗三大本山と呼ばれる寺が、水沢地区にある。俗に「奥の正法寺」と呼ばれる寺だ。この寺は熊野・白山・早池峰が大事に祀られている寺でもある。三女神としてでは無いが、この正法寺に伝わる伝説がある…。
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正法寺の境内に早池峰と云ふ小山があり、頂上に早池峰権現を祀っている。
昔当所に蛇体の女神が棲んでいたが、後に閉伊・稗貫・岩手の三郡に跨った
名山早池峰に、其の神は飛んで往ったと謂ふ。この寺の本堂前にある蛇体石
は其の神の残して往った形見だと謂ふている。      

                            「江刺郡昔話」

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正法寺で若い修行僧に聞いたところ「早池峰山とは、正法寺の裏山の事だと思っていました。」という、とぼけた答えが返ってきた。まあ他地域からこの寺に修行に来た為、岩手の立地やら地名は、まだよく理解していなかったのだろう。ただし、裏山を”早池峰山”と称し、年に一度その”早池峰山”に御山がけするのだと述べていた。写真の様に、正法寺の裏手にはミニ早池峰へ登る登山道が整備されており、頂には早池峰の祠があり背後には本物の早池峰山が聳え立ち、ここから遥拝しているようである。また、登って気付くのたが、この山の形はまるで本物の早池峰山頂→剣ヶ峯→安倍ヶ城への道程を凝縮したような感じであり、まるでミニチュア版早池峰山となっている。これは、本物の早池峰を巡った僧が、似たような地形をそのまま早池峰として祀っているかのようであった。
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正法寺の石灯篭や建物内部の天井には、九曜紋が施されている。これは当然、千葉氏の流れから葛西氏に伝わるものの影響もあり、早池峰信仰も突き詰めれば妙見信仰であったと感じる。この早池峰信仰と妙見信仰の展開は、別の機会に書く事とする。
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また南部氏の家紋にも、九曜紋が存在する事から、南部氏も当然の事ながら妙見の崇拝者であったろう。とにかく、妙見信仰について書くのは別の機会とする。
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また正法寺では熊野・白山・早池峰を三所権現として祀るのだが、その中に「富山鎮守早池峰権現」とある。富山といえば白山を思い浮かべるのだが、ここでもう一つ思い出してみよう。熊野から室根山に勧請された十一面観音の隠れ本尊として運ばれたものの正体は瀬織津比咩であった。正法寺の七不思議の一つに飛竜観音があるが、これは熊野那智の飛龍権現であり、その正体はまた瀬織津比咩であった。ならば「富山鎮守早池峰権現」の意味は、白山権現と早池峰権現は同じであるという意味ではないのか?そうなればつまり、正法寺で祀る三所権現とは、全て共通する女神という事なのだろう。だからこそ正法寺では、裏山を”早池峰山”とし、早池峰権現を祀り、その本来の早池峰権現であり、早池峰の女神を遥拝しているのだろう。それは早池峰を祀り信仰する事により、熊野と白山の神を同時に拝むと同じ事であるからなのだろう。とにかく富山の鎮守が早池峰権現であれば、熊野・白山・早池峰は全て共通する女神である瀬織津比咩という事になる。つまり早池峰の女神とは、熊野・白山に共通する、それだけ霊威の高い女神であるから、その争奪戦が繰り広げられたと考えるのには無理があろうか?


花巻の三女神伝説は別ブログ「遠野物語」をwebせよ!で紹介していたので、良かったら見に行って欲しい。
by dostoev | 2010-04-20 20:37 | 三女神伝説考 | Comments(8)

三女神伝承と東峰三山?

