遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:七つ森考( 9 )

七つ森考(其の五)

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旗屋の縫が宮城の七つ森の影響を受けているのはわかったが、その宮城の七つ森の殆どに倉という名前が付いている。

笹倉山
松倉山
撫倉山
大倉山
蜂倉山
鎌倉山
遂倉山


上記の七つが七つ森の全てで、主峰は笹倉山となる。山頂にはそれぞれ薬師如来が祀られてある。実は薬師如来は妙見菩薩でもある。ところで何故「倉」という文字が全ての森に付いているのだが、倉(クラ)とは縄文時代に影の事を「クラ」と呼んでいたようだ。

「カム」は「被う」や「冠る」の意で「カマ」は「被われた」という意になる。つまり秋田県などで有名なカマクラは「被われた影」の意となる。ただ別に「クラ」には「磐座(イワクラ)」「桜(サクラ)」などがある。磐座やー桜の「クラ」には、神が降臨する意もある事から、倉には神が降り立つ意味も含んでいるものと考える。

七つといえば、真っ先に思い出すのは北斗七星だ。日本の古来は整数として「八」の数字が沢山出てくるが、「七」となれば北斗七星が代表格だろう。ところで先に記したように、薬師如来は妙見菩薩でもあった事を考え合わせると、七つ森とはつまり、妙見信仰からきているのだと考えられる。各々七つの星が倉という名の付く山に降り立って、七つ森を形成するというのはやはり、妙見信仰が根底にあるものだと思う。これから察すれば、宮城の七つ森の各山々に倉という名が付いているのは「北斗七星の各星々が降り立つ」という意味があるように思える。

日本国で思い出すのは、八という数字だ。末広がりとしての八という数字は、八百万の神と云われる日本の神話に多く登場するが、どちらかというとスサノヲの周辺に多い気がする。しかし「日本書紀」では「神世七代で始まる国…。」という記述があり、七という数字も負けてはいない。

ただ七という数字はやはり、北斗七星であり、七夕が古いのだろう。七福神や七観音の信仰などは、比較的新しい。ところが北斗七星は7世紀の高松塚古墳に描かれているように、かなり古くから信仰されているのがわかる。

七夕の古い風習などは七尽くしであり、七本の蝋燭を立て、七種の食べ物を供え、七遊(歌・鞠・碁・花札・貝合せ・弓・香)を楽しんで、七度風呂に入って、七度食事をする。

また石上神宮に七つの突起を持った七支刀も、北斗七星との関連が指摘される。つまり古くからの七という数字には、北斗七星…所謂"妙見信仰"が根底にあるのだと考える。となれば遠、野の七つ森の根底にもやはり妙見信仰があり、日出姫の夢枕に御告げがあり「七つの森に囲まれて暮せ。」というものはつまり、妙見を深く信仰せよという意味になるのだと考える。それ故に日出神社の向きは、妙見と関わる早池峰山方面を向き建立されたのではなかろうか。
by dostoev | 2011-08-05 06:04 | 七つ森考 | Comments(2)

七つ森(其の四)

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狐森は、見かけは円錐形の山に見えるが、実は偽の頂があり、 稜線沿いに登って行くと、かなりの標高となる。日出神社見えない朝日が昇る様が、この山からは見える。頂は、若干の広さを持っており、木々が邪魔しなかったら、東西南北を綺麗に見渡せる山でもある。また麓には、今では廃れたがやはり、霊地としての信仰があったようで、沼の御前が祀られていたようだ。今まで調べたのを確認すると下記の様になる。


【傘森山】     月山神社 、沼の御前

【トンノミの森】  白山神社、 沼の御前

【狐森】            沼の御前

【瓜ヶ森】      白山神社

【鋭ヶ森】     早池峰遥拝所

【大森】          ?

