遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:小松長者の埋蔵金( 2 )

小松長者の埋蔵金(其の二)

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西斎達が江戸に帰る途中、西斎が腹痛を訴えた。その為、西斎一人を残し、江戸に帰ったというが、その西斎は、その後行方がわからなくなり10年の月日が流れたのだという。ところが文政三年に、西斎の母の元に、一通の手紙が届いたのだと。そして無事に生活しているのがわかったのだが、その手紙の最後に歌が添えてあったと。

「みちのくのしのぶのさとやみあかしにながしながよのこがねはさく」


歌としては稚拙だが、何か意味があるものと思い、その西斎の住んでいるという小友村まで旅する覚悟を決めたのだという。その西斎の母が旅立ったのは、準備で手間取ったせいもあり、文政4年の春であったそうな。その母がやっと遠野の小友村に辿り着き、西斎の人相を説明しながら聞きまわったのだと。すると「開の平の仙人」だろうという事になった。ただし現在、小友には「開の平」という地名は無い…。

母は、開の平へと向かい、やっとの事で西斎の住居に辿り着いた。しかし、すでに西斎は病を患い、10日ほど前に亡くなっていたのだと。その西斎の下男がおり、西斎の言いつけ通りに、その母をある場所に案内したのだと。

案内されたのは、部落を見下ろせる台地に建てられたお堂であったそうな。お堂の正面には、黒くくすんだ観音像が飾られていたのだが、実はその観音像は、黄金でできた観音像であったと。母は下男から渡された、西斎の手紙を受け取り読むと、江戸に帰る途中腹痛になったが、埋蔵金探しに未練があった為、江戸へは帰らず再び小友村に戻り、埋蔵金を探したのだと。しかし長年住んでいるうちに、わずらわしい江戸の生活よりも小友村での生活が心地よくなり、居ついてしまったのだという。

そして、残りの宝。一つの峰と、一つの沢に隠された宝を三年がかりで西斎は見つけたというのだ。その宝の一つが、このお堂に飾られている黄金の仏像であるのだと。そして他の宝は、全てまとめて袋沢に隠しており、その袋沢の隠し場所の地図が添えられてあったのだという。しかし、袋沢という地名も、現在の小友には無い…。

その後、母は地図を頼りに袋沢へ行ってみたのだという。かって人が足を踏み入れたとも思われないような場所の崖っぷちに、自然石を刻んで造った小さな塔があったと。その崖の下は岩の間から流れ出した水が小さな流れを作っており、その流れに浸った岩の裂け目を蓋のように塞いだ一枚岩があったと。その岩を取り除くと、人が一人潜り込めるような穴があって、穴の中は一段高く、奥行き6メートル、幅2メートル。高さは大人が楽々立って歩けるほどの洞窟となってい
た。

その突き当たりに、小石を積んで造った幅120センチ、長さ2メートル程の長方形の囲いがあって、お宝がギッシリ詰まっていたのだと。ただ、母一人の力ではこれらの宝を持ち出せないので、砂金を少量だけ持ち、部落に帰ったのだと。その母は、西斎の残した地図とは別に、自分の目で見て歩いた記憶を頼りに別の地図を書記したという。そして部落の人たちには、この仏像を持って江戸へ一旦帰ると言い残して、小友村を後にしたのだと…。

西斎の母は、急いで江戸へ戻うとした。帰って準備を整え、再び小友村に戻り埋蔵金を回収する為だ。しかしその旅の途中、抱えている黄金の仏像に気持ちが向いていたせいなのか、持っていた財布をすり取られてしまったのだと。その財布の中には、埋蔵金の在り処を示す地図も入っていたのだと。しかし、今更財布の犯人を捜しても仕方がないと、急いで江戸へ戻ったのだと。

西斎の母は元々神経質な人物で、いろいろと気苦労と旅の疲れが溜まった為か、江戸の我が家に戻った頃には、そのまま牀に臥せてしまったのだという。体は思うように動かず、自ら再び小友村へ行けないと悟った西斎の母親は、以前西斎と共に埋蔵金探しへ小友村へと赴いた、越中屋甚兵衛を呼び寄せ、事の顛末を語り、代わりに埋蔵金探しへと行くように頼んだのだと。

埋蔵金の在り処の地図を失ったものの、西斎の母親は、自らの記憶を頼りに地図を書き上げ、甚兵衛に託したそうな。それから1ヶ月ほどして、西斎の母は死んでしまったのだという。

越中屋甚兵衛はその当時、70近い老人となっていた為、東北までの長旅をする気力は萎えていた。そこで息子に埋蔵金探しを任せたのだと。甚兵衛の息子は文政6年、出入りの鳶の者など十余人を引き連れて小友村に乗り込んだのだという。しかし、西斎の母の記憶の誤りがあったのか、探し方がわからなかったのか、何も得るものが無く、引き上げてきたのだと。そして文政11年にも再び小友村を訪れたが、やはり失敗に終わったのだと云う。