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【花巻方面から見た、薬師岳・早池峰山】


遠野に伝わる三女神伝承に似通ったものを調べると、花巻地区に顕著にあり、三女神伝承は調べるとまだ出てきそうな気配がある。遠野の三女神伝承に、花巻地区の伝承を全て結び付けるわけにもいかない気がする。それは何故か?実は、早池峰山に祀られる瀬織津比咩という存在を抜きにして語られている伝承には違和感を覚えるからだ。わたしは初めに早池峰の姫神てある瀬織津比咩ありきと考えているからだ。違和感といえば、早池峰がかって東峰と呼ばれたというのにも違和感を覚える。

花巻市文化財保護審議会委員の小野義春氏の「東峰三山と鶏頭山」という面白い論考を読んだが、資料の殆どが奥州藤原氏以降の中世主体のものであり、早池峰山が以前”東峰”と呼ばれていたものに力を入れ、または鶏頭山について書き記されている。たた遠野での早池峰は北に鎮座する霊峰であり、前薬師の薬師岳(1645m)と本薬師であろう早池峰(1917m)は、薬師岳と一直線に重なるように並び、まるで薬師如来の座像と立像のワンセットとして、あくまで全てひっくるめて”早池峰”であるという概念だろう。小野氏の「東峰三山と鶏頭山」では南部叢書から「丑の方には稗貫郡内川目村の早池峰山・薬師かてんしやう・池上山、これを三の山とはいふ也…。」という菅江真澄の言葉を引用しているが、あくまであれは北上・花巻地域からみた東側に鎮座する早池峰であり上の画像の様に、三つ分離して連なり確かに三山を形成しており、言われれば確かに”東峰三山”であろう。また菅江真澄も地元の民から教わったものからの言葉であろうから、三山という認識は地元の民に植えつけられたものであろう。

東峰なる言葉は、北上・花巻・大迫における狭い範囲の名称なのにかもしない。その後の遠野は南部藩が統治していた為に、東峰という言葉も南部藩の影響からのものではないのだろうか?「宮本文書」と云われる「早池峰妙泉寺文書」にも東峰とされていが、文書そのものも南部藩の影響下にあったようなので、今では疑問に思うところである。

また小野氏の「東峰三山と鶏頭山」において感じるスタンスは、歴史の過去において大迫の早池峰神社と遠野の早池峰神社の争いの歴史がありながら、やはりというか地元である花巻市大迫からの視点の論考である為、花巻びいきの書き込みは少々気になるところである。例えば「遠野物語」という物語世界に歴史を埋没させるな!というスタンス取りながら、肝心な箇所では「遠野物語」を引用し、更には他の胡散臭い伝説を引用して考察を正当化しているという、少々お粗末な内容だった。歴史的にも中世史は複雑怪奇な世界なので、簡単に見つかったパーツを繋ぎ合せるのは危険であろう。また遠野側においても大川善男氏により、伝説の東禅寺は臨済宗では無く天台宗であり、東禅寺と云われた寺は妙泉の里寺てあったという納得いく論考を提示されたのだが、小野氏はそれを読んではいないようだ。また大川氏によって、南部氏による捏造された南部藩の歴史も指摘されているので、南部藩の息のかかった文書による考察は危険であろう。奥州、もしくは早池峰を調べるなら、県外の資料も集め無い事には核心にせまれないものと思う。例えば幕末の時代、薩摩藩の日誌から常に戦に駆り出された被差別部落者の心情を語る言葉に早池峰の”瀬織津比咩様”というものがあり、過去の歴史の中に俘囚として九州などに流された民の文化が残っている。また九州の古文書からは、平安の中期には早池峰にはリンドウが咲き乱れていたという記述からも、今後の早池峰であり”東峰”を探るなら、岩手県内の文書や伝説を頼りにしていては、進展無いものと考える。

ところで自分の中での三女神伝承の元は、やはり歴史的資料からいけば、室根山と室根神社に伝わる伝承だろう。ここでは三女神ではなく、二人の女神となる。この二人の女神の伝承が伝わるのは他にはとにかく唯一、江刺大迫の伝承だけである。
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【江刺大迫の亀ヶ森】