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畑屋の縫には、地元に伝わる文献にこうある…。

「大字細越織屋の縫と言う猟の上手な人あり、仙台の七つ森の
 山男より教われてより非常に獲物ありしと…。」



つまり、畑屋の縫と、仙台の七つ森の伝説は繋がっていたのだろうという事。そして、この宮城県の七つ森には薬師如来への信仰が残っているのは…実は安倍宗任との関係がでてくる。安倍宗任が九州の大島に流された時、奉持してきた持尊仏が薬師如来像であったという伝承がある。現在、大島の安昌院に伝わる薬師如来像は鑑定の結果、安倍宗任が大島に流された時代まで遡らないそうではあるが、実際に安倍宗任は薬師如来を信仰していたという事実がある為、大島に伝わる伝承もまた真実であった可能性は高いであろう。

薬師如来の信仰の本義は、東方守護の仏像であり、森林などの自然と結びつき、その威光が発せられるものであった。薬師如来の伝承を探してみても、樹木から仏像が発見されたなどとあるのも、七つ森との関連があるものだろう。

ところで薬師は、インド密教からきている。薬師仏出自は「リグ・ヴェーダ」のヴァルナ神からきており、実はヴァルナ神=ヤクシャでもあった。ヤクシャは仏教で夜叉と捉えられたが、日本に伝わった夜叉の本来の性格は羅刹の性格からきており、ここに夜叉と羅刹の混同がみられる。

ヤクシャは薬叉→薬師と音韻転訛され、今に伝わるのだが、本来は魔族であった。ヤクシャは樹木の神霊てあり、森林に棲むという。その為なのか水神とも繋がっている。京都の鞍馬寺は毘沙門を祀
る寺なのだが、毘沙門はヤクシャの王であり、つまり魔王だ。鞍馬寺の奥の院は魔王殿である。この魔王殿を含む一帯の地主神は本来貴船神社の祀る水神であったようだ。鞍馬寺には「鞍馬の火祭り」というのがあり、それは本来毘沙門天の火の本義に結び付くようだ。つまりここに、インドのヤクシャに、火と水の結び付きがみられる。

ところで樹と水の関係は深いので、遠野の早池峰の手前にある前薬師と呼ばれる薬師岳は、岩山である早池峰に対比するかのように樹木に覆われている山である。その為なのか、鶏頭山と呼ばれた後に薬師岳と呼ばれるようになったのは、ヤクシャの本義も重なったものなのかもしれない。そして本薬師は早池峰となる。

宮城の七つ森に薬師如来が結び付いているのは、薬師の本義である水の信仰。そして安倍宗任ら安倍が本来アイヌ語から来ると云われるアビという火の意味を成す意味から安倍と名乗り、薬如来を信仰したのも、根底には火と水を結び付けるという意義があっての事かもしれない。その宮城の七つ森の意義は、遠野の七つ森に伝えられた。遠野の七つ森には、当然の如く樹木の信仰に伴う水の信仰が根付くと共に、タタラという火の信仰をも結び付けられている。そして今、自分の中に火と水の組み合わせによって生じる剣に、その意味を成しているのでは?と考え始めている。それは、剣によって
化生した神への信仰なのだと思う…。
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鋭ヶ森の裏側に、縄文人が住んでいたであろう地がある。古老曰く「つぼけ畑」という名称から「東日流外三郡誌」に登場する”つぼけ族”の住居跡では?という事だった。

尖った山々に囲まれた中に、このつぼけ畑はあり、別名ざる窪ともよばれ、ざるを伏せたような盛り土があるのだと。傍らには沢が流れており、今でこそ水量は少ないが、以前はもっと豊かな水が流れていたのだそうな。そしてそこに一本の老桂の木があって、昔はそこに何やら水神?を祀っていた形跡があったというが、今ではそれもなくなってしまったのだと。

七つ森の伝説には「森に囲まれて暮せ。」というものなのたが、このつぼけ畑の場所はまさに森に囲まれた地でもあった。この地域で伝説が付随しているのが、この”つぼけ畑”でもあるので、何か七つ森に関係するかもしれないとの事だが…。
by dostoev | 2010-11-28 19:39 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(其の三)