その後、越中屋だけではなく、江戸の有志達が天保3年、弘化4年と、4度も小友村へ探索へ行ったそうだが、全て失敗に終わったのだと云う。それで、西斎の母親の盗まれた地図により、全て盗まれたのではないか?という結論に達して、その埋蔵金探しに終止符がついたようであった…。
by dostoev | 2010-11-19 19:33 | 小松長者の埋蔵金 | Comments(0)

小松長者の埋蔵金(其の一)

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明治12年、小友村の山中で、半ば白骨化した死体を付近の人が発見したのだという。死体の主は、投げ出されてあった荷物から呉服行商人であろうという事だが、面貌がはっきりしないとの事。その死体の主の反物が入った荷物を調べると、中から2キロの砂金と直径25センチの黄金造りの酒杯1個が転げ出たという。荷物と一緒にあった帳面から、仙台は狐小路の呉服屋である戸田屋の小四郎とわかった。

しかし家族の者に尋ねても、砂金と金の酒杯の出所はわからないのだと。ただ金の酒杯には下り藤に松をあしらった紋がついており、これは小松長者の分家である、菅沢家で用いた家紋という事がわかった。もしかして、この戸田屋の小四郎は、過去に伝えられる小松長者の埋蔵金の一部を山中をさ迷い歩くうちに発見したのではないか?という事だったらしい。ただし、死人に口無しで、真相はわからなかった。それでは、遠野市小友町に伝わる小松長者(小松大尽)の埋蔵金伝説とは?

小松長者の死後、跡目争いがあったようで、本妻の子である秀丸18歳と妾の子である早人22歳がいたそうである。小松長者の死する時、本妻の息子である秀丸は、小松長者の代理で高野山に行っていたそうな。その間、妾の子である早人は叔父である宗和と相談し、本妻の子秀丸を殺害しようと企てたが失敗に終わり、逃げてしまったのだと。

実は、秀丸が高野山から帰ってくる間に、早人と宗和は小松長者の宝を5箇所にわけて隠したのだという。陰謀が発覚後、早人と宗和は1箇所の財宝をかかえて逃げたと言う事だが、どうやら逃げた船は嵐に遭い、沈没してしまったのだと。しかし人質として宗和の息子がいたというのだが、その息子の衣服から宝の隠し場所の地図を発見し、秀丸はその地図を手がかりに1箇所の財宝の隠し場所を探し当てたというのだが、結局残りの3箇所はわからずじまいであったのだと…。

享和三年、仙台の「いさらご屋」という旅籠に、護郎作という下男がいて、一枚の板に文字とも記号ともつかないものを一面に刻んだものを大切に持っていたという。

ある日、江戸の儒学者である金沢西斎という人物が、その旅籠に泊まり、その護郎作の所持している謎の板切れに興味を持ち見せてもらったのだという。それから西斎はそれを丹念に写し取ったのだと。その謎の板切れは、牡鹿半島の女川湾に近い漁村に住んでいた護郎作の親父が、難破船から浜辺に流れ着いた男の持っていたものだったそうな。それがどうも大切なものだったらしいので、捨てずにいたものを護郎作が所持していたという事だ。

護郎作の話を聞いてピンときたのか、西斎は江戸の豪商である越中屋甚兵衛を口説き落とし、小松長者の財宝探しに乗り出したのだという。つまり、西斎は、その難破した男とは、小松長者の財宝を持ち逃げして難破した宗和の一味の男であろうと確信したのだったようだ。

文化2年、西斎と甚兵衛は、十余人の共を連れて小友村に辿り着いたが、その時は財宝探しが失敗に終わったのだと。二度目の財宝探しは文化5年、別に出資者として丸目屋市次右衛門も加わっのだと。その時は、小友村から三里離れた剣ヶ峰を探したという事だが、今となっては、その剣ヶ峰がどこかもわからない…。

この時も財宝が見つからず、さて引き上げようかという時、西斎がもう一度探したいという要望から、山の頂近くで五坪ほどの広さの平坦な岩石平を発見したのだと。その中に2メートルほどの岩があり、岩の周囲は一坪ほどで、一抱えもあるような石で1メートルほどの高さに積み上げてあったそうな。そこに西日が差し込んだ時、内部にあった黄金が輝き、やっと1箇所の場所を発見できたそうな。

この発見に力を得た一行は、引き上げる予定を取りやめて、その後さらに1ヶ月ほど延長して埋蔵金探索を始めたのだという。しかし結局、残りの2箇所を発見する事ができずに帰路についたのだという…。
by dostoev | 2010-11-19 19:28 | 小松長者の埋蔵金 | Comments(0)