【江刺、大迫の女神伝承】

大迫の亀ヶ森という丘陵に、二人の女神が宿を取った。妹は、早池峰の女神
ににりたいと願ったが、姉はただ天の意志にまかせるのだとし、妹を諌めた。
ところが妹は、蓮の蕾を取って早く花を咲かせる事が出来たものが、早池峰
の女神となる事を提案したのだと。

気立てが優しい、ねのんびりした姉は一日中、花の咲くのを岸から待ち続け
た。機転のきく妹は、蓮の花が朝方にしか咲かないのを知っているので、日
中は遊んで、早朝に起きて蓮を見ていたそうな。その三日後、姉がまだ寝て
いる間に、蓮の花が咲いた。妹は素早く蓮の花を取って早池峰へと飛んだと
いう事だ。姉は泣く泣く、麓山の姫神になったそうである。

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【江刺菊池一族総本家の跡地】

この大迫とは、稗貫郡(現在は花巻市)の大迫では無く、江刺に属する大迫である。大迫という地名は”山間の地”という意味らしい。

実は、この江刺の大迫の姫神伝承はかなり古いらしく。この江刺の大迫に流れ着いて定着した菊池という人物が伝えた伝説であるらしい。この大迫の部落では七月の早池峰の御山開きには、早池峰講を組織して、この伝承を運んだ菊池一族の総本家の当主を先頭に、早池峰登拝へ行っていたのだという。

この江刺大迫の菊池一族は、稗貫郡大迫の岳部落を訪れて、早池峰の新山宮に一番近い宿坊に泊ったという。岳部落では、江刺大迫の菊池一族には昔から、一番近い宿坊を与えるのが取り決めであったらしい。また早池峰の祭の日には菊池一族の当主が内陣まで土足で入る事が出来、祈祷を特別に受ける慣例を持っていたという。この菊池一族は、伝え聞くところによると九州から渡って来た一族で、この早池峰と姫神を、こよなく愛していたという。

実は、この江刺大迫に伝わる伝承として、この姫神伝説が現在の稗貫郡大迫町に伝わり、それから”大迫”という地名が付いたという事である。また姫神が宿にしたという亀ヶ森もまた、そのまま現在の大迫に伝えられ地名として存在している。大迫町役場に問い合わせても、いつから大迫という地名になったかは、誰も知らないという事であった。唯一「地名辞典」から、早池峰山の山間の地形から”大迫”であろうという判断しか出来ないそうである。

ところがこの江刺大迫の菊池の総本家も没落し、かなり以前にどこかえと消え去ったという。上の画像は、その菊池家の後地で、昔から伝わる椿が何故か一本だけ咲いているとの事。この菊池家の周囲には池跡がいくつかあり、この池に咲く蓮の花を姫神が見守ったという事なそうだ。

この伝承が現大迫に伝わり地名となったという説は、別に大迫に住んでいた人間が隠居後に江刺の大迫へ引き籠り、その伝承を伝えたとも云われるようだ。

先ほど述べたように、岩手県における原初的な女神伝説は室根村の二人の女神から始まったと考えられる。花巻市に伝わる女神伝説は三女神だ。それを隠居した人間が江刺の大迫の地において、二人の女神に戻す必要があるのだろうか?例えそうだとしても、間違った、もしくは歪曲させられた伝承が作為的に大迫に広まった為に本来の二人の女神伝説に戻したとも考えられる。それともう一つ、隠居した人間がわざわざ立地的に作物の期待できない、飢饉の多い土地に移り住むのであろうか?多分伝承の伝播経路では、江刺大迫の方が先であったろうと考える。

ところで先に記した室根神社の「むろね」とは、紀州熊野の牟婁からきている。その由来記には熊野から蝦夷討伐の為”十一面観音の隠れ本尊”を背負ってきたとされている。ここでの隠れ本尊とは本地垂迹の意味でもあり、要は仏教では十一面観音であるが神としては誰か?という事であり、その名を開かせぬ神を十一面観音の隠れ本尊として表現しているのだとされている。