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鋭ヶ森は、日出神社の右脇に尖がって聳える山だ。七つ森の一つの森とも云われている。この鋭ヶ森は別名「天香山(てんこうざん)」とも呼ばれ、昔女人禁制だった時代、この山に登り早池峰を遥拝したのだという。また、この地域で雨乞いをする場合、この山に登り、頂で千駄木を焚いたとも云う。この頂に登り目に付くのが、1本の松の木だった。松の木は天女の羽衣などでも、神や女神が降りてくる依代でもある。やはり信仰の山であるというのが理解できる。
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写真のように、天気の良い日には早池峰が見える。なるほど、遥拝所と言われるのも納得の景色である。ところでこの地域では、日出神社と鋭ヶ森を分けて考えているらしいが、これはセットで考えるべきであろう。「上郷聞書」の当事者に聞くと「七つ森」は、あくまでも「こうではないか?」という憶測であり、本当の七つ森の場所は不明となっているが、この鋭ヶ森(天香山)は信仰的にも、七つ森の一つであると思われる。
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七つ森の一つではないかといわれる「瓜ヶ森」が ある。この瓜ヶ森は阿曽沼時代に舘が築かれており、別名駒込舘とも呼ばれる。現在は共同墓地になっているのも、死者の霊を弔うにはうってつけの場所が、この瓜ヶ森なのだと考える。

平清水某という人物が、この瓜ヶ森に舘を築いていたというのだが、平清水というのは現在この辺の地名にもなっており、この瓜ヶ森の脇には白山神社が存在する。ここで再び白山の登場となる。 とにかく本来は森があり、後で開発され舘が築かれたのであろう。何故瓜ヶ森に舘を築いたのかといえば、立地もあるだろうが、やはり信仰上の意味があったのだろう。
f0075075_12403888.jpg

とにかく日出神社の建立以降に舘は築かれたようであるので、元々あった聖地に舘が築かれたのだと考えてよいのだろう。何故に白山神社を祀ったのかも、早池峰信仰の流れから来ているのがわかる。

早池峰と白山を比較すればわかるが、山々のところどころに付けられている名称は、白山のそれと同じだ。その事からも、根本は白山信仰の延長上に早池峰があったのだろう。水に関わる白山であるから舘主の平清水某という人物の名もまた、白山の影響を受けて付けられたのかもしれない。トンノミの白山神社。瓜ヶ森の白山神社。傘森山の沼の御前。そして早池峰遥拝処でもあった鋭ヶ森。日出神社を中心として今のところ、この四つが伝説の七つの森と思われるが、全て早池峰(瀬織津姫)→白山と繋がっているようだ。
f0075075_19174831.jpg

瓜ヶ森は、共同墓地となっている小高い丘の地続きで山まで含まれている。実は、この瓜ヶ森には風穴が存在しているのを、今では知る人が少なくなっている。写真の風穴は、今でも穴の前に立つと冷気が来るのがわかる。人が一人這って進む程度の穴だが、実は伝説として佐生田の奥、畑屋と繋がっていたと云われる風穴であり、鍾乳洞だ。

畑屋といえば伝説の猟師である”畑屋の縫”が有名だが、この畑屋の縫もまた、この鍾乳洞を通って、神出鬼没の存在であったという。ただし今では内部が崩落してしまい、畑屋とは繋がらなくなったというが、取り敢えず内部確認はしていないので、次の機会にでも確認しようと思っている。
f0075075_19211950.jpg

畑屋の縫といえば、白馬を愛馬としていた。その愛馬を祀った駒形神社が畑屋にはあるのだが、この風穴の側には白山神社があり、鍾乳洞を通して畑屋と繋がっている。もしかしてだが、白馬に乗った貴人と畑屋の縫の愛馬である白馬と、伝説の重複もあるのでは?などと妄想が膨らんでしまう。
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日出神社の後ろに聳える山を稜線伝いに延々と登っていくと、大森の頂に着く。そして日出神社の方向は、確かに早池峰の方向を向いている。ただ大森を登り切って振り返ると、六角牛山が頭を出しているが、その左斜めの方向には早池峰が聳えるのだろうが、見えなかった。