また直接その十一面観音の隠れ本尊を直接室根山に運んだのではなく、ところどころにその分霊を祀り、室根山に到着している。その足取りを辿ると現れる神の名は瀬織津比咩であって、現在の早池峰の姫神となる。「奥州室根山」という由来書には「室根山は熊野権現を勧請し、御本尊の秘仏は、御沢の滝の岩窟に秘蔵せりと云う。」これは滝神である為、本来鎮座する場所に安置したという意味と捉えていいのだろう。後に室根山では熊野三所権現という形式の祀り方となる事から、三女神伝承に変化したものだと考える。それ故に、原初的な二人の女神伝承を伝える江刺大迫の伝説は貴重であると思う。

また「新・遠野物語」に記載されていものに、早池峰と大迫と南部の関係を紹介した面白いものがある。
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遠野南部では、宗詣の関係から甲州以来、代々火葬をもって葬られてきた
という歴史があった。それで家臣達の主だった者達も、それに準じて火葬
を行ってきたのだと。ところが遠野に移ってきて、困った事になったとい
う歴史がある…。

遠野領民の一番の信仰の対象が早池峰山であり、早池峰山の山霊が屍骸
を焼く煙が嫌いなのだという迷信が蔓延っていたのだという。その領地を
統治するという事は、その領地に根付いている信仰も容認しなければなら
ない為に南部の連中は困り果ててしまったのだという。

その迷信とは、早池峰山が開いている3月の中旬から、山閉じの9月の中
旬までの間、火葬厳禁となっていたそうな。なので火葬が家例となってい
た南部家の困りようがみえるようである。

寛文元年の7月、弥六郎直義の夫人、松晃院が亡くなり、さて火葬という
時の遠野では、例え誰であろうと火葬はご法度となっていた。そこで領主
となった南部は、どうしても火葬を土葬に変えるわけにいかないと相談の
結果、僧侶や山伏達を沢山集めて、早池峰山に許しの祈願をし、その上で
現在の新穀町にあった感応院で火葬する事にしたのだという。

その火葬の当日、僧侶、神官、山伏が集まって色々早池峰様のなだめの祈
願をあげた末に、葬儀となったそうな。読経も済み、和尚の引導も終わり、
いよいよ火屋に火を放とうとした瞬間、今まで一点の曇り無く晴れ渡って
いる空に突然、黒雲が湧き出したのだという。それが葬儀の場をみるみる
真っ黒に覆ってしまったのだと。

そしてそれと共に、転地も砕けるかという雷鳴が鳴り響き、目も眩むかと
いう稲妻が走り、あたかも天地がひっくり返るかのような情景になってし
まったという。

その黒雲の中に、何か怪しいものが居て、屍骸を納めた棺に襲い掛かろう
という気配を見せたので、警護の武士達は叫んだという。

「さてこそ早池峰様のお怒りか。これこそ話に聞く魑魅魍魎をお遣わしに
なって、御屍骸を奪わんとせられるのか。それにしても御屍骸を奪われて
は一大事。」

警護の武士達は、皆々太刀、長刀、槍の鞘を払って自刃を空にかざして、
弓や鉄砲などは穂先や銃口を揃えて頭雲をめがけて攻撃が火蓋を切ったの
だと。

臨席していた大勢の僧侶や山伏達は悪霊退散の祈願を唱えていたそうだが、
ほどなくして、その葬儀の場を覆っていた黒雲は消え去り、空は元通りの
晴れ間が広がったのだそうな。

この時以降、南部の時代となっての火葬は、遠野ではなく大迫まで屍骸を
持って行き、火葬をあげてから再び遠野に持ち帰り大慈寺で葬儀を行うよ
うになったのだという…。

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上記の伝承は、遠野に伝わるものである。これはつまり、早池峰の姫神は不浄のものを忌み嫌うという伝承が伝わってのものだ。ただしこの内容は史実では無いという結論に落ち着いているのだが、例え作り話として考えだされたものだとして、一つの証明を成している伝承だと考える。つまり、遠野側では早池峰の姫神の霊威を信じ信仰しているのに対し、南部と同じ早池峰を祀る大迫という地域では、その早池峰の霊威が通用しないという事を伝えているものた。