大迫の早池峰神社は、早池峰山を北とすると、社の後方が東南を示すという。実は明治時代の神社庁の記録には、大迫の岳の早池峰神社とは「早池峰神社遥拝所」と記録されていたという。こう考えてみると、遠野の早池峰神社は、社・薬師岳・早池峰山の一直線のラインが崇拝されていたのだと考える。その為に、岳の早池峰神社はそれを尊ぶべく建立された神社となったのであろう。そして、この日出神社を中心とする七つの森の伝説もまた早池峰を尊び建立されたのではないだろうか?
by dostoev | 2010-11-28 12:47 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(其の二)

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宮沢賢治の「屈折率」という詩があり、この詩に七つ森という 名称が登場する。宮沢賢治のいう七つ森とは下記の七つとなる。

「大森」「石倉森」「鉢森」「稗糠森」「小鉢森」「三角森」「見立森」


この宮沢賢治の言う七つ森の実際の写真を掲載できないのだが、名前も含め、形も日出神社の周辺を取り囲む山々の形に似ているのは気のせいだろうか?日出神社周辺の七つ森と呼ばれるものは、下記の通りとなる。

「あつさ森」「とが森」「うりが森」「からかさ森」「きつね森」「やつ森」「おお森」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【屈折率】


七つ森のこつちのひとつが

水の中よりもつと明るく

そしてたいへん巨きいのに

わたくしはでこぼこの

凍つたみちをふみ

このでこぼこの雪をふみ

向ふの縮れた亜鉛の雲へ

陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラツディン、洋燈とり)

急がなければならないのか

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔、遠野駅から観音窟のあたりまで、軽便鉄道が通っており、宮沢賢治は何度かこの軽便鉄道に乗って、この日出神社と観音窟ラインを通っていたようだ。それは賢治の詩である「シグナルとシグナレス」からもわかる。もしかして、宮沢賢治は日出神社に伝わる七つ森の伝説を知り影響され、「屈折率」という詩に、別の七つ森を表したのだろうか?

【シグナルとシグナレス(宮沢賢治)】

   ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   さそりの赤眼が 見えたころ、
   四時から今朝も やって来た。
   遠野の盆地は まっくらで、   
   つめたい水の 声ばかり。

   ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
   凍えた砂利に 湯気を吐き、
   火花を闇に まきながら、
   蛇紋岩の 崖に来て、
   やっと東が 燃え出した。

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七つ森の中の「からかさ森」とは当然「傘森山(からかさもりやま)」なのだと思う。先に述べたように、立ち入ってはならぬ霊域はトンノミと同じで、同じく沼の御前を祀っている。また日出神社には、早池峰の遥拝所がある事から、日出神社の七つ森は早池峰山との大きな関連を示すものだろう。また”御前”とは女性を示すもの。つまり、トンノミと傘森山の麓に祀られている沼の御前とは、早池峰大神である瀬織津姫であるのだと考える。
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また現在、傘森山の麓に鎮座する月山神社は、以前この地域に舘を築いた太田氏が、傘森山の頂に月山神社を建立したのだという。この太田氏は、阿曽沼がタタラ製法の技術を学ぶ為に、わざわざ出雲から呼び寄せた人物であると云う。日出神社を含むこの地域のタタラ術は、この太田氏が普及させたものであると思う。日出神社がタタラに関連あるのはわかっており、祭神が少名彦那命と大己貴命に
なっているのは、出雲の流れを汲むものではないのか?
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日出神社を東へ通り過ぎると、観音窟という洞窟が遠野にはある。この洞窟はやはり、坂上田村麻呂が蝦夷の豪族である秋丸との戦いに勝利した後、観音を祀った洞窟という伝説が付随する。

日出神社→観音窟は立地的にも、伝説的にも関連があるのだと思う。日出神社の由来は幾つかあるが坂上田村麻呂の由来話を適用すれば、この日出神社→観音窟のラインはしっくりとくる。となれば日出神社の建立以前に、この地は霊地であったという仮説は成り立つものだと思う。