岩手県の歴史は、奥州藤原氏の歴史が燦然と輝き、その奥州藤原氏の文化と信仰の視点を中心に考えるきらいがある。東とは太陽を現し、太陽の昇る地という意味がある。つまり東峰という呼び名は、あくまでも早池峰山が東に見える地域から呼び名では無かろうか。遠野も奥州藤原氏の影響を受け、例えば経塚などの信仰文化も、東北にもたらしたのは藤原氏とされる。その経塚として古いものが遠野から発見されているのは、奥州藤原氏の信仰形態が影響され根付いていたという証になるのだろう。しかしだ、早池峰山が開山されたのは奥州藤原氏の時代よりも更に数百年も遡らねばならなない。

もう一つ、遠野側が不利なのは盛岡南部の影響もあったのだろう。あくまでも南部藩の中心は盛岡であった。早池峰の祭祀に関しても、遠野側が発祥であろうが、盛岡から近い大迫を南部氏が優遇した歴史は消せない。当然の事ながら南部氏をバックにした大迫は、遠野の早池峰神社からの祭祀を全て自分達のものにしようと画策した。それに付随するように、女神の伝説も生まれたのでは無いだろうか?そうでなければ、花巻地域から大迫にかけて、三つも四つも伝承があるというのは、いささか多過ぎる。うがった見方をすれば、遠野の三女神伝説をぼかす形で作られたのが花巻の女神伝説の可能性も考えて良いのかもしれない。ただ花巻の場合、三女神伝説の中心となっているのは胡四王だ。歴史の深い、もしくは謎の深い胡四王神社の鎮座する胡四王の権威付けを意識し、早池峰を取り込む形で作られた三女神伝説の可能性も否定できないだろう。

ただし、これだけはキチンと覚えて欲しい。現在の大迫に鎮座する早池峰神社とは、遠野の早池峰神社の遥拝所であった。それは岳の早池峰神社が、遠野の早池峰神社に向けられて建てられている事から納得できるものだ。早池峰への道の原初は、遠野の早池峰神社から、又一の滝、そして薬師岳と早池峰へ伸びる一直線の道が正当であったという事だろう。
by dostoev | 2010-04-18 20:27 | 三女神伝説考 | Comments(27)

三人の娘(悪しき魂の浄化)

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遠野の来内に鎮座する伊豆神社には、三人の娘の伝承がある。その中に坂上田村麻呂の三人の娘(お石、お六、お初)を産んだ松林姫の話が伝わる。しかし田村麻呂の子としての三人の娘の話は、下北半島にある脇野村にも伝わっている。

神護景雲2年(768年)安達の小連という若者が、故あって都から、この脇野沢に流され、ここで暮らしている間に、蝦夷の酋長の娘の聟となり、二人の間に、世にも稀な美しい女の子が生まれたという。延歴20年(801年)征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷を征伐する為にこの地へきた時に、安達の小連が田村麻呂の陣に馳せ参じ、征夷討伐の先陣を承って殊勲をたてた。田村麻呂はこの地を「鬼伏」と名付け、蝦夷たちを宣撫したと。そして暫くの間田村麻呂はこの地に滞留したのだという。

その間、安達の小連の美しい娘が田村麻呂に仕え、その寵愛を蒙って懐胎した。そして月満ちて女は三つ子の女の子を産んだというが、田村麻呂は都へと連れて行けば、蝦夷との混血という事で困るだろうと、置き去りにしたのだという話がある。この話は、涙ながらに人間の哀話として伝わるのだが、もっと単純に割り切って解釈してしまえば、一夜妻の話となる。