いや日出神社の存在そのものは、北向きの社殿を考えても早池峰を意識しており、産金・採掘の願をかけられたであろう早池峰神社に対を成すものだと考える。早池峰山に伝わる伝承には、白山と同じ構造が重ねられており、日出神社の建立時期に同時に建立された白山妙理権現を祀るトンノミを考えても、早池峰の開山時期である大同元年(806年)まで日出神社の存在は遡るのかもしれない。そして、この早池峰との関連を深くするであろうものとして考えるのは、多分未だ理解不能となっている「七つ森」の伝説になるのだと思う…。
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ところでこの観音窟に祀られていた観音像は写真のようであるが、嘉永7年(1854)に著者不明の「三陸伊路程記」というものがある。


沓掛 家一軒

此の処岩屋沢、若木の沢、日がらの沢落合、道伝えに遠野の方に流れる也、
岩屋の沢を少し登りて岩屋の不動あり、四丁程行き川の向いに片岩とてすさ
まじき大岩有り、夫より十丁ほどゆきて…。



ここに登場する、沓掛にある岩屋の不動とは多分、観音窟の事だとは思う。しかし、不動と表しているのは、果たしてどういう事だろう?観音窟は外気が遮断されているわけでなく、殆ど野晒し状態である。その為、祀った観音像の風化が早いものと推測される。写真の観音像も江戸時代の作らしいが、もしかしてそれ以前は、不動明王を祀っていたのではないだろうか?

慈覚大師円仁が東北へと赴いた時、天台宗の布教の為、各地の水神に不動明王を重ねていったという事実がある。事実、遠野の早池峰神社の奥に流れる又一の滝には、瀬織津姫の上から不動明王を重ね、瀬織津姫の存在をぼかしてしまっている。

実は、この日出神社にも慈覚大師の痕跡はあり、慈覚大師円仁がこの地に赴いた時、田村麻呂が戦の祈願をした大石を探させ、その大石の上に座して仏像を刻み、これを御神体として崇拝するよう残したのが、日出大明神の御神体であるとも云われている。つまり嘉永7年の「三陸伊路程記」までは、観音窟の中に不動明王が鎮座していたのかもしれない。そしてそれ以前は…。
by dostoev | 2010-11-28 12:22 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(其の一)

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鎌倉幕府の奥州藤原氏が攻め滅ぼされた時、源義経が共の一行と遠野へと逃げ延びて来たという説がある。その時、日出姫という幼い義経の娘がおり、これからの道中の困難を考え、致し方なく日出姫を遠野に置いて行ったのだとの伝説が、この日出神社に伝わっている。昔からこの日出神社の別当では、日出姫が持参したと云われる金の仏像があると云われるが、その仏像を見た事は無い。

ある時、日出姫の夢枕に御告げがあり「七つの森に囲まれて暮せ。」という事から、この地に神社を建立したのだという伝説もある。神社の向きが北向きなのも、自分を捨てた父である義経を怨む為、もしくは北へ逃げていった父恋しさに、北向きになっているという伝説だ。「七つ森」とは、未だ定かでは無いが、古老の話では「あつさ森」「とが森」「うりが森」「からかさ森」「きつね森」「やつ森」「おお森」の七つであると。
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遠野の地域誌である「上郷聞書」には、独自に七つ森の解釈を書き記しているが、その憶測の可能性はなんともいえない。ただ唯一抜けているものがあり、それは「遠野物語拾遺36」のトンノミだ。
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上郷村字細越のあたりと思うが、トンノミという森の中に
古池がある。故伊能先生は、鳥海とあてるのだと言われ、
よくの池の話をした。

ここも昔から人の行くことを禁ぜられた場所で、ことに池
の傍らに行ってはならなかった。これを信ぜぬ者が森の中
に入って行ったところが、葦毛の駒に跨り衣冠を著けた貴
人が奥から現れて、その男はたちまち森の外に投出された。

気がついて見れば、ずっと離れた田の中に打伏せになって
いたという。もう今ではそんなことも無くなったようである。 

                        「遠野物語拾遺36」

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物語ではトンノミの森と記されており、立ち入ってはなせらない聖域であった。今はもう、森の名残は古い樹の切り株くらいしかなくなってしまっている。しかしかっては、深い森であったらしく、この日出神社を囲む七つの森に符合する地であったのだと思う。

このトンノミと同じく人の行く事を禁じた霊域には、日出神社の向かいに聳える傘森山(からかさもりやま)というのがある。その麓に沼の御前を祀っている霊地があり、そこの霊域からイワナを獲って食べ、神罰が下った話がある。またこの傘森山は、日出神社に伝わる七つ森の一つ「からかさ森」と符合する。これから考えてもトンノミの森がかって、日出神社を囲む七つ森の一つであったのだと考える。
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葦毛の駒に乗った貴人が登場する話「遠野物語拾遺36」は、立ち入る事を禁じた聖域に棲む貴人であり、その森を守る存在でもある。このトンノミの神社に飾られている絵を見ると、別の一枚の絵を思い出す。それは曹洞宗の本山の一つである正法寺に飾られている、熊野から伝わる飛龍権現の絵だ。
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色使いは違うものの、どちらも女神と龍が登場している。これは単に同じモチーフから画かれた絵なのだと想像できる。以前にも書き記したが、これは早池峰大神の姿を模した絵なのだと考える。
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トンノミの森は以前、深い森であったようだが、現在は木々は伐採され、その森の名残は古い朽ちた切り株でイメージできる。そのイメージから、トンノミの森は聖なる森であったのだろう。森というものは、神々が愛する存在でもある。その森にいるからこそ、神々は鎮まっていられるのだ。そこには豊かな緑に包まれた木々が生い茂り、清い水が流れていたのだと思われる。

本来の神というものは、一方的に祟りを成す存在でもあった。後付でご利益を与えるものと伝わったのは、平安時代になってからだろう。つまりトンノミも聖なる森を伐採され破壊され、そこに鎮座していた神はどうなったのであろうか?ただ日出神社に伝わる七つの森の伝説の一つがこのトンノミであるならば、この神は場所を日出神社に移している事だろう。何故なら日出神社は、早池峰に繋がる神社であるからだ…。
by dostoev | 2010-11-28 11:52 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(狐森)

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狐森は、見かけは円錐形の山に見えるが、実は偽の頂があり、 稜線沿いに登って
行くと、かなりの標高となる。日出神社見えない朝日が昇る様が、この山からは見
える。
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頂は、若干の広さを持っており、木々が邪魔しなかったら、東西南北を見渡せる
山でもある。
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また麓には、今では廃れたがやはり、霊地としての信仰があったようで、沼の御前
が祀られていたようだ。今まで調べたのを確認すると下記の様になる。


【傘森山】     月山神社、沼の御前

【トンノミの森】  白山神社、 沼の御前

【狐森】              沼の御前

【瓜ヶ森】      白山神社

【鋭ヶ森】     早池峰遥拝所

【大森】          ?
 

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水辺には、鳥が寄ってきて、またそれを襲う獣もいるという図式がここにはあった。
by dostoev | 2009-04-14 17:02 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(大森)

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日出神社の後ろに聳える山を稜線伝いに延々と登っていくと、大森の頂に着く。
そして日出神社の方向は、確かに早池峰の方向を向いている。
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途中に境界を越えてしまうので、もう遠野ではなく住田町となってしまう。
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頂は、360度見渡せるようだが、生い茂った木々が邪魔だ。
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登って来た方角を見ると、六角牛山が頭を出している。その左斜めの方向には
早池峰が聳えるのだろうが、見えなかった。

大迫の早池峰神社は、早池峰山を北とすると、社の後方が東南を示すという。
実は明治時代の神社庁の記録には、大迫の岳の早池峰神社とは「早池峰神
社遥拝所」と記録されていたという。こう考えてみると、遠野の早池峰神社は、
社・薬師岳・早池峰山の一直線のラインが崇拝されていたのだと考える。その
為に、岳の早池峰神社はそれを尊ぶべく建立された神社となったのであろう。
そして、この日出神社を中心とする七つの森の伝説もまた早池峰を尊び建立
されたのではないだろうか?
by dostoev | 2009-04-10 07:45 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(瓜ヶ森)