例えば、ニニギがコノハナサクヤヒメを見染めて一夜で身篭る話もまた、現地の一夜妻の話であるのだと思う。ところで遠野の伊豆神社には、田村麻呂ではなく阿倍宗任の妻の産んだ娘であるという伝承もあるが、どちらにしろ現地での一夜妻の話となるのだと考えている。

原始的本能とは、男は自らの遺伝子を残そうとする。そしてまた女も、強い男に惹かれその遺伝子を残す役割を担うのが、猿山の猿と同じ、原始的な野生の本能だ。

「昭和定本日蓮聖人遺文」には安部一族である安藤五郎を評して「安藤五郎は因果の道理を弁えて堂塔多く造りし善人也」と記されているが、善人という定義は単純にお堂や塔を造ったという功績に対してである。田村麻呂であり、安部一族であれ、戦の中に沢山の人間を殺してきた血の歴史がある。その血を振り解こうとする行為の延長上にあるのが、神仏に対する信仰となる。極端にいえば血の呪いから解放される為に、神仏に対して念じたのだと思う。これは古来から日本に入ってきた御霊信仰が大きかったのだろう。「殺せば祟られる。」という因縁が戦という命の凌ぎ合いの中で発生するのだ。殺さなければ自分が殺されるという刹那の中、非情に成りきった者だけが生き残ってきた歴史。

当然の事ながら、当時の女性というものは男が人を切り殺し、また切り殺されるという血と血の間の男の本能を間近で見てきていたのだろう。極端に言えば、そこで勝利した者に対し、自らを捧げたのだろう。男は男で、血に染まった怨念の悪しき魂を浄化する為に神仏を信仰し、女を求めた。女もまた、その悪しき魂を受け入れ、一緒に神仏に対し祈祷したのだと思う。

男でありながら穢れ無き魂であるのは、俗世間の戦であったり、下々の者達と呼ばれる生きる為の争いの中という俗世間より離れた、神仏界に生きてきた人の中にいるのかもしれない。しかし根源的な男の魂とは、生きる為に殺生する悪しき魂(殺生せぬものを清き魂というならばだが…。)から発生しているのだと思う。本来の慈愛とは、人のドロドロした生き様を垣間見、生も死も体感した後に生ずるのだと考えている。

男の滾る血を押さえるものは、神仏への信仰であり、清き魂の女を求める事で癒されるのかもしれない。武士の安息とは、そういうものだろう。その穢れた魂が、浄化を果たす為に清い魂と劇的な結ばれ方をしたのが、源義経と静御前だろう。静御前は源義経の子を身篭った中に捕まり、鎌倉において頼朝と北条政子の前で舞い踊り詠った歌に、頼朝は激怒して静御前を殺してしまえと言った。しかし、傍にいた北条政子の一言…。

「女とは、そういうものです。」

その北条政子の言葉で、頼朝は怒りを抑えたのだが、女にもまた男のような綺麗事では無い、悪しき激情を備えているものだ。しかしそれはあくまで、静御前が義経の魂を受け取ってのものであり、それは悪しき魂と清き魂の融合の元に発せられたものだったのだろう。それがわかるから、北条政子は頼朝をたしなめたのだった。

ここでいう三人の娘とは、清き魂と悪しき魂との結び付きによって生まれたものであり、聖なる数字”3”で表わされるのは、それを証明するものなのかと考えてしまう。世の常、悪しき魂は清き魂を求め彷徨う。清き魂もまた、悪しきものを包む宿命となって存在しているのかもしれない。清き者同士は、何も生み出さない。世の中は、あくまでも陰と陽なのだと思う。三人の娘の伝承とは、男の悪しき魂を浄化する為に生み出された穢祓いの一つの形としてなのか。自分もまた目の前に清き魂の女がいたら、人から奪ってしまうのだろう。それが、荒ぶる悪しき男の魂であると、心の底で信じている。清き魂であると善人ぶるのは、聖職者にでも任せておこう…。
by dostoev | 2009-11-22 13:26 | 三女神伝説考 | Comments(8)