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七つ森の一つではないかといわれる「瓜ヶ森」が ある。この瓜ヶ森は阿曽沼時代に
舘が築かれており、別名駒込舘とも呼ばれる。現在は共同墓地になっているのも、
死者の霊を弔うにはうってつけの場所が、この瓜ヶ森なのだと考える。
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平清水某という人物が、この瓜ヶ森に舘を築いていたというのだが、平清水というの
は現在この辺の地名にもなっており、この瓜ヶ森の脇には白山神社が存在する。
ここで再び白山の登場となる。 とにかく本来は森があり、後で開発され舘が築かれ
たのであろう。何故瓜ヶ森に舘を築いたのかといえば、立地もあるだろうが、やはり
信仰上の意味があったのだろう。
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とにかく日出神社の建立以降に舘は築かれたようであるので、元々あった聖地に
舘が築かれたのだと考えてよいのだろう。何故に白山神社を祀ったのかも、早池
峰信仰の流れから来ているのがわかる。

早池峰と白山を比較すればわかるが、山々のところどころに付けられている名称
は、白山のそれと同じだ。その事からも、根本は白山信仰の延長上に早池峰があ
ったのだろう。水に関わる白山であるから舘主の平清水某という人物の名もまた、
白山の影響を受けて付けられたのかもしれない。

トンノミの白山神社。瓜ヶ森の白山神社。傘森山の沼の御前。そして早池峰遥拝処
でもあった鋭ヶ森。日出神社を中心として今のところ、この四つが伝説の七つの森
と思われるが、全て早池峰(瀬織津姫)→白山と繋がっているようだ。
by dostoev | 2009-04-06 11:46 | 七つ森考 | Comments(0)

七つ森(その1)

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鎌倉幕府の奥州藤原氏が攻め滅ぼされた時、源義経が共の一行と遠野へと
逃げ延びて来たのだと。その時、日出姫という幼い義経の娘がおり、これ
からの道中の困難を考え、致し方なく日出姫を遠野に置いて行ったのだと。

昔からこの日出神社の別当では、日出姫が持参したと云われる金の仏像が
あると云われるが、その仏像を見た事は無い。。。

ある時、日出姫の夢枕に御告げがあり「七つの森に囲まれて暮せ。」とい
う事から、この地に神社を建立したのだという伝説もある。神社の向きが北向
きなのも、自分を捨てた父である義経を怨む為、もしくは北へ逃げていった父
恋しさに、北向きになっているという伝説がある。

「七つ森」とは、未だ定かでは無いが、古老の話では「あつさ森」「とが森」
「うりが森」「からかさ森」「きつね森」「やつ森」「おお森」
の七つであると云う。
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遠野の地域誌である「上郷聞書」には、独自に七つ森の解釈を書き記している
が、その憶測の可能性はなんともいえない。ただ唯一抜けているものがあり、
それは「遠野物語拾遺36」のトンノミだ。
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上郷村字細越のあたりと思うが、トンノミという森の中に
古池がある。故伊能先生は、鳥海とあてるのだと言われ、
よくの池の話をした。

ここも昔から人の行くことを禁ぜられた場所で、ことに池
の傍らに行ってはならなかった。これを信ぜぬ者が森の中
に入って行ったところが、葦毛の駒に跨り衣冠を著けた貴
人が奥から現れて、その男はたちまち森の外に投出された。

気がついて見れば、ずっと離れた田の中に打伏せになって
いたという。もう今ではそんなことも無くなったようである。 

                        「遠野物語拾遺36」
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物語ではトンノミの森と記されており、立ち入ってはなせらない聖域であった。
今はもう、森の名残は古い樹の切り株くらいしかなくなってしまっている。しか
しかっては、深い森であったらしく、この日出神社を囲む七つの森に符合する
地であったのだと思う。

このトンノミと同じく人の行く事を禁じた霊域には、日出神社の向かいに聳える
傘森山(からかさもりやま)というのがある。その麓に沼の御前を祀っている霊
地があり、そこの霊域からイワナを獲って食べ、神罰が下った話がある。また
この傘森山は、日出神社に伝わる七つ森の一つ「からかさ森」と符合する。こ
れから考えてもトンノミの森がかって、日出神社を囲む七つ森の一つであった
のだと考える。
by dostoev | 2009-03-31 16:21 | 七つ森考 | Comments(2)